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句集 自選1200句 18



波に洗われ、更には削られても岩は毅然とそこにある。簡単に崩れたりはしない。朽ち果てない。ヤワではない。しぶとく、したたかに存在する。不動の態勢をとりつづける。
 人間もそうでありたい。



●逆差別が乱れ飛ぶ現代の世

 言葉を選んで使わねばならない煩(うるさ)い世の中である。
 何でも前もって配慮・配慮で、表現の自由と言いながら、自由を許さない自由もある。恐ろしい世の中とも言える。

 現代社会には、ああ言ってはいけない、こう言ってはいけないという煩い決まり事が出来た。
 まず、肉体的な欠陥を指摘するような言語は差別用語に入り、昨今は禿頭の人を見て“ハゲ”と揶揄するだけでも差別用語になるらしい。
 ゆえにハゲ・デブ・チビも差別用語であるらしい。

 差別用語を使った者への烈しい指弾!
 容赦のない制裁。何と奇妙なことか。
 これこそ、逆差別であろう。
 現代言葉遣いの極めて煩い事情が現れた。
 これも偏に、自由が行き着いた成れの果てか……。
 また、言い過ぎや失言もいけない。うかうかと本心も喋ることが出来ない。うっかり喋るものなら、直ぐに厳しい指弾を受ける。理不尽な制裁を受ける。そういう世の中になったのである。

 そして、差別用語をうっかり使うものなら、直ちに烈
(はげ)しい指弾を受けることになる。言い過ぎや喋り過ぎは、命を失う時代でもある。
 だが、よく考えれば差別用語自体が、さっぱり分らない。理解し難い難癖のような言い掛かりが含まれているからである。

 一方で言論の自由と言う。しかし、この自由は最初から制約されている。
 差別はいけないと言う。それは優越感を感じてもいけないと言うことだろう。
 だが、現実は優越感を感じるような世の中ではないのか。
 その証拠に、旅客列車に乗ってもグリーン車と普通車があり、飛行機に乗ってもスーパーシートと普通席がある。客船に乗っても上は個室バス付きの特等から、下は船底の雑魚寝のツーリストまである。

 更には貧富の差があり、持てる者と持たざる者が居る。
 その格差は縮まるどころか、開くばかりである。見下す側と見下される側がいるのである。このギャップを差別用語引用者は、どう埋め合わせするのか。
 貧乏人がいけないのなら、金持ちもいけない筈である。金持ちも、差別用語ならぬ格差用語で指弾されて然
(しか)るべきである。

 ところが、金持ちは悠々と貧乏人を見下している。そしてこの傲慢
(ごうまん)に、何一つ鉄槌(てっつい)は下らない。また、下せない。
 現実は、差別用語は渦巻くが、格差用語は皆無である。
 背景には、金持ちを英雄視する世論の、長い物には捲かれろと言う暗黙の了解があるからである。この暗黙の前に、差別・差別……と息巻く連中は、暗黙ならぬ沈黙をせねばならない。忍従を課せられる。一言も出て来ない。メシの食い上げになるからだ。

 その意味から考えれば「何が差別だ」と言いたくなる。現実はこの通りである。
 差別用語。
 そして、これは罷
(まか)りならぬ。差別禁止派は、そう息巻く。
 この言葉こそ、これにこだわって拘泥することこそ、実体は差別意識ではないか。
 そもそも差別用語とは何だろう。
 『広辞苑』には、「特定の人を不当に低く扱ったり蔑視したりする意味合いを含む語」とある。

 この意味を推測すれば、まず人間は平等であるから、平等主義において、不当に比較したり、蔑視したり、見下すような言語を吐いてはならないと言うことだろう。更に付け加えれば、無神経な言葉で、他人の心を傷付けてはならないと言うことだろう。
 裏返せば、“トラウマにしては駄目ですよ”という事だろう。心的外傷のことをいうらしい。
 だから差別用語はいけないと言う。言語がトラウマを産むと言うのである。
 だが、果たしてそうだろうか。

 こうして、言葉尻を捉えて“尻取りゲーム”をして行くと、「人の心を傷付ける」という現象が顕われることになる。だが、深刻なトラウマが現れるのだろうか。
 精神的外傷。
 つまり、これを現代日本人の心の事情から考えると、現代人は一々言葉で傷付く人種であるらしい。
 また、言葉一つで傷付き、それだけ現代人はヤワなったと言うことである。また、これから考えれば、確かに弱くなったとも言えなくもない。簡単に現代人の心は傷付き、心のケアーを必要とするからである。

 更に、昨今は目から入ってくる映像情報などでも、簡単に傷付いてしまうらしい。
 残忍、参酷な映像情報を視ると、それだけで心を狂わしてしまうらしい。その度に心のケアーが必要になると言う。
 特にネット社会は、映像情報の量が厖大に目に飛び込む時代であり、その中に心を狂わせてしまう映像が含まれていると、それだけで心の安定性を失うらしい。
 これは現代人は映像に興奮もするが、映像から心的に深いダメージを負うと言うことでもある。

 現代人は、言葉で傷付けられ、映像で心まで狂わせてしまうと言う。
 つくづく「ヤワなった」と言う他ない。
 特に「言葉で傷付く」という現代人の心の弱さは、傷付ける人間に文句を言う前に、その程度の損傷で、むやにみ傷付かぬ心に安定と精神の育成の方が急務でないかと思うのである。
 傷付いた以上、心のケアーも必要だが、まだ傷付いていないのなら、理不尽な差別用語を跳ね返すくらいの、強靭
(きょうじん)な精神を養うことの方が大事ではないのか。

 往時の日本人にちゃんと存在していて、現代日本人に失われつつあるもの……。
 それは何か。
 「耐える」ことである。「我慢する」ことである。「辛抱する」ことである。これらの忍耐が肝心である。
 忍耐が欠けると、直ぐにキレたり、憤懣遣る方なく、泣き寝入りするしかない。
 要は忍耐である。

 また「抵抗する力」である。逃げずに「立ち向かう力」である。
 抗(あらが)うことを、現代日本人はすっかり失ってしまったように見える。それは現実から眼を反らしてしまったからである。
 そして、苦難を乗り越えることや、逆風の苦境に耐えて、時を俟
(ま)ち、耐え忍び、困難を克服する意志力である。

 現代は「意志力の欠如」の時代と言えよう。
 根底に、志はないからであろう。
 志は、それを成就するために忍耐を教えるが、志がなければ直ぐにキレたり、憤懣やる方ない気持ちを募らせて狂い死にするしかない。

 自分の都合のいい言葉だけに耳を貸し、身分の好む映像だけを受け入れ、それ以外を残忍とみたり、取るに足らぬと侮蔑し、一蹴した場合、その反動は反作用となってわが身に跳ね返ってくることであろう。
 総てを受け入れ、それを選別せねばならぬ眼を持つことだろう。

 地球上で起こっている事実は否定出来ない。現実に起こったことは、起こったように、存在したようになって肉の眼に飛び込んでくる。決して消去出来ないし御破算にはならない。取り消しても、起こった現実がリセット出来ない。
 これらは、あるがままに受け入れる以外ない。

 これは言葉でも同じだろう。
 言葉を直したり、差別用語を追放したりしただけで、現実は決して良くはならない。人の心はそのように単純でもないし、一事で万事が解決することはない。
 仮に言葉を直しても、実際に起こる現実は存在するからである。
 現実が存在する以上、絵空事を夢見たり、現実逃避を企ててはならない。
 一旦起こってしまった現実は、安易に臭いものには蓋をするのでなく、確
(しっか)りと背負う以外ないのである。

 何事も起これば、あるがままに認め、力一杯背負って行くしかないのである。綺麗事だけを見ていても、それは似非
(えせ)ヒューマニズムにしがみつくことである。偽善者であり、見せ掛けのポーズである。
 似非ヒューマニズムにしがみつけば、やがてはそれに溺れ、正義を錯覚し、表皮的で軟弱な人間になってしまう。結局は、腑抜け人間が出来上がるのである。

 私は自分のことで恐縮だが、過去の六十有余年を顧みて、浴びせ掛けられた言葉の大半は、今日で言う“差別用語”だった。
 現代語として禁止事項にある、いわゆる差別用語の言葉尻を捉えてではなく、もっと露骨な、侮蔑的な、優越感から見下したような、脅迫的な意味合いを含んだ、そういう言葉を吐かれて、大勢から袋叩きのような侮辱をされたことがある。
 そして最後は、「お前は死ね」だった。

 その極めつけが、自称“武術研究家”とか、自称“大東流”を名乗る、一部の武道愛好者と称するその種のグループの罵詈雑言で、これを受けた方は憤懣やる方ない、その口惜しい気持ちを募らせて、人を人とも思わない侮辱語に激怒の毎日だった。
 その陰で、罵詈雑言グループはせせら笑っていた。

 現に、私の家内は、この侮辱により極度なノイローゼに罹り、鬱病になり、人格まで分裂させてしまった。
 またそれが拗
(こじ)れて、今日では統合失調症という、素人が聴いても訳の分からない病名であり、つまり、かつての精神医でも言葉には憚る「精神分裂病」である。廃人同様の病気の追い込まれたのである。
 出る杭は打たれる……の結果からだった。

 当時、家内は、ある大学の徒党を組んだ造反事件によって、精神医も病名を憚る精神分裂病と言う病気へと罹病の誘発を受け、そして最後は、精神安定剤の過剰投与によるものと思われる、今日でも病因不明と言われる「横紋筋融解症」で急死してしまった。間接的殺人である。
 法律的には、それを証明や立証する方法がないから、推定無罪となる。そして人一人が憤懣遣る方なく死んだ。死ぬまでその怒りは忘れなかった。遂に死んだ。これこそ、間接的殺人であろう。

 こうした実情は、差別用語の比ではあるまい。
 人間の尊厳を無視した、非常識窮まる理不尽である。
 世の中には、理不尽が多い。
 特に、このネット社会の理不尽は、かつては考えられないほどの理不尽が横行し、あることないこと、こうした捏造がバーチャル上を横行している。これに泣き寝入りする人も多い。
 ネットを使って反論する方法や技術を知らないからだ。

 これでは一方的な“言われ損”であり、身に覚えの無い濡れ衣を着せられ、真相を明かすことが出来ないからである。したがって憤懣やる方ない怒りから狂う以外ない。私怨を増幅させる以外ない。何とも無慙
(むざん)である。

 こういう人命に関わる間接的殺人を犯しておいて、差別用語禁止などと言う。
 だが、差別用語だけでは人は死なない。世の中には、もっと恐ろしいものがある。トラウマを生涯引き摺るものがある。怨みを引き摺るものがある。根の深い私怨を引き摺るものがある。
 何故なら発言者が、自分の吐いた言葉に責任を取らないからである。言いたい放題であるからである。言う以上、自分の所在を明確にさせるべきである。隠れ蓑
(みの)に隠れた発言は卑劣である。匿名者は個人情報の保護により、自分は暴かれないと言う自信があるからであろう。

 言葉は重い。発言した言葉は重い。
 吐いた以上、言った以上、それに責任を持つべきであろう。住所・氏名・自宅の電話番号を明かして……。
 そして失言あれば謝るべきであり、言い過ぎれば訂正すべきである。
 礼儀として、間違っていれば詫びる行為が一致してこそ、人と言えよう。それでこそ人間である。頬っ被りは許されない。吐いた以上責任を負うべきである。それが差別用語であろうとなかろうと。

 毅然とすることこそ、人としての礼儀の基本である。基本を全う出来ずに、一方的に言うのは卑劣なる行為である。人間は動物とは異なる。人は動物とは違う礼儀を心得ている。礼儀を心得、それを実践してこそ、人である。
 また、「義」あって他人を指弾する以上、住所・氏名を名乗るのが礼儀である。
 他人を名指しで指弾する以上、そこには「義」がなければならない。
 一寸の虫にも五分の魂。
 人が人に向かって言う以上、「五分の魂」は無視出来まい。「義」は無視出来まい。

 だがバーチャル世界では、一人の人間を、書き込み一つ、脅迫電話一本で殺すことも出来るのである。
 穢らしい便所の落書き程度で、ノイローゼを誘発することが出来、しいては統合失調症へと貶
(おとし)めることが出来る。世の廃人を作ることが出来る。
 この事実を忘れてはなるまい。
 だが犯した者は、自らの悪しき作用で、悪しき反作用の報いを受けよう。現象界の理
(ことわり)である。

 更に近年では、住所を隠し、名前を隠しての匿名での誹謗中傷が猛威を揮っているため、何の罪もない、そう言う人が犠牲者になって、死に追い込まれる。精神を患い、死に狂いする実情がある。しかし、そこに差別用語の鉄槌は下らない。それをいいことに、住所・氏名を隠して匿名で堂々と遣る。卑劣と言う他ない。

 匿名自体が、そもそも考えれば卑劣なのだ。
 自分の所在を明かさず、一方的に、有無も言わさず、相手を誹謗中傷する。この誹謗中傷が、今や老人世界にも流布され、いい齢
(よわい)をした七十、八十の老人までもが、幼児的な意見で、豪語を揮う。

 それは、差別用語以上に差別であり、しかし、こうした老人種属も、「プライバシーの侵害」とか「個人情報の漏洩」とかをほざいて、一方的に「削除せよ」と、反論を許さない幼児行為を展開しているのである。

 これから考えても、自由と平等は幻想であり、“言った者勝ち”の世の中を形成してしまったと言うべきであろう。その最たるものが自分の住所・氏名を隠し、陰で罵倒する卑怯卑劣な“匿名投稿”という手口である。
 この匿名投稿の世界では、差別用語すら堂々と罷
(まか)り通っている。本音を吐く。本音は憎悪であるから差別用語と同義である。心の憎悪を匿名で、愉快犯の気持ちで吐露する。憂さ晴らしと娯楽も兼ねているのであろうか。だから匿名にこだわる。

 堂々と住所・氏名・電話番号などを明かし、所在を明確にさせた発言者には、少しでも失言や落度や言い過ぎがあれば、直ぐに厳しい指弾の鉄槌を加えるが、卑怯千万な匿名発言者には何の指弾も下せない。

 また特に、現代人は匿名投稿と言う卑怯で卑劣な行為が、全く礼儀に外れているということに気付かない。非礼の意味も知らない。
 匿名者の多くは、何の無礼感も罪悪感も感じていないからである。無神経に何でも、好き勝手に言いたい放題である。匿名が無礼な行為と思っていない。

 かつて、かの『赤胴鈴之助』の物語では、「名を名乗れ」という台詞から始まった。ラジオで放送されていた『赤胴鈴之助』では、「名を名乗れ」という台詞があった。そして主人公は「赤胴鈴之助だ!」と名乗る。実に潔いことを覚えている。

 私も、当時は小学生だったが、自分の名を名乗ることが正義と信じていた。
 正義だからこそ、「剣を取っては日本一である」と信じていた。『赤胴鈴之助』の歌にはそうある。
 正義の使者は、必ず名を名乗ればならぬと確信していた。それは今でも同じである。
 したがって、常に自分の所在を明確にさせる。氏名や住所や電話番号は隠さない。堂々としている。それが礼儀と信じているからである。

 しかし、明確にさせきれない昨今の言いたい放題の暴言は、一体どう言う道徳から起こるものであろうか。
 また、いい年をした団塊の世代以上の老人にも、この種の七十代、八十代が居る。
 下記の世代表は、平成27年現在である。

世代名 生まれた年 年齢層
(平成27年基準)
世界観
大正世代
(召集世代)
大正元年〜昭和14年
(1912〜1925)
97歳〜90歳 戦争体験
学徒動員世代
(昭和一桁世代)
昭和元年〜昭和9年
(1926〜1934)
89歳〜81歳 戦争体験
国民学校世代
(前焼け跡世代)
昭和10〜15年
(1935〜1940)
80歳〜75歳 感情論による
戦争反対
戦中幼児世代
(後焼け跡・全共闘世代)
昭和16〜21年
(1941〜1946)
74歳〜69歳 感情論による
戦争反対
団塊の世代
(本全共闘世代)
昭和22〜24年
(1947〜1949)
68歳〜66歳 欧米礼賛と
ジンーンズ指向
しらけ世代
(無気力世代)
昭和25〜39年
(1950〜1964)
65歳〜51歳 何でも反対
消極論
バブル世代
(新人類世代)
昭和40〜44年
(1965〜1969)
50歳〜46歳 野心指向

 上の表から特に国民学校世代を注視して感得する世界観を推測すると、今や、この年齢の老人も幼児的である。これは若者以上に酷い。
 特に、戦中の幼少年期の子供時代を、親許から離れて、小学校低学年から高学年を国民学校で過ごした老人層に多いよいうだ。

 幼少年時代であるから同情すべき点も多々あるが、当時の辛さ寂しさが、父母への想いを募らせ、感情論による戦争反対を唱え、歴史認識も曖昧
(あいまい)である。
 そのくせ自分では、正義感が強いと思い込み、生き方は「人生を真面目に送っている」と豪語し、自分では嘘をつかないと信じて疑わない。そして自分本位な正義感を振り回して、熱狂的な反戦主義者も少なくないようだ。
 また、差別だと指弾したり、個人情報の漏洩やプライバシーの侵害などと、声を荒げて権力筋や類似勢力に噛み付くのも、この老人層であるらしい。

 つまりこの世代は、年齢的に学徒動員令に懸からなかった世代である。戦争の“うろ覚え世代”でもある。現場の非常さを実際に、わが眼で見てない、先輩らから噂を聞いた耳年増情報を持ち合わせている世代である。
 学徒動員世代に比べて、現実の厳しさを感情論で物事を考えるから冷静さに欠ける。そして、歪んだ平和主義の反戦発言者である。
 考え方はいろいろあっていいと思うが、かつて「ソ同盟」を礼賛し、共産主義に入れ揚げるシンパサイダーにも、この世代が、全共闘世代以上に多いようだ。それでいて指向はブルジョア的である。この不均衡も、幼少年期の感情の捻れから起こったのだろうか。

 思うに、その親は、そのわが子に対して、どういう教育をしたのかと思わずにはいられない。あるいは国民学校に任せていたので、そこでの教育は不十分だったのだろうか。
 それにしても酷い一面を持ち合わせている。皆が皆とは言わないが、一部のこの世代に多いのは確かだ。
 かつて田中角栄批判も、この世代から出た。真実の真相ではなく、何よりも感情を優先させる世代であるようだ。
 時代もこうなると、世も末である。正義と感情論が等式で結ばれているからである。
 そして差別用語は、次ぎなる「新たな差別」を作る世の中になったというべきであろう。


【著者作の自選1200句】


















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