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刺客の凶刃に斃れた浅沼稲次郎 1
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刺客の凶刃に斃れた浅沼稲次郎 1

刺客の凶刃に斃れた浅沼稲次郎



夕暮れ時は怕(こわ)い。黄昏時は怕い。
 この時間帯は大凶時
(おおまかどき)と言う。気が弛(ゆる)む時間帯なのだ。
 この時間帯は、実は真夜中より危ないのである。拉致される時間帯とも云う……、人攫いに遭
(あ)う時間でもある。昔は、皆このように親から云われて気を付けたものである。

 大凶時の時間帯を狙って、街宣車から演説をぶっていたことを思い出す。時間帯の意味を知る者は、この人間に内蔵された人体時計を利用して、この時間帯の心理の意味を知っていた。
 また、ナチスドイツの宣伝相だったゲッペルスは、この時間帯を“暗示が掛かる時間帯”と称して、ラジオから当時のドイツ国民に向けての政治宣伝を遣ったという。この時間は紫外線の量が増え、人間の防衛本能は弛み、危ない時間帯なのである。

 何しろ日本はスパイ天国である。海外の多くの諜報員や工作員が暗躍する。日本人以外の第三国人でも、この国へは容易に侵入できる。入るも出るも自由自在……。
 外国組織はパスポートを偽造して簡単に入り込んで来る。総て、高等訓練を受けた手練
(てだれ)である。特殊工作員である。日本のスポーツ格闘家の比ではない。凄腕である。

 中肉中背の体躯で鍛え上げている。
 見た目は力士然としてないし、レスラー然ともしていない。筋肉マンでもないし、いい体格もしていない。巨躯でない。奇抜な変化のない普通人である。
 人ごみに紛れれば、周囲に溶け込んで、一般人とは見分けがつかない。そういう諜報員や工作員が潜入しているのである。

 大陸や半島の高等訓練を受けた特殊工作員は、素手で一日数万回の巻藁
(まきわら)を叩く凄まじい鍛錬をして、また鋼(はがね)のように強固な肉体を鍛え上げ、素手で、屈強な自衛隊員を十人以上を簡単に殺すと聞いている。

 彼等は武器なしで、手ぶらで日本に入ってきて、自殺に見せ掛けて殺すか、死体が発見されないような殺人を犯して、また再び国外に出て行くのである。殺しの偽装工作も上手いと聞く。更には拉致して国外に連れ出し、拷問するのはお手の物だ。拉致や拷問の歴史と伝統を持つプロフェッショナルでもある。

 日本はスパイ天国である。
 一方で、闇の世界は「世迷い言の作り話」であると一蹴する青臭いことを言う者もいる。
 災難は忘れた頃に遣って来ると言うが、不慮の思わぬ不意打ち的現象は、闇を軽視した時に起こっているのである。自分とは無関係と思わないことである。
 


●乱世

 世の中には「風雲急を告げる……」というような出来事が起こる場合がある。歴史を見れば、これが顕著である。
 そう言う世の中を「動乱の時代」とか、「乱世」などと表現される。世が乱れるのである。

 乱世……。
 歴史に中には危惧
(きぐ)する、そう表現されるような事件が集中して起こる時代がある。そう言う時代が歴史の中にはある。
 では、乱世とは、どういう時代を指すのか。
 こういう時代を「乱れた世」の中とか、「戦乱の世」などと表現する。
 治世とは、逆の世の中のことである。
 乱れ狂うのである。
 更には動乱などといい、世の中の騒ぎ乱れること、あるいは事変などが起こって騒動を意味する、こういう世を云う。それが乱世だ。

 異口同音にして表現しようと、「騒がしい世の中」のことである。
 そこに人は直感的に不穏を感じるのである。
 人々はこう言う世に、ある種の戦慄
(せんりつ)を覚える筈である。

 また、こういう世になると、テロなどが頻発
(ひんぱつ)する。暴力主義の世となる。
 これは歴史を見れば一目瞭然である。主義主張のために、暴力手段に訴えて政治的敵対者を威嚇
(いかく)する行為が歴然として顕われ、人心に多大なる恐怖を齎すのである。
 つまり、やがてこれまでのきちんとした秩序や体制が崩壊を招く暗示を孕
(はら)むことである。
 世の乱れとは、こう言う事象を指すのである。
 そしてこういう状況下におかれると、世の中は纏
(まと)まりがなくなり、それぞれが個人主義を謳歌し、悪しき個人主義に奔(はし)って、わが世の春を享受しようと錯綜を始める。

 人は、人それぞれだが、こうした世の中の到来を望む者も出て来る。
 乱世と聞けば、この時を風雲急を告げる……と解釈し、暗雲垂れ込めることを望み、やがて時の政治批判を始めたり、あるいは壟断
(ろうだん)したり、その一方で、世も末ともなれば政府高官の汚職や私利私欲を計る姿を厳しく指摘する者が出て来る。そして不思議にも末法思想に凝り固まったり、終末論に憧(あこが)れを抱く者まで出て来る。
 これを総じて「暗澹
(あんたん)」と言う。

 そうした時代背景には、腐敗と堕落があり、搾取と収奪が横たわっているからである。そうなると民衆の底辺は、何を始めるか。何に期待を掛けるか。
 心的な帰属となると、まず心の流民化であろう。此処はこれまでの許
(もと)から離れ、他に流れて行くのである。別の新天地を求め始めるのである。
 人は帰属する大本に失望すると、次なる行動には奇抜な帰属へと移行してしまう。

 心的流民化は「戸惑い」を齎
(もたら)し、「狼狽(うろた)え」を生じさせ、これから先の自分の未来に不確かなものが横たわっていることを暗示させ、自分たちの生活が、不安定要素の上に築かれていることを知るのである。

 未来を、砂上の楼閣と果無
(はかな)んだり、前途に不穏なものがあると予知し始めるのである。
 こうなると、世の中は混沌として来る。暗澹
が漂っていることに、その気配を読み取ってしまう。
 民衆の多くが、世の中の暗澹を嗅ぎ取ってしまうのである。
 そしてその危険信号は、日本は暗澹として来た!……との確信である。これは確
(しか)と肌で感じるようになる。

 状況が、これまでとは一転しているからである。奇妙なものに胸騒ぎを覚えるのである。
 周期的な動きに、不連続性を感じるからである。これを尋常
(じんじょう)ではないと思い始める。
 世の中の動きが訝
(おか)しいのである。
 何処か狂っているぞ……。
 そのように、何かを感じるのである。
 その明確な指摘は、データ上に表すことが出来ないが、それは筆舌に尽くし難い、何かそれに絡む、不穏を薄々嗅ぎ取ってしまうのである。
 それが「どこか訝
(おか)しいぞ」なのである。

 表面的に、表皮的に検
(み)た場合、異常が眼に見え、まだ気付かない世界で何かが起こり、それはやがて確かに映り始めるのである。
 表面的には穏やかで、波風も立たず、華やかに映る。その投影に訝しさを感じる。
 大都会の夜は、未だに不夜城である。灯は消えることが無い。
 夜のネオン下の喧噪
(けんそう)は、性的アバンチュールを楽しむ老若男女で犇(ひし)めき合い、風俗産業やラブホテルでは性交遊戯が所狭しと繰り広げられ、大都会の夜は益々エスカレートして依然賑(にぎ)わっている。芸妓の誘惑の嬌声は、未だに都会の夜に谺(こだま)している。これに異変を感じる者もいる。

 また一方で、多忙なるサラリーマンは、昼は多忙に追われ、夜は喧噪のネオン街の下で、ひと時の慰安を楽しむエネルギーを失わない。性欲は未だに健在である。
 しかし、そこに真物
(ほんもの)のユートピアがあるのだろうか。果たしてそこが、人類の需(もと)める理想郷だろうか。
 こうした疑いが脳裡
(のうり)を過(よぎ)るのである。霊能者でなくとも、健全な神経の持ち主ならば、そこまで嗅ぎ取ってしまう者も居よう。
 その臭いに、不穏なものを嗅ぎ取っても不思議ではあるまい。

 この世は「仮の世」である。
 また“うつしよ”である。うつしよは現世と書く。
 人間の棲
(す)む、仮の世界である。仮と言う以上、此処は真物の世界でない。真物は別の次元にある。三次元顕界ではない。四次元以上にある。この世は四次元以上の異次元からの投影に過ぎない。

 うつしよは“うつしよ”であるだけに、スクリーンに投影された実体のない陰の物語で構成されているのが、これこそが現世
(うつしよ)の現れである。コピーである。陰であるから実体はない。
 実体は別のところにある。
 それは四次元以上の世界から投影物に過ぎないからだ。
 現象界では、人間は仮の姿で行動を起こし、仮の姿で行為をしているだけである。その源は、この世には無い。別の次元にある。四次元以上の高次元にある。
 どうして現代人はそこを訪ねて、自分が何者か?……探求しないのだろうか。自刎を深く堀さげて、自己を探求しないのだろうか。
 金・物・色ばかりに振り回されているのが実情である。

 大半の者は夜の喧噪
(けんそう)に浮かれ、女にもてたと言って夜の巷を徘徊し、もてたらもてたで有頂天に舞い上がり、一夜のアバンチュールに慰安を需(もと)める。
 だが芸妓の嬌声に誘惑されているときではないと思うが……。そう、警鐘を鳴らす者もいる。
 日本は暗澹として来た……。これが実態である。
 そう確信を抱いた時、世の中は益々混沌として来て、不穏を含んで、不安定要素は益々濃厚になって来る。

 飽食の時代は、世界中の食べ物が日本中に溢れ返っている。日本には世界中の食べ物がある。
 金さえ出せば、望む食物は何でも食べられる。それを異常と思うか正常と思い込んで、流れて行くが、流されて行くか……。
 此処が分岐点であり、また岐路であり、生死の明暗を分ける分水嶺
(ぶんすいれい)とも云えるだろう。

 日本の商社は、また食糧メジャーとして世界中を飛び回り、珍しいと思われる食糧を貪欲に買い漁
(あさ)っている。世界中の珍味が日本に押し寄せている。
 金さえ出せば、何でも買える。何でも食べられる。欲しい物は直ぐに手に入る。飽食に時代の日本の実情である。

 金銭至上主義の効力を使って、日本人は他人の米櫃
(こめびつ)の中に手を突っ込み、欲しければ、金で奪い取る。これを遣っているのが、日本商社の食糧メジャーだ。
 仁義なき商法主義もここまでくれば、世界から反感を買う。
 また一方で、日本人のこうした愚行に、眉をひそめる途上国の貧しい人達もいる。

 彼等には、「日本人が金に物を言わせて無理矢理奪って行く……」と言う風にしか映らないだろう。
 既に途上国や海外からの日本人に対する恨みの声は至る所で上がっている。その声に耳を貸さないのは、日本人だけである。この恨みは、決して忘れないであろう。
 この「恨みの声」こそ、実は神風ではないのか。神の囁
(ささや)きではないのか。
 海外の日本叩きは此処に由来する。
 現代日本人は、この神の囁きが聞こえないでいる。その危惧
(きぐ)が付き纏う。

 そして日本の現状は、時代の移り変わりに関係なく、現近代史は“飽食の時代”で彩られている。
 食べる物も豊富だし、物質的には豊かで……、便利で快適で……という生活に、誰もがその恩恵に預かっている。

 第一、日本では「物乞い」がいない。お貰いが居ない。
 貧富の差が開いたと言っても、現実には乞食がいない。
 ホームレスはいるが、彼等は今日の食べ物に困る極貧ではない。明日も食えるだろう。それくらいの余力はあるし、それなりの仕事もある。ワンカップの酒や缶ビール1缶くらい買える金は持っている。
 ブルーシートだが、寝るに困らない塒
(ねぐら)はある。塒の規模は、夏山や冬山の登山者のテントと差して変わらない大きさである。むしろ大きく、日常の必需品も登山者より、余程揃っているだろう。

 かつて、乞食やホイトウと呼ばれた人がいた。街角にはそう言う人がいた。
 しかし福祉のお陰で、それは完全に克服されているように見える。乞食は日本から追放されたように映る。これは実体だろうか。
 しかし、筆者はそうは思わない。
 むしろ何処か訝
(おか)しい。健全でない。
 その証拠に精神的貧困者は幾らでもいる。精神の貧しき乞食は日本中にいる。心は飢えている。
 だが、大半の者にはこの実体が見えない。そう指摘する者も出て来る。

 この背景には、何か物質と引き換えに、日本人が黄金の奴隷に成り下がった実情が否めないだろう。日本精神が蔑ろにされ、日本の伝統や文化は、単に表面や表皮が起動だけで、内実は崩壊している。
 何一つ正常に動いていない。作動していない。
 特に精神の分野はである。
 心は、病んだ者が多い。

 色にほだされて、性腺異常を来した者が多い。それは泌尿器科や性病科、あるいは皮膚科の繁盛振りを見れば一目瞭然である。何処のクリニックも多くの患者で溢れ返り、診察は番号札を引いての順番待ちである。
 これはいったい何を顕しているのだろうか。

 現代日本人が狂った。深層部にはそういうものが漂っている。
 そういう他ない現実が起こっている。
 特に、古来より連綿と受け継がれた日本人の霊的神性は、いまや完全に曇らされている。完全に曇らされている。
 だが曇らされているだけでなく、何かと引き換えに魂までもを売り渡した気がしないでもない。
 私にはそう見える。そう映る。

 日本は暗澹とし始めた……。
 これは思い過ごしだろうか。
 だが筆者は決してそうは思わない。
 現代日本人に眼を醒ましてもらいたい事柄は、日本人が信じて疑わない「人権と平等思想」の背景に、実は日本を悪化させた元兇があるからである。

 民主主義は欧米人が血を流して勝ち取った政治システムである。戦後の日本人のように、欧米から押し付けられた主義や思想ではない。
 ところが日本人は、何一つ自らの血を流さす、まんまと、ちゃっかりこれに便乗してしまった。そして民主主義こそ、世界最高最良の政治システムだと思い込んでしまったことである。

 日本人が民主主義を考えるとき、これには誰も逆らえない現実がある。
 裁判官だって、民主主義に異を唱えれば、「憲法違反」となる。即、罷免だろう。
 つまり日本を悪くしたのは、民主主義の根幹にある「人権」と「平等思想」である。
 そしてこれが現行法と、悪く結びつき、人権と平等を挙げれば、誰一人文句が云えなくなり、何ぴともこれに服従しなければならない。日本は、そう言うシステムを、戦後の政治形態の中で作り上げてしまったのである。

 貧富の差は許されない。平等であるべきだ。差別はいけない。上下関係が存在するのはいけない。男女は平等である。平等に扱わないものは総て「悪」である。
 戦後教育ではそう教えられた。
 そして、子供にも人権がある。子供も大人も平等である。
 戦後教育の教育理念であった。その理念を日教組から植え付けられた。
 団塊の世代はこれを後生大事に守った。時代が変化しているのにも関わらず、である。
 したがって子供の意志を尊重しなければならない。子供の自由意志に任せるべきだ。自由奔放こそ、子供を伸び伸びと育てる。

 このような平等思想が蔓延
(はびこ)り、正当な権威のあるものまで葬り去ってしまったのである。
 だが、果たして権威なくして人間の教育は行えるだろうか。
 現実には権威が失墜したため、今日の暗澹たる日本が出現したのではなかったか。

 昨今は、サラリーマンと言う中産階級は、多忙に感
(かま)けて読書をしなくなった。本を読まないこと著しい。
 これは「思考しない」ということと同義である。現代人は思考を停止してしまった。そして思考を停止したことと引き換えに、人真似をしていれば間違いない、安全だと云う思い込みが支配的になった。
 現代人は考えなくなって、それに代わって人真似をする。
 人の真似だけをしていれば、安心・安全・安泰と信じて疑わない。だから自分では考えない。他人の考えに便乗する。人真似上手がサラリーマン世界の処世術の達人になる。

 ただ要領よく、上手く世間を泳ぎ渡って行けばいいというような処世術に長
(た)けた者が、出世する世の中になってしまった。組織と言う運命共同体の中では、実力とは裏腹に要領と狡猾さを覚えた者だけが持て囃されるのかも知れない。政治の世界と原理は一緒だ。
 現代人は狡さだけを覚えてしまった。

 近頃は、間抜けな経営者も、鈍重になった上場会社にも多く見受けられると言う。スキャンダルが元で、倒産なきよう、くれぐれもご用意願いたい。そうした警告の言もある。
 日本が暗澹化するのも当然であろう。
 否定意見があるのなら、筆者は聴く耳を持つからだ。
 そして、暗澹化に拍車が掛かる日本を懸念する、筆者の直感は正しいだろう。

 それは本を読まないと言う現実に顕われ、また、わが子にも本を読めと薦めない親が「この程度」という、この実情であり現実である。
 日本が暗澹として来た。

 暗澹と言う声が、まるで神風が囁
(ささや)くように耳に届くのである。それも昨今は、囁く程度でなく、“もろに”である。
 「国破れて山河あり……」などは、まさに幻想である。
 国が破れて、どうして山河があろう。国が破れれば、それは自国ではなく、外国なのだ。
 日本人の情緒もここまでくれば、立派なものである。思い込みも甚だしい。

 世の中が暗澹として来た。
 今の日本の世がそれである。
 近未来には多くの不安定要素が横たわっている。
 それを排除するために人々は何を需
(もと)めるか。
 政治や経済にそれを需めるだろうか。
 政治がそれを片付けてくれるとは思うまい。また経済政策が自分の未来を保証してくれると言う宛もない。経済はそれを救う有効な手立てを持たないからである。特に日本の経済は……。
 また、では自分自身でと顧みるが、果たして自分の小さな力で、これらの不安定要素を排除できるか、そう言うことは誰も思うまい。

 そうなると、今度は科学に凭
(もた)れようかと思い始める。
 だが、しかし……と思う。
 いま私たちは資源の枯渇と、それ以降のエネルギー問題に対し、どう対処し、どう解決するか、明確な答えを出せないでいる。憂慮の中におかれていることを知るべきだろう。

 元来、科学や技術と言うものは単なる「道具」に過ぎなかった。
 道具は私たちの生活を便利に快適にはするが、豊かさの面では心にまでは及ばない。物質的な豊かさは齎すが、その豊かさは心までもを満足させる、そうした範囲には及ばない。

 道具は、確かに日常生活の中に入り込んで、便利で快適にはするが、人間の生存のために幸福にするものではないことを知る。道具はあくまで道具であるのだ。
 人は、便利と幸福を混同してはなるまい。

 しかし、現代人の多くがこれを混同し、便利が幸福な社会であるかのような錯覚を覚える人も少なくないようだ。
 更には平等の誤謬
(ごびゅう)が、現代人の生活と真の権利をどれほど歪(ゆが)めているか、それに気付く人も少ない。
 現憲法下にある“基本的人権”は、言葉を置き換えれば個人主義の謳歌であり、則ちエゴイズムと言う事である。ここに平等の誤謬と、思い込みから起こる錯覚が起こる。
 多くの人間に不幸と貧弱を齎しているのは、この点にもあるように思うのである。
 確かに物質的には、人並み程度は確保したとは云え、心的領域では未だに貧困であり、不幸であると言えよう。

 世の中の背景にこうした懐疑が横たわっている時、これに付け入る者が出て来る。暗躍者だ。
 地下組織に立て籠
(こも)り、水面下を暗躍し、攪乱(かくらん)を企てる。
 テロリストや工作員は、こうした隙間を狙って世の中の世論工作へと奔って行くのである。そして世論に変化を与え、政治や経済に異変を齎す。そのように工作し、世論を操作する。

 世の中が混沌とし、それが暗澹とする時こそ、これを好機と捉え、これに便乗する輩
(やから)も出て来る。
 これが乱世だ。
 こうした輩は、暗澹こそ好機と捉え、また乱世をまたとないチャンスと捉えて、この言葉に、何ともいいようの無い魅力を感じるのもまた事実であり、普通の人ならば、こうした「乱世」などと云う言葉は願い下げであろうが、この忌み嫌う言葉を好む者がいるのもまた事実である。
 水面下には、世が乱れるのを虎視眈々
(こし‐たんたん)として狙う者もいるのである。

 近代の世界史を振り返ると、十八世紀頃から、決して自然体でない意図的な流脈によって、人工的に誘導された形跡がある。
 普通、歴史が動くという現象は「自然体によって行われた」と考えるようだが、それは表面的な捉え方である。深層部の動きは捉えていない。闇の世界を見逃している。

 歴史の流れをよく観察すると、歴史が動く場合、大衆という庶民群から起こった自然体の流れではない。煽動者が居た。また煽動者に悪乗りする便乗者が居た。恐怖政治は、ここから始まったのでなかったか。

 アメリカ独立戦争、フランス革命、第一次世界大戦、ロシア革命、その後の戦争の日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争も勃発した経緯を考えると、決して自然体ではなく、一つの方向に向かう流れがあった。意図的な流れてである。政治に金融を絡めた独特の流れである。これこそ近現代史の特長である。その中に現代人は躍らされる。何と浅はかと言うか。
 これが「大衆の愚昧化」である。元兇には「愚民化」がある。
 人は操作され、躍らされる。
 この手法は、今日に始まったことでなく、古くからあった。
 現代人は知らないだけである。あるいは知ろうともしない。愚かなことだ。

現世の指令は、上からだけでなく地下組織の下からも指令が出ているのである。地下には水面下に暗躍する「隠微な集団」が居り、世相工作が企てられ、多くは工作により誘導されて行く。
 世相コントロールは、水面下の工作員
(エージェント)によって操縦が為(な)されるのである。変化は上部からだけではなく、水面下からでも工作の指令が発せられる。

 だが、深層部には何かが暗躍する。地下深いところから指令される。深層部の水面下の指令である。
 それらは特定の目的を持ち、意図的な穏微な集団が背後で暗躍した形跡がある。その顕著な現れが、十九世紀以降の割拠する国家群の浮沈ではなかったか。その結果起こったのが植民地主義であり、帝国主義ではなかったか。意図的と云えまいか。
 決して否定できまい。
 これらが自然体の結果……と検
(み)るのはあまりにも短見であろう。
 そういう楽天的な思考では済まされないものがある。
 背後に、意図的な「世直し」という“地均し”の意図が働いてはいなかったか。そこまで疑ってみる必要がある。

 歴史は繰り返すのではない。
 歴史は決して繰り返さない。これは「カオス論」の説くところである。現象界に、同じものは二つとない。同じに見えても、同質のものでない。

 歴史は繰り返さない。
 重ねて云おう、歴史は繰り返さない。
 歴史が繰り返す……と説く、その種属は進歩的文化人に限るようだ。
 歴史史観を掲げ、それを大衆に吹聴する。そして“歴史は繰り返す……”という。
 果たしてそうか。
 違う。
 人間性が繰り返されるだけである。

 かつてアテナイの歴史家・ツキジデス
(Thukydides)は「歴史は繰り返される」といった。紀元前460年頃から前400年頃前の人の言葉である。その言葉を誰もが信じた。
 似たような現象が起こるからだ。
 似たような現象の末端事を捉えて、歴史は繰り返したと思った。
 ところが、これは大間違いで、大ウソだった。
 歴史は繰り返さない。過ぎた日が戻らない。死んだ人間が生き返らない。歴然たる証拠である。故に、歴史は繰り返さない。過ぎ去りし過去は戻らない。

 ツキジデスは、しかし敵視は繰り返すと言った。彼はペロポネソス戦争の歴史を記述して、その中から、そう論じた。だが現実は違った。
 そして、彼の言を借りれば、歴史上で一度起こった出来事は、場面や主人公を変えつつも、そのあと何度も起きるというのだ。本当だろうか。

 繰り返したように映るのは、人間性が……、その思考が……、その行動原理が、生きた時代は違っていても同じだから、過去の起こったことが現代に再現されるだけのことである。その再現されたものは、過去の何
(いず)れかの事案に似ているようで、本質は全く違うのである。
 本質は違う。
 故に歴史は繰り返さない。

 しかし、人間は歴史から教えられることが、決して単純ではないことを学ぶべきだろう。
 謙虚に襟
(えり)を正すべきだろう。ここに学ぶべき事柄が、歴史の中にある。
 本当は過去から現代に対する教訓を得るよりは、現代から過去について学ぶ方が、より大きな教訓となるのである。
 歴史には、不手際や不名誉が至る所に存在する。矛盾や逆説だらけである。その類似を、現代から過去について学ぶ方が蛮行予防にはなろう。
 そして「もし……」という予測する能力は必要だろう。
 もし……を予測することこそ、運命に翻弄
(ほんろう)される人間の、危険回避の自力護身術になるからである。
 過ぎた日の事、過ぎ去った時間、そしてその刹那。
 もう、再び戻らない。
 本の数秒前に起こった事も、遠いかこの事になる。
 失われた命が許の復元できないからである。

 人は、利によって動く。
 不憫
(ふびん)なるが故に、である。
 不憫さえなければ、人は利によっては動くまい。理想によって動こう。
 ところが、そのようになっていない。
 根本では、利に動くようになっている。命あって物種
(ものだね)だからである。何事も命があっての上のことだ。死んではおしまいだからだ。

 人が利によって動く場合は、感性の中に「かわいそう」という気持ちが起こった場合である。それは社会鍋的である。偽善者的である。
 本心は別のところにある。
 その時に何かの行動原理を示し、動作となる。アクションとなる。利に動く所以
(ゆえん)である。あるいは心を偽っての事か。
 とにかく利に動く。
 そのアクションは人によって異なる。
 人それぞれだが、ある人は格闘となり、また次なる人は暴力犯罪となり、更には外の人は追跡などとなる。
 不憫なる故か……。

 しかし、こうしたものとは異なるアクションもある。
 地下組織に潜る行動であり、そこの指令に動く輩も居る。
 人は、生きている以上、大なり小なり、何事化に暗躍を計ろうとする。自分の生活に満足を覚えない場合、その反撃のために立ち上がろうとする。

 何かの事件が起こり、またその出来事が起こる。
 これは偶発的な事象ではないだろう。
 偶然と言う現象は、この世には起こらないからである。
 必然に限り起こる。
 偶然は人間側の観測である。
 創造主の観測でない。
 人間のレベルを超えて観測できない何かが、宇宙現象としては起こっている。
 それも「突如」としての、人間の感得からすれば、偶然と思えるような……。

 この偶然と思える「偶然」の実体は人間の観測による。
 神の眼の観測ではない。
 あくまでも人間の眼である。
 したがって全貌は解読できない。
 ぜいぜい人間の思索に依
(よ)るものであり、これらを「仮説」と呼ぶ。
 仮説は何処までも仮説の領域を出ない。

 その領域外に、真実は潜むのだ。
 人間の眼には観測できない真実がある。
 データとか数値以外のものである。
 計測できないから「真実」と言う。真理と言う。
 闇の中には何かが蠢
(うごめ)いている。隠微な集団が居る。何者かの指令で動き、ある意図をもって暗躍する。人間の深層部の示すところである。

 したがって、工作員
(エージェント)の暗躍は否定できまい。
 闇の中では、何かが蠢
(うごめ)く。穏微な集団が暗躍する。
 スパイ天国日本は、そうした社会構造の中にある。
 したがって無視出来まい。この事実を無視出来まい。
 工作の水面下の暗躍とか、裏の世界はないなどと、青臭いことを言っていると、必ずそこには不慮の“しっぺ返し”の不幸現象が起こる。
 これこそ現象界の掟
(おきて)である。

 この掟は無視出来まい。
 科学が、どのような理屈付けをしたとしても……。
 暗澹とした世の中こそ、こうした不幸現象は水面下で起こり始めているのである。活発化するのである。
 肉の眼に映っている可視世界の事象ばかりを信用して過信してしまうと、裏の闇の不可視世界での肝心なるものを見逃してしまう。

 闇の不可視世界には、泰平の世なら姦賊
(かんぞく)とされる輩も、乱世では英雄となるのである。そして、青臭い者に限って姦賊の餌食(えじき)になる者も少なくない。
 過去を振り返れば、かつて社会党の浅沼稲次郎は、そう言う人ではなかったかと思うのである。そして兇刃の刃に斃
(たお)れた。刺客の刃に葬り去られた。



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