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ひと夏の奮闘記(下) 8

天地は人間(じんかん)を挟んで存在する。人があっての天であり、人があっての地である。人はそこで人生を経験し、人は人を手本にして成長していく。
 人のもつ潜在意識における可能性は壮大であるが、また同時に人の限界が存在している。人は超えられない限界に遭遇したとき、そのときに考えたことも、壁にぶつかってしまう。そして、これまでの思考は停止する。これまでの考え方と方向性と方法論を変えなければならない現実に直面するのである。
 その直面において、人は人としての真価が験
(ため)され、それを超えようとしたとき、始めて飛躍する要因を掴むのである。
 思考の飛躍とは、質を変えることであり、そこに創意工夫による創造が生まれるのである。


●偏屈仙人

 束(つか)の間の驟雨は嘘のようにあがった。辺りには陽が燦々(さんさん)と降り注ぎ、背の低い熊笹がいっせいに緑を取り戻し、葉を鮮やかにして照り返した。
 「先生。あそこに家が……」と、涼子に指差れた先にの一軒、建家がぽつんと在
(あ)ったのである。遠望すれば、ただの矮屋(わいおく)にしか見えなかったが、近付くにつれ徐々に全貌を顕してきた。中々これがどうしてという別荘風の瀟洒(しょうしゃ)な、財を投じて建てられたと思われる建造物だった。その家は、周囲に生籬(いけがき)が廻らせてあった。家の裏と思える場所に、釣瓶井戸が在り、水を汲んで、泥だらけの足許を洗おうとおもったのである。そこで女の影をみた。そして、手足を洗い始めると、この行為をみとがめられたのである。
 そのみとめがめた相手が、なんと、奇遇にも小学校時代の級友だった睦子だった。
 はたして、そこで出遭ったのは「通せん坊する鬼」ではなく、「地獄に仏」だったのである。
 鬼が仏に変わる過程には、成瀬塾のアトリエで出遭った小型の麗子像がくれた小さな絵のクルスの護簡
(ごふだ)だった。その威力が確(しか)と効いたのである。この威力が大型の麗子像に効力を発揮したのである。天佑というべきか。

 しかし、なぜ天佑が起こったのか……。
 無論、人は事あるごとに何故それが起こったか、何故そうなったのか、突き止めなければ生きてゆけないわけでなく、むしろ原因も理由も敢えて無視するか、あるいは自らの推測により、理解したふりをするか、何れにしろ人生の大小の起伏を執念深く探っていては、一歩も前に進めない。
 天佑は天佑として、ありがたく授かればいいのである。

 そこは奇妙な家だった。造りが変わっていた。
 眼前
(がんぜん)にある家は近付くと見た目より遥かに大きく、豪邸の別荘とまではいかないが、瀟洒(しょうしゃ)な威厳が喪(うしな)われていなかった。玄関に廻ると、その門構えは冠木門(かぶき‐もん)であるが、その構えは決して貧素ではなかった。冠木の二柱が上方に渡してあり、屋根がないだけに、却(かえ)って風流を思わせた。
 家は平屋であるが、決して貧弱ではなかった。あえて風流を需
(もと)めたと思われる造りをしていた。
 その象徴的な造りが、屋根の中央部から突き出た楼台
(ろうだい)である。下から見上げると、楼台の床面積は定かではないが、おおよそ四畳半程度ではあるまいか。
 この家の持ち主は、この楼台を観月台に見立てて造らせたのであろう。その楼台自体がなんとも風流で、山腹の離宮を思わせ、いっそう贅
(ぜい)をこらせたという痕跡を残していた。持ち主は此処で、私的な時間を過ごしたのであろう。
 楼台はただ月を観る月夜だけに使用されるのでなく、昼間は海を遠望して遠くに浮ぶ九十九島あたりまで見通していたのかもしれない。この私的な時間に、酒が加われば、実に風流となる。
 私はこの家の周りを、ひと廻りしたくなった。
 履物は、泥だらけの靴から、睦子が持ってきて「これをどうぞ」といった木の突っ掛けに履き替えている。他の二人もこれを借りた。
 私は此処で十三、四年ぶりに、成人した睦子に会った。彼女は働き者であると、風の噂
(うわさ)には聴いていたから、大人になった睦子は女ながらも、確りした体格をしているに違いないと想像していたのだが、実際は違っていた。平戸市役を辞めて父親の手伝いをし、荒くれ男に交じって漁船に乗っていると聴いていたが、なんと嫋々(じょうじょう)たる風情を持ったほっそりとした体躯(じょうじょう)をしていた。そして、いまは一女の母親であった。

 「こういうところに、ぽっんと一軒家があるのは不思議ですねェ」と真帆が訊いた。
 彼女は小高い丘の上にある瀟洒な一軒家を観て、なにか感じたのだろう。
 「これも、ターゲットを捕獲するための情報の蒐集場所かもしれない」
 「えッ?どういうことです」
 「持ち主の心理を考えてみろ。なにか想い浮ばないか。なぜ此処にあるのか。なぜ此処に建てたのか。ここから様々な持ち主の情報が、無言で語られている」
 それにしても、この屋敷から天に向かって突き出ているアンテナはなんだろう。それは情報蒐集……。私の勘であり、臆測である。
 「それはつまり、持ち主が風流を好み、その果てに仙人に飛躍していった。ところが、持ち主は此処では駄目だと、更に山奥に入り、山の頂上を目指した……ということころでしょうか。わたし、あのアンテナが気になります」
 「おまえもか、おれもだ」
 真帆の言葉は推測だが、おそらく中らずと雖も遠からずである。更に、もう一つ考えられる。はたして、このアンテナは何か。アマチュア無線のアンテナではあるまい。それ以上に強力なものである。では何か。
 おそらく、船からの無線を傍受するか、あるいは誰かと通信をしているのか。今のところは不明である。

 睦子の家はかつて田助にあり、水産業としては平戸でも一、二を争う富豪として知られ、鯨で財を成した。
 しかし、鯨不況が訪れた。捕獲できなくなった。捕鯨反対運動である。鯨の軟骨を原料とする松浦漬が生産できなくなった。それに併せて、会社から遭難者を出した。こうした時代の流れの縮図に揉
(も)まれ、小平水産は倒産に至った。大きな負債を抱え、それを清算するために、田助や川内、宝亀にあった広大な土地を売り、野子の山奥に小さな別荘風の家を建てて、此処に移り住んだのである。こうした経緯に至った要因には、当然藤田の死も絡んでいたのであろう。
 人間に降り懸る運命の転換は、いったいどこにあるか分からない。突如として起こる。そして、不運は重なるものである。
 小平祐吉氏は、当然良心の呵責の責めたてられた筈である。最後のわずかばかりの蓄財で、此処に転居したと思われた。更に、悪いことにはそれに輪を掛けて不運が襲った。苦労人の苦労は、この程度の苦労では終わらなかった。これは要因となって、未来に悪いねじれを生じさせているのであった。
 なぜ、ここまで捻れたか。その深層心理までは分からない。しかし、何かある……。

 「さて、ひと廻りでもしてみるか」と、呟いた。
 この呟くに、ふたりは「わたしも、わたしも」となった。
 「じゃあ、同行せい」
 こうして家の周りを歩いてみた。
 「屋根から突き出ているあの建家はなんですか」と、涼子が訊いた。
 「楼台だ。おそらく持ち主は、あれを観月台に見立てたのだろう。しかし観月は夜だけのこと。昼間は、あそこから遠くの海を眺めて、ひとり思索にふけっていたのかもしれない。片手に盃を手にしてな……」
 「先生はそう言う風景、すきなのですね」
 「ああ、好むところだ」
 「此処からどこが見えるのです?」
 「晴れれば、九十九島辺りまで見通せるだろうよ」
 「そこ、絶景ですか」
 「ああ、絶景だ。おれが見るとところによれば、この絶景は船で廻れば、天橋立以上かもしれない。いささか地元贔屓もあるが……」
 「いいな。その島々、見てみたい」
 「だったら、ポン海にお願いしろ」
 「ポン海先生、応じてくれるかしら……」
 「おまえの愛くるしい童顔と甲高い聲を更に一オクターブあげてお願いしたら通じるかもしれない。いや、あの先生のことだから、既に旅先にコースに九十九島を入れているかもしれないぞ。たぶんそうだろ」
 「どうして分かるんですか」と真帆。
 彼女の質問も尤
(もっと)もだった。
 「平戸に来ているからだ。あの先生は痩せても枯れても『西肥ツーリスト』の社長だぞ。旅の醍醐味を知っている。また古代中国史に詳しく、かの邪馬台国の九州説も近畿説も否定して、邪馬台国は元々存在しなかったという奇想天外な異端とも言われる学説を掲げているんだ。九十九島を旅のガイドから外すわけはない。此処には海と風と光がある。これこそ唯一の売物であるからだ」
 「人の心に沁
(し)み入る風景ですね」と、真帆。
 「そうだ。なごみを与えてくれる。あの爺さまは、そのツボを心得ている……」
 私はこのように吐露したが、確かにガイドなら、平戸と九十九島は結びつけるだろう。銘菓に『九十九島せんべい』があるくらいだ。これをコースから外すわけがない」
 「敵も……、いや御大も、なかなかやるなァ……」と、涼子は顎を撫でて気取ったポーズを採
(と)った。

 「先生、こうしてひと廻りして、何か観察できましたか」と、今度は真帆が現実に引き戻した。
 「うん。まずこの場所である。此処から眺める景観は、確かに見渡す紺碧
(こんぺき)の海を、絶景を計算してこの場所を選んだのであろう。場所としては申し分ない。
 ところが、此処はおそらく住宅地として区劃整備されていない場所だ。つまりこの家は、登記簿謄本では住宅地でなく、森林原野の登記になっている筈だ。なぜなら、電気や水道を引かれた痕跡がなく、また廻りには電柱らしい物もない。おまけに井戸水だ。区劃整備されない特別地域だからだ。そして検
(み)ると、裏庭の奥に石油発電機らしい機械が設置されていた。不断はランプなどで灯りを取っているのだろうが、電気が必要になれば発電機を回すのだろう。おそらく、それは緊急時に発電機すると考えられる。しかし、今は日中の時間帯であり、緊急時以外は発電機を回す必要としない。発電機が回っていないのは、そういうことだろう」
 「なかなか鋭い読みですねェ。そうすると、仙人は此処を離れて、もっと不便なところで暮らしている……ということでしょうか。自給自足をしながら……」
 「そうだろうな。嶮
(けわ)しい頂上近くで暮らすには、それ以外ない。そして、仙人と名のつく以上、その暮らしぶりは木食(もくじき)が主体だろう」
 「木食って、なんですか」
 「動タンパクである食肉や乳製品、卵類を避け、また米穀類も摂らず、森林の木の実だけを食べて、修行する修行僧と同じ生活をする。ときには、何日も断食をする……。そういうことを実践しているのだろう」
 「凄い意志の持ち主ですね。敵も、なかなか手強いことを覚悟しておかないと、これだけの人は簡単には転ばないでしょう」と、呟くように言った。
 真帆は勘のいい少女で、想像力も豊かである。洞察力も鋭い。仙人を頑固一徹の、偏屈な人と想像しているのである。口説くべき相手の観測を、このように分析しているのである。

 小平祐吉氏なる人物に、その人間性までもを変えてしまう重大事があったに違いない。
 私がある冒険者から聴いた格言に、こういうのがある。
 「甘い熟柿は枝の細い危険な尖端にした実らない。尖端とは、陽光をよく浴びるところである。燦々とした陽の光を受けて甘みを充分に蓄えた熟柿である。一方、下の方にある安全圏に実る柿は、みな渋である。渋は喰われたものでない。しかし、安全圏に居て冒険を好まない貧乏人は、いつも渋ばかりを喰わされる。渋柿を喰わされていては、真当の柿の甘みは分からない」
 私はこの教えを受けて、爾来
(じらい)冒険者の道を歩むことにした。危険を冒さないところに、幸せも、安住も存在しない。ただ不安があるばかりである。安全地帯は、実はいつ何時、災難が襲って来るかもしれない危険地帯なのである。
 おそらく小平祐吉氏は、安全地帯が、実は「安全」と言う名の危険地帯であることに気付いたのだろう。この感得から、不運に見舞われ、不運が重なったと言えよう。未来が捻れたのは、実はその捻れを戻すためのリバウンドが「不運」という現象に変わって、幸運へと導き始めたのかもしれない。つまり、凶はいつまでも凶ではなく、凶は吉に変化する兆候だったのである。ここに盈
(み)つれば虧(か)くの現象界の掟(おきて)がある。

 人間は恵まれた境遇に馴れ過ぎると恩知らずになる。温室で生温い生活が当り前と思ってしまうと、これ以下のことが起これば、それに不平不満を言い出す。こういう不平不満は、現代では自称「中の上」と自負している子弟によく見掛けることである。たいていは苦労知らずで、親自身も大して苦労人ではない。苦労を逃れてきた人が多いようだ。
 したがって、生計
(くらし)のドン底を知らない。結局、中途半端な生活の経験しかもっていない。多くはサラリーマン家庭に見るようだ。波瀾万丈はおろか、苦難に遭遇することを恐れているのである。それは、貧乏を恐れているといえた。

 想うに、私は貧乏を恐れない冒険者たりたい。そういう気持ちで、此処まで遣って来たのである。それも、虎の頸
(くび)に鈴を掛け、それを連行する役目を担ってのことであった。果たして、成るか……。猫の頸に鈴を付けるのとは分けが違うだろう。


 ─────家の中で成瀬先生と再会した。先生とお会いするのは何年振りのことだろう。少なくとも十年は経っているだろう。先生はお変わりなかったが、滅きりと白髪が殖えたようだった。
 「健太郎くんか。貌は、あのときの悪童のままのようじゃのう」
 「はあ、先生もお変わりなく」
 「きみは仙人に会いにきたそうじゃのう。ところで、風の噂によると、きみは奇妙な流派の武術か、剣術をやっていると聴いたが、今も続けているのか」
 「いえ、今は、剣は棄
(す)てました」
 「では、素手か?」
 「いいえ、剣術とか武術というものは大半は一対一の格技です。剣にしても、一人の剣の相対的な勝負にこだわって強弱の優劣をつけます。こういう一人の敵を相手にする武術に興味を失い、この種は、学ぶに足らずと思ったまでです」
 「どうしてだ?」
 「私の目指すものは、一人を倒す剣や武でなく、万人を屈服させる兵法です。かの剣豪・宮本武蔵も島原の乱に参戦しましたが、集団戦法では手を焼いて、苦戦しております。いかに剣豪と雖
(いえど)も、一人ではせいぜい分隊長か、小隊長のレベルです。何百、何千、何万の兵は相手に出来ません。
 したがって、私は一人で敵を倒すことに興味はなく、兵法をもって万人を屈服させる軍立
(いくさだて)に興味があります。つまり、興味の対象は『帝王学』です。帝王の学問です」
 「それで……」と、成瀬先生が相槌を打った。

 私は話を続けた。
 「歴史を振り返りますと、私は古代中国史に興味があり、元が中国大陸を支配する以前の中華思想です。その根本には中華として大陸を一つにした秦の始皇帝、それ以前では漢帝国を築いた高祖の劉邦
(りゅうほう)です。
 そもそも項羽
(こうう)と劉邦の違いは、それぞれが何処で過ごしたかに懸かります。項羽は剣を抱いて、力のみを誇示して押し付けがましい論語や倫理に依(よ)って過ごしましたが、劉邦は学なしで馬上で、戦場で過ごして、将の将を果たしました。単なる兵の将ではありません。将の将です。
 更に決定的な違いは、劉邦は神を信じていました。ところが、項羽は神などまったく信ぜず、おのれだけの力を信じていました。それが自信過剰になり、神が検
(み)ているという意識は皆無でした。それが、やがて謙虚さを忘れ、おのれが万能であると自惚(うぬぼ)れ、やがては天地さえ支配できる過信してしまいます。しかし、天地はその後、どのように動いたでしょうか。どちらに働いたでしょうか。
 天地の神は項羽に支配権を与えず、劉邦に与えました。歴史にはそう記されています」
 「きみは、随分と能弁家になったものだ」
 「能弁家では鼻持ちなりませんか」と、私に対する感想を訊いてみた。
 「否、あの愚鈍な少年が斯
(か)くもここまで成長したかと思うと、わしは嬉しくてたまらん。しかし、同時に危うさもある」
 「どういう危うさでしょうか?」
 「それはだなあ、わしの独断だが、こうして再会して見ると、きみは随分と変わった。そのように映る。その変わりようは、わしには危ない綱渡りをしているように思えるのだ」
 「私がそのように映りますか」
 「違うだろうか」
 「それは否定しません。そうかもしれません。ここに来たのは、私は小平祐吉氏に頼りに来たのです。今から訪ねるところです。ある人の命令書をもって往かねばなりません。ぜひ居場所をお教え下さい」
 「それが、のう……」と、奥歯に物が挟まったような言い方をした。
 「なにか問題でも」
 「きみがいま言った、ある人物とは、新海幸吉のことであろう。元陸軍少佐で、陸軍船舶大隊の司令。戦後は学者として県立女子大の元教授で、今は名誉教授。そして、じゃ。秘密結社『鉄の会』を主宰する……」
 「確かにそうですが、拙
(まず)いことでもありますか」
 「いや、雲隠れしてしまった。洞窟にも居
(お)らんし、居場所がさっぱり分からん」
 「その洞窟とは、何処にあります。場所を教えて下さい」
 「いいが、ちと骨が折れるぞ」
 「構いません」
 「居らんと分かって往くか」
 「はい、報告するのに、居りませんでしただけで引き返せません。重要な任務を帯びているのです」
 「いいだろう。相手は仙人になった漢だ。雲隠れの名人だ。それを覚悟することだ」
 「覚悟の上です」
 こういうと、居ないところに往っても無駄だがという断りの上で、一応その場所を教えてもらった。
 私の肚には今日一日で決着をつけるという決意があったからだ。往って無駄であるか、そうでないかは、先ず往って確かめねばならない。出直すにも、先ず往くことだった。
 あの劉備玄徳すら、諸葛孔明を迎えに行くのに、第一回目の最初の日は大雪に見舞われた。居るか、居ないかは問題ではない。先ず往くことが大事だったのである。そして以降、二度も繰り返している。
 人間、無駄と分かっていても、先ず実行することである。この実行なしに、人は動かし得ない。消極策に固執しても、何一つ生まれないのである。

 成瀬先生から仙人の居場所を教わった。また、この教え方が変わっていた。B5くらいの紙にカランダッシュ鉛筆で絵図を描きなぐったのである。素晴らしい速さで、さすが画家を思わせた。地図ではなく、見た目が一目瞭然でなるような立体絵地図だった。濃淡を付け、あたかも航空写真のように描いてみせたのである。
 「健太郎くん。この絵図を頭に叩き込め。そちらの同行するお嬢さん方もだ。いいか、憶
(おぼ)えたか」
 「はい」
 「確りだな」と再び念を押した。
 「はい」と、答える以外あるまい。
《なんとか……》などとあやふやなことは言えない。答えた以上、確りと記憶する。要はそれだけである。返事は曖昧ではいけないのだ。
 「よし」
 成瀬先生は何を思ったのか、その絵図を灰皿の上でライターの火で、事も無げに燃やし始めた。「あッ」という間もなかった。脳裡に記憶したらこれは必要ないと考えたのだろう。
 「それを灼
(や)いては……」
 「憶えたのだろう?」
 「憶えました」
 「だったら必要あるまい。あの山は決して高い山ではないが、山道は岩や石がゴロゴロしていて嶮しい。
 難所では大岩も攀
(よ)じ登ぼらねばならん。これから先は四ツ足歩行だ。両手が塞がっているのに、どうして絵図を見ながら進める」と諭すように言った。
 そう言われば、尤
(もっと)もなことであった。
 「確かに……」
 この人も、かつては戦場を歩いたことのある人なのである。戦場の歩き方を知っていた。戦場は決して平地だけではないからである。尊敬している人の言葉は確かに胸に滲
(し)み、腑(ふ)に落ちた。

 真帆が何を思ったのか、連絡を願い出た。
 「電源を貸して頂けませんか」と、睦子に訊いたのである。
 「どうするの?」
 「本隊と連絡を取りたいのです」
 「連絡手段は?」
 「小型の携帯無線機を持参しています」
 「では、そこで電源をお遣いなさい」
 此処の家では発電機が設置されており、それで電気を作るのだろう。備えているのは交流発電機であろう。
 真帆は小型リュックから無線機を取り出し、電源を繋いだ。その間、涼子も手伝っていた。
 「CQ、CQ。こちらJA6××××。聴こえたら応答して下さい。CQ、CQ。こちらJA6××××。
 真知子、聴こえますか……」
 真帆は真知子に連絡をとろうとしているようだが、耳を澄ませても応答がなかった。
 「アマチュア無線ね。低地ではそれもいいかもしれないけど、此処では標高があるから無理かもね。こちらへどうぞ。船舶用の無線電信があるから。あなた、電信は大丈夫?」
 「アマチュアの電信級も持っています」
 「じゃあ、電信機で打電するといいわ。此処から打電すれば海上の漁船にも届きます。周波数は8MHz以下または21MHz以上のアマチュア範囲でなく、それ以内。実用周波数で打電するといいわ」
 「それでは、相手側が受け付けません」と、困惑したようにいった。
 「わたし、以前いつも父から新海司令のこと、聴かされていたんです。大戦当時のことですけど。
 方法は電報局に直接送ることね。電報だと、あるいは……ということがあるわ。もしかしたら届くかもね。
 だけど残念ながら、ここの無線機は携帯無線機と接続が出来ないの。
 この電報を傍受するのは新海司令でしょ。当然、英文電報よね。だったら、わたしが変わりに打電してあげましょうか」と、意外なことを切り出した。
 睦子は国際英会話中級で、漁船に乗っていただけあって一級通信士の資格をもっていた。その打電速度はアマチュアとは比べ物にならない。漁船の通信士は慌ただしい操業の合間に打電するし、また海難事故を想定しての通信の遣り取りである。それだけに、陸
(おか)の通信士とは比べ物にならない。
 少し明るさを取り戻した真帆は、睦子に「お願いします」と元気よく返事した。
 斯くして、代行を恃み、新海教授が立ち寄ってくれかもしれない平戸の電電公社宛に、局留めで打電してくれたのである。この打電に気付いてくれれば幸いである。接触段階の第一段階は終了したと言えた。あとは第二、第三の接触を試みるだけである。これによって、本隊はこの近くまで移動して来る筈である。

 打電が終わって、軽い昼食を全員で頂くことになった。こちらの一行と、成瀬先生が同行して来た美大生たととである。30分度々の会食は瞬く間に終わり、私たちは山頂に向って出発することになった。
 成瀬先生とは、再会の挨拶もそこそこに、私は生徒二人を伴って、早速、仙人の棲
(す)む山頂近くの洞窟へと向ったのである。


 ─────成瀬先生から教えてもらった通りの途
(みち)を通って、小平祐吉氏の洞窟へと向った。
 確かに成瀬先生が云った通り、此処に至る道は悪路で、岩を幾つか攀
(よ)じ登らなければならなかった。まさに登攀者のそれであった。
 「此処らで休憩しよう」
 「はい。仙人って凄いところに棲んでいるのですね。高度はないけど、道が嶮しいですね」
 「意志がゴロゴロして歩き辛い。くれぐれも足頸
(あしくび)を捻挫するなよ。腰を落とし、膝を曲げ、足頸にクッションを持たせ慎重に進むんだ。岩場を往くときは、体重移動と躰のバランスを考えて、確(しっか)り岩に足を掛けて登る。そして両手両脚を遣って岩を攀じ登る」
 全員は両手に軍手をしている。登攀覚悟できているからだ。
 さて、ここまでの説明は生命維持のための安全心得である。
 「心します」
 「覚悟が出来たところで、ここからは、お遊びだ。おれは先に行くか、おまえたちが先に行くか……。どっちにする?」と、謎掛けをした。
 「ははァ〜。それは卑猥の眼」と、眼の中を覗き込んで涼子が察した。
 「どこが?……」
 「わたしたちが先に行くと……結果はどうなるのでしょう」と真帆が鎌を掛けた。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」
 「やはり、そうだったか」と涼子。
 結局、読まれて私が先に行くことになった。ツキもここまでだった。
 「よし、出発しよう」
 あとは仙人を連れ帰るだけである。はたして成るか。
 これから先には難所が待ち構えているであろうが、まだ難所でない。確かに悪路だが骨が折れるとなではいかない。
 「ねえ、先生」と、真帆が呼び掛けた。
 「なんだ」
 「お話しながら、進みませんか。愉しく登りましょう」
 辛いときには愉しく遣る。話が弾んで気が紛れるかもしれない。
 「そうだな。黙々というのも悪くないが、まだ黙りこくるほど辛い道じゃない。話そう」
 おそらく真帆は幼児の頃、父親か母親に「お話しして」と強請った子供だったかもしれない。
 「訊いてもいいですか」
 「ああ、知っていることは、何なりと答えよう」
 「商品って、いい物を作れば、必ず売れるというものでもないですよね?」
 「そうだよ、いい物を作れば売れると言うのは妄想に過ぎん。商品は作るよりも売る方が難しい。作ったものを広く、遠くまで大勢に知ってもらうためには、そうとうに工夫がいる」
 「それは分かります。『論語』でいう“文質彬彬
(ぶんしつ‐ひんぴん)”ですよね。父もよく言っています。いい会社はいい物を作るだけでなく、それ以上に宣伝力が要(い)ると……」
 確かに資産家と言われる富豪が考えることである。商売に長けたものなら、宣伝力は重視するだろう。

 「文質彬彬」
(論語雍也)とは、外見の美と実質とが、よく調和しているさまをいい、則(すなわ)ち「文」の装飾と「質」の質朴(しつぼく)さが備わり、整っていることをいう。質とは原材料のことで、文は加工することである。例えば、魚や野菜などの食材の品質が良ければ、それだけで美味いが、調理すれば更に美味くなるということで、こうなると更に多くの人や、年齢も広範囲に広がると言うことである。万人向けとなる。これは製品も同じで、いい物は宣伝することのより多くの人に知れ渡ると言うことである。
 孔子は儒学を多くの人に受入れてもらうためには、どうしたらいいかを考えた。多くの人に理解され、儒教を広く流布するためには、どうしたらいいかを考えたのである。それが文質彬彬だった。
 これを孔子は「伝搬力」と称し、宣伝することを重要視したのである。
 これは商品であれば店頭に並べて道を行く人に「見せる」と言う遣り方で、ショーウインドウなども、その遣り方の一つであろう。商品を見せることによって、買う気をそそらせ、購買意欲を煽る増進策である。

 「それが商売の基本ですね」
 「いや、そうとばかりも言えんぞ」
 「どうしてです?」
 「ところが、老子は違った。老子は孔子と全く逆で、決して安売りしない。いい物は自慢したり、一見さんには滅多に見せないのである。店の奥に、大事に蔵
(しま)うのである」
 「どうして蔵うのです」
 「こういう逸話がある。あるとき孔子が「礼」について老子に訊
(たず)ねた。
 すると老子は、『本当の実力のある商人と言うものは、いい品物ほど奥に蔵い込んで、店先に並べたり、陳列に飾って目立つところに並べない』というのである。
 つまりだ。店作に並べたり陳列に飾ると、ちょっと見だけではいいように見えるし、逆に商品が少ないと、この店では品薄かなと客が見てしまう」
 「そうでしょうね」
 「しかし、此処がミソであると言う。つまり、いい物はみな蔵うのである。故に、いい物が多いと店頭では品薄に見える。見るからに呆気ないほど閑散としている。ところが実は、そういういい商品は、みな奥に隠してある。つまり、能ある鷹だ」
 「奥に隠す物……。つまり、いい物は裡
(うち)に秘めて、表には現さない物ですね」
 「そうだ。そういう物を人は、少なくとも一点は持っていなければならない。ひけらかってばかりでは能がないならな。自慢ばかりしていては、店主の底が知れるだろう」
 「もっともですね」
 「そして、老子は孔子に、こう忠告する」
 「どのようにですか?」と、興味津々に真帆が訊き返した
 「博学であることをきけらかすなとな。つまり君子でも、立派な学徳を備えた人物ほど、キラキラしたものを表面に顕さないから、その態度は一見、愚かに見えるが、それは表面から見ただけの短見敵な見解だ。決して中身を見たものでない。凡眼の目というものだと、孔子に諭すのである。そして、老子の留めの言葉が厳しい忠告であった」
 「どういうものです?」
 真帆はますます啖
(く)い付いてきた。
 「老子は四つのことを忠告した。まず自らの学徳に自惚れるなという驕気
(きょうき)。次にあれもこれも手を出すなという多欲。それからスタンドプレーをするなという態色。最後は物事に淫する度が過ぎてはならぬという淫志(いんし)である。この四つを厳しく指摘し、忠告の言葉とした」
 「この忠告を聞いて孔子先生は、さぞかし怒ったでしょうね」
 「勿論だ。孔子と雖
(いえど)も人間だからな。感情のない者は一人もいない」
 「孔子先生はおそらく、怒り心頭に来たのではありませんか」
 「ところが、怒るには怒ったが、孔子は老子に対しての怒りではなかった。自らに対しての怒りだった。怒りの分だけ、猛反省したんだ。ふつう先輩とは雖も、ここまで頭ごなしにやっつけられたら、慍
(む)っとするのが人間だ。しかし、孔子が後に聖人と言われる所以は、老子の直言を謙虚に聞いたばかりか、老子の言葉に対しては拒絶反応がゼロだった。素直に受入れ、それを今後の反省材料と教訓にしたんだ。孔子の偉さだろう」
 「確かにそうですねェ」と、真帆は同感の相槌を打った。
 「一方で、現代の世では、科学者といわれる連中はゴマンと居よう。ところが、ただ素人相手に少しばかり自分は博学であることを前面に打ち出して、それをひけらかし、学識に疎
(うと)い庶民を微生物のように見下している。これは、人生は向上のみで、上り坂と考え、上へ上へと登っていくことばかりに心を奪われている。
 これを科学の進歩と言うらしいが、この考えていくと、創造主すら、やがては見下すことになろう。謙虚さと虚心が足らないからだ。自分は才能に包まれた特別な人間であり、底辺とは違う、顕微鏡の上から覗く研究者と思い上がっている」
 「人間の自惚れや思い上がりには怕
(こわ)いものがありますねェ。等身大の自分を忘れて、身の程しらずになります」
 「そうだ。特に個人主義に奔る連中だ。自分だけの幸せを需
(もと)めて日々に悪戦苦闘を重ねている。他人に譲ることを知らない。譲るどころか、自分が先に一歩でも出ようとする。真当の幸せは、他人が幸せであって、自らも幸せを観じるものだ」
 「自他ともに利する。利益を他と共有する。他人を益して、自分も潤うということですね。先生の仰る帝王学ですね。この学に虚心があると、わたしは得心しています」
 「譲ることを知らずに、その商いに繁栄がない。独りだけ富貴になりたいという欲望は、結果的には成就しないものだ。ひと良し、われも良しで始めて成り立つ。他人を活かすことで、己も生きるのだ。その根本には慎みがなければならない。それを忘れると、陥穽
(かんせい)に墜(お)ちる」
 「虚心を忘れた、思い上がることの恐ろしさですね。まるでバベルの塔を築き始めた人間の姿を髣髴とさせますねェ。創造主の構築する大宇宙は、人間の手には及ばないと言うことでしょうか」
 真帆は登攀中も能弁であった。
 登りながら考える……。私にはいい頭の鍛錬だった。

 「及ぶか及ばないかは、人間の判断することでない。大事なのは人生には孔子の説く上り坂ばかりでなく、山の登攀でも頂上に到達したら、頂上から先は、もうその先がない。頂上から更に進もうとすれば、その先は山の裏側が崖っぷちになっているかもしれん。無理に進めば、断崖から顛落
(てんらく)するだけである」
 「頂上から先は、下りの体勢を固めるということですね」
 「そうだ。下りは、登り調子での足の進め方では、勢いあまって大事故を起こす。下りこそ、もっとも警戒しなければならないんだ。車でも、上りはアクセルを踏みっぱなしで登っていけようが、下りはアクセルでは加速されてしまう。ブレーキが必要なんだ。ブレーキを利かせるところに、人生道のテクニックが要る。この技は上り以上に難しいものだ。そのため、下りで失敗する者が、人生では非常に多い。したがって、若き日の孔子の才気煥発では、下り坂で失敗する。人生は晩年が大事と言われる所以だ」
 「よく分かります。孔子先生は若き頃、かなり癖の強い人物だったんですね。それを老子先生が見抜き、厳しい忠告を促した。そういうことでしょうか」
 「そうだ。おれ自身、人生を上り坂の要領で今は生きているが、やがて下り坂に掛かった時の準備を始めねばならん。そのためには修行がいる。そこで、おれは自ら進んで、頭を下げて人に乞うことにしている。その人がどういう人であっても、先ずは頭を下げて乞う。そこに邂逅
(かいこう)があると確信しているんだ」
 「いいお言葉ですね。つまり、これからお訪ねする仙人は、そう言う人でしょうか」
 「そう信じている」
 「では、わたしも信じます」
 真帆とこうして話している間、涼子が黙りこくってしまったことに気付いた。登攀に喘
(あえ)いでいた。

 「おい、涼子。生きているか」
 「はい、生きています」
 「これくらいで、くたばったのではあるまいな」
 「いいえ、大丈夫です」
 「だったら、おまえが、おれの前に行け。“トップ曳き”をやれ」
 「厭
(いた)だ」
 そもそも涼子は“トップ曳き”が、損な役目と知っているのだろうか。競輪用語である。
 「何故だ?」
 「風が吹けば桶屋が儲かるから……」
 なるほど、こいつは“トップ曳き”を損な役目を知っているらしい。後ろから捲られるからである。
 「では、生きている、生身のおまえに訊こう。老子が、孔子に忠告した四つをそれぞれに分析し、その教訓を八十字以内に小論文にせよ」
 「ゲッ!この、苦労して攀じ登っている最中にですか」
 「人間に降り懸る試煉は所構わずだ。いつ如何なるところでも、その生き方を問い糺
(ただ)される。その生き方の姿勢が端(ただ)される。これを小論文にして、即答せよ」
 「俟って下さい、整理します。えッとですねェ……」と、登攀中の思索が始まった。
 「俟つが、30秒間だ」
 「ゲッ!たった30秒ですか」
 「あと、25秒」と急かした。
 「えっとですね。『大事なものは表に出さず、中
(うち)に蔵うところに奥深さがある。慎むべきは驕気、多欲、態色、淫志で、この忠告を謙虚に捉えた孔子は、老子を端倪(たんげい)すべからざる人物とみた』
 以上、句読点も含め、七十七文字です」
 「よかろう。特に老子を端倪すべからず人物と解釈したことは、要点をよく掴んでいる。合格!」
 私はこのように表したが、確かにこの娘は、小娘にしては頭が良かった。三年E組の担任として、彼女が第一志望に掲げる気象大学校に送り届ける義務があるだろう。そのためには、私自身の鍛錬として、どうしても小平祐吉氏を説得し、新海教授の許に出頭させねばならなかった。海路を往くからである。
 船は、船長は一人でいいが、異なる意見を持った参謀級の人材は必要だった。この人材を遣うのは指揮官の腕である。指揮官の良き働きをしてもらうには、麾下
(きか)に良き参謀が必要だった。


 ─────嶮しい悪路に悪戦苦闘すること、一時間と少々。
 教えてもらった洞窟らしいところに到達した。おそらくこの場所は、詳細に図に示してもらわねば分かり難いところであった。入口は草木に巧妙に隠され、そこは見るからに、ただの洞穴であった。はたして、此処には人が棲
(す)めるのか……。文明に染まりきった私の偽わざる感想である。私だったら、とてもとてもと思う。
 住処
(すみか)とする洞窟は質素なものだった。こぢんまりした貧しさがあった。人の生活と言うより、動物に近い生き物の暮らしであった。人も、ここまで変われるものである。
 穴蔵で動物が棲息している……。そう思えるような生活をしていた。隠棲と言うより、人生を逃れた孤立者であった。この人を、下界では仙人と揶揄していた。しかし違うようである。

 見るからに貧しい……。
 ボロを纏い、とにかくその人は貧しい。その一言に尽きた。極貧といってもよかった。そういう人が洞窟の中にいた。中では灯り取りに火が焚かれていた。そして瞑想していたが、人と言うより、太古の猿人に近かった。髪も髭も伸び放題であった。
 ここまで墜ちるものか。形相が凄まじい。なんでここまで、自らを甚振
(いたぶ)らねばならぬのか。まるで自分に笞を打ち、苛め抜いているようであった。
 私は一瞬、孔子が死んだ後、その喪に服し、孔子の墓の直ぐ近くに、掘建て小屋を建てた子貢
(しこう)のことを思い出した。
 孔子は、喪
(も)は三年でいいといっていたが、子貢は五年の喪に服していた。そこに、曾参(そうしん)が旅から早めに切り上げて遣って来る。
 「子貢先輩。孔先生は、喪は三年でいいと仰っていました。どうして、そんなに長く喪に服するのですか」というと、子貢は「いいんだよ、曾参。わたしは心が命ずるままに遣っているんだから」と、曾参の言葉を退けて、五年の喪に服したと言う。
 その子貢に、私はいつしか小平祐吉なる人物を重ねたのである。

 人は変化する……。昇っても、墜
(お)ちても変化する。確かにそうである。
 その変化の中で、世に役立つためには、自己改革が迫られる。
 だが自己改革は、一朝一夕で出来るものでない。はたして小平氏なる積年の苦労は、子貢と同じように堆積したものであったのか。もしそうだとすれば、この人物に是非とも出馬してもらわねばなるまい。
 そして、その人となりを観る。そのうえ聴くところによると、この御仁は神出鬼没
(しんしゅつ‐きぼつ)であるという。それだけに畏怖(いふ)すべき奇人といえた。私の好奇の対象であった。
 一方、人は己を変えるには、それ相当の努力を必要とする。努力は、実るか実らないかでない。するかしないかである。そのために、まず心の惰容
(だよう)を端(ただ)した。自らが端せば、相手も糺(ただ)す。しかし、これだけで人を動かせるか。変貌してしまった人を変えられるか。
 人は結局、「まごころ」で接すれば、そういう反応を示すという。だが、当って砕けるのではない。
 「まごころ」で接するのである。そこに変化が顕われる。人は変わるものである。これこそ、人間が人間たる所以
(ゆえん)であった。

お百度参り。頼みごとなどのために同じ所を幾度も訪問する。これを「御百度を踏む」という。

 小平祐吉氏はトラウマを背負っていた。深い疵
(きず)を負っていた。辛い、良心を甚振(いたぶ)る傷を抱えていた。過去に最愛のものを喪った心の痛手があり、トラウマが残留していたからだ。その幻影に苛(さいな)まされ、いまだに消えないのである。その幻に秘奥に触れたとき、私はぞくっとした恐ろしさを感じた。
 私に向けて、「おや」という眼を向けた。その眼は、人として想定し得る容量を超えていた。烈しい懐疑があった。難儀な人である。
 はたして、この人に「三顧の礼」は通じるのか。礼を厚くしただけで、この御仁に届くのか。

 そこで想起した。
 この御仁には、三日三晩を通っても、通じないものを抱えているようだった。それが厄介のである。すんなりと折れそうもない。頑固と言うより、難儀の塊
(かたまり)を思わせた。
 そもそもとんでもない難儀を、新海教授は私に背負わせたものである。そして、当って砕けてはならぬと釘を刺した。難解である。ご無体な……と言う他あるまい。
 私は、そこで考えた。
 そもそも小平祐吉氏は大戦当時、新海司令の副官ではなかったのか。
 その側近である副官だった人が、なぜこのように変貌したのか。それには理由がある筈だ。
 はたして小平氏は、これまでの誠実を吝
(お)しんでいるのだろうか。それで遠ざかったのだろうか。
 いや、そんなことはない。他に理由がある筈だ。真相には小平氏の本心が存在する筈だ。
 この御仁は、自分の理由だけを揚げて雲隠れしたのでない。むしろ、新海司令の苦渋を知るからこそ、その依頼を拒み続けている……。そして、ここにきて改めて新海幸吉なる人物の人となりが浮き彫りになるのだった。私は、思慮を繰り返した挙げ句に、そのような結論に達した。
 人間というものは、不誠実や無理会に遭遇しても、悪声を洩らさず、黙って立ち去るのが寔
(まこと)の君子というものではないか。
 私は小平祐吉なる人物が、そう言う人であること感得した。
 人は、悔しい、憤懣
(ふんまん)遣る方ない怒りと苦渋に耐えてこそ、その人を大きくするものである。その悔しさが、やがて人を飛躍させるものである……。私はそう信じたかった。そこに縋(すが)ろうとした。そして依頼に応じてもらいたい。

 「なんのようじゃ」
 穴蔵にいる人は、私にそう訊いた。その聲は意外にも冷たかった。歓迎されてないことが分かる。まずは当たりを付ける以外ない。
 「これを、お届けに」と、命令書を差し出した。
 「これは何か」
 「召喚命令です。出頭して頂きます」
 「それは出来ん。喪
(も)に服している。まだ明けん」
 それは、いかなることも受け付けんと言う意味だろう。
 「その喪とは?……」と、心当たりのあるところを訊いてみた。
 「きみは何者だね?」
 しかし、喪に服している人物の名は証
(あか)さなかった。用件だけを訊いたのである。
 私の推測するところ、喪の追悼相手は藤田だろう。藤田を覗いて他に居ない。

 「命令の通達人であり、命令に服しない場合の交渉人です」と、端的に答えた。
 此処に来た経緯を、あれこれ喋ると余計な誤解を招く。また、細々と説明すれば、この御仁をますます遠ざけるだけだろう。
 「通達人であり、交渉人だと?」と、切り返した言葉は一オクターブ上がった。
 「私は命令書を受け取って頂くために、交渉人も兼ねています」と、託された任務を隠さずに述べた。
 「もし、受け取らなければ?……」
 「あなたは命令違反となり、連行することになります」
 私は多弁になることを警戒しつつも、自分が余計な説明を加え過ぎて、遠ざけてしまうのではないかと言うことを恐れていた。
 「わが輩を連行すると……。バカも休み休み言いたまえ。簡単に連行されてたまるものか。なんなら逮捕してみるか」
 「逮捕しても、宜しいのでしょうか」
 「やってみろ」
 この言葉には、たいした自信が含まれていた。いやしくも仙人と渾名される人である。脚は天狗足だろう。
 脚に自信があるから、こういう態度に出るのであろう。競争すれば負けることは分かっている。
 私の鈍足では、僅か5分か10分で、簡単に巻かれるだろう。そして、山中で道に迷う。挑めば、筋書きはこのように画策されている筈だ。
 結局、今回の交渉も破談で終わるか……。しかし仙人も、こちらの乖謬
(かいびゅう)が、まだはっきり分からぬようだった。そのため物事に食い違いが起こる。
 この世には、分からぬことが多過ぎる。分からぬから問うのである。そして問いたいことが多過ぎる。
 多く問うということは、それだけ長く生きなければならず、その問いが幾重にも累
(かさ)なっていくということだろう。
 では、問いに対する答えとは何か。
 答えで、謎めいたことが分かった後で、少し落胆することがある。分かり辛いことが分かった後の副作用と言うようなものだ。
 知るということは、つまり問いの卑しさに応じて比例するということで、問いには答えの要素が隠されているからである。いい問いの出し方が出来れば、なにも敢えて問うことはない。自分で研究できるのである。
 確かに問うことは、本当に理解するということとは別問題であり、いい問いの出し方が出来れば、後から自ずと分かってくるものである。しかし、質問者は問いの出し方を考えず、答えだけを訊こうとするのである。それは解法を知らずに、答えだけを訊くと言う愚行である。

 「今日は止めときます。また後日、出直します」
 その一言が、思わず口から出た。
 「俟ちたまえ」
 「では、明後日……」
 「きみ……」
 「断られた。また出直そう」
 私は同行した二人に聲を懸けた。踵
(きびす)を返したまま、後ろを振り向かなかった。同行した真帆と涼子は「いいんですか、先生」というような貌をしていた。
 「先生。真当
(んとう)に俟(ま)たなくていいんですか」
 「こういう場合は、まず去るものだよ。今日は帰ろう」
 「でも……」
 「いいんだよ。また出直そう。出直せば、また来ることが出来る。物事、一回目は成就しないものだよ。三顧の礼は、お百度を踏む覚悟で、三度行なうところに価値がある」
 三人は、またもと来た道を急いだ。
 「先生」
 「わたしたち、明日も、お百度踏むつもりで、先生とお伴をします」
 「そうか、有難い……」
 「わたし、そういう先生、好きです」
 また真帆の私を悩ます言葉が吐露された。彼女は天使なのか、小悪魔なのか……、私には分かりかねた。
 「わたしも……」
 涼子まで小悪魔を遣ろうとしていた。
 小悪魔二人に、こうまで言われては、今日の失敗を怒る気にはなれなかった。
 「そうまで言ってくれると、幸先がいい……」
 「先生、ついに遣られましたか」
 真帆は私の「幸先がいい」の言葉を真顔に捉えたのか。
 「そうだ。ときには、人間は狂うほど遣られて、それを早めに通り抜けた方がいい。通り抜けずに、溜めておいては精神衛生上、躰に悪いからな」
 こういって、三人は坂道を下っていた。
 ふつう下り坂は辛さを伴うが、乾いた下り坂は満更でもなかった。悪くない。私は面
(つら)が乾いてしまったのだろうか。不愉快が通り越して、いつしか愉快になっていた。
 お百度は、繰り返し、同じことを無心になって、遣ることに価値がある。
 出直して何度も同じことをする。頭を下げる。それを無心になってやる。飽きることを観じることなく、ただ無心になる。その無心が、やがて神仏に通じるのである。人を動かす。私はそう信じているのである。



●包囲網

 人生、なにごとも勉強である。そして死に物狂いの勉学……。
 本来、学問を遣るというのは、戦場を命を張って走り回るのと同様、激越な極限状態に挑む学問をしなければ何も変わらないのである。本当に学問に励めば、それが何であるか分かってきて、好運が訪れるのである。これは物質的に恵まれると言うことではなく、精神的な幸福感である。満ち足りた足るを知る幸福感である。
 これは、あたかも山頂に立つ者だけが、あたらに受ける爽
(さわ)やかな風であり、満ち足りた幸福感であり、この風を感じるには、山腹にいては幸福の風に触れることは出来ない。山頂に到達せねば触れることの出来ない風である。こういう風は山腹には吹いていない。山頂だけである。

 私が企画して念頭に置いている修学旅行は、旧所名跡を廻る物見遊山の旅行でない。一壺天から抜け出した世界を知る切っ掛けを作るための旅である。この旅で、異種の人々を見て回る。更には時代を超えて、温故知新を探る旅である。
 『論語』
(為政篇)には「故(ふる)きを温(たず)ね新しきを知る、以て師と為(な)る可し」とある。昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ることであり、古い事柄も新しい物事もよく知っていて初めて人の師となるために旅をするのである。
 時代を超えて人を看
(み)る。観察する……。
 利潤追求ばかりを企むのでなく、商利を脇において、人がどう生きたかを観る。商業主義に奔って、朝から晩まで利害のことしか考えない打算主義では人間の幅を狭くする。
 本来、商いは「贖い」であるから、むしろ大利を掴むために贖い、一見、無駄とか無益と思えることに心身を浸し、そこから利とは何かを模索しなければならない。そのためには目先きに小利の誑かされたり、惑わされてはならない。心眼
(しんげん)を養うことの大事が、この企画した旅には織り込まれていた。

 そもそも山師を自負する私は、詐欺師やペテン師の類
(たぐい)でない。山師は、実は「さんし」と読み、これは諸国を旅して廻り歩き、人との邂逅を得る旅を通じて得た言葉である。
 人と出遭い、縁を得て、人の機微を察することで、やがて肚
(はら)が練れてくる。一壺天から抜け出した世界には、これまで親許(おや)で、親の庇護のもとでぬくぬくと育った者には、窺(うかが)い知ることの出来ない人物がいる。そういう人を尋ねて歩くことこそ、あたらな冒険の途(みち)が拓かれている。それは山師が山を探索し貴金属や宝石類を発掘するより優るのである。

他山(たざん)の石というのがある。この言葉は、「他山の石以て玉を攻(おさ)むべし」からきている。自分の人格を磨くのに役立つ他人のよくない言行や出来事のことをいう。
 人は失敗の連続の中に成功の糸口が潜んでいる。したがって成功者というものは、失敗を一度もしたことのない者のなかにいない。そういう者には成功は覚束無
(おぼつか‐な)いものである。

 下山するときのことである。
 やがて陽は天中を既に超え、斜めになった。
 「拙
(まず)いなァ」と呟いた。そのうえ、どうやら道を間違えたらしい。
 洞窟を出て、かなり山のなまを歩き回り、山が暮れ始めた。山の夕暮れは、平地で想像する以上に早い。既に闇が差し掛かっていた。黄昏れたような暗さは、じきに闇となる。
 「どうやら山に巻かれたらしい」
 私は山の夕暮れを思ったのである。山は暮れるのが早い。
 「どういうことです?」
 「よくあることだ。山は、午後を回ると暮れるのが早い。特に頂上付近の岩場から、中腹に差し掛かる森林地帯に入る頃から急に暗くなる。もう直、闇が襲って来る。さて、どうするか?……」
 「どうするかではないですよ。こんなところで野宿ですか。食糧もないし……」
 「心配するな。携帯食はあるし、夜具もある。今宵は、此処で露営でもするか」
 「呑気なこと、いわないで下さい。蚊が飛び回っていますよ」
 「蚊取線香もある」
 「そういうことじゃなくって……」
 「じゃあ、どういうことだ?」
 「わたし、こんなところでの、お泊まり、厭だわ」と、涼子が駄々をこねるようにいった。

 その時である。突然、行く手にある草が揺れた。草の茂みが割れたように見えた。
 「うム?人か……」
 闇の中にぼんやりとした影が浮んだ。その影の色が、灰色なのか黒なのか、あるいは暗い闇に浮んだ白なのかははっきりしない。何者か……。私たちを付け回す、尾行者だろうか。
 音を聴いた。遂に顕われたか……。
 私はおもむろに無構えの態勢をとった。
 
《俟てよ、どこか妙ぞ》と、底冷えのする思いで悔やんだ。気配は一人か、複数か。危害を加えようとすることは明らかだった。その気配がひしひしと伝わってきて、敵は必ず狙った者を殪(たお)すであろう。
 「見つかりましたね。塞がれたのでしょうか……」と心配そうに、真帆は幽
(くら)い嘆息をはいた。
 「いや、分からん。だが絶望するな」
 敢えて「心配するな」という気休めは言わない。心配するなより、「絶望するな」の方が塞がれたものに対して打開策があることを窺
(うかが)わせるからだ。併せて、二人の心の乱れを斂(おさ)めることができる。
 「?…………」
 「塞がれたということは、塞ぐ敵が顕われたということだ。これで現状の実態が見えて来た。何者かが近くに居る。それも、こちらを窺っている」
 「それだけに、凶では?……」と真帆。
 「莫迦
(ばか)を言うな。これこそ、吉だ」
 「わかりません!」と、真帆が
《先生は頭が訝(おか)しいのじゃないですか》と言わんばかり吐き捨てた。普通だったら、こういう情況を決して吉とは思えないからである。
 私の推測するところ、敵は一人ではなさそうである。複数と検
(み)た。暗がりを動く音も、独りのものではないようだ。あたかも猟を楽しんでいるようだった。
 敵は人間ハンターだ。網に掛かったか……。そういう戦慄
(せんりつ)を観じたのである。しかし絶体絶命ではない。手は未(ま)だある。
 「塞がれても、何処も彼処もが均一に、同じ力で塞いでいるのではあるまい。そこには強弱があり、濃淡があり、粗密があり、起伏の高低がある。一番弱いところを見抜き、淡いところを衝
(つ)き、粗なるところ破り、低なるところを攻める……」
 私は兵法の一節を思い浮かべた。
 「なるほど……。で、その策は?」と、真帆が訊いた。
 「剛柔の『剛』を衝
(つ)く」
 「それは一番強いところを衝くということですか。いま先生は弱・淡・粗・低と言ったではありませんか」
 「だから剛を衝く。ここは同時に脆
(もろ)いのだ。一見、強固に見える箇所は柔軟性がなく、ゆえに奢(おご)っている。奢りを衝くと換言していいだろう」
 「侈傲
(しごう)の者は亡ぶですか……」と涼子。
 この娘は意外と度胸がいいようだ。襲われても、躱
(かわ)すだけの根性はあるだろう。
 「老子の言葉に『柔よく剛を制す』とある」
 「なるほど、それなら分かります。虚を衝くのですね」と、ようやく落ち着いた貌をした。
 薄暗くても、私は夜目が利く。暗がりでも、視界が明るい。暗所でも、人の貌が窺えるのである。だが、私の頭の中は混乱した。この窮地から脱出する方法が掴めないのである。重い空気を引き摺ったまま、早急の手を打たねばならない。
 日中に陽に灼けた岩場の上を踏んでいた。二人も同じだろう。このまま立ち往生すると、日没とはいえ、足の裏を焦すほど、岩は猛暑に灼かれていたのである。こうした窮地に追い込まれると、陸
(おか)の上とは、このように煩(わずら)わしいところかと思うのであった。故に、これからの旅を海路に選んだのである。しかし、海路を往くには智慧者の智謀を必要とした。
 私はこのとき確
(しか)と憶った。禍に遭(あ)えば、それを除くだけでは済まされない。除くだけでは、同じ目に二度も三度も遭うことになろう。禍をあらかじめ避けるためには、適切な策を下せる智謀の人を見付けておかねばならない。しかし、そういう人は滅多にいるものでない。
 これを憶えば、小平祐吉氏こそ適任なのである。どうしても、この御仁を口説かねばならないと痛感した。
 だが氏は、心から切に求めなければ得られない。


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