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ひと夏の奮闘記(下) 3

人の世を知るには、いったん人の世を出なければ、人と世の中のことは分かり難い。
 人格向上を目指す人が、人格のみにこだわっていれば、その人格は深さも奥行きもなく、結局はこだわりの中で埋没していくことになる。「格」にもランクがあるのである。
 こだわりを棄てるとは、いったん人の世から出て、自らを見詰め直すことである。こだわりの中で埋没することでない。


●指導権

 猛暑の中を往くバスの中である。運転席には大型二種免許をもつ新海教授がハンドルを握り、その直ぐ後ろに私と運行係の水田さんが坐っていた。
 水田さんは道路地図を見ながら、後ろから「右です」とか「左です」とか、「そのまま道なりです」とか「あと5キロほどで目的地に到着です」などの聲
(こえ)を掛けて進路を担当していた。今と違ってカーナビなど無い時代である。当時は、運転手は地図を見ながら車を走らせたものである。したがって、こういう場合、運行係は重要な役目を果たしたのである。

 今日はなんという暑い日であろう……。
 バスは、やや西北に向って走行中であった。
 「暑い……」
 頻
(しき)りに、この言葉が洩れる。
 旅人一行は猛暑の襲われたと言ってよかった。バスの窓は開け放たれているが、外からの風は熱風と言ってよかった。あたかも鞴
(ふいご)で車内に灼熱の風を送り込まれているようだった。
 私は寒暑をめったに誹
(そし)る人間ではないが、この日の暑さは異常だった。さすがに車内からは、悲鳴に近い不満が洩れていた。窓を開けているから道路の埃を舞い上がり、これは車内に飛び込んできた。埃を吸い込んで喉が辛(から)からなのである。バスが冷房車でないことが悔やまれた。
 「添乗員さん」
 私は『添乗員』の腕章をはめた文香さんに聲
(こえ)を懸けた。
 しかし、添乗員は知らんぷりで、完全に無視されていた。
 彼女の貌をよく検
(み)ると、彼女自身、この暑さに怒っていた。このご婦人は機嫌が悪いのである。
 さて、どうしたものか……。
 私は喉の渇きを覚えていた。こういうときに冷たいビールでもあれば有難いのだが……。
 「あのッ……。美人の添乗員さん」
 「わたしのこと?」
 彼女は嫌々頸
(くび)を捻った。
 「何処かに酒屋がありませんかね。喉が渇いているのです」
 「お酒が呑みたいの?」
 「そうです。こういうとき、冷たいビールでもと思いまして……。呑みたくありませんか、添乗員さん」
 「それでも、我慢しているのよ」と、突っ慳貪だった。
 「躰
(からだ)に悪いですね、そういう我慢は……。処が変わると、水だけでは喉の渇きはおさまらないし、だいいち腹に当るおそれがあります」
 一行の携帯している水筒の飲料水は、底を突いていた。私は渇きを覚えるくらいだから、生徒たちは、なおさらだろう。しかし、運転をしている新海教授は喉の渇きを口にしない。平気の平左である。なんという強靭な渇きに対する意志だろう。かつて戦場を歩いてきた人の意志とは、これほどまでに強靭なのだろうか。

 「なあ、岩崎くん」
 「なんでしょ」
 「わしに指導権がなければ、生徒は遵
(したが)わん。幾ら組織化され、有機的生命体に化していても、これからの旅を指導するには、わしに指導権を与えてくださらんと、案内するにしても案内が出来ず、導こうにも導きようがない」
 新海教授の言である。
 教授の吐露した指導権……。深い意味がありそうだった。
 「……………」
 私は暫
(しばら)く考えてみた。そして結論が出たのである。
 教授のいうことは尤
(もっと)もなことであった。
 私は、海の路を知らない。知っているのは教授だけである。教えてもらう以外ない。
 「更にだ。時間および滞在箇所や交通機関乗り方法もじゃ。旅に関することは、その一切を、わしに指導権を与えて欲しい」
 新海教授がこのように切り出したが、教授は、ただの旅行会社の添乗員でない。これからの旅を誘導する水先案内人
(pilot)である。
 私が、陸路より水路を意望し、それを依頼したからだ。総攬
(そうらん)しうる人は教授しかいない。
 これからの指導権は私でない。教授にあるべきである。
 餅は餅屋だろう。
 「では一切を、お任せします」と、乞うように委ねた、
 ここに至っては、私の出しゃばる幕でない。海路を往くのである。案内人に任せて遵
(したが)えばいい。
 斯
(か)くして私は、人生の舵(かじ)を切ったのである。大きく転舵(てんだ)した。

 「では、手打ちが出来たところで、酒屋にでも寄るか」と、教授は上気を洩らした。
 意志の固いと思われた御仁
(ごじん)は、この手打ちを俟(ま)っていたのかもしれない。酒屋は旅人の休息所と思えばいい。
 私は酒と引き換えに、我慢比べに負けたという観を抱いた。
 「あそこに見えるは酒屋です。あそこで飲み物を求めましょう」と、今度は添乗員さんだった。
 斯
(か)くして、主役の座が入れ替わった。
 私は私で、主役不在の中に埋もれればいいのである。大船に乗ったつもりで、任せた後は、心配することはないのである。任せるとは、そういうことなのである。
 これから、おもしろい絵を見せていただこう。

 私は海の路を行く傍観者となった。思えば、傍観者ほど気楽なものはなかった。
 「岩崎くん」
 「はァ、なにか」
 「傍観者になってもらっては困るぞ」
 教授は即座に、私の顔色を読んだようだ。
 「そのように映りますか」
 「映る。もう、外野の一員に納まっている。それでは、わしが困る」
 「はあッ……」
 教授は、寄る年波には勝てぬ。なにしろ齢
(よわい)七十である。だが、人を検(み)る眼がある。
 「いいか。きみは、わしの麾下の戦闘員でもある。戦いをしているのじゃからなァ」
 いわれれば確かにそうであった。見えない敵と戦っている。見張られているという意識が拭い去れない。そして敵は暗闇に溶け、いつもこちらを窺う影法師のようなものだった。
 ときに送り狼を演じて、然
(しか)も小才が利く。質(たち)の悪い敵と戦っているのである。
 「はあッ。なかなか難しいものですなァ。あちらを立てれば、こちらが立たず……」
 「世の中とは、そういうものじゃ」
 その言葉の裏には、生きることを楽しめという示唆が含まれているようだった。
 「全権は教授にあります。私は全権の申し付けには、総て遵
(したが)います」
 こう言ったものの、私自身、これから先に起こることを、ワクワクしながら楽しんでいるのである。
 「しかし、きみは、ただでは転ばないだろう?」と、鎌を掛けるように訊いた。
 はたして、これは人生相手に企てる商いだろうか。そう思うと、なおさらワクワクしてくるのである。
 「どうでしょうか……。なにしろ陸を往く企図
(きと)を棄(す)てました。そして、燦々(さんさん)たる光陽を浴びる海路を選びました。選んだ以上、遵います。更によいのは、この旅に天佑(てんゆう)が働いています。それに賭(か)けたのです」
 今は、工夫と辛抱の時機
(とき)と読んだのである。
 さて、これから小休止である。此処でひと時の潤いをとった。バスが酒屋の前で停車され、私の含む買出しの代表者が数人、つき従った。買い込んだものが、窓から続々と搬入された。
 それぞれが、これで漸
(ようや)く一息ついたのである。


 ─────この旅に関して、私心と私利を棄
(す)てなければ、この旅は往(いき)っぱなしで、危うい。帰路を喪(うしな)い、還(かえ)って来れなくなる。
 潤いを摂るひと時の懇談兼商談である。取引が絡んでいた。
 主役が入れ替わることに、新海教授は「よかろう」と、しぶしぶ承知してくれた。
 所謂
(いわゆる)ポーズである。こういう御仁(ごじん)は、無理に乞(こ)われて、仕方なく主役の座に上ることを遠回しに欲しているのである。
 しかし、教授の貌には昔取った杵柄
(きねづか)が浮かび上がっていた。実は、これが遣りたかったのかもしれない。なにしろ、かつては陸軍船舶大隊の大隊長どのであるからだ。
 人間は私心が顕われると、陰で必ず誹
(そし)る者が出てくる。それは妬(ねた)みから起こる。妬みを抑えるには徳を齎す以外ない。人生修行は積むことに明け暮れる。人の世は確かに苦海であろうが、その苦を和らげるには、徳を積んで楽しむ以外ないのである。こうすると、人の世はなかなか棄てたものではない。
 ますます教授に乞いたくなった。智慧に縋
(すが)りたい。
 「ただし、私は極貧の身。礼を厚く出来ません」
 「分かっておる」
 最初から代償など需
(もと)めていないのである。教授の代償は指導権だけなのである。

 今度は文香さんが、割り込んだように吐露
(とろ)した。
 「ねえ、健太郎ちゃん。わたしも、俸給など要
(い)らないわよ。無償でいいわ。今だと、食費と雑費ですむわよ。これは買い得ではありませんこと……。きみ、ぜひ買いなさいよ」と、耳許で囁(ささや)くように、迫るようにいうのだった。
 これを誘惑と採
(と)っていいのだろうか。貌が著しく接近していた。いまにも唇がつきそうだった。こういうのは決して嫌いではない。好みである。美しい妖怪に誑(たぶら)かされていると言うか、いささか唆(そそのか)された感があった。しかし、単純にそう受け取っていいものだろうか。
 俸給は要
(い)らない……。それは、タダということである。
 「それでは買えません。高過ぎます」
 「なぜよ、タダなのよ。無償なのよ」
 ここまで願い出ることも、また、その時、その場、そしてそれを行なう人が居なければ、人の厚意を適切に評価できない。いらんお節介と一蹴してしまう。それは、しかし閉ざすことかもしれない。
 惜しい……。
 私の絶叫
(ぜっきょう)である。
 「その、タダというのが、意外と高くつくのです」と、いいながら未練がある。
 「まったく……」と、呆
(あき)れたように言った。
 「タダより高くつくことは、これまでも何度も経験しました」
 「じゃァ、わたしへの代償はなによ」と、喰い付いた。
 しめしめ……。
 「生徒の風紀取締というのでは、どうでしょ」
 鎌である。掛かるだろうか。
 「風紀取締?……、なんかいいわね」
 おや!乗ったぞ……。
 「ビシバシと、風紀の乱れを取り締まるのです。専属の担任です」
 「ますます、いいわねェ」
 「ただし、無償で……」と、交渉してみた。
 「いいわ」
 「ありがたい」
 話が決まった。
 こうして決まったところで、バスは出発となった。
 ビールという滑らかな潤滑油が入った所為
(せい)か、発進が軽やかだった。ペタルの踏み方がよく、膝のみを使ってクラッチの繋ぎ方がスムーズだった。大型車輛の熟練度が上級者だった。それだけで尊敬に値する。
 バスの中では未成年以外は、みな油を補給していた。勿論、新海教授もである。
 この時代、つまり昭和四十年代半ば、ドライバーの意志としては、飲酒運転の感覚が低く、また飲酒運転で罰金を喰らっても、五千円程度だった。それに知り合いに警察官がいれば、罰金すら揉み消すことが出来る時代だった。これは、おおらかというか、いい時代か悪い時代かは分からないが、今よりのんびりしていて、飲酒運転による事故も少なかった時代である。
 規制が弛
(ゆる)いほど、事故が少ないと言う奇妙な現象が顕われていた。奇怪である。


 ─────私は、文香さんが新海教授に唆
(そそのか)されたか、少しばかり分かったような気がした。
 ふたりは金銭という対価を需めて、添乗員になったのではなかった。生徒を指導してみたかったのである。つまり、何処かのお嬢さん学校の、出来のいい生徒を、右に左に、前に後に、動かしてみたかったのである。
 人間の支配欲には、自分以外の他人の自由にコントロールしたい欲望を持っているのである。
 「本校の生徒は粒揃いです。教授も、そう思うでしょ。おまけにバカでもありません。揃いも揃って、それなりの知力を持っています。こういうの、自在に動かしてみたいと思いませんか」と、今度は私が、囁くように唆すのであった。
 「岩崎くん。悪乗りはいかんよ」と、釘を刺すようにいうのだった。だが、満更でもないと言う貌だった。
 「悪乗りはしていません。大船に乗っているのです」
 「うまい切り返しじゃのう」
 「粒揃いの生徒か……。いいわね」
 文香さんの貌には、何らなかの思惑と野心が浮んだようだ。
 「どうです。ただし、あくまでも無償と言うことですよ……」
 「おもしろそう」
 それは動いた貌だった。好奇の貌である。

 私は、このふたりにまんまと暗示を懸けたのである。策に堕
(お)ちた……。私の感想である。
 文香さんが特に動かされたのは、生徒たちの「粒揃い」だった。この粒揃いは、可もなく不可もなくの、ドングリの背比べの粒揃いではない。並みより、優れた容姿と知力を持った粒揃いである。この粒揃いを、教授と文香さんは定時制で、指導して出来のよさに満足を覚えているのである。この満足できる生徒を自在に動かしてみたいと思うのが、人間の支配欲である。
 これは軍隊を練兵して、高等訓練を重ね、上位にランクされるような強兵を育成したとき、指揮官はこれを動かし、敵の精鋭部隊と一戦を交えて、戦闘したいと思う欲望とよく似ている。
 この場合、代償など、無関係なのである。そういうものは無用なのである。
 では粒揃いを、なぜ粒揃いというか。
 人間の躰は、食の化身
(けしん)である。この基本構造は、食が血になり、血が肉体を組成するのである。
 つまり、その変化は食
躰の順に変化が起こり、これが人体の基本構造である。このメカニズムに、赤血球は腸でつくらて、その赤血球はやがて体細胞へと分化していく。これが『腸造血説』である。これは現代医学とか、生物学で言う『骨髄造血説』とは異なる。
 『腸造血説』でいえば、食物は消化されることのよって、胸壁の腸絨毛で赤血球母細胞に造り変えられ、赤血球母細胞内から放出されて血管内の送り込まれた赤血球が全身を循環するのである。
 この流れは、まず食物は人体の中心部である腸内に入る。それが腸壁の取り込まれ、血管内を駆け巡る赤血球に変換される。内臓、筋肉、骨、皮膚など、その総ての組織器官を構成する体細胞へと発展する。この流れを追うと、人間が「食の化身
(けしん)」であることが分る。
 則
(すなわ)ち、その人が何を食べているかで、その人の体型が顕われ、また思考などにもそれが出て来る。
 三年E組の生徒は、既に粗食少食の食餌法を経験済みである。最初は、みんなちぐはぐだった。身長の丈はともかくとして、横幅は生徒それぞれの食べ物が異なっていたから、痩せもいたしデブもいた。これが、玄米穀物菜食の食餌法を実践することで、中庸
(ちゅうよう)に復元を始めた。それぞれが統一性を持ち、中肉中背の体躯へと変化したのである。この変化の結果、「粒揃い」が誕生した。

 念を押した。
 「本校の生徒は粒揃いです」
 この唆しは、かつて軍隊で兵士を指揮した指揮官ならば即座に反応して、隊を動かしてみたいという欲望が頭を擡
(もた)げるであろうし、教師ならば、こういうのを相手に高度な学問を施してみたいと、誘惑される欲望が動くだろう。出来の悪いものより、出来のいい方に肩入れしたくなるのは、人情だろう。
 有名私立の教師が、出来のいい生徒を相手に、熱弁講義をするのはこういう欲望が働いているからだ。
 更に、税金で賄
(まかな)われている公立高校に、一泡(ひとあわ)吹かせてやりたいと思うのは、名も無い三流・四流の私立高校教師の意地だろう。
 ところが、その他大勢で、生徒の質もまちまちなら、その集団の中では、どうしても一律にはいかず、結局少数の一部に偏
(かたよ)るというのが、公立高校の実情である。入試時にランク付けが終わっているからである。そもそも人間は、諭(さと)しても悟らないバカより、出来のいい人間が好きなのである。
 これは、政府の中枢を動かす頭脳組織を検
(み)れば一目瞭然である。一握りのエリートで動かされているからである。
 それを動かしてみたい……。人間には、そういう欲望がある。
 賢人は賢人が好きであり、一方、愚人が、愚人同士で群れを作る。これが賢人と愚人を、色濃く分類しているのである。だいたい世の中の構造は、どういう組織でも団体でも、この色分けで分類されている。
 これを、ユダヤでは「黄金率」というらしい。現在、この黄金率の分離比は、78:22であるが、かつては72:28に分離していたが、これは貧乏人:金持ちの分離比ともいわれ、当今の“78:22”に変化したのは近年の資産10億円以上のスーパーリッチが擡頭し、金持ちと貧乏人の差が、前以上に格差を広げ、その全体としての割り合が、“22”に減少したためである。この一握りのエリートの“22”は、あらゆる機関の組織内においても、出来る人間と出来ない人間を、この分離比で色分けしているようだ。

 言わば、かつての南瓜畑の南瓜たちは、現在、辛うじて、かつての“28”の中に潜り込み、粒揃いに序列を進めたと言えよう。
 しかし南瓜どもに、なんとも巧く魔法が懸かったものである。みな「粒揃い」になった。
 私の一泡吹かせたいという意地が成就した。
 これが、私に誘惑の一言である「本校の生徒は、みな粒揃いです」だった。それも、上位に喰い込める粒揃いだった。この誘惑に勝てる教師は少ない筈だ。
 そこで、最後の一押し、あるいは「詰め」が必要になる。受諾には確たる盟
(ちかい)が必要であるからだ。
 では盟わせ、受諾すればどうなるのか。
 次の瞬間から、天も地も人も変化が訪れる。受諾した瞬間から、動きが起こり始める。私はその盟の確約が取りたかった。
 よし、おもしろい。文香さんの申し出を受諾してみるか……。
 「では、もう一度確認します。無償と云う言葉、二言は無いでしょうね」
 「くどいわねェ」と、いささか尖って切り返して来た。
 文香さんにとっては、薄い礼遇より、「粒揃い」を動かしてみたいという欲望の方が、千鈞
(せんきん)の重みがあるのだろう。遂に、私の策に乗ったと思料(しりょう)した。

 「では、お言葉に甘えて、文香さんの茶屋に溜
(たま)っているツケも、タダと言うことでは……」と、彼女の貌を窺うように訊いてみた。
 「きみ。それって、正気で言っているの!」と、温度の低い聲で切り返して来た。
 文香さんの目には、幽
(ほの)かに怨(えん)の色が浮いた。怒気が含まれている。やばい目である。徐々に私の貌を刺すような目付きになった。それは、私のお大尽遊びと散財癖を指弾しているのだろうか。
 「やはり、無理でしたか……」と、幽
(くら)い溜め息を吐いた。
 好意に甘え過ぎると、思わぬ“しっぺ返し”を喰らう。もうこれ以上、くどくは言わず、このへんで諦めるのが賢明だろう。
 「きみって、押しが利
(き)かないのね。もう少し付け入ることが、くどいかと思っていたわ」
 「そこまで、ねっちこい寝業師ではありませんよ。くどいと、明るい前途を災厄
(さいやく)で閉ざしてしまいそうで、それでは拙(まず)いでしょ。恥を知ったのです」と、嘆きを恥に摺り替えた。

 私は、言い争うのではなく、徳で競いたい。
 「賢明だわね」と、文香さんは怒気を斂
(おさ)めたようだ。
 私の言った「恥」のひとことに反応したのだろうか。
 「来月は必ず、ツケに利子を付けて御支払いします」
 「お利口さんね。賢明、賢明……」
 それは、私の肚を読んで、したたかと一蹴したかったのかもしれない。
 「そこでです。交渉を伴うのですが、支払いに関して、小出しにして、少しずつ長期に亘り、返済してもらい方がいいですか。それとも短期での払いがいいですか」
 「それは短期が、いいに決まっているじゃないの」
 「では、短期とはいわず、思い切って、一括払いにいたします。ただし……」
 「なによ!」と、尖った。
 文香さんは、“ただし”に引っ掛かったようだ。疑問の余地を残したのである。
 「短期で一括払いで、お支払いしますが、何ぶんにも、今は無い袖が振れません。そこで、お願いがあるのですが、一括での出世払いということでは?……」
 「バカ言ってるんじゃないわよ!」と、一層尖ってしまった。
 藪蛇だった……。諦めである。
 「やはり出世払いは、ダメですか」
 「そうしないと、新海先生まで、出世払いというでしょ」
 「えッ?教授もツケがあるのですか。それは凄い……」
 私は新海教授に、はたして出世払いが可能であるか、否か、大きな疑問であった。
 「つまり、きみと新海先生は同類項なの。似たもの同士。わかった?」
 鋭い切り返しである。文香さんは、この大きな疑問に対して同類項と言っているのだろうか。
 「なんと幸先のいいこと、同類項なんて……。そういう人物評定が出ておりましたか。これは、なんとしたことか……」と、狂喜したい衝動にかられた。
 「でも、教授と一緒に狂わないでよ」
 「おいおい、文香くん」
 教授は慍
(むっ)として、制すようにいった。
 「失言でしたか」
 文香さんは舌をぺろりと出して、自らの不適切な言葉を詫びた。

 教授も不思議な人である。
 既に老を告げて、致死
(ちし)する歳でありながら、茶屋通いをするこのエネルギー。この出所は、いったい何処にあるのか。私としては、ぜひ見倣いたいものである。
 壺中に天を描いている仙人が、なぜ傍
(そば)に童子を連れているか分かるような気がする。回春を企んでいるのである。
 仁を説き、義を奨
(すす)める道教ですら、本能としての妖婉(ようえん)なる甘美は抑え難いのである。
 結局、不老不死の法も、法術と解すれば、そこに行き着くのではないのか。仙道呪術の世界が、そういうものに見えてくる。
 無為自然を説く老荘思想の中には、最もあからさまに欲望を同居させているからだ。それも、ケチな我欲の類でない。途方もない大欲である。その最たるものが、不老不死の法ではないか。
 萎
(しお)れた魂に活を入れる秘術である。
 「いいか、ご同輩」
 「えッ!、ご同輩とは、私のことですか?」
 思わず驚愕した。教授は確
(しっか)り私を同族視している。
 「さようじゃ。『老子』によれば、『道とは空虚なるものであり、満ちることがなく、その淵が万物の始源のごとく、深遠きわまりなく、すべてを湛
(たた)えるかの如し』とある」
 「なるほど、実に奥が深い……」と、勝手に感歎した。
 「ちょっとちょっと、そんなところで意気投合しないでよ」と、今度は文香さんが慍っとしていった。
 さて、こういう会話を周囲で利いている者は、どのように聴こえるのだろうか。ただのバカ話だろうか。
 しかし、バカ話の中にも、教訓めいた言葉を忍ばせる会話である。

 「ともに茶屋通いに窮する者同士。貧窮の苦渋を恐れずに、まずは雨の止
(や)むのを俟(ま)とう。止まぬ雨はない」と、教授は妙なことを言って励ましてくれた。
 同類相哀れむだろうか。
 「では、晴れた日に備えて、不運を幸運に変える徳を積みましょう」
 私もバカ乗りしていた。
 否、これを小さな奇蹟と感得したのである。この奇蹟の扉を開けば、その先に大きな奇蹟が待っているように思えた。教授は確かに、不運を幸運に変える力をもっているのかもしれない。

 かつて諸葛亮孔明は、劉備玄徳三顧
(さんこ)の礼に応えて、軍師を引き受け、「天下三分の計」によって無から有を生み出し、蜀の宰相となって劉備の死後、その志を継いだ人物であった。孔明の智慧(ちえ)を絞り抜いて、巧に戦った戦術や戦略は現代でも目を見張るものがあり、卓越した蜀の国の経営手腕で、弱小国であった蜀を、魏や呉に肩を並べるまでの国に作り上げていった。
 孔明の手腕で特に目立ったのは、常識的には不可能と思える事を、可能にしてしまう独特の智慧と、大胆な行動にそれが集約されていた。そして、孔明のこうした手腕に、その奮戦ぶり見て取り、絶賛したのは魏の知将・司馬仲達
(しばつ‐ちゅうたつ)であった。
 仲達は、孔明の戦術と戦略を表して、「孔明こそ、天下の奇才なり」と讃えた程だった。
 その司馬仲達が、あるとき孔明の配置した蜀軍の敷陣
(ふじん)を見て驚くのである。敷陣の跡が見事だったからである。それは「八門金鎖(はちもん‐てっさ)の陣」であった。これには孔明の智略家としての粋が集められていたからである。この「八門金鎖の陣」は、紀元前五世紀頃、満蒙の騎馬民族達が遣っていた「三元式遁甲」に端を発したものであったからである。

 三元式遁甲とは、簡単に言えば、ある方角に敵兵を招き寄せて奇襲するか、またはある方角に向かって、自らの軍を動かし、敵陣に乗り込を攻略すると言う、極めて巧妙な戦術を指すものである。この術は、紀元前五世紀前後に顕われた、墨子
(ぼくし)集団である。
 この集団は、春秋戦国時代の思想家、墨家の祖である墨子によって束ねられた集団である。敬愛や博愛を唱えた宗教集団でもあり、儒家の孔子学術集団に対抗して、自らは戦争技術集団を標榜していた。戦術は合理的な戦闘理論によって研究され、数学的な体系と、宇宙理論やそれに準じた物理学が加味された複雑なものであった。
 そしてこれが、戦術理論として実際に戦いに用いられたのは、「黄巾賊の乱」の頃で、この乱の指導した太平道の首領・張角
(ちょうかく)によって最終的に「八門遁甲」として完成を見る。
 張角は後漢の道士で、黄巾の乱の首領である。鉅鹿
きょろく/河北省)の人で、黄老こう‐ろう/黄帝と老子)の道を学び、大賢良師と称し、呪術を以て農民を教え、信徒数は十万を超えた。その教法を「太平道」と号した。

 「八門」とは、この張角が八門方術をよく遣う事からこの名が付けられ、張角の渾名「八門
(パーモン)」に由来するものである。八門遁甲の歴史は張角ら、太平道の幹部によって構築される歴史を持つが、もとは満蒙の騎馬民族の兵術であった。しかし、この兵術は余りにも威力が凄まじく、国家転覆のために遣われる恐れもあったので、漢民族国家としての漢王朝が誕生すると、中国ではこれを学ぶ事が禁じられた。
 しかし、唐の時代になり、唐帝国六代皇帝・玄宗の頃に再編纂され、再び世に現われることになる。それは古典的な物理学でもあった。

 大東亜戦争当時も、心有る指揮官は『孫子の兵法』だけでなく、墨家の戦闘思想も研究していたのである。おそらく新海教授も、陸軍船舶大隊の司令であったというから、当然中国古典史には詳しく、墨子の戦術も研究していたのであろう。その痕跡が、会話の至る所に露出しているのである。
 教授のお相手をする私としては、実の教訓になる会話をしていたのである。
 ただ私としては、未だ教授の経歴が分からなかった。
 私の知っているデータによれば、東京帝国大学を卒業した後、何処を、どう歩いて来たか分からず、そして県立女子大の元教授で、今は退官し、名誉教授であるということだった。私が非常に興味を惹
(ひ)かれたのは、帝大卒業後、話の内容からすると、軍隊生活をしていたよだが、そこに至る経路である。
 陸軍少佐であったと言うから、士官学校か予備士官学校を出ている筈で、その後、大戦時、どういう軍歴を辿って、何処に居たかである。そして、その任務は?……。それについて、私は興味津々だった。
 新海幸吉なる齢
(よわい)七十の老兵に、大いに興味を抱いたのである。それは戦術家というだけでなく、話の内容から窺うと、戦略家の要素が色濃いく出ているのであった。
 この御仁は、単なる大学教授におさまる学者ではあるまい。

 三人で話に熱中している最中、後ろから私の肩を叩く者がいた。
 「ねえねえ、先生」
 後ろを振り返ると、小石涼子だった。相変わらす愛くるしい眼
(まなこ)を向けた。強請るときは、必ずこういう貌をする。涼子は第一班の「頭」の属していたので、私の直ぐ後ろに坐っていた。
 「なんだ。便所でも行きたいか」
 「違うわよ。ここらで、遅い昼食でもしませんか」
 「腹が減ったのか」
 「先生。とっくに昼食の時間、過ぎていますよ」
 なにか、こいつが話し掛けてくると、いつも至近距離で、聲が2オクターブほど疳高
(かん‐だか)いため、頭にキンキン響く。
 「しばらく、我慢せい」
 「できません。先生はいつも言っているでしょ。陳勝・呉広の叛乱のことを……。将は兵を食わせてこそ、将だと」と、妙な切り返して迫ってきた。
 「確かに説得力はある。確かに説得力はあるが、異常に近い」
 「なにが近いんです」
 「誤解される近さだ」
 「いやだァ〜」と、嬌声を上げた。
 「いつも言っているだろ。陳勝・呉広の叛乱も、確かに陳勝の手抜かりだが、おまえの場合も至近距離だ。
 いいか、不断からひと三人分、距離を取れと言っておろうが……」
 「厭
(いや)だァ〜。そんなに近いですか」
 「厭だァ〜といっても、このように急接近しているいだろ。おまえの聲の疳高さで、至近距離からキンキン遣られると、脳味噌にガンガン響くんだ」と、頭を振ってみせた。
 「わたしが疳高いのは、生まれつきです」と、居直って更にトーンを挙げた。
 「さようか……。しかし、以降の指導権は新海先生にある。いま御大
(おんたい)は運転に興じておられる。その暇がない。ここでメシを喰っては、その妨げになろう。一気に平戸まで突っ走る気だぞ」

 バスは平戸の向って動いていた。佐賀県から長崎県に入ったのである。
 「岩崎くん。バカなこといわんでくれ。先は長い。ここらでメシにしよう。水田くん。近くに適当なところはあるかな。景色のいいところだ」
 「景色のいいところですか……」水田さんは、地図を睨みつけ、苦慮していた。
 「では文香くん、何処か知らんか?」
 文香さんは、いつも高級車を乗り回している。この辺も、突っ走っている筈だった。
 「何処って?」
 「見晴らしのいいところで、景観を眺めつつメシにしたい。その場所だ」
 教授はなかなかの風流人であるらしい。
 「ええっとですねェ。少し寄り道になりますが、西海国立公園の白浜あたりはどうでしょ。九十九島が展望できます」
 「九十九島か……、いいだろう」
 当時は当今にように、バタ臭くなく景観も良かった。実に日本的であった。旅人が、此処で腰瓢箪から瓢箪と盃を取って、周囲の風景を味わいながら酒でも呑めば、まさに風流を感じさせる場所であった。

 新海教授の運転するバスは、早岐
(はいき)方面へと走っていた。
 こうした間も警戒は怠ることが出来ない。跡を尾
(つ)けられている恐れが充分にあった。
 「真帆、後ろをよく視ていろよ。狼が尾けていないか」
 私は後部座席に座っていた第二班の「尾」の伍長に命じた。
 狼とは“送り狼”のことである。第二班の「尾」の伍長の吉川真帆に、後続車輛の怪しい車を警戒させたのである。この班の「尾」は通信と偵察を任とする。
 集団の移動である。その集団が、物見遊山にならない「旅」を経験する。これは名所見物の旅行とは異なる点である。そして、この旅は戦場体験と酷似している。陸路を往っても、海路を選択しても結局は戦場と酷似する。だが、戦場には戦場の歩き方がある。
 私は戦後生まれなので戦争体験がない。そこで、かつての老将に水先案内人をお願いしたのである。海には海の路があるからだ。海路を進む上で老将は兵の動かしたかを知っている。
 老将は平戸で募兵をすると言う……。かつての部下に招集をかけると言う。既に脳裡にはその企図が描かれているのだろう。
 私はそれに遵った。
 此処に居る生徒たちは、戦士に相応しい良
(い)い色に染まっている。あるいは、これまでの訓練の賜で、染め上げられているのか。何れにしても、鍛えられたことは功を奏しているのである。これは良い色合いになっていた。
 「良い色だ」
 新海教授の独り言である。それが率直な感想であろう。戦場を歩くのに相応しいと思っているのだろう。
 この御仁の脳裡には大海原を往く企図が展開されているのである。それが良い色だったのであろう。
 戦場を歩くとは、当今と違って不足する物資は有るところから無いところに移動・流通させることでなく、無い物は、有る物もののように創意工夫によって作り出すことなのである。先の大戦では、物が流通しなくなったから物資の欠乏が起こったのである。これが世界規模で流通が途絶えれば、移動がなくなった世界では、阿鼻叫喚
(あび‐きょうかん)の地獄が出現する。世界大戦とはそういう生地獄の世界ではなかったか。
 現実に生地獄を見てきた人は、策に嵌めて効率よく戦うことを知っている。これが策略である。つまり実戦経験から、如何に戦うかを知っているのである。現実と架空あるいは空想とは異なるからである。現実に即して、その匂いを嗅ぎ取らねば、生地獄の恐ろしさは分からない。そこに新海教授の戦略が脳裡に潜んでいる。

 「岩崎くん。きみの戦術は、確かなものだ。しかし、それはミクロ的である。これからの前途には、ぜひ戦略が必要となってくる。つまり策略だ。攻撃するのではなく、攻撃されないために策を巡らすのじゃよ」
 「よく認識しています」
 「この策術を知らねば、貧者はいつまでもその乏しい力で闘うことを余儀なくされる。それでは、総てに豊富な富者には勝てない。富者に勝とうとするならば、策術を研究しておかねばならない。策術は、富者が考える策と一致するからだ。しかし、貧者の乏しい思考では、ただ困窮するばかりで、『困』から何も生まれて来ないのじゃ。いいか、この点が重要じゃよ」
 「まさに……」
 「だが、きみは本能的に戦場の歩き方を知っているようだ。勝負師と言うか、相場師というようなところがあって、徳を何処に積んだらいいか、本能的に解っているようだ」
 「そうでしょうか」
 「きみは、そういう血筋なのだ。その相場師が、時に、血の勝負師のようなことを遣りおる……」
 はたして祖父のことを言っているのだろうか。祖父は確かに米相場を扱う相場師だった。私のもその血が流れている。だが祖父はあるとき、相場を読み違えて、一夜にして極貧に顛落
(てんらく)した。爾来(じらい)、祖父と祖母の立場が逆転してしまった。
 侈傲の者は亡ぶ……。貴賤を問わずにである。
 祖父が相場に失敗して、極貧に顛落したのは、箴言通りだった。
 人間は弱いものである。
 いちど尾羽打ちを枯らせば、かつては札束で他人
(ひと)と頬を張る大金持ちでも、借りて来た猫のようにおとなしくなる。

 「血の勝負師ですか……。私は自分が山師であることは自認していますが……」
 「山師というより、山師は、おとなしい時で、荒れ狂えば、血の勝負師になるから恐ろしい」
 新海教授は、私をこのように見ているのかと思った。
 「そこまで過激ではありませんよ」
 「過激であろうがなかろうが、きみはそう言う血筋なんだ。わしは、政子くんを検
(み)ていて、それがよく分かった。だいたいだなァ、血の勝負師でなければ、『伍』という発想は思い浮ばん」
 「そうでしょうか」
 「あれを見たまえ。ふつう少女というものは、あれが真当
(ほんとう)の姿なんじゃよ」
 教授は、文香さんが生徒たちと愉しく語らっている姿を顎
()でしゃくった。誰もが他愛のない世間話や今の流行やファッションなどについてだべっているのである。実は、あれが年頃の娘の姿なんだろう。彼女たちに野心の微塵もないのである。私は、彼女たちを、いらぬ戦場に引き摺り出してしまったようだ。
 しかし、これは決断すべきことであった。決断すべきことは決断する。これを時期尚早などといって、先送りしてはならない。先送りすれば、それだけ後になって祟る。そもそも、時期尚早などと云う言葉が、決断を鈍らせる世迷い言なのだ。
 結果的には、遣ろうと思ったことは過ぎに遣る。これが結果的に検
(み)て、良かったということはよくあることである。

 「しかし、今は決断のときです。そういう平時で言う、のんびりとしたことは言っておられません」
 此処には、戦場を歩くような危機感があるからである。平和ボケなど、微塵もない。それがまた、生徒間同士の苛
(いじ)めを消滅させた。苛めをするほど退屈もしていないし、そういう、安穏とする暇もないのである。防禦に精一杯なのである。これが互いに刺戟し合って、閑(ひま)を持て余すことを省き、退屈から起こる苛めを消滅させたと言える。
 「そうだな、きみは賢明である。抜かりがない。その決断はいいほうに傾くだろう」
 教授の感想である。
 だが、私としては余談が許さず、正念場はこれからであると覚悟を決めていた。
 「これから先は警戒が怠れません」
 「未知の世界を往くからな」
 確かにバスは、未知の世界を突き進んでいた。

 「それにしても、暑いですなァ」
 この日は、異常と言っていい暑さだった。温暖化から起こったものではなかった。異常気象なのである。地球の変動する時期なのであろうか。そう想っても、とにかく暑かった。
 「そう、暑い。異常だ」と、新海教授。
 「文香さん、苛
(いら)つきませんか」と、私は訊いてみた。
 「さあ、どうかしらねェ……」
 「教授はどうです?」
 「うん、そういえば、そうだなあ」
 「過去に、こういう暑さ、ありましたか」
 「きみは、どう思う?」
 それは、奇妙な暑さを問うたのである。私の記憶に、憶えはあるかと訊いたのである。
 「ある本に、敗戦の八月十五日は恐ろしい暑さだったと、書いているの、以前に読んだことがあるのです。幸田露伴の娘の幸田文が、この日は恐ろしい暑さだったと書いてあったんです」
 「敗戦の日の暑さか。そういえば、そうだったかもしれん。あの日は確かに暑かった。今日は、疾っくに、もう半ばを過ぎているが、わしは、輜重途中、艦船の中で、無線傍受して日本の敗戦を知った。そのとき、恐ろしい大雨が、船を襲ってきた
。確かに、よく似ている。実によく似ている……。
 こりゃァなぁ、スコール級の驟雨
(しゅう)が襲ってくるかもしれんぞ」
 今朝から、この不穏な天気を、私は懸念していたのである。暑さを除けば、奇妙なほど静かだった。聴こえてくるのは、バスのエンジン音だけである。
 嵐の前の静けさ……。はたして、そうだろうか……。しかし否定したくもなる。私は、その経験がないからである。そういう状況下であった。
 一方教授は、これをスコール級の前兆と検
(み)ているのだろう。
 この予想は大戦時、戦地の南方方面に居て実際に体験してきているのである。その確信が、そのように言わせているのだろう。

 「おいッ。窓を閉めろ!」と、私は大声で怒鳴った。
 「このクソ暑いのに、窓を閉めるのですか」と、涼子が“クソ”を付けて、はしたなく食い下がった。
 「そうだ、気象台。見ろ、積乱雲だ。上層に上乱があれば天気は急変する。いまからスコールが来るぞ」
 「うそォ〜」と、小娘が嬌声を上げた。
 「嘘じゃない。ほんとうに来る!」
 「でも空は晴天で、陽は燦々
(さんさん)と輝き、遠くまで霽(は)れていますよ」と、言いながら内心は、去就に迷っているのである。
 「だから、大雨が来るんだ」
 「でも、閉めたら暑いィ〜」と、可愛い表情で駄々をこねた。
 「そのときはなァ。大股を開き、スカートの裾を握って、煽ぐようにバタバタやるんだ。そうすると、下から香気の風が起こるだろう」
 香気の風が拙
(まず)かった。失言である。
 「そんな真似、厭だ」と、拗
(す)ねるように言った。これを「はしたない」と採(と)ったのだろうか。
 「岩崎くん。戦前・戦中には破廉恥罪と言う罪状があった。知っているか」
 「なんと……」私は呆れた。そんな法律があったのか。
 「そういうことを強制すると、立派な破廉恥罪だぞ」と、教授が釘を刺した。
 「先生」と、涼子。
 「なんだ?」
 「いま新海先生が仰ったでしょ。そういうはしたないことを言うと、破廉恥罪に処されますよ。あの時代、言論統制が厳しかったのですからね、昔だったら厳罰です」と、今度は脅すように言った。

 そのときである。
 空が急に暗くなった。私は窓の外の黯然
(あんぜん)を睨みつけた。そして、突然の驟雨(しゅう)に迎え撃つ覚悟を決めた。
 「いよいよ来るぞ!」驚愕の聲
(こえ)を発した。
 間違いない。来る!……。
 同時に、烈しいし雷光が烱
(ひか)った。近くで、炸裂弾が堕ちたような轟音が響いた。併せて、浮き上がらんばかりの地響きがした。
 「キャぁ〜!」と、生徒たちの悲鳴が上がった。その悲鳴の中に文香さんもいた。どうやら彼女も、雷が恐いらしい。
 「もう一発くるぞ!」
 今度は教授が怒鳴った。
 「えっ?もう一発……ですか!……」
 教授は読んでいた。
 「安心せい。この車輛には今日、避雷針
(ひらいしん)を取り付けた。万一、直撃しても、雷電流を地中に放電する金属板を取り付けてある。そのため、少しばかり手間が掛かり、出発が遅れたんじゃ」と、教授が遅れた理由を説明した。
 私は、
《やはり、そうだったのか》と思った。
 教授は用意周到な人であった。これだけで、用心深い人であることがわかる。この用心深さが、大船に乗ったような安心感を齎
(もたら)したのである。
 人間の覚悟の力は侮れないものがある。それを私は、新海教授に検
(み)たのである。この御仁は、実際に戦場を自分の足で歩いて見てきているのである。
 用意周到……。そして、沈着冷静……。
 それは戦場の凄まじさを、鋭角的に知っているということである。
 途端に空気が重くなった。外は闇に包まれていた。その闇の中で、鋭い閃光
(せんこう)が疾った。

 周囲が烈しい重低音のボワン〜という振動とともに轟音
(ごうおん)がして、バスの車体が浮き上がった。なんと、雷がバスを直撃したのである。車内から悲鳴が上がった。
 だが走行するバスの中に居て、幸いしたようである。むしろ停まっていたら危なかっただろう。
 このとき走行か停車するかを迷い、躊躇
(ためら)っていたら、大きな禍に遭遇していたであろう。教授の英断は見事だった。戦場体験者の勘と言うべきか……。
 私は始めて、直撃弾のような落雷の凄まじさを体験したのである。その驚きは、口から心臓が飛び出すほどだったという形容がぴったりであった。
 生徒の何人かは、今にも哭
(な)きそうな貌をしていた。
 誰もが
《怕(こわ)い〜》という貌をしたのである。
 それでも、バスは走行をやめなかった。走り続けたのである。これに驚いて停止すると、余計に危ない。徐行も禁物である。雷の餌食
(えじき)になるからだ。
 あこういうときは走り続けるしかない。躱
(かわ)したことは、一瞬の差と言うべきか。奇蹟である。
 「いまの直撃で、誰か負傷した者はいないか!班長ならびに伍長は、すぐに確認をしろ」と、直ぐに声を掛けたが、どの貌も凄まじい、今にも哭
(な)き出しそうな形相をしていた。既にびっくりの次元を通り越しているのである。泣き笑いの表情がありありと浮び、喜悦したのか、多くは眼に涕(なみだ)さえ浮かべていた。

 「第一班、異常ありません」と、一般の班長から聲が上がった。しかし、その聲は上擦っていた。
 「同じく、第二班もです」と、二班の班長。
 人命には異常がなかったようだ。負傷者も居ないようである。間一髪と言うべきか。
 それぞれは互いに無事であることを確認し、少しゆとりのある活気を取り戻したようだった。
 「よし。小便、ちびった者もいないな」と、私は冷やかすように訊いた。ほっとした安堵から、そういう冗談が私の口から洩れた。
 「……………」
 この沈黙はなんだろう……。
 失礼なことでも訊いたと思ったのだろうか。それぞれの目は私に向って尖
(つが)っていた。
 それにしても、際疾
(きわ‐ど)かった……。偶然が扶(たす)けてくれたのである。これは私の感想である。

 「文香さん、大丈夫ですか」
 「ええ、なんとか……」
 《ちびりませんでしかた?》と、失禁の有無を訊いたら、彼女は怒るだろうか。
 「しかし、驚いたなァ……」
 私自身、こういう直撃弾のような雷は、始めてだったからである。そして、被弾するとは、これがまともに爆裂することだと、現実を想像するのだった。
 直撃弾を受けなかったことは、何という幸運か……。
 汗がしたたり落ちる蒸し暑いバスの中で、額を汗を拭い、そう思った。
 「先生は異常ありませんでしたか」と、勇敢にも聲を掛けたのは、幼顔の涼子だった。
 さて、なんと答えるべきか。
 「異常だと?……おれに異常がない訳ないだろう」
 「どういう異常ですか?」
 「そりゃァ、びしょびしょだ。何しろ、おれは小心で、根っからの臆病者だからな。ズボンの前なんて、小便でぐちょぐちょで、ずっしりと重い……。しかし、体温で自然乾燥させるから安心しろ」
 「もう、いやだァ〜」と、どこからともなく黄色い悲鳴が、方々から上がった。嗤
(わら)いである。
 道化師としてのささやかな、リップサービスである。しかし、こういう人気取りは最低である。下策しか思い付かなかった。
 雷を躱しきった成功時のことを考えていなかった。回避できると確信できていなかったからである。
 だが、こういう場合、躱しきることを信じていればよかったのである。思えば、新海教授への信心が足りなかった。

 「水田くん、無事か」と、教授が自社の社員を気遣う聲を投げた。労いの念が籠められていた。
 「はあ、器用にも生きています……」
 水田さんはユーモアのある人のようだ。氏の器用という言葉が、それを象徴していた。
 「雷とは、実に凄まじいものですなァ」と、驚愕したように吐露した。
 私自身、乗り物に乗っていて、雷の直撃を受けたのは始めてであった。「凄まじい」の形容に値する。
 「なにしろ雷だからな。この時期は、よくあるものじゃて」
 教授はこういう落雷を、船舶の移動中に何度も経験したのであろうか。莫迦
(ばか)に落ち着いていた。
 「どうやら、抜けたようですねェ」と、遣り過ごした感動を抑えながら吐露した。
 私は安堵を取り戻したような愉しみを覚えた。やれやれと思う。
 「安心するのは、まだ早い。覆轍
(ふくてつ)は辿るまいぞ」と、複雑な表情で、制するように言った。
 それは「油断するな」ということだった。
 したがってこの場合、一難さって、また一難があることを予期させた。禍は連続するのである。禍に遭遇する場合でも、禍は出来るだけ軽い方がいい。
 覆轍とは、先人の失敗のことで、意味ありげなことを言って莫迦
(ばか)に冷静だった。
 新海教授は、戦場を歩いて来た指揮官の顔になっていた。一難は去っても、糠悦
(ぬか‐よろこ)びになることを制したのである。難事は連続するからである。それを軽視すると、以降、齎される福は小さくなり、禍が大きくなるからである。
 かつては、そういう戦場を歩いてきたのだろう。
 「はあッ、慎みます」と、楽観を慎んだのである。そして、教授に敬仰
(けいぎょう)の念を深めていた。この人に学ぶべき点が多いと感じたからである。

 「無事に切り抜けたのは幸運が齎した偶然であり、不運には必然が付き纏
(まと)うもの……」と、教授はおだやかな相好をくずし、威厳のある貌をした。
 教授は、運命はダイナミックにうねるものと言いたかったのである。これまでの恵まれた天佑が突如覆
(くつがえ)る。そういう偶然は、一気に失われることを知っているようだ。
 しかし、私の感情の中には、あの凄まじい落雷に遭遇して、何事もなく切り抜けたのは、まさに幸運だったという他ない。だが、幸運と言うのは呪縛
(じゅばく)に懸かり易い。手放しには喜べないのである。
 安堵すれば、幸運は逃げるからである。今のところ、幸運は逃げずに留まっているようだ。
 人生を生きるとは、幸・不幸の狭間に揉
(も)まれながら、喜怒哀楽の中に生きることであった。それを教授は百も承知しているのである。教授の横顔を窺うと、老いても豪快さを失わないというところに、なんとも奇妙な魅力をたたえていた。一見優しく映るが、反面、実は厳しい人であることが分った。その厳しさこそ、人格の高さであった。信に値する人である。
 私はこのとき、感情で人を尊敬するということが、始めて分かったのである。そして、新海教授の心底には好悪を同じくして降り懸る愁いを除き、ともに危難に恤
(うれ)え、災厄が襲って来ても、ともに手を携えて救い合おうという連衡(れんこう)を促したものと憶(おも)えた。これこそ、信である。

 私の感覚で、新海幸吉なる人物を評定してみた。実に練れた人であった。
 老練という言葉がある。練れた人のことを言う。多くの経験を積み、なれて巧みなことで、老巧ともいう。老巧という言葉を酒に置き換えれば、老酒
(ラオチュウ)だろうか。
 呑めばピリリと利いて、然
(しか)も直ぐに酔いの廻る酒でない。舌の乗って練れた味があり、呑めば呑むほど陶然(とうぜん)となり、それは心地よいものである。
 また盃を置けば、ほのぼのと醒めるような感覚がする。
 人間で言えば太老であり、老大人といえばいいだろうか。長老然としている。
 練れた老人は、激昂し易かったり、銷沈して悄気
(しょげ)易いタイプの老人でない。先ず、世故に長(た)けている。安易に喜怒哀楽を顔色に顕さず、疾言遽色(しつげん‐きょしょく)せぬ成人を意味する。
 老いるとは、歳を取る、老
(ふ)けることには違いないが、その背景には馴れるがあり、練れるがある。熟した太老を老巧というのである。新海教授はそう言う人であった。

 周囲の景色は、見る見るうちに明るさを取り戻した。空が霽
(は)れた。今まで何もなかったような平穏な風景が顕われたのである。奇(く)しくもバスは、平穏な地形を選んで走っているようだった。迷わずに、一直線と言うふうにだった。そして、小高い丘へと遣って来たのである。
 此処らでメシにするか……。遅い昼食だった。
 食事をする景観として選んだのは、奇妙なほど静かで、大村湾が一望できる小高い丘であった。実に見晴らしがいい。遠くまでよく澄んでいた。



●旅愁

 遂に平戸口まで来た。此処で、チャーターしたバスは、平戸口営業所を経由して回送となり、戻っていく。
 此処まで同行してくれた水田さんとは、お別れである。
 途中、落雷の直撃を受けたが、車輛には大した損傷はなかった。みな無事だった。怪我人もいなかった。
 見事に躱
(かわ)したというか逃れたというか、あるいは免(まぬが)れたというか……。
 では何からか。
 禍
(わざわい)からである。
 信ずることを知っていたからである。
 信ずることで、わが身を庇
(かば)うのであるから、信の無い者が、どうして禍から身を護ることが出来よう。自らも含めて、人を護るには信と徳の他なく、そこに礼があるのである。功を奏する者は、悉(ことごと)く凶運から発しており、その後、幸運を掴むのである。

 時刻は夕暮れ時である。いい風が吹いていた。微妙に心地いい風であった。
 今日は一日中、吉だな……。ふと、そんな感じがしたのである。
 これまで照りつけていた炎天下の暑さが衰え、此処では風が斜めに吹きおりて爽やかさを感じさせた。ひとつの懐かしい像が戻ってきた。茜色
(あかね‐いろ)の空である。鳥の群れが黒い塊(かたまり)となって、茜色の空の中に浮びあがった。その塊は、素晴らしい速さで上空を横切っていった。
 何処からか、汐風の匂いがした。
 陽が沈んでいく。暮れ泥
(なず)む時刻であった。
 平戸口の駅舎の周辺には『日本最西端の駅』の石塔がある。此処は北松浦半島北西端の地である。

日本最西端の駅・平戸口。

 平戸……。
 私の生まれたところである。そして後、小学一年から三年一学期まで平戸小学校に通った。
 遠い日の想い出に、こういうのがある。
 親戚の娘のことである。優子というのがいた。優子は、母の弟に当る叔父の娘であった。その叔父は無心のために、ときどき母を訪ねて来ることがあった。
 そのたびに叔父は、母によく言っていたのは、「うちの娘を、もらってくれんかのう」だった。
 もしかすると、この言葉を優子は本気で信じていたのかもしれない。
 学生時代、夏休みなどで、私が平戸の伯母の家に宿泊すると、帰ったことを優子はちゃんと知って、姿を顕すのだった。
 彼女は些か内気なのか、口数は少なかったが、夕方などは私が縁側で、暮れ泥む海の夕陽を見ながら、ビールかウィスキーを飲んでいたら浴衣姿で傍
(そば)にきて、団扇で涼風を送ってくれたことを憶えている。
 はたして彼女は、この話を信じていたのだろうか。そのとき、絣
(かすり)の浴衣に赤い帯が鮮やかだった。
 しかし、不思議なことだったが、彼女は、傍に居ることを忘れてしまう空気のような存在だった。
 容姿はいい方だったが、そのときは彼女を好きでも嫌いでもかなったから、彼女の本心は分からない。
 しかし何故か、優子には負い目を感じるのである。特に、彼女は何事にも一生懸命だったからだ。いつも真剣な眼差しをして、いまにも泣き出しそうな眼で、私を見詰めるのだった。
 想えば、あれが据え膳の意思表示だったのだろうか。

 一方、岩崎家の忌まわしい伝説があった。先祖の忌まわしい血で、この一輪を穢
(けが)せなかった。
 更に特記すべきは、私には三歳上の兄がいた。この兄は生後一歳半くらいのときに亡くなり、私はその兄を知らない。日本が連合国軍に敗れたときに生まれたという。したがって、写真がない。あるのは、仏壇に祀った位牌だけである。兄の名は隆
(たかし)という。位牌には『隆法禅童子』と書かれている。わが家は禅宗で、臨済宗なのである。
 岩崎家は、男が悉
(ことごと)く死んで逝くのである。男がみな死んでゆく、忌まわしい伝説めいた怪談話まである。
 祖母は岩崎家の男は、みな死に絶えるという話を、父が幼少の頃から知っていたのかもしれない。
 また父は父で、早々と親戚中に、私と吊り合う嫁探しをしていたようだ。既に、私が幼稚園ときに、「誰々と誰々は、お前の許嫁
(いいなづけ)だ」と、数人ほど名前を挙げて言っていたことを憶えている。私の知る限り、少なくとも三人はいたように思う。もしかすると、優子もその一人だったかもしれない。

 平戸大橋が架かる以前は、平戸口駅から田平渡しの桟橋までバスに乗る。西肥バスである。そこで、バスの車掌をしていた。その度に優子と貌を合わせた。
 学生時代は、博多と平戸を何度も行き来していたので、同じバスの乗り合わせたときなどは、「お帰りなさいませ」と、出て行くときの「いってらっしゃいませ」の、彼女の聲が今でも耳に残っている。
 その彼女も、当時はそうとう苦労していたらしい。
 父親は飲んだくれである。娘が車掌をしているときはバス代を払わない。タダ乗りするのである。
 この悪評が親戚中に広まっていた。その度に優子が、バス会社に立て替え払いをしていたのである。自堕落な父親にして、娘はけなげにも親孝行だった。

 平戸に戻る度に貌を合わせていたが、私は優子を小学生の頃から知っていた。
 彼女は小学校のときから優等生だった。親戚筋の評判では、優子はよく勉強が出来ると言うことだった。学業に関する賞を貰っていた。それに、運動神経も良かった。中学のときは体操部に入っていた。
 親戚中が法事で集まったときなどは、短パン姿の優子が、床運動に似た見事な跳躍や回転運動、更には静止倒立などをして、周囲の目を驚かせていたことを憶えている。
 しかし家が貧しかったため、地元の猶興館をトップ合格が期待されていたのだが、高校進学を諦め、中学卒業後すぐに就職した。夜は定時制に通い、四年後、卒業して佐世保の短大へと進学した。
 その後、彼女を見掛けたのは、一番下の叔父の葬式であった。当時、何事にも一生懸命の表情は崩れていなかった。また眼差しも、哀しく澄んだ眼で、今にも泣き出しそうな貌をして、私を見詰める仕種
(しぐさ)も変わっていなかった。健気という感じであった。
 そのとき見た彼女は、バスの車掌していた頃と違っていて、癖のないサラサラの黒髪を腰の近くまで伸ばしていたことである。そして、あれ以来、一度も彼女に逢ったことはない。
 今は、どうしているのだろうか。
 それを思う度に、彼女が当時着ていたバスの車掌の紺色の制服姿が懐かしい。私のとっては、もう遠い想い出である。


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