運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
句集 自選1200句 1
句集 自選1200句 2
句集 自選1200句 3
句集 自選1200句 4
句集 自選1200句 5
句集 自選1200句 6
句集 自選1200句 7
句集 自選1200句 8
句集 自選1200句 9
句集 自選1200句 10
句集 自選1200句 11
句集 自選1200句 12
句集 自選1200句 13
句集 自選1200句 14
句集 自選1200句 15
句集 自選1200句 16
句集 自選1200句 17
句集 自選1200句 18
句集 自選1200句 19
句集 自選1200句 20
句集 自選1200句 21
句集 自選1200句 22
句集 自選1200句 23
句集 自選1200句 24
句集 自選1200句 25
home > 胆識と流転の句集  自選  1200句 > 句集 自選1200句 25
句集 自選1200句 25

人間の「格」とは如何なるものか。
 人には「格」と言うものがある。
 それは人格であり、品格である。人の「品」も格に入ろう。
 また「品」は、酒を呑めば当然、飲んでも呑まれない「品」と言うものがあっていい筈で、「酒品」などもその品であろう。この品に人物の品格が顕われるのである。つまり等級である。
 等級はその人物の真価を顕すものであり、人物鑑定においてこれが克明になる。
 では、克明になる時はいつか。

 それはその人が窮地に陥ったり、貧乏のドン底にあるときに正体を現す。
 『陽明学』で言えば「事上磨錬」で、思わぬ災難や災厄に遭遇したり、窮地に立たされた時に現れるものである。そして、そのとき逃げずに踏み止まれるかである。
 災難などは、安穏とした平時に予期もしない、ある日突然に襲ってくるものである。これをじっと耐えて、受け止め、凌げるか凌げないかである。

 災難や禍に遭遇して、これを我慢で受け止め、その時の態度が真摯であらねばならない。愚痴らず、怒らず、況
(ま)してノイローゼすらならず、静かに忍耐するか否かに懸かる。耐え忍ぶか否かに懸かる。
 一言で「静かに忍耐し、じっと我慢する」などといえは他人事のように聴こえ、他愛もないことのように思うが、実がこれが難しいのである。一朝一夕にはいかないからである。
 また強靭さを必要とするからである。

 精神力が試され、「不屈の精神」が何処まで維持できるかで、自らが「天」から試されたりする。
 『孟子』に出て来る「受任者」の資格を得る大人物とは、他人の誹謗や中傷を受け止め、不幸や不運に見舞われ、これによって己自身を磨くことの出来る人である。



●清貧生活

 都会人の中で、都会の喧騒から離れたいと考えたことのある人は居ないだろうか。
 都会という、貧富の上下の差が克明であり、上下間には常に相対的な力が加わっている、こうした社会から訣別したいと考えた人は居ないだろうか。

 日本社会の構造を能
(よ)く観察すると、まさにアメリカのモデル的隷属的国家であることは疑いようもない。この背景から、独立国・日本のイメージは生まれて来ない。アメリカの第51番目の「日本州」のイメージすらある。
 また、この疑いに、真摯に眼を向ける日本人も少ない。
 かつての神国日本の面影は、もう何処にも見ることが出来ない。

 それでいて、戦後の現代日本人は日本特有の“戦後民主主義”と“一国平和主義”にぶら下がり、この中途半端な「ぶら下がり体制」の中で、奇妙な拮抗
(きっこう)を保ってきた。これ自体が、異常の観がある。
 それはあたかも、紀元前200年頃のスキピオ・アフリカヌスのローマ軍が、ザマの戦いでカルタゴ軍を破り、その宿敵だったカルタゴ軍の国土と城壁を守り、ローマがカルタゴ船の地中海航行にあたり航海上の安全を図るという構図である。

 アメリカは事実上、今でも軍事占領している。そのうえ、これ以上、軍事侵攻できない。
 日米安全保障条約は、その最たるものではないか。
 この奇妙な構図に、一体どれほどの日本人が奇妙だと認識しているだろうか。また、この不可解に、どれほどの人が気付いているだろうか。

 そして日本国民は、戦後教育の中で「戦後民主主義」と「一国平和主義」を叩き込まれ、戦前・戦中とは異なる、誰もが平等という平面的思考の頭脳に改造され、深く考えさせない「人真似主義」を徹底させられた観がある。
 斯
(か)くして日本人は、何も考えない“井の中の蛙”に改造されてしまったのである。

 例えば「悪を殺せば残るのは善のみ」という善悪二元論の思考法で、この思考法こそ、実は「行き詰まりを見せる思考法」であった。その最たるものが、マルクス経済学なのどに代表される弁証法的歴史史観である。
 そして、この思考法では、中心課題に「貧乏克服」が掲げられているから、貧乏を悪として憎んだ。
 憎んで、徹底的に排除することこそ、その後に幸福が訪れるとの幻想と虚構を植え付けた。共産主義社会こそ地上の天国であるという虚構理論は、貧乏駆逐から始まった。
 河上肇の『貧乏物語』は、この幻想と虚構を、美辞麗句に摺り変えて専門用語で並び立て、マルクス経済学こそ人類に平和と幸せを齎す論破した。その結果、人類から貧乏が駆逐され、その後、果たして幸福なる地上の天国が出現しただろうか。

 同じ貧乏でも、清貧と赤貧がある。
 孔子が陳の国に赴くとき兵乱に遭遇して、食糧が欠乏したことがあった。また、孔子に付き従う門人達は栄養失調で病み疲れ、極めて困窮した状態に陥ったことがあった。
 このとき子路が言った。
 「先生、道を行う君子でも困窮することがあるのですか」

 子路は食糧に事欠いて、普段から鬱憤
(うっぷん)を募らせていたのである。そして腹の中では「天道の是非が疑われる」などと不満を抱いていたのである。
 これに孔子曰く「窮するとは、道に窮するの謂
(いい)にあらずや、いま丘(孔丘で孔子のこと)仁義の道を抱き、乱世の愚に遭(あ)う。窮すとなさんや。もしそれ、食足らず、体瘁(つか)るるを以て窮すとなさば、君子、固(もと)より窮す、但(ただ)、小人(しょうじん)は窮すれば、ここに濫(みだ)る」と。

 小人は窮すると、自暴自棄に陥る。失望し、ために放縦する。自分の境遇に怨みを抱き、前途を嘆いて破壊行為にまで及ぶ。
 一方君子は、泰然自若として己を失わない。邪智などの唆
(そそのか)しを排除し、その誘惑に負けない。
 孔子が言いたかったことは、小人と君子では、この「己」を失うか否かなのである。
 これを聞いて子路は貌
(かお)を赤らめた。
 何故なら彼は、人間の卑小さをズバリ指摘されたかのような気がしたからである。

 人は窮すると、卑小なる行為を働くことがある。
 衣食足りて礼節を知るというが、経済的不自由に陥り、金欠病に罹って困窮状態にあるとき、悪いこととは知りながら、つい、その悪に手を染めることがある。
 世間では「魔が差した」と言うらしいが、困窮の苦しみに喘
(あえ)いでいる時は、不正を知りつつそれに手を出すことがある。

 例えば、誰も視ていない路地裏の狭い往来に、分厚い札束の財布が落ちていたとしよう。
 これを拾って交番に届けるか、猫ババするかである。ここに人間としての「格」が顕われる。
 孔子はまさに、この点を子路に衝
(つ)いたのであり、窮することも、また命(め)なることを知り、大難や大困窮に臨んで、少しも取り乱さない孔子は、わが身をもってその「勇」を子路に示したかったのである。

 人は、如何なるときも毅然であるべきだ。胸を張れる襟
(えり)を糺(ただ)せる人間でありたい。
 かの原憲の凛
(りん)とした姿を検るがいい。ここに人間としての「格」がある。
 『孔門十哲』に数えられる子貢は、あるとき人伝に原憲が隠遁生活を送っていると知ると、是非、彼に会ってみたいと思った。このとき子貢は衛の相に栄達していた。
 一方、原憲は春秋時代の人であり、魯
(または宋)の人であり、孔子の門人で才能があった『七十子』の一人に数えられ、後世では、生涯清貧の中に身を置いた人で知られている。
 孔子の弟子として、高く賞賛を受けた人物であったが、また清貧に甘んじ、物静かであったと伝えられる。
 そして、孔門では原憲が大先輩だった。

 子貢は入門したとき原憲にいろいろと面倒を見て貰った。そして原憲は威張ることなく、頭の低い人物だった。
 そこに子貢は、「道を極め、学問を修めた人はこのように頭の低いものか」と感動を覚えるのである。少しも原憲は先輩面したところが無かった。
 そして、孔子死後、原憲は孔門を離れ隠遁生活するが、子貢は原憲は隠れた草深いところで庵を結び静かに暮らしていることを知る。彼に是非会ってみたいと思う。子貢は豪華な四頭立ての馬車で乗り付けることにした。

 だが、原憲の草庵は田舎道の果てにあった。
 それでも子貢は馬車を進めた。
 だが、進めば進むほど道幅は狭くなる。
 子貢は商売上手の大商人であり、孔子の門では最も裕福な生まれの人であった。
 子貢は思う。
 「原憲先輩は、何と恐ろしい不便なところに庵を構えているのだ」と。そして「こう道が狭くては馬車を進められないではないか」と。
 衛の相らしく、馬車を美々しい衣装を纏い、肥えた立派な四頭立ての馬に曳かせた馬車は、伸びきった藜
(あかざ)の枝などが邪魔して、もう通れなくなり、子貢はそこから先歩くことになった。そして子貢が歩いた先に、粗末なあばら屋があった。内心「何て処だ」と思う。
 こうして、漸
(ようや)く徒歩で原憲の庵に辿り着いたのである。
 その前では、原憲が子貢を出迎えていた。

 その様は、藜
の杖を突き、着古した粗末な衣冠に、破れた履(くつ)からは踵(かかと)が食(は)み出した有様であったという。
 だが、原憲は自らの姿を毛ほども恥じるようすはなく、毅然として胸を張り、昔ながらの謹直な態度で、出迎えの礼を返した。

 子貢は、しかし原憲の姿を見て、思わず恥ずかしくなった。内心は、いやしくも孔子の高弟でありながら、仮に世は避けて隠遁したとは云え、その姿は何だ!……と一喝するつもりだった。
 ところが、原憲は毅然としていた。

 ちなみに原憲がなぜ藜の杖を突いていたのか。
 推測するに、藜は畑地に自生するアカザ科の一年草である。この植物は、夏になると粒状の帯黄緑色の細花を穂状につける。若葉は食用となる。おそらく原憲はこれを食していたのであろう。残った大きな枝部が杖となったのであろう。何故なら、茎は丈夫で、乾かして杖とするからだ。
 それだけ原憲は食べるにも事欠く、極貧生活を送っていたのであろう。
 だが、原憲は自らの姿を毛ほども恥じるようすはなく、毅然として胸を張り、昔ながらの謹直な態度で、出迎えの礼を返したと言う。
 ところが、子貢はボロを着た原憲の姿は恥ずかしくてたまらない。内心は「いやしくも孔子の高弟でありながら」と思う。譬
(たと)え、世は避けて隠遁したとは云え、「その姿は何だ!」と一喝する気持ちが起こった。

 その原憲に対して、子貢は咎
(とが)めるように、こう言う。
 「あなたは何と病んで
(苦しんで)おられるのか」と嘆息して、妙なことを訊いた。この嘆息に、子貢の痛烈な皮肉と責めがあったことは言うまでもない。
 子貢は原憲に「あなたは病んでいるのか」と妙なことを訊いたのである。仮に世は避けているとはいえ、こんな態
(ざま)でいいのかと訊いたのである。責めたのである。子貢の痛烈な責めがあったことは言うまでもない。
 それを聴いて原憲は首を振った。依然として凛
(りん)とした態度を崩さない。
 そして、「財産が無い者を貧しいと言い、道を学びながらそれを行えないことを病む
(苦しむ)という。私は確かに貧しくはあるが、だが、断じて病んでなどいない」と毅然として言い放った。

 更に言及して「世間の目を気にして行動し、周囲に諂
(へつら)う者を友とし、他人に自分が学があること誇り、ただそのためにあなたは学問をして来たのか。教えたことで人から謝礼を取り、そのために人に学問を教え、仁義の心を学問などと偽って、結局、見栄を張って、馬車を立派に飾り立て、見せ掛けの行動で、尊大なる態度で人に学を教授するのか。そういうことは到底、私には出来ない」と指弾するように遣り返し喝破(かっぱ)した。衛の相になった子貢を痛烈に批判したのである。

 原憲の凛としたところこそ、人間の「格」であろう。そこに、人としての高い人格があろう。
 このように痛烈に指弾されて、子貢は自分の態度を大いに恥じ入り、生涯、己のこの発言を悔やんだと言われる。
 これも恥に気付いたのも高い人格であろう。子貢は恥を知っていたからである。

 原憲は、孔子の在
(あ)りし日の毅然とした態度で問うた「恥とは何か」を思い出したに違いない。
 子曰
(しのたまわ)く「恥とは、邦に道あれば穀す。邦に道無きに穀すは恥なり」であろう。
 また原憲にこう言わしめたのは、彼が中途半端な貧乏人ではなかったからだ。根っからの極貧であり、自分では極貧とすら感じても居ないし、貧乏すら気にも止めていない。確かに中途半端な貧乏であれば、もしかすると原憲は音を挙げていたかも知れない。

 ところが極貧である。半端なものでない。
 もう貧乏を恥じる次元でもなく、その域は中途半端な赤貧を通り越して「清貧」の域にある。気高き域に到達している。何を恥じることがあろう。

 ボロを纏っていても構わないし、履が破れ、頭上の冠が貧弱でも構わないのである。もうそんなことは一切関係ないのである。此処まで肚
(はら)の据わった極貧の境地に至れば、却(かえ)って気が楽で、まさに悠々自適を楽しんでいるという風雅の趣(おもむき)すらある。
 また、原憲は「困窮が人間を正しく考えさせる」という、一風、風変わりな金や物に縛られない真理を発見していたのかも知れない。
 そして、この毅然とした態度にこそ「天は見ていた」のである。見られて試されていたのである。
 物質的な追求生活に奔走している人には、原憲の風雅さなど分るまい。
 思えば、昨今の世の中こそ、かつてないくらい物は満ち足りていて、物質的には一応幸福なのだろう。
 ところが、幸福はそれだけではないと感じている人には、今の世こそ、実のない空虚に感じるものはないであろう。そして、その虚空の最たるものは、現代日本人がプライドよりも金に移行し、また人間の尊厳よりも金に魅せられ、単に損か得かで総てを決めてしまうことである。

 かつて日本人は、海外に人から敬意が持たれていた。
 かのイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルは言う。
 この神父は、当時の日本人の「清貧」さについて、驚きと感激の念を表しているのである。
 「日本人にはキリスト教国民のもっていない特質がある。それは武士が如何に貧しくとも、その貧しい武士が、豪商と同等に尊敬されていることだった。清貧なる貧しさを、少しも恥だと思っている人はいなかった」と。

 だが、現代日本人に海外からの敬意を払う声は、とんと聞かれなくなった。
 そして近年に揶揄
(やゆ)されるように付けられた日本人が“エコノミック・アニマル”であった。この揶揄の裏に、勇気も正義も、また恥も誇りも捨てた日本人への侮蔑が込められている。
 そして、昨今の日本人はと言うと、自分の幸せだけを願い、“こぢんまり”とした既製品的な規格の中に収納されて、マイホーム主義という個人が優先する主義に奔っている。
 「自分がよければ総てよし」あるいは「損得勘定優先」の、ここに極まれりというべきだろうか。
 果たして、この背景に日本人の誇りはあるだろうか。

 そもそも、誇りを失った生活に、どうして幸福などあり得よう。
 しかし、物質的な充足を目指す人にとっては、勇気も正義も、また恥も誇りも無用の長物なのだろう。
 そして個人の平和と幸福しか考えない、そういう幸福感は結局、空虚に帰着するだけなのである。


【著者作の自選1200句】



























 昨今の日本人の父親には威厳と言うものが失われた。
 かつて日本に父親は怕
(こわ)い存在であった。高く聳(そび)えた、そういう存在であった。
 山のような安定した存在であり、その山の麓で母と子が、父親に対して団結したものである。そして団結の一団は、父親という「頑固オヤジ」の独断的な亭主関白に耐え、その頑迷さや男尊女卑の乱暴や狼藉に耐えてきたという錯覚を抱いていた。

 父親とは、斯くもこのように怕い存在でありながら、また父親自身は、団結した一団から一歩遠退いて黙々と孤独に耐えた存在であった。それゆえ人生の戦いは父親一人が請負い、家族の盾になったものである。
 そして、こうした家庭で育った男子は、その父親の背中を常に眺めつつ、男になって行くと言う現実があった。

 そういう父親は、譬え雷が轟音を轟
(とどろ)かせ、わが家の庭に雷が落ちたとしても、平然として新聞を読んでいる存在でなければならなかった。それが痩せ我慢であっても、その主義を守り通さねばならなかった。

 痩せ我慢……。
 言うは易しである。
 しかし、痩せ我慢は中々難しい。
 そして現代は、感情に素直であって、欲望に素直であって、勇気など「蛮勇」と揶揄
(やゆ)され、人間が本能や欲望のまま生きるのが「もっとも人間らしい生き方」と言われるようになった。

 だが、そもそも「人間とは何か」と考えると、本能や欲望を制止して、怕いものにも痩せ我慢して、よりよく人生を全うするというのが、人間は他の動物とは違うところでなかったか。
 ところが、こうした痩せ我慢は失われた時代になった。

 かつて、種田山頭火の生きた時代は「痩せ我慢の時代」でなかったか。
 その痩せ我慢の中に、山頭火は自らを世間師として、人生の喜怒哀楽を感じていたのではなかったか。
 山頭火の日記のある一節を借りれば、このように記している。

 九月二十日
(昭和15年) 秋晴、昇る陽たふとし
 目が覚めると暁だった。鶏声、鼓音、鐘響。おだやかに、おごそかに明けはなれた。合掌黙祷した。
 朝寒。火がなつかしい。朝食として、じゃがいもを蒸かして食べる。
 身心清澄、近頃よくねむれるのがうれしい。
 百舌鳥が近く来て啼きしきる。
 郵便が───待ちあぐねてゐる手紙が来ないので何となく憂鬱。私は本当に弱虫だなあ。我がままだよ!
 おちつけば、おちつく程淋しいとは───晴れてまた寂しいである。

 また「寝床」について語っている。
 仏教では樹下石上といひ一所不在ともいふ。ルンペンは『寝たとこ我が家』といふ。
 そして、二句を詠む。

  家を持たない秋が深こうなった

  霜夜の寝床が見つからない

 天候次第の世間師の寂寥と嘆きがある。
 そして極みつきの嘆きは、山頭火が雨ふる故郷を歩いた時であろう。

 雨ふるふるさとはなるかしい。はだしてあるゐていると蹠
(あしのうら)の感触が少年の夢をよびかえす。そこの白髪の感傷がさまよふてゐるとは───

  あめふるふるさとははだしであるく

 寂寥を詠んだ句は実に多い。そこに現代とは違う哀愁がある。貧しくてもいいという痩せ我慢すら感じる。

 昨今のように、経済優先の世の中となり、自己中で、自分の家族のためだけという生活の中に幸福感を感じる、こういう文明生活は、昔のような一家団欒のよさは消滅し、民法上の家長制度も廃止されてしまったため、父親の威厳などは地の堕ちたままで、今後、復活の目処は立っていないように思われる。おそらく復活はすまい。

 さて、現代の世は、昔に比べて混沌としてきた。不穏を呈して先行きが見えない。まさにカウス状態である。
 確かに、現代の母親は外で働くようになり、その労働条件の地位も向上し、こうした家庭の子弟や、その家の物質的家庭環境は昔に比べて経済的にも豊かになり、平和安泰の中に居るように映る。
 しかし、そう言う家庭こそ、何処か虚しい。
 その虚しさは、これから先の日本を占う暗示でもあろう。
 このような精神不在の、豊かさ便利さや快適さのみを追い求める物質文明主導型の社会に、これから先、人間が歩こうとする軌道には、一体どういう未来が待ち構えているのだろうか。
 筆者は、そこを問いたい。




胆識と流転の句集 自選集1200句  完



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法