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続々 壺中天・瓢箪仙人 1




 「時代」と言う人間の作り出す現象には、その当時の動向や成り行きに異様な気配を孕(はら)み、時として騒がしく、生々しく暴力的である禁忌漂う雰囲気で溢れることがある。その原動力は、凄まじいエネルギーによって衝き動かされ、負傷も疲労も忘れるほどである。何かに取り憑かれたように人間が動き、権力者の手駒となり、命じられるままに奔走する。そして行き着くところは、死兵と化した阿鼻叫喚(あび‐きょうかん)の地獄である。
 一つの感情。一つの目的。それは自然発生的なものでない。何らかの流脈を持ち、人工的に導かれて行く。

 時代における歴史。
 それにはまさに、特定の目的、意図を持った隠微な集団によって形成され足跡がある。それは自然体とは程遠い。
 物事の向かう時代の趨勢
(すうせい)には、修羅場の側面があり、礼を欠いた原始の部分を有し、恐怖の感情を抱かせることがある。礼無くして、無闇に保護主義的民族運動に奔れば、いたずらに残虐を重ねるだけとなる。
 だが一方で、規範や作法をとやかくいうと、『書経』
(説命中)には「礼煩わしければ則ち乱る」とある。中庸・中道のバランスの難しさを物語っている。



第七章 冥い夜明け



●色彩変色論

 哈爾濱発・新京行きの急行『はと號』の車内である。よく晴れた朝であった。列車は京浜線の曠野(こうや)を走行中であった。
 この当時、運行は継続されていたが、陶頼昭
(とうらいしょう)駅に差し掛かるあたりから、徐行と停車が度々繰り返され、列車は定刻通り走行していなかった。時刻表はあって無いが如しだった。この日も大幅に遅れていたのである。
 陶頼昭駅近辺は蒋介石の国民党軍と毛沢東の紅軍が対峙
(たいじ)しているために、度々両軍が衝突し、小競り合いが起こっていた。哈爾濱(ハルビン)・新京(しんきょう)間でのこ地域は、満鉄では小競り合いのための危険地帯に指定されていたのである。

 しかし鉄道警備のために駐屯していた関東軍は、これに介入しない。日本の満州支配の中枢を担う日本陸軍の駐屯部隊は、この頃になると不戦をモットーとしていた。兵力の温存のためである。
 それは日本の生命線たる満洲の地に、不穏を招くことになりためである。日露戦争以来、安定期に入ると駐屯部隊は騒動が起こることを好まない体質になっていた。出し惜しみをして、兵力を極力温存した。
 そのうえ日本軍は南方方面と中支方面で戦線が手一杯になっていた。そこに小競り合いの鎮圧に当たるとすると、軍事力を割くこととなり、その余裕はなかった。
 また、小競り合い鎮圧のために関東軍が動くとなると、関東軍の責任問題に発展することが大であった。それを懸念したのである。動かず、介入もしなかった。

 鎮圧のためだけに、関東軍は出動はしないのである。そのうえ泥沼の対支戦線を切り上げる余裕も、勇気もなかった。ただ現状維持だけに胡座
(あぐら)をかいていた。関東軍は依然として精神主義に固執し、時々刻々の時の変化に鈍感だった。
 組織と言うものは一度
(ひとたび)安定期に入ると、冒険して躍進するより、現状を維持して温存ばかりを考えるものである。攻めより、守りに固執するものである。得たものは失うまいとする意識が働くからだ。
 その結果、国民党軍と紅軍の小競り合いは、“勝手に遣らせておけ”の主義を通した。だが、これが大局的に見れば、大きな綻
(ほころ)びを作ることになる。この綻びに、関東軍は気付いていなかった。
 読者諸氏は、この「綻び」の意味が分かるだろうか。

 それには、中国の歴史を読み解かなければならない。
 中国には古来より、儒教に代表されるような清規
(せいき)と、陋規(ろうき)という、例えば賄賂(わいろ)には賄賂の取り方があるし、喧嘩には喧嘩の仕方があり、それにはある一定のルールがあった。このルールが陋規であった。清規一点張りでは事は収まらず、巧く運ばないものである。巧く運ばせるには、清規と陋規の両方のバランスが肝心であった。そして中国では、古来より陋規が崩壊すると革命が起こったのである。

 明代末の学者にして政治家で、読書録『酔古堂剣掃
(すいこどうけんすい)』を著した陸紹(りく‐しょうこう)の書に次の一節がある。
 「事を議する者、身、事の外に在
(あ)らば、宜(よろ)しく利害の情を悉(つ)くすべし。事に任ずる者、事の中に在らば、当(まさ)に利害の慮(おもんばかり)を忘れるべし」
 つまり、全く事件と関係なく外部にいて、例えば調停役などを恃まれた場合、関係者の利害関係を克明に調べた上で朝廷に乗り出せということだ。だが事件の渦
(うず)の中にあって自分の利害打算は一切忘れろという意味だ。表向きの道徳と裏の世界に罷(まか)り通る「陋」の世界とは異なると言う意味である。これが陋規である。暗黒面(dark side)である。裏街道の仁義とでも言おうか。

 蒋介石の国民党軍と毛沢東の紅軍との小競り合い。これは裏街道で行われていた事件である。この事件に満州の支配中枢にいた関東軍は調停役に乗り出さず、見て見ぬ振りをしていた。陋規が崩壊するのを無視したのである。斯
(か)くして「綻び」が生じたのである。
 陋規が崩れると、中国では必ず革命が起こる。
 暗黒面や裏街道の道徳が失われると、もうこれは社会の危険信号なのである。この危険信号のシグナルに関東軍は気付かなかった。

 この時期、両軍の小競り合いが列車の運行を妨げる元兇となっていた。これは裏を返せば、陋規の崩壊が原因していて、無視出来ない事であったが、背景には人心の荒廃があり、併せて満洲を支配した日本人への恨みが表面化しつつある現象であった。それが列車の進行妨害になっていた。
 また時には、鉄道への空襲を警戒して度々停車した。
 昭和19年になると、満鉄では時刻通りに列車を運行させることが出来なくなっていた。物的面ばかりを重視して、人民の人心に巣食った元兇を取り除こうとしなかったからだ。遣り方が暴力的で、物質面ばかりに固執したことが、やがて満洲を失うことになる。多くの人命を投じて、日露戦争で勝利した権益は、僅か13年で崩壊し、総てが無に帰することになる。


 ─────列車は一進一退で走行していた。一行が乗り込んだ車内には、朝日が差し込んでいた。極東からの朝日である。
 今日一日の希望の光が差し込む筈の旭日
(きょくじつ)なのだが、何故か威力に欠けているように映った。陽射しに迫力がない。没落を思わせる翳(かげ)りがあった。なぜか弱々しい。大局的には負けが込んでいるからであろうか。
 津村陽平は最後尾の特等車に乗っていた。その車輛の展望ラウンジで、背後から照らし付ける旭日を拝んでいた。この漢、稲の信奉者であった。
 『古事記』や『日本書紀』には、天孫降臨について述べられている。高皇産霊尊
(たかみむすび‐の‐みこと)や天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこ‐ひこほの‐ににぎみ‐の‐みこと)などの神々は、みな「稲」と深い関係がある。
 そして稲は太陽の恵みを必要とする。産霊
(むすび)は、稲が実を結ぶことを指し、瓊瓊杵(にぎにぎ)は、にぎにぎしく稲穂の出ている様を指す。これも偏に、太陽あっての物種だった。
 斯
(か)くして、太陽に恭しく頭(こうべ)を垂れて、敬うのである。

 満洲の太陽……。
 極東から差し込んで来る太陽である。だがその太陽は何故か色褪
(いろ‐あ)せて映る。そして冥(くら)い。
 これまでとは違った太陽であった。雲が輝き、風が渡って行く。空は何処までも青く、青の中に燦々
(さんさん)と輝く旭日ではない。かつての威力は薄れていた。
 津村は雲が散り出すのを目にした。雲が散った後、後に青々とした大空が残された。雲が風に乗って切れ切れに走っている。だが冥く、重く、澱
(よど)んでいた。そのように感じた。
 何故だろうと思う。
 意識下に衰えが映し出されていた。満洲の風景に杲々
(こうこう)たる勢いが喪(うしな)われ、日本人の頭上には終末の翳(かげ)りが顕われていた。その翳りも、自然の摂理の栄枯盛衰の中に存在していた。栄えるものは何れ亡ぶと言う摂理である。
 いま満洲の地では、大きな変革期を迎えようとしていた。朝に咲いた満洲華は既に咲いて、夕の凋落
(ちょうらく)に戦(おのの)く華であった。黒風濁流が大陸に渦巻いていた。それはあたかも、《群雄いまなお、その大地のところ得ず》と言う感じである。願わくば、満洲の地、利天産に恃(たの)む勿(なか)れ……、国と言うのは何処までも、その安定を保つのは人である。満洲は不思議な国であった。満洲国と名乗りながら、満洲国民は一人もいないのである。みな日本人ばかりで、日本人がこの国を牛耳っていた。
 ところが、その威力も凋落して衰え、かつて日の出の勢いを失い、既に没しようとしていたのである。容色は色褪せた。それは太陽までも……。

 津村陽平は一介の“絵描き”である。だが、この漢の絵は売れない。この漢に今、満洲の太陽を描かせたら黒い太陽を描くかも知れない。黒い太陽の絵など、売れる訳がないのである。
 斯くして、絵を売ろうとしない。
 売れない絵描きなのか、売らない絵描きなのかは、この漢の個性であろうが、個性の中に清貧が存在している以上、数多く絵を描き、やたら乱売するタイプの、根っからの商売人でもないようである。ゆえに絵は売れない。また励んで売ろうともしない。
 では何ゆえ、絵描きを自称するのか。
 それは、絵が好きだからだ。好きものである。美的なものを愛するが故の性癖のようなものであったかも知れない。そして特技と言えば、世の流れを、世の中の移り行く態
(さま)を、何故か図形的に見てしまう才を有していたようである。天下の奇人・変人の類(たぐい)だろう。
 現象界は時々刻々と変化する。一時も止まることはない。時は人間の価値観とともに、また色も流行とともに変色し、色を奇妙に濁らせて行く。そして、重く澱
(よど)ませる。色が褪(あ)せる現象である。

 津村は、「時代には色がある」と言う。その時代特有の色があると言う。これが時代とともに時々刻々と変化する『色彩変色論』である。この漢は、この論をもって、世が変色して行く時代の変化を敏感に感じ取っていた。
 満洲は色褪せた……。
 この国には末期症状が襲っている。この急速な衰えは何故だろう?……。津村はそう洞察した。
 日本人が思い込んでいた赤い夕陽の満洲は、確かに色褪せていた。それは、日本人の太陽観である旭日
(きょくじつ)すら曇らせ、色褪せていた。朝日に輝く日本は、過去のものになりつつあったのである。

 時代には色がある……。津村陽平の論である。
 この漢、特有の色彩感と、時代を読み取る感性である。
 彼の感性によれば、満洲国は朝に咲いて、夕べには凋落
(ちょうらく)に戦(おのの)く色褪せた華だと言う。黒雲濁流が大陸に渦巻き始めたからである。
 この満洲国も、随分と色褪せたなァ。
 勢いを失って行くさまは、日毎
(ひごと)に生命力が削(けず)られているようだ。そして色まで力を失い、細くなっている……。津村陽平の「変色観」である。
 時代の色を、そのように映していた。
 だが色褪せただけでなく、どんよりとして暗く、重い色と感じていた。赤い夕陽の満洲も、その太陽は何故かくすんで見える。眼には黒ずんで冴
(さ)えない色のように映る。なぜか、鮮やかさに欠けている。それだけに冥(くら)いといえば冥い。
 この国には翳
(かげ)りが顕われていた。終焉(しゅうえん)への翳りである。建国以来、僅か十三年である。十三年目に翳りが顕われた。
 この冥さは、これまでとは違う暗さがあった。湿気を帯びた重い暗さだった。やがて北風とともに、北から獰猛な禍
(わざわい)が流れ込んで来るであろう。それは、不吉な暗さの色を暗示していた。

 「先生。お目醒めですか、おはよう御座います」
 展望車から朝日を魅入っている津村陽平に、アン・スミス・サトウ少佐が聲
(こえ)を掛けた。アンは津村を「先生」と読んで憚(はばか)らない。だが津村はこの呼称が好きでない。好きでないが頼られている以上、仕方ないと思う。
 彼女は変装のために扮した大日本航空のエア・ガールの青い制服を着ていた。此処に居る五人のうち、アニー・セミョーノヴァの一人を除いて、他の女性はみな同じ制服を着ていた。ライトブルーが鮮やかである。

 「少佐殿は露人相手に、派手な大立ち回りを仕出かしたそうですなァ」些か呆
(あき)れ気味に言う。
 G・P・U
(ゲー・ペー・ウー)のパヴロフ・カウフマンを向こうに廻して、恐ろしいポーカーゲームを演じたことである。“高がポーカー”では済まされない恐ろしいゲームをした。遊びでなかった。そのうえカウフマンを破綻同然に追い込んだ。
 「それは一体、どなたで御座いましょう?」一応恍
(とぼ)けてみせる。アンはしたたかだった。
 西欧人特有のグリーンの、やや緑がかった淡いブルーの眼が微笑んでいた。
 「時には言い成りで手籠
(て‐ご)めにされるのではなく、敵対者に対して抗(あらが)い、心胆を寒からしめることも大事でしょう。結構、結構、大いに結構……」
 「それは褒
(ほ)め言葉でしょうか?」
 「勿論」
 「?…………」
 「甘く検
(み)られると、何処までも付け上がる、邪神界(がいこく)というところは。西洋は日本人が見落としている、想像に絶する傲慢(ごうまん)なところがありますからなァ」莫迦(ばか)を承知で鎌を掛けてみた。
 「あのッ……、わたくしも、根は一応西洋人なんですけど」と遠慮気味に言う。
 「しかし、日本に帰化している」
 「でも、根っこまで否定出来ませんわ」
 「帰化した以上、同胞であり、邪神界に属しているのではない。立派な神国の住人です」
 「……………」彼女の心境は複雑であるらしい。果たして自分は、なに人だろうかと思う。
 露国と英国……。
 ただの東欧と西欧の違いだろうか。そして根本的に違うものは何だろうか。

 一応露国も東欧であり、主体は白人主導の社会であった。
 津村の脳裡には、父・十朗左衛門以来の外国を“邪神界”と検
(み)る、外国に対しての警戒心があった。軽く見られて侮られてはならない。ライオンに餌を差し出す呑気なウサギであってはならないのだ。
 ライオンの餌を差し出したとしよう。この猛獣は差し出した餌だけを食べるのではない。ウサギごと、丸ごと喰らう獰猛な習性がある。その習性を理解し、知っていなければならぬ。白人社会への警戒である。白人社会は白人社会のシステムで動かされているからだ。満洲の地も西洋が虎視眈々
(こし‐たんたん)として狙っていたからである。

 日露戦争が何故起こったか……。
 東洋蔑視から起こったのである。
 特に極東の島国・日本は軽く見られていた。白人社会に弱いと検られた。白人コンプレックスである。その誤解を招かないためにも、毅然とするべきところは毅然とする。その態度を怠ると、侮られる。人間は同等であり、同格ならば、この点は遠慮すべきでない。
 「油断したり遠慮すると、力ずくで手籠
めですからなァ」
 アンは津村の言を聞いて「まあッ!……」と小さく驚き、彼女の引っ掛かった言葉は、津村の“手籠め”という表現だった。彼女は、女が無理やり犯される強姦でも連想したのだろうか。あるいは、ポーカーで負けていれば本当にそうなっていたかも知れない。
 負けていれば……という生地獄に、アンが墜
(お)ちた時のことを、津村は想像した。それは同時に、彼女をモデルに絵を描いた時のイメージでもあった。

 形のいい骨組から窺える美しい顔。優美な骨格な所為
(せい)か、ブルーの眼が実際より大きく見える。
 鼻と額は姉妹揃って生き写しと思えるほど酷似し、アンはキャサリンに似ていたし、キャサリンもアンによく似ていた。
 しかし、眼のブルーは異なっていた。緑と淡いブルーに違いがあった。誰が見ても震い付きたくなるような麗人。それがアンであった。上背もありブロンドの髪をなびかせて、時には彼女独特の優雅な、豹のような、しなやかな歩き方をする。彼女はそのように映る女性であった。そして斬新なところは、並外れた性格をしていた。些か気性が荒い。
 彼女は銃後に居て、おとなしくしているタイプでない。第一線に出て、敵対者と闘おうとする。勇敢で男勝りである。現に、この時代には珍しい、赤城連邦黒桧山方面の上空で、それも夜間に、高度2500mから夕鶴隊を降下させている。自由落下高度は300mである。そこまでは降下陣型
(フォーメーション)を作って、互いの衝突を避けながら降下した。奇抜なことをする。
 その麗人が、もし強気一点張りのポーカーで負けていれば……と思うと、その結末がどうなっていたか、想像に難くない。そこに出現する、生地獄に墜ちた彼女の惨劇は想像に余りある。哀れ・無慙の一言であろう。
 それは呑気に餌を差し出すウサギと、涎
(ゆだれ)を垂らすライオンの構図ではなかったのか。津村の画家としての感想である。

 津村が外国を検
(み)る場合、その根底には“邪神界”という意識があった。ライオンを甘く検る呑気なウサギであってはならないとの戒めがある。欧米をこのように洞察していた。特に米国はである。
 この国は民族の坩堝
(ゆつぼ)であるが、基本的には欧州に属している。また白人主導の国家である。西欧東欧を問わずにである。当然、白人系の西洋人を邪神界視してしまう。その見方は外交における警戒心である。
 邪神界視の切っ掛けは、東インド艦隊率いるペリー
(Matthew Calbraith Perry)のが浦賀に来航した“砲艦外交”に始まり、次に第26代大統領のセオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt)の“棍棒外交”の中興を経由して大東亜戦争では、セオドア・ルーズヴェルトの五従弟(12親等)に当たる第32代大統領のフランクリン・ルーズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt)の“四つの自由外交”だった。
 つまり、この“四つの自由”が、第二次大戦における連合国の戦争目的とされたことだ。

 ちなみに“四つの自由”とは、言論の自由、宗教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由である。
 そしてその背景には、世界の檜舞台で「穏やかに話し、大きな棒を運ぶ」であった。それは、普段は大口を叩かず、必要な時に棍棒を振うという意味である。
 “棍棒を振う”とは、力のみを信じている世界観である。
 かの有名な諺「Speak softly and carry a big stick」
(静かに話して、大きな棍棒を持つ)は、これを如実に顕している。棍棒外交である。そしてセオドア・ルーズヴェルトはニューヨーク州オイスターベイのマティンコック・ロッジで、フリーメーソンに加入している。1901年のことだった。
 これを日本人は見落としていた。特に外交を専門とする日本外務省はである。
 日本から見えない「日本がある」と言うことを見落としていたのである。所詮、井の中の蛙である。これが当時の日本外務省の外交音痴と言われる所以である。

 棍棒外交……。
 では、この外交はどう言う目的をもって行われるか。自分達の利益のために他国に干渉し、自由に作り替えてしまう。傲慢
(ごうまん)横柄な“力は正義なり”主義である。力によって、干渉した敵対国を屈服させる。
 フランクリン・ルーズヴェルトも、この外交を支持した。
 米国は世界に先駆けて、力を示さねばならぬと考えていた。欧州大戦に米国も参戦したかったのである。何としても独逸の躍進を止めたかった。
 それに、セオドア・ルーズヴェルト以来、日露戦争後の日本も気に入らなかった。日本は米国にとって、出る杭
(くい)であった。米国の大統領はイエローモンキーは、叩いておかねばならないと考えていた。そのために日本を『ハル・ノート』で嗾(けしか)けて挑発し、戦争に持ち込んだ。その結果、日本は日米開戦を決意させねばならぬと考えた。そこを一気に叩いてしまう。米国の誘いの戦略だった。この罠に、日本はまんまと掛かったのである。
 そして戦後七十有余年を経た現在、再び米国の棍棒外交が始まったような時代に突入した。
 歴史は繰り返すと言うが、実際には歴史は繰り返さない。人間の思考がいつの時代にも関わらず、同じであるからだ。この同じことを人間が再び考え付くことが、つまり歴史が繰り返したように映るだけである。


 ─────満鉄京浜線を走る列車は遅々として進まない。進んだかと思えば、また直ぐに停車してしまう。
 「一進一退ですなァ」
 列車が少し行っては直ぐに停まってしまう。これを津村はこう表現した。だが、この漢に苛立はない。
 「何か前方に、障害物でもあるのかしら?」アンが訊いた。
 「冥
(くら)いですからなァ……」矮男(こおとこ)オヤジは嘆きのようなことを吐露した。
 「こんなに朝の太陽が燦々
(さんさん)としているのに?」と彼女が訊き返す。
 「相ですよ、相……」
 「相と申しますと?」
 「冥い相が出ています」
 それは焦土に向かう日本列島への危惧
(きぐ)であったかも知れない。

 近年を振り返れば、この度
(たび)の戦争の根底には、かつてのセオドア・ルーズヴェルトの棍棒外交が、フランクリン・ルーズヴェルトの「力は正義なり」があるのではないか?……。つまりこの大統領は、棍棒を持つだけでなくこれ見よがしに振りかざすだけでは十分ではなく、それを使わなければならないしたことから、この戦争が起こったのではないかと、津村は洞察したのである。
 力は米国の外交手段であった。
 仲介し、干渉し、その結果、脅す。あるとき突然、棍棒をもって脅す。セオドア・ルーズヴェルトの力の用い方と同じである。この力の用い方を真似したのが、フランクリン・ルーズヴェルトであった。第26代大統領ルーズヴェルトの熱烈なる信奉者であった。棍棒外交を真似した。それが実は『ハル・ノート』であった。
 ルーズヴェルトの意向は国務長官のハル
(Cordell Hull)に確りと転写されていた。力は正義なりとする外交であった。海を越えて世界が連動し始めると、時代は時機として、このような人物を欧米から作り出す。邪神界と言われる所以である。

 当時の日本は出過ぎた杭
(くい)だった。打たれる運命にあった。力は正義なりは、出る杭は打つ。徹底的に叩く。白人主導支持の欧米人は自負を露(あらわ)にして、イエローモンキーを叩くのである。
 列強はこの二元相対論で迫ってくる国ではないのかと思う。
 脅しは、先ず言葉や文章で威圧する。次に力を見せ付ける。ペリーの砲艦外交以来の米国の伝統である。
 通商や交易は外圧によって開かれる。帝国主義である。最後は力で思い知らせる。故に津村は、列強を“邪神界”と観る。侮られてはならない存在である。此処に邪神界の根拠があった。
 『易』の宇宙観である。『易』では自国以外の海外を“一つの陣”と見立てねば成立しない。
 人生は、自分が生きるためには、外に向かって抗
(あらが)っていかねばならない。進化途上にある人類は、自他同根の境地に至るためには、先ず“自他離別”を経験し、これを克服しなければならない。敵対していることを意識して、それを包含した上でないと、自他同根の境地には辿り着けない。これを克服しないと、神は愛である心境までには進化しないのである。人類は未(いま)だに進化の途上にある。

 津村とアンの話の中に、キャサリンが加わった。彼女二人は奇妙な矮男
(こおとこ)に興味津々である。
 「先生、収穫のほどは?」
 「上々です」
 キャサリンが注目するのは、津村がソ連領の赤塔
(チタ)にある満洲国総領事館から持ち帰ったと言う機密文書であった。
「どのように?」
 「チャーチルの『警戒八項目』の写しを入手しました」
 それはウィンストン・チャーチル
(Winston Churchill)がスターリン(Iosif Vissarionovich Stalin)について、危険視した『警戒八項目』の機密文書である。併せて、英国がソ連を、そう警戒し、どう検(み)ているかのソ連観であった。
 スターリンは「鋼鉄の人」と表される人である。本姓は“Dzhugashvili”という。
 レーニン没後、トロツキー・ブハーリンらを退け、一国社会主義の強行建設を推進し、1930年代には大量粛清を行なって、個人崇拝の独裁を樹立した鋼鉄の漢である。
 この漢が何を考えているか……。この考えの如何で、日本の運命が決定する。早期戦争終結が成るか、成らぬかである。それは背後から迫る津村の“山こかし”であった。

 「どのように分析なさいました?」
 「鋼鉄の漢が動き始めた。羆は大暴れに転じるでしょう」
 時代は転換期にあり、暗雲垂れ込め、風雲は急を告げていた。まさに特異点に差し掛かっていた。事態は急変する兆
(きざ)しがあった。近未来に大事件が起こりそうな兆したあった。
 事は急を要する。風雲急を告げている。
 「つまり羆は腰を据えて懸かるか、短期に大暴れをするかですか」
 この解読如何で、この度の早期戦争終結がなるかも知れないと思っているからである。だがもし、早期戦争終結が適
(かな)わなかった場合はどうなるのか。
 「羆が腰を据えた場合は、ことらはひたすら動いて行くしかありません。ところが大暴れした場合は……」
 津村は此処まで言って言い淀んだ。
 キャサリンは何故だろうと思う。

 チャーチルの分析は、次のようなものであった。
 米国が目標をどう達成するか「正確に」知るという点についても、常に相手がいることを考えれば不可能である。つまり「どれだけ容易に勝てる自信があっても、相手国が自分にチャンスはあると思わない限り、戦争は発生しないということを念頭に置いておくべきだ」と敵国情報を分析し、併せて「ソ連は今をどう思っているのかを?」と。
 つまり、日ソ関係において「今の日ソ間の現状をどう捕らえているのかを」である。それは則
(すなわ)ち、「勝てる」に併せて「チャンスがある」と捉えている節がある……と分析している。チャーチルの先見の明である。
 チャーチルはスターリンを油断のならぬ漢と検
(み)ていた。気が抜けない漢だったのである。
 では油断のならぬ漢は、満洲をどう検
ていたのか。
 その見方で日本の運命は決定される。その懸念は、既にこの頃より頭を擡
(もた)げていた。国境付近ではそれが顕著であった。それを秘した暗号電までを入手していたのである。

 「先生、もし羆の大暴れを阻止出来なければ?……」
 「急急と戦をする。そうなると関東軍は礼を履
(ふ)みますまい。急戦によって下策に奔りましょう」
 「それは敗走……ですか?」キャサリンの貌がこれまで以上に強張った。
 「では、勝機なしと看做し、民間人を置き去りにして、守備崩壊での関東軍自体の敗走が、近未来に起こるということですか!」詰問するようにアンが訊いた。
 「あり得ます」
 「そんな……」
 「機密は既に漏洩し、愚かにも日ソ中立条約をひたすら信じている。この構図では崩壊以外ありますまい」
 これを聴いて、アンとキャサリンの貌は曇った。

 戦時下では、政治目的は殆どが秘密にされる。極秘扱いである。特に軍機
(軍事上の機密)に属することは、秘密保持が常識である。そして極秘事項は、その決定権が、一人の政治家に委ねられることである。そのために想定目標が掲げられる。
 また、昭和12年
(1937)に大改定された『軍機保護法』は、軍事上の秘密保護を目的とした法律で、秘密の種類・範囲は陸海軍大臣の命令で定めるとした法律であったが、これが一部、陸海軍高級官僚によって漏洩していたのである。戦争目的は愚か、目的すら不明確になっていた。
 戦争も目的不在。先の大戦時の日本軍の実体であった。ゆえに目的不在、情報不在であった。
 普通、目標に従い、想定目標を達成する上で、配備された部隊が適切かどうかを検証し続けるという点がキーワードとなる。だが情報相策の手掛かりとなる鍵
(keywordがなければ目標を定め、目的達成には覚束無(おぼるか)い。

 ソ連の対日参戦は、ソ連でも精鋭と言われた第五軍の動向である。この動向を諜報員は掴みながらも、大本営も関東軍もこれを有効に活かすことすら出来ず、また無視する傾向にあった。
 当時の日本はソ連第五軍を甘く見ていた。この動向に疎
(うと)かった。独逸の敗北は予想していたが、その後のソ連の動向には無知だった。日ソ中立条約を余りにも過信し過ぎていたからだ。

 大本営陸海軍部は独逸
(ドイツ)の敗北に伴い、ソ連では大量に武器や燃料が余ると検ていた。その余った物資を、中立国の誼(よしみ)で、日本に廻してもらうと高(たか)を括(くく)っていたのである。短見であったと言えよう。戦争を、空想や希望的観測に縋(すが)って、大東亜戦争を戦っていたのである。
 そしていつしか、関東軍は羆
(ひぐま)の本当の恐ろしさを忘れ去っていた。
 関東軍は中国東北部の北西辺、モンゴル国との国境に近いハルハ河畔の地であるノモンハン以来、その後は相対的に負担の軽い戦闘に長く関与した結果、戦闘力を失っていたといえる。これが禍
(わざわい)して、簡単に攻め込まれる結果を招くのである。

 日本人が表
(ひょう)した赤い夕陽の満洲は終焉(しゅうえん)を迎えつつあった。その翳(かげ)りが出ていた。
 エア・ガール四人と津村らはそれぞれに、貴重なる情報を掴み、大きな収穫を得ていた。後は、それぞれが情報を出し合って、情報を交換し、その分析が急がれるところであった。


 ─────これまで列車は通常速度で走っていた。
 ところが加速は上がらず、通常速度の持続も失われ、やがて徐行に入り、ついに機関車は溜め息のように蒸気を吐いて停止してしまったのである。停車時間がどれくらい続くか不明であった。列車の乗務員にも分らない。それだけに乗客は、諦めに似た気持ちがあったようである。
 だが停車してしまったことが、何故だ?……と思っても仕方ない。無用な穿鑿
(せんさく)だった。ただ、動くのを祈る以外なかった。列車は何も無い、ただ大地だけの曠野の中で取り残されたようになっていた。取り残された時間が如何ほどなのか、この状態がいつまで続くのか不明であった。随分長い間、停車していたように思う。それは信じられないくらい長い時間であった。

 陽は既に南中に昇っていた。急行『はと號』の到着は、午前中に新京に到着する予定であった。それが大幅に狂ってしまっていた。時刻表はあってないが如しだった。
 長い停車で、最初はいつ動くのか不安となり、慣れればそれが当り前となる。
 慣れとは恐ろしいものである。この慣れが、やがて退屈に変化する。退屈紛れに何かを始めようとする。退屈の虫が騒ぐ。何か面白いことはないかと企てるようになる。あるいは人の話題に耳を傾けるようになる。

 そこに吉田毅が、些か慌
(あわ)てたように遣って来た。表情には少しばかり困惑している容子(ようす)が顕われていた。冴(さ)えない貌をしていた。彼は先頭車輛まで行って、運行状態を機関士と打ち合わせて来たと言うのである。
 「どうも困りましたなァ。数キロ先で、国民党軍と紅軍との小競り合いが起こっているそうです」
 小競り合いが起こっていると説明されれば、これまで、遠雷のように響き渡っていたのは、実は砲声や銃声でだったのである。
 この状況下で、吉田にしてみれば、金塊輸送と乗り合わせた一行を安全に日本まで送り届ける任は、些か荷が勝ち過ぎているように思われた。彼自身、進んだり、停まったりの進行状態は気が気でなかった。何故か落ち着かないのである。何で沿線付近の、こんなところで小競り合いをするのかと思う。そういう身内同士のことは他で遣れと言いたかった。

 「列車は紅白戦で停止してしまったと言うのですか?!」とアンが訊いた。
 「そのようです」
 「困りましたわ」
 彼女の顔色にも勃然
(ぼつぜん)さが漂っていた。新京発・羽田行きの東京直行便の航空運航指揮官として、彼女にも任の重荷がのしかかっていたからである。
 アンが言った紅白戦とは、毛沢東率いる八路軍をはじめとする紅軍と、蒋介石率いる国民党の白軍である。この両軍が小競り合いをしていると言う。

 アンの至上命令は、新行きと同じ“午後11時30分発の特別臨時便”である。この時間に限り、大日本航空の特別便が運航される。その運航指揮官はアンであった。彼女は予定通りに運ばない出発時間を気にしているのである。出来れば、二日も日程が遅れている以上、本日中に発ちたいのである。
 外では風雲急を告げる風が吹いていた。その風の音にも耳を澄まして、心を置く身である。
 勘を働かそうとする以上、此処まで心を研ぎ澄ましておかねばならない。
 またそれだけに、本日の“午後11時30分発の特別臨時便”の運行は、実に気になるところだった。この時刻を逃せば、日本の制空圏の関係上、更に一日遅れの、明日の同時刻になる。不利になる一方である。
 戦局は日増しに悪くなる。これを「どう検
(み)か」であった。

 「いやはや困りました。と言って、この広い曠野をテクテクと歩く訳にも行かず……」と零
(こぼ)すように言う。
 「状況判断を間違ってはなりますまい」津村だった。吉田の焦りを制している。
 吉田の脳裡には今回の世話役としての大任が横たわっている。このまま此処で、くたばってたまるものかという気持ちがある。列車の貨物庫には500kgの金塊がある。早期戦争終結のための工作資金であり、一部は復興資金に充
(あ)てられる。吉田はこの大任を背負わされていた。彼も時間を負わされていた。

 『タカ』は日本が戦争を集結した時に起こるパイパーインフレが襲うことを知っていた。第一次世界大戦の敗戦国である独逸を検
(み)て知っていたからである。そうなると、これ迄の日本の紙幣は紙屑同然になる。
 然
(しか)もそれだけでない。大量の餓死者が出る。換金する紙幣の価値が失われてしまうからだ。また軍が乱発した軍票などは、有って無き等しいものであった。
 紙幣としては、金の裏付けがいるからである。金の裏付けがないと、紙屑同然なのである。パイパーインフレが襲う。こうしたパニックは防がねばならない。

 吉田毅の任務は、この金塊を津村一行に持たせて、日本に隠密裏に無事運び込ませることであった。哈爾濱で金塊のことを知っているのは、吉田と津村の二人だけだった。だが金塊に護衛も、歩哨もついていない。表面的には物見遊山を偽装している。

 エア・ガールの四人は囮
(おとり)となってソ連の国家政治保安部のG・P・U相手に派手に立回って、その任務を遂行している。カウフマンを為(し)て遣った。
 彼女達が惹
(ひ)き付けておいてくれたお陰で、津村はチタの満洲国領事館まで足を運ぶことが出来た。
 これまで領事館員が蒐集した重要情報を入手した。また満洲里では念願の星野周作に遭うことが出来た。そして星野から沖禎介とともに東清鉄道を破壊するため、ロシア軍の『東方輸送妨害作戦』の挺身隊を組織に参加して以来の、自らが暗躍した当時からの記録書を受け取っている。これも偏
(ひとえ)に囮が、敵味方の官憲を能(よ)く惹き付けたからである。これにより追跡者を巻いた。これまでは万事が巧くいったと言っていいだろう。

 だが人目を惹
く工作は、未(いま)だ続く。
 怕
(こわ)いのは、往(い)きより復(かえ)りである。任務を遂行して無事、目的を果たしても、復りをしくじれば、総て水の泡である。
 エア・ガールに扮した四人と、『タカ』が執心したアニー・セミョーノヴァは満洲国への旅行者のような西洋人風の私服である。それだけに物々しくない。この構図は旅行者のそれであり、隙だらけに映る。能
く化けたと言える。逆効果を利用し、目立つことで敵の眼を欺(あざむ)いていた。

 しかし警戒心から、歩哨
(ほしょう)を立て、金塊護衛のための警備隊などを編制すると、傍目(はため)は違って来る。却(かえ)って“何かある”と思われる。特に土竜はそう思うだろう。
 厳めしく、物々しいと、逆に標的にされる。ゆえに自然が一番いい。その構図は物見遊山である。これだと誰も金塊を移送しているとは思わない。そして、この列車には一輛だけ貴賓室風の車輛が連結されている。特別区劃のコンパーメント・タイプ
(compartment type)の車輛である。最後尾に、この車輛が編制されている。
 そこにはバー・カウンター席もあり、ラウンジ風の展望室もある。満鉄が誇る豪華車輛であった。この一輛を貸し切っている。まさに能天気な富裕層の物見遊山である。『タカ』の指令を受けて、『梟の眼』が仕組んだことであった。

 「さて、津村さん。こういう場合、どうします?」吉田は直行便の運航を気にしながらこう言った。
 彼は大陸での世話役である以上、これから先の出来事に予断を許さない。不利な現実を、困憊
(こんぱい)した脳裡に思考を強(し)いているのだ。しかし、いい策が浮ばない。そこで智慧者に意見を求めた。
 「われわれは旅行者を気取っていますが、実際は物見遊山の旅行をしているのではありなせんからなァ」
 使命を抱えていることを再認識して、こう言った。
 「だから懸念しているのです。これをどう観
(み)ます?!」現状観察を窺ったのである。
 戦局は目紛しく刻々と変化していた。それも日本が不利に向かう変化であった。負け戦の観が強い。この状況を「どう観
るか?」であった。
 「要するの易で言う『沢
(さわ)』ですなァ」矮男(こおとこ)は壮年らしい、寂(さび)のある聲(こえ)で、核心に迫る何かがあることを涼しい貌で答えた。
 『沢』と言った貌は、何とも涼しかった。それは他人事のようにうも聞こえる。
 「沢というと?」吉田が訊き返した。
 単に沢と言われても釈然としない。吉田がどんなに想像を逞しくしても、また曲解をもってしても、何も浮んで来ないのである。
 「つまり沢ですよ」どこまでも涼しい貌を崩さない。
 一言で、沢と言う。
 はて、沢……と考えてみる。しかし何も浮んで来ない。水溜りくらいは想像出来るが、それが何を意味するか分らない。
 「分りません!」アンの激しい口調で切り返した。怒ったように言う。
 彼女は『沢』といった以上、その説明を需
(もと)めている口調だった。

 「浅く水が溜まっている低地、つまり湿地帯ですな。換言すれば苛酷な世界とでも言いましょうか」
 「苛酷な世界?」
 「戦争をしていますからなァ」
 「それが沢ですか?」
 「藪沢
(そうたく)の意味もあります。雑木や雑草の生い茂る所。国線(満洲国有鉄道)の京浜線での窪地(くぼち)ですな。窪地の解釈は厄介事とか、災難を暗示します。それだけに厄介だ。
 沢の泥濘に嵌
(は)まれば、八方塞がり……。陥れば二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなる」
 「これは運命の落し穴ですか?!」迫るように訊いた。
 「さよう。神から下された陥穽
(かんせい)
 「何と理不尽な!……。わたくし、神を呪いたくなりますわ!」これはアンに一つの怒りだった。
 「怒りは絶望に勝る。八方塞がりで絶望を感じた時こそ、肚
(はら)の底から怒るべきだ」
 人間は時には怒った方がいい。怒れば、闘気が生まれ、敢然と立ち向かう気持ちが起こる。理不尽に対しては闘気で応じるのだ。
 「なんですって?!」激しい口調で切り返した。
 「そうそう、そのように怒れば宜
(よろ)しい」
 「?…………」
 「しかし、充分に怒り終えたら、あとは笑えば宜しい」
 「えッ?……」アンははッとした。

 笑うとは、憤怒の後に訪れる冷静になって考える余裕のことである。怒りは充分に出し切れば、後に冷静が訪れる。その冷静さの中に、鬼神
(きじん)の聲(こえ)を聴く余裕が生まれるのである。それが礼を心得て行動するものとなり得る。
 「スマイルですよ、スマイル」惚
(ほう)けたように、呑気なことを言う。
 「?!…………」アンは思わず仏頂面になった。
 「それがいけない。笑顔でスマイル、スマイルですよ」
 「このわたしが、ここ一番で、妖怪のように笑うのですか?!」
 「いけませんね、そこで膨れたら」
 この漢の言い草は、《絵に描いてもいい美人が台無しになるではないか》と言いたかったようである。感情の動きまで読んだ上での話術である。
 「では、どうしろと、仰るのです?!」
 一瞬苦々しく思ったようだが、それも束
(つか)の間のことであった。
 「腹立たしさを通り越したら、笑うしかありますまい。この場面で必要なのはスマイルです」どこまでも人の心を読む。
 「八方塞がりと言うのに?……、笑うの?……」疑心暗鬼だった。
 「つまり在
(あ)り来たりの言葉で、“剣難の相”ですなァ」依然として涼しい貌で、それが他人事のように映った。矮男(こおとこ)オヤジが莫迦なことを言ったものだ。
 「剣難の相?……」《それッて、なんなの?》それでは釈然としないという訊き返しであった。勿体付けずに具体的に答えて欲しかったのである。
 誰しも“剣難の相”という言葉は聴いたことがある。
 だが具体的には、どういう相なのか、知る人は少ない。漠然と“よきせぬことが起こるのではないか”くらいの災難にしか捉えていない。だからこそ、これを聴いてみたいと思うのである。

 「剣難の相はですなァ、つまり、わが身に災難が顕われる前触れ」講釈師は尚も垂れる。
 だが講釈の内容はいいように聴こえない。悪い暗示を孕
(はら)んでいた。
 「だから理不尽と申し上げているのです!」アンの怒りである。伏せた貌に怒りが満ちていた。
 「この理不尽。天から験
(ため)されていると思えば、どうでしょう?」鎌を掛けた。
 「えッ?……」アンは思わず顔を上げた。何かに気付いたようだ。
 「運命はですなァ、時として難しいことを人間に突き付けて来るものです。天とは、そういうものです」
 「難しいこと?」
 「そう思えば、これまでの怒りが、幾らかでも和らいで来る。笑みがこぼれて、心、穏やかになる……。違いますか」
 「つまり、この要求に対し、人間はどう答えるかですか。天はその答案を見せよと言うのですか」
 「さよう」
 「剣難の相を前にして、これにどう答えるかを要求しているのですか」笑みまでは溢
(こぼ)れないが、アンの貌は徐々に和らいで行った。
 「そして、この相の『沢』は窪地」
 津村の言った“窪地”に厭
(いや)な匂いが漂っていた。不吉な湿っぽさである。そこに何故か引っ掛かる。
 「難問ですねェ」
 「さよう、前途は難問に拒まれている。その前途に窪地が控えている」
 さて、これをどう捉えるか、どう読むかである。津村は、天に代わってその解答を需
(もと)めているようであった。

 「窪地ですか?……、何か厭なものを感じさせますねェ」そう切り返したのは吉田だった。
 「さよう、窪地。しかし、この窪地には水が溜まる湿地ですが、時として水は恵みを齎すことがある」
 「えッ?恵みですか……」アンの貌に明るさが戻った。不思議な愉しさに誘
(いざな)われた。
 「卦の解釈には二通りある。現象界の構造は表裏一体になっている。この相をどう検
(み)るかです。単に字面を追って禍(わざわい)視し、これを表の陽と検て『嘆き』と捉えるか、あるいは裏には陰があって、これを『恵み』と読むかの陰陽の何れです。さて、どうしますかな?。これが沢の裏返しの『困(こん)』です。
 さてさて、困りましたねェ……」とこう言ったまま意地悪に、その先を打ち切ってしまった。
 「禍と検で嘆くか、天佑と読んで、これを恵みと採
(と)るかですか?」アンが訊いた。
 彼女は津村を尋常
(よのつね)なる人物と思っていない。窮地に立っても常に一案を用意している。額面通りに捉えていないのである。軽々しく見れば間違いを招く。

 「文字通りでは、窪地に捉えられて帰路は断たれ、四面は禍の墻
(かき)と観るのが一般的です」
 津村は言葉に意味を含みつつ《あとはあんた達で、その先は勝手に考えてくれ》という言い草だった。そしてそれから先は勘である。インスピレーションである。直観が物を言う。
 一寸先の闇の世界を覗くには、科学的データなど必要ない。そもそも科学的なる数値世界は闇の世界ならびに不可視世界を認めていないからである。認めていない以上、数値のみで、闇の中を覗くことは出来ない。ただただ勘であり、閃
(ひらめ)きに直結して、インスピレーションが働けばいいことである。

 剣難の相……。
 此処には諸刃の剣のような、陰陽が絡み合っている。検
(み)るもの、読むものの感性によって異なり、そこが違って来るのである。これをどう読むかに懸かる。その表裏が醸し出している相である。
 戦略家は陰陽に通暁
(つうぎょう)していなくてはならない。先ずそこに顕われた相を検て、これを読む。
 政略並びに軍略、そして敵味方の陰陽・裏表・静動を的確に知り、これが通暁できるのは、むしろ物事の根底に、表裏一体の変化の在
(あ)ることを熟知している謀略家でなければならない。
 謀略家は「政」と「謀」の表裏を巧みに使い分ける。その使い分けが出来てこそ、功が拓けるのである。進路に道が見えて来るのである。
 『易』は、それを用いるに当って、その術者は必ずしも儒教的道徳を意識する必要は無い。易に顕われる現象は神妙なものである。必ずしもオカルト視する必要は無い。また、非科学と一蹴されるものでもない。
 高度な判断と、未来予測をするための直観に連動したものである。宇宙観であって、それを読むことは秘術に属するものである。秘術は極めねば読めない。隠れた部分の藕糸
(ぐうし)を読むには、深部を探求し、極めねばならない。
 『易経』は特異な経書であるだけに、これを用いるに当っては、中途半端であってはならないのである。

 「禍を孕
(はら)んだ怕(こわ)い剣難の相と検(み)るか、それを越えれば、後に恵みを齎すと検るか?……ですか……」アンがいっそう大儀そうに、祈るように迫った。
 「さて、いかん?!……」津村が問うた。
 やや躊躇
(ためら)ったのち「うン?〜。困りましたなァ……」吉田が相槌(あいづち)を打った。
 「困ってこそ、人……」意味ありげに言い放った。
 「うム?………」
 それは“ただの人”と言う意味なのか……。小馬鹿にされた気がしないでもない。吉田の感想である。

 「しかし、ですなァ。ただの人では陰陽の変化が読めない。表に裏があると検ない。そこで、こういうときは易断をしてみるのが最良の方法。例えば蓍萩
(めどはぎ)を用いる。困ったときの占卜の法です」
 「蓍萩って、何です?」アンが苛立ったように訊き返した。
 「筮竹
(ぜいちく)のこと。この50本を言う。易には宇宙観があり、独特の世界観がある。物事の考え方の根幹を成す思想です」いま必要としない、別世界の絵空事に聴こえた。
 「それは科学的なご判断なのでしょうか」キャサリンが訊いた。
 「いいえ」
 「では、非科学的な絵空事ですか?」
 「いいえ。易の世界は依然、未科学の分野にあります。藕糸の見えない隠れた分野の未科学を、非科学と一蹴
(いっしゅう)してはなりますまい」
 「じゃァ、50本はいったい何処に!?」とキャサリン。彼女も苛立っていた。
 「笈
(おい)の中に、先日入手した機密情報とともに……」
 「それを早く言って下さい」キャサリンは《蓍萩なんて言うから、今どき、そんな茎が、いったい何処にあるの?と思ったじゃない……》という言い方だった。

 「しかし、困るには当たらない」
 「えッ?」
 「宜しいかな、易に出る卦
(か)はですなァ。『沢』は爻(こう)から検(み)れば、兌(だ)である。
 兌は、また説卦伝では『兌は説
(えつ)なり』とある。説と書いて、これを『説(よろこ)ぶ』と読ませる。誰でも“よろこぶ”と聴けば喜々とするものです。それは『悦(えつ)』を連想させるからでしょう。しかし、此処が摩訶不思議なところ。大自然ならびに人事百般、その吉凶が出る卦に象徴されている……。
 果たして兌という文字自体に、動的な喜びを感じさせるものがあるでしょうか。そこで兌に振り返って考えてみる。兌を、また『たい』と読む。“たい”は『泰
(たい)』に通じる。これを『やすらか』と読む……」と矮男(こおとこ)は勿体をつけるように説明した。
 講釈師の“勿体談”が始まったのである。
 この談は、単なる講談師の談ではない。講釈師が尤
(もっと)もらしく、見て来たような講釈を捏(こ)ねる談である。束(つか)の間(ま)の退屈凌(しの)ぎにはなる。退屈を紛らすにはちょうどいい。
 津村陽平が、このように講釈を垂れているとき、長く停車してしまった動かない列車に、些か退屈を覚えたのか、他の連中も集まって来た。
 もう一時間以上も停車したままであった。今のところ動く気配は全く無い。参集した理由は退屈凌ぎに、講談師の講釈でも、退屈を紛らすために、仕方なく聞くと言う感じである。

 「先生。ご説明は有難いのですが、難し過ぎて、今イチ、説得力が御座いませんわ」アンが拗
(すね)ねるように言った。分かり易くと言う意味である。
 「では、レベルを中等学校
(旧制中学)に落しましょう。さて、お立ち会い……」講釈オヤジは聴衆が殖えて勢いづいた。
 この中に最年少の室瀬佳奈がいるからである。彼女は共立女子高女の生徒で14歳だった。今で言う中学3年生である。そのレベルに合わせて、一席打つつもりであった。
 その一席は能弁であった。
 「卦
(か)では兌。兌は八卦の一つで、自然界では窪(くぼ)みの意味します。つまり沢ですな。凹(へこ)んでいます。凹みは『沢』を形作ります。さて、此処まで蹤(つ)いて来れたでしょうか」
 「ええ、何とか……」誰かが相槌
(あいづち)を打った。
 「その何とかで……で結構。
 さて、わが輩の見解によれば、凹みに雨が降れば沢が出来る。『沢』が出来て、そこは湿地帯となる。この湿地帯を、卦では『困
(こん)』となります」
 「どうして、『困』なのです?」佳奈が鋭い質問をした。
 「宜しいかな、お嬢ちゃん」
 「えッ?……」
 『そもそもですなァ。『困』は“口”で、つまり“囲い”のこと」
 「それで?」
 「然
(しか)るにじゃ。会意からすれば、『木』が取り囲まれて覆われ、押し込められて、伸び悩むという意味を持つ。これはですなァ、つまり水の上に『沢』があるという形なのです」
 講釈師は見て来たようなことを言った。
 「沢があると、どうなるのです?!」鷹司良子
(ながこ)だった。畳み掛けるように質問した。
 「つまり“行き詰まる”と言う意味ですなァ」
 「分りません!」粗暴なまでに不機嫌で、彼女は強い口調で切り返した。
 「行き詰まるとは、つまり生き詰まることです。それは困難あるいは困憊
(こんぱい)を表す。現実の沢は、暗くてジメジメしている。木に囲まれ、暗くて湿気がある。自然界を想像してみて下さい。湿気の多い場所と言うのは、そういう場所ではないでしょうか。易経では、だから八方塞がり……。ここまではお分かりでしょうか」
 矮男は聴衆の貌を舐
(な)めつつ見渡して訊いた。些か得意の悦に入っている。
 「なるほど、こうなるとどの方角に向かって事をしても不吉ということですか……」吉田毅である。
 「さよう、手の打ちようがない。この中に置かれれば、如何なる鬼神
(きじん)でも遁(のが)れる術(すべ)は御座いますまい。だがですなァ……」勿体をつけるように言った。
 「だが、何です?!」不機嫌は崩さないが、さほど落胆はしていない。良子は「だが」に期待を寄せたて、迫るように訊き返した。
 彼女は沈みかけていた絶望の淵に、一条
(ひとすじ)の光明を得た気持ちであった。
 「ピンチの中にチャンス有り」矮男は毅然
(きぜん)と胸を張る。その姿に、この漢の気骨のようなものが漂っていた。


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