運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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ひと夏の奮闘記(下) 16

真摯に道を求め、求道を志し、道の教えを乞う。
 好き者といわれる趣味人は教えを乞わなければ、鑑賞一つ愉しむことが出来ない。
 静かに端座して、鑑賞物に向き合い、ときに心を通わせる。
 老練とは、こうした濃縮なる時間の中に存在し、そこに風流の趣がある。己を空しゅうして物に向き合うとき、物は物での存在ではなく、霊的な生命を宿し始めるのである。
 刀剣類は霊器といわれる所以である。


●老杖

  「わたしもです。先生は、常人が考え付かない壮大なスケールの中に生きている人だと気付きました。物の見方や状況判断が一元的でない。それが気配りなんでしょうね。並の人より、許容量が大きいんです」と、真知子の褒め過ぎの言葉。
 「そういう、心にもない褒
(ほ)め過ぎは困る」
 私は心底にある実情を正直に吐露したのである。確かに私自身の抱く気宇は大きいが、それには実力が伴っていない。単に、そうありたいと願っているだけである。想いの世界の領域の範疇
(はんちゅう)を出ない。だが、真知子はそう思っていない。
 「褒め過ぎではありませんよ。率直に述べたまでです」と、彼女は烈しく切り返した。
 「おれは愚人だ。豚を遣る能力もないから、おだてても樹には登れない。器量と創造力は浅いから、直ぐに底が見える。智慧を器用に巡らせるような頭脳を持っていない。それゆえに、おれは己
(おのれ)の理屈で相手の理不尽を窘(たしな)めるしかない。窘められねば、ただ時宜(じぎ)を俟つか、あるいは今日のように賢人の智慧を借りに往く。その場合、往き易ければ往き、往き辛ければ途中で引き返す。ただそれだけの貪心(たんしん)なる愚人に過ぎん。今日は当初、往き辛かったが、おまえたちに扶けられて功を奏した。運が良かったのだ」
 「ご謙遜ですね。先生のお師匠さまも言われたでしょ。先生は運がいいのでなく、運が勁いと。それも悪運が強いとね。悪運も運のうちですよ。もっと自信をもってください」と、妙な激励をした。
 「そうです。わたしたち、先生の悪運の強さだけが頼りなんですからね」と、奈々子まで追随して来た。
 「では、用心深く駒を進めよう。道が穢
(けが)れていれば、避けて進む。栄身利達ばかりが人間の幸福と思い込む、現代のような人倫が乱れた世の中では、生(せい)は敬戒(けいかい)に在(あ)りて、富(とみ)に在らざるなりというからな」と、故事の一節を思い出して口にした。この説明が、はたしてよかったか悪かったか……。

 生
(せい)は敬戒(けいかい)に在(あ)りて、富(とみ)に在らざるなり……。それが私の脳裡から離れない。粘着質で付き纏う。
 有徳の士を訪ねる途中の道行きの会話である。
 「先生は次から次に、多くの箴言
(しんげん)が飛び出しますね。どこから出るのか不思議です」
 「おれのように甚振
(いたぶ)られて、生きて来た人間は、どうしても用心深くなる。慎重になる。生き方を古人の故事に需(もと)めて、それを生き方の信条にする以外ない。自然と身に付いた話術の護身術だ」
 「いま敬戒という言葉が出てきましたねェ、どういうことです?」と、興味津々に真知子が訊いた。

 「敬戒か……。それは警戒と置き換えてもいいだろう。用心深いという意味だ。用心深いという語から真意を探ると、敬は、うやまうという意味の他に、慎むとか戒めるという意味を持つんだ。動乱の世の中、人生を全うするには用心は肝要だ。そういう意味で、ただ富に頼ってもならない。富も大事だが、それ以上に大事なのは敬戒だ。何事も用心して懸かることだ。家を没落させずに子孫を後々の世まで残すためには、用心することこそ静に通じるという貽訓
(いくん)がある。そして信念とか信条とかの芯(しん)になるものを得るには、まず自らが信ずるに値するか、否かを点検しなけれなならん」
 「それは言葉を変えれば、信とは徳の別名ですか」
 「ああ、そうだよ。信ずるに値する人間が、途中で心変わりを起こしたり、裏切らないから、それ自体が徳といっていいだろう」
 「だから徳のある人は多くの人に慕われるのですね。慕われることが則
(すなわ)ち、人徳でしょうか。
 本当に人徳のある人は、決して自分を高尚に見せない。自負心も小さい。決して俗っぽくない。
 俗っぽい人は、ただ他人の真似だけをして、自分の見積りを誤っている。そもそも動機が無私でない。
 心底に慾が絡んでいて、損得勘定で物事を考えている。物事を最後まで遣り遂げる完遂精神が欠けている。多くの脆
(もろ)さを抱えている。そう言う人が幾千万集まろうと、たった一人の無私の前には敗れ去る。
 わたしは、そう検
(み)ていますが、どうでしょうか」と、慎重な訊き方をする真知子。

 「そこまで感得するものがあるのなら、おれは俗人だが、なんとかおまえたちのような人間に、あらん限りの力を発揮してやりたいと思ってしまうよ。おれは単純だから、ついほだされて、ひと肌でも、ふた肌でも脱ぎたくなってしまう」
 私はこのように吐露したが、時代は着々と新しい時期へ突入していた。新しいものが芽生えようとしているのである。
 もう、私のような旧弊に蝕
(むしば)まれた虫喰いの古本は、既にお払い箱かもしれない。新しい頭脳をこれから先は投入しなければならない時代になっていた。当今はそういう時期に差し掛かっているといえた。
 人間は進退をよくして、己の身が護れると言うではないか。退くときは退かねばならない。去るときは去らねばならない。いつまでも居座ってはならないのである。
 「わたしたちも、それに応えたいと思っています。困難に尻込みするようなヤワではありません」と、抗う意思をみせた。
 彼女たちの神妙を目
(ま)の当たりにした意(おも)いだった。
 新旧が交代する……。いまはその節目かもしれない。私が松本精華女学院高校を去るのは意外にも早いかもしれない。
 私は運命の不思議な導きによって、何処かに運ばれていた。
 一方、私の未来は危難にみちている。それをひしひしと感じるだけに、人の運命は、他人ではどうすることもできないのである。しかし願わくば、出来るだけ有利な種を播
(ま)いておきたいと思うのが、心に張りをつくることであった。これは私の精神的健康法であった。

 私の今の心境には多少の雲が浮んでいる。すっきりとした秋の空のような天高い霽
(は)れとはいえない。まだ何かが翳(かげ)っていた。その翳りを取り除けば、確かに快晴だろうが、そこまで晴れてはいない。前途に危難が覆(おお)い被さっているからである。
 山村芳繧斎先生から遣い物の『老杖
(ろうじょう)』を授かり、それを届ける相手は斯波商信(しば‐あきのぶ)なる人物だった。この人物は北九州市若松区に在住していた。いまから、この人物の邸宅を訪ねるところだった。
 聞くところによると、有徳の士と言う。しかし名前が風変わりである。
 商信の“信”は、信用や信頼を顕す「信」であろうが、「商」のこの字を、「あき」と呼ぶのは耳慣れない言葉であった。実に風変わりな名である。
 なにゆえ商を「あき」と呼ぶのだろうか。
 名は体を表すとという。人の名前が、その人の実体を表しているという。それは名と実体がうまく重なり合っているということと同義である。
 いまから訪ねる御仁の名は商信という。この名に、何か大きな意味があるように想われた。

 さっそく、私の脳裡の記憶は、歴史の故事の抽き出しを検索しはじめた。そして確たるものに、はたと行き当たった。おそらく「商」は、五行説に由来しているのではないかと推測したのである。
 五行説によれば「商」の方角は西を指し、季節は秋であるからだ。西を指して“秋”と読む。則ち「あき」なのだ。この意味からすれば、商信を“あきのぶ”と読んでも不思議ではなかった。むしろ、なにゆえ商信という漢字を用いているのかと、読み方に私の興味は傾いた。
 直ぐに名付け親を想起したのである。名付け親は如何なる人物なのだろうか。
 この名前を持つ人物は有徳の士と言う。商いを知る人のように憶われた。
 かつて江戸期に有徳の士といえば、商家の豪商を指した。
 更に連想されることは、江戸中期頃に始まったと言われる「刀剣番付」である。刀剣の番付は、江戸でも上方でも商家の豪商によって始まったと言う。
 日本では、刀剣は武士以外に豪商によって愛好されていたことである。武士が日本刀を求めるのは、魂の拠り所として、また白兵戦において敵を斬るための実用刀としての刀剣であったが、豪商が日本刀を愛好したのは、刀剣に工芸品としての価値観を見出したからである。日本独特の工芸の世界に魅了されたためである。
 刀剣の蒐集家は人である。物ではない。人間である。そして名刀ともなれば、それなりの人物である。
 大物は刀剣愛好家が少なくない。そこに大人物の引き立ても生まれよう。人間の繋がりは、人との邂逅
(かいこう)から始まる。

 私の連想は、更に飛ぶ。それは江戸も上方も、考えれば交通の要所である。商人は必ず此処に目を付け、交通を利用して交易を図ろうとする。それは街道を繋ぐ陸路だけでない。川を利用しての水路もある。また港もこれに当たり、海路を利用した交通もあった。おそらく商人にとって、時代は太平の世になっても刀剣は無用の長物ではなかったであろう。おそらく、これに何らかの接点がある筈である。
 刀剣と商い……。
 何か、不思議に結びつくものがある。決して無関係ではない。
 かつて交易は物々交換によって始まった。互いに物品を交換したのである。その交換品に刀剣が含まれていても不思議ではない。日本各地には刀剣の名工が多くいた。
 これまで私が観てきた豪商と言われた現代の企業家も、刀剣愛好家が少なくなかった。名刀の蒐集家は関東にも関西にもいた。更に有徳の士の連想が、名刀蒐集家に直ぐに結びついてしまうのである。それは兵法とも無縁ではあるまい。
 『孫子の兵法』によれば、城取りはまさに兵法の要であり、これが交通の要所を指しているのである。
 交通の要所にある城を奪うということは、孫子の兵法に由来し、孫子を基調としている。その発想で城取りが展開される。則ち、点と線を結んでいけば、立派な攻略法である。

 攻略を行う場合、補給路が長過ぎれば、その経路は脆弱
(ぜいじゃく)になる。長いと、欠点が多くなる。だが、孫子の兵站部までの発想は無かった。現地調達である。それはその地域の人民から物資を強奪することであった。この強奪思想では、やがて人心を失う。民意に背(そむ)かれる。
 恐ろしいのは、人の口には戸が立てられないことである。口伝いに広がる伝染は恐ろしい。猛威を揮えば一国すら崩壊する。これが掠奪の恐ろしさだ。奪えば恨みを買う。派遣軍が敵地で怨念をもたれるのはこのためだ。
 敵地に進出しても、その地域の人民のものは奪わず、自前で済ますことこそ、人心を失わずに済む凌
(しの)ぎ方である。
 かの毛沢東ですら、このような軍律を赤軍に課せた。『三大規則』と『注意八項』である。
 プロパガンダの戦略である。ゲリラ戦を展開するうえでは、これが欠かせないと検
(み)たのである。流石(さすが)に毛沢東は智慧者だった。
 毛沢東の『三大規則』は次の通りである。

一切の行動は指揮に従う。
大衆から針一本、糸一筋もとらない。
鹵獲品はすべて公のものとする。

 次に『注意八項』は次の通りだが、至って常識的なことを注意している。

八項 毛沢東の『注意八項』 日本の軍隊官僚主義
話は穏やかに。 夜郎自大。威張り腐ってサムライの気風無し。
買い物の支払いは公正に。 華僑に対しての不渡り手形如きの軍票の乱発。
物を借りたら返す。 商船など、一度徴用したら返さない。
物を壊したら弁償する。 物だけでなく、人命まで損傷させた。
人を殴ったり、怒鳴ったりしない。 陸軍省軍務課員の佐藤賢了の「黙れ!」が有名。
農作物を荒らさない。 スイカやメロン等の果物栽培の禁止。
婦人をからかわない。 男尊女卑。慰安婦等、その延長で女性を物質視。
捕虜を苛めない。 辻正信の「バターン死の行進」が雄弁に物語る。

 毛沢東の『三大規則』や『注意八項』には総て常識的なことが述べられている。しかし、この程度のことが実は軍隊では守られないのである。殺気立っている兵士らにとって、『三大規則』と『注意八項』を守ることが非常に難しかった。
 しかし、それを敢えてやったことは、弱者を哭
(な)かせず、同胞を失望させないということであった。
 毛沢東に対する人物評価については、ともかくとして、彼は如何に「人民に愛される軍隊」を創るのに苦労したことが、以上によってよく分るというものである。夜郎自大では人民は蹤
(つ)いてこないからだ。

 そこで兵站思想を持ち込む。補給路を確保する思想である。つまり攻めとるということは、点と線を結ぶだけでなく、面を確保するということである。面を確保して、それを続け延ばして、累
(かさ)ねていき、浸潤力(しんじゅん‐りょく)を持たせるということである。この兵站思想は紀元前の『孫子の兵法』には無かった。これが適って近代的軍隊と言えた。
 この発想は商人的である。
 商人は視点展開に点と線を結んでいき、この戦略法を採用しながら、補給路を築く策を用いて、商いを順調に伸ばしていった。そして城、則ち支店と支店を結ぶ線に、多くの小城を築いたのである。
 この発想は腕に覚えのある武張った武士には出来なかったであろう。武士も、まずは商人として諸国を巡らねばならないのである。武者修行はそのためにあった。各地を行商して歩けば、その土地の気候や風土、文化や伝統までもが把握できるのである。その把握により、商いが展開でき、民意を尊重して小城を気付くことが出来たのである。名君とは、質素節倹の励行し、行政の刷新し、産業の奨励に努め、また荒地開墾に尽力する上杉鷹山
(うえすぎ‐ようざん)のような藩主をいうのである。
 士魂商才も、これに由来している。

 支店網の展開である。これは商業戦略と、どこか酷似していまいか。更に突き詰めると、自他ともに益する方法となる。自他ともに益する学といえば『帝王学』だが、自他ともに益することができる御仁
(ごじん)は有徳の士をおいて他にない。
 斯波商信なる人物は、おそらく北九州若松区在住であるのだから、おそらく義侠の人であろう。そして直ぐに連想されるのが、『麦と兵隊』の著者の火野葦平
(ひの‐あしへい)である。そして火野葦平と言えば、読売新聞に連載された長編小説『花と龍』である。『花と龍』の舞台になったのは若松港である。この港が見える高台に斯波商信氏は、いまはひっそりと住んでいると言う。高台といえば、この地域では高塔山付近を指す。
 私は一時期、母が健康を取り戻して北九州八幡に戻ったとき、そのときの遠足で、高塔山公園や菖蒲谷池をバスハイクに行ったことがあった。その時の記憶が幽
(かす)かに浮んだのであった。斯波氏の住所は、山村先生先生から教えられたメモによれば、若松区修多羅××となっていた。
 有徳の士、そして義侠の人……の呼称から連想されることは「川筋者」であった。
 川筋者とは筑豊炭田から石炭船で石炭を運んだ人たちを指す。大物と言う。もしかすると沖仲仕から身を起こした玉井金五郎のような男気の人かもしれない。侠客である。

刀剣類の番付は江戸中期の豪商から生まれた。日本刀は日本独自の工芸品として、有徳の士等に愛好された。
 日本人は古来より、刀剣によって国を切り拓いた国だからである。
 三種の神器には八咫鏡
(やたのかがみ)・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)・八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)の三つがあり、特に天叢雲剣は日本神話の中に出て来ており、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時、その尾から出たという剣をいう。これを天照大神(あまてらすおおみかみ)に奉(たてま)ったのである。これは後に、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と称して熱田神宮に祀られた。
 刀剣は、日本の精神文化と切っても切れない関係にある。

(写真は『青江』の薙刀。尚道館刀剣部提供)

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 こうして読んでいくと、なにゆえ遣い物として、『老杖』の異名をとる名刀の一振りを授けたのか、だんだん筋が読めて来た。老練である。山村芳繧斎先生の策、見事という他無かった。私は人のおもしろさが分かりかけて来たのである。
 確かに爺さまは、兵法に長けた戦略家だが、それにも況
(ま)して、利と義を折り合わせたところに常人の発想を超えていた。この世の力関係を知り抜いているのである。
 山村先生は当時、相対的な一対一の闘技から抜け出し、一人で大勢を相手にする軍略の領域に達していた。
 軍を相手にするという兵法に頭の構造が切り変わっていた。端的に言えば「多敵之位」である。一対一の闘技ではない。
 多敵之位は無差別であり、ルールもスポーツマンシップも無い。何でも有りの袋叩きの総力戦で、勝つことだけに脳漿
(のうしょう)を搾り出す。戦略家の奇策というものである。

 私はこのとき憶った。
 遂
(つい)に天は、私を哀れんでくれたか……。そう憶うと、つい涕(なみだ)がこぼそうになった。夏空の向こうが涕で揺れた。感動は鳴り止まなかった。しかし、この貌を二人の生徒に視られてはならない。ふだんと変わりのない貌を繕(つくろ)うのに苦労した。
 「今日の手順を教えて下さい」と真知子。
 「それは、おれの頭の中にある」
 私は潰乱
(かいらん)となる恐ろしい場面を想起していた。
 「それでは困ります。わたしたちは友軍です。御指示を」と、懇願するように真知子が訊いた。
 「そうです。それがなければ、どう掩護射撃していいものやら……」と、拗
(す)ねたようにいう奈々子。
 「それも、そうだな」と、顎
(あご)を撫(な)でて答えた。


 ─────私には、気になることがあった。家に残してきた愛玩具の犬と猫である。それが何とも気になるのであった。畜生と雖
(いえど)も、生きている以上飢えさせては気の毒である。それが心に懸かっていた。
 修学旅行途上の3年E組の現在の状況である。何処にいるのか、何処を移動しているかだった。何とかして連絡をとりたい。真知子は小型無線機を携帯しているが、なにしろこれを使用できる電源がない。
 さて、どうするか……。
 若松に向う途中、実家に寄ることにした。
 そもそも、母の見舞いで北九州に舞い戻ったのである。それが後回しになっている。
 個人的なことは、優先順として後回しにするのが、私の行動率の手順である。私心は先に置きたくない。
 しかし母の容体も気になるし、いま家がどうなっているのかも気掛かりである。なにしろ、わが家には犬と猫がいるからである。これらを飼っているのである。
 犬は雑種だが柴犬であり、猫は目の青いシャム猫だった。私は狩猟犬としての柴犬の壮観さと、シャム猫のライオンのような姿が好きで、雑種の猫を貰って飼っていた。ふだんは母が世話をしていたが、問題は、いま誰が餌を遣っているかである。
 母は大怪我をして入院中であり、もし餌を遣っているとすれば、隣の老夫婦である。犬と猫は隣に引っ越しているのだろうか。
 あるいは犬は鎖に繋がれたまま、猫は家に閉じ込めたまま餓死しているのではあるまいか……などと、いらぬ穿鑿
(せんさく)までしはじめていた。
 ひと先ずは、家に戻ってみるか……。
 はたして犬と猫は餓死していなかった。これらの無事を確認して、おそらく母の怪我も大したことはあるまいと踏んだ。命に関わることは無い。大丈夫だろう。
 一応、犬と猫の安否と、母が何処の病院に搬送されたか知っておく必要があった。はたして犬と猫はちゃっかりと隣の老夫婦の世話になっていた。母の入院先は八幡製鉄病院であることが分かった。隣で電話を借り、病院に連絡をとったが、峠は越えたということであった。これで一安心である。

 もともと身内への愛を「仁」と称したのは孔子である。仁とは隣人愛や友情にあたるものである。身近かな人への思い遣りである。
 危惧
(きぐ)することがあれば、それは自家に対してのもので、それ以上の広がりをもたない。そのため、徳望までには発展しない。他人(ひと)に慕われるところまでには及ばない。自分の周囲に限られる。
 しかし身近な思い遣り以上に及ぶ範囲を広げれば、それが徳望となる。他人に慕われることになる。
 根底には他人を渾身
(こんしん)の力で扶(たす)けたり、救ったりする救恤(きゅうじゅつ)行為がそれにあたる。その場合、行為者は深謝の念を抱かれることになる。

 さて、真知子と奈々子。
 二人は身辺は軽装だが、未
(いま)だに旅装を解(と)いていなかった。私の同行する覚悟が明確であった。何処までも付き随(したが)うという意思が顕われれていた。
 だが引率者としての私は、こういうのが一番困るのである。へたをすれば、新たな厄介事を抱える恐れがあったからだ。父兄や同僚からの批判が起こり、あらぬ誤解も受ける。それを憶うと、呻
(うめ)きにもにたものが喉まで込み上げて来た。十字架に磔(はりつけ)にされたような錯覚を受けたのである。これから一波瀾(ひと‐はらん)も、二波瀾(ふた‐はらん)も覚悟せねばなるまい。脳裡の恐ろしい光景が通過した。

 「此処までくれば、一安心だ。あとは、おれ一人で遣れる。おまえたちは、これから三年E組と合流して定刻通り、日向から船に乗れ。もう、大丈夫だ。安心しろ。本隊に戻れ」
 「わたしたちの任務はまだ終わっていません。新海先生から、岩崎先生と最後まで同行して、竜神丸に乗船するように、きつく命令を受けています。いま戻れば全権の命令を放棄したことになります。お願いです、先生もわたしたちと一緒に船に乗りましょう」と、真知子の眼差しに幽
(かす)かな満足の色が顕われた。
 「ああ、おれも乗るとも。しかし、おれは遣らねばならない仕事が残っている。『老杖』を届ける役を仰せつかっている。おれたちのこれからの明暗を分ける遣い物を手渡すまでは、まだ戻れないんだ。おまえたちは先に往ってくれ」
 「駄目です、先生を置いて往けません」
 「なぜだ?」
 「先生には徳望がありますから……」
 「おれに、徳望だと?……」と、この発言を笑い飛ばした。
 「先生はお母さんが大怪我をしたと言うのに、これに騒ぎ立てたりするどころか、わたしたちの未来を親身に考えて、いま行動なさっています。そういう、わたしたちのために、必死の働きをする先生を置き去りにすることは出来ません。誰に恃
(たの)まれたわけでもないのに、火中の栗同然のE組に手を掛け、奇蹟を起こし、大半を改心させました。手の付けられない本校の掃き溜めを大掃除されたました。そういうことが懇(ねんご)ろにできる人こそ、徳望の顕われだと思います。わたしはそういう人と、いま一緒にいて、お手伝いすることこそ、誇りに思い、また働き甲斐があると思っているのです」と、今更ながらに再認識したふうなことを言った。その発言が何とも毅然としていた。
 「困ったものだ。おれをこれ以上困らせるな」
 「困らせているのは、先生の方です」と、奈々子が詰
(なじ)るようにいった。
 これ以上、問答しても埒
(らち)があくます。さて、どうしたものか。
 私が懸念するのは、これから出向く先は、相手は有徳の士と言うが、一筋縄ではいかない人物である。また道中の途中にどれだけの危難が降り懸るかもしれない。彼女たちをこれ以上危険には晒
(さら)したくない。
 今だったら、安全に彼女ら二人で日豊本線を特急で下れば、日向まで一気に辿り着ける。なにも私と同行する必要はないのである。しかし、それを奨
(すす)めても聞き入れまい。
 いい生徒たちである。彼女らの心には熱いものが流れていた。
 世間の目は松本精華女学院高校の生徒を三流・四流と蔑
(さげす)んでいた。だが、その蔑みは適切でない。
 また三年E組は学校の掃き溜めの見下されていた。博多中の不良少女を集めた掃き溜めクラスと卑
(いや)しめられていた。
 その卑しめられていたクラスは、いまありのままの姿を顕した。これが彼女たちの真の姿であった。
 私は秋の応倫社主催の『全国高等学校学力コンクール』まで、ひと肌もふた肌も脱ごう。私がこの夏に奮闘する理由である。


 ─────山村先生のところからバスを乗り継いで、漸
(ようや)く、わが家に辿り着いた。
 農村の旧家を想わせる古い造りの家である。死んだ父が遺した唯一の財産だった。私が家を開けて、一ヵ月ほどになるだろうか。
 屋内は相変わらずガランとしていた。中は広いが、部屋の周りを飾る調度品などが殆どない。置いてないというより、売り払って無いのである。それがまた、部屋を広く見せていた。殺風景な部屋だった。しかし掃除だけは行き届いていた。何もかも綺麗に片付いていた。清々しくもあった。あたかも、いつ死んでもいいように身辺整理をしたようにである。武門の家は、おそらくこのようなものだろう。

 家は古いだけに不便でもあった。風呂は毀
(こわ)れて入れず、近くの銭湯まで入りにいく。便所は水洗ではなく汲み取りであり、併設の畑に肥を埋める。何から何まで不便だった。しかし、柱や梁(はり)が太く、家屋は頑丈でもある。旧家の家屋構造だった。
 こうして還って来たのには、もう一つの理由があった。行商を遣るために商品を取りに帰ったのである。商品は勿論、刀剣類である。
 押し入れの中は金庫になっている。押し入れの戸を開ければ、いきなり大型金庫の扉が顕われる。貰い物だが観音開きの金庫をもっていた。古い金庫だが充分に機能していた。この中に溜め込んだ刀剣類や小道具類を納めている。これらをこのまま、中で腐らせるわけにはいかない。これを持って行商することにした。
 牛革の刀剣バックに何振りかを詰め込んだ。担ぐと、その重みが肩にずっしりきた。かなり重い。おまけに遣い物の『老杖』まで授かっている。この際、抱き合わせということだった。それが行商をすることに繋がったのである。手ぶらの、御用聞きだけの行商は辛い。やはり現物が欲しい。それがないと話が始まらない。

 「先生。電源借りますよ」
 真知子は現状把握と新たな情報をひきだしたいのであろう。
 「うむ?……」
 二人は、どこまでも私と一緒に行動することを諦めるどころか、敢えて覚悟の上で動いているのである。
 ほんの少しの間に、彼女たちは目配りと、他人への配慮と、人間的な広がりと深みを増したといえよう。
 こうした生徒を預かる私としては、自らの喜怒哀楽を秘匿
(ひとく)しないと、視界が曇るのである。無私のまま押し通したいのである。
 「E組本隊と連絡をとるのですよ。交信して現状を知るのです」と、心胆の据わりの良さを披露するような言い方だった。
 真知子は無線機を作動させるらしい。E組の現在位置とこれから先の状況を知るためである。
 小型無線機が電源がコンセントに差し込まれた。
 「CQ、CQ。こちらJA6×××。聴こえたら応答して下さい。CQ、CQ。こちらJA6×××……」
 アマチュア無線電話級の免許取得者の真知子は、プラグをコンセントに差し込んで電源を得るなり通信をはじめた。周波数は、あらかじめ打ち合わせていた8MHz以下または21MHz以上の範囲内を逐
(お)っているらしい。周波数ダイヤルを微妙に調整しつつ、電話通信を始めたのである。
 「こちら、JA6×××。聴こえています。どうぞ」
 直ぐに応答があった。
 「あッ!真帆さんですか。真知子です。現在の状況を報せて下さい」
 「みんなはいま門司のホテルで休憩を取っています。もう直、わたしたち三名は深海先生の指示で、あなたたちの応援に駆けつけます。わたしと涼子ちゃんと初音ちゃんです」
 「えッ?!……」と、真知子は驚いた。
 あたらに三名が、これから加わるからである。
 そもそも人は、陰と陽で成り立っている。人の運命は陰陽に支配されている。それゆえ身内のことは出来るだけ第三者には気付かれないように隠しておいた方がいいのである。それを一番に優先しない方がいい。後回しでいいのである。秘密とは、そういう秘匿
(ひとく)を言う。
 喜び過ぎると陽気を破り、哀しみ過ぎると陰気を破る。結局、喜怒哀楽を露
(あらわ)にすると、己を損なうのである。怒ることは怒気を強めて肝を傷(いた)め、楽しみだけを追求し過ぎれば弛みが起こって脾を傷める。
 私は、ただの青二才だが、これまでの苦労人の修行が、それを分かる歳にさせていたといえる。この歳で、人生を熟歳
(じゅくさい)したといえば大袈裟だが、それが分かり始めたのである。

 「だから、応援に駆けつけます。いま岩崎先生と一緒なのでしょ。場所を教えて下さい」
 相手側の無線機に出た真帆の元気な聲
(こえ)が聞こえた。
 
《応援だと?……なんという羽目になったのだ》と、私が憶った。応援は無用なのだが、全権は新海教授にある。命令は遵わねばならない。
 二人から五人に殖
(ふ)える。新たな『伍』が編制されてしまう。これが善いことか、悪いことか。
 真知子は無線機の先の相手と、細々と連絡と取り合っていたが、やがて諒解したのが、交信が切れた。
 「先生。もう直、三名が応援に来るそうです。八幡区内の近くに居るそうです。いま八幡駅です。これからタクシーで、先生のお宅の大蔵三丁目まで来るそうです」
 「なに?……。真帆の無線機は、電源はどうしているのだ?」
 「真帆さんの無線機は小型のバッテリーが付いているから、近くだったら交通機関に乗っていても交信が可能です。わたしのより、ずっと性能がいいんです」
 そういうことか……。真帆の裕福な家を憶った。なるほど、博多の資産家の娘は持ち物が高級であった。
 「先生、要約します。こちらに来るのは、船酔いをしない三人組です。新海先生の命令では、のちほど隊伍する三名とともに臨時の混成『伍』の編制をして、先生を扶
(たす)けよということです」
 「なに?、扶けよだと……」
 驚きの余りに訊き返していた。問題はその中に、お子さまの涼子が混じっていることだった。

 私は
《ポン海のやつ、人選を誤ったか。無駄なことをする。小娘どもを危険に晒しては危ないではないのか。誰が責任をとるのだ》と憶った。
 これは権限の濫用
(らんよう)である。しかし、これには何らかの理由があるのだろう。あとから来る真帆、涼子、初音といえばクラスの中でも精鋭である。これを新たに組み入れて、臨時の『伍』を編制せよというのである。何か予感してのことであろう。無下に退(しりぞ)けることは出来ない。
 それに竜神丸の日向港の出航時間は午後六時半である。はたして間に合うか……。
 私としては、その計算が立たない。今から若松に向うのである。行くだけで、かなり時間を啖
(く)う。もしかすると、竜神丸の出航時間に間に合うかも疑わしい。もし、間に合わない場合、どうするのか。船は、私たちが到着するまで俟っていてくれるのか。おそらく、俟つことはあるまい。では、どうするのか。
 他の船に乗る計算まで立てているのかもしれない。新海教授のことだから、二重、三重の策を考えているの違いない。以降は、どうするか。無線機の交信で状況判断するしかない。
 今日は何も日向港から出航する竜神丸だけが出るのではない。タイムラグで、下関からも、尾道からも警護隊の船が出る。おそらく、何れかの埠頭
(ふとう)から乗船することもあり得る。その手筈も、ついているのかもしれない。
 しかし、こうした手筈を無線機の会話で長々と話すわけにはいくまい。そこで、あたらに三名を送り込む。そういうことだろう。派遣の意味はこれであり、もしかすると地図や図面を持参して、細かい指示があるのかもしれない。図面とは、出航の詳細時間や埠頭の位置や詳細地図などであろう。入り組んだ構造になっているのかもしれない。そうなると、当然説明が出来る解説者がいる。
 
《なるほど……そういうことか》と、私は得心した。


 ─────行運流水。これは空を行く雲と流れる水を意味する。則
(すなわ)ち、一点の執着なく、物に応じ事に従って行動することをこういう。そして去る人もいれば、来る人もいる。去る人には流れを変えられないが、来る人は流れを変える些かの確率がある。
 「吉川真帆、ただいま着任いたしました」
 「同じく、小石涼子」
 「同じく、西村初音」
 三人とも制服の上に小型のリュックサックを背負ったまま、硬いながらにも行儀よく頭を下げた。三人は事の重大さを新海教授から懇々と訓戒されたに違いない。貌に懸命さと真摯さが漂っていた。
 だが懸念もあった。送り込まれた三人の中に涼子が混じったいたからである。はたして志願兵か。
 彼女が出てきたことに、私は一瞬迷った。なぜなら幼いからだ。あたかも高校生の中に、中学一年生が混じっているような感じだった。それだけに体躯が華奢
(きゃしゃ)に見え、痛々しく映る。

 「これより吉川真帆は、このたびの臨時の混成『伍』の伍長を仰せつかりました。竜神丸乗船まで、岩崎先生と任を伴にするよう全権から下令されています。わたしたちを信じて下さい」
 臨時に編制された混成『伍』は、真帆は第二班の『尾』の伍長だし、初音は第一班の『尾』であり、涼子は同班の『頭』であった。
 問題は涼子であった。はたして過酷な重圧に耐えられるのか。“遠足ごっこ”ではないのである。正体が定かでない闇との戦いなのである。
 「なんで混成『伍』に涼子がいるのだ?」
 私は真帆に訊いた。
 「選ばれたからです。それに、本人も不満の申し立てがありません」
 「選ばれた?誰にだ」
 「新海先生が、彼女を選んだのです。太鼓判つきで……」と、胸を張るようにいった。
 「なに!ポン海がだと?……」と、一瞬怒気とともに顎
(あご)を撫(な)でてしまった。これにどういう意味があるのだろう。人選間違いではないのか。
 「こいつはロリッ子だろうが」
 「ちょっと、だれがロリッ子だって!」と、怒り心頭に来た貌が幼く、まさに“中一生”のようだった。
 「これは失言だったか……」と、惚
(とぼ)けてみせた。
 「失言です、取り消せ!」と、小さな口を一杯に開けて吼
(ほ)えた。
 「まあまあ、そうめくじら立てずに……。目が三角になると、貌までおむすびのようになるぞ」
 「なるか!」と、貌を赫
(あか)くして憤嘆(ふんたん)した。
 「困ったものだ。……だいたい真帆はどう思う?」
 「涼子ちゃんですか、賢明です。頭もいいし、いい子ですよ。ときには、ですが……」
 「ときにはだと?……」
 「先生はだいたい有能さを活用する目をもっていればいいのです」と、確信したように言う真帆。
 「では、A組から編入して来た真知子は、涼子をどうおもう?……」
 「涼子ちゃんは人相が福相です。いい貌をしています」と、正鵠
(せいこく)を射たような言い方をした。
 「それだけか」
 「それだけで充分では……」と、美辞麗句で尾鰭
(おひれ)をつけるようなことや、持ち上げるようなことは言わなかった。確かに涼子の人相は福相である。驚くべき観察力である。私も、この童顔には福があると検(み)ていた。
 「どうして、福相と思うのだ?」
 「うちの父は博多人形師です。人形師の腕の見せ所は、いかに人形の貌を福があるように、また『黒田節』の槍を持った侍の貌も凛々しく、いかに毅然として見せるかにあります。博多人形は凶相では売れません。福相の人形を求めるのです。それは運がいいからです。わたしはこれを子供のときから視ていて、父の背中を見ながら育ちました」
 「うん、なるほど……」
 確かに、そうであった。
 人は生きる目的として、地位、財産、名誉などを求める。それを得ようと努力する。しかし、同時にそれらのものがいかに虚しいか知っている。そこから虚無感が生まれる。では、人間は何を信じて生きていくのか。
 それは人間である。自分を信ずると同時に、他人も信じようとする。
 人間が人間を信じる……。これ以外に方法はあるまい。そうなると、人を観る明が必要になってくる。人相を観るということをする。そこに観るものは、観た人間の人相の福相か凶相かである。
 最初は誰も手ぶらで生まれて来る。手には何も持ってはいない。地位や財産、名誉や肩書きすらない。
 何も持っていない一介の書生であっても、福相を持っている人がいる。福相と判断したら積極的に近付き、地位や財産、名誉や肩書きを持っていても凶相と判断したら、敬遠する。凶相の人間と付き合っていては、凶運に巻込まれるからだ。そのことを真知子は知っているらしい。彼女は涼子を福相と視ている。

 「では、初音はどう検
(み)る?」
 「涼子ちゃんはクラス中の人気者です」
 初音は童顔の涼子がみんなに愛されていることを強調したかったのであろう。福相であるからだ。
 ところが、私は揶揄して遊んでみた。
 「ポケットモンキーのお猿さんのようにか」と、些か狎昵
(こうじつ)すぎる言を吐露した。
 すると涼子が猛反撥した。
 「ちがわい!」と、物を投げ返すような烈しさで言い返した。小娘は激怒したのである。
 「涼子。おまえは自分で、自分をどう思う?」
 今度は端整を崩さず訊いてみた。
 「大丈夫です。任せて下さい。任務はきっちり遣ります。決して失望させません。自信があります」と、だんだん貌を近付けてきた。至近距離であった。拙
(まず)い距離である。
 「おい!貌は、ひと三人分をあけろと言っておろうが。もっと離れろ、間違われるだろうが。ロリコン趣味のように思われるだろうが。まずかろう」
 「そこまでいうか。失望した」
 どうも小娘はロリッ子といわれるのが不満らしい。
 「おまえ、失望させませんと、いま言っただろうが」
 「愚言です!」
 「なにがだ?」
 「的外れ。それも大はずれ」と、慍怒
(うんど)して反論した。
 「いいか、ロリッ子。この『伍』は危ない。すれすれのことを遣る。おまえは他のみんなと安全圏に居ろ」
 「だれがロリッ子だい!」と、彼女の大きな目には恚
(いか)りが灯っていた。
 「失言は取り消すから、みんなのところに戻れ」と、宥
(なだ)めてみた。
 「いまさら戻れるか!」
 お子さまは怒っていた。
 「いいか、お子さま。この『伍』は実戦を遣る尖兵の集団だ。本当の戦闘をする。それだけに危険に直面することも多い」
 「それで?……」
 「おまえ、この『伍』は仲好しクラブじゃないんだ」
 「そもそも『伍』は、五人揃って機能する最小単位じゃないですか。先生が仰ったことです。もし一人でも欠けたら、機能しない。ただの烏合の衆……。わかってますか」と、逆に鋭く涼子がねじ込むように迫って来た。
 「あのなあ……」
 「先生こそ、頭で理解して、肚でわかっていないんじゃないですか」
 宥めたり賺
(すか)したりしたが駄目だった。お子さまは歯牙にも掛けなかった。
 「ああ、わかっているよ」
 確かに五人が最小単位の集団を形成する。組織で行動するためには『伍』を編制しなければならない。
 「10の危険も五人で等分すれば、ひとり当たり2になります。危険も分配すれば軽くなるのです。また一人ひとりが伍長となって、他の四人をカバーする意識をもてば、それは大きな働きとなります」
 これを辻褄合わせの屁理屈と、一蹴することは出来ない。言に理が通っていた。

 「信じてもいいが、おまえが言うと、なにか違って聴こえる」と、皮肉めいたことを揶揄した。
 「意味深長なお言葉……」
 「ぐさッと来たか?」と、心境を訊いてみた。
 「そんなヤワではありません。言葉ではぜんぜん堪
(こた)えません」と、タフなところを披露した。
 「好
(よ)し、それなら信じよう」
 「でも、安っぽい信用では困ります。わたしたち、先生に下駄を預けますから、先生もわたに下駄を預けれ下さい。こうなったら運命共同体でしょ」と、気圧
(けお)されることなく言葉を繋いだ。
 「おまえ、なかなかの商売上手だなあ。いい商人
(あきんど)になれる」
 涼子は駆引き上手だ。交換条件を出すのも巧
(うま)い。戦略家の素質がある。
 「商人は信がなければ立ち行きません」
 「なるほど、いいことを言う。それなら預けよう。下駄でも何でもな。ただし条件がある」
 「なんでしょう?」
 「おれの好奇心を吐露してもいいか」
 「好奇心ですか。お聴きましょう」
 「おれは、敵が狼か狐かは知らないが、その尻尾を掴んでみたい」
 「兇
(わる)い冗談といえば、先生はどうします?」と、鎌を掛けた。
 ここまで言い切れるのは、彼女が成長したという証拠だろう。ひとつ、こいつに賭けてみるか。何しろ人相は福相と言う真知子の折り紙付きだからだ。

 「おれを験
(ため)す気か……」と、まず一喝(いっかつ)するようにいい、次に小娘に策を授けた。
 「敏捷
(びんしょう)な動きをする相手を捕(と)らえるには、いちいち頭で考えていても駄目だ。狼も狐も動きが速い。そこで、静止する体勢をとらせず、つねに動かせ、相手をその動きの中に引き摺(ず)り込む。
 ただし自身の動きで、視界が揺れていては、こちらが殺
(や)られる。己の動きの中に、静を失わぬようにすれば、それが避けられる。相手より速く動き、早く抑える。“ねむり”の抑え方だ。それが分かったんだ。
 勝たなくてもいいが、負けない境地が分かった。膂力
(りょしょく)を殺(そ)ぎ、諦めさせればいい……。これだと容易に尻尾が掴めよう」
 それはまた、命運を賭する人間が採るべき選択肢であった。
 「それを聴いて安心しました」と、満面の笑みをたたえていた。
 こういう少女の笑顔も棄
(す)てたものではない。信頼されたという誇りが表面に出ていた。それが彼女自身の意志の強さを顕し、なぜか身体を強靭(きょうじん)かつ敏捷に感じさせるのであった。

 「先生。涼子ちゃんは弛
(ゆる)んでいません。躰は締まって敏捷(びんしょう)です。脳味噌もガチョウやアヒルの肝臓が肥大して、ふやけてもいません。頭の中身も肉体も精悍(せいかん)で、知能指数も高く、臨機応変で応用力もあります。日々戦場を心掛けています。簡単には殺(や)られません」と、真帆がシビアな目で、涼子を観察したままを吐露するのだった。
 私は、この言を胸の深いところで確
(しか)と受け止めた。
 「では、涼子は勢子
(せこ)をやれ」
 あるいは彼女だったら、うまく追い込むかもしれないと思ったのである。
 「獲物を罠に追い込むのですね」と、機転の利いたことを言った。
 「分かっていればいい」
 「選択肢は、これ以外ありませんからね……」
 「しかしだ。火中の栗を拾うおれのの苦労も考えてみろよ」と、
《少しはこちらの苦労も察しろ》という言い方をした。
 「おっしゃいましたわね」と、きつい貌をした。
 「気に入らねば遵
(したが)わなくていい。厭(いや)なら去ればいい。遵わないという自由もある」
 さあ、これにどう反応するか。
 「わたしは望まれた以上、期待は裏切りませんわ。挫折とは、期待を裏切った時機の起こりますからね。それが失望を買うのです」
 「おれがは救いようのない阿呆だ。しくじることも多いぞ」
 「これも、何かの縁です」と、淳朴
(じゅんぼく)の色があった。
 「よかろう、その覚悟があるのなら……」
 意外と小娘は心胆が据わっていた。心気に強さがあった。
 「では……」
 涼子に笑貌が顕われた。
 「おれは世の中の均衡を狂わそうとしている闇の世界の輩
(やから)と闘っている。勝たねばならない。
 喩え、勝たなくとも負けない境地は維持したい。これが危険であることは百も承知だ。それでも、戦わねばならない。そういう危険を承知で蹤
(つ)いてくるというか」と、私は楽観を引き締めるように言った。
 「勿論です」
 涼子の返答は毅然としていた。
 「ただし、自分の命は自分で護る。自己責任だぞ」
 「承知しておりますわ。そういう手合いに尻込みするほど、わたし、ヤワではありませんから」
 「しかたない……」
 渋々同意するしかなかった。だが、恢々
(かいかい)たる気を備えた者は好運も引き寄せるが、また苦難も引き寄せるのである。私は危ないと思うのは、これであり、はたして涼子はこれが分かっているのだろうか。

 「おれを奸黠
(かんかつ)と思うか」と、涼子に次の質問をぶつけてみた。
 「奸黠って、狡賢
(ずる‐がしこ)いという意味ですか。そうですねェ、先生は悪党というより山師的なところがあって、でも、それは狡猾(こうかつ)ではないですね。むしろ、潔廉(けつれん)のように映るります。
 こうして修学旅行に出たのも、先生の自前主義から始まったことです。それは山師的な迫力が招いたと思料します。ときには侠気や、心底にはこまやかな情も蔵していますが、問題は粗野な面です」
 「それでは、お人好しの野蛮人ではないか」
 「でも、そこからは決して悪の匂いがしません」と、一見畏憚
(いたん)を表すような顔色をみせた。
 「よく検
(み)ている。いい観察眼だ」
 「でも、褒
(ほ)め言葉ではありませんよ」と、釘まで差しおった。
 私に箍
(たが)を嵌めたつもりだろうか。それは実に涼子らしかった。
 「そう思われていることを、確
(しか)と胆に銘じよう」
 斯
(か)くして、涼子も混成『伍』に加わってしまった。割り込んだと言うべきか。

 そもそも、何でこういう危険な真似をしなければならないのか。総ては私に原因があった。もしかすると、運命の悪戯で、来たくもない松本精華女学院高校に赴任したことから始まる。それに、よりによって学校の掃き溜めと揶揄された三年E組の担任を遣らされたことに由来する。
 最初、白粉
(おしろい)を塗りたくった南瓜畑のどうしようもないクラスだった。博多中の不良少女を集めたようなクラスだった。それが南瓜畑に魔法に懸かった。異変という奇蹟が起こった。南瓜畑の南瓜どもは本来の姿に戻ったのである。

 人は変わるものである……。
 この変化をまざまざと思い知らされ、それを再確認した。諄々
(じゅんじゅん)と説き、切っ掛けさえ与えれば、人は変わるものである。そして、諭す思いは伝わるものである。憐憫(れんび)の想いは浸透するものである。病んだ人間も、恢復を目指して奮闘する。闘病に撃ち込む。
 一方「やまい」には「疾
(しつ)」と「病(びょう)」の字が充(あ)てられるが、「疾」は軽症だが、「病」は重症である。したがって、「病む」といえば重篤を顕し、死に懸かっている状態を指す。憶えば、三年E組は手の付けられない重篤クラスだった。手遅れの観があった。
 「病んでいても、諦めて人生を滅ぼすよりましではないか」
 私の奮闘は、ここから始まった。しかし、これを誹
(そし)る同僚もいた。

 「あんなクズども、放っておけばいいのに……」
 腫れ物に当らず触らずであった。学校全体が嵐の去るのを俟っていた。しかし、それでは病は酷くなる。手遅れになる。私の内心は慚愧
(ざんき)に満ちていた。自分では勇気が有るのか無いのかは知らないが、奮闘する以外なかったのである。倫理においても、日常生活においても奮闘せねばならない勇気は要るものである。
 一口に「奮闘」と言うが、並大抵のことではない。今も、その延長上にあった。
 勇気は戦場における奮闘ぶりに、ときとしてはそれに優
(まさ)る青天の霹靂(へきれき)と言うべき変化にも耐え得るべきものでなければならない。狼狽えるようなヤワでは、実戦に遣いものにならない。
 不断は勇ましいことを言う者でも“いざ”鎌倉となると尻込みしたり、途中で信念を枉げて尻尾を巻く負け犬がいるが、急変に動顛
(どうてん)するのは、不断から心の鍛錬をしていないからである。心胆を練り上げていないからである。毅然とした奮闘ぶりこそ、真の勇気と言えよう。
 ただし、この奮闘には大変な情熱が要る。そして、こうして彼女らと行動を伴にしているのである。
 私は運命の全貌を垣間みたわけではないが、これじたい私自身に変化を齎す千載一遇を暗示する転機であったかもしれない。

 だが難儀は、もう一つあった。
 「これを遣い物にせよ」
 山村芳繧斎先生は、そう仰った。それは「手ぶらで行くな」というのと同義である。
 相手が大人物ともなると、手土産無しに手ぶらでは往けない。それ相当の手土産がいる。それが、この人物の場合、『老杖』だったのである。天下の名刀と称された『備前國長船住長義』である。有徳の士は刀剣蒐集家であった。その辺を山村先生は読んでいた。
 遣い物を持っていくと、それに応えてくれるのが有徳の士の礼儀である。目上の引き立てである。
 事業をするには、単独では無理である。一人の力は高が知れている。


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