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短編小説・真理子 1

短編小説・真理子







能の世界・土蜘蛛。源頼光の病床へ妖怪の土蜘蛛が僧形で現れるが、頼光に斬りつけられ、葛城山(かつらぎ‐やま)に追いつめられて退治される。


●兵は詭道なり

 入学式を少し過ぎた四月半ば頃であったろうか。
 私は大学の頃、学内に「会津自現流激剣部」(これは前身の会津自現流同好会が部に昇格したものであった。もうこの時、悪友の野仲は大学を中退し警察学校に入学していた)なるものを組織し、野仲義治
(のなか‐よしはる)と共に、体育会に与(くみ)した事があった。その頃、私は三年生になっていた。昭和45年春のことである。

 そして、私は大学のこのクラブと、北九州八幡区に在
(あ)った寺の境内を借りた道場とを掛け持ちして、両方を主宰していた。
 その頃、大学のクラブには新入部員として《イガラシ・イサミ》という、男か、女か分からない新入生が入部して来たことがあった。そして私は、この《イガラシ・イサミ》から振り回されたことがあった。
 入部した際に入部希望者欄の記名が、カタカナで書かれていたからであった。これが一つのハプニングになって、次々に奇妙な展開をみることになったからである。

 当時の激剣部は、落ち目の一途にあったが、何故か今年は、入部したばかり一回生で溢れていた。毎年、一人か二人であった。それが今年は、何と一回生だけで、19名も入部して来たのだった。
 その19名の入部者のうち、三人が剣道の“段持ち”であった。こうした展開をみたのは、ある一人の風変わりな切れ者のよって齎
(もたら)されたからであった。


 ─────道場では竹刀の打ち合う音が響いていた。例年にない賑
(にぎ)わい方であった。
 この激剣部は、一般の剣道と異なり、激剣を中心とした古流剣術であり、他に柔術や拳法なども加わるが、毎年この時期になると、普段の稽古は剣道部と同じ防具を付け、古流の剣術を研究するクラブ活動に変身するのである。それで、その頃、剣道部と間違えて、入部してくる者も少なくなかった。私の編み出した“苦肉の策”であった。

 とはいえ、これは一種の「だまし」であり、下級生を騙
(だま)して錯誤に陥れる、些(いささ)か卑劣な策であった。しかし、何事も“背に腹は替えられぬ”のである。この「だまし」も、一つの「武略」と思えばいいのである。
 かの明智光秀すら、「仏のウソを《方便》といい、武家のウソを《武略》と云う」と定義しているくらいである。武略を用いたからと云って、それは一種の智慧
(ちえ)であり、何を恥じることがあろう。兵法の同好の士を集めるのである。何を憚(はばか)ることがあろう。
 武略をもって、敵をペテンに掛けるから、それを「計略」といい、またこの計略を用いて《小よく大を制する》のであるから、これを「機略
(きりゃく)」という。機略こそ「詭策(きさく)」であり、詭策無くして、何が武略といえよう。恥じることはない。
 しかし、思えば面の皮も厚くなったものである。

 ちなみに「機略」とは、臨機応変の計略のことであり、兵法には《機略縦横》の項目として挙げられ、立派な武略の形体をなしていた。また、これこそが「詭道」そのものであった。
 則
(すなわ)ち兵法は、《詭道の前に詭道無く、詭道の後に詭道無し》と定義している。
 更に、『孫子の兵法』の兵法すら「兵は詭道
(きどう)なり」と説いているではないか。詭道は《詭策の道》ではないか。

 詭策に嵌
(はま)って、怒る者は、もともと「兵法の何んたるか」を識(し)らないからである。
 戦わずして勝つことは、兵法としての上策であるが、その根本には奇法がなければ勝てない。臨機応変に敵の意表を衝
(つ)く奇手がなければ勝てない。したがって正面激突だけの正攻法だけで勝てるものではない。
 正攻法は体験によって理解度が熟するが、奇法にあっては不能である。

 奇法あるいは奇手と云う詭策は、今日では何も戦争や格闘ばかりでなく、政治や経済にも、企業経営にも、組織運営にも、更には人間関係や男女関係にも、この世の森羅万象
(しんら‐ばんしょう)に、この詭策の原理が通用するのである。
 したがって多くの戦術書は、一見役に立つように見えて、実際は殆ど役に立たないのである。何故ならば、こうした書には詭策が論じていないからである。戦略の「略」が、欠落しているからである。「略」の一字が欠落していれば、多くの物事の源泉である無限のインスピレーションなど湧
(わ)いて来るはずもなく、『孫子の兵法』にある通り、最後は無惨な敗北を帰するのである。

 人間は、利に働く。利で動く。それは理屈ではない。人間とは、そうした生き物である。
 人が、利する集団に群がるのは、理想の「志
(こころざし)」に燃えるからではない。そこに“寄らば大樹の蔭(かげ)”があるからだ。
 また、世の中に“青雲の志”などという言葉があるが、この語の意味の解釈を間違えば、とんでもない結末を招いてしまう。

 志は、“夢”とは違う。果てしなく夢を追う。若ければなおさらだ。
 志を成就するには、ある目的を持ち、それを信念で貫き、これを具体的に実現しようと決意がいる。それだけに難しい。
 一方夢は、空想的な願望である。
 空想に耽ることは悪いことではないが、それだけに「願い」を成就に導く“心象化現象”の効力も極めて小さい。
 近未来に描いた理想は、それだけではなかなか成就しないものである。理想は殆ど実現されず、描いた夢は儚
(はかな)い願い事として潰えることが多い。そこには目的意識もなく、また確固たる信念もないからだ。

 青雲の志とは、現実的に、かつ露骨に云えば、主目的が立身出世して、高位もしくは高官の地位に到ろうとする「功名心」のことである。したがって、理想に燃えるのではない。立身出世を第一目的に、そのことについて徹底的に追及し、その一点に心血を注ぐのである。
 高位・高官の座に就く為には、ライバルを次々に、詭策により、蹴落として行かなければならない。詭策だから、敵を欺
(あざむ)く、謀(はかりごと)が必要だ。詭計(きけい)が必要だ。そうでなければ、“人を先んずる”ことは出来ない。

 孫子は、これを躊躇
(ちゅうちょ)せずに遣(つか)えと云っている。だから敵を、また他人を、思う存分、計略のよって騙すことを「詭計」というのだ。これこそ、偽計(いけい)を謀り、ペテンに掛けることなのだ。ペテンに掛けるから、また「偽計」ともいうのだ。

 これこそ、「ゲリラ戦略」の基本定義である。
 「偽計」こそ、全局的に詭策を運用する戦略方法である。
 「詭」とは謀
(はかりごと)である。
 ゆえに《一を以て十に当たり、十を以て一に当たる》という。これこそが《柔よく剛を制す》の意味だ。
 小が大を転覆
(てんぷく)させるのに正攻法が愚の骨頂。
 根本原理は《謀
》であるから、騙しであり、詭策の効果は大きくなる。小が大を倒すこの根本には、大の見逃した“安易さ”があり、その見逃したものに付け込むから、偽計は成就するのだ。

 しかし一方でこれは非情なものである。非常であるからこそ、安易な作戦計画ではない成就しない。もっと現実に則した、シビアなものと把握するべきだ。そしてこれは、生半可な定義ではないのだ。命懸けの定義である。命懸けだからこそ、どうしても《捨て身》にならざるを得ない。

 したがって正当であるか、そうでないかは問題ではない。また、誰から習ったかも問題ではなく、最終的には、智慧
(ちえ)のある方が勝つようになっている。知者が勝つのだ。智謀によって勝つことが出来るのだ。
 したがって、弱者でも智慧一つで、強者を倒すことが出来る。この世の戦いのメカニズムは、詰まるところ知恵比べの「知恵合戦」である。それは歴史を見れば、歴然としよう。そのことが、歴史書の中に総て書いてある。

 だがしかし、人間の習性は「寄らば大樹の蔭(かげ)」である。
 人心は大きいものに寄生する習性がある。寄り掛かる集団や頼る相手を選ぶなら、力のある方へ靡
(なび)くのは、人間の行動律が持つ特性であり、また、一般的に認められる行動様式である。大半の人間は、強い組織、強い人間に与(くみ)する。難より易きを好む生き物だからだ。楽を好む生き物だからだ。そうした人間の隠された本性を狙えば、またこれは、弱者の利用する絶好の媒体となろう。これを“見逃す手”はないのだ。
 然
(しか)らば、何(いずれ)も、この“習性の弱味”につけ込む必要がある。この“弱味”を黙って指を銜(くわ)えて見逃す手はないのだ。“寄らば大樹”を連想させればいい。錯覚させればいい。人間が錯覚をするという弱点を利用すればいいのである。


 ─────さて、武道界を見ると、日本では圧倒的に剣道人口が多い。武道界ではダントツだ。マイナーな古武術より、圧倒的に多いのである。根強い人気がある。
 そこで私も、これに目を付けたのである。その付け目は“習性の弱味”である。人間のこうした習性を利用して、選択ミスや判断ミスにより“寄らば大樹”に寄生する連中を生け捕ればいいことであった。

 その為に激剣部を“剣道部然”として巧妙なカモフラージュを弄
(ろう)したのである。ゆえに剣道部を真似たのである。それらしく見せて、間違いを誘ったのである。これは一種のペテンである。これこそ類似品の「不届き千万」の最たるものであった。しかし、入部してしまえば、こちらのものだ。生け捕ってしまった方が勝ちなのである。そもそも当時の体育会の考え方は、この不文律で通っていた。
 こうした勝ちは、生け捕られたから、後で生け捕ったものを返せとは云えない。生け捕って、身柄や物品を抑えている方が勝ちである。

 それは歴史に記されている“戦争”を見れば明らかだろう。
 例えば、先の大戦で日本が失った“北方領土問題”を見れば、歴然としてくる。北方四島は、旧ソ連が第二次世界大戦後、占領した島のことである。この四島は、歯舞
(はぼまい)諸島・色丹(しこたん)島、および南千島の国後(くなしり)島・択捉(えとろふ)島の帰属を巡る、日本とロシア(旧ソ連)との間の領土問題として、日本側は過去の歴史を持ち出して返還を求めているが、この四島は絶対に帰ってこないだろう。
 何故ならば、この四島は戦争で失ったからだ。旧ソ連の狡猾い中立条約を楯に日本側を欺いたからだ。これなど日本人が、錯覚させられた典型的な例といえよう。
 根底には日本人の「外交音痴」が存在しているからである。

 その元凶を招いたのは1941年4月、日本とソ連との間に締結された日ソ中立条約だった。
 この条約の有効期間は5年であった。しかし1945年4月、ソ連は不延長を通告した。
 これにより昭和20年8月6日、対日参戦により失効の現実を招く。つまり、ソ連側の詭計により、日ソ戦が起こり、火事場泥棒のような手段で北方四島は奪い取られたのである。そして根底には“戦争によって四島は奪われた”という事実だった。
 もし、この四島の返還を求めるのなら、戦争で失ったものは、同じく戦争によって取り返すしないだろう。また、政治的な巧妙な詭策の駆引きで失ったのであるなら、同じく詭策によって取り返すしかないだろう。つまり、“策に嵌る”ということは、こういうことなのだ。

 私は幼年時代より、“兵法の何んたるか”を叩き込まれて育って来た。
 また、戦いには“駆引きがある”ことも、叩き込まれて大人になった。この“駆引き”こそ、詭策というものであった。もう、随分前から“詭策”の存在を知っていたのである。
 詭策はテクニックの修練だけでは磨くことが出来ない。それは首から下の肉体を遣うのではなく、首から上の頭を遣わなければならないからだ。頭は、テクニックだけでは働かない。智慧を絞り、絞った分だけが詭策の結果として顕れるのである。

 この時期に限って、詭策を巡らせていた。
 それは、わが部独特の、柔術と拳法の稽古は、一切止めてしまう。この時期に限って、止めてしまう。激剣一本釣りである。
 一本に絞り込んで巧妙にカムフラージュし、剣道部と間違って入って来たところを、そのまま一本釣りで生け捕ってしまうのである。それが詭策であった。
 そして後、新入部員達は、わが部が剣道部ではないと気付いても、後の祭である。一端入ったからには、絶対に辞められないというシステムが出来上がっていた。また、人間とは不思議なもので、順応能力がある。その場の環境に変化すると云う、順応能力がある。
 やがて“棲
(す)めば都”となる。こうなると、最早(もはや)辞めるとは云い出さない。仕舞いには、ミイラ取りがミイラになったような構図になって、ミイラ取りを担ぐミイラ取りになる。
 こうしたペテンに掛けて、新入部員を獲得していたのである。これを我ながら自称して「天下の詭策」と自負したのである。

 ところが、自称はどこまでも自称で、誰かが私の自称を、「詭策」と認めてもらわないことには、詭策であって詭策でない。
 人から「なるほど」と膝を叩いて、認めてもらって、詭策が詭策として生き、その術者は初めて「策士」と呼ばれるのである。したがって、策士こそ、“謀略家”であり、また“調略家”なのだ。
 この時期、調略家を自負していた私は、“ミイラ取りのミイラ取り”を狙って、《ミイラ取りのミイラ取りのミイラ取り》を遣
(や)っていた。

 これより一年前、私の詭策に、ただ一人、惚
(ほ)れ込んだ男が居た。彼の名を、細木勇太(ほそぎ‐ゆうた)と云う。
 知り合った当時、彼は弱冠18歳の、ひ弱な少年だった。しかし彼は、中々頭の回転が早い男だった。観察眼があって、なかなか抜け目がなかった。知恵者的なところがあった。


 ─────1年前のことである。
 私は人を待っていた。《激剣部》の幟
(のぼり)を立てて、大学構内の、講堂に通じる一劃(いっかく)のベンチに坐って、ただ人を待っていた。

 この日、講堂では、新入生に対し、三日がかりでオリエンテーションが行われていた。
 私の待つ“待人”は、別に誰という分けではなかった。その待人が、今日来るか、明日来るか、明後日に遣
(や)ってくるか、そんなことは分からない、そんな待人であった。しかし、毎日此処に来て、待人を待っていたのである。それも大袈裟(おお‐げさ)な幟を立てて……。

 さて、この日、《今日も待人来らずか……》と諦めて店仕舞するところだった。しかし向こうから遣って来た。遂に、待人が遣
(や)って来たのである。とうとう来たのである。待望の待人が……。

 「おーい、そこの君」
 しかし、“そこの君”は、私が呼び止めたのを無視したまま、通り過ぎようとしていた。
 もう一度声を掛けた。
 「おーい、そこの君。君だよ!」
 それでも知らん貌
(かお)をして、通り過ぎようとしていた。完全に無視していた。振り向きもしない。
 漸
(ようや)く顕われた待人は、実に変わっていた。余程の唐変木(とう‐へん‐ぼく)と検(み)た。偏屈と云うより、もう奇人の域の人物だった。

 「おーいッ、ピカピカの一年坊主!」
 この奇人は、漸
(ようや)く、こちらを向いた。
 「僕の事ですか」
 「そうだよ、君だ」
 「何か、ピカピカの一年坊主に御用でしょうか?」
 「用があるから呼んだのだ」
 「何の御用でしょう?」
 「ピカピカの一年生、よく聞け」
 「何を聴くのです、ボロボロの先輩」
 「うぬ……」
 売り言葉に買い言葉であった。
 この野郎、人の揚げ足を取るのに長けている。智慧も廻る。何て野郎だ。そのうえ俺のことを、ボロボロの先輩と抜かしおった。
 この奇人は揚げ足取り混じりに返答をした。以外にも返答をした。慇懃無礼とはこう言う野郎を言うのだろう。
 《こいつ、変わっているぞ》内心そう思うのだった。奇人だ。本当に変わっている。並みの一年坊主ではないらしい。並み以上なのか、並み以下なのかは依然として不明であった。

 奇人の恰好からして、明らかに一年坊主と直ぐに分かる。真新しい黒の上下の詰め襟の学生服。ピカピカに磨いた新調したばかりの黒の革靴。そして極めつけは、ほんの何日か前に買ったと思われる、目深
(まぶか)に被った大学の角帽。その角帽には、大学の校章がピカピカに光り輝いていた。何処もかしこも、これだけピカピカしていたら、一年坊主は明白だった。もしかすると相当な天才か、その反対の大バカだろう。
 今どき、こういう奇人が大学に入学してくるとは……。
 私は前時代の時代錯誤を夢想した。
 昭和初期ならともかく、今は戦後二十余年も経っている。もはや戦後でないと言われた時代である。そういう時代に、ピカピカの一年生とは。まさに超天然記念物であった。

 「用があるから呼び止めたのだ」
 「一体どんな御用でしょ?」
 「君。策士になってみないか?」これは唐突だった。
 これを聞いて、ピカピカはあんぐりと口をあけた。開いた口が塞がらないという顔をしていた。私を見てバカじゃなかろうか、という顔をしていた。

 入学時、部活を紹介するオリエンテーションで、大学構内をうろついている新入生に、こう声を掛けてみたのだ。そして、声を掛けられた主が、細木勇太
(ほそぎ‐ゆうた)だった。
 私は、初対面の彼に、こう切り出したのである。

 普通なら、こう声を掛けられただけで、掛けた人間の方を《この人は変なことを云うな……》と、こちらを奇人扱して、逃げ出してしまうところだが、彼は違っていた。奇人扱いされる私を、一枚も二枚も上回るほどの、更に奇人だった。
 「えッ!策士に、ですか?」と、訊
(き)き返しながら、逆に、こちらに近付いて来たのであった。それからすると、むしろ私より、彼の方が“超”を付けていいくらいの奇人だった。

 「いいか君。策士と云うのはなァ……。つまりだなァ……、策士なるが故に、策士なんだ」
 「へッー、そう云うもんですか……」
 人を啖
(く)っているのか、驚いているのか、些(いささ)か分かりかねる返答だった。

 「世の多くの凡夫
(ぼんぷ)を見たまえ。この中に策略を巡らす人間が、どれほどこの世に居るというのか。頭を遣(つか)う人間が、どれほど居るというのか。自らは知能労働者などと云いながら、実は、みな肉体労働者ではないか。世の多くは、八時間労働を強いられる肉体労働者だ。その証拠に、肉体を八時間、会社に拘束され、更に社則で蹂躙(じゅうりん)されているではないか。
 頭脳労働と自称するエンジニアだって、体裁のいい、実は高級肉体労働者なんだ。高級奴隷なんだ。この意味が、君、分かるかね?」
 「うわーッ、そういう加害者的考え方する人、好きです。先輩、かなり来てますねえ」と、はしゃぐようにいうのだった。
 これだけで、かなり奇人だった。
 何と私を「来ている」と抜かしおったのである。受験勉強の遣
(や)り過ぎで、果たして頭が訝(おか)しくなっているのだろうか。
 もしかすると、こいつこそ“来ている”のかも知れなかった。

 「人間は本来、首から下を遣
(つか)うのではなく、頭を遣うように出来ているんだ。したがって、上を遣うのと、下を遣うのとは違うんだ」
 「どう、遣うんです?」
 こう、切り返すところを見ると、まだそれほど中身は痛んではいないようだ。脳味噌も正常に機能している形跡が窺
(うかが)われた。

 「わが激剣部は、頭を鍛えてトレーニングするクラブである。運動部の中では、極めて珍しい特異なクラブなんだ。一般的に、運動部と云うと、肉体を酷使して、ハード・トレーニングを遣
(や)り、首から下が頑丈だけで、頭の方がさっぱりと云う人間が集まっているだろ。
 ところが、わが部は、そうした下半身の筋肉マンは、相手にしない。全くお呼びでない。戦いで、一瞬の勝負を決するのは此処。此処なんだよ」と、私は自分の頭を、人さし指で指していた。

 「でも、頭と云っても、色々遣
(つか)い方があるでしょ?」
 「そりゃそうだ。他の運動部の奴らように、脳味噌を筋肉にしちゃァいかんのだ」
 「先輩は面白いこと云いますね」
 「戦いは確かに頭を遣うものだが、根本は智慧だ。筋肉ではない。智慧と筋肉を、ごっしゃにしたらいかんぞ」
 「智慧……でねェ」
 半信半疑で、私をバカにした表情は消えていなかった。

 「おい君、わが部に来ないか?」このように唐突に切り出してみた。
 「面白そうですが、いやに勧誘が強引ですねェ」
 「強引なのは、策士を探しているからだ」
 「僕を策士と検
(み)たんですか?」
 「そうだ、俺は人相学の大家だ」真顔で言い放った。
 「ウソ臭くて、調子良すぎますねェ……」疑い深さを未だに漂わせていた。
 「嘘と検
(み)るか、本当と検るか、それは君の偏見度の度合いと、頭の中身の崩れ具合による」
 「偏見度……、頭の中身……、壊れ具合……それって煽
(おだ)てているのですか、それとも貶(けな)しているのですか?……」
 「それは君の主観によるだろう。二者択一は君に権利がある。君の脳味噌は、人に煽てられて、木に登るブタのように“ヤワ”ではあるまい?」
 「なるほど、人を煽てるのも、貶すもの、いろいろですねェ。なかなかうまいことを云いますね……」
 彼の切り返しは、それなりに、知的レベルに応じた思考の集積のように思われた。18歳のガキにしては知的レベルが高いようであった。

 「主観が確立していれば、他人の言葉にぐらつくこともあるまい」
 「色眼鏡の度合い、と言うのですか?」
 「なかなか察しがいいな。だから、歩いているその他大勢の学生を見ても、誰にでも声を掛けなかった。君のような人物を待っていた。」
 「えッ?僕をですか?……」
 「そうだ、君だ!
 戦後生まれの戦争を識
(し)らない世代は、躰(からだ)だけが立派で、頭が空っぽだ。少しばかり脳があっても、総て“上げ底”だ。暗記力があっても思考力がない。自分で、自分の脳味噌で思考する能力がない。人真似だ。何でも教科書を丸覚えして来た連中だ。教科書の何ページに何が書いてあるか、暗記できても、その内容を、自分の行動と一致できない。一致できない知識なんて、あってないようなものだ。そうだろう。そうした連中は、組織の歯車になっても、歯車を動かす頭脳にはなれない。尻尾だ。尻尾はお呼びでない。
 ところが、歯車を動かす頭が顕われた。遂に声を掛ける頭がやって来たのだ。それが君だ!」総て、煽
(おだて)て文句だった。
 「それが僕という訳ですか?」
 「そうだ」
 「何だか、ウソ臭いなァ……」
 「本来、ウソ臭いところに詭計
(きけい)がある」
 「詭計ねェ……」
 「人間と言う生き物はなァ、本当よりも、ウソ臭いところに好奇心を感じて寄って行くものだ。“清水に魚棲
(す)まず”というではないか……そうだろ?」私は釜を掛けてみた。

 「清水より、濁水の方がいいというわけですか……益々怪しいですねェ」
 「現世は怪しいものだ。清濁
(せいだく)併せ呑むというではないか……」
 「なるほど……物も言いようですねェ」
 「善も悪も綯
(な)い交(ま)ぜの世界で、ひとつ、ひと肌脱いでみないか」
 「では、僕を策士と検
(み)たんですか?」
 「そうだ。君は“ヘッド”だ、尻尾じゃない」
 「これは面白い!人を煽
(おだ)てる言い方も、色々とあるものですねェ……」
 感心するように興味津々
(きょうみ‐しんしん)で、相槌(あいつち)を打ち始めた。
 私は、《遂に、この男は釣り上げたり》と、心の中で叫んでいた。
 
 「かの太公望
たいこうぼう/呂尚)を見たまえ」
 「太公望ですか?……」

 「そうだ。彼は周代の斉国の始祖である。彼は昔、渭水
(いすい)の浜で、釣糸を垂れてい釣り人だった。そこに文王が通り懸(か)かり、文王に起用されたのだ。この時、文王はこの地に狩猟に来たのだった。
 当時は、狩猟の前、必ず《卜
(うらな)い》をする。その時の“今日の、その日の卜(ぼく)には、本日の収穫は、竜や虎などのではなく、覇王を補佐する人物である”という卦(け)が出た。
 文王は釣りをしている老人を見て、《おお、この方だったのか》と言って、その老人を見たのだ。文王は即刻、太公望を起用した。文王が待ち望んだから、“太公望”という。
 彼は、実に読書三昧
(ざんまい)の読者家だったが、天は天文に通じ、地は地理に通じ、また戦においては兵法に通じた。文王に用いられ、武王を助けて殷(いん)を滅ぼした。まさに太公望こそ、策士の鏡だ。そしてその影を、君に見た」と、散々煽て挙げ、引き込むように話してやった。

 「実に、うまいこと云いますねェ」
 「世辞じゃない」
 「僕が、そう見えますか?」
 「見える!」
 「本当ですか?」
 「本当だから、こうして声を掛けておる」
 総て、ハッタリであった。言葉の遊びを楽しんだだけのことであった。ところが、まぐれ当たりで、釣り上げてしまった。そんな感じだった。手応え充分だった。
 《術中に嵌
(はま)ったぞ》そんな手応えを感じたのだった。

 「君。古来インドで、猿を捕まえる独特の方法があったんだ。それ、識
(し)っているか?」
 「ええ、知っていますよ。それは大きな鳥黐
(とりもち)か、なんかを、猿の通り道に置いていて、猿が鳥黐を見て《これは何だろう?》と思って、それを握る。しかし、それは鳥黐なので、手にべったりとくっつく。そこがミソなんです。握った手の鳥黐は中々取れないから、今度は逆の手で、それを除けようとする。すると更に、左右の手にくっついてしまい、とうとう両手は鳥黐だらけになる。そこで猿は更にもがき、これを足で取り除こうとする。そして遂に、足にも鳥黐がくっついてしまい、両手両足に付着した鳥黐を引き離そうと、悪足掻きしているところに、猟師が来て、猿を易々と捕獲してしまう。こういう話でしょ?」

 「猿はそれほど、愚かじゃないんだ!」
 「えッ!どうしてですか?」
 「鳥黐の話は、一般的に斯
(か)くの如く信じられているが、これはあくまで仮託であり、挿話なんだ。方便としての、単なるエピソードに過ぎないんだ。小話だよ、小話」
 「この話、小話だったんですか?」
 「そうだ。ちょっとした程度の“方便”話だよ。まあ、寄席落語の一種だよ」
 「じゃァ、どういう風に捕まえるんですか?」
 「猿は霊長類だろ、人間に続く」促すように問うた。
 「はい、そうですが。進化の過程で、モグラから分かれ、歯ならびに、四肢は特殊化していないが大脳はよく発達し、顔が丸く、両眼視ができる。そして指は、物を掴むのに適している。これが霊長類の生物学的定義です」

 「そうだ。君は、“生物”もよく勉強したと見える。
 さて、人間も《サル目ヒト科》の霊長類だ。現存種はホモ・サピエンスという。だから、猿は鳥黐を見て《これは何だろう?》と思って、それを握るほど馬鹿じゃない。馬鹿じゃないから、仕掛けは、もっと智慧を遣わなければならない。つまり心理に訴えなければならない。この心理とは、何か分かるか?」
 「うーん……」
 彼は此処で唸
(うな)ってしまった。
 「それはだな、“欲”と“得”の両方が備わっていなければならないのだ」
 「うん、なるほど……。“欲”と“得”とは、中々うまいことを云いますね」
 細木は、更にこう云って乗って来た。彼は、一重にも二重にも、何回も、釣り上げられていた。

 「そこでだ。猟師は30cmほどの立方体の網籠
(あみ‐かご)を用意する。この籠の網の目の太さは、猿の手がやっと入るほどのものだ。そして、この籠の中央にバナナを一本入れておく。これを猿の通り道に仕掛けるのだ。もう、この後は云わなくても想像が付くだろう。“欲”と“得”とを、絡ませれば……」
 「なるほど。実にうまい手ですねェ」感心したようにいう。
 「うまい手だから、これを《奇手》と云う」
 「なるほど……」
 「奇手の《奇》は奇数を著わす。奇数は“2”という数字で割り切れない。いいか、ここなんだよ。偶数とは違うんだ」
 「それで?……」
 「訊
(き)きたいか?」
 「はい、是非」
 「訊くには、些
(いささ)か“木戸銭(きど‐せん)”がいるぞ。それでも訊きたいか?」
 「乗りかかった舟です、最後まで御静聴しましょう」
 「では、聴かせてしんぜよう。“2”で割り切れる数が偶数で、いわば『陰』であり、陰は“マイナス”を顕す。一方、“2”で割り切れない数を奇数と云い、それ自体は独立している。つまり『陽』だ。
 したがって奇手の《奇》は“珍なるもの”の意味を含み、“隙
(すき)狙い”の意味を持つ。隙は油断であり、欲のあるところ隙があり、また得として利益のあるところ目先で動く行動律ある。
 しかし、これこそマイナスの行動律であり、一局面的には得をしたようであっても、大局的には損をする。つまり、然
(しか)るは、一本のバナナの為に、自分はバナナを手に入れるのだが、自分もバナナごと、生け捕られてしまうのだ。
 《奇》は奇略の奇でもあるから、奇の裏には“欲得”に絡ませた仕掛けがある。仕掛けた方は奇手を遣うからプラス。仕掛けられて策に嵌った方はマイナス。この陰陽は、実に“欲”と“得”に明暗を分けている。つまり虚と実だ。
 仕掛人は“欲”と“得”の二つ、つまり“二数”を用いて被験者に損をさせる。だからマイナス。そして、この仕掛けに、“欲”と“得”の二つで、うっかり手を出すから、猿は生け捕られるのだ」
 「実に“欲”と“得”とが、しっかりと絡み合っている……うまい組み合わせですねェ」
 「そうだろ」私は相槌を求めた。
 「なかなかです」
 「君も奇策くらい分るだろ。
 さて、“欲”と“得”の二数だから、この場合は面白いのだ。欲だけでも、得だけでも、単体になれば功を奏しない。欲と得の心理があるから、二数は絡み合う。それも二項定理で。各項の係数は絡み合う。
 俚諺
(りげん)にも云うだろ、“二頭追う者は一頭も得ず”と」
 「いい発想をしますね」
 「つまりだ。“欲”と“得”の二数で追えば、眼が晦
(くら)まされるばかりで、実体が見えないのだ」
 「いやー、先輩の講釈に感心しました。これこそ“海老
(えび)で鯛(たい)たいを釣る”奇策ですね。少しばかり、詐欺師の匂いもしますが……」
 「なぬ……」
 「これは失言でした」
 「さて、お立ち会い」私が調子づいていた。そして言葉を続けたのである。
 「海老で鯛を釣っても、海老は鯛に喰われるだけだ。海老は失われ、鯛を釣り上げたとしても、鯛だけだ。ところが、猿の生け捕りは、バナナも無傷のまま帰ってくるし、猿も生け捕れる。奇策とは、こういうものを言うのだ」
 「なるほど、なるほど……」
 「かの有名な『魯堂雑話
(ろどう‐ざつわ)』に“才芸もなくして高官を得んとす、是(これ)も蝦(えび)にて鯛(たい)を釣らんとする人なり”と卑(いや)しめている。これは奇策でないからだ。野心だけが旺盛で、その魂胆が見えるからだ」
 「益々感心しました。講釈を拝聴させて頂いた木戸銭
(きど‐せん)といっては何ですが、ひとつ、先輩の激剣部に入部金と部費を納めて、策士として入部しましょう。しかし、僕は策士として入部するのであって、首から下を遣う、野蛮な肉体労働は、ご遠慮します。首から上だけでお願いします、脳味噌を筋肉にしたくありませんから……」
 「よかろう」
 こうして入部したのが、実はマネージャーの細木勇太だった。

 猿の通り道に置かれた網籠の仕掛けには、籠の中央にはバナナが一本置かれている。此処を通りかかった猿は、籠の中のバナナを金網の目から手を突っ込んで、これを取ろうとする。そして、遂にバナナを掴み取るのだが、バナナを握っている為に、網の目から自分の手を抜き取ることが出来ない。
 バナナを捨てれば手が抜けるのだが、握っているバナナが邪魔して、どうしても手が抜けない。手を抜き出したいのだが、バナナも欲しい。結局、バナナを捨てれば済むことなのだが、欲が絡んで捨てることが出来ない。これはバナナを握ったまま手を抜こうとするからだ。

 この“欲”と“得”の構図は、同じ霊長類の人間社会の構図にも、どこか酷似しているではないか。そして最後は猟師から生け捕られるのだ。
 この構図を、細木は《面白い》と云って、わが激剣部に入部したのだった。人間社会に自分の策士としての腕前を、試してみるらしい。彼は一種の、まさしく奇人中の奇人だった



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