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断食行法記 1

断食行法記






修行断食・通信講座

 現代の世は、一方で物余り現象が起き、例えば食の世界では、多くの生命(いのち)が犠牲になってくれた食べ物が無駄に捨てられている。美味いところだけを食い荒らし、後は食べられるにも拘らず「捨てる」と言う社会現象が起きている。そして、美味いところだけを喰らい、捨てた生命の残骸がどうなったか。
 せっかく人間のために犠牲となり、生命を蝕まれ、美味いところだけが食い荒らされて食べ残されたものはどうなったか。
 生命を差し出した動植物には、何の恨みも生じなかったのだろうか。そういう霊的波調が人間に対して波動となって伝わっているのを、人間は聞き逃しているのだろうか。

 この時代は、これまでには見られない特殊な時代である。
 かつて私たちは食えない時代があった。
 先の対戦の敗戦末期から、終戦直後を経験して昭和30年代頃まで「食えない時代」があった。敗戦のドン底で、戦後日本人は空腹に遣る瀬ない気持ちを抱えていた。
 だからこそ、腹一杯食べたいと、そういう妄想ばかりが脳裡を交叉していた。
 「あれを腹一杯食べたら、どんなに美味かろう……」などは、その時代を代表する妄想の現れだった。

 ところが、昭和20年代の空きっ腹を抱える空腹期とは、比べ物にならないほど現代は豊かになり、多くの物で溢れている。食べ物もその一つだろう。
 かつての日本人は、まず何はともあれ、腹一杯充分に食べることが第一の欲望であった。
 筆者は戦後生まれのベビーブームと言う「団塊の世代」に生まれた人間である。団塊の世代は、幼児期、確かに物に飢えていた時代があったように思う。

 考えてみれば、特に戦中・戦後と経験した人達は腹一杯食べることの妄想を抱いていたに違いない。食べ物の乏しい時代を経験した人は皆そういう腹一杯に食べると言う欲望を抱いていた。
 当時の日本人の欲望は先ず腹一杯に食べることだったのである。沢山食べることこそ、贅沢の代名詞であったのである。
 そして高度経済成長を経て、腹一杯食べることから、次なる時代の登場は「美味しい物を食べる」ことや、「欧米風の食生活をする」ことが贅沢となって行った。

 そして、この時代、盛んにテレビでは「タンパク質が足りないよ」というコマーシャルが流されていた。
 その一方で食物学者たちや栄養学者たちは、日本人に欧米食を盛んに薦め、これまでの日本人の食生活を「悪」と決め付けたのである。これまでの粗食少食の「蔬菜
(そさい)」を全面否定したのである。
 粗食と言えば、一見粗末な食事を連想させるが、実はそうではない。季節ごとの旬の食べ物を、慎み深く少量味合う食事法を粗食と言うのである。昭和30年代までの日本人の食生活の基本であった。

 ところが、アメリカ被れし、アメリカナイズこそ地球上では最も優れて正しいとする栄養学者が、マッカーサーの食糧政策の便乗して出現した。時代は「白パン奨励時代」に突入した。
 特に某大学の某教授は、「米を食べれば頭が悪くなる」として、盛んにパンを食べることを勧めた。精白した小麦粉を薦めたのである。
 しかし「米を食べると頭が悪くなる」は事実無根だった。
 欧米食を奨励した時代、米国食糧メジャーと日本の現代栄養学者たちが結託して、こういうデマを飛ばし国民を攪乱した時代があったのである。

 更に時代は進み、「腹一杯食べる」ことと「美味しい物を食べる」ことは満足出来る時代となり、その後は金銭さえ出せば何でも手に入る時代となり、グルメと言う食道楽に時代に入って行った。美味い物と聞けば千里の道も何の其のであった。
 へそくり等の、ありったけの金を掻き集めて、“自称グルメ”のプライドに掛けて千里の道も遠きとせず、何処へでも出掛けて行く流行が始まった。
 だが、こういう時代が起こると、その一方で過去には無かった難病奇病がその反作用として顕われるようになった。この世は作用と反作用のニュートン法則が働いているのである。これが「食べ過ぎ」という害である。そしてそこに現れる症状は、食傷と言う食べ過ぎによる害である。

 現代栄養学で云う「一日30品目、万遍なく食べよう」と呼びかけるスローガンは、言わば食傷を起こす「詰め込みの栄養学」の元兇である。過食から起こる「プラスの栄養学」の元兇である。その背景には、美食に奔
(はし)らせる現代の贅肉が現代人に纏わり付いている元兇があると思うのである。その一方で現代栄養学の間違いもある。現代栄養学は「何でも食べよう式」である。そして栄養のバランスをとるために一日30品目の食品を摂ることが必要だと説いているのである。まさに総花主義である。

 更に食品成分からの具体的な数字を持ち出すことにより、その誤った考え方は一層固定化され、本旨である「人は何を食べたら健全に生きられるか」とか「人の歯形から考える食性は何か」ということが殆ど無視されているのである。そして最たる元兇は血液を汚す動タンパク食品の奨励である。
 そのうえで食肉・牛乳やその他の乳製品・卵・白米・白砂糖・化学調味料などが加わって美食と過食に奔らせる。
 また、現代の不幸現象は、そもそも美食と過食によるプラスの栄養学が齎した禍
(わざわい)ではなかったか。

 一口に「食べ過ぎの害」と言うけれど、それは単に医学上の生活習慣病だけでなく、精神的な面から見れば、何でも手に入る時代だからこそ、「負の栄養学」があってもいいと思うのである。これが「マイナスの栄養学」である。
 美味しい物を食べたいだけ食べる贅沢がある一方で、同時に「食べないことの贅沢」である。身体をリフレッシュさせる「みぞぎ」の清潔感と、爽やかさと、優雅さがあってもいいと思うのである。

 このリフレッシュこそ「断食」なのである。
 しかし一言で断食といっても、簡単なことではない。食を断つと言う人間の本能の一つを数日間あるいは数週間行うからである。生命を張ってこれを遂行しなければならないからである。
 断食は、食を断つから断食と言う。
 この断食を例えば、物が欠乏している時代に行えば、食べないことは「食べられない」こととなり、非常に惨めさを感じるのであるが、今は違う。物余りの贅沢の中に現代人は日常を送っている。
 そこの日常を覆して、「非日常」を展開してみるのも一興であろう。
 だが、それには生命を張らねばならない。

 例えば一週間断食をするとして、直ぐに明日から……という分けにはいかない。その下準備がいり、食事量を減らず補食期間がいる。いきなりと言う分けにはいかないのである。躰に馴染ませる「準備期間」が要るのである。それを無視すると取り返しのつかないことが起こる。自らの生命を危うくする。
 何事も道理に従い、宇宙法則に従うのが定石であろう。それは「人間現象」もその中に内包される定石である。

 現代こそ食傷から解放されるべき時代である。況
(ま)して食べ歩き等以ての外であろう。こうした愚行を行えば、俗界の毒が身に付き纏うようになる。あたかも憑衣する低級霊のように……。
 人間に身に付き纏う毒と言うのは、一旦取り憑かれると中々祓えるものではない。落とそうとしても落ちない。
 普段から警戒が必要である。食に対する慎み深さが必要である。

 一生のうちで美味しい物をどれだけ多く食べられるか、そうした大食漢競争はこの時代に至って終焉
(しゅうえん)している。
 むしろ、豪華な美食を余所目に、孤高を期することこそ、富貴と言うことではあるまいか。
 富貴は天にあり。
 天に富貴は備わっている。食傷をして、食道楽に奔走することこそ馬鹿げた行動律ではないのか。

 食に荒れ狂う現代だからこそ、その一方で慎みを知り、食に対しての礼儀を知ることが急務でないのか。

 断食をして自らの肉体を十年単位で若返らし、それが達成された暁には、粗食少食であっていいと思うのである。
 玄米のお粥に、僅か梅干し一つ。そうした仙人食であっても、人間は充分に生けられ、また充分に働くことが出来る。だからこそ、玄米のお粥に梅干し一つをじっくりと味わいながら、生命の尊厳を考えてもいいと思うのである。
 お粥に梅干し一つ。それだけの僅かな食事で、これを三十分も一時間も掛けて味わう。
 ギラギラした中華料理の大皿を囲むのと、またフランス料理のマキシムのローストビーフを切り刻んで口に運ぶのと、果たして玄米粥と梅干し一つの、何れかはどちらが優雅であろうか。

 筆者自身正直に告白するならば、どちらも好きである。中華料理もいいしフランス料理もいい。

 しかし、ともあれ、物質と文明に食傷した現代人の肉体と精神は、いま癒しを求めて彷徨
(さまよ)っているのではあるまいか。あたかも求道者の如く、宛(あて)のない旅の路傍で俗界の輪廻の輪から解脱したいと苦悩しているのではあるまいか。

 一人孤高に耐えて、粗食少食を優雅に口に運ぶ。そうした「断食明け」があってもいいと思うのである。
 俗界に居る現代人は、断食を通じて肉体も疲弊
(ひへい)した心も、総て食べ過ぎが原因なのだから、少しは休ませた方がいいのである。

 食べ過ぎによる、現代の難病奇病に取り憑かれた人が、いま断食修行の門を叩いた。この奇妙な狭き門を叩いた。慢性病は現代人にとって殆ど完治することの無い不治の病である。この病からもう解放されてもいい頃ではないのか。
 重病は、天の命ずる病であることを知れ!……。筆者はそう叫ばずにはいられない。




●断食行法記を記すに当たり

 私が断食を決意したのは、平成5年3月半ばの事であった。ここらで心身を浄める「みそぎ」が必要だと感じたからである。
 過去から潜在していた持病のアトピー性皮膚炎に悩まされ、トビヒ
(飛び火/水疱性膿痂疹といい、多くは小児に好発する水疱性皮膚炎で、水疱内容の接触により全身随所に病巣をつくる病気であるが、成人でもこの皮膚病に悩まされることがある)という皮膚病まで背負い込んでいた。事の病因は、日頃の心掛けの悪さと、不摂生な生活の為であろう。

 現代人は、仕事中真の生活を展開しており、仕事によって生活が不規則になる大きな要因を抱えている。その為に、食生活が不規則となり、仕事中心の生活が中心となる為、特に夕食に於ては食事時間が極端に遅くなり、また、深夜腹を空かせて、夜食を摂る。更には、これにアルコールやタバコが絡むことが少なくない。
 多くの現代人は、定期的に休養することが許されず、働き詰めである。こうした不規則な生活を長く続けると、やがて心身共に疲弊し、知らず知らずのうちに、生活習慣病を引き寄せていることも少なくないのである。

 若い時からの生活習慣が原因で壮年期以後好発する成人病の総称を生活習慣病という。動脈硬化・高血圧・悪性腫瘍・糖尿病・肺気腫や骨の退行性変化などをいう。そしてこれらは症状が激しくなく経過の長びくような病気の性質である慢性疾患である。急性疾患と異なり、現代医学は治癒に不得意とするところである。
 現代人の眼に映る現代医学の進歩は、確かに著しいように映る。しかし、その恩恵に浴しているのは主に細菌によって起こる伝染病や急性疾患等であり、所謂
(いわゆる)内因性疾患である慢性病や成人病に至っては、あまり効果が期待出来ない状態にある。現代医学は未だに万病に有効であると言い切れないのである。
 したがって美食と過食による食傷は内因性疾患を招き、その顕著な現れが肥満である。

 恐らく、私もこうした事の長年の因習が、慢性化した皮膚病を引き寄せていたのであろう。私はタバコこそ吸わないが、アルコールの絡む不規則な食生活を、これまで長い間続けて来た。それが慢性的な皮膚病を招き、それに絡んだ高血圧や高脂血症等の生活習慣病を起こり易くしていたものと思われる。その証拠が、畸形
(きけい)としか言いようのない超肥満であった。

 更に、半年程前から強度の卵アレルギーに悩まされ、生卵を食べると全身に痛い程、水疱性の赤い湿疹
(しっしん)が趨(はし)るようになっていた。その上、身長が170cm(痩身の学生時代は確かに身長は170cmあったが、超肥満になり、紡錐形に横に膨らむと重力に引き摺られる為か、肥満時に身長を計ると、168.5cmしかなく、1.5cmも縮んでいた。歳とともに、椎間板部の水分が失われてそれぞれの水分補給箇所が縮小したのか?……)しかないのに、体重が100kgを超える超肥満で、肥っていたので、湿疹の痒(かゆ)みに襲われると、じっとしていることが出来なくなり、酷い注意散漫に苦慮していた。
 そしてこうした病気を招いた元凶は、体力に問題があるのではなく、体質の問題があるのではないかと重い始めていた。

 特に夜になると、全身がアトピー性皮膚炎の為に、酷い痒みが走り、極度の不眠症にも悩まされていた。実際には眠たいのであるが、痒
(かゆ)みの為に寝る事が出来ないのである。
 このような毎日が約半月程続き、平成4年11月下旬から、夜間眠れない日が続き、昼間より夜の痒みが最悪であった。

 そして、こうした痒みが激しい夜は、いつも目が冴
(さ)えていて、朝まで夜明かしする日が多く、午前三時頃から道場に行き、二時間程早朝稽古に励むと言うのが常だった。この稽古には相手が居ない為に、専(もっぱ)ら一人稽古であり、主に曾(かつ)て学んだ宝蔵院大車派(ほうぞういんたいしゃは)の槍術(そうじゅつ)を稽古した。槍捌(さば)きから始まり、素早い引きを稽古して、兎に角、痒みが収まるまでこれを行うのであった。しかし、こうした気休め的な騙しは、最後まで通用する事がなかった。

平成4年前後、身長は170cm前後(確かに大学時代の身体検査では170cmあったのだが、デブで重力に引っ張られ、1.5cmも縮み、このときは168.5cmしかなかった)で、体重は105〜110kgと言う、現代の「三醜」と云われる再起不能の超デブだった。

 その上、暴飲暴食を繰り返していたので、この大食漢で大酒飲みは血圧も250に迫りつつあり、片脚を半分棺桶
(かんおけ)に突っ込んだ体質の悪さだった。そしてこの頃、この世でやりつくせる不摂生の限りを尽くしていた。

 もし許されるなら、「醜肥
(しゅうひ)」という“肥(ふと)らされた豚”をイメージする語句を造語として使いたいのである。『タルムード』でいう「ゴイム」にぴったりだった。
 豚は肥らして喰え……、とは誰の語であったか。

 稽古をしている間中は、躰(からだ)を激しく酷使している為か、痒(かゆ)みは自然と忘れてしまうのであるが、躰を動かす事を止めると、再び痒みが襲って来て、湿疹の出来ているところは掻きむしられずにはいられなかった。
 これまでを振り返れば、生まれてこのかた病気と云う病気はした事がなく、健康には恵まれていると高を括った事が間違いの始まりだった。この、一種の思い上がりが、潜在的な病気を浮上させ、ついに皮膚科の門を叩く事になったのである。

 皮膚科に通院して一ヵ月過ぎたが、いっこうに治る気配はなく、アトピーの痒みだけではなく、卵アレルギーも最悪な状態だった。皮膚科で貰
(もら)う副腎皮質ホルモン系の塗り薬と飲み薬を併用していたが、これ等の薬の効果は思った以上に期待外れであった。

 現代医学は近年に至って、著しい進歩を遂げているが、その恩恵に預かる事のできるのは、主に細菌によって起る伝染病や緊急を要する、外科をはじめとする疾患であって、私のような以前から体内に潜伏する内因性の慢性疾患には、余り効果が無いようである。この為に、私は慢性的な病気は、現代医学では完治の見込みなしと判断して、過去に何度か経験のあった「断食」を決意したのであった。

 断食の効果を挙げると、次のようになる。
 その第一は、まず現状の食生活を一先ず遮断
(しゃだん)し、自らを隔離しなければならない。特に「食」という食べる事の楽しみを完全に絶たなければならないのである。しかし反面、空腹と云う辛い現実に耐え、忍耐力と克己心が養われるのである。これが「空腹とトレーニング」の目標と掲げるところである。

 その第二は、人間の人体の役割は、吸収した食物を消化する働きを持ち、その吸収したものをエネルギー源として燃焼させ、更には、不要な老廃物質を排泄する働きがある。しかし、断食をすると、
「吸収」「消化」の働きは不要になり、ただ「燃焼」「排泄」のみの働きが残される。

 この働きは、内々に贅肉
(ぜいにく)として余分に現存する脂肪と蛋白質のみで、エネルギー源を賄(まか)わねばならない作業が、一番優先される働きとなる。この為に毛細血管が余分な脂肪や蛋白の中に入り込み、これ等から燃焼を始めようとするのである。その効果を神妙に俟(ま)つしかなかった。
 これは断食の効用であり、普段燃焼させる事の出来なかった脂肪や、腸壁にこびり着いた腐敗物質がこの時にとばかりに、排泄されはじめるのである。腸壁に付着した粘液性の老廃物や腐敗物質は、普段食事をしている時は、殆ど排出されない。これは長期に渡れば、宿便となり、種々の病気を引き起こすのである。

 断食の経験のない人や、断食を経験しても、断食後の補食期間の副食
(日常の普通食ではない、断食後に養生として食べる補食)に間違いを冒し、断食後一気に食事をしてしまう人は、必ず「揺り戻し」という現象に悩まされる。
 断食中は食を断ち、その期間は水だけであるから、一日に約500グラムずつ体重は減って行くが、断食明けと共に、補食期間を充分に設けず、数日くらいで普通食を始めると、断食自体は旧
(もと)の木阿弥(もくあみ)に戻る。旧の木阿弥とはこうした精神構造までもを変化させてしまうのである。崩れれば、一緒の病変まで発展する。

 下手をすれば、断食を遣
(や)る前よりも、更に体調が兇(わる)くなり、また揺り戻し(リバウンドのことで、跳ね返り現象と言い、以前にも増して、急激に症状が悪化すること)によって体重も以前より増えてしまうのである。
 したがって、補食期間は断食日数の三倍と考える方が良いであろう。断食を考えている人は、この事だけは厳守したいものである。

 その第三は、余分な贅肉や脂肪塊、宿便やその他の毒素や病素など、不要な細胞が吐き出され、更に白血球の働きは断食二週間目くらいから非常に活発になり、身体の故障箇所を治しはじめる。
 これは一種の「みそぎ」であり、病因や災いの禍根
(かこん)を心身共に浄化するのである。これを「洗心浄体」という。

節食や断食をして数々の発明をしたトーマス・エジソン。
断食で難行苦行をする釈迦の像。

 (かつ)てトーマス・エジソンThomas Alva Edison/アメリカの発明家で企業家。その発明及び改良は、電信機・電話機・蓄音器・白熱電灯・無線電信・映写機・電気鉄道などにわたり、電灯会社及び発電所の経営によって電気の普及に成功した。1847〜1931)は、九日間の断食をしてタングステン電球(灰白色のきわめて硬い金属。融点は炭素に次いで高く、タングステンをフィラメントに用いた白熱電球)を発明し、釈迦は六年間の断食生活を繰り返し実行して菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟りを開いて仏教を興(おこ)し、イエス・キリストは砂漠で四十五日間の断食をして宇宙意識を悟り、人々に神の教えを説いて廻(まわ)った。
 また、インドのガンディー
(イギリスに学び、弁護士を開業し、後の1915年インドに戻り、非暴力・不服従主義によりインド民族運動を指導。インド人はマハートマー(大聖、偉大な魂)として讃仰。1869〜1948)は、断食のよって非暴力、非服従、無抵抗主義を説き、インドの民族主義を指導した。

 こうした事から、断食は頭の汚物を取り去り、頭脳を明晰にして、思考力を高める働きがある。また思考力が高まる為、物事を複合的に考える複雑な思考でも、耐えられるようになり、記憶力やその他の言語野にも良い影響を与えると云う実体が分かり始めて来たのである。
 現代の多忙と騒音に包まれた世に中で、静寂の中に身を置くことも一興だろう。浮世離れした時空の中に身を置いて、身体リフレッシュのためにこれまでの環境とは異なる世界に断食行を実践する意義は大きいのである。
 更に思えば、空腹と言う事実により得られる忍耐、克己心などの功徳も少なくない。

 しかし、一方で難しさもある。
 断食はしている時よりも、断食期間が終わり、補食に入って食事を徐々に戻して行くときの方が難しいからである。断食後に餓鬼が顕われるからである。餓鬼の克服が難しいのである。だが、断食を始める人の多くは、こうした後のことに懸念を感じる人は少なく、とにかく良いこと尽くめのことだけを念頭に置いて始めるようである。

 さて、断食とは、かくも良いもの尽くめで、効果は甚大であると言う事が分かっていても、これを実践するとなると、中々容易なものではない。自分の意志力をコントロールすることが、非常に難しいからだ。特に断食が終わって補食期間に入ったときに食から漂う匂いに誘惑されて、自制心のコントロールに失敗し旧
(もと)の木阿弥に戻ってしまうことも少なくないからである。

 私は過去に於いてこれまでに、三回程断食を経験した事があった。それは一週間から十日程の短いものであり、その目的は自分自身の身体的な技術高揚の為であった。今回のように皮膚病を克服する為の病気治しとは違っていたのである。
 まあしかし、私は断食を決意したのであった。そして私の断食修行は、平成5年3月25日に始まったのである。




・第一日目(3月25日)
 家族が居間で朝食を摂るのみ横眼で見ながら、テレビのニュースを観(み)ていた。
 しかし、食事の匂いを一度嗅ぐと、その誘惑に負けそうになる。空腹時間が長くなると、匂いに敏感になるのである。匂いの誘惑に負けることもあるのである。
 正確には、食事を断ったのは24日の午後六時である事から、既に12時間以上が過ぎていた。要するに半日間の断食をしている事になるのである。

 断食するには、まず計画を立て、その前後に副食である補食期間を設けなければならない。
 ところが私の場合は、そんな計画等全く無しで、突然、衝動的にはじめた断食であった。その為、平素からの癖
(くせ)が出て、つい箸を握ってしまう行動に駆り立てられるのである。
 断食を始めると食事時間がないだけ、その時間分は余ってしまう。一日三食、一食に食事に約一時間かけるとして、一日では三時間が余分に余ってしまうのである。したがって、一日の時間が非常に長く感じられてしまうのである。

 私のこの日の悩みは、増えてしまった時間を、どう遣
(つか)うかという事だった。
 そうした最中、二人の下の子供達は、慌
(あわ)ただしく学校に出かけて行き、ぼんやりと私一人が居間に残っていた感じであったが、妻から追い立てられて、漸(しばら)く書斎で、今日一日の原稿を書く仕事を始めていた。熱中すればその中に長く入っていける為、時間が過ぎて行くのを忘れてしまっていたが、昼食が過ぎ、夕食の頃になると、台所から立ち昇る食事の匂いで、居間が夕食時であると云う事に気付いた。

 この夕食時間も、朝食の時と同様、一旦居間に坐
(すわ)れば、その誘惑に負けそうになるのである。ただ初日は、食事時間が抜けただけに、時間の長さを観(かんじ)る一日であった。午前零時頃、就寝するに当り、何と物足りない空腹感を感じっぱなしの無味乾燥な一日であった。



・第二日目(3月26日)
 寝付かれないまま、午前四時頃に床を抜け出して道場に稽古に行く。アトピー性皮膚炎の痕は相変わらず痒い。ここで二時間程稽古に励み、痒みと空腹を紛(まぎ)らす。
 帰宅後、さしたる理由はないが、青竹踏みを行う。
 朝食時は居間に居て、家族の食事をするのを眺める。一瞬の誘惑が脳裡
(のうり)を趨(はし)る。「断食は今朝をもって終る」といえば、どんなにか幸せだろうかと思う。しかし、ついにこの言葉は出なかった。

 本来、家庭で行う断食は、「食」に関係する場所から隔離されて、遠くに離れなければ行けないのであるが、私の場合は、家の狭い事もあり、不幸にも、家族が食事をしている場所に居て、それを眺
(なが)めると言う最悪の状態であった。この日も誘惑に負けそうになりながら、今日一日を、何とか乗り切ったのである。



・第三日目(3月27日)
 相変わらず熟睡できない。痒(かゆ)みもさるこのながら、空腹感が何とも、食への妄想を駆り立てるのである。脳裡(のうり)には、テレビの料理番組の料理が浮かび上がったり、料理書のメニューが次から次へと、順番に襲って来て、一種の妄想に襲われる今日一日の幕開けであった。
 この日の零時を過ぎた頃、転
(うた)た寝(ね)風に一時間ばかり眠って、午前四時に床を抜け出し、道場に向かう。空腹の妄想が何度か襲い、あるいは痒みが襲い、皮膚病は相変(あいか)わらず赤く腫(は)れている。

 朝の食事中、居間のテレビは食談義のような番組を遣
(や)っていた。そして事もあろうに、出演者が「これはビールや酒のつまみに最高です」などと、馬鹿な事を喋(しゃべ)り出したのである。確かに、そうであろうと打ち消す余地はなかったが、つい誘われて、朝っぱらからビールでも飲みたいような衝動にかられたのである。

 この日は、朝から神経がイライラして落ち着かないのである。仕方ないので、何度も風呂に入り、これを鎮
(しず)めようとした。そして自分自身に「たった断食三日目くらいで情けないぞ」と自責し、叱咤(しった)したのである。

 空腹を満たす為に、何度も水を飲む。
 夜半から時々腹痛が襲う。その腹痛は周期があるように感じた。そしてこの腹痛はやがて、胃痛へと変わったのである。シクシクして、我慢できないくらいの痛みとなった。
 こうした場合、空腹時に意の部分が痛む人は、十二指腸潰瘍の疑いがあるとされる。
 この日の後半は、胃痛の為に寝られず、ひと晩中起きていて、静坐と坐禅を交互に繰り返し、瞑想しようとしたが、中々思うようには精神のコントロールできなかった。

 翌日は、東京新宿スポーツセンターで講習会指導があるので、午前の新幹線で京都から東京に向かう、胃の部分の痛みはいつまで経っても収まらない。気を紛
(まぎ)らす為にグリーン車の二階の窓から、外の景色を眺(なが)めて心を落ち着かせようとした。



・第四日目(3月28日)
 講習会終了後、サウナに一泊する。午前四時頃から入浴する為に、サウナと水風呂を交互に入り、両者の往復する事からこの日が始まったのである。胃の部分の痛みは中々良くならず、時折、痛みが激しくなる事があった。昨日に比べ、その痛みは激しいように思う。
 そして、断食した事は、間違いではなかったのかと言う、悔悟の念が仕切りに脳裡
(のうり)を過(よぎ)っていた。

 あるいは「仕方」そのものに間違いがあったのではないかと、細々と反芻
(はんすう)した。不安になり、携帯していた「断食実践者の記録」を読む。
 それによれば、胃下垂の人や胃拡張の人は、胃の部位が健康の人に比べて下がっているので、元の位置に戻ろうとして、復元作用を起こすのだと書かれていた。つまり、私の胃の部分の痛みは、胃は上に引き上がろうとして、復元作用を起こしているのだと思われた。

 しかし、このシクシクの鈍痛は、筆舌に尽くし難いもので、同時中々耐え難いものであった。今までの不摂生な生活を顧みて、自己反省しつつ、胃痛に一日中苦しめられた。
 ちなみに、食事をする前の空腹時に、胃の部分が痛む人は十二指腸潰瘍の疑いがあり、食後に胃の痛む人は、胃潰瘍の疑いがあると言われる。そして、
 胃潰瘍は悪質の場合、胃ガンに発展するとも云われる。それは、胃酸の過剰分泌が主因であり、重症になれば吐血・下血・穿孔
(せんこう)を起すことがあると言われるが、既に、この状態で、胃ガンを内因していると言えるようだ。あるいは近い将来、胃ガンで斃(たお)れる自身の未来像の幻影を見た思いだった。

 この日、私は一日24時間を何と長い時間であろうかと、感じた程だった。しかし時間が経過するに連れ、「食」への未練は薄らいだようだった。
 四日経っても、排便がないので浣腸をして、凝結した小塊
(しょうかい)を出す。
 午前十一時頃、迎えの弟子の車で新宿スポーツセンターに向かう。講習会での私の動きは実に鈍い。自分でも、技に冴
(さえ)がない事がよく分かる。この日は、翌日に出版社との打ち合わせがあったので、夕方は同じく、同サウナに一泊する。



・第五日目(3月29日)
 寝つけないまま、時計を見ると午前四時だった。皮膚炎の痒みを去る事ながら、胃痛の泛駕その苦痛に於ては、はるかに上回っていた。その為に集中力や注意力がない。胃の辺りに、手を当てたり、指で指圧のような事をするのだが、いっこうに効果が無い。暫(よう)くすると腹痛が起り、便意を催したのである。真っ黒い、ネバネバとした宿便と思えるようなものが少量出て来たのである。排便から一時間程して、不思議にも皮膚の痒みが止まった。しかし、胃痛は一向に収まる事がなかった。

 痛みを紛
(まぎ)らす為に、水風呂とサウナの往復を始める。サウナの高熱で、皮膚を焼き、同時に痛みを抑えようとしたが、サウナでは効き目がないようだ。
 腹痛が激しくなったので、カプセルの床に横になり、痛みの通り過ぎるのを静かに待っていた。そして午前十時くらいまでこの状態であったのである。

 出版社との打ち合わせの時間が午後一時だったので、渋谷に向かう。非常に咽喉
(のど)が渇いたので、出版社でアロエ・ジュースをとってもらう。打ち合わせ終了後、帰路の旅路につく。一先ずタクシーで東京駅へ。
 新幹線の中でも胃痛は治まらず、京都駅に着いた時には痛みと共に酷い立ち眩みに襲われ、動く事が出来ず、暫
(しばら)くその場で蹲(うずくまった。午後八時頃帰宅したが、胃痛は治まらない。深夜になってもこの状態が続いた。



・第六日目(3月30日)
 
午前二時頃、胃の部分の痛みが治まらないので胃薬を飲む。飲んで暫(しばら)くすると痛みは薄らいだが、それから一、二時間経つと再び痛みが込み上げて来た。激痛と鈍痛が交互に走る。胃の部分が元の位置に復元作用を起こしていると考えるには、些(いささ)かの疑念が走り、実に長い時間が掛かるものだと不信に思った。

 再び、断食実践者の体験記を読み直す。そして何処を読んでも、私のように、こんなに長く痛みが続く等とはどのページにも書かれていなかった。但し、急に断食をはじめた場合、こういう状態になると言う事が書かれていた。

 断食を始める前は、必ず断食の入る前に、2〜3週間程度の補食期間を設け、普通食の量を徐々に減らし、次にお粥
(水の量を玄米と等分にし、固粥または汁粥)に変え、更に重湯(お粥より、更に水の量を多くして米を炊いた上澄みの糊状の汁で、病人食とも)に変えて断食に入らなければならないと書かれていた。当然始める前に、補食期間を設けるのであるから、断食終了後も補食期間がある事になる。
 兎
(と)に角(かく)、胃の痛みは多分この為であろうと結論付け、この日は我慢の「忍」の字であった。

 痛みを紛らす為に午前四時頃、道場で一人稽古に励む。胃の痛みの為に、全く集中力が失われている事が分かる。動きは鈍
(のろ)く、足運びは重い。

 昼間、自分の体重が気になりはじめ、体重計を買いに行く。計測したら86kgであった。平成四年の十二月に呉れには105kg前後であったので、約20kg程の体重が減っていた事になる。
 要するに一日約3.3kg減って行った事になる。減り方も急激で異常である。普通の場合、一日に500gずつ減って行くので、あまりに急激な減り方であった。

 それでも空腹と胃痛の感覚は収まらず、暫く青竹踏みを遣
(や)る。左右の足を交互に踏みならしながらも、脳裡(のうり)には食べ物に対する執着の念が抜き切れないらしく、次々に、まるで廻り灯籠(まわりどうろう)のようにある種の料理が浮かび上がり、それは思い出の蓄積された走馬灯であった。浮んでは消え、消えては浮ぶ、まさにそんな風車の灯影(ほかげ)が脳裡を刺戟(しげき)するのである。
 そして、思い切り口の中に食べ物を詰め込みたくなるような衝動にかられた。
 次から次へと、食べ物に対する妄想が脳裡を過
(よぎ)るのである。

 私は元々、肉食主義者であった。42歳の厄年まで、肉一点張りの食生活をして来た。また美食に目がなかった。少しでも、何処に美味しいものがあると聞けば、何処へでも出かけて行ったものである。美食への執念は凄
(すさ)まじかったと、今でも時々反芻(はんすう)する事がある。

 また、酒好きでもあった。アルコール依存症の一歩手前でもあった。その為か、当然血圧も高かった。
 これ以上の不摂生ができないと言う程の、不摂生を繰り返し、半分棺桶
(かんおけ)に足を突っ込んでいたとも言える。醜態の限りである。
 三十代に掛けては、少々の小金持ちであったせいか、傲慢
(ごうまん)なところがあった。仕事は早朝に出かけて行って、昼過ぎ頃に帰宅し、それから昼食と夕食と夜食をかねた、私一人の宴会を始めるのである。

 ビールの数も半端なものではなく、毎日ビール大罎の20本入ケースを一箱空けていた。それに肉料理中心のオードブルをたらふく喰
(く)う。どの皿も、ペロリと平らげてしまうのである。こうした大喰いは異常と云う外ない。まさに鯨飲である。
 しかし、これだけでは収まらなかったのである。夕方六時頃になると、20本の入ケースが空になり、一先ず、これで自宅での呑み会は店終いであるが、さて、これからが本番だった。

 タクシーに乗って行き付けの、私の背広を数着置いている料亭に出かけるのである。そこで風呂に入り、夕食を食べ、食べ終るとキングサイズの背広に着替え、いよいよこれから本番が始まるのである。
 つまり高級クラブで豪遊し、そこがはねた後は、行き付けのスナックで朝まで居て、そこから自分の経営する会社
(当時は中堅の大学予備校を経営し、そこでは理事長に収まっていた)に向かうと言う、狂った生活をしていた。単に不摂生どころではない。落伍者の、それである。
 不摂生に、二重、三重の輪を掛けた不摂生とでも言ってよかった。当然、会社もこれを機に、斜陽に傾くのは当然の成り行きである。
 ビジネス健康は肉体健康に比例するからである。仕事が巧くいく訳が無い。

平成4年の12月の暮れには、体重が肥満状態で周期的に繰り返す、105〜110kgという再起不能の超デブであった。
 世間では最も嫌われる「三醜」を背負っていた。鈍間
(のろ)までデブの、いつまでもそうした罵倒の重荷を降ろさないでいた。愚行と言う他無し。
 痩身体躯に戻れるのは、絶望的であった。血圧も高かったので、このまま行けば、短命で終る運命をも間脱がれなかった。

 そんな過去の反芻(はんすう)を繰り返しながら、この最中に、今まで自分が間違って居た自責の念に打ちのめされていた。結局、今激しく襲う胃痛は、数年前の不摂生が原因であるという、悔悟に似た自責の念であった。
 その為か、こうした念にからればかりで、何をするにも集中力がなく、読書をしたり原稿を書いたり出来なくなった。テレビを見ても、単純なものや漫画や料理番組ばかりに目がいってしまう。そして訳の分からない苛立ちが起り、躰を動かさないと落ち着かない心境であった。




・第七日目(3月31日)
 
(しばら)く熟睡できない日が続いている。一時間程の転た寝で直ぐに目が覚めてしまう。不眠症に陥ったのではと言う疑念が起る。胃痛は相変わらず続いている。しかし少し胃痛に慣れたせいか、これが気にならなくなった。
 この胃痛は、胃の異変か、胃の病気で起るものであろう。こうしたものとも、共棲するという気持ちになれば、無理にこれを鎮めようとは思わなくものである。胃痛と共にある。胃病と共にある。これでも、いいではないかという気持ちになっていた。


 午前四時に起床して、道場に向かい一人稽古を行う。腹痛があったので、便所に行ったが、浣腸の力を借りないと排便できなかった。また、排便できない状態を我慢すると、腹痛は激しくなるばかりなので、浣腸をしたのである。出て来た便を見ると、黒便と思われるものがコップ一杯一塊(かたまり)となって出て来た。これにより、気分が少し楽になり、不思議な爽快感が全身を駆け巡った。しかしこの程度では、束の間の気紛れである。断食の収穫等、その痕跡は殆ど見られなかった。

 午後、暫くすると眠気が襲った。今まで眠れなかった分が、この日、眠気として襲って来たのであろう。目を覚ますと不思議にも胃の痛みが止まっていた。しかし、一端は収まったかのように思えた胃痛も、深夜になってからぶりかえした。寢る事が出来なくなったので、暫く青竹踏みを行った。胃痛は終日まで去る事がなかった。




・第八日目(4月1日)
 
熟睡できないまま、午前四時になった。通常通り道場に行き一人稽古を始める。胃痛は治まらなかった。帰宅後、青竹踏みを遣る。この青竹踏みは、別に意図があって行っているのではない。また、健康法にいいと言う理由からでもない。
 青竹を踏んで、健康に寄与するかどうか、甚だ疑問なのである。足の裏の内臓に繋
(つな)がるとする説も、一種の仮説であり、その根拠は全く無い。しかし、私の場合は一種の御呪(おまじな)いであり、気を鎮(すず)める為に行っているに過ぎない。

 朝、体重を計ると84kgになっていた。一日に約1kg強の割合で、確実に体重は減っているのである。但し、集中力は失われ、何事にも散漫になり、集中できない状態に些
(いささ)かの困惑が趨(はし)った。ちょっとした事にも、神経が逆撫でされたようになり、些細(ささい)な事で激怒してしまうのである。

 私は滅多に腹を立てない、のんびりとした柔和
(にゅうわ)な性格であったが、断食をはじめてから性格が変わったようになった。本来人間の性格は変わらないという。これは心理学上の常識となっている。性格が変わったように見えるのは、実は性格が変わったのではなく、これまでの考え方が一掃され、考え方自体が変わったとする説が定説であると考えられている。私も、過去を反省して考え方が変わったのであろう。
 また、こうした変化は、食べても食べても、食べられないと言う状態に置かれているのかも知れない。

 何もする気が起らず、そうかといって床に転がるという事も出来なくなっていた。床に転がっても、「寝る」という集中力すら起らないであろう。静坐
(せいざ)と坐禅を繰り返し、瞑想を行う。
 しかし瞑想にも集中する力がない。空腹で気が散るのだ。イライラが起こるのである。食べないこと、あるいは食べられないことへの心の葛藤が始まっていた。仕方なく再び青竹踏みを行う。
 何時間行ったか分からないが、何か躰
(からだ)を動かしていないと落ち着かないのである。食への妄想の押し潰されそうになるのである。それで仕方なくこうした行動が起る。何時間しているか分からなかったが、辺りは暗くなっていたのでかなりの時間やって居たものと思われる。
 人間の業
(ごう)である、食への恨みは自他ともに恐ろしいのである。人間は、つくづく業を背負った生き物であることが思い知らされたのである。

 今まで浮上せず、沈静化した痒みが襲って来た。痒くてたまらず、躰の至る処を掻きむしる。皮膚が破れてジクジクしたところから血が出て来た。胃痛も相変わらずだ。脈を打つように、周期的に痛みや悪寒が顕われるのである。寒くないのに、悪寒である。どうしたことか?……。
 神経も逆撫
(さかな)でされたまま、この日が終る。



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