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句集 自選1200句 15

年はとっても、余生を送るだけの老後は送りたくない。老いても意義ある老後を送りたい。この願いは誰も感じることだろう。

 老いて、くたびれて、疲労が蓄積すれば
肉体の至る所は疲弊し、老朽化すれば、故障も多くなり、そうなると“諦め”が頭を擡(もた)げるが、この程度で、もう駄目だとは諦めたくないものである。

 老いても、若い頃に立てた志の遂行に対して、今なお、未だ成就しなくとも、最後まで諦めずに情熱を燃やしたいものである。情熱のないところに、志の成就の可能性はない。情熱を失わないところに、まだ可能性が残っている。そして、その可能性は決して皆無ではない。

 志の成就は、名誉のために行うものでない。志と名誉とは無関係である。財産とも無関係である。
 志を掲げているところに人間の尊厳がある。崇高さがある。これが生きている証
(あかし)である。

 老いても生きて、生きる限り、生きる原動力は志である。余生の惰性で生きているのではない。
 そして、自らを志のために精進させて行くところに、本当の人生の意義がある。成るか成らぬかではない。成らぬでも、志遂行のために情熱を燃やしつづけることである。
 それが、老いても誇るべき事柄である。



●急性の時代

 現代社会は時間の短縮時代でもある。至る所で時間を短縮する試みが実行されている。時間が短縮されることで、便利さと快適さが何処までも追求されるのである。とにかく早く、便利に快適に豊かに……。現代社会の特徴である。

 時間の短縮……。
 この試みで、では現代人はゆとりや余裕をもつことが出来るようになったか、というと甚だ疑問である。
 時間の短縮は以前にも増して、一層慌ただしい多忙を作り出した。誰もが忙しそうにあくせくしはじめたのである。時間の短縮は多忙を作り出したのである。
 そして、何事も短時間に通り過ぎて行く現実を作り出した。じっくり味わう暇すらない。

 では、現代人を「あくせくさせる」ものは何か。
 現代人は行楽・レジャーや物事を鑑賞するにも、一層慌ただしくあくせくするようになった。
 そのうえ近年の流行は、驚きでも感嘆でも感動でも、その手の深く物事を鑑賞して心を動かす行為ですら、また単色化される時代であり、感動や感激を一つ挙げても、実に継続時間や持続時間が短い。持続時間が短いのである。それゆえ余韻
(よいん)も直ぐに消える。
 あたかも、短命で消える線香花火のようなものである。直ぐに消滅してしまう。感動も、その程度のものになってしまったようだ。

 また、現代の特徴は何を見ても直ぐに、“かわいいー”とか“凄いー”とか言うが、その持続時間の短いことは何とも哀れなことである。昨今を象徴する「無感動時代」を、地で行っているような気すらするのである。
 その背景にも“現代のあくせく”があるからだろう。
 現代人は何処に出掛けても、あくせくしている。あくせくしているのは、何も仕事だけでない。

 行楽シーズンになると、そこで楽しむレジャーですら、あくせくして足早に通り過ぎて行くことが現代人の行動パターンのようである。
 何処の行楽地でもシーズンになると、海でも山でも多くが群れて大盛況である。そして、そこでの行楽客の大群を観察していると、この大群の多くは行楽そのものを義務化されてしまった生き物のように見えてしまうのである。

 更に、洞察すると、「楽しみ」ということを、ただ好きだから遣るというのでなく、それをすることが楽しいからということもなく、春が来たから行楽地に出掛けねばならないとか、夏が来たから海に出掛ける、秋が来たから紅葉狩りに出掛ける、冬はスキーに出掛けるなどの、シーズンごとの義務化の中で動いているのである。そして、楽しみなど何処にもなく、好きで遣っている要素も殆ど見つからない。
 総てが義務化の一端であり、家族揃っても、旅行や行楽などの家庭サービスも、週一のお義理セックスですらも、昨今ではサラリーマンの義務化の一つになっている。

 現代人は働くために、仕事をするために生きているのではなく、人生は楽しむべきだとする享楽主義が一方にあって、楽しむことこそ人間の生き方だという定説が出来上がってしまったためである。この定説の枠に嵌められて、誰もがその通りの行動をしているのである。そしてこの意識こそ、現代人にあくせくとする強迫観念を植え付けたのである。
 人々はこれにより、ますます急性
(せっかち)になり、世の中をいっそう忙しくし、多忙に追い立てるのである。

 更に、この多忙を考えれば、現代人は、現代医学の言に従い睡眠時間は約七時間から八時間であり、一日24時間のうち三分の一程度が睡眠時間であり、残りの16時間において活動をしていると言うことになる。その16時間が、どのように遣われているか、これを考えれば、総てが義務化の上に成り立った行為をしているのではないかと思うのである。
 何から何まで多忙であり、その多忙の中で時間は足早に過ぎて行く。これでいいのだろうか。

 かつて『閑中忙』で、巧くバランスをとった時代があった。そして忙しきの中にも「閑」があり、閑を楽しむ時間の余裕があった。「忙中閑あり」である。
 ところが、今はどうであろうか。
 忙中に、更に忙ではないのか。忙中に閑なく、何もかもが多忙の時代である。



【著者作の自選1200句】

































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