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好機到来の法則 まえがき
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好機到来の法則 まえがき

好機到来の法則






カエデやウルシの葉が紅色に変るこの季節は、葉緑素が分解する季節でもある。それと同じように、人間の古い固定観念も分解され、次の時期の備えて変化しなければならない。現象人間界は変化の連続なのである。



まえがき

 好機を知る為には、「不運」や「衰運」が如何なるものかしらなければならない。「不運」や「衰運」が分からずして、好機到来を知る事は出来ないのである。
 人生の法則して、「自分は人よりも増しだ」とか、「あの人間よりもオレの方が優れている」という愚かしい優越感を抱いた時、これまでの運気は忽
(たちま)ちにして、転落する。人を見下せば、運気は落ち、勢いをなくすのである。

 それは自他離別であり、自他同根の意識を逸するからである。愚かしい優越感は、やがて巡り巡って自分の跳ね返って来るのである。この世は因果律である。思った想念は、そのまま跳ね返ってくる。あるいは“逆因果律”であっても、そのように導かれる。想念は穢さないことだ。いい状態で、自他離別意識を作らないことだ。傲慢
(ごうまん)や驕慢(きょうまん)は禁物である。

 運勢とか、運気とかは、総て自分の裡側
(うちがわ)にある心象化現象によって齎(もたら)されている。自分の想念の中にあるもので、心の裡(うち)にこうしたものは存在している。自分が他人より優れていると思う快感は、時として事実とは反目する現象が起る。
 したがって、自分は自分であり、他人とは一切無関係と言う自他離別の想念を持たないことである。何故ならば、自分と名人は深層心理の中では地続きであり、この作用が確
(しっか)り働いているからだ。

地続きの意識。真相の意識下では、誰もが共通の意識で繋がっている。地下の通路で繋がった実人間の実態。
 霊的意識は同根で繋がっているのである。
 非実在界の肉の眼で観る虚の人間の姿は幻
(まぼろし)であり、現象界の幻夢がこうした虚像を形作ったものに過ぎない。

 世の俚諺(りげん)に「堕(お)ちた犬は打たれる」というのがある。
 これは例えば、溝の淵を病気で弱って、何日間も餌を食べていない、よろよろとした犬が歩いていて、その犬が足を踏み外し、ドブ溝におちら途端、それを見ていた者は、この哀れな犬を救け出すでもなく、寄って集
(たか)って石を投げ付けるのである。

 堕ちた犬は打たれる。一見、こんな非道なことはあるかと思うだろうが、この世にはこうした事がよく起っている。例えば、醜聞
(しゅうぶん)というスキャンダル事件において、その醜聞に晒(さら)された当事者は、世間から寄って集って罵詈雑言(ばり‐ぞうごん)の限りを受ける。晒し者にされ、嘲罵(ちょうば)を受ける。それが事実であるか、事実無根の濡衣(ぬれぎぬ)であるかに係(かか)わらず……である。

 一般大衆の群集心理には、面白半分にこれまでの仕返しとして、一度、権力者が醜聞によって「ただの人」に転げ落ちようものなら、寄って集って晒し者にするのである。
 “堕ちた犬は打たれる!”これこそがその事実であり、此処に晒し者の現実が存在する。
 しかし、よく考えれば、この深層心理には自分に繋
(つな)がっている水脈がある。一見、自他離別と思っていた筈(はず)の、句切れ目は存在せず、自他同根であったことに気付かされる。

 晒し者は、実は自分の影であり、自分の影を自分で打っていることになる。換言すれば、深層心理の中では、自分で自分を晒し者にしていると言うことになる。他人は、自分を映した鏡であるからだ。自分の鏡に映った自分を叩いていたのでは、幸運の女神の囁
(ささや)きも聞こえる筈がない。かくして、「好機」は取り逃がすのである。

 好機を知る為には、自他離別ではなく、自他同根の想念が必要である。況
(ま)して、堕ちた犬を叩いてはならない。それはもう一人の自分であるからだ。そして、自分の方が人よりもマシだとか、「俺は、あそこまで堕ちては居ない」などの優越感を持たないことだ。何故ならば、そう思った途端に転落するからである。
 優しさを忘れた人間に、幸運の女神の微かなる囁きなど、聴ける筈がないからだ。

 筆者はこの章において、人間には「好機」を感得する力があり、これを、もし人が謙虚な心で、聴く事ができれば、どんなにか、人は倖
(しあわせ)になるのではあるまいか……という、気持ちを込めて書き上げてみた。幸運の女神は、“幽(かす)かな声で囁く”ということである。確かに囁くのだ。
 好機とはそのような、幽かな声を聴く耳があるか、否かの、紙一重の差からはじまっているものなのである。

 紙一重……。
 僅かな差である。すれすれの差である。その“すれすれ”の中に「好機」が凝縮しているのである。それを謙虚に、謹んで聴くか否かに懸かる。微小な翅音
(はおと)である。耳を澄ませなければ聞こえない。浮かれていては聞こえない。有頂天に舞い上がっていては聞こえない。高慢になっていては聞こえない。
 常に幸運の女神は囁きを発している。
 ところが、人間側はこの囁きを聞く耳を持った者は少ない。


 ─────さて、好機到来には、ある種の一定法則がある。
 それは偶発的に突然にやって来るものではない。逆境に立たされたり、窮地
(きゅうち)に陥ったり、苦悶(くもん)の淵(ふち)に佇(たたず)んでいる時は、それが隣り合わせの、直そこに到来していることを予感させるものである。
 だが凡夫
(ぼんぷ)は、それを好機到来とは思えないようだ。そして気付かない儘(まま)、苦境の淵に立たされ、苦悶と悶絶(もんぜつ)とを繰り返えし、永遠に好機へ転換させるチャンスを失うのである。

 日本は古来より神国といわれた。神国には、その民族が窮地に陥った場合、「神風」が吹くものである。日本は神風が吹く国である。だから「神国」という。
 しかし、今日の日本人に、日本が神国を思う者は殆ど居ない。神の国など、科学的でないといい捨てる。
 ところが、これが馬鹿に出来ない。
 歴史を見れば、明白だからだ。
 日本は神国故に、神風が吹いた。神国には神風が吹くのだ。

 時は“文永十一年十一月四日”にかけて、蒙古が襲来した。そして対日本侵攻の第一回目が始まった。この戦場となったのは北部九州だった。同月の二十五日まで、博多湾に現れ、湾西端の今津に停泊したのだった。戦局全体としては、元軍が日本軍を圧倒していた。しかし、元軍の大宰府制圧は失敗に終わる。元軍はいったん船に戻った。そして嵐は吹いた。元軍は暴風雨に遭遇した。
 元軍の構成は蒙古を含む主体は高麗軍だった。そして暴風雨で、元軍は不利になった。多くの軍船が破壊されたからだ。それが退却に繋がった。

 その後、第二度目の侵攻があり、これが世に言う「弘安の役」である。
 高麗軍主体の部隊は、対馬ならびに壱岐まで順調に占領した。二つの島は占領された。
 しかし九州上陸は優勢な日本軍に阻止されてことごとく失敗した。到着が遅れた南宋軍と合流するため壱岐まで撤退したのである。その後、日本軍の追撃を受けた。海上を約三ヶ月間彷徨
(さまよ)った挙げ句、船内では疫病が起こった。これにより、三千名程の兵士の損失が出た。船も損失が出ていた。九州上陸を再開したものの、台風に遭遇し、これにより損失を出し退却を余儀なくされた。
 日本では、これを「神風が吹いた」といっている。
 神風が吹いたか、否かは定かでないが、これにより日本は元の属国にならなくて済んだ。

 「元冦の役」
【註】蒙古来襲/1274年(文永11)元軍は壱岐・対馬を侵し博多に迫り、81年(弘安4)再び范文虎らの兵10万を送ったが、二度とも大風が起って元艦の沈没するものが多かった)の頃より、日本には常に神風は吹いていた。神国・日本は神風が吹くようにセットされているのである。自然現象までもが、味方していたのである。神国だから……。
 理由はそれに尽きる。

 これが科学的であるか否か、人智では判然としない。しかし、“属国とならなかった”という歴史的事実が、神国の理由を説明している。この戦争で負けなかったのだ。この「負けなかった」という理由が、神国ということであり、神風が吹いたという理由だった。その神風の吹いた理由の科学的理由など、問題ではない。
 科学的理由を“問題”にし、神国であることを扱
(こ)き下ろす唯物論者が居る。しかし、日本は鎌倉幕府は経済的破綻を招くが、それでも属国にならなかった。

 太平洋戦争当時も、この神風は吹いた。しかし、神風の囁きを耳に出来た者は居ない。悉く、当時の昭和陸海軍の戦争指導者は、神の囁きに聞く耳を持たなかった。それで負けた。負けて、アメリカの属国になった。敗戦当時、日本ではヨーロッパで見られたような、パルチザンすら起こらなかった。先の大戦の敗因理由は、国力の差だけではない。
 日本はその地理的構造において、欧米列強やユーラシア大陸から外圧を受けやすい構造になっている。

 「元冦の役」も西欧の差し金であったし、明治維新も、日清日露の戦争も、また太平洋戦争ですら欧米からの外圧であった。この戦争に負けて列強に屈した。戦争はしている時よりも、負けた時から本当に地獄が始まる……という現実を、先の大戦を証拠として、日本人がおかしくなる現象を招いた。敗戦国は戦勝国に、精神的にも奴隸扱いされ、そこから本当の悲劇が始まるのである。文化崩壊である。文化が壊滅する。横文字に“右へ倣
(なら)え”する。子孫末代まで、この弊害は及ぶのである。

 今日の日本人が「おかしくなっている理由」は、此処に起因するであろう。敗戦に起因するであろう。当時の戦勝国から、好き勝手を言われ、無理難題を突き付けられているからである。
 戦争はしている時よりも、負けて敗戦国になった時から、本当の地獄が始まるのである。このことを理解する日本人は極めて少ない。

 さて、日露戦争前夜、イギリスとロシアは世界帝国主義の本家本元であり、玄洋社の創設者・頭山満
(とうやま‐みつる)をはじめとする我が国の愛国者は、「西に英獅あり、北に露鷲あり、虎視眈々(こしたんたん)として我がしりえを窺(うかが)う……」と嘆き、当時の超大国の武力行使に驚愕(きょうがく)とした事実があった。
 日露の差は歴然としていたが、それでも日本は、勝てるとは思っていない戦争に勝てた。

「運の良い男」と称された日本海海戦当時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥。
 東郷元帥は、幽
(かす)かに囁(ささや)く、「神風」を聴く事の出来る人であった。

 鎧袖一触(がいしゅういっしょく)と思っていた田舎国家の日本海軍は、戦艦「三笠」以下連合艦隊を率いて日本海海戦を戦い、ロシアの、当時世界最強と謂(い)われたバルチック艦隊に勝った。これは連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥の謙虚で、細心大胆な行動が功を奏したというべきであろう。
 そして東郷元帥は、運命の幽
(かす)かな囁(ささや)き、好機の、この幽かな囁きに、謙虚に耳を傾け、聴く耳を持っていた人であった。

 もしこの時日本が、日本海海戦で敗れていたならば、日本の姿は、また別のものになっていたであろう。
 そして、日清日露を勝ち誇った日本軍は、太平洋戦争において躓
(つまず)きを見せた。近代戦の戦い方が違っていたからである。
 戦後六十有余年に亙
(わた)り、太平洋戦争について、有識者の間で論じられることがある。だがそれは、表皮的な部分のみで一般論に終始し、大国と戦うことは無謀であったという意見が殆どであり、その根拠として、日米の工業生産力の差を挙げる歴史評論家が少なくない。だが果たしてそうだろうか。

 日本人は小が大を倒す逆転劇、あるいは巨大な敵、誰が見ても勝てない敵に勝つことに異常な情熱を燃やす民族である。歴史的に見ても、日本人が好む戦績は、源義経の「鵯
(ひよどり)越え」、楠木正成の「千早城(ちはやじょう)」、織田信長の「桶狭間(おけはざま)」であり、これ等は孰(いず)れも大敵に圧勝した、逆転勝利であった。太平洋戦争の構造も、この巨大な敵の挑む戦いではなかったか。

 もし巨大な敵と戦ったことが無謀であるとするならば、「鵯越え」「千早城」「桶狭間」は、無謀なるが故に総て否定されねばならず、また「日清」「日露」の戦争も否定されねばならない。そして大戦以降に起った朝鮮戦争もベトナム戦争も否定されねばならない。
 何故ならば、孰
(いず)れの戦争も、小が大を倒す戦争であったからだ。

 アメリカの圧倒的な国力に手向かうことは無謀であるから、朝鮮人民も、ベトナム人民も、尻尾を巻いて、戦わずしてアメリカの軍門に降
(くだ)るというのが、正しい判断であったのか、と言うことになる。
 だがアメリカはアジアの、発展途上の地において勝つことは出来なかった。もし太平洋戦争のみが、無謀で非常識な見解から起った戦争であるとするならば、そして日本の進歩派文化人の譏
(そしり)を受けねばならないとするならば、アジアにおけるこれ等の戦争も、また譏を受けねばならぬ。

 では、太平洋戦争の敗因は何か。
 太平洋戦争は日本にとって、何の為に戦うか、戦争目的が不在であった。また戦争指導者も戦争するこく的を完全に見失っていた。それを探ると次のようになるであろう。

敗因の第一
先ず第一に、“戦争目的”がなかったことの一語に尽きる。戦争をするのに、戦争目的が不在と言うのは、実に不可解なことである。つまり「戦争観」が存在しなかったことだ。
敗因の第二
第二に、戦争技術者たる軍人が「戦争とは何か」という命題に、真剣に取り組まなかったことである。
敗因の第三
第三に、戦争技術たる軍人の指揮官を養成する陸軍士官学校、海軍兵学校、陸軍大学校、海軍大学校等の軍官学校の構造が、明治後期以降の藩閥政治の慣習を受け継ぎつつ、官僚主義の形式を強め、ペーパーテストでこれ等の軍人を選抜したことにあった。
 そしてその結果、出身期・年功序列の軍隊官僚という、日本特有の悪しき伝統が出来上がったことである。

 敗因を分析すれば、目的のないところに、単に駆け出してしまったことだった。アメリカ側の挑発に乗り、猪突猛進したことであった。むこう見ずに猛然と突き進んだことだった。

 日本の場合、それは平時においても、戦時においても変わることはなかった。軍隊官僚と言う形式が固定化した。それに一定の文化理想を身に付けた想像的な理解力を顕わす教養分野が低く、自己顕示欲が強い、軍閥を中心とする高級軍人が政治に介入したことであった。彼等には円満な常識がなかった。視野の狭い、“専門バカ”だった。
 彼等の多くは、物事をミクロ的に捉え、大局観的に「全体を観る」ということが出来なかった。日本は、こうした視野の狭い専門職的な職業軍人を製造したに過ぎなかった。こうした軍人が、ミクロ的に戦局を戦うのであるから、勝てる筈がないのである。

職業軍人の指揮官達は、狭い視野でしか物事を捉えることが出来なかった。写真は熱河作戦を指導する指揮官達。

 また、戦争目的の何たるかを知らず、国家目的の何たるかを知らぬ儘(まま)、日本の国策の戦争指導を行ったことである。東条英機や、その腰巾着(こしぎんちゃく)であった冨永恭次とみなが‐きょうじ/大戦末期、東条の置き土産と誹(そし)られ、フィリピン第四航空軍の軍司令官)らはその最たるものであろう。これら高級軍人の多くは、下級の将兵の多くの犠牲者を出しながらも、戦後も温々(ぬくぬく)と生き残り、政府から高額な恩給を貰いながら安穏(あんのん)とした余生を送った不貞の輩(やから)である。

 彼等は戦中・戦後を通じて傲慢
(ごうまん)であり、独断と偏見を以て、日本を敗因の泥沼に引き摺(ず)り込み、麗(うるわ)しき日本の国土を焦土と化した。また彼等は度々日本に吹く神風を無視し、あるいは聴く耳を持たず、愚行にもそれを聞き逃して、それこそ無謀な作戦の中に多くの将兵を生贄(いけにえ)にしてきた。
 陸軍の行ったインパール作戦は、その最高指揮官であった牟田口廉也
むたぐ‐ちれんや/陸軍中将。その作戦参謀は陸軍の親睦団体の「偕行社(かいこう‐しゃ)」に席を置いたユダヤ・フリーメーソンであった辻政信。辻の上司は服部卓四郎。辻の部下に伊藤忠商事を造った瀬島龍三などがいた)の責任である。また、最初から欧米のトップと内通していたのでは、勝てる戦争も勝てるわけがない。

 更に、ミッドウェー作戦の大敗は、連合艦隊司令長官・山本五十六
(海軍将校グループの「水行社(すいこう‐しゃ)」に属し、ユダヤ・フリーメーソンの高級会員)の責任である。この牟田口のインパール作戦は、山本の仕出かしたミッドウェー作戦に比べれば爪の垢(あか)ほどでしかなく、日本は建国以来の「白村江(はくそうこん)の戦い」の大敗北に匹敵する以上の無残な負け戦であった。

 神風は常に吹いていた。
 しかし、それを聴く耳は、あまりにも無能であった。奢
(おご)りばかりが高く、負けを知らぬ当時の日本国民は、軍部と一緒になって、真珠湾攻撃の圧勝に現を抜かし、シンガポール攻略の圧勝に現を抜かした。そして連日連夜、堤灯(ちょうちん)行列を行い踊狂うという醜態を見せた。この日本人の国民性は、軽佻浮薄(けいちょうふはく)を通り超して、何事にも得意満面になる「驕(おご)り」の一面を曝(さら)け出したとも言える。

 この熱し易く、冷め易い民族気質は、最も慎むべき日本人の最大の課題である。深く慎む事を忘れず、謙虚になる事こそが、好機到来の微かな神の声を聞く「戒め」となるのだ。
 そして、日本の太平洋戦争敗北の最大の原因は、戦争目的の不在にあった。戦争目的がないが故に、統一的な戦争計画も立てられず、戦争に向けて国家の総力を動員する事も出来ず、またその証拠に陸海軍の足並みは揃
(そろ)わず、国家よりも軍の立場を最優先した事である。これによって勝てる筈の戦争を、みすみす負け戦にしてしまったのである。

 今日多くの歴史評論家は、アメリカの工業生産力を挙げ、アメリカ人魂の反撃の凄まじさを挙げるが、元々アメリカは、イギリス人やドイツ人のアングロサクソン系の白人が建国した国家ではなく、その裏にセム族と混血を作ったユダヤ人が骨子をなした国家である。アングロサクソン系の白人がアメリカの顔のような形をとるのは、あくまで便宜上のことである。彼等は家来の立場であり、その主人はあくまで支配中枢の白人系のユダヤ人である。

 彼等はイスラエルの建国に関わり、長い歴史の中で、近親結婚を繰り返し、知能指数170以上を超える天才を作り出してきた。
 現在のアメリカで活躍している超エリートといわれるヘッジファンドの連中もこの近親結婚を繰り返してきた、白人の肌を持つアシュケナジー・ユダヤ人の末裔
(まつえい)である。

 歴史的に見ればルソー、マルクス、レーニン、アインシュタイン、ヒトラー等、天才といわれた人物の多くはこうしたアシュケナジー・ユダヤ人
【註】西南アジアの王国・カザール人の血縁で、アブラハム以降の真当のユダヤ人ではない)の血縁を受け継ぎながら、歴史に名を残した人達である。少なくとも二代前を遡れば、二分の一か、四分の一のユダヤ教徒の血を受け継いでいる。ノーベル賞受賞者も圧倒的に白人の混血であるアシュケナジー・ユダヤ人が最も多い。

 さて、困窮
(こんきゅう)と好機は一枚岩と昔から言われれ来た。
 しかしその実体は全く別のものであり、老子の謂
(い)う、「天がその者に大役を与えんとするとき、その者が大役に値するだけの力量と度量を持ち合わせているか、それを試すために苦難と困窮を与え、その真価を試す」という事であり、いわば苦悶(くもん)と悶絶は試煉(しれん)の手始めの為の、単に手段に過ぎない。これを古人は《天命》と呼んだのである。

 その天命の囁
(ささや)きは余にも小さく、微かである為、それに気付かない儘(まま)、渦中の逆流に翻弄(ほんろう)されて、それを聴き逃している場合が多い。それはあたかも、遠望する先の庭先に一匹の蜉蝣(かげろう)が、羽音を静かにたてて羽博いているが如き、弱わ弱わしく幽(かす)かなものである。だからこそ聴き逃し易い。

 人生は、人間である事に途中で躓
(つまず)き、失敗したからといって、再び母親の胎内に戻って、羊水の眠りからやり直す事が出来ない。
 生・老・病・死の四期を経験する人生において、何かを失敗する度に、羊水にぬるむ春の眠りからやり直す事は出来ないのだ。人生には再度の出直しや、遣
(や)り直しはきなかい。一回限りの事であり、それは真剣勝負である。

 したがって聴き逃しや見逃しは許されないのである。人生の究極に向かうところは「死」であり、時間と共に、死に向かっている関係上、今日出来なかった事を「明日こそは」という、錯覚する「生の哲学」では片付かない。人生の構造は複雑多岐であり、「先送り論」は通用しない。

 生の哲学は、その生き態
(ざま)にある種の緊張を与えない。この哲学は「先送りの理論」で構築されており、「今日という一日」を安易に考え、蔑(ないがし)ろにする欠陥をもっている。
 現世において、存在しているものは「昨日」でもなく、「明日」でもない。「今、この一瞬」という瞬間が存在しているのである。この一瞬を蔑ろにして人生は成り立たない。
 四期を経験する人生において、一からの遣
(や)り直しは絶対に成立しないのである。刻一刻と変化する流転の現世無常は、昨日や明日などという不確実の要素は何処にも存在しない。だからこそ、その人の生き態の根底に、絶えず流れているのは「生の哲学」ではなく、「死の哲学」なのである。

 一日一日を、自分の死に当てて生きることは、その一瞬に緊張感や鮮明さを与え、その緊張感や鮮明さがあるからこそ、その生き態、戦い態は本物になる。
 俗界に、往々にして罷
(まか)り通っている「先送りの理論」は、逆に「今、この一瞬」に緊張感や鮮明さを失わさせ、ついには堕落へと導くものである。今日遣れなかった事は、明日に遣れる訳が無く、明日遣れなかった事は明後日に遣れる筈(はず)が無い。

 人生の明暗を分ける悲劇は、「今、この一瞬」という幽かな蜉蝣の羽音にも似た微弱な振幅の中に隠されているのである。好機到来は常に“苦悶の淵”と隣り合せであり、“ピンチ”と“チャンス”は常に表裏一体の関係にある。窮地と好機が、一枚岩の関係にあることは紛れもない事実だろう。これこそ真理であろう。

 しかし、この真理さえ軽視し、「今」を忘れれば、好機はいつまで経っても、チャンスにはならない。
 一般によく言われることだが、ピンチはチャンスだという。
 チャンスはピンチの裏側に存在すると言う。しかしピンチをチャンスに切り替えるには、「今」を安易に過ごしてはならない。安易に過ごせば、ピンチはまた、次のピンチを呼び、悪いことには悪いことが重なる現象が起る。此処が重要なところである。したがって、ピンチをチャンスに置き換えるのは決して容易ではなく、誰にでも出来ることではないからだ。

 「熟柿は大変な危険」を冒さなければ、手に入れることは出来ない。熟柿と言うのは、柿の木のうちでも高い部分の枝先の、登れば直ぐに折れてしまうような、細い枝先に成る。これを採りに行くのであるから、大変な危険を冒さなければならない。
 確かに、ピンチは「好機」になり得る要素を裏側に潜めているが、「今」を正しく把握
(はあく)し、「今」の分析に全神経を注ぐ必要がある。したがって「今」を蔑(ないがし)ろに出来ない。「今」を先送りしてはならない。「今」を知ることは、未来を知ることであり、「今」を耐えると言うことは、耐えた先に未来の輝かしい好機が待ち構えているのである。

 好機到来の法則は、「今」の中にある。「今、この一瞬」の中にある。したがって「今」を先送りしてはならないのだ。「今」の中に生きる重要性がある。これを知ってこそ、好機到来の法則は、これを知る者の頭上に輝くのである。

 この「今、この一瞬」に、真剣に生きることこそ、即ち「一日一日を自分の死に当てて生きる」ことである。好機到来の翅音
(はおと)を聞き入れる唯一つの方法である。この翅音こそ、「神風」である。神は、その翅音を聞く者に、囁(ささや)くのだ。この囁きこそ、確かなものはない。
 そして本当の無垢
(むく)な自分自身を凝視する時、巷間(こうかん)に溢れる運命学者達が、人間の盲や、無知や、不安につけ込んで、如何に大きな誤りを犯して来たか、その妄想を知る事が出来るであろう。

 無力の淵
(ふち)に悩み、無知のどん底から這い上がられずにいる俗人の多くは、占い師や運命学者の祈祷師的な雰囲気や、フィーリングや、表面的な虚仮威(こけおど)し的な外形に酔い痴(し)れ、他力本願的な助力を得て、脱出を試みているようである。しかしそれは低次元の錯覚であり、無慙(むざん)な幻想である。

 現象人間界において、そこはまさに人生の悲喜劇を演じる舞台である。
 そして、この人生舞台を、人間模様の一つの瓢逸
(ひょういつ)な「からくり人形」の“人形劇”と見立てながら、これを複眼的に、冷静に見つめれば、新たなシナリオが見えてくる。
 それは九星気学や四柱推命学や西洋占星術等の、あるいは“占い”や“運命学”などの微視的視野の、“当たるも八卦、当たらぬも八卦”を否定する、新たな『運命学』として、独自な世界が、この舞台で繰り広げられている、と検
(み)ることができる。
 これこそ、もう一つの運命学であり、これが『好機到来の法則』のテーマである。


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