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句集 自選1200句 2

山の祈りの地は早く暮れ、遅く明ける。また山には、山特有の「山時間」がある。都会とは異なる時間の進行がある。物理的な時間の過ぎ方は同じであろうが、感覚的に感じる時間が都会時間とは異なるのである。ゆえに、哀愁がある。



●漂泊三昧

 山頭火の『三八九日記』の中に、おもしろい見解がある。
 あたかも「社会学現象」の講義の如しである。
 それは、「人間は妙なもので……」と切り出しで始まり、例えば「酒を一杯飲ませて下さい」とは言い難いが、「煙草を一服貸して下さい」は言い易い。また「餅を頂戴しましょう」とは言い易いが、「ご飯をよばれましょう」とは言い難いというのである。
 そして言い難いのは、「ひけめ」があるからだと言う。
 人間「ひけめ」には歯が立たない。

 またそこに、人間を観察する観察眼が廻
(めぐ)らされている。
 人をじっくりと検
(み)て、更によく観(み)ているのである。あたかも骨董などの古美術品を鑑(み)る鑑定眼のように……である。

 山頭火自身「思うに、自分の身に即
(つ)きすぎた物、言い換えれば必要の度の高い物、誰もが持たなければならない物は無理強いし難い」と言っている。
 それもそうだろう。

 「ちょっと火をお借りします」と言って、煙草の先端を差し出せば、喫煙者ならライターで火を点
(つ)けてくれるだろうし、デパートの食品売り場やスーパーの食品売り場では試食コーナーを設けて、来客者に見本食品の試食を振る舞っている。
 ところが、「一食分の食事をさせて下さい」とは、よほど心臓の強い人でも中々切り出せないものである。
 そこには自他の境目があるからである。また、遠慮も引け目もあるだろう。

 しかし、わが子から、「腹が減った、飯喰わせて」と請
(こ)われれば、直ぐに食事の支度はしようが、顔も知らない見ず知らずから「ご飯食べさせて下さい」などと請われれば、忽(たちま)ち貌を顰(しか)め、厚かましさで不愉快が込み上げて来るだろう。何で見ず知らずのお前に……となるだろう。自他の境目が曖昧になることを許さないのである。
 また世間とは、それだけ甘くはないと言うことである。

 放浪者は世の中を漂泊する流れ人である。世間を渡り歩く世間師である。
 一般的には、世情に通じた不逞の輩とか、巧みに世渡りをするとか、世慣れて悪賢い人間と思い込まれている。
 したがって世間師に同情をしたり、哀れを汲んで、飯を捧げる人など居ない。至って嫌われものである。
 世の中のクズ同様に扱われ、塒
(ねぐら)を持たない事自体、忌(い)み嫌われる。厄介者の代名詞である。放浪者とはそのように見下される。土地から土地へと流れ歩く、世の漂泊者は、不要物なのである。

 その一方で、放浪者は世間とは異なる自由がある。勝手気ままがある。
 雲は動いて止まない。水は流れる。風は吹けば木の葉が散る。そう形容すべきところがある。
 食べたいときに食べ、寝たいときに寝る。好き放題で、勝手放題である。誰に憚
(はば)ることもない。
 自分で自立して自力で生きる分には、我がまま気ままである。自力である以上、そういう気ままはあっていいと思っている。行動自体は誰にも気兼ねが要らない。雲のように水のように、自分の意思だけが優先する。外部の制約を受けない。法に觝触しない範囲ならば自由なのである。

 その変わりに自立しておかねばならない。自力機関を確立しておかねばならない。
 基本は自立歩行である。自力移動である。
 他力の行為は一切期待出来ないし、それを需
(もと)めてはならない。総てが自己責任の移動である。

 自由である一方、世間のように「凭
(もた)れ合い」が全く期待出来ないのである。何事にも、自己完結性を持っていなければならない。他人の援助の手は一切無いのである。それを承知の漂泊である。
 五十年前ほどの行乞僧は、万一の場合、火葬代としての五千円があればいいとされた。旅先で死ねば、自分の亡骸の始末は五千円で事足りたと言う。それを覚悟の漂流である。行乞僧
(乞食僧(こつじきそう)とも)の行乞(ぎょうこつ)も、その覚悟の上であった。

 途中で死んだとしても、文句は言えないのである。
 そこに世間の凭れ合とは異なる自力移動の現実がある。
 自力移動の中には、まず偶然が存在しない。総ては必然の上の覚悟である。捨身懸命の意識がなければ出来るものでない。また自らの意思で自己完結をする。

 この背景には側面に行動力が存在するばかりでなく、かの『陽明学』でいう「知行合一」
【註】『陽明学』の祖・王陽明は「致知」の「知」を「良知」であるとし、知は行のもとであり、行は知の発現であるとし、知と行とを同時一源とする哲学思想)がある。
 知ることは、行うことであるの智慧の凝縮原理がある。
 ただ行乞と、「知行」の実践原理の共通項は薄いと思われるが、隠れた部分には有機的な繋がりがあるかも知れない。

 さて「智」とは、単に知っているだけでは役に立たない。知っているだけでは智慧になり得ない。
 これが行動となり、実践して始めて智慧となり得る。
 窮して窮して窮した後に、窮乏のドン底に落ちることから始まる。ドン底に落ちることから変化が始まる。そして、その変化が生じた時、遂に「通ずる道」が出来るのである。

 窮して窮して……とは、如何なる無理難題も如何なる罵詈雑言も、陰口も嫌がらせも、受けて甘受していくことである。一切抗弁しないことである。
 これこそ『論語』でいう「大人
(たいじん)」と態度であろう。そしてすることと言えば、黙々と始末するだけのことである。
 苦悩の果てにドン底に突き落とされ、奈落の底で喘ぎ、のたうち廻ればいいのである。

 それをし終わった時、人は考えるところがあって、自己完結に向かっての格闘戦が始まるのである。再び挑戦しようとする。
 放浪とか漂泊と言う行為は、一旦文明の世に染まった者には難儀なことであり、しかしそれでも敢えて挑むのは、前世から背負ってきた運命と言うか因縁のようなものであろう。運命の流れや子孫の流れを隠れた部分から洞察すれば、こうした目に見えない所にも有機的な繋がりがあろう。
 そして、借りたものは返す行為が、自己完結性の中で行われるのである。
 その行為が漂泊であり、放浪者の自己完結へ向けての探求かも知れない。
 つまり、背景には求道者の姿勢がある。

 道を真摯に探求し、これを求道者と言う。放浪者も世間師を超越すれば、求道者であろう。
 しかし世間は、これを脱俗などと揶揄
(やゆ)して憚らないが、「生きて死ぬ」と言う行為の中には、複雑に絡み付いた縺(もつ)れた糸のような有機的な結合があり、一糸一糸(ひといと‐ひといと)自らが解いて行くしかないのである。

 災難に遭
(あ)ったときは、災難に遭って果たしていけばいい。出遭って受け止め、そして死ぬ時節が到来したら、ただ死ねばいいのである。それまでは死ねない。
 これこそが災難を逃れる唯一の妙法であり、これを果たし得るか否かで、その後の「死して朽ちず」の現象が顕われるのではないかと思うのである。

 則
(すなわ)ちこれは、「窮すればそこに変化が生じ、生じた先に通ずるものが出現する」という現象が、窮して、人の以降の支えになっていくのである。
 これを知ってか知らずか、山頭火はこの妙法を用いて、果たして抜ける離れ業
(わざ)を遣って見せるのである。
 山頭火の死後も「死して朽ちず」は、以降の歴史が物語る通りである。

 山頭火は必然を意識し、当然を意識して漂泊の旅に出ている。そしてそれ以降、一縷の望みとして期待出来るのは、因縁によって結んだ縁だけである。因縁に托した生活があるのみである。
 ゆえに生かされねば生きられない。
 天が生かしてくれなければ漂泊者は生きられない。これ自体で、漂泊の生活が如何に凄まじいか分ろうと言うものである。

 山頭火の唯一つの拠
(よ)り所は「放下著(ほうげじゃく)」だったに違いない。
 則
(すなわ)ち無一物である。
 放下著とは柵
(しがらみ)を捨てる事であり、「何も持っていない」という禅門の教えに、山頭火は帰依したと言える。彼は「捨てる」という現実の中に「今、この一瞬がある」と、受け止めたのである。今を生きた。懸命に生きた。

 人生は、どんなに愛着し離し難い物でも、あるいは捨て難い物でも、「そこに捨てる」という行動の中に、その真実がある。
 ところが、捨てれば楽になるこのことを知らずに、多くの人は人生に苦悩し、そして迷っている。だから、これらを一切捨てて、漂泊の旅に出たいと考える気持ちは、誰の心の中にも存在している。これは誰もが心の中に持ち続けている憧
(あこが)れのようなものだ。
 巡礼者なども、心の何処かには漂泊する憧れがあるのかも知れない。

 しかし、普段はそのことに気付かない振りをしているだけである。思い出したくないだけである。これこそ柵
(しがらみ)の最たるものであろう。多くは、家族と言う柵に縛られて一生を潰えるからである。

 山頭火は漂泊の旅に出るために、味取観音堂を捨てた。ここに居坐らなかった。あるいは居坐る自体を重荷に感じたのだろうか。
 また、味取の村の人々や村の人々の親切までもを捨てた。漂泊の旅への誘惑に勝てなかったかも知れない。

 しかし、「何も持っていない、一切無一物」を体験するためには、旅に出る以外なかった。
 漂泊の旅をして、行乞行脚
(ぎょうこつ‐あんぎゃ)を繰り返すしなかったのである。これは岐路における決断から始まったと言ってよかろう。決断が決断を呼んだのである。決断して、前へ前へと歩かねばならなかったのである。その捨身懸命(すてみ‐けんめい)なる、山頭火をどうして咎(とが)めることが出来よう。

 思えば、山頭火はあるが儘
(まま)に生きた漂泊者と言えよう。
 何もかもを内包して、総てを一呑みにし、打ち消し難き事実に挑んだと言えよう。その表現方法が「句」であった。
 その「句」の中に、この世の人間と言うものが浮き彫りになる。

 人間とは、清濁
(せいだく)併せ呑み、かつ善悪を綯(な)い交ぜにした生き物である。これを山頭火は側面より観察し、「人」というものを検(み)たのである。
 そして否定し難いことは、他人のために自分の総てを犠牲にして、それでも毅然
(きぜん)とした態度を崩さない人間の居ることを知るのである。それを知ることで、心の支えには筋金が入り、芯(しん)が脈々と育つことであった。

 この芯とは特定の人に限ったことではない。
 如何に社会が進化を遂げようと、文明が発達しようと、人間界が未だに未熟であり、思想社会に到達出来ない限り、自己と社会のために渾然と一体になり得ない事実がある。全人格の自己全体を包摂
(ほうせつ)しうるほど、人間社会は完成をしていないのである。
 古代人の生きた世界と精神機能は、それほど発達していないのである。むしろ退化している面すら感じられる。それはあまりにも、物に魅
(み)せられる人間が急増したためである。

 ゆえに、社会全体が完成し、かつ自己が完成し得ない限りにおいて、他人のためには、自己のためにとはなり得ず、逆に、自己が他人のために全部犠牲にするという結末にも到達出来ず、全体と個人は、どうしても対立することが已
(や)むを得ず、まだ社会は完全にはいたらない構造にあるのである。

 山頭火の日記に「プロレタリア」とか「マルキスト」とか、更には当時の固有名詞の流行であろうが、“プロレタリア・ホール”などの奇妙な屋号があってこう云う言葉が登場するのは、社会の側面の眼として、観察してきた漂泊者の言葉であったのかも知れない。
 更には、非定型の自由律俳句がプロレタリアの俳句運動ではあるまいかとまで誤解されることに懸念を抱いていたようだ。
 そして社会主義自体にも、体質的に矛盾を感じていたという気すらするのである。
 それに山頭火自身は、一部の前衛芸術家らから“プロレタリア俳人”などと呼ばれることに苦笑を禁じないでいる。

 現に、今日でも山頭火を“前衛俳人”などと称している人もいる。
 つまり人間界では、如何に熱烈なる社会変革者が現れ、粉骨砕身しても、“自己”対“他者”という対立は意識するであろう。

 現に、階級闘争を演じる当事者である労働者も、自己と資本家の間には微塵
(みじん)も隙間は感じないとは思わないであろうし、またプロレタリアが独裁に転じて、こうした社会が出現したとしても、相互間のギャップは埋まらない筈である。むしろ階級格差が増大する現実は運動そのものを見ても明白となる。

 ある社会条件下で、自己の境遇を改善し、一時的な穴埋めにはなるにしても、これは永遠ではなく、多くの場合、他人より自己を優先してしまうのが人間である。自己の利益のために他者を啖
(く)うのは人間の習性と言わねばなるまい。

 また、転じてこうした理想の向かって奮闘した場合、自己の利益は完全に他者に捧げなければなるまい。半ばを採って、曖昧に中間グレートないかないものであり、もし半ばを採るには監視者が必要になるのである。
 このコントロールが巧くいかない回限り、理想者の敏感な感受性は、一時的な感情に過ぎず、これを歎いても始まらないし、また現実と理想のギャップは永遠に縮まらず、人間現象界としては常に翻弄
(ほんろう)し、自他を傷付け苦しめ、時には烈しい現実が理想を一呑みしてしまうことすらあるのである。

 その顕著な現れとして、山頭火の見たものは日中戦争当時の日本の現実だった。
 戦争に命を捧げる庶民の現実であり、また命を失うことを押し付けがましく強要される当時の時代背景だった。
 これに悲痛の声を上げるのである。
 この現実を見て、山頭火の現実直視の観察眼は、句を作らせ続けたのである。
 それは嘆きとも、苦悩ともつかぬ現実の有り様の凄まじさに尽きた。山頭火の見たこの現実は、ちっとも勇ましいものでなかった。悲しい現実だった。

 昭和十五年の日記には、次のようにある。
 この頃になると、日本では防空訓練が義務付けられている。これはアメリカとの大東亜戦争が始まる前のことであり、既にこの頃から、航空機による本土空襲があるかも知れないと予想されていたのであろう。

 日中戦争が起こったのは、昭和十二年
(1937)七月七日の盧溝橋事件を契機とする。これが拡大して全面戦争となる。戦史では十五年戦争の第二段階とされている。
 翌年の昭和十三年
(1938)には、日本軍は主な主要都市や鉄道沿線などを攻略したが、蒋介石(しょう‐かいせき)の国民政府軍は重慶に遷都して徹底抗戦を続け、これが長期化して、昭和十六年(1941)十二月八日、米国との大東亜戦争へと発展する。

 十月四日 日本晴。申分のないお天気だった。
 訓練第四日、防空訓練もいよいよ本格的。もんぺ部隊に感心する。青年監視員に感謝する。感冒解消。めでたくもあり、めでたくもなしというところ。
 午後、市街散歩。市人の訓練振りを見学する。一洵を訪ふて今治の話一席。それから無水居に寄って俳談一くさり。
 先日来、だいぶだらしがなかった。今日は酒を慎しみ、気持ちを引きしめて勉強した。善哉、善哉。

 一月五日 快晴。まったく秋晴である
 未明起床。早朝より空襲警報鳴りわたる。何のなく落ちつかず。午前中は引きこもって読む。午後は久しぶりに道後へ。鬚を剃り垢を落としてさっぱりした。いつも一浴一杯だが今日は一浴だけで一杯は遠慮した。
 至る所お祭り前の風景。子供がさはぎまはってゐる。六日七日は此の地方のお祭りだ。
 お祭りはお祭りでも私にはお祭りでない。小遣いがあって気分のよい日はいつでも私のお祭りである。私の食卓のまづしさはお祭りに於て、かへってまづしさを増すのである。
 松茸が安くなった。まだ出盛りではないけれど───
 下物四十銭。上物八十銭になった。
 焼松茸で一杯やりたいなあ!
 夕方散歩してしみじみしたものの、そして何となしにさむざむしたものを感じた。どんぐり庵は庵主不在。───帰庵すると御飯を野良猫に食べられてゐた。
 夜は防空訓練がすんだので落ちつけると喜んでゐたら、ぬくいので薮蚊は来襲してさんざんだった。一洵老来庵───そして、またありがたう。ありがたう───俳談こもごも更くるまで語った。
 護国神社の所まで一緒に出た。川の水が僅かに音を立てゝいた。
 更ければそぞろに冷えてくる。蚊も沈んでひとりしっとり落ちついて読み書きが出来たことであった。───更けてひそかなる木の葉のひかり。

(昭和十五年十月四日)   

 更に、この頃の句は、戦時模様を読んだものが多くなる。
 「満洲現象」と言う、戦争の悲惨さを目の当たりに見ることになる。それを見たまま句に詠んでいる。そして、どの句も綺麗事でなく、現実直視で実に生々しい。

 日ざかりの千人針の一針づつ

 月のあかるさはどこを爆撃してゐることか

 秋もいよいよふかうなる日の丸へんぽん

 ふたたには踏むまい土を踏みしてて征く

 しぐれて雲のちぎれゆく支那をおもふ

 (戦死者の家)
 ひつそりとして八ッ手花咲く

 (遺骨を迎ふ)
 しぐれつつしづかにも六百五十柱

 もくもくとしぐれるる白い函をまへに

 山裾あたたかなここにうずめます

 (満洲現象をうたう)
 
凩の日の丸二つ二人も出してゐる

 (満洲現象をうたう……ほまれの家)
 音は並んで日の丸はたたく

 冬ぼたんつと勇ましいたよりがあった

 雪へ雪ふる戦ひはこれからだといふ

 勝たねばならない大地いつせいに芽吹かうとする

 (遺骨を迎へて)
 いさましくもかなしくも白い函

 街はおまつりお骨となつて帰られたか

 (遺骨を抱いて帰郷する父親)
 ぽろぽろしたたる汗がましろな函に

 お骨声なく水のうへをゆく

 その一片はふるさとの土となる秋

 みんな出て征く山の青さのいよいよ青く

 馬も召されておぢいさんおばあさん

 雪に祝出征旗押したてた

 (歓送)
 これが最後の日本の御飯を食べてゐる、汗

 (佐世保駅凱旋日)
 骨となってかへったかサクラさく

 ぢつと瞳が瞳に喰ひ入る瞳

 案山子もがつちり日の丸ふってゐる

 (戦傷兵士)
 足は手は支那に残してふたたび日本に  

 戦争の背景には何があるか。
 洞察すれば欲望であろう。
 有史以来の人類の歴史には欲望が絡み付き、その欲望が時として戦争を引き起こしている。
 民族、王朝、国家、企業やその他の組織などが「欲望の原理」で突き動かされてきた。
 資本主義の競争原理には、その欲望が顕著である。それは今も尽きることがない。
 太古より人間の歴史を目紛しく変化させてきたのは何れも欲望の原理であった。

 更に、歴史を変化させる根底には個々人の欲望が蠢
(うごめ)き、特に支配者に至っては、現在の地位を保ち続けることにより、その欲望を誰よりも満足出来るのである。同時に顕示欲の現れが、また戦いの根拠であった。
 富の収奪と独占。
 これも欲望に他ならない。
 背景には他者を圧したい。そういう欲望がある。
 更に他者より一歩先に出たい。人の上に立ちたい。こうした動機が戦争を引き起こす。

 そして一方、底辺の被支配者は現在の立場の逆転の機会を窺
(うかが)って、虎視眈々として転覆の策を企てる。
 また、その原動力も欲望である。
 斯くしてその上下は、上は下を抑えつつ、下は逆転の下克上を燃やして死闘を演ずることになる。

 この死闘は、民族間、国家間、企業間においても戦いの動機は欲望である。企業間でも、独占し、利潤の追求を徹底しようとすれば、適者生存の法則から弱いものを片っ端から喰って、自らが肥
(ふと)らなければならない。啖(く)われるか社会から淘汰されないためにも、自らが肥って巨大化し、安定した揺るぎない地位を確立しなければならない。国家間の欲望も此処にある。

 近代における富の形成は資源、食糧、宝石や貴金属、工業製品や労働力並びに領土なども、支配者の潜在的欲望が現状に満足出来なければ、戦争と言う名の行動原理で、その収奪を開始する。
 人が人を支配し、遵
(したが)え、一手に富を独占する。これが戦争目的になった。

襲う、襲われるの攻防戦。支配者が居る限り、この相対関係は永遠に崩れない。

 その場合、長期という時間に煩(わずら)わせることなく最も手っ取り早い方法として、戦争が用いられる。他国の富を武力で奪い取る。帝国主義の発想である。
 そのためにも戦費が必要となり、軍資金を必要とする。
 表面的には、戦争の戦費そのものを考えねば、これが効率的で、瞬時に決着をつけることが出来るからである。奪い取ることだけのことである。

 人類は太古から現代まで、多くの戦争を演じることにより、欲望の原理に従い、争いを繰り返してきたのである。歴史を見れば明白である。
 そして背景の「人間の欲望」である。
 人間の欲望こそ、もっとも注視せねばならない命題である。

 人間と言う生き物を、とことん煎
(せん)じ詰めれば、「食欲」と「性欲」で成り立っている。
 また、それに続くものとして「金欲」や「物欲」があろう。そして、一つが満たされると、もう一つが欲しいと思う。欲しい対象がエスカレートしていく。足るを知らなければ、「これでいい」とはならない。上へ上へと欲望の階段を駆け上って行く。

 例えば、食欲で何か美味いものを喰うと、それ以上に美味いものを喰ってみたいと思うようになる。
 斯
(か)くして、美食が誕生する。美酒もそうであろう。
 では、金欲や物欲がどうか。
 金持ちが金を欲しがり、物欲家がより以上に名品を欲しがるのは、満たされたものの上に、更に満たされるものが置きたいためである。この根源にも、既に争いの種が巣食っている。そして種子が発芽すれば、忽ち競争を繰り返すのである。戦争も、この構造の中に内包されている。


 
【著者作の自選1200句】

ー 参 ー






ー 四 ー





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