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個人教伝指導日誌 1

個人教伝 指導日誌









 九州・豊後日田には、また友誼に厚い人材の養成を行った江戸後期の儒学者・広瀬淡窓(ひろせ‐たんそう)がいた。淡窓は「敬天の説」を主として、諸学を総合し、塾舎・咸宜園(かんぎえん)を建て、門生三千人以上を集め、その中から多方面に人材を輩出した。近代日本を構築する上での逸材である。
 著書には『約言』『迂言』『遠思楼詩鈔』『淡窓詩話』などがある。

 咸宜園の特色は、入塾すると、塾生自身の世俗的な身分や家柄、貧富の差は、一切無視された。また、過去の経歴なども一切無視された。
 此処では階級や差別のない革新的な指導が行われ、塾生達は試験に追い捲
(ま)くられる日々を送っていた。

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 咸宜園に唯一つの差別があるとするならば、試験によって出た結果だけであり、成績の順位で序列が付けられたのであった。その序列は、大坂で医業を開いていた緒方洪庵おがた‐こうあん/1810〜1863)の適塾(緒方塾あるいは適々斎塾)によく似ていた。適塾の門下からは大村益次郎・橋本左内・大鳥圭介・福沢諭吉らが出たことは有名である。咸宜園と適塾は、結果重視主義で酷似したところがあった。

 受講する机の位置までが試験の結果で出され、成績の悪い者は部屋の隅や、階段の下までに追いやられることになった。
 しかし、咸宜園を適塾の唯一の違いを見い出すとするならば、咸宜園の塾頭・淡窓は、厳しい試験競走によって塾生同士の心が荒廃しないよう、全員を野遊びさせて、お互いの友情を図ったことである。

 一方適塾では、成績優秀な福沢諭吉らが塾頭風をふかし、江戸に洋学塾を開くなどの、幕府に用いられる為の画策に奔
(はし)ったのに対して、咸宜園では、まず“友情”を重んじた。一人の、一握りのエリートの排出より、全体を重んじたのである。
 勿論、塾頭がいるがその他の人材を必要不可欠ということを淡窓は見抜いていたのである。

 そして咸宜園の教育方針の中には、禅道で言う「自らが主人公」を彷彿とさせるような、「職任制」という特異な教育方法が採られていたことである。それぞれに主役となるべき職を与え、その職を任せて全うさせることにあった。この時代には実に珍しい、奇抜な教育方法を採用していたのである。

敬天の二文字を顕す額

 そしてそこには「任せる」という『信』が貫かれていたのである。
 それがまた「敬天」の二文字で顕されていたのである。

 人間は『信』に生きれば、生命を燃やす愉しみはまた一つ殖える。
 しかし、残念なことに現代人の多くは、老いても若返ることをひたすら願い、人から「若い」などと言われると、それだけで驚喜して躍り上がる。
 本来の「若い」という意味は未熟と言う意味であった。ところが、昨今は老いも若きも、「わが世の春よ、もう一度」式で、享楽に溺れる現実がある。

 享楽に溺れれば、その反作用として必ず最後に「廃れ」が待っている。享楽によって、若さは栄えることは無いのだ。むしろ享楽的な若さは、栄えるのではなく「崩れる」のである。腐蝕するのである。単に肉体のみが朽ち果てるのではなく、心までもが崩潰の末路を辿るのである。人生の愉しみは享楽を吸い尽くすことではないのである。人生の意義は享楽にあるのではない。

 いかに生命
(いのち)の力を燃やしたかにあるのだ。人生の目的は単に物質的な幸福にあるのではない。心の幸せ感にあるのではない。起伏の烈しい人間の心など、その揺れ動きは常に上下している。喜怒哀楽の中にある心など、それに一時の幸せを求めたところで、永遠のものでない。人の心とは常に揺れ動くものである。したがって制御し、操縦して正安定を求めなければならない。その延長上に、「命の燃焼」がある。

 いかに生命を燃やし、自己を偉大な軌道に乗せたかにあるのである。それが「生」の喜びだった筈である。一時の喜怒哀楽の中に偉大さは存在しない。
 往時の日本人は、かつて生きることへの創造を逞しくした。自分の顕す行為によって、自己を表現して行ったのである。

遠思楼

 かつて「敬天」を説いた広瀬淡窓は、咸宜園の敷地内に建てられた遠思楼の丸窓から日本の近未来を見詰めて思惟の結果、独自の「敬天思想」を確立させたのである。
 淡窓は敬天思想を掲げ、天を畏
(おそ)れ、敬うことを説いたのである。
 敬天思想は実践においてのみ効果を得る。行動することにより徳が積まれる。徳とは、また善のことであり、一日の行動の中に、善行と悪行の二つを咸宜園の塾生に記録させ、それを集計させたものが、『万善簿』であった。

 そして思えば、わが流の門人に対しての「記録簿」が行動律を記録した『個人教伝指導日誌』だったのである。




第一章 抜ける術


 ●棄てて生きる道

 人生は棄(す)てる中に真理がある。
 捨てれば囚われなくて済む。こだわらなくて済む。
 失ったものを追い掛けて取り返そうとするのは、あたかも「負け将棋を、もう一番もう一番とせがむ行為」に酷似する。
 過ぎたるは猶
(なお)及ばざるが如し……。
 度を過ぎてしまったものは、程度に達しないものと同じで、どちらも正しい中庸の道ではない。これ則
(これ)ち『論語』の説くところである。
 そして、棄てて取ることである。

 柔術の流派に「扱心流
(きゅうしん‐りゅう)」なる流派がある。
 この流派の祖は、永禄
(1558〜1570)ごろ江州の犬上左近将監長勝が創始し、その子孫の犬上郡兵衛永保(1701〜1771)が起倒流に学んで江戸では中興として知られた。犬上流ともいう。長勝は「北面の武士」であった。この武士を「ほくめん」と呼ばず、「きたおもて」などと称した。
 そもそもの北面の意味は、古代中国で、「君主は南に面して座し、それに伺候する臣下は北に面したことから、臣下として君主に仕えることを意味するものだった。

 日本においては「北面の武士」とは、院の御所の北面
(きたおもて)にあって、院中を警護した武士のことである。官位により四位・五位の者を上北面、六位の者を下げ北面または北面の下臈(げろう)という。白河法皇の時に始まり、この士を北面の侍ともいう。

 長勝は父犬上兵庫助永継
(ながつぐ)から霊剣伝授を受け、同じ北面の士・速水長門守円心より円心流組打を学んで印可を受けた。その後、一流を興したのである。それが扱心流柔術であった。そして子の扱心斎永友に至り完成をみたと言う。
 九州で広く行われ、柳川
(柳河)藩では「汲心流」とも書いた。その流名の由来は『扱心流本心之巻』に、「それ扱心は敵の気を扱うにあらず、敵対の上おのが気を自由自在に扱うを要す」とある。

 また越後村上藩士であった塚本藤馬は、犬上流の犬上郡兵衛永保
(ながもり)の門人で、汲心流を名乗るも、柔術と称せず、拳法と称した。
 藤馬の師匠・郡兵衛永保は彦根の人で、叔父の彦根藩士の棚橋五兵衛良貞に家伝の扱心流組打ろ柔術を学んだ。
 永保九年、京都に出て滝野遊軒に起倒流を学び、同年二十年、遊軒と共に江戸に下り、西窪天徳寺前
(『紀州柔話集』には下谷三筋町とある)に、共同で道場を開き、のち独立して麻布狸穴に道場を開いた。
 犬上郡兵衛永保は宝暦三年
(1754)六月に、有馬家に召し抱えられ、明和八年(1771)八月十六日に71歳で死去した。
 創作話の『有馬家猫騒動』では、猫退治のモデルになったのが永保の養子だった郡兵衛永保昌
(もりまさ)である。

 さて、扱心流では組打や柔術において、腕でも足でも敵に取られたら、そのまましておき、遂に捨てるのである。そのうえで別の局面で勝機を掴むことを主眼とする流派である。失ったものは捨てる。この流派の特徴である。

 例えば、右手を敵に捕まれてしまうと、一般人の多くはそれを外したり抜こうとして抵抗する。抵抗し、下手に動いて抗
(あらが)えば抗うほど抜けなくなると焦りが生じ、その方に気が取られてしまい、そのために更に深みに嵌まって行く。そうなると、次に左手を取られ、足を払われ、倒され顛倒し、遂に全身を抑え込まれてしまう。
 こうした愚を、扱心流では戒めるのである。まず敵に右手を取られたらそれに抗わず、そのままに放置する。つまり、そこを捨てるのである。その後、まだ残っている左手を使って別の局面から敵に迫るのである。こうして徐々に敵を崩す機会を窺
(うかが)い、敵が攪乱(かくらん)されて動揺が起きたら、今まで取られていた右手をするりと抜くのである。

 取られたら取り返そうとせずに、そのまま捨てる。取り返そうとすれば、気はその方向ばかりに向く。それが実は深みに嵌まる元兇だったのである。
 インドの猿の愚を考えれば、捨てると言うことが如何に大事か分かる筈である。ここに虚を窺う重要なチャンスが隠されているからである。

 昔のインドでの猿の捕獲法に、金網籠
(かなあみ‐かご)の中に入れたバナナと、鳥黐(とりもち)を遣(つか)った方法があると言う。
 猟師は猿の通り道に、50cm四方の金網籠の中にバナナを入れて、獣道
(けもの‐みち)に仕掛けを置く。この籠(かご)には4〜5cm程の小さな穴が開いていて、猟師は此処からバナナを入れておくのである。金網籠なので、外から見ても籠の中にバナナのある事はよく分かるのである。それを、獣道に仕掛けるのである。

 獣道を遣って来た猿はまず、籠の中のバナナに気付く。バナナを見た猿は、どうしたらバナナが取れるか考え、やがて籠に小さな穴が開いている事に気付く。そしてバナナを取る為に、穴の中に手を突っ込み、バナナを掴むのであるが、バナナを掴めば自分の拳の太さとバナナそのものが邪魔して、籠から手を抜く事が出来ない。こうして猿は手を抜こうと七転八倒するのである。
 バナナを掴むのを止め、素手だけを籠の穴から抜き取ればいいのであるが、バナナを掴んだまま抜こうとするので、手は、どうしても籠の中から抜く事が出来ないのである。そして七転八倒している隙
(すき)に、猟師からまんまと生け捕られると言うのだ。

 また、鳥黐で猿を捕獲する話もある。
 猿の通る獣道に鳥黐を仕掛ける。そこへ猿が通りかかって、それを見て「何だろう?」と思う。そして猿はそれを手で掴む。

 ところが鳥黐なので、手にくっつき、それを払い落とそうと、空いた片方の手で離そうとする。こうして益々、鳥黐は両手に粘着してしまう。更に、今度は足でこれを離そうとする。藻掻
(もが)けば藻掻く程、鳥黐は両手・両足にくっついて粘着し、猿はそれを離そうとして七転八倒する。そこへ、頃合い見計らって猟師が遣って来て、七転八倒している猿を難無く捕獲すると言うのである。焦って、抗ったわりには呆気ない最後だった。

 以上の話が本当かどうかは分からないが、これを考えれば、生きとし生けるものの性
(さが)が存在し、性なる故に、持って生れた性格や宿命から逃れない一面があるようだ。
 しかしこれは猿の捕獲だけの話でない。そのまま人間世界にも、捕獲するための投網は投げ掛けられる。
 捕えられた結果をどう判断するのか。
 そこに何らかの思念が働こう。
 捕えられれば惨めである。悲惨な状況が待っている。それは動物だけでなく、人間の場合も同じである。
 普通、そうした運命を悔やむ。

 その結果として、どういう意識が働くか。
 ただ、このように生け捕られる態
(さま)を自分の「宿命」と皮相的に捕らえれば、それまでのことである。しかし、人間はこれを「宿命だ」と決定付けるには、余りにも智慧(ちえ)が無さ過ぎよう。
 智慧を用いるなら、「虚空」になる事である。

 虚空とは、「カラになる」ことを言う。だから「カラ」は「虚」であり、これに「空」が付けば、「何もない空間」ということになる。何もない空間とは、捕われる事もなく、また捕らえようとする事もないのである。解放された自由な事を言う。

 また、一切の事物を包容して、その存在を妨げないことを言うのだ。したがって、それにこだわり、そこから「何とかしなければ」という焦りは、七転八起を繰り返すだけで、徒労努力の最たるものとなる。

 捨てれば楽になる……というヒントが、この中には隠されているのである。
 これを禅の世界では「放下著
(ほうげじゃく)」という。この世では、捨てて行く中に真理があると教える。
 何も持ってないことを放下著という。心に囚われの無い境地を意味するものである。
 私たちの人生にも、捨てれば随分楽になるものがある。肩書きも地位もそのようなものだ。名誉や財産や家族においても、一種の重荷になるものを担ぎ回ってあくせくとし、悩み苦しみ、迷っているのである。こうしたものを何も持っていない次元へと脱出を試みればいいのである。これを解脱
(げだつ)というのである。そしてそこに訪れたのが安住である。



●安住の生命

 本当に生きるとは何か。
 長らく、人が思索続けて来たテーマである。
 古人はこの生き方を模索して来た。そして如何にしたら寔
(まこと)に力強く、かつ、生き生きとした生き方を得られるか……それが長らくの探求だった。
 やがて長い苦労と探索の結果、少なくともこういうことなのか……と言うことが分かって来た。悟るには時間を要する。時間を要しても悟れない場合がある。だか諦めずに考え続けると、はたと思い当たることがある。分かりかけて来る前兆である。そうした兆しに感じることがある。

 時代は常に変化する。時は刻々と流れる。その中に大衆化の実像もあった。
 思えば、大衆化は団塊の世代の中に存在していた。スクールと呼ぶに相応しい時代が平行されていた。
 ところが、伝達法が一斉事業方式のような「スクール」という遣り方では通用しなくなって時代が到来した。時代が変わった。
 個人伝達方式という遣り方でない限り、正確に転写出来ない時代に遭遇したのである。新たな時代の遭遇には、そうした転機の節目がある。
 かつてわが流は、一部の個人に対し「教伝」という指導法が残っていた。かなり昔のことである。筆者が若い頃だった。
 昭和30年代から40年代に懸けて、そういう遣りからをして来た時代があった。

 しかし、変化するのは動植物のみでない。静物も変化する。一切が変化する。価値観までもが。以前の景色までもが徐々に変化するのだ。
 これは集団や組織においても同じである。変化に迫られていた。そこで50年代からは一斉指導という遣りからを採用し、この方法で伝達する方法を採ったが、これ以来儀法的な伝達の内容を吟味すると、昔とは随分変わってしまったものしか残されていないことが分かった。
 間違いが間違いの儘、残っていて、特に精神においては殆ど意味のない残留物に成り下がっていた。ただ、筋トレを中心とするスポーツ的なものになっていたのである。

 この時代、空手ブームやカンフーブームに左右された観がある。人はブームによって踊る習性がある。乗せられる習性がある。流行に左右される生き物である。しかしそれは右顧左眄
(うこ‐さべん)に過ぎない。熱し易く冷め易い日本人は、人の思惑に振り回されるばかりである。自己が無い。人真似中心主義である。
 したがって自己の目的意識が無い。目指すものが無い。それでは本来の修行は無に帰そう。
 初心に戻る必要がある。

 地道なる個に始まったものは、集合の論理で集団を作り、集団はやがて分裂して、再び元の個に戻る。これこそ変化の現れだった。変化は回帰の中にある。
 個に戻って地道なる道の探求が始まる。これまで会得出来なかったことの探求が始まる。若くないから尚更それが募る。長い航海を終えれば、その先に見えるものは人生の集大成となる。その一つに道への求道があるのである。

 武術はスポーツではない。肉体面はスポーツに似ているが、精神面はスポーツとは似ても似つかぬものである。
 では、どこが違うのか。
 武は道であるからだ。道を説くからだ。
 単にゲームを楽しんだり、勝敗にこだわるものでない。勝てばいいと言うものではない。また相手を叩き、殴り、蹴り、ねじ伏せ、倒せばいいと言うものでもない。屠殺人のそれではない。更には噛ませ犬でもない。格闘技とは、その点が違う。
 何処までも道を求めて探求するものである。求道者の道である。道を求めるところに大きな相違を見出す。それはまた、「生命
(いのち)の安住」を求めて修行するものである。心の正安定を求めて励むものである。
 往時の武芸者は、道に命を張った。

 武の道を通じて長らく「本当に生きる道とは何か。真に、力のある生き方とは何か。こうしたものは如何にしたら得られるか」などを探求して来た。苦労と探求の跡に、少なくともこのような結論が出されていた。しかし、これが少なからず間違っていることに気付いた。気付いただけでない。少しばかり分かった。悟るところがあった。隙間から見えたものがあった。
 今までは「何によって生きて行こうか」ばかりが探求のテーマだった。生きることが主体だった。
 自分のみが生きることで、他を生かすことではなかった。要するに強ければよく、勝てばいいのであった。他を勝利で威圧し、強持
(こわ‐も)てを気取ればいいことであった。そして強さは、英雄として世間の注目を浴びる。人を制したことを評価されて喜ぶ。人からちやほやされる。それだけでよかったのである。軽薄さがあればよかったのである。芸能人やタレントのそれと変わりなかった。

 ところが、このテーマに軌道修正した。果たして道とは、そういうものだったのだろうか?……と思い当たった。
 違う気がする。そう思う。そうした思念により、軌道修正する機会に恵まれた。
 そして、正反対の方向に突き進んでいたことが分かった。それが少しばかり分かりかけたのである。何によって生きて行こうかではなく、「何によって死のうか」だった。これが人生の課題だった。それが分かったのである。

 つまり「依
(よ)って以て死ぬべきもの」を捕まえねばならないことが分かったのである。
 これを捕まえたときに、人は初めて生命の安住を得るのである。心の安住を得るのである。長い間の動揺も、不安も、苦悩も一掃されるのである。繰り返されたジレンマと葛藤から抜け出せるのである。

 これまで長らく「生きて行くにはどうしたらよいか?……」の模索だった。そういう建前で生きて来たから、何かに怯
(おび)え、いつもぐらついていたのである。小事にこだわり、重箱の隅を楊枝でほじくるようなことをして、勝敗や優劣にこだわっていたのである。
 人の眼と、それに伴う強迫観念はいつまでも付き纏
(まと)うものである。
 こうしたら負けるのではないか……、陰口を叩かれて損するのではないか……、あるいは、こうすれば得をするのではないか……、明日はどうなるのだろうか……、明後日は……、その先は……などと、まだ起こりもしない将来に対して何らかの不安を抱いていたのである。そもそも、それが間違いだった。いつもこの時代特有の利益の追求ばかりを図り、利潤ばかりを考えて生きて来たからである。

 また人の歩調を合わせる事ばかりに気を遣い、同時に人真似をして、現代社会の枠から食
(は)み出さないような事ばかりを考えて来た。あるいは生活習慣病のような、惰性が生み出す元兇の中にいた。その不摂生が利害や打算に左右される現実を生み、そのことに限り一分の隙のないような生活をして来た。そして気付けば、心に安住が無かった。何かに掻き回され、振り回されていた。煽られていた。多くは人真似に振り回されていた。あるいは流行やファッションに振り回されていた。一時の同一性はみたが、しかし自己は存在しなかった。
 これでは安定の無いのは確かである。安定が無いから、同時に力が無いのである。
 そして生きて行こうとするから、力の無いものになってしまうのである。
 生きて行こうとする、逸
(はや)る気持ちは焦心をするばかりで、却(かえ)って自らの人生を殺していたのである。更には行き詰まったのである。

 しかし、人は行き詰まって極地に来れば、初めて気付くことがある。
 それは、在
(あ)り来たりの惰性の中で生きるばかりが人生でないと言うことに、である。
 力強く安定させる方法を、此処に来て知るのである。つまり「依って以て死ぬべきもの」があることに気付くのである。自分は「何に依って死ぬべきか」を……。
 更には「依って以て死ぬべきもの」を捕まえるべきであった、ということを……。



●一つの死ぬべきもの

 何と一緒に死ぬべきだろうか。
 この命題に対し、これと一緒に死ぬのだという、一つの死ぬべきものを見つけさえすれば、人は意外に心の安定がよくなり、また力が湧くものである。これまでのぐらつきが収まるものである。

 例えば、戒律について、である。
 戒律は単に守っているだけでいいのか。
 果たして戒律は自分の生活をよりよく生かし、それを整頓し、整理し、能率よく機能させて利潤を上げるだけで済まされるのか。その終始だけで済まされるのか。
 単に戒律を守り、それだけで、逆にその戒律が人を生かしていると言えるのか。本当に生かしていると言えるのか。

 戒律遵守では、決して人は生かしきれまい。また、それだけに戒律の意味も生きて来ない。
 遵守すべき戒律があるのなら、自分はこの戒律のために死ぬと言う覚悟が必要だろう。戒律と共に死ぬと言う、確
(しか)とした決意である。そのために死ぬと決意した時、戒律は初めて生きて来る。更に戒律は、決意した人をも生かすことになる。

 だが、多くの戒律は、人を縛るだけである。人の進むべき道を遮
(さえぎ)り、手枷足枷(てかせ‐あしかせ)となって前途を阻(はば)む場合が多い。柵(しがらみ)となって邪魔をする。人を萎(しぼ)ませる。

 現代の市場経済旺盛で、GNPで国力が計られる時代、人の眼は物だけに向かう。豊かさや便利さに向かう。物質至上主義になり、科学万能主義に頼るようになる。科学的な生き方がまた文化的であり、そこに快適さがあると錯覚するからである。
 その、物に向いた眼は「物に依って生きて行こう、栄えて行こう」となる。そればかりを追う。需
(もと)めるものは栄えるための利潤である。
 これでは道が見えないばかりか、物の価値すら分かるまい。本当の人生を味わうことは出来ない。物すら生かしきれない。物を無駄にするばかりとなる。現代人は物余り現象の中で、物に押し潰されて埋もれようとしているのである。

 一方で精神が蔑
(ないがし)ろにされ、本来の自立心は物に押し潰されて萎(しぼ)んで行くことになる。
 その元兇こそ「何によって生きて行こうか」あるいは「道に依って生きて行こうか、栄えて行こうか」だった。これでは道が本当に生きてはくるまい。道を生きて行く味が分からない。道に行
(ぎょう)じていく修行目的が不明確になる。

 これから離脱して、まず道と同化することが必要となる。
 つまり「道と一緒に死ぬのだ」という覚悟である。あるいは「道とともに亡びよう」とする決意である。
 こうした覚悟が出来、決意したとき、道は人を生き返らせるのである。生還への軌道修正をするのである。九死に一生を得る。
 こうした心境に至って、天下は寛
(お)おどかとなる。余裕が生まれる。余裕が歓喜を呼ぶ。心までは朗らかとなる。怖れるものは何も無い……そんな気持ちになる。何に動揺しよう……、そうした心境が訪れる。心は不動となる。
 怖れるものが無くなり、動揺が消える……、こうした境地こそ、実は力のある生き方だったのではないのか。
 本当の努力や真の奮闘とは、この決意ができたことを源泉として発揮させるものである。その発揮がまた大旆
(たいはい)を掲げさせるのである。

 「この旗の下で死のうではないか」
 こうした心境に至ったとき、惰夫でも勇者となる。これに呼応する者も顕われよう。

 懐疑が消えたからである。謎が解明されたからである。不安も怯えも消滅したからである。
 闘って闘い尽くすために死のうと決意した時、それは真に「生」を得ることになる。
 死のうと決意したのであるから、死んでだとしても後悔は無い筈である。そして死んでも悔いは無いと言う心境に至ったとき、却って死ぬどころか、不思議にも人を生かすのである。自分を目一杯生かすのである。
 死んでも後悔をしない生き方……。
 実はこれが本当の楽な生き方だったのである。更には人を生かしむる偉大な行動も此処から生まれて来るのである。

 多くの人は今でも、何によって生きようか……と探し続けている。損得ばかりを問題にして、じたばた焦っている。合理主義に奔り、能率を上げることばかりを考え続けている。利潤の追求だけを懸命に追い求めている。そして努力は実ると信じている。
 果たしてこれでは、本当に生きた日は一日も無かったのではないのか。つまり、今まで死んでいたのである。自分は欲にほだされて、死んでいたのである。自己は無かったのである。



●損得勘定を棄てる

 「損したところを取り返そう」とするのは人間の習性である。
 だが、勝機が死んでいるのに、その箇所ばかりに眼を向けて躍起に損の穴埋めをしてもダメである。肝心なのは「損する余裕」である。人生には損することもあるという、プロのギャンブラーの心境に至って、勝負は連続して勝ち続けることはあり得ないということを悟ることなのである。それが分かれば余裕が生まれる。

 ところが、余裕を知らない者は、損したところを取り返そう……という心が働く。
 人間の習性である。
 損すると、どうしてもそうした焦りが起こる。何とかして取り返そうとする。そればかりにこだわる。
 だがこれでは益々損は大きくなって行く。深みに嵌
(は)まって行く。結果は決して好転することは無い。好結果は決してあり得ない。

 では、何故そうなるのか。
 取られたもの、失った箇所などに心を奪われ、そればかりに眼が行くからである。つまり、その心境の裏には「失ったものを惜しい」と考える思いが働くからである。取られた物を大損だと感じてしまうからである。
 結局「失うまい」とした心理は、「取り返そう」になり、そればかりに心が囚
(とら)われてしまうからである。

 失った箇所は人生全体から考えれば、多くは一局面に過ぎない。狭い一ヵ所に心が囚われ、全局面が見えないし、それから先の全局面が広がらないのである。まだ、多く残っているのにも関わらず、である。
 幾らでも残っている箇所は多くあるのに、その開拓を遣らず、ただ一局面だけに囚われてしまうのである。多く残る未開拓部分を放置して、小事の損に囚われるのである。
 一局面だけに心が囚われていては、此処と全体の働きは小局面に閉じ込められてしまうことになる。自由自在が働かず、心の力は発揮されなくなる。そしてそこで斃
(たお)れる。

 この現代の世には「そこで斃れる人」の、何と多いことか。
 私たちの生活にもそうした人を見る。商売や仕事でもそうした人を見る。人付き合いや人間関係にもそうした人を見る。
 そしてこれらの人は、自分のやらかしたヘマを取り返そうとして、後ばかりを追う。過去に眼が行く。後ろばかりを振り向いている。ちっとも前を見ようとしない。損したところ取り返そうとして焦る気持ちばかりが充満し、前を見る余裕が無い。

 しかし過去を振り返っても仕方ない。取り返そうとして焦っても仕方ない。
 そういうものは放っておけばいいのである。棄ててしまえばいいのである。一切は棄てて、前を見ればいいのである。失敗にこだわることは無い。捨て置けばいい。
 人生には敗者復活戦があるのである。
 失ったところを取り返そうとするよりも、残ったところを失うまいとした方が賢明なのである。勝負の決まった「死に体」は、決してそこから挽回することは不可能である。捨て置けばいい。むしろ死中に活を得る道を模索することである。そう言う心境に至って、再び勝機を掴むチャンスが訪れるのである。

 また、術のレベルから言うと、損をしたり、引っ掛けられて損害を出した場合、こうした小局面に囚われるのは「抜ける術」を知らないからである。つまりこの抜ける術こそ、「損をする余裕」だった。余裕があれば損を苦にしなくなる。何事も余裕で躱
(かわ)し、抜けて行くのである。
 こだわれば前途にイバラの引っ掛かりを作る。こだわるからだ。こだわるから、引っ掛かりから抜けられない。ついに雁字搦
(がんじ‐がら)めにされる。思う壷となる。最後は生け捕られることとなる。
 ところが、引っ掛かりを起こす運命には、「抜ける術」があるのである。さらりと抜ける術があるのである。その術を知れば苦悩も無用。迷いも霽
(は)れる。あたかも霧が霽れるように、である。

 一般に運命は左右出来ないと考えられている。また宿命と混同され、変更出来ないものと思い込んでいる。
 だが運命と宿命は根本的には異なる。宿命は固定的なものであるが運命はダイナミックに動くものである。流動的である。
 ところが一般人に信じられている運命は、人間が勝敗を左右出来ないのと同じように考えられている。法則に嵌まった、軌道がある固定体と考えられている。

 定めに従い、それを受け入れるのも定めであるが、問題は遭遇したときの態度である。心構えである。あるいは覚悟である。単に諦めだけではどうしようもあるまい。同じ諦めるにしても、諦めプラス「何か」がいる。
 諦めには、諦めの中に流される諦めと、抗
(あらが)う諦めがある。
 また一方的に殺されて死ぬのと、抗い闘い、格闘の末に殺されるのとは同じ死でも次元が違う。防禦創
(ぼうぎょそう)だらけとなって不屈の抗いを見せてこそ、死に逝く者の名誉と自負は保たれる。
 そこまでの覚悟を持ち、最後の最後で「ひともがき」というのがあってもいい。それは死を否定することではない。死する運命は素直に受け入れ、諦めを露
(あらわ)にするのだが、死を覚悟した時点で、その次元は一気に高度化される。高見に上がる。ただ死ぬのではない。
 死して不朽の見込みあらば、いつにても死すべし……という死生観の儘に死を迎えればいい。かの、『ヨハネ伝』に出て来る「一粒の麦」となればいいのだ。

 人の死は、死んだことで総てが無くなる訳でない。「空」に入って真
(まこと)の生命に生きるのである。真に生き抜いた人は死によって、いよいよ広がりを持ち、またいよいよ高さを増し、蘇(よみがえ)るのである。
 そのことだけを知っていれば、生死は一如であるから、窮地に遭遇したとしても遭われることは無い。抜けるだけだ。抜け方はいろいろであろうが、結果の是非は人間の知るところでない。それが吉と出るは凶と出るか、任せればいい。悪い目が出たところで人間側には責任が無い。天に任せるだけだ。もし責任があるとすれば、それは天の方である。人間側には責任が無い。

 生に善悪の二色があり、禍福
(かふく)は糾(あざな)える縄の如しであるから、また明暗二つがあって、千変万化の極まりが無い「あや」を織りなしている。
 現世のおいて人間が肉の眼で確認出来、体感として感得出来るのは生活の味わいであり、また世相の妙であり、まずは五官に感ずることだけである。有の実相範囲だけである。そしてその場その時に全力で生き、後は任せるだけである。任せるから、また窮地も遭遇して、ただ抜けるだけなのである。

 だか、この運命にも、勝つにせよ負けるにせよ、そういう勝負が迫り遭遇したとき、要は、ただ出遭って「抜けるだけ」のことなのである。
 運命を「いんねん」と呼ぶ。因縁のことである。
 因縁は必然的であるから、必然を「いんねん」と呼ぶこともある。人知では如何ともし難い定めである。

 何故なら、人間の意志にかかわりなく、身の上に巡って来る吉凶・禍福である。それをもたらす力は人知を遥かに超えたところで左右する。人生は天の命
(めい)によって支配されているという思想に基づいている。だから必然であり因縁である。
 だからといって運命は逃げるものでない。受け入れるしかない。迎え入れるしかない。そして、ただ果たして行くだけである。

 果たす結果もいろいろだが、損すれば損したままで放置すればよい。棄てればよい。追うことはない。追えば因縁に逆らうことになるからだ。因縁は順に働かせればそれでいいのである。

 例えば、貧困なる運命をどう捉えればいいのか。
 貧乏から逃れるために、貧乏とは逆方向に必死に逃げるのだろうか。それで、必死に逃げて貧乏は回避されるのであろうか。
 『貧乏物語』を著述した河上肇
かわかみ‐はじめ/京大教授。人道主義的立場から貧困問題の解決に関心を寄せ、のちマルクス経済学の研究ならびに啓蒙に専心。1928年大学を追われ、労働農民党・日本共産党などの運動に従事。1879〜1946)は同著の中の訳出に用いたマンデヴィルBernard de Mandeville/オランダ生まれのイギリスの精神科医でイギリスのジレンマ思想家。風刺詩「ブンブンうなる蜂の巣」によって思想界に登場。伝統的な道徳観念の虚偽性を暴露したことで有名。1676〜1733)の1714年の刊行した『蜂蜜物語』(『蜂の寓話』)の「個人の悪徳は全体の美徳である」を引用して、「大いなる罪悪なくして、あるいは便利安楽なる世の貨物を享受し、安逸に暮らさんとするは、畢竟(ひっきょう)ただ脳裡も夢想郷である」と、以上のことを論じている。

 河上肇の『貧乏物語』には、マンデヴィルの社会風刺の影がちらついている。模写とも採
(と)れる。
 社会関係の本質を、各個人の利益追求を動機とする相互的な協力に見て取っている。この辺はマンデヴィルの思考と酷似する。資本主義社会における労働力を提供する社会構造はその背景として雇用を創出し、経済発展を刺激するものとしての富める者の搾取的な消費ばかりが強調され、『蜂蜜物語』のサブタイトルである「私悪すなわち公益」の有名な箇所を言葉を変えて抜粋し、個人の利己的な欲求充足や利益追求の悪徳的な部分は、結果的には社会全体の利益に繋がるとしているのである。

 これは個人の利己心の発揮はつまり「私利の追求」となり、その追求に依って社会全体の幸福が得られるという功利主義の濫觴
(らんしょう)とも受け取れる。
 つまり、悪人が集合した世の中は必ずしも悪くならないという考え方がある一方、私たち一人ひとりが正しいと思い込んでやっていることでも、集合し、合成されると人間界では思わぬ結果が出現するという現実界の実体だ。これを「合成の誤謬
(ごびゅう)」という。経済学用語にもなっている。

 資本主義が出現した十七世紀後半から十八世紀に掛けて、当時の人達は、資本家を見て「利潤の追求をする悪人」と看做
(みな)していた。搾取の元兇と検(み)た。
 則
(すなわ)ち資本主義は、罪悪が公益を齎す不思議な社会と看做されていた。
 そもそも資本主義の市場構造は、この市場において誰も命令するものはいない。計画もなされない。ギルドや特許制約も無い。企業もしくは個人は、ただ利潤を追求して、この効果が最大限に発揮されるように努力する。ただそれだけである。その努力の過程において、社会全体のこと等考える者は一人もいない。誰も考えはしない。総て、ただ他人のことより自分のために、である。必死で自己利益のみ追求する。
 だが、不思議なことに社会全体はうまくいく。自己利益の追求が、人間社会に何らかの公益を齎す。利己主義に端を発した動機は、何らかの形で社会に還元をする。これが社会を回転させる原動力となる。資本主義とはこう言う世の中である。

 これは悪人が集まれば、社会も悪くなるはずだがそうとも限らない一方、善人が正しいと思い込んで活動する中にも、合成された世界では、世の中は突飛な方向へと動き出すことがある。
 よきに、と思った善人の意図とは、正反対の社会が出現したりする。予測無しにその方向に向かうことがある。
 いつの世も、歴史の変革は悪人より善人によって齎される。善人の何者かの誘導によって変革が齎される。それも自然体ではなく、人工的に、意図的に、である。
 この傾向は、やはり資本主義の出現した時期に重なるようである。

 栄枯盛衰は、人間も大自然の一員である以上、その支配下にある。そして自然の摂理の影響を大きく受けることとなる。しかし、資本主義の登場は、何か別の意図を思った動きに変ずることが多い。意図的であり、人工的であるからだ。どう考えても、自然体には見えない。自然の成り行きには見えない。一つの流脈によって動かされているからだ。人工的に導かれている観が否めない。
 特定の目的を持ち、意図をもって、何者かに動かされている観が強い。そのために、そこに踊らされている者も出て来る。あたかも、進歩的文化人のような輩
(やから)が……。

 ここに河上肇が言ったように、資本主義市場経済が利潤の追求によって悪を齎す……と言う「悪人説」は、見事に外れるのである。
 その一方で、善人が齎す行動律の中から、必ずしも善が導き出されるとは限らないのである。貧乏は、世の中が悪いのでも政治が悪いのでもなかった。自身に問題があった。
 当時の世の中に対する思考には、金持ちが悪人で、貧乏人は善人だったと言う考え方があった。そして日本でも長らくその考え方に固執していた。そうと、信じられていた。

 だが、これでは運命から逃げ出さなければならなくなる。さらりと抜ける方法を知らないから、運命は逃げるべきだと考えがちになる。あたかも、現代人は死を怖れ、死から逃げ回るように……。
 本来、病気でも、貧乏でも、それを迎えて果たして行くものである。果たして行く中に抜ける術が生まれる。
 抜ける術とは、仮に損をしても、損は損の儘、放っておくことである。これに何らかの策を加えないことである。手を施さないことである。これこそが因縁に順なるところなのである。

 例えば、病気は厭
(いや)だ、死は厭だ。貧乏は厭だと、「厭だ、厭だ」で逃げ回っていては、こうしたものは後を追い掛けて来る。
 貧乏にしても同じであり、厭だ厭だの連続で逃げ回っていては、いつまでも追い掛けて来て、貧乏はわが身から離れない。傍
(そば)を付き纏う。貧乏神の習性である。

 貧乏と言うものはそれに背を向けて、逃げようとして走れば、何処までも追い掛けて来ると言う習性がある。これも貧乏神の習性である。
 その習性は、逃げれば追うと言うものである。
 抜ける術は、逃げることを教えるのではなく、逆に貧乏の中に突っ込んで行くことを教える。迎えて果たすことを教える。頭を貧乏に向けて突進する。ただそれだけである。貧乏に身を突っ込めば、貧乏と自分は一つになる。一つになった以上、追われることは無い。何者からも追われない。

 一方逃げれば、自分と貧乏は二者の関係のなり、この関係は逃げる方と追う方に分かれるから、何処までも追いかけて来ることになる。
 だが、貧乏と一体でいれば、自分の外には貧乏は無い。貧乏から心が解放されれば、自己は正気を取り戻すし、厭だと言って逃げれば全局面を、全生涯を失うのである。
 棄てて生きる道こそ、実は「抜ける術」だったのである。そしてこれが「捨てて生きる道」だったのである。何者にも振り回されず、あくせくせずに、楽な生き方だったのである。



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