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なるほどと思う心窓譚 1

なるほどと思う心窓譚



行き着いた先に「何か」がある。
 そう想像出来るのが、また人間の感性である……。
 物事は常に、行き着く先の先端に「何か」があるように思えるのである。最後の最後に「何か」が控えているのである。そのためには、諦めずに極め尽くさねばならない。この「極め」こそ、徹底した解決策を紡ぎ出すものであろう。それを見極めるべきだ。


●なるほどと思う1

 譲歩する。こうした心構えを持ちたいものである。
 人に一歩譲ることで、却
(かえ)って相手の全部を支配することがある。しかし、僅かに一歩を譲らなかったばかりに、却って相手から自分の総てを支配されることがある。



●なるほどと思う2

 他人
(ひと)から「あなたは虚栄心の塊(かたまり)ですね」と問われたことがあったとしよう。普通こういうことを言われたら、おそらく怒る人が大半であろう。しかし、その怒りは、たいていは虚栄心の表現でしかないのだ。



●なるほどと思う3

 鉢植えの植物に水を遣り過ぎて、根を腐らせてしまう人がいる。こう言う人は植物のことをよく知らない人であろう。しかし、そういう人でも、水を与えることをまるっきり忘れている人よりもましだろう。無知であっても、愛情が存在するからだ。
 だが、水を与えない人は、愛情の欠片
(かけら)すら見出せないのである。



●なるほどと思う4

 世の中には、自称“まじめ”という人が多い。真に、まじめという人は、絶えず自分が自分と対決していることである。しかし、他人と渡り合って中傷しつつも、まじめと自称するのは、必ずしもその人がまじめであるという証拠にはならない。あくまで自称に過ぎない。
 何故なら、その人は時として、ふまじめな人として周囲に知られ、それを隠すために、まじめを偽装しているに過ぎないからだ。



●なるほどと思う5

 昨今は守秘義務などの言葉が盛んに使われている。秘密厳守という意味だ。併せて漏洩させてはならないという責任を果たすことである。
 しかし一方で、「秘密」というこの言葉の響きには、一種独特に魔性が潜むように思う。
 秘密に対して、多くの人は秘密を知りたくて落ち着かないし、それを知ったら知ったで、誰かに漏らそうとして落ち着かない。そして、更に不可解なことは、漏らしたら漏らしたで落ち着かないのである。魔性と言われる所以
(ゆえん)である。

人の境遇は様々である。生まれのいい人もいれば、そうでない人もおり、富んだ家に生まれる人もいれば、貧者の家に生まれる人もいる。また、恵まれた環境にいる人もいれば、恵まれない環境の人もいる。ゆえに、どうして自分だけが、総ての面で恵まれているということを、当てに出来ようか。



●なるほどと思う6

 己を知り、敵を知る。そして、殆
(あや)うからずと続く『孫子の兵法』のくだり。随分と使い古された遣われる言葉であが、相手を信じるためにも、相手に打ち勝つためにも、何(いず)れにしろ、必要なのは相手の長所を理解しなければならないことだ。それは決して短所ではない。



●なるほどと思う7

 体験から出た言葉は教訓になり得る。実践が滲
(にじ)み出ているからである。それがどんなに平凡であってもである。いざというとき、何よりも有力な効力を発揮する。それは名論卓説(めいろん‐たくえつ)が出尽くした後でも、確(しっか)りと輝いている。それは決して前ではなく、後である。
 これは、あたかも香
(こう)の物に似ている。ご馳走をたらふく食った後でも、香の物は、香の物としての味わいがあり、その味はご馳走の前でなく、後である。



●なるほどと思う8

 為政者になって権力を握ったとしても、それを握ったという意識がない人は、何の権力を持たないでも、それを持たないという意識に囚
(とらわ)われず、淡々としている。決して夜郎自大(やろう‐じだい)にならないものだ。そう言う人こそ、安心して政治を任せられる人である。



●なるほどと思う9

 世にうだつが上がらないという人がいる。何を遣ってもダメ。鈍臭い。出世しない。万年平社員。身分がぱっとしない。金持ちでない。その種の成功しない人のことを言う。
 このことを羞
(は)じることは、必ずしも卑(いや)しむべきことではあるまい。卑しむべきは、だたそれだけしか羞じることを知らないことである。



●なるほどと思う10

 仕方がない……と簡単に諦めてしまう人がいる。何彼
(なに‐か)につけても、已(や)むを得ず……とする人がいる。だが、この仕方がないという人ほど、仕方のない人はいない。

人の心の働きは様々である。道理に適っている場合もあれば、いない場合もある。人は様々で、多種多様の考え方を持っている。
 したがって、総ての人が一様に、同一の考えからを共有出来るだろうか。自他の見解は、それぞれに違うということだ。
 しかし、石垣を見るがいい。
 石垣の岩石は、それぞれがバラバラであり、それなのに石垣職人は適材適所に石を配置し、実に見事なバランスで石垣を組み上げ、長い歳月にも絶え得る堅固な土台を構築するではないか。



●なるほどと思う11

 鋭敏な知性は、ややともすれば庶民を微生物視することがある。軽く検
(み)て見下してしまう。知性にはそういう危険性を孕(はら)んでいる。また社会を冷眼視してしまう。そのことが却(かえ)って、反社会的な行いにならしめることがある。



●なるほどと思う12

 愛情は人から求めるものでなく、人に注ぐものである。これこそ真物
(ほんもの)の愛情である。
 一方、愛情にも贋作
(がんさく)がある。直ぐに剥(は)げるメッキのような愛情である。時間とともに色褪(あ)せる愛情である。愛情にも真贋があるのだ。
 人生の幸福は愛されるよりも、愛する中
(うち)にある。



●なるほどと思う13

 美食家
(グルメ)の才を誇って、食べ物を欲しない人は、未だかつて見たことがない。だか、頭脳の才を誇って学ぶことを欲しない人はしばしば見掛ける。



●なるほどと思う14

 幸福の種蒔きは注意を要する。ちょっとした不注意で、不幸の芽が発芽することがあるからだ。また不幸の種蒔きも、それを蒔くときにちょっとした工夫で、幸福の芽が発芽することがある。



●なるほどと思う15

 挑発されたり、揶揄
(からか)われたりして怒り易い人は、怒るべきときに怒ることを知らない人である。

静寂の中に心を据えれば、賢人の書物を読んでも、なるほどという感心する文章が見つかる筈だ。ところが、騒音の中に身を置いていれば、清浄無垢な感性は伝わって来ない。



●なるほどと思う16

 人から忠告されることは、謙虚に聞き届ければ有難い戒めとなる。しかし、忠告にも例外がある。
 それは他人に、忠告することを趣味にしているような人から忠告される場合である。忠告が耳障りであるばかりでなく、決して戒めとはならないからだ。



●なるほどと思う17

 尊大ぶったり、偉そうな顔をしたり、毒舌や暴言を吐く人ほど、決して偉くはない。



●なるほどと思う18

 肉体と言うものは、遊ばせずに絶えず鍛えておくものである。それは自分の心が住み良いように改造していくためである。自力移動や稼動が出来なくなった肉体ほど、心は住み難いものはないからだ。



●なるほどと思う19

 困った人に施しをすることはいいことだが、施しをしてやった人に、「この恩知らずが」と罵
(ののし)るのは如何なものか。それは見返りを需(もと)めていると言えないか。そして、その施しは、もはや施しでなく、商人の取引になっているからである。



●なるほどと思う20

 人間社会に法律があるのは、人間が法に觝触するような本来的な性質があるからだ。これを克明にしているのは、法律の唯
(ただ)の一条についても、悪徳でない条文がないからである。条文の文言が殖える度に、これまで知られなかった人間の悪徳が、次々に発見され、書き加えられているのである。

一旦贅沢な暮らしに馴染めば、どんなに資産を貯め込んだとしても心の満足は果たせないだろう。況(ま)して、魂の満足までには及ばないだろう。
 これではとうてい、慎ましいながらも、ゆとりある生活をしている人には及ばないものである。



●なるほどと思う21

 飽食の時代、腹八分に留めることは賢明である。そして、その功徳は大きい。しかし、それは飢えている人の前で説く功徳ではない。



●なるほどと思う21

 可もなく不可もなく、何もしないい人には過失という過失がない。それだけで善良な市民と言えよう。しかし何もしないことほど、これ以上、大きな過失が人生にあろうとは思えない。
 斯
(か)くして、何もしない善人な市民の正体が浮き彫りになる。



●なるほどと思う22

 自分が他人
(ひと)から「見栄張りでない」と思われたがる人は、それ自体が、既に虚栄から起こる見栄である。



●なるほどと思う23

 垢
(あか)抜けしている人は、自己に囚われないで、然(しか)も鮮やかに洗練されたところがある。それは自分を能(よ)く生かしているからだ。換言すると、その人の個性が生きているからである。それはまた、独自の自由を獲得した人であからだ。



●なるほどと思う24

 失敗は一度だけで充分である。充分に後悔すれば、もうそれ以降、失敗することはあるまい。この意味で、後悔も充分に人間を進歩させる原動力になっている。



●なるほどと思う25

 自分が行なった小さな施しも、大仰
(おおぎょう)でなければ気が済まない人は、他人から大きな施しを受けても、事も無げ受ける人である。
 一方、自分の大きな施しも、事も無げに遣って退
(の)ける人は、他人の小さな施しも感謝して合掌する人である。

因果応報とは、仏道で言う「過去における善悪の業(ごう)」に応じて、現在における幸不幸の果報を生じることを指すのだ。現在の業に応じて、また未来の果報を生ずることを指す。
 しかし、この道筋を辿って行くと、この因果応報は、過去から未来に流れる時間を言うのではなく、未来から過去へと言う時間の逆転において、「現在がある」と考えれば、また此処には「そうなるべき自分」が、過去に存在したと言うことを指している。
 時間が逆転すれば、因果応報は「逆因果律」ということになる。
 世の中に、作用と反作用が働く所以である。



●なるほどと思う26

 自分が良心的であると信ずることはいいことだ。
 しかし、良心を信ずる前に、自分の良心が健全であるか、それ自体を疑ってみる必要がある。これこそ、本当に良心的であるからだ。



●なるほどと思う27

 「汝自らを知れ」
 かのソクラテスの言葉である。この語が、アポロンの神殿に掲げられたことで、多くの人からよく知っている。
 自分を知るとは、自分自身でないと知ることは出来ない。そのくせ、最も自分を知らないのも、また自分である。では、この矛盾は如何に解決すべきか。
 それは唯一つ。礼節を知って、謙虚になることである。



●なるほどと思う28

 人をどう教育するかの前に、人をどう遇するかを考えねばならない。一方的に詰め込むのでなく、まず受け入れる器
(うつわ)を用意しておかねばならない。



●なるほどと思う29

 極端に遜
(へりくだ)ったり、丁寧(ていねい)過ぎると、時として悪罵(あくば)以上に不愉快になる。



●なるほどと思う30

 霊感商法に懸かるなどいうのは、確乎たる無神論者はそういうものに耳を傾けたり、乗せられたりはしないものだ。しかし耳を傾け、乗せられてしまうというのは、中途半端な無神論者であるからだ。
 つまり、口では神仏をまったく認めないくせに、先祖の墓参りはするし、盆や彼岸、それに命日には灯明や線香をあげ、キリスト教徒でもないのにクリスマスイブを祝い、大晦日には除夜の鐘を聴いて仏教徒に成り済まし、一夜明けて元旦ともなると神社に初詣に出掛けていく。こうした中途半端な無神論者が、この虚を衝かれて霊感商法の餌食になる。
 では、中途半端な無神論者の中途半端な中途半端な所以は何か。
 この種の言う無神論者は、「自分は無神論者だ」と言い切る背景には、その論をよく聞いて見ると、たいてい宗教への無関心に端を発していることが多いようだ。だが、「宗教への無関心」と「無神論者」とは根本的に違う。宗教への無関心は、それ自体が無知か、思想上の怠慢から起こっているのである。
 真の無神論者とは、神との永続的な対決を通じて、格闘した末、完全に「神を否定した人」なのである。こうした人に、霊感商法のセールスマンは近付けまい。


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