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武術家心身体質改造術 はじめに
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武術家心身体質改造術 はじめに

武術家心身体質改造術







那須与一の図/小堀安雄筆

平敦盛屏風図
源平合戦図屏風


 那須与一(なす‐の‐よいち)は鎌倉初期の武士である。弓術に優れた武士だった。下野那須の人で、与市または余一とも謂(い)われた。名は宗高。文治元年(1185)二月、屋島の戦(源平の合戦)に、『扇の的』を射落して名をあげた武士だった。
 歴史に顕われた行動家の一人として数えられる、那須与一は、その典型的な武士であった。

 那須与一の行動家としての輝きは、一瞬にして歴史の狭間から姿を顕わし、弓をきりりと引き絞り、あの『扇の的』を見事射落とした瞬間に、再び歴史の波間に姿を消した。そしてその後、もう二度と歴史に顕われることはなかった。

 与一が的を射落としたのは、ほんの一瞬の事であり、それも彼の人生の中で、ほんの一瞬の事であった。ただそれだけの事であった。与一の人生の中で、光を放つのは、ただその一瞬の事であった。しかしその背景には、長い弛
(たゆ)まぬ、弓術の鍛練の跡と持続があり、忍耐があり、それまでの待機があった。『扇の的』を射落す為の、歴史に登場する「待機」があった。待ちに待った「待機」があった。

 この「待機」がなければ、那須与一は歴史の中に登場することはなかった。「待機」のお陰により、与一は歴史に登場する機会を得たのだった。そして颯爽
(さっそう)と顕われ、その歴史の中に頭を突き出し、『扇の的』を射落とした後は、直ぐに引き下がり、もう二度と人々の眼には触れることはなかった。総て、一瞬の出来事であった。その一瞬の出来事を、人々に見せつけることにより、那須与一は千年後の人々にも、語られるような存在になった

 此処に、人間の行動としての意志と忍耐が感じられるのである。そして行動とは、イチかバチかの
「賭(か)け」をすることではなく、機が熟すまでじっくりと待つことであり、その「待つ姿」にこそ、忍耐の跡が感じられるのである。

武術修行の真の目的とは
「負けない境地」を確立することで、これを“中庸(ちゅうよう)”という。この中庸の状態は心身共に、霊肉共に「生理的・霊的に完全なバランス状態」のことで、左右・前後のいずれにも偏らない状態をいう。この状態を「正安定」という。
 外野の意見や情報過多のデマに流されず、確固たる自分自身を確立することである。
不屈の精神である。武術鍛錬の根底には常に心意気として「不屈の精神」を持っていなければならない。これこそが《ネバー・ギブ・アップの精神》で、戦いは、死ぬまで続くということだ。
 この戦いは単に“外の敵”と争うことを主眼とせず、むしろ内に向かって「内の敵」と戦うことを真の目的とする。辛いことや苦しいことに直に弱音を吐く、自らの魂と、死ぬまで戦うことだ。
 したがって、一時的な勝ちは求めない。20代の勝ち、30代の勝ち、40代の勝ち、50代の勝ちは、そんなに大した勝ちではない。問題なのは60代を過ぎてからの勝ちである。
 大相撲の力士でも、プロレスラーでも、柔道選手でも、格闘技選手でも、せいぜい格闘できるのは40代前半までだ。それ以降は若いときの無理が祟
(たた)って、故障した“尻尾”のような肉体を引き摺(ず)らなければならなくなる。
 武術鍛錬の真の目的は、そうした“一時的な勝ち”を求めて行うものではない。
更に、武術鍛錬のもう一つの需要課題は、「動ける躰」あるいは「働ける躰」で長寿を全うすることである。そしてこの長寿には、弘法大師・空海が伝えたとされる《密教ヨガ》が秘術の鍵を握っている。
 また、日本人が古代より連綿と伝えてきた「食の智慧」を学ぶことも大事だろう。そのためには「腹六分」を徹底し、粗食少食ならびに粗衣で過ごす、非日常的な生活を実践することも大事である。
以上、このようにして考えていくと、「動ける躰」あるいは「働ける躰」で長寿を全うすることを考えていくと、これこそ「終わりなき闘魂」で、まさに《ネバー・ギブ・アップの精神》の全うであり、「正安定」を得るための終わりなき中庸の追求といえよう。
 人間は、願わくば「死ぬその日まで、斃
(たお)れずに動ける状態で働いていたい」ものである。
 かの有名な『礼記
(らいき)【註】五経の一つで、周末から秦・漢時代の儒者の古礼に関する説を集めた書)には「斃れて後(のち)已やむ」とあるではないか。
 これは、死ぬまで努力して屈しないという意味だ。



はじめに

 現代の教育では、なぜ毅然(きぜん)として、胸を張って生きることを教えないのだろうか。現代人は、大人が子供に、人間が人間であることの誇りを、なぜ正しく教えないのだろうか。

 昨今は、体制側が言う“自己責任”などという無責任な言葉が一種の流行語になって罷
(まか)り通っているようだが、この言葉も、よく考えれば非常に訝(おか)しな、矛盾する一面を持っている。それは自分の不注意を責める言葉でなく、罠(わな)に嵌(は)められた方が「間抜けだ」とする側面が感じられるからだ。騙した方は責められず、騙された方だけが自己責任の名において責められるのである。
 この不思議な意味合いを幅広く含む「自己責任」は、これを肯定すると、逆に加害者優位になる側面があるからだ。間抜けだから騙された。見通しが甘いから陥れたれたという意味合いも兼ね備えている。

 例えば、ある銀行預金者が、ある銀行に預金した。その銀行は経営難で倒産した。そして倒産した銀行は、「倒産したから、あなたの預金は1円も補填も返還もされません」といって、預金者の貯蓄した財産が消滅したことを告げる。
 あるいは、株屋に勧められて、ある株を買った。株は暴落するだけでなく、その会社までもが倒産して、購入した株券は紙屑となった。こうした場合に自己責任が課せられると言うのである。
 現代社会は、自分は不利益を被ったことを「自己責任」という形で表現するようである。これはあたかも、資本家が労働者を搾取
(さくしゅ)するよりも、更に悪質な響きが漂っていないだろうか。

 しかし、何か自己責任と言う言葉の裏に、体制側の、あるいは支配階級のもう一つの意図が漂っているように思える。
 つまり、弱者の財産を自己責任と言う形で回収する構図である。現代社会では、複雑化する資本主義市場経済の裏に、こうした罠が仕掛けられているのではあるまいか。
 自己責任と言う言葉がそれを雄弁に物語っているではないか。
 そして罠に嵌まった方を、自己責任と言う“巧みなまやかし言葉”で騙
(だま)していると受け取れなくもない。

 だが、やはり自己責任という言葉は、本当の意味では確かに存在するだろう。
 つまり、「自分のことは自分で守れ」と言う、本来の人間が持つ、あるいは動物が持つ防衛本能である。
 現代社会では「いじめ」ということが社会問題になっている。
 “いじめ”の問題は、日本だけに存在しているとも思えないが、この国では、いじめが様々な病癖を発症させていることは事実である。

 見せ掛けの物質的な豊かさが、それに反比例して、心の貧困が顕著になった。
 また、見せ掛けの豊かさに並び、見せ掛けの優しさなどがあり、誰からともなく「地球に優しい」などと言う抽象的な言葉が頻繁
(ひんぱん)に使われている。しかし、この「やさしい」という言葉が、実は大変な“くせ者”なのである。
 この“形だけの優しさ”が、日本国中を狂わし、訝
(おか)しくしているのである。

 無能な政治家どもほど“地球に優しく”を連発し、“国民のための政治”ということを吹聴する。
 ところが、実際はどうだろうか。
 彼等の言う“やさしさ”とは、アメリカに追随することであり、“国民のため”という在
(あ)り来たりの言及は、逆に地球不在、大自然不在、国民不在の現実を招いているのではないか。
 つまり、昨今南氷洋で大暴れしている日本の調査捕鯨阻止運動を展開するシー・シェパードにしても、日本人の盲点をついた「いじめ意識の裏返し」が、表面化した現象ではないだろうか。

 無能な政治家どもは異口同音にして、「地球に優しい」などとほざく。「国民のため」といいながら、自分の保身だけに躍起
(やっき)になっている。今どき、国のために、国民のために命を賭けて走り回る政治家など一人もいない。みな自分の保身を図る政治屋である。
 今日の、形だけの「やさしい」が、小・中学校で起こっている子供の世界の“いじめ”を増幅させ、日本国中に及ぼうとしているのである。現実には、国全体がおかしくなっているのである。
 日本はいつから、何が原因で、こうなってしまったのだろうか。

 日本に蔓延
(まんえん)する「いじめの問題」は、今後も余韻(よいん)を引き摺(ず)るだろう。
 学校では「いじめに遭
(あ)ったら、勇気を出して、まず先生や親に相談しなさい」と言う。こうしたことを学校で教える。そして、現実にいじめが起こると、特にマスコミやその周囲の部外者は、「学校の管理体制に問題がある」とか、「教師の、児童や生徒に対する配慮が足りない」と責め立てる。
 特にマスコミは、現体制の批判精神の旺盛と言う“反体制”ならびに“批判主義”が、商業ペースに乗ってはじめて書物が売れると言う思想で凝り固まっているため、徹底的に「現場批判主義」に徹して叩く。
 しかし、大事なことが抜け落ちている。

 生きとし生ける者は、人間に限らず、動物であるならば、自身で「防衛本能」が働くように造られている。動物とは、神からそのように、創造されたものだ。
 そのために生きとし生ける者が、身に着けたものは「自分のことは自分で守る」という根本的な本能ではなかったのか。

 この本能が動物である人間にも適用されているならば、人間は自身を自分で守らねばならない。そして「守る」という自身の生存本能に対し、この本能の意味を学校教育では教えるとともに、これこそが根本的な教育理念であると指導しなければならない。他に頼らず、自分のことは自分で行い、防衛一つにしても、他を当てにしてはならないことを教えなければならない。まず、自分自身で身に付けるべきことは、動物としての防衛本能である。

 だからこそ、なぜ学校教育で「いじめられたら、いじめ返せ。殴り返せ。叩き返せ」と教えないのだろうか。そう教えないことを、いつも不可解に思う。毅然とする態度を教えないことを、実に不可解に思う。
 一般的に、いじめをされたり、こうしたことに遭遇する子供の多くは、性格が弱かったり、体格が小さかったり、学業を覚束無
(おぼつか‐な)かったり、家が平均以下に貧しかったり、片親で母子家庭や父子家庭の子弟であったりするからいじめられるので、こうした条件や差別がなくなれば、異口同音にして教育学者たちは「いじめはなくなる」という。
 しかしいじめは、果たして生活条件や差別だけによって起こるものだろうか。

 筆者自身は、もう随分と月日が流れたが、五十余年前には絶好の「いじめられっ子」として、屈辱
(くつじょく)の少年期を過ごした思い出がある。苛めの的にされた。
 毎日、揶揄
(やゆ)され、罵倒(ばとう)され、屈辱に戦慄(せんりつ)を覚えながら日々を送った経験を持っている。この日々は、単に少年期だけで終了したのではない。青年期も、壮年期も、また老年期の今でも続いている。老齢になっても、少年期に受けた以上に、屈辱の日々は続いている。

 人間は、しかし如何に屈辱を受けたとしても、あるいは最初から勝ち目がなかったとしても、屈辱を跳ね返す意気込みや、精神的毅然さとして、必死に立ち向かう状況を作り出すことは必要だろう。負け戦と分かっていても、それを承知で戦うことは必要だろう。単に脅されて、軍門に降るだけが、人間の生き方ではない。不屈の精神を持つべきだ。
ネバー・ギブ・アップの精神を持つべきだ。
 いじめを解消するには、「はじめから負けると分かっていても立ち向かう」という心意気を作り出すことが非常に大事なことである。
 傲慢
(ごうまん)な強者に分からせることは、「弱いからといって、弱者だからといって、単に尻尾を巻いて引き下がる」という従来の図式を覆(くつがえ)し、“窮鼠(きゅうそ)猫を噛かむ”という逆転劇があることを知らしめることである。タダでは済まないことを気付かせるべきだ。

 追いつめられたネズミは、一変して猫を噛むこともあるのだと言う反撃の恐さを知らしめることである。絶体絶命の窮地に追いつめられて必死になれば、弱者も強者を敗ることがあるのだ。
 状況は、正攻法だけが勝ち方の上策でなく、ゲリラ戦においても、状況は一変することがあるのだと言うことを強調しておきたい。そもそも武術の「術」とは、そうしたものでなかったか。
 そして、これこそ「強く生きるための根本理念」ではなかったか。

 教育と言うのは、何も学校偏重に偏るばかりが教育の根本にあるのではなかろう。
 教育の根本には、どんな境遇にあっても、どんな非日常が襲っても、それにめげず、不屈の精神をもって、「強く生き抜くこと」ではなかったか。死なずに、殺されずに生き残ることではなかったか。
 また、この思想の根本に「武の道」があったのではなかったか。

 かつて、こうした「不屈の精神」を教えたのは学校や学校の教師ではなく、家庭だった。家庭の家長である「父親」が教えたものであった。
 ところが、今日の父親は弱い。家長を降板された観がある。多くに日本家庭では、父親は意気地なしになっている。間違った平等主義が蔓延ったからだ。この考え方が、戦後の日本を覆い尽くした。

 降板された父親は、自らもこの現実を考えることなく、男女同権と言う“まやかし”や“自己責任”と言う巧妙な言葉の罠に嵌められて、いまや全く立つ瀬を失っている。訳の分からないものに翻弄
(ほんろう)され続けている。
 したがって、父親どもが、例えば小中学校の教師から「あなたの子供に対する教育方針は?」と訊
(き)かれた場合、即答できないのが実情である。即答できる訳がない。金儲けに忙しかったからだ。風俗にうつつを抜かし、隙あらばという気持ちで、夜の巷(ちまた)に徘徊(はいかい)するのが多忙だったからだ。

 日本では、徘徊するのは何もボケ老人ばかりではない。オヤジも夜の巷を徘徊しているのである。日本では、父親は子供の躾や家庭教育は放棄しているのである。これでは「日本危うし」ではないか。
 そうした家庭教育にかまける父親が殖えている。おかしな思想に染め上げられて、間違った平等主義を信奉している。間違った男女同権は蔓延っている。それを誰もが何の疑いも無く信じている。まさに危うし!……である。

 日本人は今急務として、再認識する必要があるのは、「自分の身は自分で守る」という、一見自己責任と似通った言葉を正しく把握して、自己防衛と言う意味を理解することだろう。自己防衛とは、“他人からも犯されず、自分からも犯さず”という意識だ。この意識が、ひいては礼儀にも繋
(つな)がるのである。

 かつての日本は、「尚武の国」として、「自分の身は自分で守る」ということが当然のように考えられていた。自分の決着は、自分自身で決着を付け、他人に迷惑はかけないと言うのが美徳だった。
 ところが今日は、他人に大いに迷惑をかけ、自分が弱者であることを強調すれば、他人に助けてくれるものだと言う思い込みが、日本と言う国全体を弱くしたのである。これは「毅然として誇り高く生きる」と言うことを、本当に日本人が忘れてしまったからである。

 日本人の「尚武の民」としての尊厳は失われたし、尚武の民としての道からは、益々遠ざかっているのである。後戻り出来ないくらい、遠く離れてしまったように思えるのである。
 果たして、後戻りできるか。後戻りするだけの勇気があるか……。



●崩壊した尚武の国

 戦後の日本では、教師が労働者に転落した。
 聖職であるはずの教師が、自分達も働く者として、生活手段や生産手段をつくり出す活動の担う者として、その立場を濃厚にしたのだった。
 学校教育の中には、したがって、労働力の具体的発現としての教職員組合である“日教組”が誕生した。

 つまり教師も、労働者として、生徒や父兄にその立場を露
(あらわ)にし、学校と家庭の二分化を図ったのであった。全国の国公私立の幼稚園から大学までの教職員で組織する労働組合を、昭和22年(1947)に結成し、「教師は聖職に非(あら)ず」と宣言したのであった。それにより、家庭は混乱した。
 以前は学校の先生が言うことを、児童や生徒は何とか聞く耳を持っていたのだが、教師が労働者になったことで、彼等に注意を与え、叱る者がいなくなってしまったのである。教師が労働者然として誇りを放棄してしまったからだ。

 混乱したのは、教育は学校でのみでするのではなく、家庭でもするものだと定義したことだった。大半が家庭にあるように錯覚させてしまったのである。親は混乱した。特に共稼ぎの親は混乱した。子供は急に「鍵っ子」になった。ならざるを得なかった。そのように教育現場が指導したからだ。教師たちの解放のために……。

 その結果、子供たちは物質的にはその恩恵に預かって、豊かになっていく反面、精神的には大きな貧困を招いた。心が失われ始めたのだった。荒廃していくのだった。教師イコール労働者の権利が学校教育を危うくした。子供は益々バカになった。低空飛行をしてバカに傾いていった。昨今の若年層の礼儀知らずは、こうしたところにも蔓延った。青少年犯罪の多発は、その責任の一端に教師が労働者に成り下がったことに起因しているのである。

 働く者として、教師も労働者である。
 この定義は、確かに的を得ていたが、学校のこれまでの旧態依然とした政策を強行する側と、労働者側を主張する組合員の教師たちの間で、「支配階級と非支配階級」としての抗争が始まった。
 そこで大変に迷惑を被ったのは、こうした抗争とは殆ど無関係な、一般家庭の就学の子供を持つ親たちだった。親たちが階級闘争に巻き込まれたからである。いい迷惑だった。
 戦後教育の特徴を挙げるならば、平和教育よりも、平等教育よりも、これらを扨措
(さてお)き、教師が聖職者から労働者に転落したことだった。

 教育の二分化である学校教育と家庭教育が別れたため、現実問題として、学校で理解できない箇所を抱える子供たちは、全て家庭教育に委
(ゆだ)ねられ、子供の塾通いが始まった。学校は受験対策は指導外だと主張しはじめたからである。
 学校の指導不足を補うために補習塾に通い、あるいは志望校に合格するために進学塾に通い、子供たちは塾通いをはじめた。そして家庭の金銭的負担も大きくなった。

 教えるべきことを教えなくなった学校は、その皺寄
(しわ‐よ)せを家庭に向けた。
 また、「いじめられたら、いじめ返せとか、殴り返せ」ということを教えなくなった学校は、子供の自殺とか、子供間の虐待事件が発覚するまで、教師側に一切関係ないなどと“頬っ被り”を決め込むようになった。事件が社会の批判に晒
(さら)されるまで、知らぬ存ぜぬを押し通す。校長や教頭までもが、一般教師と結託して「わが校では、そうした事件は起こっていない」などと嘯(うそぶ)く。これこそ、教育者としてあるまじき態度ではないか。

 しかし、実際のいじめは子供社会だけに起こっていることではない。大人社会に起こっていることが、実は子供社会に反映されているだけなのである。
 では、いじめは何ゆえ起こるのか。

 それは大人の世界のいじめを見れば一目瞭然だが、弱者は幾らいじめても牙を剥
(む)いて反撃することをしないからだ。これではいじめる側を、益々増長させるばかりであり、逆襲することはないということに自信を深めるからだ。
 こうして大人の世界では、弱者が益々侮
(あなど)られ、弱い者いじめに拍車が掛かるのである。
 これは、弱い者いじめを易々と出来ないとか、阿漕
(あこぎ)なことはできないという毅然とした態度を、大人が子供に示さないからだ。

 深夜の塾通いの、くたびれて家路につく子供の姿は、まるで残業と過労でくたくたになって家路を急ぐ父親の姿を彷佛
(ほうふつ)とさせるではないか。
 父親の反映が、子供に取り憑
(つ)き、不健康な顔つきは、父親のそれと酷似するではないか。
 塾通いをする多くの子供たちの表情から、生気のなさを感じるのは、子供の世界のそれではなく、大人の世界のそれである。大人の世界の歪
(ひず)んだそのままが、子供世界にまで反映されているのである。
 こうした子供世界への投影に対して、反省する大人は少ない。

 では、いじめと言う実態は、どこから派生したのか。
 それは大人世界が勝手に解釈して、間違った概念のもとで構築されてしまった「和」を尊ぶ姿勢だった。
 和の姿勢は、談合にまで発展し、この和を乱せば、いじめとなって従わない者に対し、鉄槌
(てっつい)が下されるのである。
 和は至る所で論じられ、それを尊ぶことを強要されるが、こうして説かれている和の多くは、本来の「大和」の和とは似ても似つかない非なるものである。

 昨今に横行している「和の精神」は、多くが、日本の企業文化で持て囃
(はや)されている不可解な精神指標である。均質化という原則を論じ立て、この論理に従い、企業文化にそぐわない人間を弾き飛ばすのである。均等雇用も、男女均衡も、結局は体裁のいい平均化であり、これが時としてリストラ(リストラクチュアリング/restructuring)の牙を剥(む)く。
 “平等”とか“均衡”とか言う言葉は、実に都合がいい、“自己責任”に匹敵する詭弁
(きべん)である。
 これまで、戦後日本の中で培ってきた終身雇用とか、年功序列の文化は、「あいつは食み出し者だ」の一言が、企業戦士として隊列に加わる権利を剥奪
(はくだつ)させてきたのである。この「権利の剥奪の構図」は、そっくりそのまま、子供世界にも当て嵌められるのである。

 この構図こそ、「いじめの構図」であった。
 子供社会で頻繁
(ひんぱん)に起こっているいじめの現象の根本は、実はこうした大人社会の反映であった。
 そして大人社会が構成する企業文化とは、学歴社会と密接な関係を持ち、学閥によって選
(よ)り分けがされる、今日の就学年代に見られる偏差値教育と密接不可分であることが分かる。
 こうした形態を作る大人社会に、人間の血が通っていないことは明白である。その最たるものが入社前の入社試験であり、また入社後の不要物扱いされるリストラである。
 つまり、今日の現代人はその大半が少なからず、血の通わない管理社会の犠牲者であると言うことが言えるのである。また、いじめは大人社会が温床となって、子供社会に反映したものであった。

 そして大いなる問題は、いじめられる子供よりも、いじめる側の子供である。
 いじめる側の子供は、実際には「いじめる」という言葉で理解し得ない境遇で育てられた子供たちである。そうした子供を持つ親は、また社会でもいじめる側に立って、他人をいじめている大人である。いじめられる側がどう言う気持ちを持つか、それが理解できない大人である。弱い者の気持ちが分からない大人である。そうした大人が集合体を作って、企業文化を構築していると言える。
 また、こうした企業文化は、鉄拳による暴力否定主義を説き、その一方で、権力と言論による暴力主義を肯定する文化でもある。こうした文化はまた、「地球に優しい」とか、「国民のために」という絵空事を生み出したのである。

 そして何故こうした企業文化が、言論による暴力を作り出し、何故これが具現化されてしまったかと考えると、「親が子に優しすぎる」という態度から、いじめの第一歩が始まったのであった。つまり、「放任主義」である。優しいという言葉を、そのまま放任に摩
(す)り変えてしまったのだった。
 では、こうした状態が、何ゆえ現れたのか。

 それは親が子供に対して、自分自身に自信がないからである。自分に自信がないという現実が、それを補う手段として、子供の欲しがるものを何でも金銭で買い与え、見せ掛けの優しさを繕
(つくろ)って逃げ腰になったからである。
 しかし、繕った優しさは、本当の優しさではなかった。放任主義から派生した優しさだった。しかし、こうした優しさを家庭内で実行することが、家庭教育のあり方だと、進歩的権威筋の言に翻弄
(ほんろう)され、教育とは程遠い「生きる厳しさ」を、大人も子供も見失ってしまったのである。

 いま学校でも家庭でも、「生きることの厳しさ」と、「命の大切さ」を殆ど教えられなくなっている。
 それは「自分の身は自分で守る」という概念が抜け落ちているからである。これは「自制心がない」ということとも同義だ。
 それにしても、日本という国はいつのころから、こうも自制心がなくなった国になってしまったのだろうか。

 今日の日本人の大半は、自分のことに甘く、他人にばかり厳しく、更には、失敗や不祥事を招いた場合、その責任を当事者ばかりに押し付けて、その責任は追及するが、何故こうなったかという発端は何一つ追及せず、また責任の所在が分かったとしても、それは自分のせいだと認める潔
(いさぎよ)さがなく、こうした姿はすっかり消えてしまったことだ。
 この徴候は底辺の下々より、社会的にも地位があり、上の役職を担っている人間ほど甚だしい。

 そして一方、国民は、社会不況とか、政治が悪いのは政治家のせいだと嘆き、なぜ後で嘆くような政治家を選挙で選んだのかろいうことを考えない。決して自分のせいだとは思わない。自分の選んだ非は棚に上げ、都合のいい論理で、敵対政党を攻撃するばかりで、国民自身にも少しも潔いところが感じられないのである。
 潔さが感じられないという点では、官僚も企業も、そして学校やその他の武道団体やスポーツ組織も同じであり、出処進退の見事さというのは、今では殆ど見られなくなってしまった。また、「潔いという御仁
(ごじん)」の名前すら、聞かなくなって久しい。
 また、弱きを助けて強きを挫
(くじ)くという義人も絶えて久しい。

 筆者が自信を持って断言できることは、今日の子供世界の悲惨は、「現代」という時代の、生き方を見失った大人社会の無様な投影であるということだ。
 その証拠に、打ち出す全ての事柄や政策が小手先だけの対応策で、根本的には何一つ解決できない状態にあるからだ。そして哲学がないことは明白である。
 哲学が存在しないから、毅然とした態度がとれず、何事にも逃げ腰半分で構えているからだ。最初から責任逃れをしているのである。そのために腰が引けている。及び腰で、難局にぶつかっても、いい結果は出まい。

 その上、現代の科学万能主義は「生きることが前提となった唯物論」である。最初から物に頼っている。それが今なお、展開されている。これこそが人間社会の現実である。現代とはそう言う社会である。
 したがって、“何によって死のうか”と考えるのは悪で、“何によって生きていこうか”と考えることが正義とされている。その結果、死から、やたら逃げ回る現実逃避で、誰もが生きている。まさに及び腰である。
 そして逃げ回ってばかりで、正面切って、死と対峙
(たいじ)しない世の中が生まれたのである。臭い物にも、怕(こわ)い物にも直ぐに蓋(ふた)をしてしまうのである。あたかも放射性廃棄物のように……。そして、そのツケが後で廻って来ることも計算に入れないで……。
 多くの現代人は、いつも死の影にびくつき、そこから逃げることばかりを企てて生きている。今日の日本人の生き方は「生に固執する生き方」している。

 何によって死のうか、ではなく、何によって生きようか、である。
 あわよくば“漁父の利”を狙った、虎視眈々
(こし‐たんたん)とする自分の都合のいい生き方の模索であり、都合のいい運勢の模索である。
 多くの人は苦しみから出来るだけ遠くに逃れ、被害が自分に及ばないような生き方の模索を探り、自分に甘く、他人に厳しい生き方の選択肢の上を歩いている。

 だがダイナミックに躍動する運命というものは、常に動いていて、静止した死生観でこの実態は捉えられない。人の生き死にを宿命で捉えようとする。しかし宿命というような静止の発想からは、運命というものは捉えることができない。
 則
(すなわ)ち、運命は躍動するものだが、宿命は静止するものであり、この条件下にある「動」と「静」は、双方が相容れない水と油なのである。
 しかし、運命の躍動は「何によって死のうか。何と一緒に滅びようか」と覚悟した時、人間業
(わざ)とは思えない偉大な力を発揮することがあるのだ。そもそも運命は決意とともに躍動するからだ。



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