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壺中天・瓢箪仙人 1

小説『壺中天・瓢箪仙人』


 


 壺中天の話は『後漢書』の「方術伝(下巻)に出て来る費長房(ひ‐ちょうぼう)の話である。
「方術伝」には 費長房が薬売りの老翁とともに壺中に入って、別世界の楽しみをした話であり、何ともロマンをそそる、あたかも桃源境的で不思議な仙堺話である。

 この費長房は一時期、河南省汝南
(じょなん)の郡庁の役人をしていたが、ある日の夕方、庁舎の二階から下を見ていると、郡庁の城壁に露天商の店が並んでいた。その店の中で、薬売りの一老翁がいて、老翁が店仕舞をしていた。そうした情景を費長房は見ていたのであった。すると、老翁は城壁の傍(そば)に置いてあった壺の中に、隠れて消えてしまったのである。
 費長房はそれを見て、《今の老人は間違いなく、仙人だな》と思うのである。

 翌日も待ち構えて、夕刻の店仕舞の頃、そこへ行って、「私は昨日、あなたが壷の中に消えるのを見ましたが、あなたは仙人でしょう。きっとそうでしょ。是非、私も壺の中に連れて行って下さるまいか」と言う。
 それは半ば談判であり、強引に老翁にせがんだのであった。しかし、この願いは最初断られた。

 それ以来、費長房は壺の中に入りたい一心で、壺公の世話をやき、壺公も費長房の誠実さを認めるようになった。そしてついに頼み込んで、壺の中に入る機会を得た。すると忽
(たちま)ち、壺の中に引き摺(ず)り込まれ、ふと気付くと、非常に景色のいい所に出ていた。
 そこには金殿玉楼
(きんでん‐ぎょくろう)があり、広い庭園には、珍しい樹や花が一面に咲き乱れ、泉水(せんすい)なども至る所に設けられ、寔(まこと)に目を見張るばかりの素晴らしい世界であった。桃源郷を髣髴(ほうふつ)とさせたからである。

 更に大層見事な金や玉で飾った建物があり、その中に案内された。そこは一つの小天地であり、別世界だった。艶
(あで)やかな侍女たちから美酒(びしゅ)や佳肴(かこう)の、大変な持て成しを受けた。そして歓待さて帰ってくる。
 回想すると、そこはまさに「壺中
(こうちゅう)の天」だったのである。日常とは掛け離れた非日常の異空間の別天地だった。果たして、此処は何処に存在する世界であろうか。

 壺中の天……。
 「壺中」とは、裡側
(うちがわ)にある別天地、あるいは仙境のことであり、更には「悟りの妙境」である。換言すれば、自身の心の裡の「内面世界」のことであろうか。
 人間はどんな境地にあっても、自分だけの内面世界を作り得る譬
(たと)えが此処にはある。
 これは如何なる“壺中の天”を持つかによって、人間の風致
(ふうち)が決まるものである。人間の“あじわい”の点は、此処にあるといっても過言ではない。意外な人が、意外な特技を持っているものである。壺中の天こそ、なかなか奥床しいものなのである。

 そして「壺中天あり」の教えるところは“壺中”を、単に仙人の棲
(す)む仙境とするのでなく、今の自分が棲む現実世界のことを指すのである。それは壺中が、実は自分の職場であったり、あるいは我が家であったりするのである。
 一方、こには日常生活の修羅場であり、「私が」という我執
(がしゅう)を断ち切れば、何ものにも囚(とら)われない大きな心を持つことができ、これ啓発すれば、譬(たと)え狭い我が家もそのまま素晴らしい壺中の別天地であるいうことを教えている。心の持ち方を説いている。

 その別天地に誘
(いざな)う「変化」は、自分の心の裡にあることを教えているのである。
 何の変哲もない処に、実は思いもよらぬ別天地がある。普段、見られた世界にも、今まで気付かなかった夢のような桃源郷のような世界が横たわっているのである。普段はこれを見逃して、気付かなかっただけのことである。
 瓢箪も、ある意味では日常では見逃す媒体かも知れない。何処にでもある、単なる器であるからだ。

黒檀造りの瓢箪。

 しかし実は、瓢箪はまた神仙境を顕しているとも謂
(い)われる。
 神仙境のシンボルことが瓢箪であった。神仙境は「死後に遊ぶ」という願望から起こったとされる。その願望には「桃」と同じように扱われ、俗世の煩悩を断ち切ったり、魔除けの「破魔」であったとも謂う。


 瓢箪はウリ科の蔓性一年草である。
 ユウガオの変種とされ、アフリカまたはアジアの熱帯地方原産であり、南米での栽培も古い歴史を持っている。
 茎は巻ひげによって他物にからみ、葉は心臓形で、掌状に浅裂する。七月頃、白色の五弁花を咲かせる、雌雄同株で、果実は普通中央部にくびれがあるが、そうでないものなどもあり、小形のものとしてはセンナリビョウタンなど多くの品種がある。

 そして瓢箪の成熟果実の中身などを取り去って、乾燥して作った器が、人類の歴史における最初の容器の一つであったとされる。これに磨きを掛け、また漆などを掛けて仕上げたり、あるいは酒を入れる容器に仕立てたりした。
 そうなると、瓢箪は本来の「壺」の起源でもあろう。

 伝説では仙人達の住む、渤海の彼方にあったとされる三神山、則ち方丈
(ほうじょう)・蓬莱(ほうらい)・瀛州(えいしゅう)は三壺とも謂われた。
 更には壺公という名の仙人も壺に由来し、神仙世界に棲んでいたと言う。
 壺公は昼間は街で薬を売っているが、夜になると屋上に掛けてある空の壺に飛び込む生活をしていたので壺公の話は『神仙伝』にも登場する。

 古代中国では仙人を描いた絵には、仙薬や酒を入れた容器には必ず瓢箪を携えた仙人像にお目に掛かるが、これも瓢箪と仙人の関係が深いことを顕している。

 そして日本に至っては、道教の神仙思想が深く結びついているため瓢箪が日本の民間信仰の中に取り入れられて呪術的な役割を果たして来たものと思われる。
 中国では除夜や端午の節句に瓢箪が用いられ、これらを描いた切り絵は魔除けの護符であった。

 一方、日本では瓢箪を腰にぶら下げることで災難除けの御守りとした。
 『日本書紀』の「仁徳紀」には、瓢箪が水に沈むならば本当の川の神と認めようとすることや、大蛇を殺すかどうかは瓢箪の浮沈によって決定されたと言う話まである。瓢箪には霊性があると信じられていたからである。
 平安期の延喜五年
(905)に著された『延喜式(えんぎ‐しき)』という書物【註】弘仁式・貞観式の後をうけて編修された律令の施行細則で、平安初期の禁中の年中儀式や制度などを漢文で記す)には、鎮魂祭の供物として瓢箪が挙げられ、火神を鎮める呪具と看做されていた。

 更に、下って豊臣秀吉の馬印
(シンボルマーク)の千生(せんな)り瓢箪は魔除けに重ね合わせて、「せんなりひさご」の意味を表していた。数多く群がり、実が沢山なることを顕している。縁起物であった。古人は縁起物として瓢箪に夢を託したり、自身の未来像を瓢箪に重ね合わせていたのである。
 『一粒万倍』という考え方も、「千生り瓢箪」に重ね合わせ、繁栄を願ったものである。

 この物語は、筆者が42歳の厄年を転機に一旦は墜落をみせ、そのまま潰えるかに思えたドン底状態から這
(は)い上がり、その後、影の有力な支援者を得て社会教育などに働き掛け、あるいは軍資金提供において多大なる力を得て、前半は孔子の『論語』の世界から、後半は『老荘思想』に変化して行く様を、ノンフィクション小説として描いたものである。

 筆者は若い頃から不思議と瓢箪には縁があった。
 学生時代、既に古物鑑札を取得し、学生の分際でありながら旗師としての刀屋を遣っていたが、古物の縁によって瓢箪蒐集家から、瓢箪の見方や手入れの仕方を教わり、瓢箪に魅
(み)せられたことがあり、爾来(じらい)これを風流として愛好している。

 そして瓢箪が「縁起物」であると言うことを自覚し、最悪・最低の状態から這い上がることが出来たのは、瓢箪に夢を託し、未来像をそれに重ねて見ていたからである。あるいは瓢箪の底から天を見上げ、何れ這い上がる機会を窺
(うかが)っていたのかも知れない。その後、支援者や後援者を得て今日に至っているのである。

 奇
(く)しくも、ドン底での地獄の釜の口が開いたのは、経営する大学予備校が倒産した平成2年9月の頃から始まる。
 物語は北九州小倉から夜逃げ同然で習志野に緊急避難し、そこで「瓢箪仙人」然とした老人の不思議な術を見たのである。




お断り
この物語は小説仕立てにするに当り、個人や秘密などの関係もあり、一部の登場人物名は仮名にした。
 期間は平成2年9月中旬から翌年12月末までの期間に見聞したことを「小説風」に脚色して物語りを展開した。
 仕上げるに当り、自身での校正や第三者の校閲皆無にして、拙いところや至らないところも多々あり、誤字脱字の類はご容赦願いたい。
 また、文章表現が少なからず論文調になっていることをお赦し願いたい。




第一章 桜の樹の下で




●無知と極貧

 病んでいた。私は病んでいた。徹頭徹尾、全身が病んでいた。烈(はげ)しい向い風に煽られていた。平成2年9月17日のことである。
 この「病み」は濁貧
(だくひん)の病みである。

 かの孔子門下の「孔門十哲」といわれた子貢
(しこうが)が、先輩の原憲(げんけん)の草庵を訪ねた時に訊いた「あなたは病んでいるのか」の清貧に対し、問うた病みでない。
 私の病みは清貧は愚か、赤貧にも遠く及ばぬ濁貧で病んでいた。この濁貧は、私が造った造語である。

 貧乏の種類には、おおよそ三種類ある。
 まず清貧と言って、行いが清らかで、私欲がなく、そのために貧しく暮らしている貧乏。
 次に赤貧と言って、何も所持にない持たない貧乏。
 そして更に濁貧と言って、生き方が不透明で、心が濁っていて純粋ではなく、灰汁のある心の穢れまでを抱えている極貧状態の貧乏である。私の貧乏は三番目に挙げた濁貧である。
 濁貧の元は、私の無知から始まった病みであった。
 私の病気は貧乏に悩まされる「金欠病」であった。この当時の前後、恐ろしいほどの経済的不自由の状態にあった。

 しかしこの病気は、まだ落ちるところまで落ちていなかった。軽症とも言えず重傷とも言えず、まだ極貧までには到達しない中途半端な金欠病であった。元凶は此処にあった。
 中途半端ゆえに、まだ落ちて行く余裕枠はあった。そしてこの「余裕枠」こそ曲者
(くせもの)であった。
 人間に一番悪いのは中途半端である。この中途半端が往生際悪くして、中途半端な人生を選択させ、これこそ再起不能の厭世観に誘導していると言えよう。つまり真物
(ほんもの)の不幸である。

 人間は落ちる時には、とことん落ちて行かねばならない。中途半端に落ちて、途中で何処かに引っ掛かっていると、それより更に落ちまいとして此処で無駄な足掻きを遣ってしまう。これが一番いけない。
 落ちる時にはとことん落ちて、ドン底まで落ちるのがいい。そこに到達して、その後の人生を好転に向かわせるチャンスもあるようである。
 したがって経済的不自由を強いられ、それは少しばかり自由の利く不自由であれば、まだ落ちる下があるから、この状態が一番怕
(こわ)いのである。

 ところがドン底まで叩き落とされ、一旦最階位の底辺に到達してしまえば、それ以上落ちる階下はない。そこまで到達してドン底から上を見上げれば、周囲の状況判断も明確になって、周りのものがよく見え出す。此処に来て、やっと暗闇の中で視界と視覚が明るくなるのである。
 それはちょうど暗い部屋か何かに入った当初、全く辺が釈然としたいのとよく似ている。しかし暫
(しばら)くすると徐々に視界は開け、視覚が明るくなるから、今まで見えなかったものが見えて来るのと似ている。暗闇での視覚調整が正常に戻るのである。

 中途半端な悲劇は、例えば社会の現実などを見た場合、少しの不合理、理不尽、不如意に対してこれが莫迦に増幅して映り、烈しい憤りと不満が吹き上げるものであるが、それが誰にも解ってもらえないと嘆くことである。

 ところが落ちるところまで落ちれば、考え方も変わって来る。
 中途半端な時に抱いていた「思い込み」に風穴が開くのである。一気に思い込みが消えてしまう。「恐れるものは皆来る」の思い込みが霧散してしまう。多少の理不尽は驚かなくなる。
 中途半端な貧乏のときはいつも何かに怯
(おび)えていた。電話が鳴っただけで恐怖を感じていた。借金苦に苦しむ者の心理である。
 だが思い込みに風穴が開き、もうこれ以上落ちる階下はないと分ると、却
(かえ)って肚(はら)が据わって来る。これまでの無知に思い当たるのである。

 知らな過ぎたことに思い当たる。
 自分に不足したものを思い出させてくれるのである。そのときから周囲がよく見えるようになる。脇目も振らず奔走して、貧乏から回避を企てたことがバカだったことに気付かせてくれる。
 中途半端な位置にぶら下がって、落ちまいとしてもがき、力んでいたことの滑稽さを分らせてくれる。落ちる時には落ちればよかった。本当の貧乏を知らない恐怖が、こうした事態を招いたのである。それは想像するだけの貧乏であり、まだ落ちる余白があったのである。
 こう言うものは後生大事に仕舞っておくべきものでなかった。曝
(さら)ければいいのである。隠すことはない。遵(したが)えばいい。運命法則に順になればいい。

 しかし一方で、悲愴感、胸臆
(きょうおく)に落ち……という心情のあるのもまた事実で、「さて、これからどうするか?……」という思案が生まれて来る。

 さて、これからどうするか……。
 これは自分の無力を嘆いての言葉ではない。
 落ちるとことまで落ちて、やっと極貧の底に到達して、ふと洩れた言葉である。その言葉に深刻さはない。むしろ、ドン底に到達した気楽さから洩れた言葉であった。経験してみなければ解らない心境である。
 そういう困窮の時代が、私にはあった。
 だが私にとってはこの困窮が、物事を正しく映す観察眼を開き、物事について考えさせるが開眼
(かいげん)に繋がったのである。
 そして爾来
(じらい)、人間の幸福とは何かを真剣に考える切っ掛けになったのである。

 人なみな幸福を探して人生を旅する。幸福を夢見て、その道を歩く。
 問題は幸福に到達したか、幸福を手に入れたかではない。
 幸福を目指した旅をし、幸福に辿り着けない人の方が圧倒的に多い。辿り着く人は、ほんの僅かだろう。

 だが幸福に到達することは出来なかったが、幸福に向かって歩んだという行為は幸福であった。
 幸福に到達出来たか否かは運による。努力する他力を実行して、到達したか否かは人間側にない。天の決めることだ。
 人間側は努力するだけである。努力自体に価値がある。その価値こそが幸福そのものなのである。
 実は、幸福とは自分の外にあるのではなく、自分の内にあった。外ばかりに幸福を追い求め、散々迷っていた。幸福は外にあるものとばかり思い込んでいた。
 外にあるものを追い求めるのでなく、外にそれを裡側から作り出すのが幸福だったのである。
 幸福は行為するその努力の中において、それを得ているのである。
 その開眼に至らせるのが、落ちるだけ落ちた極貧の困窮生活であった。

 人間には転機と言っていいような変化が起こるものである。小さな変化ではない。大きな、これまでとは違う180度変換するような変化である。
 それは人生の折り返し点において訪れるようだ。
 その時期は人によって異なるようだが、私の場合は42〜43歳の厄年を折り返し点にしていた。
 これまでとは物の見方や考えた方がこの時を起点に大きく変換するのである。そして転換の顕著な現れとして、例えば私の場合は、本から学ぶという現象が起こっていた。
 その本も、これまで自分の専門とする理数系な本ばかりで、一般書籍を読むと言う習慣は殆どなかった。

 ところが、これが変化した。
 それは折り返し点を越え、齢を重ねたからであろうか、精緻
(せいち)な論理を展開する理数系の専門書のようなものでなく、端的に自らの心境を吐露(とろ)する語録的なもの、言わば人生に生きる上での、心に訴えるようなものにぐんぐんと惹(ひ)かれていったのである。後半の人生をより充実させたいという願望が起こっていた。

 理論の持つ観念と虚構や仮説の類に飽き足らず、多年の修練によって積み重ねられ磨かれた信念の迸
(ほとばし)るような、そう言うものを好んで読み始めたことである。
 例えば、刃
(やいば)を交えて真剣勝負に臨み、命の遣り取りを通じての隙があれば斬られ、斬られれば血がほとばしるような真言的なものが私の心を揺さぶり始めたのである。

 また商いに臨んでも、論理的な経営学の書籍よりも、苦闘する経営者の格闘する生き方とか、伝記とか、苦労話の逸話などであった。それはまた、その当時の日々の行動にも波及して、生き方の指針にもなり、心の糧
(かて)となるようなものへと惹かれていったのである。



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