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霊性の養成『地獄変』 1
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霊性の養成『地獄変』 1

霊性の養成『地獄変』





 人間は生きている間に、霊性を養成しておかなければならない。生きている間に、物質に振り回される世界から脱出して、“心の安住”を齎(もたら)す精神世界、あるいは霊的世界があることを学ばなければならないのである。その為には生きているうちに、「死」を前もって臨死体験する必要もあろうし、想念と云う心像化現象が作り出す「唸(ねん)」の意味を知っておくべきだろう。

 そして大事なことは、地獄は存在しないと云うことだ。
 「幽界」というのは地獄と同義に遣われる言葉だが、この世界は人間の歪
(ゆが)んだ想念が生み出した幻覚である。本来ないものを、あたかもあるが如きに作り出した地獄は、人間の心の影が作り出した世界である。



●想念が描き出す地獄

 本来、地獄は存在しない。地獄を現実にあるかの如くに、幻夢と錯覚させるのは人間の描き出す能年の中の「悪想念」である。悪想念が作用する時、人間は脳裡(のうり)に描いた悪想念を再生させてしまう。あたかも、地獄があるように抱かせてしまう。

 さて、一般に言われる「地獄」は存在するのであろうか。
 此処で最初に言うことは、本来、地獄は存在しない。
 地獄という想念は、人間が頭の中で作り出した妄想に過ぎない。人間の心の影が作り出した幻覚である。
 しかし一旦、こうした妄想が出来上がると、断末魔
(だんまつま)の非業(ひごう)の死でなくても、臨終に失敗した場合、自然死であっても、此処に落ちる場合がある。想念が作り出し心像化現象の実体は、此処にあると云ってもよい。心の影から落した唸(ねん)は、直ぐに具現されるから、これを歪(ゆが)めるべきでない。

 人間は臨終
(りんじゅう)に臨み、中々見事な死に態(ざま)が出来ないようだ。
 また、こうした悪戦苦闘が、幻覚の地獄を作り出す。人間界から霊界に至る途中に「霊幽界」
れいゆう‐かい/一般には「幽界」と言われる)という関所的な場所がある。

閻摩(えんま)王界、罪科軽重決断所之図/『六道絵』より

 霊幽界は三段階からなり、ここには三つの関所が設けられている。
 しかしこれとて、人間の歪
(ひず)んだ想念が作り出したもので、本来は存在しないものなのである。幽界は人間の心の暗い影が作り出した世界であり、一般には「地獄」と言われている。こうした地獄は、本来存在しない。あくまで人間の想念が作り出した、幻影に過ぎないのである。

 しかし人間の想念は、心像化現象を齎
(もたら)す。これが様々な幻影を作り出し、その恐怖心から「死相」という形相が現われる。この相が、地獄行の不成仏霊を作り出してしまうのだ。このように「想念の世界は様々な心像化現象を起こし、本来無い筈(はず)のものを、あたかもあるが如く作り出してしまうのである。

 例えば、閻魔王界
(えんま‐おうかい)である。この世界の「無仏世界」と云う。この世界は現世より遠く、下方にあって、四方四面に門がある広大な裁判所である。この広大な裁判所としての国の王は、閻魔であり、本地は地蔵菩薩で、内心には衆生再度(しゅうじょう‐さいど)の慈悲が秘められている。ところが外面は罪悪人を懲らしめる為に憤怒(ふんぬ)の相を顕わす鬼となっている。

 閻魔王界へ赴く多くは、大悪人を初めとして少しばかりの善を行った、可もなく不可もなくのその程度の人間までであり、息切れて49日の中有
(ちゅうう)の世界を通って閻摩大王の前に引き立てられる。
 一方、大善人は死するや、直ちに阿弥陀仏の極楽浄土に生まれ変わるとされる。
 しかし、この世にそもそも“大善人”など、居るわけがない。人間は、大なり小なりの善悪を抱え、また、五十歩百歩の善悪を行った者ばかりである。大半はそんな人間ばかりである。その中に、生涯嘘をつかず、善行ばかりをして、一生を無私で押し通した善人など居るわけがないのだ。殆どは、善人と云っても、無力な善人であった。

 こうした善人の前に地獄絵を出現させるのである。
 この世の阿鼻叫喚の生地獄から、死した後の「極楽浄土」と言う名の地獄まで様々なものが作り出され、想念の世界で人間は悶絶
(もんぜつ)する。
 念仏宗などでは、罪人はまず閻魔王界に送り出されると言う。此処に送り出された罪人達は、閻摩大王の恐ろしい貌
(かお)と、その怒りの形相(ぎょうそう)を見て、まず失神すると言う。閻摩大王の貌は赧(あか)くて大きく、眼の睨(にら)みは鋭い。そして一度(ひとたび)喝破(かっぱ)すれば、数千の雷が落ちたほどに鳴り響く。
 大罪人を叱りつける事、凄まじいのだ。

 閻魔王は大声を発して云う。
 「汝
(なんじ)、たまたま生れ難い人間に生まれて、然(しか)も逢(あ)い難く、聴き難い仏法流布(ぶっぽ‐うるふ)の国に生まれながら、ただ娑婆(しゃば)の欲心に囚(とら)われて、放逸無慙(ほういつ‐むざん)に日を過ごし、何の善根も積む事なく、またもや、この悪所に来るとは何事ぞ。汝、娑婆にある時、惜しんで貯えた財宝はいま冥途(めいど)の資(たす)けとなると思うか!」

 これを聴いた罪人は、ただ涙を流して、おろおろするばかりである。
 更に閻魔王は続ける。
 「汝が娑婆に居た時の罪科
(つみ‐とが)は一つ洩らさず倶生神(くしょう‐じん)が鉄の札に記録してあるから読ませて聞かせよう」【註】倶生神とは、もとインドの神で、人間が人間界に生まれたその日から、影となって付き添い、昼夜の別なく小善微悪も洩らさず記録するという男女二神のこと。男神「同名」は左肩で善業を、女神「同生」は右肩で悪業を記し閻魔王に報告するという)
 閻魔王は、これを逐一
(ちくいち)読み聞かせるのである。一切の些細(ささい)な記録漏れもないほど、細かに読み上げるのである。その後、罪人の生きる処を“地獄”と定める判決を下すのである。

 罪人は余りの悲しさに、地獄から遁
(のが)れる術(すべ)はないものかと泣く泣く「只今、聞かされました罪の中で、少々、左様と思われる節も御座いますが、わたくしは能(よ)く覚えておりません。もしや倶生神さまの筆の誤りかと存じます。何とぞ少しばかりの罪科はお許し下さい」と、閻魔王の顔色を窺いながら申し出る。
 その時、閻魔王は更に顔色を変え、憤怒
(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)を露(あらわ)にして、「何じゃと!汝、よく聴け!娑婆で常に嘘をつき、偽りをいうが、此処ではそれは通らぬぞ。その癖、猶(なお)も直らずだ。最終の裁判所に送り込まれて、この大王を掠(かす)めようとするのか!」と叱り飛ばす。

 直ぐさま、獄卒の鬼を呼んで、「この者、早く浄頗梨
(じょうはり)の鏡の前へ引き立てよ」と命ずる。
 罪人は獄卒の鬼から首を掴まれ、鏡の前に立たされる。すると不思議にも、罪人の罪が暴露されて来る。人知れず、無意識に作った罪までが暴露されるのだ。一切合財が写し出され、罪人は何も言い訳出来ないまま、血の涙を流して後悔すること限りない。

 しかし、せめて娑婆に残した六親達
りくしん‐たち/父・母・兄・弟・妻・子の総称あるいは、父・子・兄・弟・夫・婦の総称)の「追善回向(ついぜん‐えこう)」を期待しながら、ただそれを念じ、あるの者は地獄へ。また、あるものは餓鬼へと堕(お)ちて行くのである。この行程により、決断を下すのが「閻魔王庁」であるという。

 閻魔王庁の図に描かれた閻魔王の服装を見れば、この冥府の支配者・閻魔王は、中国で想起されたものと検討がつく。死後の人間を裁く閻魔王庁の裁判所は、中国経由により日本に渡来したことは明白だろう。
 キリスト教では、死者の審判を司るのは大天使ミカエルのである。ミカエルはその手に善悪の魂を量る天秤を持っている。一方、閻魔王庁では大きな円形の鏡が置いてある。この鏡により、死者は生前の悪行が暴き出され、その罪科により、判決が下されるのである。
 そして多くが、人間界以下の、「地獄行」あるいは「餓鬼行」となる。そこで死後の世界を苦しむ事になるのである。

想念がつくり出した極楽浄土とその階層構造。法然や真鸞が言った「極楽浄土」すら階級が存在する想念から派生させた世界でしかなかった。

 ところが一方、“天国”や“地獄”の様相絵図から観(み)て、一般に浄土教・念仏宗で信じられている「極楽浄土」は、霊幽界(幽界を含む)・三層構造の最上部の一層から、霊界・五層構造の最下部までの世界を指し、極楽でさえ「完全な差別」がある事が分かる。

 要するに、浄土教・念仏宗が極楽浄土と唱えているところは、この極楽浄土ですら「方便の世界」、あるいは人間が作り出した「想念の世界」であるという事になる。

 この世は心像化現象を起こしている。想念の働きのより、無から有が生まれるのである。一旦想念を描いたが最後、その残像は現実のものとして具現される構造を持っている。したがって横死した場合も、こうした幻影が付き纏
(まと)い、臨終の際、断末魔の藻掻(もが)きを演出する。
 悪夢のような藻掻
(もが)きが襲い、それを繰り返しながら、霊界に到達する事が中々出来ず、地獄へと迷い込むのである。これが非業(ひごう)の死を遂げた人の、死に態(ざま)の特徴であると言える。

 こうした横死の場合、本人が感じる霊的意識は、「痛い!、肉が骨から離れる。離れる、急激に物凄い痛さで離れる!」と、声にならない絶叫を上げている。これが「断末魔」の苦しみだ。
 事故死の場合は、こうしたく衝撃が全身に趨
(はし)るのだが、これもまた本来は存在しないものであり、もう既に、臨終に際して、在(あ)るはずもない地獄までもを、幻覚として見ているのだ。
 この幻覚の現われが、死者の貌
(かお)に窺(うかが)われ、それが「死相」を形作っている。死相とは、死に行く人間の顔ではなく、死後、成仏に向かい「霊魂の相」と言えよう。



●「たった一度限りの人生」という考え方は正しいか

 魂は、連続性の中で、永遠に進化し続けなければなりません。
 これは男に限らず、女性とて同様です。
 この世を「穢土
(えど)」と言います。人間の棲(す)む地球は、穢(けが)れた土地だと言います。すべて、こうした考え方は、仏教から来ています。

 仏教思想によると、万物は不浄であり、その中でも女性の不浄は最たるもので、「女人は変成男子とならなければ救われない」としています。
 しかし、この矛盾に気付いたのが日本の密教僧達でした。

 密教僧達は、日本神道で崇
(あが)める大自然神霊を如来(にょらい)の権現(ごんげん)と見直して崇(あが)め、その権現の神秘に、生きとし生けるものの本当の姿を見い出します。そして、仏(ほとけ)が神の姿になって現れ、その蔭(かげ)にあるものは、大自然の神霊であると言う事に気付きます。

 密教に大きく影響を与えたのは、龍樹菩薩
(ナーガルジュナ)の伝える「即身成仏(そくしん‐じょうぶつ)」の修法でした。
 これは道教の説くところの、「人間は万物の霊長である」という思想が加味された事に由来する。特に、「霊長」という意味は重要であり、その根底には「永遠に」という、大自然を背景にしているからである。

 この考え方は、太古神道の「人間は大自然の神から守られている」という事にも一致する。古神道で言う大自然とは、「八百万
(やおよろず)の神」のことである。
 つまりこの考え方の背景には、「神・儒・仏・道」の四教を習合
(しゅうごう)した世界観や自然観があり、この中で見い出したものが、「龍神(りゅうじん)信仰」であった。

龍の図
滝の流れは龍を顕わす

 そこに見たものは、人間の先祖霊が幽界や霊界の修行途中にあり、自然霊を斎(いわ)い祀(まつ)って奉仕し、先祖霊達は大きな神通力を持つと信じられるようになり、その眷属(けんぞく)が「龍神」だったのである。

 やがて仏教僧達は、この眷属を利用して、仏菩薩は、理念の中で作り出された御方
(おかた)であり、その理念を奉じて、活躍する眷属が龍神であるという思想を打ち立て、各寺院では龍神の祠(ほこら)が建てられて、祀られるようになる。
 そして、世の中を動かすのは自然神霊であり、自然神霊の中には「土産
(うぶすな)の神」が存在している。土産信仰は、これに由来する。

 自然神霊として有名なのが出雲大社であり、他にも貴船
(きふね)神社、丹生都姫(にぶつ‐ひめ)神社、熊野権現、三輪明神等がある。そして、この神は神話伝承によると、天照大御神(あまてらす‐おおみかみ)と須佐男尊(すさおのう‐の‐みこと)の誓約神事(うけひ‐しんじ)で生まれた女神とされ、民間信仰では、この神を龍神として崇(あが)めた。

 庶民は、こうした龍神を「八大龍王」として受け止め、その一つが龍神であり、龍神は風を起こし、雨を呼び、水を治め、波を鎮
(しず)めるだけでなく、その奥には龍宮(りゅうぐう)と言うものがあって、龍宮には無尽蔵(むじんぞう)の宝が貯蔵されているとして、その財福に肖(やかや)った。こうした信仰が、自然神霊を崇めると言う思想へと繋(つな)がっていく。

 ところが一方で、同じ仏教の分派は自然神霊を覆
(くつがえ)して、「地獄思想」を打ち立て、この思想は日本の東西に広がって、人々を苦しめる事になる。この地獄思想が日本中に広まると、日本古来の死後の世界観は一瞬にして恐怖のドン底に墜(お)ち、心の片隅では「まさか?」と思いながらも、死後の世界への保証を求めて奔走(ほんそう)する事になる。

 日本人は総じてこの時より、地獄思想の呪縛
(じゅばく)にかかり、平安中期以降、貴族達でも死後の世界の保証を求めて右往左往し始めます。京都府宇治市にある天台・浄土系の単立寺院である宇治の平等院鳳凰堂(1052年(永承7)藤原頼通が宇治川畔にある別荘を寺として創建)は、こうした地獄思想によって建立される。

 浄土教・念仏宗の教主である阿弥陀如来
(あみだにょらい)以外は、人類の罪は救えないとした。
 平安時代に入ると、社会が騒然
(そうぜん)とし始める。地震や火災、日照りや洪水等が起こる。こうした天変地異に、貴族達は不安を募らせた。

 そして、貴族のこうした心の動揺に付け入ったのが、「末法思想」であった。
 釈迦の死後、年月が経つと、仏法の加護が衰えて来て、世の中が乱れると言うものでした。その為、阿弥陀仏に縋
(すが)って、極楽浄土に生まれ変わろうとする浄土信仰が広がっていきます。藤原頼通(ふじわら‐の‐よりみち)は、この世に極楽浄土の樣子を再現しようとして平等院鳳凰堂を建立し、浄土信仰は民衆の間に急速な勢いで浸透していく。

 浄土教・念仏宗は鎌倉時代において、一遍
(いっぺん)や法然(ほうねん)によって唱導(しょうどう)され、「専修念仏(せんしゅう‐ねんぶつ)」が日本中に広まると、真鸞(しんらん)は俗諦(ぞくてい)である方便(衆生を教え導く巧みな手段で、「真諦」に誘い入れる為に、仮に設けた教え)を用いて、「臨終の一声の念仏だけで、いかなる極悪人の罪も、この《南無阿弥陀仏》の一声で、極楽浄土へ往生出来る」と説いた。
 要するに、真鸞の説いた専修念仏は、以降、安易に用いられる事になり、《南無阿弥陀仏》の一声が、地獄への呪縛を解除してしまったのである。

 これまで、人殺しは「罪」とされていたものが、何人殺しても構わぬという考え方を作り出し、そして自分が死ぬ間際、《南無阿弥陀仏》の一声を唱えれば、如何なる悪人でも、地獄へは墜
(お)ちないという安易な自信を作り出してしまった。以後、世の中は混沌(こんとん)とし始め、鎌倉期以降、時代は戦乱へと移行する。その最たるものが下剋上(げこくじょう)であった。主人殺しも、何ら咎(とが)められる事が無くなったのである。

 しかし地獄は、《南無阿弥陀仏》の一声で解除されたはずなのに、古戦場には多くの地縛霊
(じばく‐れい)が存在し、一定の時刻が来ると、法螺貝(ほらがい)を吹き鳴らし、喚声と伴に、両軍相乱れて殺伐な戦いが始まる。こうした地域は、今でも全国至る所に存在する。
 《南無阿弥陀仏》の一声は、結局、慰霊の効果を持たないばかりか、かつての兵士の想念は、今もなお、戦い続けて成仏していないのである。
 つまり彼等の導き出した地獄の想念は、あたかもその場に在
(あ)るが如くの臨場感を作り出し、実際には存在しないはずの地獄すら見てしまって、ここでは仏菩薩でも太刀打ちできないと言う、死闘が繰り返えされているのだ。

 こうした兵士達の落とした想念の深層部には、「たった一度限りの人生」という想念の塊
(かたまり)が渦巻いていて、「たった一度限りの人生」だから、思う存分、暴れ廻り、殺しに殺して、運良くば、主君を殺して、それに代わるという意図が見て取れる。
 つまり「下剋上」は、《南無阿弥陀仏》の一声で作り出されてしまったのである。これを「秩序の崩壊」と言う。
 秩序が崩壊すれば、世の中は乱れるのは当然である。

 鎌倉期以降、日本全土は再び騒然となる。世は、戦国時代に突入していくのだ。
 そして《南無阿弥陀仏》の一声を唱えようとも、一度作り出してしまった罪は、厳然
(げんぜん)として存在する。
 罪を消し去るには、地獄と言う苦痛が必要であると想念すれば、また地獄すら歴然として顕
(あら)われるものであり、この独断的解釈によって、現に、地獄は存在していると言う事になる。



●卑怯者達が作った地獄

 この独断に満ちた解釈がまた、先の大戦での悲劇を作り出し、未(いま)だに、亡者達は「七生報国」の呪縛から解き放たれていないのだ。
 砲弾の弾
(たま)の下を掻(かい)い潜り、機関銃の掃射や銃弾が飛び交い、両軍相乱れて白兵戦に及び、万歳突撃(ばんざいとつげき)を敢行して、一旦は銃弾に斃(たお)れ、あるいは銃剣に刺殺されながらも、また翌朝には、五体が健全に戻り、戦闘時刻になると、再び進軍喇叭(らっぱ)と伴に突撃をしなければならなくなる。

喇叭手・木口小平/寺内萬治郎筆

 また、特攻隊の搭乗員は、昨日、敵艦に体当たりしたはずなのに、翌朝になると、五体も、自分の乗った、800キロの徹甲弾(てっこうだん)を抱えた戦闘機も健在で、水盃(みず‐さかずき)の別れと共に、再び歓呼の声に送られて、我が軍刀を脇に、戦闘機に乗り込み基地を発進した。そして再び、沈めたはずの同じ敵艦に向かって、体当たりを敢行した。
 そして、撃沈しても撃沈しても、敵艦は顕
(あら)われ、それに向かって無限の地獄を見るのである。
 戦争には、そうした無限の地獄の歯車が空回りする。
 これらは総べて、「たった一度限りの人生」が為
(な)せる技であった。

 進歩的文化人は、霊長類である人間の人生を、「たった一度限りの人生」と捕らえて、大衆にこれを押し売りする。生まれて、死ねば、それで総
(すべ)ては終わると、繰り返し強調する。だから「人生は一度しかない」と言う。魂の再生はないと言う。
 無神論者である彼等は、不可視世界の現象を認めない唯物論者であるから、五官に感じない事は一切認めようとしない。したがって現世を、この世限りとして謳歌
(おうか)し、「たった一度限りの人生を謳歌しよう」と、若者達を焚(た)き付けるのだ。

 こうした側面が、一見、美しいように捕らえられる「掛け替えのない人生観」を想念させた。
 一度しかない人生だから、「何をやってもよい」「他人を傷つけてもよい」「他人の命を奪って、暴力で革命を遂行してもよい」というふうにエスカレートしていき、やがては心の裡側
(うちがわ)に「暴力」と言う悪想念が蔓延(はびこ)る。
 そして、「たった一度限りの人生観」が、昨今では爆弾テロ等の現実をつくり出したのではないだろうか。

 階級闘争の多くは、その深層心理の中で、「金持ちより、貧乏人の方が格が高い」という対峙想念があって、これが階級闘争の原動力になった。
 しかし、これをよく考えてみれば、富の大小と、人格の高低は、何ら、相関関係を有してないものであり、貧乏人の方が格が高いとするのは、一種の偏見に過ぎず、現に、かつては進歩的文化人と表され、革命を煽
(あお)って過激派学生達を言論で煽っていた人達は、現在では著名なニュースキャスターになったり、NHKの解説員になって、ブルジョア主義を決め込んでいるのは、如何なる理由からなのだろうか。

 そして、マスコミはマスコミで、彼等を知的教養者と持て囃
(はや)し、賞賛して、著名人スターの座に押し上げているではないか。
 やはり彼等の私感とするところは、革命家を気取って、プロレタリアートで汲々
(きゅうきゅ)とするよりは、一足飛びにブルジョアジーに変身して、贅沢(ぜいたく)を楽しみたいと言うのが、実のところの本音ではないだろうか。

 戦後期の日本には、戦争に負けた反動として、社会主義性善説とマルクシズム絶対視に凝り固まって、他の事には一切耳を傾けない、進歩的文化人と言われる知識階級が沢山いた。
 彼等は、尊敬して止まない「ソ連」を、その国家が「並みの国家」よりも、遥かに一段も二段も、上のように宣伝し、ソビエト体制に尊敬の念を込めて、「ソ同盟」と賞賛した時代があった。

 しかし一方で、社会主義とソ連礼賛に明け暮れていた彼等は、一種独特の狡猾
(こうかつ)さがあり、一般の学生や、労働者からなる現場の実動隊のマルクシストとは一線を画し、良心的なポーズと共に、『前衛』や『朝日ジャーナル』や『諸君!』等に、編集・寄稿していた彼等は、ソ連崩壊と共に、今度は、今まで彼等か一番嫌っていたブルジョアジーの、百八十度異なるポーズに変身したのは、一体如何なる理由からなのであろうか。

 やはり彼等の深層心理にも、「たった一度限りの人生観」が、こびりついていて、太く、大きくの「一発型人生観」を謳歌しているのだろうか。
 もし、そうだとしたら、これは戦前・戦中、東条英機の『戦陣訓』に入れ上げ、これを多くの将兵に強要して、戦後おめおめと生き残った戦時下の軍首脳部の戦争指導者の姿に、どこか酷似していないだろうか。

 戦争指導者達の将官クラスは、戦後もおめおめと生き残り、捏造
(ねつぞう)の武勇伝をでっち上げて、何ら恥じるところを知らない。こうした捏造の武勇伝は、防衛庁や陸海空の自衛隊の戦史資料室に大事に保管され、あたかも事実のように、今日でも語られている。

 彼等は、戦前・戦中、天皇の命令で多くの将兵を指揮し、自分は弾の飛んで来ない後方に控えていて、前線部隊を死地に赴かせ、戦後は日本が敗戦した「敗戦責任」もとらず、おめおめと生き残り、「たった一度限りの人生観」を楽しみつつ、天皇の命令?によって、戦後日本の復興事業に努めたと豪語している。この中には、自民党の国会議員になって夜郎自大を決め込んだ、元軍人も少なくなかった。

 もし戦後、「国民裁判」というものが国民の手で行なわれ、「戦争裁判に関する敗戦責任」という名の責任追及というものがなされていたならば、戦後、おめおめと生き残った陸海軍の将官クラスの中には、文句無しに絞首刑を宣告されても当然であるという将軍や提督はかなりの数いた。

  中でも、その筆頭は、東条英機の腰巾着
(こしぎんちゃく)として知られた元フィリピン第四航空軍・軍司令官の冨永恭次(陸軍中将。マニラにアメリカ軍が上陸すると敵前逃亡を図り、台湾の北投温泉で静養していた)であり、次に海軍では福留繁(海軍中将。フィリピンゲリラの捕虜となり、陸海軍の作戦計画書を奪われると言う大失態を演じたが、責任をとって自決することもなく、軍法会議ですら免れた)であり、その後に続くのが、無謀なインパール作戦で大敗を招いた牟田口廉也(陸軍中将。日本陸軍が犯した最も愚劣なインパール作戦を実施し、無謀な命令で多くの将兵を死地に追いやった)で、とにかく、戦後、連合国の戦犯裁判にも引っ掛からず、のんびりと厚生省から高額な軍人恩給を貰って、恩給生活を楽しんだ将軍や提督が実際に、かなりの数いたのである。

 そして、子孫末代までに銘記すべき事は、本来ならば、国民の手によって敗戦責任を問われ、極刑に処せられても文句の言えない、卑怯で、臆病で、しかも無責任な軍人が居た事を、私たちは決して忘れてはならない。

 また何故か、この卑怯で、臆病で、しかも無責任な人間像は、社会主義性善説とマルクシズム絶対視した進歩的文化人と言われる連中にも、二重写しされてしまう。それはあたかも卑怯者達が作った地獄に酷似するのだ。



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