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合気之術 1

大東流合気之術


合気を行う場合の、躰を開く「拍子」の外し。



●合気之術を会得する為の合気揚げ

 合気揚げは大東流の重要課題であり、この基礎的な力が養成出来ていない限り、どんな複雑な大東流の高級儀法(ぎほう)を丸暗記したとしても、それは一生涯合気とはならない。ただ、幾つかの技を識(し)っているだけである。丸暗記は、単なる骨董品のコレクションに過ぎない。マニアのコレクターならいざ知らず、これでは激動の時代の流れには蹤(つ)いていけまい。

 さて、「合気揚げ」は極めて単純な、それでいて中々得難い業
(わざ)である。
 現在日本で行われている合気系の武術や、それに準ずる合気道などの「型」を中心とした演武形式の練習の仕方では、10年、20年と行っても、一向に完成する事はないし、それは「合気」の名を卑
(いや)しめ、そのレベルを落とすものである。したがって、演武する技の暗記と、合気の出来る出来ないは、一切関係がない。

 型を繰り替えす前に、根本的な「合気揚げ」の基礎稽古を徹底するべきである。しかし、多くの愛好者は「型」にばかり囚
(とら)われて、そこから抜け出す努力を怠っている。伝承と言うことばかりに囚われているのである。

 そして合気系の多くの愛好者は、派手な高級儀法にばかり目を奪われ、地味な「合気揚げ」の完成に対し、あまり重要視していない節がある。
 重要な事は、武術修行と言うのは、低級な基礎技法から学ばなければ、高級儀法
(ぎほう)の長所は生かし切る事が出来ないし、また高級なものを理解してこそ、低級なものがはじめて理解できるのである。基本こそ「極意」なのである。基礎の基礎を疎かにしてはならない。

 人間が行う戦闘行為の中には、多くは、「単純」かつ「少しの複雑」しか存在しない。この事が理解できれば、奇妙な技を遣(つか)う術者と出合っても、少しも動揺する事はないのである。
 戦闘とは、単純と単純のぶつけ合いであり、難しい足捌きや、奇妙で難解な高級儀法は殆ど役に立たないことが分かるでろう。

 この事を熟知する術者は、総
(すべ)ての業(わざ)が単純に映るのである。
 低級技法の特徴は、まず非常に単純であり、肉の眼には単調に映るはずである。また簡素である為、敵に悟られ易いと言う欠点を持っているように映る。

 一方、高級儀法は、複雑で、修得困難であるかのように映る。これにコンビネーション等が加わった場合、実に派手になり、素人受けは絶頂化する。更に、これに派手な廻し蹴りや、体操選手のような“バク転”回転等が加われば、素人受けは最高で、これだけで名人技等と素人から囃
(はや)される。

 しかし高級儀法と、コンビネーションが加わったこうした技法の欠点は、それだけ修得しても駄目であるという事である。
 何故ならば、高級儀法は低級技法の集積によって導き出されるからである。結局、高級儀法は低級技法に、その極意が備わっており、低級技法を徹底的に学んだ後に訪れる「御負
(おま)け」のようなものである。
 したがって、御負けは御負けの範疇
(はんちゅう)を一歩も出る事がなく、低級技法を理解しない限り、高級儀法の良さは分からないという事である。

 高級儀法を力説し、大東流には、まだまだ秘伝が多いと説明する師範は、一方で、「大東流は一本捕りを十年かかって練習する」と言う虚言を吐く。また高級儀法に値する秘伝は、先人達が実戦の中でこれを用いて研究され、秘伝はこうした物が集積されたと言って憚
(はばか)らない師範が実に多い。

 しかし「先人達が実戦の中でこれを用い……云々」の、この説明は、不確実な処が少なくない。
 何故ならば、武術と言うものは、その動きや型の中で、単純な基本業がエッセンスとして詰まっている事が多いからだ。



●足運びや足遣いの基本

 また、実戦の場合、基本業のぶつけ合いはになるから、「足運び」に、特に注意しなければならない。武術や武道には、特殊な足運びが説かれていることが多い。しかし、こうした足運びは殆ど役には立たない。

 他流では、足運び一つにしても、あるいは脚の踏み方一つにしても複雑なものがあるようだ。これを「猫足」と言い、「浮き足」と言い、「飛び足」と言い、「跳ね足」と言い、「踏み付け足」と言い、あるいは「烏足」等といって、足を素早く動かす方法を教えている。しかし、実戦を考えた場合、どれもこれも不充分である。

 例えば、戦闘ステージが二次元平面の道場内から、三次元立体の山地等の屋外に変われば、こうした足運びや足遣いは全く役に立たなくなる。
 烏のように飛び跳ね、速い足遣いが喩え平地で用いる事が出来たとしても、場所が変わって山岳戦になれば、こうした物はここでは無用の長物になる。

 また山岳地帯ばかりでなく、沼地、泥田、湿地、谷川、石原、細道、ジャングル内ではこうしたものは全く役に立たない。したがって、わが西郷派大東流は、こうした場所で闘わねばならなくなった時、足遣いや足運びは、平地での基本は「摺り足」であるが、三次元戦闘ステージにおける足運びは、平素と変わらない、日常の、道を歩む足運びを教えている。

 この、平素と変わらない足運びや足遣いが、実は非日常には大事であり、これが案外とモノを言うのである。日常の平素の足運びは、人間の作為がないから極めて自然である。この自然な態
(さま)が、実は非日常に転換した時、大いに役に立つのである。

 自然な態は人間を正道へと近付ける。人間が道を踏み外さず、心と倶
(とも)に、道が正しければ、それは極めて自然な状態で、敵と闘う時も、敵の動きに応じ、急ぐ時、静かな時、潜む時などのそれぞれに応じた、躰の状態に合わせて、足(た)らず、余らず、足の乱れがないように導いてくれるものである。

中段の構えより、術者は敵の付け入る機を窺う。この時機(とき)の特長は、吾(わ)が左手を開いて、弛(ゆる)んだと見せ掛け、「吊り込むため」の誘いを仕掛ける。呼吸を合わせるということであり、右拳前で、左半身で構える。
一旦吾が剣を上段八相と見せ掛け敵を誘う。敵はその誘いに乗り、左半円で上段からの攻撃を仕掛けようとする。隙(すき)はその刹那(せつな)に起る。
次に敵が上段に振り上げようとした刹那、一気に入身で、入り込んで柄頭当てを行い制す。この場合、敵の顎(あご)のオトガイ中央部を叩き割り、「唖(おし)」と同じ状態に陥れる。

 柔術、合気柔術、合気之術と進んで来た段階で、再び此処で「足運び」や「足遣い」を問題にするのは、合気の奥儀である「四次元空間に敵を沈める」という大事を会得する為の、まず最初のステップである、「三次元立体」のことを知らなければならないからである。
 つまり、「球体の理」を理解するのだ。球こそ「玉
(ぎょく)」であり、玉は上下に回転するという特徴を持つ。動く場合は、必ず縦の回転で動く。横の回転もするが、それは静止の状態の時機(とき)である。動く場合は必ず「縦回転」となる。また「縦回転」をする時機、それに調子が伴う。調子や、リズムの拍子が加わる。

 兵法と言うものは、「拍子」が大事である。凡
(おおよ)そ「拍子」なるものは、人間の体内で打ならす心臓の鼓動と、足運びから来る、足の拍子である。戦闘とは、計略との駆け引きが問われる命を賭けた、「命の遣り取り」であるから、足でしっかりと足場を固め、地に足をつけることが大事である。これを無視してステップを踏んで飛び跳ねたり、跳ね足のような足運びでは、やがて拍子が狂って勝つ事が出来なくなる。

 ボクシングのような、科学するスポーツが作り上げたフットワークが有効なのは、真ッ平らな平面のリングの上であり、山地の岩や石がゴロゴロとする登山道では、全く役には立たない。
 三次元立体やその空間内では、跳ね足は無用の長物となる。これはあくまで平地での個人的闘技の場合に限られる。

 もし、こうした平地でのフットワークを登山道の細道で、あるいは強風の吹く絶壁の上で用いでもしたら、それだけで呆気無く勝負は付いてしまうだろう。
 合気之術で大事になるのは、三次元立体での「足運び」であり「足遣い」である。ここでは足の裏から岩場に向かって、根が生えているが如くに、根を降ろし、足場をしっかりと確保しなければならないのである。

 この足場が完成すれば、敵を狼狽えさせ、乱れさせ、崩れる状態に導く事が出来、冷静を見極め、敵に少しも立ち直る機会を与えず、吾が方は余裕を持って勝ちを修める事が出来るのである。
 しらがって、科学するスポーツから発した、人目に立つ小細工は無駄と言うものである。

 虚仮嚇
(こけ‐おどし)の兵法は、足が地に着いていないから、一時的には優勢を誇っても、それは相手を脅(おど)すだけであり、長続きはしないものである。見透いた脅しや、見せ掛けだけは、表面は立派だが、内容の伴わないものは、直ぐに正体がばれれしまう。
 したがって、しっかりと足を地につける必要がある。そして、「足を地につける」という状態を会得して、三次元での高低差のある足場で、足運びや足遣いを修得することである。



●架空の歴史観に騙されるな

 某大東流の歴史を見ると、「大東流は清和天皇第六皇子貞純親王にあるといわれ、親王の長子経基にはじまって、代々源家に伝わり、この武術がにちに新羅三郎義光の手によって、戦死体解剖の末、研究工夫され……云々」とあるが、これはまさに虚言と言うものであり、歴史的根拠は一切ない。

 また、こうした歴史の中に、大東流合気の極意が存在しているわけでもない。皇胤
(こういん)を系統に取り込んだ歴史観と、武術における戦闘思想とは全く無関係なのである。
 自流が皇胤の流れを引き、皇室の関係があるからと言って、それが極意と関係があるものでもない。

 一般に、大東流愛好者の間では、「大東流の技法は百十八箇条」といわれているが、これは柔術の技法に過ぎず、その内容は五箇条である百十八本の単なる型を中心とした「組み技」であり、あくまで型稽古の範疇
(はんちゅう)を出るものではなく、「演武」によって演ずるしかない技法である。そしてこうした組み演武以外に方法のない大東流には、伝説的な流言の「大東流は新羅三郎義光が伝えたもの」という内容が、多くの大東流愛好者の中で信じられている。

 これは歴史的な虚言であり、伝承経路を武術に疎い素人に宣伝する為に、素人受けを狙ったものである。
 大東流の源流は、会津藩の御留流
(おとめ‐りゅう)が母体であり、これは江戸中期以降に構成された事が明らかである。また、この構成の切っ掛けになったものは、江戸幕府が十万石以上の親藩大名に対して主催した、幕府の講習会である「甲中乙伝(こうちゅう‐おつでん)がその母体であり、御留流は幕末に至るまでその存在すら知らされなかったのである。

 そして会津藩の五百石以上の上級武士のみに指導された御留流は、溝口派一刀流や小野派一刀流忠也派
(ちゅうや‐は)の剣術の剣操法等が加味され、会津藩家老・西郷頼母によって明治の世になって、はじめて大東流の名前が登場する事になる。



●合気剣の理と密事

 会津藩における剣術の流派は、溝口派一刀流からの支流が実に多い。
 万流という流派も溝口派一刀流からの支流であり、この流派の祖は町野忠助重勝
(まちの‐ただすけ‐しげかつ)である。忠助は溝口派一刀流の会津の池上丈左衛門安信(いけがみ‐じょうざえもん‐やすのぶ)に剣術を学び、後に万流を興(おこ)す。そして91歳の長寿を全うし、天保二年十月に死している。

 もともと溝口派一刀流は会津藩や薩摩藩に伝承された流派であった。流祖は溝口新五郎左衛門正勝であり、名は新右衛門という記録もあり、伊藤典膳忠也
(いとう‐てんぜん‐ちゅうや)の門人であったと言われているが、『武芸小伝』『会津藩教育考』『一刀流目録』などを調査しても、流祖なる人物の人物像は余り明確でない。

 一方、流祖なるを記した『寛政重修諸家譜
(かんせいじゅうしゅうしょけふ)』には溝口半左衛門重長(はんざえもんしげなが)とあり、文禄二年、徳川家康に仕えたとある。半左衛門重長は「大坂の陣」で戦功があり、父・溝口外記常吉が証人になっていた南部久左衛門が大坂側に付いた為、元和元年、父子共々改易されたとある。しかし重長は、小野忠明父子(伊藤典膳忠也は本当は小野忠明の弟であるが、通説では父子となっている)に一刀流を学び、その域は達人であったと言う事から、寛永十八年召し返されて、六百石を賜り、翌年には御船奉行になった。

 正保元年、重長が死すと長男・半左衛門
(一説には三左衛門とある)重恒が溝口派一刀流を相続した。また重長の次男・新右衛門重直も剣に通じ、兄・半左衛門とともに将軍の台覧する天覧試合にでた。そして溝口派一刀流の伊藤政盛が会津に向かい、枝松公忠(えだまつ‐きみただ)に伝えようとしたが、伝承半ばにて会津を去った。

 その後、会津藩士・池上丈左衛門安通
(やすみち)が伊藤伝を継いだが、不完全であったので、藩命により江戸に出て水島玄益に剣を学んだ。しかしこれも真伝ではなかったので、丈左衛門安通は独学独力によって多年を費やしそれを新たに研究し、大いなる発明をして、会津独特の一刀流を完成させた。こうして会津藩伝溝口派一刀流が後世に伝承されることになる。

 会津伝溝口派一刀流は独特な異伝からなり、池上安通を祖としている。
 この流れは、伊藤政盛━枝松公忠━池上丈左衛門安通━池上久五郎安康━池上丈左衛門安信━町野忠助重勝━町野庄三郎重祥━春田曽右衛門━河原田順吾信寿━町野忠左衛門秀虎━町野忠五郎━町野忠之進重治━樋口隼之助光高━池上源次郎━塚原八百八━和田晋と伝承され、会津藩伝溝口派一刀流が伝承された。
 そしてこの流れには、間接的に小野次郎右衛門忠明の小野派一刀流が流れていると言う事が分かる。小野派一刀流は伊藤一刀斎景久の一刀流の流れを汲んでいるのである。

 こうした流れを観
(み)て行くと、新羅三郎義光の時代に大東流が作られたと考える人達には、歴史的認識を疑わざるを得ないが、これは明らかに間違った歴史観を簡明に信じている事になる。
 しかし、また時代を経るごとに、密事が加わり、秘密が生じ、これが洗練され、これまで以上に斬新的になることが事実である。



●時代にそぐわせようとすると、斬新かつ洗練されたものになる

 会津藩の御留流(おとめ‐りゅう)が表面化するのは、江戸末期に公武合体こうぶ‐がったい/幕末、従来の幕府独裁政治を修正し、天皇と幕府とを一体化させることで幕藩体制を再編強化しようとした政治路線)政策の応呼して、幕府要人や重役達を警護する為に、一部の上級武士や奥女中達に指導されたものであり、これは日新館の正課武術が西郷頼母によって、武家の礼法である御式内と並んで武術の新教育として研究開発されたものであった。

 したがって大東流は明治の世になって、はじめて産声
(うぶごえ)を上げた新しい総合武術であり、密教行法の秘密や秘事が秘伝として伝わったものなのである。その為、その発祥時期は極めて新しく、ただ、構成内容が極めて斬新であった為に、巧妙な技法が他流を凌(しの)いでいたと言うだけの話である。
 新しく編纂されたものは、各時代の叡智が組み込まれているので、斬新かつ、洗練されたものにならざるを得ない。

合気踏業/二人踏み
合気掛業/二人掛け

 こうした経緯から考えれば、大東流の基本は「合気揚げ」にある事が分かる。これを無視して、高級儀法のみを秘伝と考える考え方は、明らかに誤りなのである。
 大東流は、基本業の集積である為、段階ごとに密教の密事が取り入れられ、こうしたものが構成の研究者に誤った歴史観を植え付け、誰が考えても訝
(おか)しいと思わざる歴史的史実をねじ曲げて流布した観が強い。

 しかしこうした、「大東流は新羅三郎義光
(しいら‐さぶろう‐よしみつ)が伝えたもの」という素人受けを狙ったものでも、高級儀法を秘伝にでっち上げ、これを秘伝と称したところで、合気揚げを理解できなければ、高級儀法は愚か、手解き四十八箇条や、基礎柔術である柔術百十八箇条すら、本当に会得する事は不可能な事なのである。

 そしてこうした風潮が高まるにつれ、やがて柔術百十八箇条は、時代遅れの観が強くなり、骨董品と成り下がり、単に演武会における「約束で交わされた組み技」程度にしか用を為
(な)さなくなるのである。



●合気揚げを行う為の体質改善

 大東流に何年も、何十年も入籍しながら、実際には合気揚げが出来ない人が多い。その「出来ない理由」は、まず合気揚げを行う体質が出来ていない事である。合気揚げは、体質の良し悪しで、これが出来るか出来ないかが決定される。
 そして出来ない人の多くは、体質の悪さにあり、その体質の悪さはこれまでの食生活に問題がある。

 肉や卵やバターやチーズ類の動蛋白の食物摂取は出来るだけ摂らないように心掛けるべきであるが、それにも増して、「白砂糖」をベースとした食品は絶対にとるべきでない。白砂糖は三白癌
さんぱく‐がん/白砂糖、白米、白パンを三白癌と云い、最近ではうま味調味料と云われる化学調味料もこれに入る)の一種であり、ガン体質になり易いだけではなく、躰(からだ)全体の力を散漫にし、気力を無くしてしまう元凶を抱えている。こうした動蛋白は酸毒化されて、体躯が「泥腐る」からだ。体質が悪くなるのである。
 こうしたものを食すれば、見掛けは体格だけは立派になるが、体質が悪いために、一度病気にかかると、なかなか治らない。

 問題は病気に罹
(かか)らないことではなく、病気に罹っても直ぐに治る体質を持つことである。体質の善し悪しで、罹病した病気が治癒するか、そうでないかが決まるのである。普段から食べ物を研究して、体格ではなく、体質を良くしておくべきだろう。

 また白砂糖入りの糖分を摂ると、内臓に負担を与え、胃腸障害を起こし易く、胃壁を酸性化させてその運動を弱め、また腸に於ては蠕動
(ぜんどう)運動を緩慢(かんまん)にして停滞【註】主としてS字状部や小腸に閉塞を起すしたり異常を持つ人は、子供の頃から白砂糖等の甘い物を摂り過ぎている。第一型糖尿病の人も、幼児期からの白砂糖が原因している場合が多い)させ、種々の腸障害を起こす。

 和菓子をはじめとする一切の菓子や汁粉類、ケーキ類やクリーム菓子やアイスクリーム等は、ふんだんに白砂糖が使われている。こうした甘い物を普段から食している人は、一様に握力が弱い。また骨のカルシウムを、過剰な糖分摂取で無駄に消費させる為、骨も脆
(もろ)く、虫歯も多い。こうした人は、幾ら野菜を大量に食べても、糖分摂取がそれを上回る為、隠れ糖尿病を持っている。砂糖は塩分摂取以上に元凶を作るのである。

 こうした甘い物を食べる人は、一般には糖尿病になると信じられ、肥っていると思われがちだが、糖尿病でも第一型糖尿病では、肥っている人よりも、痩せた人が多く、膵臓から分泌するインシュリン分泌に問題を抱え、体力がなく、実に体質が悪い。

 この体質の悪さは幼児期からの食生活から来るもので、第二型糖尿病を抱える人も糖分の摂取は食事の量の比率から考えれば極めて多いと言える。そしてこうした病気を煩っている人は、共通して、握力が弱い。精神的な気魄
(きはく)も、士気も、常人に比べて劣っている。

 こうした劣勢は、体質の悪さから起るもので、その元凶を為すものは、甘い物を食べる食生活の悪さに問題があるのである。
 武術を修行する者は、甘い食品を口にするべきでない。躰を弱め、体質を悪くするからだ。
 どうしても甘味を摂りたいのなら、果物
(リンゴなど)から摂取するべきであり、白砂糖入りの菓子類【註】ケーキや和菓子は食べ物の中でも元凶を齎す)からは、絶対に摂るべきではない。そしてこうした食への慎みを忘れた人は、全般的に見て体質が良くなく、常に病気がちである。

 自分の命は、自らの握力が握っている。したがって握力の弱い者は、自らの命すら掴む事が出来ないのである。自らの命をしっかりと掴むには、まず握力の養成が必要であるが、握力を鍛える前に食の改善をする必要があり、動蛋白を摂りながら、また白砂糖食品を摂りながら、悪い体質は改善する事が出来ず、体躯の改善こそ急務なのである。昔から甘い物好きの武芸者に、優れた人物は殆ど居なかった事実を認識すべきである。

 甘い物を食べると、中年以降は骨と骨格の節々を弱くし、関節を傷め、気力を緩慢にして放恣
(ほうし)状態になり易く、集中力が衰えるのである。またこうした人に限って独断と偏見が多く、「こだわる」固定観念が強く、したがって大東流で教える、一番最初の入口である合気揚げが何年経っても完成しないのである。まず、食生活に誤りがないか、それを素直に反省して体質改善を考えてみるべきである。

 以上の事から、体質と体力とは自
(おの)ずと異なっていることが分かろう。体質は、躰の質を言うのであって、ここに顕われるのは順応と、順応は出来ない虚弱である。したがって、現象人間界は常に順応を求められるから、体質を養うことは大事である。

 一方体力は、運動能力を差し、あるいは抵抗力を差す。しかし、体力があっても、伝染病に罹る者は、やはり伝染病を発症し、下手をすれば死亡する場合もある。これに比べて、体質のよい者は、一端は伝染病に罹るが、それから回復して命を取り留めたりもする。これが体質の良さである。

 そして、この体質の良さをどう維持するかが食餌法であり、これを得るには、美食を避け、粗食に甘んじなければならない。剣聖武蔵の言にも、「身ひとつに美食を好まず」とあるではないか。

 武術・兵法を志し、この道に邁進
(まいしん)する者は、美食を好まないことである。美食は体力を一時的に養うことがあっても、体質を改善させる事はない。したがって、粗食・少食を実行すべきなのである。

 人間に生まれた以上、美味しい物をただふく食べたいと思うのは、人間の自然的な生理欲求であるかも知れないが、こうした人情に流されては、武芸の上達はあり得ない。武技の真髄を極め、その裏に描かれている「道」を解読するには、食物に対する嗜好など、余り問題ではない。また、現代栄養学の言う、指導指針も殆ど役には立たない。

 この道に邁進する者が、一々美食に振り回されていては、お話にならないのである。
 武蔵の師であった、沢庵禅師の壁書にも、「飢
(うえ)来たらざれば一生食はでもすむべし。若(も)し、飢来る時に及んでは、小糠(こぬか)をも撰ぶべからず。況(いわん)や、飯(めし)に於いてをや。何の副物(そえもの)かいらむ」と云っているではないか。

 人間が飯を食べるのは何の為か。ひだるさを止めんが為である。その為に飯を食うのである。
 ところが、御数
(副物)がないから食べられないと言うのは、まだ飢えていない証拠である。飢えがこなければ、一生食べなくても済むだろう。もし、飢えが来たならば、小糠をも選んではならぬ。況(ま)して、飯の良し悪しを言ってはなるまい。何で、御数など要ろう。飯だけ食べられれば、充分であり、これで有り難いではないか、と沢庵禅師は云っているのである。



●武運を養わねば合気之術は会得できない

 「武運長久(ぶうん‐ちょうきゅう)」と云う言葉がある。
 これは武士としての「運命を定義」する言葉でる。また、戦いでの勝敗の運の事をいう。更に「長久」と言う言葉が付けば、勝負運が長く続く事を言う。

 歴史上の武芸の名人と言われた人達は、武運に卓
(すぐ)れていたと言えよう。
 武運に卓れ、幸運に恵まれていたから勝ちに恵まれたとも言える。だから武人は、武運に恵まれるように「徳」を積み上げなければならない。技術的に卓れていても、あるいは才能や素質に恵まれていても、「徳」がなければ、勝負運を養成する事は出来ない。

 では「徳」を積むにはどうしたらよいか。
 五経
ごきょう/儒教で尊重される五種の経典。すなわち、易・書・詩・礼(らい)・春秋からなる)には、「天帝は、生を好んで殺生を嫌う。
 また生きとし生ける一切のものは、皆生きることに、こい焦
(こ)がれているものである。だから、彼等を殺して己を養うようなことをして自ら安んずる事が出来よう。血の気のあるものは皆霊知(れいち)がある。霊知のあるものは皆時分と一体である。たとえ自分自身至極の徳を修め、名声が四海に溢れて、これをもって我(わ)れを尊び親しく事は出来なくても、どうして日々に彼等、生き物の命を損ない、我(が)と仇(あだ)として無窮(むきゅう)に怨(うら)みを懐(いだ)かせてよかろうか」とあり、「殺生をするな」と述べてる。

 同時に、人間と同じ性
(さが)を持つ動物を殺生して、喰(く)うことを戒めているのである。「血の気のあるものは皆霊知がある」とは、五経の教えである。この戒めを破って、食肉だ、乳製品だ等といっては「徳」が積めないことを顕わしている。
 そして道理が明らかになれば、過
(あやま)ちは消えるのである。その過ちを、一つ一つ消していくところに「徳」を積むと言うところに人生の修行がある。
 そして体質を酸毒化させて、泥腐らせてはならない。

 酸毒化した体質では、思考も酸毒化され、やることなすこと酸毒に冒される。つまり「運」を低下させるのである。低下して運勢では、武運長久は願えない。




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