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合気二刀剣戦闘理論 1
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合気二刀剣戦闘理論 1

合気二刀剣戦闘理論






合気二刀剣/乱斜刀

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 近代戦は、単に柔剣道の試合場に居て、正々堂々と、一対一で個人戦を戦っているのではない。「何でも有り」の計略と、奇抜な奇手も絡めながら、一糸乱れぬ「組織戦」なのである。組織戦には、戦略と言う「方向性」が要るのである。方向性があるからこそ、兵は詭道(きどう)になり得るのである。
 つまり、目的遂行の為の大局を見据えたグランドデザインが必要不可欠なのである。

 例えば大局を考える場合、東洋の囲碁と西洋のチェスの違いを考えれば、それは盤面の上で戦うことには類似性を見出すが、石と駒
(bishop)の用い方が違うことに気付くだろう。
 西洋のものは囲碁のように線上の交点を使うのでなく、線内の枡目
(ますめ)の中を使う。更に西洋のものは融通性を持ち、斜めに動き、それぞれに駒に命が与えられ、独立した役を持ち、生命を有するかのように動くのは、むしろ将棋に類似する。「動」的なゲームである。

 ところが碁は違う。碁では、打たれた石は囲みあげてその命をもぎ取らない限り、置かれた石はいつまでも残る。この意味で、「静」のゲームといえよう。その「静」の中で、碁盤ばかりに貼り付いて、それに心を奪われると、自分の石が死んでいるのにも気付かない。考えれば恐ろしいゲームだった。

 自分の石が死にかけても、それが口惜しさなどの感情で見えなくなってしまうのである。それを回避するには、時々立ち止まる必要があり、また時には立ち上がって、盤面から一時的に離れることが肝心なのである。そうでないと、遂に相手のペースに引き摺り込まれ、気付いたときには自分の石が完全に死んでしまっているのである。

 背中合わせの恐怖として、盤面に密着して石を打っているのではないかという強迫観念にも駆られるのである。密着型盤面思考となり、盤面から離れなくなり、それがある日突然、それらの石が総て死んでいた……というような悪夢が襲うこともある。その不安は、いつも背中合わせなのである。
 石が全部死ぬ……、そういう不安の中に、人の人生も包含されているのである。気を付けなければ……。負け碁の、もう一番、もう一番は恐ろしい。戦略無き愚行である。こうした愚行に陥らない為には戦略が必要である。戦略を生かす為には大局で物事を考える思考と行動が要るのである。

 戦略が無ければ亡ぶ運命にある。
 人間が、あるいは家が没落し、亡ぶと言うのは、そう望んだからではなく、戦略を知らないという無知から起こったものである。
 合気二刀剣の乱射刀は「術」は、単に戦術の“術”であらず、戦略の術である。

 この術は大局観から生まれたものである。四方八方のみに乱射の刃を繰り出すだけでなく、上下にも繰り出して、合計『十法』に鋭き尖先
(きっさき)を向けるのである。そのためにが脳裡に、常に全体像を検(み)る大局が描かれていなければならない。その動きの中には「一を以て十に当たる戦略」が必要なのである。
 そもそも二刀剣という「乱射刀」は攪乱し、悩まし、判断を狂わせ、あるいは間合を狂わせて、怖じけさせる戦略剣法である。



●大敵は外の敵より、内の敵

 人生は戦いである。
 死ぬまで戦いである。人間が生きていく上で、外に抗
(あらが)いながら抵抗を続けるのは、まず生きる為である。生きる為には、外に向けて抗わねばならない。その抵抗において、一時(いっとき)も気を抜く事は出来ない。危機意識とともに、緊張を持続させねばならない。しかし緊張の持続は、肩を怒らせての緊張であっては、身が持たない。無意識なる緊張は必要なのである。

 つまり、危機意識を持ちながらも、リラックする「余裕」である。人間は余裕が無いと行き詰まる。行き詰まることによって、ついには墓穴を掘ることもある。
 その禁を侵さない為には、寛ぐ余裕がいる。余裕の無い抵抗は、必ず敗れるのである。
 人生は戦いである。
 肝に命ずる言葉である。

 それと同時に眼の付けどころを高所に置き、あたかも鳥が頭上から下を見下ろす「鳥瞰図
(ちょうかんず)の図式」は脳裡に描かれていなければならない。多勢に無勢であっても、脳裡には鳥瞰図の図式があり、全体像を映し出していなければならない。
 一対一の対峙は、平面思考である。盤面を戦うだけの戦闘に陥り易い。多勢に無勢を相手にするのなら、個人戦闘を行っても、集団の袋叩きで簡単に敗れる。
 それを防ぐには、大局図が脳裡
(のうり)に描き出されていて、敵の動きに合わせて悩ませ、あるいは自ら転じて敵を攪乱させる積極性がいる。そのためにも、どういう方法で闘うかの戦術よりは戦略である。大局図に描いた図式を縦横自在に、行動に表現するのである。

 しかし、試合形式の個人戦で戦い常套手段は、大局図を描きながら表現する方法とは180度異なっている。
 前者が平面図の具現であるのに対し、後者は立体の三次元思考で動く。平面の上に高低が加わる。大局の図式を描いていても、高低差の認識が無ければ多勢に無勢で包囲され、その囲いから逃れることも出来ず、また薙
(な)ぎ倒すことも出来ない。乱射刀は追い詰められれば用を為さないのである。行動する情報空間が必要である。敵を判断する材料が必要となる。
 したがって瞬時に全体像を脳裡に映し出す必要がある。部分の近視眼的ミクロではなく、全体像を客観視したマクロ的行動が必要になる。

 個人戦の闘技ではダメである。また、平面上の攻防戦も用を為
(な)さない。
 集団戦の「一を以て十に当たる図式」である。個人闘技は部分の煮詰めだが、集団戦の無差別攻撃に対しては大局図を描く行動図式がいる。大局図に従い、脳裡に鳥瞰図があり、方向性は明確になっていれば、局所で弱点を突かれても、大局ではその弱点を克服することが出来る。
 部分組み立てのような、「合成の誤謬
(ごびゅう)」を招かないからである。これは戦略イコール目的に達成ということになる。
 また、闘技の勝ちを積み重ねても、全体的にはそれが必ずしも勝ち続けていることにならないからである。方向性を示し、その目的に向かって突き進む。これが鳥瞰図の示す戦略である。戦いにおいては、これを「武略」と言う。一切を簡略化し、目的達成の為に奮闘する機略である。

 しかしこの戦いは、単に努力すれば勝てるというものではない。我武者羅
(がむしゃら)に努力しても、勝つという場合は、実に稀(まれ)である。多くは、志半ばで挫折する。目的が存在していることは大事である。
 だが様々な障害にもめげず、大志を成就する者もいる。実力主義や下剋上主義によって、裸一貫、ゼロ同然のスタート地点から、一国の総大将、そして関白まで登り詰めた者、豊臣秀吉が良い例である。

 しかし秀吉のような人間は、極めて稀
なのだ。よき運が連続しなければ、この地位までは辿り着けない。
 世の多くは、血の滲
(にじ)むような努力を繰り返し、一敗地に塗れ、その挙句に再起不能なまでに惨敗し、無慙(むざん)に希(のぞ)み叶わず、消えて行った不運な武将が如何に多かったことか……。

 人間社会は、その取り巻に、常に相手があり、裡側
(うちがわ)から敵が取り囲むものである。「出る杭は打たれる」の例え通り、少しでも才覚を表わし、浮上すると、仲間内から袋叩きの憂き目に合うのが、浮世の常である。
 敵とは、むしろ外側に潜むものよりも、裡側に多く取り憑くものなのである。裡側から引き摺り降ろしが始まり、裡側から崩壊が起こる。これは人生における人間社会の力学構造である。

 であるならば、本質を見抜き、これを理論的に分析し、実戦において役立つものに、自らが作り替える能力を養わねばならない。
 特に智慧
(ちえ)を巡らし、小が大に挑む場合、ある種の法則があり、その法則に叶った戦法を用いて行動を起こす事が肝腎であり、これを無視した努力は、如何に熱心に推進し、多大な自己犠牲を払ったとしても、それはまさしく徒労であり、労多く、利少なしの、嘲笑の対象を免れない。

 弱肉強食の世界では、原則的に「大は小より強い」ということなのである。しかし、これはあくまで正攻法的な戦闘においてである。
 戦略を駆使すれば、小が大を制することすらあるのである。
 「柔よく剛を制す」は、これを如実に物語っている言葉である。

 「強い」ということは、単に技術に秀でて、実戦の場合は「実技に強い」と言うことではない。頸
(くび)から下が幾ら強くても、思考の面で劣れば、大局は戦略的に検(み)て勝ちを納めることは出来ない。戦略とは、大局を踏まえて全体像を見抜く策略を言う。その策略の中に強きを見なければならないのである。それを戦略と言うのである。

 戦略に必要不可欠なのが情報である。
 正しい情報を知るには「大局を検る」という情報が必要であり、大局の中にこそ真実が隠されていたのである。幾ら重箱の隅を突くようなことをしても、そこに真実など存在する訳がない。
 戦略とは、広角なる、不可視部分の霊的世界までもを見通す視野で物事の大局観を映し出し、それによって方向性を決定するものである。
 則
(すなわ)ち、戦略とは「方向性」の概念であり、方向性を誤ると、その後は何を遣ってもうまくいかなくなるのである。方向性に正しさを持たせるには、情報空間に大局観、つまりグランドデザインが必要になるのである。

 戦略を、安易に「方法論」と解釈して、単に論理的考察のみで終わらせてはならない。
 方法論とは、演繹法
(一定の前提から論理規則に基づいて必然的に結論を導き出す法で、数学の証明などに見られる)、帰納法(因果関係を確定する法で、現代論理学では仮説と実験的観察命題との確率的関係としてカルナップにより新たに定式化され、また確率論理学などを指す)、仮説演繹法(一定の現象を統一的に説明しうるように設けた仮説により、ここから理論的に導きだした結果が観察・計算・実験などで検証されると、仮説の域を脱して一定の限界内で演繹的推理のみを妥当する推理方法)などを主にし、全体構想の中では単なる「一戦術」に過ぎないのである。

 戦術はまた、全体像の細部に過ぎない。戦術レベルでは全体像が見えないのである。
 大局観を観察する能力の無さが、しいては「合成の誤謬
(ごびゅう)」を生み出すのである。この禁を冒すべきでないだろう。
 先ず方向性であり、それは正しい判断でなければならない。
 方向性を見出す為には、可視世界の出来事だけを見ていてもダメなのである。闇の中を見る視覚が要
(い)り、不可視世界を洞察する眼力が要るのである。不可視的透視力が必要なのである。このためには視野は広く、同時に暗所を検る視覚が明るくなければならない。
 闇の中を見通しても、一寸先が闇で、真っ暗ではお話にならないのである。肉の眼に頼っていても、それだけで方向性を見出すことはできないのだ。先を想像し、その想像は現実に限りなく近い分析結果を描いていなければならないのである。



●大兵力の戦闘理論

 さて、現実社会には「大は小より強い」という大法則がある。
 これは何人たりとも、覆
(くつが)えす事は出来ない。これを十分に理解できないと、幾ら努力しても、それは徒労であり、こうした徒労の中で、目指す方向や目的は見えてこないのである。

 だが一方において、「秘伝」という古人の智慧
(ちえ)が存在し、この智慧を用いて、「小能く大を制す」という現実がある事も、また事実である。
 この智慧の中には、「小を以て、大に勝つ工夫」が凝縮されていて、これを熟知し、実践に専念すれば、幸運の女神は、こうした実践者に、あるいは微笑みを投げかけるかも知れない。

 しかし現実問題として、恐怖に陥った人間の眼には、ピンチはチャンスであろうはずが無く、ピンチは何処までもピンチでしか有り得ないという現実がある。折角のチャンス到来に、これを困窮するピンチと錯覚したり、虞
(おそ)れを成して、慌てふためくような、無態(ぶざま)な醜態では、いつまでたっても勝因を掴む事が出来ず、見掛けの恐怖に圧倒されて、自らの立案した戦法はうまく運ばないばかりか、下手をすると、逆効果を招いたり、ついには相手から葬り去られる憂き目を見なければならなくなるのである。

 かつて明智光秀は、「仏のウソを方便といい、武家のウソを武略という」といった。
 武略とは、詭計
(きけい)であり、計略であり、これをもって「詭道(きどう)」というのである。欺(あざむ)くのである。錯覚に陥れるのである。
 したがって、戦法を効果的に駆使するには、智慧を巡らせた「武略」という策略が必要であり、この策略を用いれば、「小が大を呑む」という、大きな心理的効果を自らが掴む事が出来る。
 人間相手の社会原理は、その背後に、必ずと言っていい程、人間としての心理が働いており、この心理を無視する事なく、効果的に独自の智慧で切り抜ける事が大切である。
 人間は、各々に独自の心が働く生き物であり、如何なる人間であろうとも、この心理的な働きを無視する事は出来ない。

 さて、「武略」に迫った場合、一種の策略と置き換える事が出来るが、これは決して自らを偽り、敵を騙す事ではない。
 人間社会の現実は、凝視すると厳しい側面がある事は確かである。しかしこの厳しさに圧倒されてばかりいては、単に絶望感を抱き、最終的には自らが崩壊する原因をつくってしまう事にもなり兼ねないのである。

 策略は決して、自他共に「騙す行為」ではないのだ。

 智慧の集積であり、人間心理の流れを見抜いて、戦法として、より効果的に、現実社会をイメージして、これを智慧に反映させて、無駄なく、効果的にそれを用いる事である。したがって相手にダメージを与える事ばかりを考えて、我田引水的な、手前味噌の策略を展開すれば、必ず自分に跳ね返り、最終的には行き詰まる結果を招き兼ねない。まさに「策士、策に溺れる」の例えである。

 主観的に見回して、自分以外は敵である。
 しかしいつも、彼我構わず、何人もを敵に廻していたのでは、心はいつまでたっても休まる事がない。必要以上の、あらぬ緊張は、墓穴を掘るからだ。
 人間社会の実態は、人間相互が敵であると共に、また、仲間でもあるのだ。何事も、冷静に、客観的に物事を洞察する観察眼が必要である。

 自他の間に境目を造り、自分以外を敵と看做
(みな)す考え方は、必ず行き詰まるものである。
 したがって、こうした現実を踏まえて、「敵性」と「味方性」を逸速く見抜き、それを適切に使い分ける事が肝腎である。この適切な「策」が策略であり、自他共に崩壊を意味する謀略ではない。

 合気戦闘理論において、絶対に見逃せない事実が、「大は小より強い」という、絶対に覆えす事の出来ない、人間社会の原理である。勝因は、常に大兵力の中に握られているのである。これは非常に重要な事であり、徹底的に理解しておかなければならない。

 例えば、昨今の大企業同士の合併は、これを如実に物語った事実であり、勝ちを収めようとすれば、大兵力への努力を怠ってはならないのである。大は、小より格段に強いのである。勝つ為には、常に大兵力を参集させる必要があり、これは勝因への第一歩となるのである。
 これは歴史を紐解けば、一目瞭然であろう。



●乱世の武略に学ぶ

 十六世紀の乱世の時代、その命運を分けて日本列島は乱れに乱れ、揺れに揺れた戦国時代が登場する。そしてその中でも、特に光るのが、百姓の小倅
(こせがれ)から天下を取った豊臣秀吉である。
 秀吉の戦績を振り返ると、これを研究して最も驚く事は、様々な合戦において、あれだけの大勝を収めながらも、殆どその作戦において、「名作戦」といわれる戦闘が無い事である。

 秀吉の基本は、明晰な頭脳を駆使して、経済力で募兵を行い、あるいは巧みな心理効果を狙って、人間の打算的な一面を巧みに利用して大兵力を集め、その大兵力を以て、敵陣に攻め入り、敵を圧倒している事である。そして戦いにおける、名作戦というものは一切存在せず、人間の心理を旨く利用し、あるいは利害関係を利用して、人情の機微を表面
(おもて)に出し、人は不憫(ふびん)なるが故に、打算に傾くという心理的理論を展開して、天下を収めた人物である。

 「不憫」とは、「不便
(ふびん)」の他に「不愍(ふびん)」の字が充てられ、『枕草子』(103段「かかる雨にのぼり侍らば、足がたつきていと不憫にきたなくなり侍りなむ」)、『徒然草』(「下部までも召しおきて、不憫にせさせ給ひければ」)、『古今著聞集』(10段「不憫に思し召したること」)にも出ており、ここには人間の側面に「可愛想に思う」という人情の機微が働いている事が分かる。

 したがって秀吉は単に、「戈を止める武」を練ったばかりでなく、併せて、人間の心理を徹底的に研究した研究者でもあった。
 だからこそ、秀吉の行くところ、不思議にも多くの人間が集まってきた。「人の不憫」を旨く利用したまでの事である。
 こうした人間の心理と、大兵力理論によって天下を取ってしまったのが秀吉であった。

 中国の古典兵法書の『六韜
(りくとう)』によれば、「大兵は傷つくこと無しに、楽に勝てる」とある。
 これはその側面において事実である。
 また、マキアヴェリズム
(Machiavellism)の産みの親で、目的の為には手段を選ばない、権力的な統治様式を唱えたマキアヴェリの「君主論」の中に見える思想は、実は権謀術数主義であり、彼の言は常に「戦争は、大軍を投入して短期間に勝ちを決せよ」というものであった。

 この戦闘理論は、秀吉の戦闘思想に酷似する。
 秀吉は人間を捉えて、「人は皆不憫」と捉えた。
 マキアヴェリは、英雄を定義して、「勝利の為にあらゆる手段を講じた上で、物心両面の全力を挙げて戦いに突進する人間のことで、無力で、策の無いくせに、矢鱈
(やたら)わめきちらす無分別な人間ではない」と言い捨てている。

 人を動かすには、単に体格や体力が優れているだけでは、駄目である。人間の心理を見抜いた、巧みな心遣いが必要である。だからこそ、その駆け引きは、どれだけ多くの味方を自分につけるかという事になる。

 プロイセンの軍人だったクラウゼウィッツ
(Karf von Clausewitz)すらも、「戦略(strategy)の第一条件は、大戦力をもって戦場に臨む事である」と明言している。
 クラウゼウィッツは当時一流の軍事学者と評され、主著の『戦争論』はエンゲルスやレーニンにも大きな影響を与えた事で知られる人物である。その彼までが、「大兵力」の重要性を挙げ、「勝利は大兵にあり」と力説しているのである。



●戦場における戦力二乗の法則とそれを覆えす戦術公理

 では、何故大兵力に拘わるのか。
 それは『戦力二乗
(自乗)の法則』があるからだ。
 そしてナポレオンが言う「勝利は大兵に在す」という確言があるからだ。

 例えば、同等の能力・性能を有する火器を所持する両軍が居た場合、それを「十対六」の割合で対戦すれば、「六」しか所持しない方の軍隊は、「十」を所持する軍隊に負けてしまう事は誰にでも分かる。
 しかし「六」で戦った軍隊が全滅した時、「十」の方の軍隊には幾ら生存者が残るか、それを知る人は意外に少ない。

 例えば正攻法において、一人が各々一挺の火器を持ち、六挺を持った軍隊と、十挺を持った軍隊が対戦した場合、十ひく六で、四になるのではなく、戦力は実力の二乗に比例する法則から、「10の二乗マイナス6の二乗イコール8の二乗」となり、六人の方の軍隊は全滅したにもかかわらず、十人の軍隊の損害は僅かに二人で、八人は生き残ることになる。

 これは国力が100有る大国と、国力が10しか所持しない小国が対戦し、一戦ごとに大国は10の損害を出し、小国は5の損害を出したとすると、小国は大国の半分の損害であり、一見小国が大勝利したように錯覚するが、これで二回戦を戦った場合、その国力比率は「80対0」になってしまい、小国はこの時限で全滅したことになる。
 即ち、小国の局地戦における戦勝は虚名であり、実際は滅亡なのである。

 また強大国が弱小国に攻め入った場合、その脅威を逃れて、大国に領土や資源を差し出し、奴属化してその属国に成り下がる道を選択する場合が多いが、これは全くの愚行である。弱小国は、こうした強大国の属国に成り下がるばかりか、強大国は益々強大になり、弱小国は益々弱小になって、強大国の脅威は増幅されるばかりなのである。敗戦後の日本とアメリカの関係が、これである。



●奴属化は亡国である

 では強大国の威圧に屈せず、領土や資源を提供しなかったらどうなるか。
 この事は、朝鮮戦争やベトナム戦争が克明に物語っているのである。
 そして日露戦争においても、この図式に当て嵌まるのである。

 弱小国が強大国の脅威に楯を突き、これと戦い、戦闘の何たるかを理解しない者は「無謀」と云う、浅はかな言葉で一蹴する。多くの唯物史観を掲げる歴史学者や、反戦主義者はこれに入る。
 その意味からすれば、日露戦争こそ、無謀の最たるものであった。どうみても無謀な戦いであり、勝ち目は日本に殆ど無く、欧米列強の衆目の一致するところであった。しかし日本はこの戦いに勝った。予想外の事であった。東郷平八郎の日本海海戦での勝利は、日露戦争上、非常に大きな重みを持つ。

 日本の近代史を振り返れば、明治維新以降、日本は無謀な戦いを二度も戦ってきているのである。弱小国が強大国に勝てないという、二乗の法則を覆えす、一方の方程式が、ここにあるのだ。
 また弱小国が強大国に勝てないという公理は、何処にも存在しないのである。

 第二次世界大戦当時、日・独・伊の提携する強大なワールド・パワーを、無条件降伏させたアメリカも、実は、開戦当時は、兵力においては圧倒的に劣っていた。昭和十六年当時の太平洋戦争開戦時には、日本とアメリカの海軍力の優劣は、圧倒的に日本が勝っていた。それなのに三年八ヵ月のこの戦争は、最終的に日本を無条件降伏へと追い込んだ。

 太平洋戦争は、第二次世界大戦のうち、主として東南アジアおよび太平洋方面における日本と、アメリカ、イギリス、オランダ、中国、オーストラリア等の連合国軍との戦争である。また、十五年戦争の第三段階で、中国戦線をも含む戦争を言う。

 昭和十年代当時、日中戦争は長期化の様相を呈し、日本の南方進出が連合国との摩擦を深めていた。太平洋戦争突入まで、種々外交交渉が繰り広げられたが、アメリカの挑発により、1941年12月8日、日本のハワイ真珠湾奇襲攻撃によって開戦に突入した。

 戦争初期、日本軍は優勢であったが、42年後半から連合軍が反攻に転じ、ミッドウェー、ガダルカナル、サイパン、硫黄島、沖縄本島決戦等において、日本軍は致命的打撃を受け、本土空襲、広島・長崎の原子爆弾投下、ソ連参戦に及び、45年8月14日連合国のポツダム宣言を受諾、9月2日無条件降伏文書に調印よって、無慙な敗戦に至った戦争である。戦争中、日本ではこの戦争を、大東亜戦争と公称し、中国や東南アジアなどアジア諸国では、自国が戦域に含まれた戦争であった事から、アジア太平洋戦争とも称されている。

 さて、この戦争において最も重要なことは、アメリカの工業力や生産性の高さもさることながら、この戦争を指導した日本とアメリカの戦争指導者の持つ、思想と発想の違いに大きな開きがあったということであろう。
 日本の戦争指導者・首脳陣が、実は「戦争」というものも、そこに横たわっている戦争哲学という実体も知らずに戦ったのに比べ、アメリカの戦争指導者は、戦争という非情な実体を、手に取るように把握していたという事である。また、彼等を取り巻く、スタッフも非常に優秀であった事だ。
 こうして考えると、武器や兵力の差は、それを使う人間側の能力や教養の差による事が原因しているといえる。

 この典型的なものがベトナム戦争である。
 ベトナムに対しアメリカは、年間約250億ドルの巨額な戦費を投じ、核兵器を除く、あらゆる新兵器を投じながらも、無慙に惨敗する。勢力の大小や、物量的な大小を比較すれば、ベトコン
(南ベトナム解放民族戦線)側にとって、ベトナム戦争こそ、まさに無謀な戦争であったはずだ。

 シンパに傾く歴史学者や反戦主義者は、こと、太平洋戦争においては日本の無謀を指摘する。
 しかし、圧倒的な大敵と戦った故に、それを無謀と決め付け、否定するならば、日清戦争や日露戦争も否定されなければならず、朝鮮戦争もベトナム戦争も否定されるべきであろう。
 アメリカの圧倒的な国力差から見て、強大国に刃向かう事は、無意味かつ無謀であるから、朝鮮戦争もベトナム戦争も、戦う事は無意味であり、朝鮮人民も、ベトナム人民も戦わずして、資本主義国家の総本山であるアメリカの軍門に降るべきだったのか!?

 こうして考えてくると、何故太平洋戦争のみが無謀な戦争の譏
(そしり)を受けるのか。
 国力の差において、二乗の法則が働いている事は否定できないが、一方において、これが決して公理ではないと言う事だ。そしてこの事が戦後に至って、太平洋戦争の真の姿を、一度でも論じられる事は決して無かった。戦略なき戦争指導に関して、一つの反省も、一つの教訓も何一つ導き出すものは無かった。

 その結果、日本人は「勇気」と言うことについて語らなくなった。勇気はスポーツ番組などを観戦して、そこから貰うものと思い込んでいる。
 だが、傍観者としての勇気は、本物の勇気ではない。付け焼き刃に過ぎない。こうにた付け焼き刃が、単に傍観者の心理に繋がってしまうことがある。ただ観るだけの行為である。観て脳裡で理解しようとする。実体験でない借り物をもって、それを勇気などと錯覚する。今や、勇気は行動で示すのは蛮行になりつつある。蛮勇と見下げられるだけである。これも戦後特有の日本人の行為となった。勇気を示すことの出来る義人など一人もいなくなったのである。傍観者心理が今日の日本の実情を顕しているようにも見える。

 中村草田男の俳句ではないが、「降る雪や明治は遠くなりにけり」の、明治をよき時代として懐かしむ言葉を思い出すのは、あるいは蛮勇なのであろうか。そうだとすると武士道が廃れ、まさに明治も遠くなったと思わずにはいられなくなる。この時代に、日本的なものは死んだような気もして来るのである。そして今は、「惻隠
(そくいん)の情」もすっかり死語になっている。かつて美徳であることは蛮行のレベルに格下げされてしまったようだ。
 本来は、胸の裡に惻隠すべきことこそ、武士の情けであった。



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