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句集 自選1200句 24

個人主義……。そして家庭の幸福を守るという大義名分のマイホーム主義。
 幸福を守る手段にマイホーム主義が猛威を揮い、その結果手段を選ばず、利益追求のみの経済優先政策に加担する。そしてそれを正当化してしまった現代社会。
 斯くして、日本人は個人主義の路線を選択し、その大半以上がこの政策に加担し、満足を覚えている。

 かつて個人主義と言えば、「自己中」と言う名で指弾され、悪しき個人種のご槍玉に挙げられた。
 ところが時代が変わった。
 悪しき個人主義こそ、現代社会の象徴的な行いとされ、善い意味でとられている。エゴイズムこそ、最大限に活用して、人生は心行くまで謳歌せよとなってしまった。

 全体は蔑ろである。
 自分のことだけを先き回しにして、出来るだけ有利なポジションにありつこうとする。此処に「勝ち組」に入るために鬩ぎ合いがあり、また「負け組」に与
(くみ)しないために必死の攻防戦が繰り返される。
 全体のことを考え、「自分のことを後回し」にして、無私に徹することは悪いこととなってしまった。

 日本は戦争に負けて、その敗戦責任も問えないまま、戦後一度でも「日本が何故負けたか」と責任追及は不問にされ、負け戦を指導した当時の軍隊官僚は、戦後、自決することもなく、おめおめと生き残り政府から高額な殉じん恩給を貰いつつ、安穏とした老後を過ごした。またその家族も、世が餓えている時代に、贅沢三昧を楽しみ、多くの貧困を見て見ぬ振りをしていた。負けた責任など、痛痒も感じないのであった。

 そして国民の大半が、僅かな収入を得るためにシャカリキで働いているとき、芝居に踊りに歌にと、わが世の春を楽しんでいた。
 政治家でも政治屋に成り下がり、「国と為」という理想は時代錯誤の長物になり、今の世の狂いを是正する勇気もなく、ただ地盤争いと選挙区のみの制度改革に躍起になり、未だに国民不在のまま信念も恥も無いようである。

 自分だければそれでよいとする考え方の固執は、この種の政治屋だけでなく国民一般層にも定着しているようである。
 自分の暮らしだけ成り立てばいい……。これが今日の日本人の考え方であるようだ。
 これをもって個人主義と称する。そして個人主義は、個人の思想まで頽廃
(たいはい)させてしまったのである。
 この意味がどういうことか、この危険に気付く人は少ないようである。

 個人は頽廃するとは、個人主義の象徴に掲げているマイホーム主義も、やがては頽廃し、更には日本国も日本社会も頽廃すると言うことなのである。
 現代日本人は、この頽廃路線を上も下も爆走しているのである。



●貧乏をどう楽しむか

 世に貧困と云う言葉がある。
 貧しくて生活が苦しいことを貧困という。そして、貧困の責任を、世の世人の多くは政治は悪いとか政府が悪い、あるいは社会が悪いとして、貧困者その人に責任を問わない。
 総て責任の所在を貧困者以外に求め、貧乏生活をしている人を、甘えさせる社会の仕組みが、また一方にある。

 さて、果たして貧乏は悪なのだろうか。
 悪であり、恥なのであろうか。
 貧乏を悪と感じたり、恥と思い込む人は、おそらく中途半端な貧乏をしているからであろう。
 私は、これまでの人生を振り返って、つくづく思うことは過去を振り却って、確かに貧乏であったが、しかし中途半端な貧乏をした思いは殆どない。貧乏は貧乏でも、極貧レベルの貧乏であった。中途半端ではなく、100%貧乏だった。そういう経験をした。

 100%貧乏とは、どういう貧乏か。
 貧乏していても、何かが食べられると言う貧乏ではなかった。喰えないのである。
 明日喰う米は愚か、今日に糧にも困る貧乏を長らく経験したことがある。つまり、こういう貧乏を、極貧と言うのだろう。

 生活保護者よりも、10ランクも20ランク以上ももっと底辺の、極貧の上に極貧を重ね合わせたような貧乏をしたことがある。
 平成二年当時、生活保護者は一人おおよそ月々13万か14万円ほどの生活費を貰っていた。
 ところが、私は一日に千円有るか無いかの暮らしをしていた。とにかく喰えないのである。二日に一度、三日に一度という酷い時期もあった。
 つまり、本当に喰えない時代を、わが身をもって体験したのである。
 そして、わが身一人なら、何とか「物貰い」でもして凌
(しの)げようが、家族を抱えていてはどうしようもない。全く身動きの取れないドン底の貧乏をしたことがある。

 しかし、極貧のドン底と言うのは、そこがドン底であるから、もうこれ以上、下に墜
(お)ちようが無い。此処まで来ると、下も行き止まりであった。これ以下の階下は無かった。
 数ヵ月前まで自分の持ち物であった土地家屋は、総て抵当に入り、あるいは取り上げられ、競売され、着ている衣服も着た切り雀でボロを纏い、しかしそれでも、街の出歩きには平気でうろついていた。

 裁判所にも随分足を運んだ。
 埒
(らち)は明かないと半ば諦めていたが、それでも繁く足を運んだ。会社更生法の適用もなく、無慙(むざん)に門前払いされた。
 だが、墜ちるところまで墜ちたが、それでも人間としてのプライドだけは保っていた。
 卑怯なる自己破産だけは絶対に阻止した。負債の一切を、わが身一身に抱えて、逃げずの踏み止まったのである。

 事業で、確かに破綻はしたが、自己破産と言う人間の破綻だけは、幸いにも来さなかった。
 土俵際に、どっこい足を掛けて、逃げずに踏ん張り通したのである。この「踏ん張り」が、生き存
(ながら)えた今の私を造っている。
 こういうときは逃げても楽にならないのである。
 踏ん張り通して、今度は逆に居直るしか無いのである。

 逃げれば追い掛けてくる。逃げる運命は、必ず追い掛ける運命に何処までも追跡される。この追跡される運命に、またその執拗さに人間は絶対に躱
(かわ)すことは出来ないのである。
 私は当時、数億単位の借金を抱えていた。ここまでくると、個人ではどうしようもない。解決など不可能に近い。
 しかし、それでも諦めなかった。したたかに凌いだ。

 普通だったら、数億単位の借金を抱えた時点で困苦を理由に、自殺しても訝
(おか)しくないだろう。むしろ普通だったら、そうするだろう。あるいは正常な神経の持ち主ならば、自殺も已(や)む無しと考えるだろう。
 しかし、私はそうはしなかった。
 確かに惨めであったが、しかし、どっこい、したたかに踏ん張り通し、生き残ったのである。
 そして、今でも、この経験が、この体験が教訓となって生きているのである。

 人間は生きている限り、天に何処までも生かしてもらわねばならない。
 有難く奇蹟を起こして頂いて、ドン底に墜ちた人間でも生かして頂かねばならない。
 人間は一度や二度、大失敗をしてドン底に叩き落とされても、しぶとく生き、また生かされるものである。

 だが、中途半端な位置でぶら下がって、ドン底には落されまいともがけば、確かに辛いものである。つまり中途半端が辛いのであって、極貧もドン底生活も、実はそれほどでもないのである。辛いことから逃げるから辛いのである。
 しかし、一旦ドン底に墜ちてしまえば、妙なもので肚が据わるものである。

 これまで、墜
(お)ちまい墜ちまいと、もがいていたことで見えなくなっていたものが、ドン底に墜ちることにより、よく見えるようになったのである。眠っていた眼が開けたというべきか。
 肚が据われが、墜ちたとしても、毅然
(きぜん)とした態度がとれるものである。対等に、人と渡り合って行けるようになるものである。

 一番いけないのは「墜ちまい墜ちまいともがく」この愚行である。この愚行は恐怖を呼ぶ。妄想を呼ぶ。これが、「実
(げに)に恐ろしき……」なのである。
 逃げたり回避したり、もがくより、墜ちた方が楽になり、肚が据わってくるのである。そして、困難に直面したとき、人間が墜ちることにより、物事を正しく見る眼を思い出させてくれるのである。
 人間の経済活動の中に「恐慌」と言うものがあるが、これは過剰生産により価格の暴落し、次に失業の増大し、最後は破産という経路を辿り、恐怖のまま終焉するパニックである。

 人類は近現代史の中で幾つかの恐慌を経験してきている。
 近現代史で最初の恐慌は1929年10月26日の世界大恐慌の引金となったウォール街でのアメリカの株価大暴落である。当時世界規模で蔓延しつつあった資本主義経済の欠陥を大いに晒し、世界中を震え上がらせたのである。そして、その後も平成バブル崩壊
(日本で起こった資産価格の上昇と 好景気、およびそれに付随して起こった社会現象で、1990年に平成バブルは崩壊)やリーマン・ショック(米国の投資銀行であるリーマン・ ブラザーズが破綻したことに端を発して、続発的に世界的金融危機が発生)へと繰り返されるのである。

 人間は恐慌を経験すると、これまで見過ごしてきた価値観の考え方の間違いに気付くことがある。人間にとって「幸せとは何か」を、真剣に考えるようになるのである。
 勿論その背景には、多くの悲惨さが蔓延
(まんえん)し、不幸が猛烈な勢いで波及して行くことになる。その犠牲になる者も多く出る。そう言う犠牲者を出しながらも、人間にとって、本当の幸せとは何かを考えさせてくれるのである。
 利益・利益……利益追求の考え方のみで、その利益の追求がこうした破局を招いたのではないかと。

 利潤を追求するのみの“儲け主義”に問題は無いのかとか、利益のみに振り回されて奔走する考え方に間違いは無いのか?……と。
 そして利益を追求し、それで儲けて大勢の懐が豊かになる。豊かになれば、もっと豊かになる次の手を考えるようになる。これが益々エスカレートして行く。
 このエスカレート状態の途上に、現在の経済優先政策がある。
 だが、人間は傲慢
(ごうまん)になったときが一番恐ろしい。傲慢こそ、落し穴に墜ちる前兆現象である。
 今その前兆現象が明確になりはじめた。墜ちる暗示がある。

 しかし、この優先道路は前方に如何なる障害が潜んでいようと、突っ走るしか無いのである。現代は爆走体勢で驀進
(ばくしん)する。
 だが、その先になるがあるのか。
 今これを予見できる賢人は居ないようである。
 そして、豊かさ便利さや快適さのみを追い求める物質文明主導型の社会に、幸せがあるのか無いのか、一度は考えて見なければなるまい。
 また、これから先の、人間が歩こうとする軌道には、一体どういう未来が待ち構えているのだろうか。
 このことを真剣に考えねばなるまい。



【著者作の自選1200句】




























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