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断酒に向けて 1

断酒に向けて



現代人を誘惑するアルコールの数々。



●酒の呑まれるという現象

 「神祀(かみまつ)り」の意識が薄れつつある現代、神祀りの根本を成す神体などの偶像崇拝は、厳しく戒めると言うのが現代の風潮のようである。物質一辺倒の世の中でありながら、神を偶像崇拝化する戒めというのも、また訝(おか)しなもので、この根本には物質に対峙(たいじ)する唯心論的な戒めであるようにも思われる。

 しかし、物質界と謂
(い)われるところにとって、ある形式を執(と)って神を祀ると言うのは必要なことである。精神世界における実体には、本来形式など無いが、肉体を持ち、更には未熟な霊的神性を持っている、発展途上の段階にある人間は、「心の持ちよう」だけで、生命力を発揮すると謂うことは難しいし、志(こころざし)も、その念だけでは成就し難い。また、その想いだけで、「力」への変換を容易にすることも難しいであろう。何かの媒体が要るのである。これが「神祀り」の行為である。

 「力」というものは、容易に顕われ難い存在なのである。その為に、現世にあっては「形を踏む」という筋道が大事になる。また、この「形を踏む」という行為は、厳粛
(げんしゅく)かつ静穏な雰囲気の中で、整然と行われることが大事である。

 さて、人間の繰り広げる宴
(うたげ)の一つに、「酒盛り」なるものがある。人々が集まり酒を酌(く)み交わして互いに楽しむことを「酒盛り」という。古くは、「さがごと」あるいは「ささごと」といい、酒宴の事を指した。そして酒宴に必要不可欠の物質が「御神酒(おみき)」であった。御神酒は一般に、神前に供える酒のことを謂うらしい。

 この事は神社などの行事を見れば一目瞭然であろう。何処の神社でも、献饌
(けんせん)として御神酒を供える習慣がある。その為に、神でも酒を呑むと信じられている。
 こうした迷妄がまた、「御神酒あがらぬ神はない」という俚諺
(りげん)まで生み出した。つまり、神様でさえ酒を飲むのだから、人間が酒を飲むのは当然だという意の語である。
 しかし、これは人間の手前勝手な考え方がつくり出した、独断と偏見に満ちた思考である。則
(すなわ)ち、神は酒を召し上がらないのだ。
 したがって、神に酒を捧げる必要は無い。

 この事を人間は長い間誤解し続けてきた。御神酒と謂う意味も知らずに、ウソにウソの輪を掛けて来た。この習慣が御神酒と謂う概念を作り上げた。

 神饌という、神に供える飲食物の中に、稲・米・酒
(正しくは「みき」であり、一般に言う御神酒ではない)・鳥獣・魚介・蔬菜(そさい)・塩・水などがある。特に、この中で注目したいところは、「酒」と「水」である。一般に「酒」を「おミキ」という。しかし、この「おみき」は、正しくはアルコールの事ではない。

 おミキの「ミキ」とは、「水の気」を意味し、自然の中にある「真清水
(ましみず)」のことをいう。しかし、この真清水が、人間が飲みたいものだから、一旦神に捧げ、御神酒と称して頂くようになったのが定着して、「神前には酒」という習慣ができがあったのである。
 更に忌々
(ゆゆ)しきことは、酒の肴(さかな)として、魚、貝、鳥、卵、獣肉などの動物性の食べ物が供えられるようになった。これはまさしく、神聖または不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持を無視し、人間の魂そのものの原義を狂わせる元凶を作ったのである。

 宇宙法則の作用と反作用により、「神聖なもの」と「不浄なもの」は互いの反発するが、酒と動物性食品は互いに引き合う関係にある。それは則ち、「酒」と「動物性食品」の双方が霊的波調の粗
(あら)い低級な波調を持っているからである。そして、「酒」と「動物性食品」は低級なるが故に、共に引き合い「作用因」として「狂」を齎(もたら)すのである。
 酒を飲んで、「呑まれる」という現象は此処から起こる。


酒食を好み、飲食不節が顕われるのは、過去世(かこぜ)での大酒呑みだった罪が表面化しているのである。そしてその症状は、「口」と「心臓」に顕われる。

 また、仏教の経典には、繰り返し「酒は飲まないように」と、禁じているのは、臨終
(りんじゅう)の時に、脳から分泌されるエンドルフィンの合成が妨げられるからである。人間は臨終の時、成仏の相で死を迎える人は、体内にモルヒネ様物質である、エンドルフィンが合成される。その合成作用によって、死の間際、断末魔の苦痛から解放されるのである。これにより、穩やかな臨終を迎える事が出来る。

 ところが、酒の量が度を越した呑み方をするアル中状態の人は、ますエンドルフィンの合成が妨げられ、こうした体質の悪さが、不成仏を招く起因になっていると考えられる。したがって、臨終は苦痛が伴い、成仏は致さないのである。これは大酒呑みが、手術をする場合、麻酔が効かないのと同じである。


●アルコールに汚染された脳は、アルコールを呼び求める

 何かをする度(たび)に、不幸や不運に見回れる人が居る。どのように回避しても、遂に、最後はそうなってしまう人が居るものである。そして、そこから逃れなくなる。生きながらの断末魔(だんまつま)の苦しみだ。

 ちなみに「断末魔」とは、仏道で謂う、「末魔」のことで、これは「支節」とか「死穴」という意味である。つまり、体の中にある特殊の急所のことで、他のものが触れれば、劇痛を起して必ず死ぬという意味だ。これが 息を引き取る真際の苦痛であり、「死ぬ段階の末魔」を指している。

 中毒症状に、アルコール中毒なるものがある。
 現代精神医学では、酒乱もアルコール中毒
(alcoholism)も同じテーブルの上に乗せられて、同じような診断が下され、同じ治療がされているようである。しかし、この両者は厳密に言えば、本質的に異なる。

 アルコール中毒は、肉体的な現象であり、酒乱は紛
(まぎ)れもなく、霊魂が関与する現象である。つまり霊障(れいしょう)と言うわけだ。
 また、アルコール中毒は、肝臓を尅することになり、脂肪肝へと移行したり、肝硬変へと誘う。この症状は、2、3ヵ月もアルコールを絶てば、肝臓は元通りに綺麗な状態に戻る。
 こうした段階での断酒は、実行しても、そんなに苦痛ではない。アルコールそのものは、実際には、肉体には爪痕
(つめあと)を残さないからだ。爪痕を残すのは、精神に、である。

 人体における肉体は、肉体を正常に保つ為に、その自衛手段として自然治癒力
(しぜんちゆりょく)が働く。肉体そのものが自律神経を通じて、肉体の波動を正常に保とうとするからである。したがってアルコール等の、肉体波動に、異常を与えようとする異物が入り込んで来ると、これを排除しようとして、反対側の物質を体内で作り出し、中和しようとする。

 少量のアルコールでも、朝・昼・晩と切れ目なくこれを飲用すると、体内には微量のアルコール分が残留する。この残留物が、細胞を支配する事になる。
 運命法則の
《類は類を呼ぶ法則》【註】この場合、一般には「類は友を呼ぶ」というのであるが、《類は類を呼ぶ法則》は、同類が同種属の種類を惹き合い「共鳴現象」を起こすことを言う。この場合、共鳴する類は必ずしも人間であるとは限らない。動物のこともあるし、物である場合もある。物には物霊が居り、一種の惹き合う意識をもっている。惹き合う原動力は「物念」である。人間が物にこだわるように、物も怨みなどから人間のこだわる場合がある。かの有名な宝石類がその所持者に祟ると言う、あのような忌まわしいこだわりを物が人間に投げ掛ける場合もある。アルコール依存症の場合、酒が特定に人間にこだわっている現象である。その人だけに狙いを定めて霊的現象を起こす。要注意である)から、残留したアルコールは、その量自体が希薄になって切れかかると、脳を媒介して、アルコールを再び呼び込む作用を促す。惹き合う法則であるから、似たもの同士が自然に寄り集まる。酒好きが集まる。酒呑みが集まる。

 この「集まる構造」が、つまり悪しき居酒屋構造であり、こうした水商売の一端に人間の不幸や「障り」という霊障が横たわっている。この障りに触れて、人格を崩壊させる人も少なくないようである。人の居るところ、酒や女や金と、そういう享楽場には当然、不成仏の意識体も集まってくる。霊媒体質の人ほどこうした場所では祟られ易い。こうした人にとって居酒屋やそのたの飲酒をさせる享楽場は、つまり「魔場」ということになる。

 魔場で、人格を奪われる人も少なくないようだ。憑霊されれば、以降は呑んでやらねばならぬから、幾らでも呑み、呑んでは狂い、狂っては暴力に疾るのである。これが酒乱のメカニズムであり、また先祖に酒が乱れた人がいれば、その人も共鳴することになる。これが実
(げ)に恐ろしき《類は類を呼ぶ法則》である。類が友を呼ぶのでない。類が、同種の種属(スピーシーズ)を惹(ひ)き付けるのである。

 惹き付けられ、惹き寄せられその後に顕われるのが依存症状である。これがアルコール中毒に至るメカニズムであり、次第にその量は多くなっていく。多量の飲酒によって、やがて制御中枢が破壊され、中毒を起こす。「凶」の悪循環である。
 狗の循環が慢性化すると、つまりアル中と言うアルコール依存症である。この物に縋
(すが)る力は強力で、他力で止めなければ、自己を破壊するまで依存状態が続き、遂に廃人となって毀(こわ)れる。
 そして依存症は一旦罹病するとなかなか治癒しない。
 そのまま悪化の一途を辿ることが多い。最終段階まで進んでしまうと廃人を余儀なくされる。人格が毀れる。
 これは生活習慣病などと言う生易しいものでなく、「生活常習病」である。麻薬常習者のように常習癖の付いた病気
(霊障)であり、つまり「憑かれた病気」である。

 では、何が憑いた病気なのか。
 霊障である。霊による「障り」である。
 この場合、先祖霊も無視出来ない。先祖にうかばれない不成仏霊が居れば、必ずこの霊はその末裔に何かを訴え、何かを恃
(たの)み、何かを願う。
 では、その「何か」は何か。
 満たされなかった不平不満である。終了しなかった無念である。それを子孫に冥
(くら)い影として投げ掛けてくる。冥土からの影である。冥界からの翳(かげ)りである。その翳りを、何代か後の子孫が代行しなければならなくなる。
 アルコール依存症の「依存」という行為は、自分に代わり何者かが、まず訴え、恃み、願いを持ち掛けているのである。これは、『神の逆頼み』と言えば分り易いだろうか。

 では、この『神の逆頼み』は何処から起こるのか。
 その殆どが自分とか代わりのある血縁者である。七代前くらい前の血縁者である。
 ただし、七代前の祖霊となると、殆どが浄化し昇華した意識体であるから、この意識体が現代まで何かを訴えているとすると、それ自体が強力であり、神に近い存在であるから、威力は相当のものであろうが、多くの場合は、殆どないようであり、おおかたは六代以降と考えていいであろう。

自己保身と守護霊の子孫伝承

 おおよそ六代前に振り返って、いま自分が居ると言う事は、自分の前に、合計126人の先祖が居なければならず、このうちの一人でも欠ければ、今の自分はこの世に居ない事になる。
 それだけ優秀な先祖が居た事になる。


 アルコール依存症の「依存」は先祖の訴えである。また恃みであり、願いである。
 そこには満たされなかったものが「念」として渦巻いている。この念は、また「唸
(ねん)」である。遵って憑かれている人は「吼(ほ)える」のである。暴言を吐く。また哭く。慟哭(どうこく)に及ぶ。更に狼藉に及ぶ。
 しかし、それが「訴える現象」である。恃み、願う現象である。これが祖霊が訴える『神の逆頼み』と言われるものだ。
 そして、人が神仏に願いを懸けるように、今後は逆に祖霊である先祖が、子孫に何らかの恃みを行っているのである。

 さて、先祖は「祖霊」のことである。
 祖霊は神と同等であり、また鬼神である。鬼神が鎮まらなと荒れる。酒乱はその所為
(せい)である。一種の先祖の訴えである。その子孫は先祖の願いを聞かねばならない。酒乱現象が顕われると無視は出来ない。
 また、願いを聞くには「礼」があり、これを知らずに無視すると鬼神は「荒ふる神」となって禍を齎す。

 特に依存状態が酷くなり、「酒乱」という症状が克明に顕われると、それはもう自分自身では制御できなくなる。自制不能となる。
 これは自分以外の別の第三者が関与しているからである。この場合、自分以外の意識が働いていると考えられる。そしてこの意識は強力なため自分では制御できない。
 「渇き」を覚えるよ言うな、切なる意識体である。
 この意識体には、祖霊が挙げられおおよそ七代前くらいまでであり、旧家ほど、こうした先粗は多いようである。
 遡
(さかのぼ)れば、約七代前までが挙げられ、特に濃厚になって行くのは、六代以降からであろう。おおよそ六代前なでの126人の中に、そうした訴えを起こしている霊体の意識が存在しているのである。

 アルコール中毒は、急性中毒の軽いものは酩酊
(めいてい)であるが、重いものは、人事不省や血管拡張や呼吸および心不全を来す。
 更に、慢性中毒では人格の退行、肝障害、神経炎、精神の異常等を招く。こうした状態に至るプロセスは、肉体と言うものは、毒素が入って来た時だけに、毒素を分解する抗毒素を生産して、これを中和しようとするのであるが、こうした状態が長期間続くと、抗毒素を作り出す臟噐も肥大化し、常に大量に生産される事になる。
 特に、肝臓に掛かる負担は大きくなり、まず脂肪肝が懸念される。

 脂肪肝は、肝臓に多量の脂肪が蓄積する病状である。この病状には、アルコール性・栄養性・糖尿病性・薬剤性などがある。一部は肝硬変に移行し、その後、肝臓ガンを招く事もある。

 アルコール中毒の病因は、アルコールと言う毒素が体内に流し込まれた時、抗毒素を作り出す機能を持つのは当然であるが、アルコールがない時も、抗毒素
【註】生体内に侵入した毒素と結合してこれを無毒にする作用のある抗体で、多くは免疫血清中に含まれる)を生産する為に、肉体的な症状として、手が震(ふる)える等の、肉体的な拮抗(きっこう)が失われた現象が現らわれる。
 しかしこれはあくまで、遺伝に纏
(まつわ)る体質的なものであり、同じ量の酒を飲んでもアル中になる人と、そうでない人に分かれる。

 さて、酒乱は、その人と霊魂が相似形の波動を持ち、霊的波調の周波数が、ほぼ同じである人に起こるようだ。
 霊魂が生前、酒乱かアル中で、酒が飲みたいと言う願望を、死した後にも持っている場合は、その憑衣・憑霊した人の意思に関係なく、酒を飲まずには居られなくなるような状態を作り出し、無理矢理飲ませてしまうのである。

外邪の憑衣・憑霊が起る「風門」と「唖門」

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 酒乱の人は、アル中患者と異なり、酒を飲まない時は非常に大人しく、その性格は温厚で内気な人が多いようである。あるいは何処から検(み)ても、好人物で紳士である。それだけに、逆にストレスが溜まると言う欠点を持っている。
 酒乱は、この欠点が、逆手に取られて利用され、憂
(う)さ晴らし的に、アルコール類の飛びつくのである。また、ここに酒乱とアルコール中毒に違いがある。

 脳の記憶中枢には、酒が一定量を超えると、ある種の酩酊
(めいてい)に陥り、肉体的なこれまでの緊張が解ける事を記憶しているから、こうした酩酊が続くと、関与した霊魂によって、その人の思考が大きく乱される。それに加えて、酩酊が更に進むと、これまでのプレッシャーになっていたストレスから解放され、本能に任せて、異常行為に及んだり、乱暴を働く事になる。
 こらは酩酊によって、魂が一時的に解放されると同時に、解放されたことが起因して、自制能力を失う為である。

 酒乱は、そのもの自体では遺伝しないが、体質に関係があるので、死んだ祖父や父親に、こうした人が居て、酒で人生を失敗した人がいるような場合、その子孫には、やはり酒乱になる事例が多いようである。そして酒乱は、アルコール中毒等の精神病と同じように、本人の波調と、憑衣・憑霊の憑衣物
(つきもの)の波調が相似形である場合、肉親の血族でなくても影響を受けていることが多いようである。
 ここにこそ、過去世
(かこぜ)の因縁が存在する。

 また、酒乱とアルコール中毒の合併症があり、アルコール中毒でありながら、憑衣・憑霊の憑衣物に苦しめられている人もいる。
 こうした人の多くは、家族構造に問題があり、親子断絶で崩壊している家族や、夫婦不和で家長不在の家族では、やはりこうした霊的病魔に襲われ易く、また自分自身の意志力も希薄であるから、一度飲み始めると、もう止まる事がない。益々深みに嵌
(はま)って行く。これはまさに、酒乱が不成仏霊の仕業(しわざ)であると言う事を如実に物語った現象であろう。

 人間の脳の進化は、前頭葉に回帰される。
 私たち人間は、霊長類と言う「種」に属し、その進化の途上にある。そしてその一方では、爬虫類時代の記憶に悩まされ、哺乳類時代の感情に振り廻されながら、現代という時代を生きている。
 自分を見つめる眼と、自分を成長させる意志力を用いて、霊長類の領域である前頭葉の正常な働きをトレーニングすることが、まさに「人生そのもの」と言えるであろう。
 そして人間は、前頭葉が発達するまで、原始時代から長い時間を要して来たのである。

 前頭葉のトレーニング不足は、次ぎのような病気になって顕われる。
 それは、霊長類領域である前頭葉の働きと、そのトレーニングすることが、人は人生に課せられていたからである。
 この観点に立って考えてみると、人間の病気は、前頭葉の発達度に伴った知性の成熟段階を、これに当てる事が出来る。
 高血圧に罹
(かか)り易く、あるいは動脈硬化などの血液の汚染の病因を持つ人は、性格的に怒りっぽく、これは前頭葉の未成熟からきている。このタイプの人は、爬虫類脳であるR領域の活動だけが、他の領域より群を抜いていて異常活動し、その過去世からの性格が起因している為である。

 また、胃潰瘍や膵臓炎などの消化器系に疾患が顕われる人は、哺乳類脳の辺縁系活動が野放しになり、これを抑制できないから、こうした病因をつくるのである。
 更に、現代病と言われるストレス病や心身症
(自律神経失調症)などは、心理的な原因によって起る精神の機能障害であり、器質的病変はなく、人格の崩壊もないと言われているが、心に深く爪痕(つめあと)を残すこの病気は、やがて人格崩壊に等しい結果を招くことが少なくない。
 こうした病気は、病感が強く、不安神経症・心気神経症・強迫神経症・離人神経症・抑鬱
(よくうつ)神経症・神経衰弱・ヒステリーなど種々の病型があり、特に鬱病(うつびょう)は、やがて精神分裂病(統合失調症)へと移行することも少なくないようだ。

人体情報伝達システム。人間の病気は、前頭葉の発達度で決定され、病気とは、知性未熟な各々の段階で種々の病気として顕われる。

 これらの病因の背後には、幼児期の学習期に、正しく教育されておらず、躾(しつけ)も不充分で、甘やかされて育った子供が、成人期前後に達してから発病するようである。
 学習期に学習しないと言う実情は、まず、前頭葉の発達が阻害されることになる。此処が阻害されれば、辺縁系やR領域の制御が充分に行われなくなり、制御能力が獲得できなかったことから、種々の領域から支配を受け、自己変革が出来なかったことを顕わしている。

 しかし、こうしたトレーニングを拒む現代人が増えて来た。この増加に伴って、精神障害が平衡して増えると言う実情を招いている。その意味で、酒乱やアルコール中毒は、益々エスカレートして行く事であろう。

 さて、酒は脳に作用する。したがって、酒そのものは思念を持たない。酒の主成分である、アルコールの中に何かを考えたり、思い付いたりの、そうした常に心にかけるものは存在しない。アルコールの含有する成分が、刺戟
(しげき)を受けた脳に影響を及ぼすだけである。



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