運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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吾が修行時代を振り帰る・第二部 1

吾が修行時代を振り帰る 第二部







『人間の條件』(昭和34年)映画ポスターより。
旧満洲を舞台に物語が展開されるが、この映画はその後、テレビ化
(昭和36〜37年頃)もされ、これを見た筆者にとっては、すごく衝撃的だった。

60年安保闘争
護憲運動における「日本国憲法第九条」を守れのスローガンで国会議事堂の前をデモ行進する学生や労働者。



 この世には作用と反作用の「理(ことわり)」が働いている。何ぴともこの理の法則下に規制され、制約されている。この理から逃れられる者は誰一人としていない。この世に生を享け、死ぬその日まで始終制約を受け、その法則下で生きることを余儀なくされる。
 この世は作用と反作用によって、現象界は成り立っている。したがって、本来一方的と言うことはない。そしてその証拠に、この法則下で栄枯盛衰
(えいこ‐せいすい)の理が働いている。

 更に言及すれば、この世は清濁
(せいだく)併せ呑む世界である。善悪混合の世界である。全訳は混じり合って「この世」を形成している。
 したがって、善人が居る分、悪人も居る。また悪人の分だけ、善人も居る。双方は、ほぼ相半ばする。善人だけがこの世を支配することも無いし、悪人だけが支配して悪人の世が訪れると言うことも無い。

 また、如何なる人もあるいは如何なる団体も組織も、支持者の分だけ、非支持者がいる。一方的に何れかが全部を支配して、支持者を獲得すると言うことはあり得ない。その分だげ反対勢力も存在する。
 これは生物の細菌の世界を見ても同じだろう。

 ウイルスという特異な宿主細胞に寄生する人や動物ウイルス・植物ウイルス・昆虫ウイルス・細菌ウイルスなどの病原体は、生体が抗原の侵入に反応して体内に形成する物質に抗体が働く。
 この場合、特定の抗原と特異的に反応する現象を起こす。

 その場合、凝集・沈降または抗原毒素を中和するなどの作用があり、生体にその抗原に対する免疫性や過敏性を与えるのである。抗原という特異反応を起こすのである。
 この反応下には、叩けば叩くほど強くなると言う現象を起こす。生体に、異物的な高分子物質が抗原として作用するのである。
 叩けば叩くほど強くなる。
 作用に対する反作用である。

 ここが生物の奇妙なところだが、叩かれれば叩かれるほど強くなり、叩いた分だけ強くなる。結局「撲滅」などという人間の思い上がりの豪語があるが、決して完全完璧の撲滅など出来ないのである。清濁合わせのみ、善も悪も綯
(な)い交ぜなのである。

 かつて結核菌は撲滅されたと豪語していた人類は、これを人類の勝利と宣言し、人類の知識を高らかに宣言した。その知勇を誇った。
 ところが最近では撲滅された筈の結核菌が長い眠りから眼を醒まし、復活したと聴く。根絶やしにしようとしても、生きているしたたかさがあれば、生きるものは生きる。



第三章 “気違い”と揶揄された妻をかかえて



●人間の条件

 人間社会とは何だろう。
 また、現代は世界の大半の国がデモクラシーを標榜している。そして、その背景に「人権」と言う不可解なものが横たわっている。その根拠に、法治国家の存在があり、その法的ルールに従い人々は生活をしている。
 だが、法的ルールのみに傾き過ぎ、例えば裁判において「真実の追究」ということが極度に加熱し、そこにエネルギーが投入されたとき、この真実は一人歩きをし、一方で恐怖の禍根となる。

 例えば、何が何でも事実を発見しなければならない。真実を明確にしなければならない。
 こう言う形態のイデオロギーが貫かれたとき、真実の探求のためには何をしてもいいという論理が先行する場合がある。あたかも一つの事のみに狂信して、正義の名を振りかざし、正義のためなら何をしてもいいという妄信が発生すると、今度は「正義」と言う名の狂信的正義漢の主が猛威を揮い、正義と言うなの真実追求となれば、正義は容易に人を殺すことになる。

 この例を挙げるなら、「田中角栄とロッキード事件」の関連である。この関連に、果たして真実は存在したのか。真実の追求のために狂信的な正義が遣われたのではなかったか。その懸念と痕跡が大いにある。
 朝日新聞の投稿記事
(1982年12月25日付、朝刊)に次のようなものがあった。

 〈田中角栄さん恥の心知って〉
 22日のロッキード公判で、田中角栄さんは無実を訴え通した。田中さんは有能な政治家で、地元のために巨額の税金をまわし、打算私欲のソロバンの上に立つ人たちに選ばれて国民の審判、みそぎを受けたと言っているが、肝心の人の心が狂い、乱れ、濁っていては世の中はよくならない。
 人と禽獣の異なるところは、恥を知ること、敬うということを知ることである、と古人は教えている。六年有余にわたる審理の間、一片の反省もなく、黒を白と言い張り、ゴリ押しする姿は、免
(まぬか)れて恥なしどころか、免れざる恥なし、で寒心に耐えない。
 田中さんに残された唯一の救いの道は、われ過
(あやま)てりと、素直に身の不徳を猛反し、「慎独(しんどく)」の実践に徹することだ。
 まれにみる優れた才能、手腕を、砂上の楼閣に等しいものに我執していては、汚名を千載に残すだろう。いまはもう五億円の教授うんぬんだけでなく、人間性、人格そのものが問われている。田中さん恥を知ってください。
                       
(1982年12月25日付、朝刊より)

 この投書には、あたかも日本国民を代表したようなイメージを抱かせ、日本人の大多数の意見が総てこの投書に集約しているような錯覚を抱かせる。これだけで、ここにはイデオロギーが正義を振りかざし、人を殺すと言う現実がある。
 問題なのは、この投書が、「こういう考え方、こう言う物の見方をする」ということならば、それは一つの考え方や、一つの見方で何ら問題ないが、しかしこの投書が、最大手ジャーナリズムの記者が選び抜いて採用したというところである。ここには、一般人もジャーナリストも同じように考える人がいるという現実下で、デモクラシーが標榜され、同時に、ここまでデモクラシーが誤解されてしまっているのかという極めて重大な問題点が浮上して来るのである。

 この投書の主は、一人の極めて真面目に生きている真摯
(しんし)な老人であろう。あるいは思い込んだら最後、梃(てこ)でも動かない、もう二度と訂正をしない頑迷一徹の人であるかも知れない。そして「極めて真面目に生きている真摯な老人」からの投書ということで、清貧かつ正義という図式をジャーナリズムが作り上げ、この図式をもって「田中角栄裁判観」が、全日本人を代表しているかのようなイメージを植え付け、それが日本国民の角栄裁判観に一致している錯覚を抱かせている点である。

 当時の新聞で、田中角栄の「人権蹂躙
(じゅうりん)」を報じる新聞は一社もなかった。一方的に悪者にされた。
 また別件逮捕と言う姑息な手法が遣われた。別件逮捕は、まだ証拠が揚がっていないのに、例えば殺人容疑者を交通違反などの微罪で逮捕して締め上げる、一種の拷問的な手法である。これは本来憲法違反でないにしても、明らかに人権蹂躙で、本来ならばジャーナリズムは神経質になるところなのだが、田中角栄については、こうした神経は遣われず、頭から悪人としてストーリーが描かれ、筋書きが決め付けられてしまっていた。
 つまり、当時の田中角栄は「五億円の収賄容疑」で逮捕されたのではなかった。外為法違反と言う、別件逮捕だったのである。
 そして田中角栄に「懲役五年」が求刑されたとき、当時の社会党議員団が提灯行列まで遣らかしたのである。
 既にこの時、日本のデモクラシーは死に絶えたと言ってもいいだろう。

 そのため、そこには日本人の裁判観が「求刑と判決がほぼ同じと思い込んでしまう」ところにある。
 これは裁判所と検事が一心同体の構造をなしているからである。まさに江戸時代である。
 またこの思い込みの背景には、裁判官と検事とが一心同体かつ同一共同体に属しているという錯覚もある。要約すれば検事が求刑し、その求刑通りの判決を裁判官が下すであろうとから固く信じてしまうことである。これでは本来の裁判は機能していないことになる。
 つまり江戸時代的な日本人の裁判観が、現代の世にも引き摺っていることになる。

 これは少し考えてみれば分ることだが、どう考えても、検事が起訴した場合、被告は殆ど無罪になり得ることはないのである。この背景には有力な証拠が握られているからである。
 ところが、証拠の中に臆測が含まれていたらどうなるのか。
 デモクラシー下の裁判と言う者は、必ず有罪であることの証拠を提示し、普通ならば合法的に手続きをして行くものである。そしてその証拠が合法的な手続きによって為
(な)されたのであれば何ら問題はなく、しかし、証拠としての完全なる合法性に欠けている場合、そこには問題点が発生していることになる。

 つまり提出された証拠や、その証拠を裏付けする第三者の発言に意図的な捏造と臆測が含んでいる場合、これは完全なる証拠となり得ない。そうなると証拠を提出する場合の完全なる手続きを踏まず、臆測までもが加味されていると言うことになる。
 そしてこの状況下では検察の求刑通り、裁判官もその判決を下すことになる。
 根本的な間違いは、証拠の完全なる手続きにおいて、臆測は含まれていて、被告は弁明も出来ず、それに対し異議申し立てが出来ないような状況下での裁判は、端からデモクラシー裁判ではないことになり、被告を最初から落し入れるための意図的な誘導があったことになる。

 ところが、多くの日本人に、この問題点に関心を寄せる人が以外に少ないのである。
 特に、一般人やジャーナリストにあっても、更には法曹界にあっても、この問題点に注目する人は少ない。この問題点を見逃している場合が多いのである。
 この図式の中には、「検察の求刑」イコール「裁判官の判決」というものが同一性を持っていることで、決着は最初から付いているものに「裁判」と言う儀式をしたに過ぎないと言うことになってしまう。この意味で、こうした裁判は江戸時代的であると言えよう。少なくとも、デモクラシー下の裁判ではない。

 デモクラシー裁判においては、状況証拠が如何に揃おうと、確定的証拠がなければ、これは絶対に無罪。デモクラシー裁判の窮極の目的は強大な国家権力から国民の権利を守ることを主眼とする。また、デモクラシー裁判裁判とは、検事に対する裁判。したがって検事は、行政権力の代理者である。この権力は絶対権力を意味する。それゆえ検事の出す状況証拠のうち、一つでも疑う余地が発生したら、これは無罪。
 また証拠のうち、それが確実な証拠であったとしても、証拠収集に不正があり、あるいは法的な欠陥があったら、少しでも臆測が混じっていれば、これも無罪。
 これがデモクラシー下の裁判である。

 したがって、証拠が完全なる合法的な手続きによって得られた証拠だけが、証拠として裁判に持ち出せるこの重要な命題を見逃し、デモクラシー裁判の形態を踏まえている場合が、近代民主主義の法治国家のあり方である。
 もしこれが合法的な手続きにより、証拠提出がなされ、横槍的な画策の意図もなく、また起訴する検事と裁く裁判官とが、一心同体でなく、同一共同体でない場合のみ、デモクラシー裁判は成立する。これ以外は民主主義の説く三権分立は崩れ、国民の政治的自由を保障するため国家権力の形態はなさなくなることになる。その中でも、司法権は司法作用を行う国家の権能をいう。
 その場合、裁判官は総ての権力から独立し、憲法および法律にのみ拘束されている。また検事は裁判所から独立していなければならないが、日本では裁判所不在のためか、裁判官と検事官が一心同体になって「お上」を形成している。
 あたかも江戸時代の、『大岡越前』の世界であり、また『遠山の金さん』の世界であり、はたまた海外へ飛んでシェクスピアの『ヴェニスの商人』における「ポーシャの裁き」の如きなり、時代は決して近代的な方向へと進んでいないことになる。

 そして私自身も、時代的には江戸時代の上記の、デモクラシーとは程遠い一方的な正義感に燃えた集団により指弾され、捏造されたウソだけがあたかも事実であるかのように一人歩きし、その被害を一身に被ったのである。
 証言などにおける発言の中で、信憑性を疑われる文言が含まれ、その文言が意図的な捏造や臆測である場合、これは証拠とはなり得ない。証拠でない事実無根が、熱狂的かつ狂信的信者によってこれが信じ込まれた場合、それがあたかも真実のように一人歩きし始めるのである。
 そうなると、一個人の人権など無慙
(むざん)に葬り去られ、執拗な被告叩きが行われる。一種の言論によるリンチである。

 「講釈師見て来たようなウソをいい」という川柳があるが、ウソの容疑でも一度掛けられれば、その軍門に屈する場合がある。それに搦め捕られる。
 見て来たようなことを言うのは、そもそも証言そのものに信憑性と信用性が無いことを、某氏自ら暴露しているようなものである。一方的に、わが方を悪者にするための意図が窺
(うかが)えよう。
 読者の中で察しがいい方なら、この某氏だ誰であるか容易に想像がつくだろう。
 更に、世の中には某氏の捏造のウソを一途に信じ「いつまでも図々しく大東流を名乗って……」と一方的な正義感を振りかざして憤りを感じている人もいるようだが、当時来訪された大東流合気武道宗家の武田先生からは、むしろ「同じ技を稽古している者同士です。一緒に遣りませんか」と、お誘いを受け、同時に大同団結に参加を促されたくらいだった。つまり武田先生の名誉を傷付けているのは、某氏のような一部の捏造者により、事実を歪めていることである。

 昭和50年代半ばの話を、平成3年7月に、某氏は『合気ニュース』でも捏造している。この言だけで、一方的であり、暴力である。有無も言わせぬ遣り方だったといえよう。
 また、平成4年頃、がわ流の進龍一と神田神保町の愛隆堂を訪れた際、帰りに模造の居合刀を売る武道具店に立ち寄ったが、ここでは合気ニュース刊行の『大東流合気柔術』なる本が売られていた。そして、この本の中にも某氏が捏造した文がそのまま掲載されていた。

 また、この捏造文が以降一人歩きし、武田先生の「おい、こら」から始まり「青くなって頭を下げた」という作り話が捏造されており、これは西郷派を葬り去るための口実だった。作られた口実だった。目的は西郷派を葬り去ることが目的で、葬るために、後で口実が捏造されたと言うべきである。

 このウソが世間で定着して罷
(まか)り通り、これに対して、進龍一は「こうしたウソの記事は、後日の証拠として、名誉毀損になりますからこの本自体を買っておかなければ駄目ですよ」と注意されたくらいである。

 「何故大東流を名乗っているか」は、これを強調するために、「青くなって頭を下げた」という筋書きが出来、この筋書きに武道ファンの多くが乗せられ、中には猪突猛進なる正義感に情熱を燃やす人間を誘発させ、一旦こうした空気が充満して来ると、何ぴともこれに抗し得なくなり、ついには異常な熱気となって「いつまでも図々しく大東流を名乗って……」という風説が湧き起こったのである。そして今では、半ば常識化されている。
 それが誤報であろうと、何であろうと構わなくなる。確定的な空気が世人の常識を呑む。そうなると口々に、猛反省しろ、恥を知れなどの、喚きたてるばかりのヒステリー現象が巻き起こって来る。

 青くなって頭を下げた……、このウソを真に受けた人も、多く居ると訊く。背後には某氏の意図的な煽動であった。同時にこれは事実無根のウソだった。
 一方的な正義感で憤っている御仁は、熱烈な大東流ファンであろうと思われるが、それを同物語に対し「直ちに削除せよ」とは、何と言う傲慢
(ごうまん)であろうか。あるいはこの物語自体が煙たいのだろうか。そのうえ話し合いの余地もなく、問答無用であり、ズバリ言えば理不尽なる脅迫である。
 この時代に、見て来たようなことをいい、身に覚えの無い事実に対し、白黒はっきりし難いことを言論で脅すとは驚きである。

 この状況下では、被告の人権などは最初から守られる訳もなく、事実無根であっても槍玉に挙げられ、意図的な宣伝材料に遣われ、もう指弾する方の謙虚な人柄は喪失し、「何が何でも叩く」という、正義の名を借りた指弾が始まる。弁明も、聴く耳持たぬ一方的な正義感に酔った者に、「問答無用」と一蹴され寄って集った粉砕されることになる。
 こうなると臆測から始まった推測発言は勢いを帯びる。やがて常識化されて一人歩きし、その勢いがやがて正義漢ぶった「脅し」や「威圧」となって、叩かれる方の人権は益々無視されて行くことになる。かくして江戸時代が、そうだったように……。

 そして一度このような縮図が出来上がると、事実無根がデマが一人歩きし、その槍玉に挙がった者は、“大ウソをつき、世人を欺き、偽りを言って世を誑
(たぶら)かす大悪人”となって、問答無用の鉄槌を下す被疑者とされてしまう。
 容疑者は犯罪者の図式が日本にはあり、日本人の裁判観はここに集約されて言っても過言ではあるまい。
 何でこれで、デモクラシー国家と言えよう。前近代的な、江戸時代の「お白洲
(しらす)」である。

 現代の日本人の裁判観は江戸時代と全く同じである。少しも変わっていない。
 現に、テレビ時代劇で『大岡越前』や『遠山の金さん』が活劇物として、また裁判物として大受けしているのは、日本人の裁判観が少しも変わっていないことを顕している。
 それ故、日本人は今の時代にあっても、裁判所と検事が、ひと纏めして「お上」なのである。容疑者は否応なく江戸時代さながら、お白洲
(しらす)の上に引き立てられる。一度、お白洲で控えを命じられたならば、余程、罪状を覆すか明確な証拠が挙がらない限り、日本国の法律は社会通念より重たく働き、引き立てられたという事実で半ば有罪が確定する場合が多い。仮に、後に無罪を勝ち取ったとしても村八分は免れない。最初から容疑者は罪人扱いなのである。

 さて、日本ではデモクラシーを標榜するが、デモクラシーとは程遠い。
 また、デモクラシー下の民主主義の世の中では、誰もが安易に“生命の尊重”という言葉を口にする。
 “生命は尊重すべきもの”と、多くの日本人が思っている。
 ところが、人の生命など、真剣にこのように考えている人間など、そんなに居ない。むしろ、人の生命は尊重すべきだと考えるくらいの同数の、人間が今度は逆に、「あいつは死んで欲しい」と願っている同数もいるのだ。

 そして「あの人には生きて欲しい」と尊重する数と、同じくらい、また逆に「あいつには死んで欲しい」と願っている同数の人間がいるのだ。
 “清濁
(せいだく)(あわ)せ飲む”この世では、善人の数ほど、また悪人もいて、それはほぼ、相半ばして釣り合っていると考えられる……。これが現象人間界の事実なのだ……。これこそ人間が、人間に対する憎悪なのだ……。

 また《人間の命は、地球よりも重い》などと誇張する者が居る。
 しかし、この主張の裏には、一般庶民の命は含まれない。この辺を多くの日本人が誤解しているが、《地球より重い》というのは政府要人か、それに準ずる人の命であり、“VIPの命”が重いのであって、底辺の庶民の命ではない。況して、“世間様の目”が後ろ指を指すような、精神障害者の命は、果たして重きが置かれているのだろうかと思うのである。
 むしろ、紙よりも軽い命ではないかと思うのである。
 そんなことを思いつつ、私はその時、車上の人となっていた。

 私は平成2年9月17日、午後6時25分の“ひかり号”東京行最終列車に乗った。
 この最終列車に乗れたのは、間一髪
(かん‐いっぱつ)だった。これが私の運命の分岐点であったと云っても過言ではないだろう。私のこの後の運命は、この“一事”に懸(か)かっていた。

 夕闇
(ゆうやみ)迫る新幹線のグリーン車の二階建ての車窓から、これまでのことを振り返りながら、「人の生命とは何だろう……」ということを考えていた。
 それに一人残して来た家内のことが、何とも気掛かりだった。

 “精神分裂病……”
 この言葉ほど、私を憂鬱
(ゆううつ)にさせる言葉はなかった。患者本人ひとりが苦しめば済むと言うものではなかった。その家族も、それ以上の精神的負担が懸かり、恨(うら)めしい「世間様の目」を相手にしなければならなかった。
 この「世間様の目」と対抗する為に、家族は、患者以上に烈
(はげ)しい戦いを強(し)いられる。
 だからこそ、「人間の生命とは何か?」あるいは「生命の尊厳とは何か?」と考えてしまうのである。

 曽野綾子氏の小説『神の汚れた手』
(曽野綾子著、朝日新聞社。昭和55年2月10日第一刷発行)の中には、1972年にフレッチャーという人物が発表した『人間の基準』というものを紹介している。

 『人間の基準』には、人間らしい状態を示す基準として15項目を挙げ、“人間の恰好をして生きていても人間でないような人がいる”ということを発表し、人間の条件としての判定を下している。
 これによると、次の15項目が判定を下す為の基準となっている。

最小限の知性。スタンフォード・ネビー式知能検査で40以下、またはそれと類似したテストで知能指数40以下の人は、「人間であるか?」が疑わしい。20以下は、人としては通用しない。
自己の認識。自分を意識する認識である。また自分を自分として理解することである。
自制。もし狂った状態が、医学的に矯正できなければ、自制のない人は、人間でない。
時間の感覚。時の経過の意識と、時間を配分するのに必要な感覚。
未来についての意識。来るべき時についての感覚、期待と計画。
過去についての意識。過ぎ去った時についての意識、または記憶。
他人との係わり合いを持つ能力。個人相互間および広く社会との関連を含む。協調性も問うている。
 また離人症のように、自己、他人、外部世界の具体的な存在感や生命感が失われ、対象は完全に知覚しながらも、それらと自己との有機的なつながりを実感しえない精神状態では駄目なのだろう。
他人への関心。この特性が実際に果たす役割については議論のあるところであるが、それがなければ精神病理学的検討が必要となる。
意志の伝達。気乗り薄なために意志の伝達ができない状態を指すのではないが、意志の伝達ができない完全に孤立した人は、人間でない。それは恐らく、音声での意思伝達あるいは文字伝達のような、意思が伝えられなければ、もう人間でないと言うことなのだろう。
10
存在の調節。【註】フレッチャー著『人間の基準』の原文を読んでない為に註釈不明)
11
好奇心。【註】フレッチャー著『人間の基準』の原文を読んでない為に註釈不明)
12
人の心と行動の、変化と変化し得ること。
13
理性と感情の平衡。人は沈着冷静なほど理性的でもないし、完全に感情に任せっ放しになることもない。何れかが極端に働くことはなく、一旦何れかに傾いたとしても、静まればやがて均衡を保つと言う。したがって、何れかに極端に傾き、そこから戻らな者は、人間でないと言うのだ。
14
個人の特質。本人であることを認識しなければならない。そうでない人は、もう人格を崩壊させていると言う。
 今日では統合失調症と言うが、精神状態が分裂している人は、人格の自律性が障害されているため、周囲との自然な交流ができなく、ゆえに人間でないと言うのだ。
15
新皮質機能。他のすべての特性は、これによって決まる。死を決める場合に、脳の機能が正常か、否かが問題となる。脳が正常でなければ、自分の死すら認識できないと言うのであろうか。

 同書の中で以上を、曽野綾子氏は“全体としておもしろいけど、危険な判定”としている。
 人間がこのように、問答無用に《気違い》と一蹴
(いっしゅう)されてしまうことは、危険な考えと言える。その言葉には、人間が人間でないと指摘する“棘(とげ)”が隠されている。廃人を葬ればいいということでもないだろう。

 この鋭い棘に接触した場合、人間でありながら、人間としての人格と資格を失う。
 フレッチャーの著書『人間の基準』は、こうした恐ろしいことが書かれているのだ。
 掲載の15項目の“一つ”でも触れれば、もはや人間ではなく、「人間失格」と言うことになるからだ。これ以上に、人間を軽視し、侮蔑
(ぶべつ)する危険な考えはあるまい。知的レベルから、廃人を見下す驕(おご)りである。

 そしてナチスドイツが、かつてやらかした、精薄児や精神病患者は、世の中の為に何の役に立たないから、総
(すべ)て抹殺しろというのだろうか。
 何
(いず)れもが恐ろしいだけでなく、理屈好きの小賢しい、知識階級の自惚(うの‐ぼ)れが見え隠れしているように感じられてならない。

 私は思うのである。人間の幸福や不幸と言うものは、何
(いず)れかに偏っているのではなく、それは総ての人間に、等量に、均等に、平均値を半ばして、公平に分配されているのではないか、と。
 したがって極端は不幸もないし、極端な幸福もないのである。一生涯、極貧の病苦にあって持ち直さないまま終わる人も、あるいは大富豪まで伸し上がって取り巻きにかしずかれたり、一世を風靡
(ふうび)して、権力者として権勢を揮ったとしても、人それぞれに悩みと苦しみを抱え、幸・不幸も半ばで均等しているのではないか。
 そしてこの考えは、決して甘いとは思えないのである。

 人の不幸や幸福と言ったものは、端
(はた)から“他人の目”で覗(のぞ)いても、結局、分からないのである。その人、本人が感じている、感覚は“他人の目”では理解できないのである。何不自由なく、物質的に恵まれた生活をしていても、あるいは権力を手に入れ権勢を揮っていても、それはその人なりに、底辺庶民が抱く同じ程度の苦悩は抱えているのである。

 大富豪でも、家庭不和や、財産分配でのお家騒動や、それに準ずる問題を抱えていたり、自分自身に早死にする持病を抱えていたり、スポーツ選手として、一世を風靡
(ふうび)し世間からちやほやされて有頂天に舞い上がっていて優越感に浸っていても、悲惨な交通事故で横死するような運命を抱えているであろうし、逆に、極貧の直中に居て、借金苦に苦しんでいても、五体は満足で何とか健康だけは維持しているという人も居よう。

 そしてこれらの一切は、周囲からは愚かしく見えても、この中で喘いでいる場合、その幸・不幸は、これを半ばにして、均等に吊り合っているのである。
 したがって、『人間の基準』なるフレッチャーの著書は、ある一部は適切であろうが、それに均衡する等量の不敵切な部分があろうと思われる。



●私怨

 私はまだ、東京行きの新幹線の中で、ある過去の出来事を回想していた。
 それは、人間には誰一人として例外なく、「私怨
(しえん)」を抱いて生きていることであった。
 私とて、それは例外ではなかった。

 人間は誰もが“私怨”を持ち続けて、それを原動力にして生き続けている。そして、人間の一切の原動や思想や政治理念は、まさにそこに集約されるだろう。人間は私怨により、生きる原動力を見出すものである。
 また、この個人的な「恨み」である、私怨により、精神構造の正当性を考慮し出すのである。

 一般に、「私怨」などというと、眉
(まゆ)を顰(ひそ)められる対象になるものだが、それは“個人的な怨(うら)み”がドロドロしてる、と連想されるからである。
 しかし、遺恨
(いこん)の本質は、「恨みを晴らす」というのが実体であるから、この“想い”こそ、人間を奮い立たせる原動力になり得るのだ。

 人間は不当な扱いをされれば、それに対して必ず「怨み」を抱く。この「怨み」を軽視してはならない。また、軽視して扱われるものでもないはずだ。
 何故なら人間は、たった“パン一切れ”あるいは“おにぎり一個”でも不当に取り上げられて、他人から喰
(く)われてしまったら、「オレの“パン”とか“おにぎり”は、不当にも取り上げられて、あいつに喰われてしまった」ということの無念を、生涯記憶に留(とど)めるのである。
 「食べ物の怨みは恐ろしい」というが、何も怨みは、食べ物だけとは限らない。

 こうした一個の“おにぎり”という、いわば高の知れた、些細
(ささい)な食べ物ですら、生涯忘れないような私怨を残すのだから、人間関係と言うこの構造の中には、「こんな些細なもの」が含まれ、これは個人的な怨みになって、いつまでも心の堆積物になって、心の中に残留するのである。

 そして、人間の描き続ける想念の中には、例えば、頭が悪い、才能や素質に恵まれなかった、醜男
(ぶおとこ)や醜女(しこめ)に生まれた不器量さ、背が低い、デブなどの肉体的欠陥をはじめ、生まれが貧乏で家柄が悪く、名士に属する旧家でもなく、極貧の中に育ったなどという理不尽な概念。あるいは、血縁の成分・分子としての親の血筋が悪い、親が知的でない、あるいは学がない、兄弟姉妹に精神異常者や性格破綻者が居る、経済的に破産した者が居る、自分は二流以下の大学出身者である、たいした学歴を持っていない……など劣等感が人生について廻り、青少年時代から憑(つ)き纏(まと)っているのも、一つの私怨になり得るのである。

 人間の世の中である、“
現象人間界”の構造は、その構造自体が不完全で、相矛盾する人間の行動や、悪意に満ちた言動が何処にも蔓延(はび)っているのである。此処には、誰の力を以てしても、どうしても解決できない「悲哀」な一面が横たわっている。
 そうした「悲しみ」をはじめとする、こうしたものは、人間の心の片隅に、いつまでも残留するものである。
 そして、これをさらりと忘れて、昇華できる聖人と言われるレベルの人間は、そんなに多くない。
 何かしら、不当な運命に対し、あるいはそういう運命を強
(し)いた人間に対し、人はいつまでも「私怨」の気持ちを抱き続ける。それを引き摺(ず)って生きている。生きる原動力の側面には、こうした私怨が働いているのだ。

 この、どこに訴えていいか分からない「私怨」は、人それぞれに、大なり小なりの“怨み”となって、胸中を燻
(くすぶ)っている。そしてこの“怨み”が、自分の不遇な時代を形作り、その時に、不当な扱いをしいた人間を何処までも恨み続け、その人間が死ぬまで、それは決して消えることがないのである。
 こうした個人的な怨みは、大半の一般人から見れば、一種独特の“無気味さ”で伝わるかも知れないが、この「内なる雄叫
(おたけ)び」こそ、人間の生きる原動力となり得る。

 私自身にも、決して忘れることの出来ない「私怨」がある。私怨があると言うより、私怨を抱かされた、と言うべきだろう。
 私は本来、楽天主義者だった。嫌なことは直ぐに忘れる性格だった。

 ところが、私に私怨を抱かせ、奮い立たせる事件が起こった。あの忌わしい「八幡大学合気柔術部造反事件」である。
 この事件を意図的に、挑戦的に仕組んだのは、いま“大東流合気武道九州総支部長”の肩書きを持つ熊本県の西某だった。それに造反を計画する為に、共同謀議をしたと思える、当時“八幡大学合気柔術部OB会長”を名乗る香川県の横田某だった。共同謀議で、画策されたのだった。まるで私はシナリオ通りの“晒し者”となった。

 この時の、造反が生じたその当日、彼等は計画的に造反を計画し、徒党を組んで、当時、八幡西区千代ヶ崎にあった尚道館に押し掛けたのだった。この当時、尚道館には、小・中・高校生を対象にした進学塾が隣接されていた。そして、二人の子供を産んだばかりの家内も、この進学塾の講師として働いていたのである。

 そんな時に、徒党を組んだ一団が襲ったのだった。まさに「青天の霹靂
(へきれき)」という言葉がピッタリの、《寝耳に水》の奇襲攻撃だった。それだけに、受ける側の精神的被害は甚大(じんだい)であった。再起不能になるまでに叩きのめされた。
 その「再起不能」については、特に家内へのダメージが大きかった。それ以来、家内は廃人同様の人生を強いられることになった。病名は、“精神分裂病”だった。精神安定剤と抗鬱
(こううつ)剤が、一生離せなくなった。人格が完全に破壊されたのである。

 しかし、こうした薬には副作用がある。精神を安定させるには、副作用覚悟で、それを投与しなければならないのである。その副作用が克明に顕われ出したから、また、それに二重の輪が掛かって来る。
 世間から「気違い」と揶揄
(やゆ)され、この人生がほぼ決定付けられたのも、この時であった。したがって、青天の霹靂は、まさにピッタリくる言葉だったといえよう。


 ─────昭和60年6月と、61年7月に生まれた歳子
(としご)の子供は、まだ当時“二歳”と“一歳”だった。二人の幼子は、まだ十分に乳離れが出来ておらず、親に甘えたいであろう幼児期に、殆ど、母親から構って貰えない儘(まま)放置されていた。そんな、降って湧いたような不遇の珍事が、家内の発狂だった。

 しかし、この発狂はこれが最初で最後ではなかった。以降、度々繰り返すものだった。既に、この時以来の発狂が、その後も大きな爪痕
(つめあと)を残していた。
 あの忌
(いま)わしい、「八幡大学合気柔術部の造反事件」からである。今まで私に年賀状一本すらもくれない、そんな彼等が、ある日、突然、徒党を組んで、千代ヶ崎時代の尚道館に押し掛けたのだった。これこそ、共同謀議を立証した行動である事を、雄弁に物語っているではないか。

 この事件は、強烈な珍事として、私を襲っただけでなく、また家内の心にも深い傷跡を残した。その余韻
(よいん)は、今も、心を巣くう後遺症となって、その因子が、なおも潜伏しているのである。そしてそれは、忌わしい反芻として、周期的に何度も繰り返されたのだった。家族が崩壊し、一家離散が決定付けられたのは、この時だった。

 今日では、突如、長年連れ添った夫婦の何れか
が痴呆症になって、配偶者が混迷する高齢化社会の世の中が到来している。そしてこれは急増する傾向にある。こうした現代特有の現象が現代人を襲っているが、私は、まさに、これ以上の惨状であった。
 毎日が“悲惨!”の一言に尽きた。そしてもう、この期間は、私が六十歳の還暦を超えた今でも続いているのだ。そしてこれは、おぞましい宿痾
(しゅくあ)として、更に続くだろう。

 私が生まれて初めて、惨
(みじ)めさに打ちのめされたのは、養護施設から外出の許可を貰い、精神病院に二人の子供を連れて、面会に行く時であった。夏の暑い盛りで、確かあれは、まだ残暑の厳しい平成元年9月上旬であったろうか。これ以来“無念の日々”が続いた。あれからもう21年以上も歳月が経つが、今もなお、継続中である。

 一口に「21年」と言うが、大変に長い看病の期間だった。そして恢復
(かいふく)の見込みがなく、この年月が長くなればなるほど、「私怨の怨み」は、なお一層深くなる。次第に怨念化していく。またある意味で、これが今日の現象界の、人間を形成しているとも言える。

 したがって、一見、遣
(や)り込めて、相手を陥れ、“得”をしたように思う人間が居るが、それは大きな間違いである。人を遣り込めれば、その数倍の“しっぺ返し”となって、最後は遣り込めた人間も、悲惨な不幸を背負うことになる。私怨の唸(ねん)は、「生霊化(いきりょう‐か)する」ためである。

 一人の人間が、遣
(や)り込められて、そこから悲惨な絶叫(ぜっきょう)を挙げる時、それは「内なる雄叫び」となって、無念の心が沈澱する。そして無念以外に何もない。
 それが他人から見て、「泣き言」であったり、「呟
(つぶや)き」であったり、「烈(はげ)しい憎悪」であったとしても、この受けた“痛み”は、永遠に消えることがない。そこ証拠に、一人の人間の人格が破壊され、一生涯、廃人として暮らしていかなければならないからである。これこそ、過酷な運命だろう。
 「唸
(ねん)」は残留するのだ。“怨み”となって残留するのだ。その実態は、人間の心の「痛み」であるからだ。

 こうした「痛み」は、決して生涯、不明瞭になることはない。覚醒
(かくせい)して、いつまでも残留する。そして「私怨」は、一つの“負の財産”にもなり得るし、“負の原動力”にもなり得る。これがある為に、吾(われ)に鞭を打って、烈しく迫ることが出来る。

 私は、今もなお思うことがある。それはどんな人間でも、純粋な理想や、純粋で然
(しか)も抽象的な想いだけでは、決して自己を形成することが出来ないと考えていることだ。
 こうした「純粋」だけを売り物にした、抽象的な概念では、決して生きる原動力になり得ないのである。また、そうしたものを原動力に充
(あ)てても、「奮い立つ」ことは不可能であろう。

 これは人間である以上、どんな偉人にも存在しているのだ。それと同じくらい、また凡夫
(ぼんぷ)と言われる私のような人間にも、存在しているのである。
 人間は誰でも、「私怨」を抱え、いつか怨みを晴らす為に、執念を燃やし、生きているという側面を持っている。誰でも、本
(もと)を正せば、私怨が原動力になっている。これにより、五年しか持たない寿命でも、十年に伸びることがある。それが私怨のお陰だ。

 ある意味で、人間は心に秘めた私怨を持っているから、今にも斃
(たお)れそうであっても、それでも「奮い立ち」そして「烈しく迫る」ことが出来る。それは、まさに私怨の為(な)す、“負の業(わざ)”といえよう。
 私の場合も、この時、あの忌わしい、計画された「八幡大学合気柔術部造反事件」が、私の唯一の私怨となり、これが末期ガンと言う、最悪の状態にあっても、病んだ躰
(からだ)を奮い立たせてくれるのである。
 普通だったら“此の期
(ご)に及んで何を言うか!”という状態にあって、でもある。

 確かに私怨は、個人的な怨みである。
 しかし私怨を抱くことは、小賢
(こ‐ざか)しい奴が多すぎる世の中に、理屈以外に眼に見えない説明不能の実態を、一つの貫徹(かんてつ)した行動によって示すことが出来る。人間は、こうなった時機(とき)、臆病者でも途端(とたん)に勇者となる。

陸軍少将時代の桐野利秋。

 かつて「人斬り」と言われた、中村半次郎こと、桐野利秋きりの‐としあき/陸軍少将で薩摩藩士。示顕流の手だれ。幕末、志士として活動し、維新後陸軍に入るが、征韓論政変で辞職。西南戦争に西郷隆盛を助けて戦い、城山に自刃。1838〜1877)は、「相手と戦って刀を失えば、手で戦い、手を斬り落とされたら、脚で闘い、脚を落されたら、這(は)って行って歯で戦い、命を盗(と)られたら、魂で戦え」と教えた。戦う肉体が無くなれば、最後は魂で戦うしかない。魂に、執念が乗り移るからだ。

 私も、それに肖
(あやか)りたいと予々(かねがね)思ってきた。これも偏(ひとえ)に「私怨」だろう。私怨こそ、人間を奮起させるものはない。

 『偉人伝』などの伝記を読むと、常にその背後には、その人の「なにクソ!」という反骨精神がある。
 この反骨精神の裏付けは、実に「私怨」である。
 「内なる雄叫び」が、その人を支えて、ついに目的を遂
(と)げると言うストーリーになってる。これこそ本物の人間を見る想いがする。そしてこの雄叫びは、私怨から湧(わ)き起こったものではなかったか。

 また、赤穂浪士の討ち入りにしても、やはり広義で解釈すると、一種の「私怨」だろう。討ち入りした彼等が、後に「赤穂義士」と言われる所以
(ゆえん)は、主君・浅野長矩(あさの‐ながのり)の仇(あだ)に報いたことによる。
 事は浅野内匠頭が、勅使接待役を仰せつかり、その作法の指導過程において、吉良義央
(きら‐よしなか)の意地悪と理不尽があり、ついに元禄十四年(1701)三月十四日、江戸城殿中で吉良上野介義央(きら‐こうずけのすけ‐よしなか)の額(ひたい)を傷つけ、即日切腹が申し渡され、更には城地を没収された“私怨”により、赤穂浪士の物語は始まる。理不尽に憤慨して、赤穂浪士の物語は始まる。
 人間は、理不尽なる片手落ちの“お裁き”が行われると、それに対して「憤懣遣る方ない恨み」が起こるのである。いつしかそれは義憤にすり替わる。こうなるとこの義憤で、人生の生き甲斐を感じるようになる。

 義憤の念こそ、生きていく為の原動力であり、これが不屈の精神を支える“支
(つっ)かえ棒”になるのである。
 彼等は、言わば御政道の「片手落ち」に対して義憤を湧き立たせたのだった。
 赤穂浪士達の、これから以降の人生は、ただ吉良を討つことだけに全力が注がれる。その背景には、私怨が原動力となっている。ために“本懐”を遂げることにより、彼等は文字通り後世「義士」と呼ばれたのだ。
 そして私怨は、理不尽に対する義憤と合体した時、恐ろしい力を発揮する。眠れる獅子を奮い起こすのだ。




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