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憑衣現象改善法 1


憑衣現象改善法




人間の脳と類人猿の脳の違いは、脳そのものの大きさよりも、脳の働きの違いに、類人猿とその種を異にする。その特徴は人間の脳には、右脳と左脳がある。つまり「機能分化」していることだ。
 左脳は言語脳といわれ、言語野論理的判断機能を司っている。
 また、右脳は音楽脳・感性脳をいわれ、創造や直感を判断する脳である。しかし、人間以外の他の動物に於ては、左脳・右脳が渾然一体になった働きをしている。
 ここに、人間の脳は、類人猿とは異なった特性を持ち、物理的に場所を異にした「住み分け」があるのである。

 さて、問題は「住み分け」に派生する。性質の異なった文化が同じ器の中に同居している場合、そこのは
「足の引っ張り合い」が起る。これが「発展」と「阻害」の鬩(せめ)ぎ合いを行う。脳においても、この鬩(せめ)ぎ合いが起っている。特性や性質を異にする文化圏は互いに住み分けた方が得策である。

 しかし、現象界ではこれが不可能である。
 「住み分け」できるか、否かで機能の高低が試されるが、現象人間界では生活システム的に不可能である。あるいは、これこそが現象人間界の実体であるのかも知れない。
 そこで鬩ぎ合いの中から、ヒトの交錯する唸
(ねん)は、やがて「生霊化」し、また「死霊化」する。憑衣現象はこうした現実下に派生している。

●現代人を襲う脅威の憑衣現象

 西洋一辺倒主義あるいは科学万能主義は、この時代に生きる現代人に、脅威なる憑衣現象を齎(もたら)した。現代人の殆どが、大なり小なりの憑衣現象に襲われ、霊的波調を乱している。

 その第一は、生まれる事と死ぬ事が、自然でなくなって来ているということである。
 かつて人間の生死は、月の運行に委ねられていた。
「潮の干満」によってコントロールされていた。ところが科学万能主義は、こうした自然から、人間を遠ざけてしまったのである。
 本来、人間の生死は、月との間に密接な関係があり、それにより生死を繰り返して来た。それは最も自然であり、心も躰
(かだら)も月によって、ごく自然に、コントロールされていたのである。

人間の死と潮汐を司る月

 特に、「人間の死」と言うものは、月の潮汐(ちょうせき)を通じて繰り返されて来た。その為に、古来より、潮が引く時、人が死ぬと言う経験則(経験的事実に基づいて得られた法則で、経験的法則とも)を作り上げていたのである。

 ところが今日はどうか。
 多くの人は、
「病院で生まれて、病院で死ぬ」という人生を歩いているではないか。
 病院で生まれる、自然とは程遠い生まれ方をして、更には、自然死とは程遠い、病院で死んで行くと云う人生を余儀なくされている。人工的であり、自然の力を無視している。
 昨今は、潮の満ち引きと人間が生まれたり死んだりするのは、無関係で根拠がないと言う考え方が主流になっている。この考え方を科学的と言う。
 だが、果たしてそうだろうか。
 月の運行と人の生命力は無関係と言うが、そうだろうか。
 そもそも人の生き死には、太古では潮の満ち引きを挙げている。何ゆえ、近年に至って、 アーノルド・リーバーの『バイオタイド理論』は仮説の域に追いやられたしまったのだろうか。

 『バイオタイド理論』は、地球における地殻や海水や磁場が天体の影響を受けるのと同様、人体もまたその影響を受け、潮の満ち引きによってその影響を受けていると言う観点からのものであった。しかし、俗耳が入り易い懐疑的なものであっても、引力は重さに比例し、距離の三乗に反比例する法則は未だに健在である。更には、月は太陽とともに地球を引っ張る力があり、その力は小さな月の方が潮汐の四分の三を支配するというもので、これが人体にとって無関係とは言い難いものである。

 したがって、海水と同じ構成を成す羊水は、月の影響の許
(もと)に干満を感じるのではないのか。
 しかし、この見解が昨今は全く代わったものになり、羊水の中で胎児は干満を感じることはないとされ、人体にはそうした影響が表れないとしている。
 だが、人の生死と無関係と言う一蹴する論理には疑問の余地があるのである。

 現代とは、ある意味で「月を語れば警世的になる」という、不可視世界を否定している点がないとも言えなくもない。したがって月夜に蠢
(うごめ)く闇の中の“蠱(こ)”も否定してしまったのだろう。
 こうした現代の生死が、総
(すべ)て病院に委ねられているところにも、不吉な要因を引き摺(ず)っている。科学一辺倒では、波動の世界は割り切れないからである。
 ところが、現代は眼に見えないものは、総て迷信となり非科学の対象となってしまっている。

 これは悪因縁的な結末を招き、何らかの災いを背負わなければならない人間の、冥府
(めいふ)に迷う現実を背負っていることになる。死者の霊魂が迷い行く道を「冥土(めいど)」という。これこそ、「暗黒の世界」である。黄泉路へ向かう世界である。

 現代人は科学万能主義に圧倒されて、眼に見えるものだけを科学の対象にして来た。特に二十世紀は、この時代の科学が、「眼に見えないものを切り捨てて来た」という歴史を持っている。現代医学の世界はこれが甚だしかった。

 今日の現代医学は、「見えない心」を科学する意識が希薄である。悉
(ことごと)く、眼に見えないものを非科学的と一蹴して来た。
 しかし、生物は波動によって動いている。波動による働きを持っている。これは動植物に限らず、鉱物までが波動によって存在している。

 生物の場合、細胞と神経伝達システムは波動的なアプローチによるものである。
 これまで意識体の持つ波動の研究は「非科学的」と思われて来た。しかし、確かに波動は存在し、その波動振動により、万物は流転している。波動こそ非科学的な領域のもの出なく、未だに解明されない、未科学のジャンルなのである。医学は、こうしたジャンルを非科学的と決めつける。

 しかし、その一方で、物理学は「見えない心」を解明する糸口を掴み始めた。
 未科学的な領域を、単にオカルトとして一蹴
(いっしゅう)するのでなく、真摯(しんし)にこれと向かい合い、解明する姿勢こそ科学者の態度であろう。物事は、総てに意味があるから、人は、この縁によって導かれるのである。

 波動から考えれば、突きの光の波動も、眼に見えない意識によって導かれる心がある。この「見えない心」を、決して無視するわけには行かないのである。人間の意識は、確かに突きの波動と共鳴し合っているのである。しかし、時代が下るに遵
(したが)って、共鳴する感覚が薄れた。

 原始時代程、“月”と反応する意識は強かった。多くに人間に、霊感的な霊能力は一様に備わっていた。しかし、時代が下がるに遵い、機械文明へと向かって、正守護神
(せい‐しゅご‐しん)が封じられ、副守護神(ふく‐しゅご‐しん)の意識が旺盛になったのである。交霊の能力も殆ど無くなり、霊媒的(れいばい‐てき)な能力を持った人でも、それが微弱な為、霊的体質に早変わりし、この体質の人が酷く、邪悪な霊に交霊して、精神的健康を損なっているのである。

 これは事実、現代人は古代人に比べて、退化した存在であると言えるのである。現代人は自然の力が働かないし、また働きを求めても、余りにも遠くに隔てられているからである。こうした実情は、霊媒にとっても、また、霊的体質者にとっても、過酷な運命を背負わなければならない結末が控えている。彼等は、特に運命の陰陽に支配され易いからだ。
 また、規則正しい運行から、直ぐに脱線してしまうのである。現代人は、月のサイクルかは離れて行く実情もこの為である。

 こうして現代人は、「生」と「死」を司る、月のサイクルから外れてしまった観が強い。生死が点くのサイクルから外れてしまったと云うことは、その現象として、今日の現代人は、太古の人類に比べて、生と死を月の運行である、潮汐
(ちょうせき)の干満においてコントロールできない存在となり、また、その自動調節機能【註】自律神経であり、交感神経と副交感神経の機能で、その中枢は脊髄と脳幹にある。主にその働きは意志とは無関係に、血管・心臓・胃腸・子宮・膀胱・内分泌腺・汗腺・唾液腺・膵臓などを支配し、生体の植物的機能を自動的に調節する神経機能)も喪(うしな)ったと云うことになる。現代人の自然から離れた異常性は、ここに存在する。

 つまり、現代人は自動調節機能が狂わされ、此処に憑衣される原因を作り出していると云うことになる。この自動調節機能の損壊が、種々の憑衣現象を生み、ある人は悪想念から霊的波調を乱し、その乱れが憑衣され易い体質を作っていると言える。要するに体質が悪いのである。この体質の悪さが、肉体的には慢性的な病気の病因となり、精神的には心因性の精神病の病因となっているのである。



●前頭葉未発達が招く様々な現象

 自動調節機能の不調は、かつては多くが子供に見られた現象であった。
 昭和20年代の敗戦時から、昭和50年代までに生まれた子供の多くに見られていた。つまり「団塊の世代」から、「団塊の世代ジュニア」に掛けてであった。

 ところが、この時期に自動調節機能を狂わせた子供達は、この狂いを修正する事なく大人になり、自閉症
【註】自分だけの世界に閉じこもる内面優位の現実離脱を呈する病的精神状態であり、現実との生きた接触を失うもので精神分裂病の重要な症状の一つである。対人関係における孤立、言語発達の異常、特定の状態や物への固着などを示す)の子供が大人になり、あるいは登校拒否の子供が大人になった。

 つまり精神に異常を来した子供達は、その修正を行われないまま、あるいは悪想念を抱いたまま、大人になり、その有害性が次世代にも顕われ、今日の現象界で表面化していると云うことである。

 更に、母親の過保護も、これに大きく絡んだ歴史を持っている。母親の過保護は不良保菌者を世の中に送り出した。保菌者達は昨今の不穏な世の中を作り出した。戦後の民主主義教育の中でその影響下にあり、凶悪事件を起こして来たのは、団塊の世代
(昭和四十年代の全共闘を始めとする暴力闘争)であり、また昨今の凶悪化する青少年の犯罪の低年齢化は、団塊の世代ジュニア(青少年犯罪の兇悪化に加担)である。同時に、世代交代が強まるにつけ、霊格的にも低下の一途にある。

 また、この時期に、親に「反抗する現象」
【註】団塊の世代ならびに団塊の世代ジュニアを含めて)が見られなかった子供は、一見温和(おとな)しく、「いい子」として扱われ、幼年期や少年期を過ごし、成人してから親離れを失敗してしまった子供も少なくなかった。
 反抗することは、本来「独立心」の現れであった。隨
(したが)って、反抗期が遅れた成人した子供達は、このストレスにより、反社会的な行動に出る場合も起るようになって来たのである。全共闘を始めとする学生の暴力闘争は、まさにこれではなかったか。
 つまり幼児期のおける、「前頭葉未発達」が、今日のような、不穏な社会現象を作り出したと言えるのである。

前頭葉の発達度は、知性の塾生段階を示す「物指し」である。高血圧や動脈硬化などを煩って居る人は、怒りっぽく、したがって爬虫類脳のR領域の活動が未だ醒め非ず、胃潰瘍や膵臓炎などの消化器疾患は哺乳類の辺縁系活動が野放しになった状態である。

 つまり、何
(いず)れも前頭葉の未発達から生じたもので、辺縁系やR領域の制御が旨く行えない人に起因する現象である。

 また「前頭葉未発達」は、人類である証(あかし)の、前頭葉の活動を退化させ、その結果、工夫する、あるいは想像すると言う推理の範囲を破壊し、この欠如が、様々な現代病と共に、精神的障害にまで進展する要因を作り上げてしまった。

 昨今は精神的障害が発生した場合、気を鎮
(しず)め、不安要素を取り除く為に精神安定剤を服用させ、効き過ぎて無気力になる興奮剤などを与えているのが現状である。こうした状態に至らしめ、薬漬けにした上で、本物の精神病に発展していく患者も少なくない。

 母原病
(ぼげん‐びょう)や医原病(いんげん‐びょう)が既にあるが、この病気は、医師の診断治療行為によって、患者にあらたにひきおこされる疾病および疾病状態をいう。本来は医師の不適切な言動、または患者の誤解、自己暗示などによる心因的異常を指すが、広義には医療に基づく、種々の副作用・後遺症をも含む病気で、母原病とも言われている。
 そして前頭葉未発達が、大きく絡んでいることは言うまでもない。

 また、前頭葉未発達は、「信ずる」ということ自体を踏みにじり、この結果、人間の心には「不信」というものが巣喰い始めたのである。この不信は、巨大化され、怪物として一人歩きする現実があるのだ。つまり、人を信ずると言うこと自体が、非常に難しい時代に突入したと言えるのである。



●血の流れと血の伝達

 人間は「生」と「死」が表裏一体の関係にある。本来死ぬべきものが、奇蹟によって生かされ、そこには美醜(びしゅう)が漂っている。想念の中にも、生が「美」であり、死が「醜」であると思われている。したがって、人間の美醜感覚の中には、何者かの「黒い業(わざ)」が仕組まれているのである。

 人間の心にはドス黒い、逞
(たくま)しさが横たわっていて、これを中々断ち切ることができないのである。そして、断ち切れないものを手探りで探っていくと、「人間がこの世に生きていく」という現実が、何と生臭く、何と冥(くら)いことか。
 それは現代人が食べている、食べ物を見ただけでも明白となろう。

現代人の食べる、生臭くて、冥い食べ物。生き物の肉は、穀類や野菜に比べて、生臭く、したがってそれだけ早く腐るのである。腐るものを食べて、その命を引き換えに生きているのであるから、これで憑衣されない方が不思議である。
 つまり、「動蛋白」はその根元に「肉
(じし)喰った報い」が存在するのである。これこそが憑衣の元凶である。

 人間と言う生きものは、「道理」を言葉の上では理解しながらも、実は、「行い」においては全く理解していない。「行い」が冥(くら)いから、死後の世界の冥府(めいふ)に迷うのである。また、この「迷い」が、現世の冥い影を落として来る。
 憑衣現象は、こうした「冥さ」が招いている現象である。

 人間は、ふとした事で、幻想に捕われる。
 かつて霊体質や霊能といった連中は、古代の女神に捕らえられた。ここにこうした連中の、冥府に横たわる姿があり、これに振り廻されて心身を病むのである。

 人は、冥府に横たわった古代の幻想に触れると、その呪縛に懸
(かか)る。
 食の報いは
「肉(じし)喰った報い」に回帰される。動物を殺して食べれば、それは憑衣としてわが身に降り懸かって来る。これは女神であろうとも、例外ではない。報いとして、女神の肉体は腐る。腐って、蛆(うじ)が涌(わ)いている。腐れた女体のあらゆる場所から、雷(いかづち)が黒く燻(くすぶ)り、その肉体を焼いているではないか。まさに雷に打たれた“焼死体”である。

 大小の雷が「黒い業
(わざ)」を仕組み、それに翻弄(ほんろう)されている。
 この話は、日本神話の中で、伊弉諾尊
(いざなぎ‐の‐みこと)の配偶女神に彷彿(すっくり)ではないか。火の神を生んだ為に死に、夫神と別れて、黄泉国(よみ‐の‐くに)に住むようになった、あの女神ではないか。

 日本神話では、天つ神の命を受け、伊弉冉尊
(いざなみ‐の‐みこと)と共に、わが国土や神を生み、山海・草木をつかさどった男神は、妻を訪ねて黄泉国に向かう。伊弉冉尊は天照大神(あまてらす‐おおみ‐かみ)や素戔嗚尊(すさのお‐の‐みこと)の父神である。
 その父神が、わが妻を訪ねて黄泉国に向かった時、あまりにも妻の変わりように仰天する。その凄まじい有様を見て、伊弉冉尊は逃げ帰ろうとする。

 こうした良人
(おっと)の変わりようを見て、今までの愛は悉(ことごと)く憎念に変わり、生前、わが肉体を貪り、肉欲に明け暮れた良人は何だったかと思う。その憎念は、男としての本能を燃やした良人に対しての憎しみであり、この男を捕らえようとして、凄じい勢いで追って来る。

 肉に溺れ、自らの肉体を許した女の愛情は、実は愛憎であり、女の持つ愛情は、かくもこのように復讐
(ふくしゅう)の形として変化するものなのである。この変化と変形は、同時に「妄念」に変わり、この妄念は次の世代を経て、次々に伝達され、やがて自分に伝わって来るのである。これが「血の流れ」であり、「血の伝達」である。
 そして、その「流れ」と「伝達」の先端に何があるのか。



●歴史の先端

 人類は神の創造のよって生まれた。それはまた、現実の歴史と、その歴史時間の先端に何かが衝突したとしても、神の創造においては、人間の事象など極小のものであろう。ほんの些細なことなのである。
 「黒い業」の仕組みも、創造する側から観れば極小のものであろう。取るに足らないものである。その生死すら、取るに足りず、一文字か、一行で記されるような小さな物であろう。

 現実の事象は余りにも小さい。現象すらも、取るに足りぬ物の中で生まれ、そして消滅して行く。一切は吸収される。最終的には無に帰する。
 人類は、少なくとも日本は神話的にも、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神から始まったとされる。
 宇宙の創造主は、二神に日本を託した。
 伊弉諾尊は天つ神の命を受け伊弉冉尊と共に、わが国土や神を生み、山海・草木をつかさどった男神であり、天照大御神
(あまてらす‐おおみかみ)と素戔嗚尊(すさのお‐の‐みこと)の父神である。

 一方、伊弉冉尊は伊弉諾尊の配偶女神である。火の神を生んだために死に、夫神と別れて黄泉国に住むようになる。こうした地下世界に、月の力が反映されているのかも知れない。
 そして、「神世七代」に対して、「地王五代
(くにのおをきみ‐いつよ)」の神々がいる。その筆頭が第一代の天照大御神である。
 更に、第二代が正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
(まさかるあかつ‐かちはやひあめのおしほ‐の‐みこと)、第三代が天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇芸命(あめにきしくににきし‐あまつひこひこほのににぎ‐の‐みこと)、第四代が天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこ‐ほほでみ‐の‐みこと)、第五代が天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこ‐なぎさたけ‐うがやふきあえず‐の‐みこと)である。
 天之御中主神の「別天つ神五柱」から鵜葺草葺不合命の「地王五代」までの十七柱の神々は、もともと人類の神だったと言うことになる。

 また、こうした黄泉の国の神話が『古事記』にも登場し、他にもギリシャやケルトの古伝承にも登場して、多く見られる代表的な神話のエピソードとなっている。そしてこれらが、死後の世界や九泉黄泉路
(きゅうせん‐よみじ)への、ある種の具体性を持って歴史的な記録とともに書き記されていることである。

 あるいはこうした肉の眼で見ることの出来ない不可視世界を「闇」と言ったのかも知れない。そしてこの世界は暗い静寂があり、地底にある霊的な異世界を指しているのかも知れない。
 そして伊邪那美命
(伊弉冉尊)は伊邪那岐命(伊弉諾尊)の配偶女神だが、火の神を生んだために死に、夫神と別れて黄泉国(よみ‐の‐くに)に住むようになったと言われる。
 また、月と太陽と地球が一直線に直列になるこの時期は、何かが騒ぐと言う……。騒乱の時期だと言う……。一体この関係に何が起こっているのだろうか。
 おそらく、意図も簡単に総てを吸収してしまうという事象が起こっているの出はあるまいか。

 意図も簡単に吸収する。
 歴史とはそうしたものではあるまいか。
 近現代史を顧みれば、あの数千万人もの死者を出したとする第二次世界大戦を考えれば、この大事件はどういう一節で記録されるのだろうか。

 その一節は、「ファシズム体制をとる日・独・伊の三ヵ国
(枢軸国)と、米・英・仏・ソなど連合国との間に起こった世界的規模の大戦争で、1939年9月ドイツによるポーランド侵入、英・仏の対独宣戦により開始された。また41年6月独ソ戦争が勃発。更に同年の12月太平洋戦争が起こり、戦域は全世界に拡大された。42年夏以降連合国軍は総反攻に転じ、43年にはスターリングラードにおけるドイツ軍の大敗を切っ掛けとして、日独伊三国同盟の結束は揺らぎ、まずイタリアが降伏。続いて45年5月にドイツの降伏。最後に同年8月15日には、日本がポツダム宣言を呑んで無条件降伏となって終了する」と、この程度の記録文で片付けてしまうだろう。

 その間に無慙
(むざん)に殺された死者の無念とか、その彷徨った霊的足跡は何も残るまい。それでから付けられてしまうと言うのが歴史の手順なのである。
 そしてここで問題になるのは、戦争を直に体験した人でなく、その時代の時間の先端にいて歴史を牛耳った人のいたことである。歴史を牛耳った人から検
(み)れば、死者の魂の問題にはならないのである。些細なことである。こうして死者は無念を残し、憑霊者を探し求めるのである。



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