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句集 自選1200句 6

懐かしさによく似た感覚が、どうした弾みか、ふと蘇(よみが)ることがある。そう言う感覚が脳裡(のうり)を過り、昔に戻って短い間、それに浸ることがある。望郷に思いを馳(は)せるなどもこれであろう。
 故郷と言うのは捨てきれないものであり、それを愛する人も、逆にそれを憎む人も故郷は、愛憎の違いこそあれ、それぞれに繋がっている。

 また一方に「予言者
(預言者)は故郷に容れられず」という俚諺(りげん)もある。先駆者らは未来を予見するから、その予見故に理解されない。変わり者とか、奇人だと爪弾きされる。

 可視世界のことは評価され称賛されるが、数歩先の霧の中を進む先覚者は往々にして非難と無理会の矢面に立たされ、指弾の対象にされることは、いつの時代も同じことである。
 先駆的な思考やその行動は、奇人のそれと映るからだ。故に指弾され忌み嫌われる対象となる。

 しかし、拒
(こば)まれても嘲笑(ちょうしょう)されても、なぜか故郷だけは捨て難いところがあるのである。想いはそれに尽き、したがって、その感性の中には、人間性の魂の発露が内包されているからであろう。
 そして、錦衣還郷が人情ならば、その他方でボロを引き摺って故国の山河を彷徨うのも人情であろう。

 この人情の背景には、故郷を想う憎悪は抜きにしても、故郷の土地と自分の躰は一体であるという「身土不二」の食思想があるからであろう。土地の食べ物を食べて成長したという、土地と自分の肉体との同一感である。

 だが、故郷を想う「身土不二」は、今日では必ずしも一致していないようである。
 何故なら、大都市と地方の草深い田舎とは、土地の性質が違うからである。そもそも土産神
(うぶすな‐の‐かみ)が異なっているからである。

 例えば、都会時間と田舎の山時間を比較すれば、物理的には同じような進行速度を持ちながら、感情に訴える感覚的かつ意識的な時間の進みかたが違うのである。山時間は、都会時間ほど急速に進む感覚を得ない。穏やかに緩やかに進む。

 このような現実下、現代人は特に都会に棲
(す)んでいる人は、故郷と言う感覚を急速に失いつつある。故郷を持たない人が殖(ふ)えている。この殖える実情には、多忙が挙げられるだろう。
 早い時間の進みからの感覚で、時間に追われる生活をしている人は、自性を徹見して風光に帰入する意識を失わさせるからである。

 そして現代都会人の“ふるさと観”は、盆や正月に帰省して、かつての自分の居場所で寝転び、また親の許で酒食をするという程度のものに成り下がっているが、これは魂の繋がりの薄いただの“帰省ふるさと観”である。魂は依然として多忙の都会に置いたまま、時間を気にしての肉体移動の故郷にしか過ぎぬ。

 魂が帰属する精神活動の故郷とは、根本的に違っているようだ。
 つまり里帰りとは、魂の先祖帰りなのである。一時的に、魂が先祖の故郷に帰るのである。
 果たして、機械的に、物質的になって「故郷への休息」が魂の先祖帰りの意味を持つのか。
 そして、魂の先祖帰りは、周期的に還
(か)って来るという意味合いのものだが、魂はあたかも人間が帰宅するように帰家性が、現代人にはあるのだろうか。それは不能化したのではあるまいか。

 例えば、禅門で言う「帰家穏坐」という境地と、その実践が不可能になってしまったからである。果たして、「一坐の工夫なければ眠らず」の創意工夫が精神活動の一貫として、現代の都会人に備わっているだろうか。

 現実は、多忙に振り回されて疲れて終わりである。
 泥酔しても帰宅したら、必ず坐禅を組むことを「帰家穏坐」という。一日の終わりに、感情を意志の統制下に置く修練をするのである。多忙の都会時間の中に、こうした余裕はあるだろうか。
 果たしてマイホームに帰ってこの態
(ざま)である。

 また、こうした修練が出来ないところに、現代都会人の時間に追われる
多忙があり、一方で故郷を失う側面があるのではないか。
 自分を見出すとは、「本当の故郷がある」という意味である。


●こだわりを捨てる

 現代の言葉遣いの「奇妙」の一つに“こだわり”というのがある。こだわるとは“こだわる”という流行語がある。少なくとも二十年前には、全く一般には流布されていない言葉であった。だが近年、こだわりとかこだわると云う言葉が流行し、それがいい意味で民衆の間に定着した。刻普通に使われる用語となった。
 こだわるとは何だろう。

 この奇妙な「拘泥
(こうでい)」を顕す現代流行用語が、近年は“いい意味”で盛んに遣われるようになったのである。
 日本語も奇妙に捻れてしまった。言霊の乱れは一般用語にまで及び、民衆はこの奇妙な言葉を奇妙と思わず、ごく普通に遣っている。

 こだわるとは、「些細
(ささい)なことにとらわれる」とか「拘泥する」という意味である。
 更に、いい方に解釈して「思い入れる」あるいは「些細な箇所にも気を配る」などの意味にも用いられる。
 しかし、本意は拘泥であり、「些細な箇所に触る」あるいは「引っ掛かる」また「執着する」などの意味を持ち、この流行語自体を全体的に眺めれば、決していい意味では表現出来ない日本語の言葉の有機性から考えて、何処かに「卑しさ」が隠れている。

 この「卑し」を追求すれば、“こだわる”の背景に「故障を言い立てる」そして言い立てた後に「難癖をつける」ところまで顛落
(てんらく)してしまうのである。
 では、難癖をつけは方は、どういう行動や言動を示すのか。
 まず、行動としては、小さい事に執着して融通がきかない態度を示す。そして形に固執し、あたかも“重箱の隅を楊枝でほじくる”ような細事に干渉し、穿鑿
(せんさく)し、隅から隅までほじくって、更にほじくってという、追求とは程遠い調べ立てなどの行動に及ぶことである。

 つまり、一種の停滞であり、結局「囚われる」と同じようなことを仕出かすのである。
 こうした場合、結果はあまりいいような結末に至らないようだ。
 それは「定着」とは、一ヵ所に留まり動かずに澱
(よど)むという結果までを齎すからである。
 本来ならば「澱み」は流れないからであり、停滞は「腐敗」の意味すら持つからである。

 しかし一方で、こうした頑迷に対し角度を変えれば……、と思うことすらある。見方を変えれば、違った面が映るであろうに……と、頭の回転の早い人はそう思うだろう。

 要は、「流れるままに」である。
 こだわらずに流れるままに……でいい。しかし流れるままには、何も無為無策と言うことでない。また、だらだらと流れて行くことでもない。
 言うなれば、意識しない自然体ということである。

 人の運命には、「運命の干満」がある。
 潮で譬
(たと)えるなら、満潮と干潮である。満ち引きがある。
 それを読むのである。
 この潮勢を機敏に読み、それを捉えるのは、今から起こるであろう、その「静」と「動」ならびに「陰」と「陽」の変化が読めるからである。
 この変化に対応出来ず、読むことが出来なければ、汐時
(しおどき)を逸する。タイミングを外す。
 つまり、結果としては、同じ場所にこだわり、それに囚われて、それから先、一歩も進めないようになってしまうのである。こだわりの大欠陥である。

 臨機応変の変化が必要であろう。こだわれば、囚われれば、それが敏感に読めなくなる。自然体が造れなくなる。
 緊張のしっぱなしとなってストレスが懸かる。リラックスが出来なくなる。一時も休む暇がない。これでは当然行き詰まるだろう。
 自然体を造ることが出来れば、満潮の時にはその勢いの乗ずることも出来るし、また干潮の時には焦らず、時を俟
(まつ)つことが出来る。それは固執することでない。こだわることでない。汐時を読むことなのである。読んで臨機応変の変化することなのである。

 読む時に、こだわったり、時の改竄
(かいざん)をしては、それは自然体で決して読むことは出来まい。固執し、執着する結果を招くだけである。
 こだわるのでなく「極める」のである。
 極めてこそ、勢いに乗るコツを掴むことが出来、そこから運を引っ張り出してくることも出来るのである。
 したがって、「極める」といえば崇高さを感じさせるが、こだわる、こだわる……と連打すれば、ただ卑しさだけが鼻に突くのである。

 こだわること勿
(なか)れ。
 こだわるのでなく、追求し、追求した後に極めるに至ることが肝心であり、その目的は極め尽くすことである。大事を追求し、探求することである。奥を極め尽くすことである。

 こだわりを捨てる。小事に拘泥しない。
 声を大にして言いたい。
 拘泥は捨てるべきである。
 乱れた言霊は元に戻したいものである。穢
(けが)された言霊、濁された言霊は、国籍不明のまま放置するのでなく、国語学者が中心になって正しい日本語を復活させるべきである。


 【著者作の自選1200句】
































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