運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
句集 自選1200句 1
句集 自選1200句 2
句集 自選1200句 3
句集 自選1200句 4
句集 自選1200句 5
句集 自選1200句 6
句集 自選1200句 7
句集 自選1200句 8
句集 自選1200句 9
句集 自選1200句 10
句集 自選1200句 11
句集 自選1200句 12
句集 自選1200句 13
句集 自選1200句 14
句集 自選1200句 15
句集 自選1200句 16
句集 自選1200句 17
句集 自選1200句 18
句集 自選1200句 19
句集 自選1200句 20
句集 自選1200句 21
句集 自選1200句 22
句集 自選1200句 23
句集 自選1200句 24
句集 自選1200句 25
home > 胆識と流転の句集  自選  1200句 > 句集 自選1200句 20
句集 自選1200句 20

外圧……。日本への外圧は、いつも海の向こうから来た。政治も戦争も、つねに外側から来た。
 国破れて山河あり 城春にして草木深し
(杜甫)……。
 日本は大東亜戦争に大敗北した。そして、杜甫の『春望』は敗戦当時の日本人の感傷に浸った詩であった。
 しかし、敗戦後、その感傷は果敢なくも崩された。日本精神は悉く破壊された。

 戦争は、しているときよりも、戦いに敗れたときから本当に地獄が始まる。その地獄を、今日の日本人は味わっているのである。
 戦争は絶対にしてはならない。何が何でも耐え忍び、他国と争ってはならない。専守防衛の防衛理論である。

 しかし、遣りたくない戦争でも、いったん遣ってしまえば負けてはならない。勝たなくてもいいが、負けてはならない。
 負けると言うことは、自国の文化や伝統、あるいは国の精神を奪われることを意味するからだ。
 これが、生き残っても、まさに地獄なのである。魂を奪われて、破れた国など存在する訳がない。

 国破れて山河あり……。
 実にのんびりとした日本人的感傷である。当時の日本人は、杜甫の『春望』に合わせて、敗戦の感傷に浸った。
 しかし、この感傷は実に甘い、暢気な、戦争を知らない大人達の感傷だった。

 いったん戦争に負けると、山や河はおろか、国家や民族としての纏
(まと)まりも奪われてしまうのである。自己中をはじめとする身勝手と、悪しき個人主義を謳歌(おうか)し、過去の歴史は総て否定されて、自己主張が露(あらわ)になる。何よりもそのことは今日の日本人の分裂状態が、これを雄弁に物語っている。

 あの町 この町 日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道 かえりゃんせ かえりゃんせ……
(野口雨情作詞、中山晋平作曲)
 そして、今きたこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ……とあるが、既に日本文化を破壊され、日本精神を喪失した日本人の帰るところは失われているように思える……。

 このように論ずると、日本の文化と伝統は失われていないではないかと疑問に思う人がいるかも知れないが、例えば日本の“和食”も、和食の名を借りたよく似た、中身は西洋食であり、伝統一つ挙げても例えば武道などは、武道の名を借りた、中身は西洋体育理論のトレーニング法を取り込んだ西洋武道である。
 その証拠に、武道と言いながら、西洋式ステップを踏んでぴょんぴょん跳ねる筋トレ中心の練習法からして、これは古来より日本に伝わる武の道ではないことから、日本の伝統が失われてしまった事が容易に分るであろう。



●自由恋愛の果てに

 世は、老若男女を問わず不倫時代の只中にある。
 そして不倫と聴いても、大した罪悪感を持っていない。逆に誇るべき行為だとして、胸を張る連中も居る。

 さて、山頭火の日記に次のような掲載がある。
 この篇は『四国へんろ日記』と題してもので、日記の昭和14年11月18日
(好晴、往復四里、おなじく)の中にこのようなことが記載されている。

 行乞しつつ、無言ではあるが、私のよびかける言葉の一節、或る日或る家で──
 “おかみさんよ、足を洗ふより心を洗ひなさい、石敷を拭くよりも心の拭きなさい”
 “顔をうつくしくするよりもまづ心をうつくしくしなさい”

 この記載発言は、いといろにとれる。
 おそらく山頭火は、この日、自己中人間を観たのだろう。愚行によほど肚に据えかねたのか、外側とは異なる人間の内面のドロドロとしたものを視たのか、その食い違いの矛盾に、日記には、こう記さねばならなかったのだろう。あるいは反動が起こることを暗示しているようにも思える。

 自己中は、今に始まったことではないが、自己抑制に乏しく、自分を抑えられないという人間は、古今東西居るようだ。
 今日に見る、自己中的自由の裏には、必ず反動が起こる。
 作用という自己中的自由に対して、反作用という反動が起こる。
 自由恋愛……。
 肉を媒介する肉愛交渉。
 その結果、何が起こるか。
 妊娠……。そして堕胎手術という自由恋愛の悲劇を迎える。これは命を冒涜
(ぼうとく)する行為である。
 また、妊娠から流産に至っても、動機に自由恋愛の「快楽の果て」が懸かっているのなら同じであろう。

 そして今日の少子化現象を検
(み)ても、此処に絡んでいるのは自由恋愛の禍(わざわい)であろう。
 少子化の根元には、色が巣食っていると検た。色難である。戦後日本人の自由恋愛に毒された色狂いのためだろう。
 自由恋愛とは、取りも直さず、フィーリングが合えばその場の雰囲気で、誰とでも寝るフリーセックスである。そして結末は、女性の妊娠・金銭の工面・堕胎手術という順序を辿る。
 その影響により、日本では特に戦後、人工中絶が大義名分化された。自由の名の下に、誰彼を憚
(はばか)らない。

 人工中絶は、法的には優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止するために法制化されたものである。事実、この法の適用によって、母体の命が救われることもある。その意味では、一部で機能している。かつては優生保護法といったが、今では母体保護法という。それに、この法律によれば、母体の生命健康並びに保護も加わる。
 しかし、大半の人にとって、これはタテマエであろう。一部の母体を救うことは事実であろうが、大半はタテマエとして悪利用されている場合が少なくない。
 更に解釈によっても異なるが、「不良な子孫の出生を防止」という一節の巧妙な言い回しが鼻に突く。自由恋愛を楯に、誘導されている向きもあるようだ。

 現に、現実を検れは昨今の、かつては考えられない残忍な少年犯罪が激増しているではないか。
 知識面においては、かつてにないほど飛躍した。確かに往時の日本人に比べて、知識階級も殖え、日本人はその大半が高学歴者である。
 だがそれに比べ、同じ分だけ、いい訳も言葉を弄
(ろう)して上手くなり、犯罪手口も巧妙になり、知識者の知識程度に悪事も悪質になった。低年齢者の知能的な犯罪も多発している。何故この種の犯罪が減らないのか。犯罪は、近年に至って兇悪犯罪がエスカレートしているのか……。

 優生学上の見地から考えれば、優良者が残り、劣悪者が減少するのであるから、悪質なものは減少しなければならない。高学歴者も殖え、日本と言う法治国家は健全に機能しなければならない。モラルも道徳性も以前に比べて、向上していなければならない。現代日本人は進化していなければならない。

 何故なら、優生保護法によって劣性は淘汰され、優良な生命ならびに生体が、人類の遺伝的素質を改善されるのであるから、淘汰された後に残るのは「優性の法則」
【註】メンデルの法則=近代遺伝学の基礎となった遺伝の法則)により、「優性」なる種でなければならない。この種の中には、不良種は極めて少なくなければならない。

 つまり、交雑によって生じた雑種第二代には、優性形質だけが現れ劣性形質は潜在する。これを「優性の法則」という。
 次に、雑種第二代には、優性形質を現すものと劣性形質を現すものが分離してくるとあり、これを「分離の法則」という。また、それぞれの形質が無関係に遺伝するとあり、これを「独立の法則」という。

 メンデルの法則によれば、生物の形質の相違は遺伝因子によって決定されるとある。
 つまり、雑種第二代に現れる形質を、優性形質に対応する遺伝子を優性遺伝子とある。
 だが現在の平成27年は「昭和」に換算すれば、昭和90年であり、戦後70年の節目の年を経過した。
 優生保護法の適用は、1948年に制定され、更に1996年に改正されて母体保護法となっている。この法律の主旨は、優生学上の見地から、不良な子孫の出生を防止し、母体保護を目的とする法律である。
 特に「不良な子孫の出生を防止」の一節に注視したい。

 ところが、戦後67年を経ても、不良な子孫は、幾らでも出現しているではないか。
 とっくに雑種第二代を経ているではないか。なぜ優良なる子孫が排出できないのか。
 不良な子孫の禍根の因子は断たれて激減している訳であるから、淘汰の法則からすれば大半は良質なる子孫でなければならない。
 だが現実には、法治国家における善悪を正しく判断出来ない青少年犯罪者
(平成生まれ)は不良な輩(やから)ではないか。これで、血縁が優良だと言えるのか。知能的にも進化し、精神面や心の面も進化したと言えるのか。

 法治国家を標榜する以上、そこの国の国民は知的レベルも上がり、誰もが物わかりがよく、事の善悪が正しく判断出来、愚民の域から脱却出来てなければならず、また家庭においては良識ある父母の許で躾
(しつけ)やモラルの家庭教育が正しく行われ、家族の一人ひとりが健全な肉体と精神を持ち、親子共々尊重し合い、よりよき個人主義を確立し、更に社会に眼を向ければ、正しい政治家を選ぶ見識眼を備えていなければならない。
 だが、現実が違う。

 少なく見ても、江戸期の日本人よりモラルは低下しているではないか。現代の世を見回すと、往時の日本人より、礼儀正しくないではないか。道徳観念も薄いではないか。老若男女の世代を問わず、どうして残虐な苛
(いじ)めが起こるのか。
 これでどうして優性遺伝子が正常に伝達されていると言えるのか。

 優生を考えれば、時代が下るに遵って、不良なる因子は極小になっていなければならない筈である。だが、現実はそうではない。
 犯罪一つ挙げても、極悪で残忍な犯罪が急送している。優良なる子孫が殖えて当然である筈の、時代が下っていると言うのに……である。

 優生保護法
(母体保護法)を設けたからと言って、その抑止力の効果を持たないことは明白である。
 優生保護法をタテマエにして、堂々と堕胎手術が行われる。男女の快楽の果てに、堕胎手術が合法的に行われる。
 そのうえ夥
(おびただ)しい水子が出る。命だけでなく、霊魂まで抹殺されている。迷える魂も急増しているのである。
 確かに病院も儲かるが、また水子を餌に、「水子供養」なる奇妙な儀式を始めた一部の寺や宗教団体が、この餌を撒
(まいて大儲けを計る。医者も宗教家も、水子と言う餌で大いに儲かるのである。

 そして昨今では、経済的理由も付加され始めた。
 ために、背後では人工的な人種淘汰が行われていると言える。自然淘汰なら未
(ま)だ分かるが、人種淘汰である。人種を減らす策が、背後に隠れている。その危機に、誰も気付いていない。
 人減らしならぬ、人種減らしの人種淘汰という現実が、水面下では動いているのである。人類はみな兄弟ではない。日本人は、その兄弟に入れない。日本人は世界から妬
(ねた)まれているからである。その企てに誰も気付いていない。

 では、少子化現象と欧米流の自由恋愛、どういう関係があるのか。
 読者諸氏は戦後の日本人が、なぜ平和主義とか戦争反対と、主義主張を声高に叫ぶか知っているだろうか。
 これは単に、敗戦後遺症を引き摺っているからだけではない。
 自由恋愛は、一方で人工中絶の嬰児屠殺
(えいじ‐とさつ)に関わっているからである。
 背後に、国際的な政治圧力があることは事実である。

 先の大戦では、日本人だけで300万人以上が死んだ。一民族だけで、史上空前の最多犠牲者数を出したのである。つまり大東亜戦争での日本人の死者の数は300万人以上である。
 戦勝国の国際連合国軍が言う太平洋戦争での日本人の死者数は、大雑把に言えば、310万人であり、その内訳は、軍人および軍属が約230万人、それに赤ん坊を含めた非戦闘員が80万人。当時の日本人の9%ほどが犠牲になった。それも、たった三年八ヵ月ほどで、310万人も死んだ。この死者数は一民族の死者数である。これだけに人間が四年弱の間に死んだのである。

 また、一民族だけで厖大な死者を出したとするユダヤ人のホロコーストは600万人でるが、この数字が単に、仮説であることは疑う余地もない。
 この“600万人説”は、あくまで政治目的を持った仮説に過ぎず、シオニズム運動の巧妙な方便とも考えられる。
 何故なら、アウシュヴィッツの収容能力は最高で1万5千人程度である。どうしてこの収容所で、燃料難の当時のドイツが、600万人もの人間を、貧弱な施設で焼き殺すことができるのであろうか。どう考えても、その焼却能力があったとは考え難い。
 当時のドイツ事情を含めて考慮すれば、この数字の疑問を、その喧伝者は根拠を示し、正しく説明するべきであろう。

 その際、ユダヤ教徒改宗派のアシュケナジー・ユダヤと、アブラハムの末裔
(まつえい)のユダヤ人であるスファラディー・ユダヤの虐殺内訳も必要だろう。ユダヤ人とユダヤ教徒の違いも明快にすべきであろう。
 現代は、“科学的”という言葉が持て囃されている時代である。600万人の虐殺があったとするならば、科学に基づいて、単に仮説でなく科学的な根拠を示し、確たる態度で言うべきではなかろうか。

 これはホロコーストがあったか、なかったかでない。ホロコーストはあったであろう。確かにあったであろう。
 但し、正確を期すなら、ユダヤ人と言うより、ユダヤ教徒滅殺であろう。
 ヒトラーの政策から考えて、ユダヤ教徒を根絶やしにするために滅殺が行われたことは事実であろう。

 だが、問題は「ユダヤ教徒が600万人も滅殺された」と言う事実について……である。
 またユダヤ人でも、非ユダヤ教徒までがユダヤ人に数えられたかどうかの疑問も残る。ユダヤ人でもユダヤ教徒でなければ、非ユダヤ人であるからだ。当時この認識があったか否か疑問が残る。
 したがって“600万人説”は、未だに仮説の域を出ていない。サバ読みの感すらある。政治的駆引きに使われている匂いすらする。

 しかし、日本人の場合は違う。
 一民族だけで、たった三年八ヵ月ほどの間に、何と310万人も死んだ。この数字は事実である。そのうえ人類史上まれな広島・長崎に、非道窮まる原子爆弾投下までされて、非戦闘員をも含めて大勢の人命が奪われた。その中には生まれたばかりの赤子も居た。この赤子が、どうして武器を振り上げて闘う戦闘員なのだろうか。

 しかし、国際連合国軍
(主体はアメリカ軍)は赤子も戦闘員と看做(みな)し、戦士として米国に弓曳く対象に入れて、抹殺してしまったのである。
 勝てば官軍で、どんな無理難題でも通る。東京裁判
(極東国際軍事裁判)での戦勝国側の裁判判決は不当窮まるものだった。終戦直後も、日本では抹殺された者が出た。

 先の大戦で、日本人だけでも300万人以上死んだ。
 この死亡数は、一年間の日本で行われている嬰児屠殺と同数という。ユダヤ人の600万人虐殺どころではない。人工中絶で、戦後から換算すると、日本人の一割以上が嬰児屠殺されている。
 その数は、戦後から延べにすると、二千万とも三千万とも言われる。

 人命は尊いといいながら、戦争絶対反対の論理を掲げる平和主義の裏には、ご都合主義の日本人の矛盾振りと、非合理性に呆
(あき)れるのである。その原点に、今日の少子化がある。
 そして、「少子化は深刻……」などといって、一方で頬っ被りして耳を塞
(ふさ)ぎ、人工中絶を優生保護法(96年改正し、母体保護法)の立場から奨励しているのである。
 これでは鳴る鐘を盗むのに、耳を塞いで盗むようなものである。斯
(か)くして、日本は世界でも有数な『堕胎王国』になった。不名誉な折り紙である。

 戦後の人口問題は少子化が原因というが、その元凶は人工中絶だった。自由恋愛を遠目で黙認する、モラル低下が蔓延
(はびこ)っていたのだった。

 今や世の中はマスメディアを通じて、自由恋愛真っ盛りというか、偏った青春讃歌というか、享楽第一主義を謳歌させて、快楽主義的人生観の奨励を煽っているのである。悪しき個人主義は、ますます煽られて、国民は愚民化され、民主主義は今や悪魔の道具と化した。

 更に、この背後には進歩的文化人の暗躍があった。
 北村透谷
(きたむら‐とうこく)のような進歩的文化人の煽動者がいて、恋愛主義を煽り立てた。
 この種属が恋愛奨励主義者が、思春期の青少年を対象にして恋愛主義を煽ったのである。
 然
(しか)も、人生の価値観を恋愛の解放と享楽の賛美において吹聴しならが……。
 そして、それはやがて、ある種の厭世観や絶望感や空虚感に繋がっていく。つまり、日本人を墜落させるためだった。

 特に、日本人を墜落させるためには、権威筋が無政府主義者と結び易い。
 また、日本人の多くは権威とか出身学閥に弱い。更に、大学教授とか、医学博士とか、難関な司法試験を合格した法曹界の権威だ。そして、その権威が無政府主義者だったらどうなるだろうか。

 権威だから影響力は大であり、絶大な影響力を持つ有識者や文化人などの権威筋が、日本人の自尊心を墜落させ、名誉を墜落させ、誇りを墜落させるために権威を笠に物申す。それは進歩的文化人という立場から、日本人を悉
(ことごと)く墜落させ、自虐的な立場に追い込むことが目的だった。

 それにジャーナリズム全体が左掛かって、権力憎しの思想に取り憑かれると、『朝日新聞』の如き、ある種の世論誘導が起こる。某慰安婦問題然りである。
 北村透谷以降、高村光太郎のような偏った流脈が起こり、時代をリードする進歩的文化人構想を展開した。その一方で、進歩的文化人がマスコミを煽り、ジャーナリストを通じて、無政府主義を礼賛し、賛美し、絶賛した。このとき婦女子の早期処女喪失も組み込まれた。これを恋愛の自由と称した。これこそ世論誘導の最たるものだった。
 これらに片棒をかつ居ているのが、不倫作家である。

 不倫作家が、婦女子の早期処女喪失を、恋愛小説に絡めて煽った。セックスはいいものだ。セックスこそ愛情の証
(あかし)。愛イコール性の図式を捏造し、肉欲を奨励した。情愛は肉欲と等式であることを吹聴したのである。
 未婚、既婚に関わらず、不倫作家が、冒険的な恋愛を楽しむ権利があると煽った。結果は、ご覧の通りである。
 婚前交渉を社会の常識に定着させ、結婚前から性具合を不特定多数と確かめる。
 性格の不一致は性具合の不一致であると言う理論が罷り通った。それでいて離婚数が減らないのは何故だろう。
 また肉愛の結果、背後では堕胎手術が大っぴらに行われている。

 世は不倫時代。
 また自由恋愛真っ盛りの時代である。
 そして不倫ならびに動物的な自由恋愛の快楽と享楽を煽動しているのが、不倫小説である。
 不倫小説には、不倫を重ねるその行為自体が小説的あるいは文学的とまで言い切ったものまである。不倫を煽るだけ煽り、青少年に対しても、結婚以前から男女の交わりを奨励し、婚前交渉が結婚の事前調査であるから非常に結構なことだと論じて憚
(はばか)らない。

 これは不倫が悪いとか、そうではないと言う問題ではない。不倫も現代の流行の一つだろう。あたかもセクハラが声高に叫ばれるように。
 だが、享楽で耽美主義に奔って、人生そのものをこの考え方で捉えてしまうのは短見と言えまいか。

 人生での生き方の一つである享楽や快楽を、真の生き方と信じるならそれはそれで構わないだろう。自分の人生である。他人から左右されるべきものでない。自分で選べばいいのである。
 しかし、自己責任において後悔しない自信があるのなら、それも一つの生き方であるから誰憚ることはないが、それに対して、その後の反作用だけは覚悟せねばならない。傷付くことも承知の上の行為である。
 だが、流行に躍るのは慎みたいものである。

 更に、自由恋愛を煽る側の言論の自由は許されるとしても、煽るだけ煽った後の事後処理について何ら論じていない。これは何故か。
 殆どが、煽動第一主義で不倫に奔る過程が描き出されている。
 小説として文学として、それはそれで文句をつける気はないが、その後の発生する争議やお家騒動などである。

 自由恋愛はアメリカから持ち込まれた下層階級の恋愛方法と性行為
(日本では性教育ならぬ性器教育として近年急速に広まった)についての恋愛術だが、これが総て正しく、健全と言うことではない。不健康な一面も隠されている。その最たるものが、性行為によって起こる性病の蔓延や女子の子宮頸癌などであろう。

 自由と自虐はイコールなのだ。この構図を見逃してはなるまい。
 今日の日本では婦女子が嫁に行くまでに、その99%が婚前交渉で非処女になる。これは、婦女子を持つ親にも責任がある。親も、わが子の監督を怠るばかりか、自らも虎視眈々として風俗などに出入りし、その隙を窺っている。

 今時、処女などというと冷笑を買う。処女を馬鹿にする常識を、モラル低下の世論操作で行った。大衆に植え付けた。
 実際に、自由恋愛の総本山のアメリカでも、日本人ほど貞操観念は墜落していない。かの国は厳格なる階級社会である。階級差や身分差が厳格なる国家である。何でも自由ではない。自由はタテマエに過ぎない。
 上流ではピューリタン以来の誇り高き伝統が昂然
(こうぜん)と残されている。ここに属する人は常に凛(りん)としている。態度は毅然(きぜん)としている。彼ら上流階級では、“信仰しない自由”を信じる人などいない。信仰する自由を固く信じている。その態度は今も崩れていない。

 確かに下層階級では自由恋愛が公然と行われ、その発展振りは華々しいが、上流階級では自由恋愛など認めていない。上流は厳格である。日本ほど墜落していない。
 先進国の中で、貞操観念が一番墜落しているのは日本がダントツ。
 恋愛奨励の国では、貞操観念の堕落が甚だしい。日本の戦後は耽美主義に入れ揚げた。自由も、フリーセックスの名を借りて日常茶飯事である。世界でも類例がない。よく覚えておきたいことである。
 戦後の日本では、確かに物質的には豊かになった反面、失ったものも多いのである。

 日本は確かに、物質的には一億総中流で、確かに先進国の中で、中流のレベルまで追いついた。ところが、先進国では、精神的には下層階級か、それ以下となった。
 そして、少年マンガは暴力礼賛。
 また、少女マンガは恋愛に絡めて、早期処女喪失礼賛。幼少年期から早々と肉愛に奔る。
 精神的には、一億総下層だから、暴力礼賛と早期処女喪失礼賛が、この社会では常識化されてしまうのだ。この構図の中から、少子化現象の背景が見えて来るだろう。

 無政府主義者にとって、日本女性は自虐するべき対象だった。日本人女性の貞操感を失わさせ、早々と小・中学校の時点で、処女を喪失させるよう、世論に働き掛けたのは進歩的文化人だった。
 昨今の女性週刊誌を能
(よ)く検れば明白である。
 こうした書物の裏には、進歩的文化人の日本崩壊の意図が働いている。戦争絶対反対とか、平和主義の裏には、こうした背景がある。自虐的立場に追い込んで“日本人”という、この種属を、ヒト科の生物界から排除したいのだろう。

 日本人ならば、高村光太郎が大正三年に発刊した詩集『道程』の中の文章を、決して忘れるべきでないだろう。
 高村曰
(いわ)く、日本人観を『根付(ねつけ)の国は、猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかれらの様な日本人』と言い退(の)けている。
 日本人を徹底的に侮蔑して憚らないのである。

 しかし、現代の多くの日本人は、高村光太郎のこうした一面を知らず、ただ『智恵子抄』だけが歌謡曲にも歌われて有名となり、今日でも耽美主義者の高村礼賛が一人歩きしている。

 進歩的文化人は、世論を自分らの思い通りに操作して、同じ日本人でありながら、日本人を自虐的立場に追い込み、懺悔
(ざんげ)させる名人である。
 したり顔の文化人は、人工中絶礼賛も、日本人撲滅運動の一翼を担っている。この水面下の動きに、日本人政治家は、誰一人気付かず、気付いても反論出来ない。反論すると、票を失うだけでなく、マスコミから叩かれる。少子化を問題にしながら、一方で、少子化に歯止めを掛けることを見逃している。

 事実、本来は優生学上の見地から、不良な子孫の出生を防止するということとは程遠い、経済的事情も考慮され、不具でなくとも嬰児屠殺が行われている。つまり、嬰児の父母となるべき男女が、養育は金が掛かるとか、セックスは好きだが、子供は嫌いだという理由で屠殺されている。
 現実には、男女の性的快楽のために嬰児が屠殺される。
 根本的には、此処に少子化の元凶が巣食っている。日本人の人口減少は、厚生労働省が奨励する母体保護法は換言すれば、人工中絶礼賛であり、これにも問題がある。

 言論の自由から、性描写を濃厚で卑猥
(わいせつ)に書き立て、猥褻的かつ官能的に表現しても、昨今では咎(とが)められない。何でもありの時代になった。親もだらしないから、日本では中産階級クラスでも、欧米と異なり、家庭教育が出来なくなって、親もわが子の躾(しつけ)を放棄している。それどころか、親が不倫に興じている。

 日本民族への圧力は、海外からの外圧だけではなく、日本国内の裡側
(うちがわ)からも骨抜き現象が起こっている。
 ある文化が滅びるとき、それは外圧だけでなく、裡側からも崩壊して行く。かのローマ帝国、然
(しか)りである。
 一国の文化を滅ぼすのは、まず国民を愚民化する方法が採
(と)られる。
 今から日本は、冬の時代の到来で“雪の泥濘
(ぬかるみ)”を歩かされるからだ。至る所に、その翳(かげ)りが出て来ているようだ。


【著者作の自選1200句】













<<戻る トップへ戻る 次へ>>

  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法