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老成録 1

老 成 録





人生は死ぬまで歩む行脚かな(道元禅師のことば)







 現代人の多くは、“老い”を拒否し、“老い”から逃げ回ろうとしている。自身の中に“老い”を発見しながらも、老いることを拒み続けているのである。しかし、老いれば、残された人生は短い。それゆえ未来も短くなり、残された人生の過ごし方は、当然若者のようにはいかない。残された短い未来は素直に受け入れ、予知することが大事であろう。
 したがって、老い先短い「最後の時期」である老いを、どのように生きるかが問題になる。
 人間は誰しも、“老い”という呪縛を、人それぞれに反応する。その反応の中で、現代人はひたすら“老い”から逃げ回ろうとする。素直に受け入れ、老いることを誇りに思う人は少ない。
 生・老・病・死の四期をなぞる人生最後の時期において、充溢した“老い”を生きるためには、若い頃から既にその準備をしておかねばならない。若い時期を、安穏とやり過ごしてはならないのである。その時期を安穏と過ごした者は、“老い”はただの余生でしかなくなる。生きているが、気力の失せた「生きる屍」になってはならないだろう。
 いまこそ“老い”を真摯に見つめ直す時期なのである。



●死への準備

 老齢期は、「死の準備期間」である。
 普通、年をとると、これを「遊んでいい期間」と勘違いする人が多い。年金を貰い、これまで溜め込んだ金とそれを合わせて、温泉めぐりをしてみたり、公園の一劃
(いっかく)を占拠して、ゲートボールなどをし、遊んでいればいいという期間ではないのだ。この期間は、決して遊んではならない期間であり、躰(からだ)が健康であれば、食べるためには“働く”という基本姿勢が大事である。働くことを忘れれば、気力の充溢は退化する。生きた屍(しかばね)の余生を余儀なくされる。そうなれば、生きながら死んでしまう。

 社会は、高齢者社会になって、老人が遊んで暮らすという事態が起れば、若い世代が複数の老人を、一人で何人も抱えねばならず、それだけ就業年齢に達した若者を苦しめることになる。老齢期に達した老人は、まず、遊ぶ暇などないのだ。基本的には、自分の食扶持
(くい‐ぶち)だけでも、確保するべきである。そのためには、まず仕事をし、働く必要があろう。

 人間は基本的な生活を維持できるくらいの労働は必要である。あるいは、それに匹敵する仕事は必要である。病気でない限り、仕事は死ぬまで続けなければならない。働くこと、仕事をすることを、そこでやめれば、その人は、それで終わりである。生きる屍
(しかばね)となる。生きていても価値がないものになる。

 生きる価値のある人間は、皆働き、あるいは仕事を持っている。働く場所がなく、仕事がないというのは、実に悲劇である。遊ぶ人間、あるいは仕事や労働をせずに、一日中、何もすることがない老人は哀れである。何もすることがない老人は、自分の死ぬ準備すら怠る人である。怠る人は、よりよき死はやってこない。永遠の死が待っているだけである。

 死の準備は生きているうちに始めなければならない。人間は死に向って突き進んでいる。これは紛れもない事実だ。
 老齢期ともなれば、死は身近なものになる。死は、より克明になり、現実味を帯びてくる。
 人間の死というのは、突然死や事故死を除き、決して一度に遣
(や)ってくるものではない。

 人間の「老い」というものは、三十年、四十年、五十年と、長い時間をかけて、部分的な老いが現れはじめる。
 人間、三十過ぎれば、二十歳代前半の若者のように、肌にはしっとりとした潤いがなくなり、目尻などには皺
(しわ)が出来はじめる。
 四十を過ぎれば、年齢的には「初老」といわれる時期であり、そろそろ新聞や辞書の字が読み辛くなり、老眼鏡が必要となる。
 五十を過ぎれば、セックスはめっきり弱くなる。男なら、勃起不能も顕著になる。女なら更年期障害が顕われる頃だ。
 こうした顕われは、則
(すなわ)ち、肉体が既に「部分的に死にはじめている」ということなのだ。

 かつては、「人生僅
(わず)か五十年」などと謂(いわ)れた時代があった。これは人間の肉体が死ぬか、衰えることを意味し、同時に精神の働きも消滅することを顕していた。
 「人生僅か五十年」などというと、花の寿命のように喩
(たと)え、人の一生が極めて短いことをいうのだが、この「五十年」という歳月が、実に肉体年齢とよく適合した期間だといえる。

 「五十歳」という年齢は、五十の年から始まる肉体的故障を指す。
 例えば、五十肩
(50歳位になって時々起る肩の凝りやや痛み)とか、五十腕(50歳位になって時々起る腕の痛み)などである。人間は、五十くらいまでなら、何とか肉体的な運動障害は顕著に顕われないことである。それまでは、まだ、眼や耳の感覚器官も確かに残っていて、生きていくためには殆ど深刻な障害がないのである。ところが、五十を境に、これまでの人生が転換する。

 しかし一方で、肉体的には駄目になっていく過程の中で、肉体から精神への移行が起りはじめる。これまで肉の眼で見えていたものが、心の眼で検
(み)ようとする感覚が顕われる。物の見方が変わってくる。これが「五十路(いそじ)」という、五十の年齢である。この年から、精神世界への移行が始まる。
 肉の眼は確かに衰退していくが、心眼というものの活動が徐々に起りはじめる。これは肉の眼が、落ち目になるのとは対照的である。つまり、肉の眼が衰えた分だけ、精神活動を支える眼力が確かになってくるのである。

 但し、現代人の精神活動であるから、これが確かに、この年に遣
(や)ってきて、これが何処までも続くという確かな保証はない。しかし、程度の差こそあれ、この年を境に精神活動が深まっていく。

 一方、肉体的な活動は、ますます落ち目になっていく。それは、夜目が利かなくなるとか、歯が抜けるとか、足腰が弱くなるとか、平衡感覚や反射神経が鈍くなるとか、重いものを持ったり、高いところに上がれなくなったり、持病が悪化するとか、体質の悪さからガン発症や、その他の成人病が発症するとかの形で、肉体は、確実に、少しずつではあるが、死ぬ向かって突き進むのである。

 特に、持病の悪化や成人病の発症は、これまで自信に満ちあふれていた壮年という年齢の特徴である、傲慢
(ごうまん)な態度や横柄な気持ちを制して、信じられないくらいの謙虚が顕われてくる。つまり病気は、これまでの“行け行けムード”の働き盛りの、壮年のエネルギの冷却水になり、歯止めをかける役割をするのである。

 本来、人間という生き物は、その人が健康であり、順風満帆
(じゅんぷう‐まんぱん)の状態である時は、なかなか謙虚さというものは身に付かない。ところが病気はそれに歯止めをかけ、人間に素直に「頭を垂れる」という謙虚さを教えてくれる。
 この「謙虚さ」を感得した時、人間の視野は一挙に広角を拡げる。視界が拡がる。こうして拡げられた自分の視界から見たものは、自分という人間の「小ささ」である。マクロ的に検
(み)る、点としての自分は、実に小さなものである。一匹の微生物に過ぎない。そして自分の小ささを知る。

 それは庶民の階級だから小さいのではない。地球という生き物は、自分という小さなものが、居なくたって、全然困らない。それは時の権力者でも同じである。
 大統領でも、総理大臣でも、一部上場会社の代表取締役社長でも、映画やテレビの大スターでも、歌の上手い大歌手でも、大富豪でも、その人自身が居なくても、地球は全く困らない。地球に別状はない。そんな人間の代わりは、幾らでもいるからである。

 自分の小ささを知ると、そうしたことに囚
(とら)われ、追い回されていたことが幻想であるということに気付く。
 最も大事だったことは、幻想に追い回され、それを追いかけることではなく、年齢と共に、死の準備を始めなければならない作業である。それは自分が小さな人間であるからだ。老齢期に近付くほど、それは覚悟して準備をし、人間として怠ってはならない作業なのである。この点において、人は「平等」なのである。それは人の死が、みな平等に与えられているからである。



●老いを真摯に受け止める

 生・老・病・死の“四期”において、まず生まれるという最初の行為の次に、第二の行為として「老い」というものが控えている。更に“老い”から「病」を患う行為があり、最後が四季のメーンイベントである「死」へと繋(つな)がる。
 一人の人間の、生を受けてこの世に生まれ落ちてから、この世を去るまでの行程が最後は人の死によって完結するようになっている。

 生まれたものは死ぬ……。
 だた、これだけの行為の中に、その人の一生が示されているのである。
 生まれたら、次の行為は「老いる」のである。
 老いとは、年を取ることである。死に近づくことである。そして老齢になり、その時期の生活を「老いを送る」などという。
 これは老後の生活を指し、また余生を送ることを指している。この余生を送る行為の中で、「老いを養う」というものがある。老体を労り、また静養することを“老いを養う”などと称して、老人を手厚くする行為を、その周囲に求めたりもする。

 老いること、そして老いを養うという行為は、現代の世においては、これを真摯
(しんし)に受け止めない時代になっている。
 世は依然として若者中心の世の中であり、また仕事のできる就業年齢も大体働き盛りと称する、四十代後半から五十代初めまでである。
 かつては四十の声を聞くと、「初老」などと称した。40歳の異称として、この時期を“初老”と言ったのである。これは人間が老境に入りかけたことを示した言葉であった。
 しかし、現代の「初老」の言葉の使われ方の意味は大分違っている。また、年齢時期も違っている。

 初老という言葉を、五十代半ばから六十代前半に掛けて用いている。それは現代人程、かつての人間に比べて長生きしているという意味から、初老の時期は年齢的にも先送りされたことを示している。生まれてから死ぬまでの平均寿命が延びたためであろうと思われる。そしてその背景には、世界に誇る「長寿国・日本」の自負があるようだ。

 しかし、この自負とても実は疑わしいもので、健康に老いて、健康に死んで行くというような、そうした死に方が出来ないのが、実は日本人の抱えている死への第一段階であると思うのである。
 そして多くの人間の老いから死への至までの期間、「病」というものが重くのしかかるのである。老いから、すんなりと死へ辿り着けないのである。老いて死に至るまでの期間に、“やまい”を患
(わずら)い、この体験の中で死んで行く「事故死的」な死に方が今や主流となっているのである。

 某
(なにがし)かの病気を患って死ぬ……。
 これを事故死という。自然死ではない。
 自然死とは凡
(おおよ)そ掛け離れた、苦しんで死んで行く事故死が、今や主流となっている。
 苦しみながら死んで行く……という行為が、実は老いの生活の中で大きな比重を占めているというのが現代と言う世の中である。
 したがって自然死などという行為を、現代人は殆ど出来なくなっているのである。
 つまり、自然史には欠かせない「月の満ち引きで死んで行く」という行為が、現代社会からすっぽりと抜け落ちてしまったのである。そのために多くは、老いてその後は惨めな死に方が待ち構えているのである。科学万能主義、物質至上主義に入れ揚げた結果の、哀れな変わり果てた姿である。

 豊かさの便利さと快適さを求め過ぎた、人間の業
(ごう)からくる「天罰的な死に方」が、最後の最後に待ち構えているのである。これが現代の世の特徴である。
 その死に態
(ざま)の辛さと苦痛は、あたかも自然災害のよってその恐怖に呑み込まれて行く、“あの死に方”と酷似するのである。これこそ現代の事故死の典型的な“最期”を彷彿(ほうふつ)とさせるのである。

 人間がこの世に生まれ落ちて、老いるまでの期間として、それが肉体上に顕著に現れるのは、やはり『菅家文草
(かんけぶんそう)』にある通り、“40歳の頃”であろう。
 『菅家文草』は菅原道真
(すがわら‐みちざね)の著で、これは漢詩文集である。その中の一節に「星霜四十六廻の人、人はこれ初老、路(みち)何んぞ遠き」とある。

 『菅家文草』は道真の才学や当時の四六駢儷体
(しろくべんれいたい)【註】漢文の一体で、漢・魏に源を発し、六朝(りくちょう)から唐に流行した4字および6字の句を基本とする四六文)および行事などを知る上に重要とされる書であるとされる。
 その中に平安前期の人だった菅原道真は“初老”を「40歳」としているのである。

 平均寿命が長くなった現代の世で、“40歳が初老なんて……”と思う人も多かろう。
 しかし、この「40」と言う年齢は、まさに老境の年代であると言える。これは十世紀以前も、現代も殆ど変わっていないのである。

 特に人間の肉体を見た場合、幾ら医学の発達で平均寿命は伸びたとしても、やはり「40」は老境の入口であろう。此処から既に肉体的な老いが始まっているのである。それに反比例して精神的な老いは遅れているから、そのギャップこそ奇妙な現象と言わねばなるまい。昨今に日本人は、老いても精神構造はそれほど練熟した構造になっていないのである。昨今は、爺
(じじい)も婆(ばばあ)も、大人になりきれずに、あの全共闘で駆け回り、それが正義と信じた居たような、精神年齢は20歳代で止まっていて、実に幼稚なのである。

 この年代の“団塊の世代”と言われた大半の爺・婆は、「大人になることを、男と女が裸になっていちゃついたり、寝ることだ」と思い込んだ、その程度の幼稚さしか持ち合わせていなかった。精神的に大人に慣れなかった世代である。その意味で、筆者も例外ではなかった。年をとっても“その程度”の幼稚さを引き摺っているのである。
 しかし、かつての唯物論者も年と共に変化する。顕著に老いが現れるからだ。

神仏をイメージする牧歌的風景を懐かしく思ったり、哀愁を感じるのは、その人が既に老境に入っていることを意味するというが、それは傍観者の言葉であり、やがて今度は自分が傍観される番なのである。
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり……とは何も衰退期にある者に限ったことではない。人はみな同じ道を辿る。

 現代人は男でも女でも同じだが、「40」の聲(こえ)を聞くと、老いは顕著に現れる。
 男は満42歳を前後して、“人生最大の厄年”が控えており、女は幾ら奇麗な人でも肉体的変化は顕著に現れる。そしてその後、閉経とともに訪れる更年期障害が控えている。この障害は単に閉経などの肉体的な変化だけでなく、鬱病
(うつびょう)に陥る精神的変化も伴う年齢である。
 そしてこうしたピークを迎える年齢を無事に乗り切ったとしても、かつてのように満足のいく肉体は殆ど残っていないのである。二十代、三十代は奇麗だし魅力的であったとしても、その当時はそれだけで満足していられた時期だった。
 ところが40の聲を聞くと、そうも言っていられなくなる。全盛期という「盛り」の時を通過するからである。下り坂に入るからである。
 幾ら精神的に幼稚でも、肉体の変化は顕著である。肉体は嘘をつかない。

 やはり老境の境は「40歳」なのである。
 例えば、あなたが今38歳だとしても、“あと二年で四十になる”と、そう認識した時、今までの二十代気分はやがてしおれ、その意識の向こうでは、やがて迎える事実として、「40という意識」が自らの老いを認識させてしまうのである。

 その認識の中に「セックスの衰え」あるいは「セックスの倦怠期的なマンネリ化」があるのではないかと思うのである。
 人生の時間の過ぎ方は、年を取るほど加速度的になる。年齢とともに時間が早まる。
 少年少女期に、時間が無限にあると思われた気の遠くなるような長い時間も、30代半ばを過ぎると、そこから次第に速くなる。無限と思われた長い時間も、よく考えれば一日24時間しかないことに気付かされる。
 仕事に追われていれば、一日24時間では足らないくらいである。一日48時間あっても満足いくか分からないくらいである。一日の時間がもっと長ければいいと思うのである。それくらい仕事に忙殺されていれば、一日24時間では短過ぎると思うのである。

 40の聲を聞けば、それからは時間の経つのが速い。加速度的に速くなる。そして50になり60になる。
 60になれば、もう直ぐ70である。
 この時期に、何らかの病気を背負い込み、体調は思わしくなくなる。70を過ぎれば、その先きには80の聲があり、数年すれば平均寿命に差し掛かる。
 しかしこの平均寿命の中には、寝たっきりになったりボケ老人になって、過ごしている老人も含まれるので、これに差し掛かる頃に自分が元気で「病院離れの生活」をしているか否か分からないのである。事実、多くは病院と共に生活をする人が少なくない。何らかの異常で、病院通いを続ける人が多くなる。
 あるいは寝たっきりで動けなくなることもある。

 かつては美人の誉
(ほまれ)れ高かったご婦人も、この年になればボケるか、寝たっきりとなっり、“老人用紙おむつ”をして、痩せた下半身を他人の目に晒(さら)さなければならなくなる。美貌の20代、30代はとうに過ぎている。かなり昔のことになる。その余韻が40代に引き摺(ず)っていたとしても、70を過ぎて紙おむつをしていれば、それは無慙(むざん)な過去の幻影に過ぎなくなる。
 美貌の女性が求婚され、結婚にこぎつけ、子供を産み、育て、一つの幸せな家庭生活を営んで生きてきた女性でも、最後は“老人用紙おむつ”をして、痩せた下半身を他人の目に晒さなければならない姿になってしまうのである。
 この姿を思えば、人間が初老の聲を聞く40歳の頃に、未来の惨状を思えばそれまはさに「無慙」であり、その無慙に心を集中させれば、誰もが泣きたいような虚しさに襲われるはずである。

 しかし、恐ろしいのはこれだけではない。
 泣きたいような虚しさに襲われるのが、この年の専売特許ではない。恐ろしさはもっと他のところにある。
 “老人用紙おむつ”を外して取り替えてもらったり、履かせてもらったりする過程の中で、痩せた下半身を他人の目に晒すことである。

 10代後半の頃は美少女と言われ、アイドルにしたいような周囲からちやほやされ、20代30代では女優にしたいような美人の誉れ高かった絶世の美女も、70代80代になって紙おむつのお世話になると、痩せた下半身は、やはり一目に晒すことになる。人間は自分一人で生まれて来ることも出来ないし、また一人で死んで行くことも出来ない。他人の世話になる。長生きしても、必ずそうなる運命が待っている。

 その世話になる行為の中で、自分の下半身を他人に委
(ゆだ)ねなければならないという事実だ。
 この事実だけは、何びとも覆
(くつがえ)すことが出来ない。
 老齢期から老衰期の死ぬまでの僅かな期間、生きていれば他人の何らかの世話になる。下の世話になることからは逃れられない。これは男でも女でも同じである。

 紙おむつを外される時は、次の手順のようになる。
 まず、紙おむつを外され、陰部を中心として臍
(へそ)の下から大腿部の付け根に掛けて、ここら辺を絞ったタオルで拭かれる。陰毛に白髪が交じったまばらな性器も拭われる。
 介護ヘルパーの技術と人間性にもよろうが、大方はマニアル通りに大腿部を大きく開かれ、優しくこするように拭かれるのである。
 そこには萎
(しな)びた性器を付属させた、人生の終わりの近い状態が克明に現れている。その人がかつては、どんな大した美人であっても、人生の終わりには弛(ゆる)んだ大陰唇の膨らみの裡側(うちがわ)にタオルを押し当てられ、そこを拭かれるのである。

 かつて、“そこ”は男の貌
(かお)の次に、此処に入る男根を選(え)り好みした箇所であった。
 入ってきた男根を逃がさず、放すまいとした、すったもんだの箇所だった。
 また、自分の女陰に入り込んできた好みの男根は、男の浮気で、結局は他の女陰に入り込む、したたかな物で、それ自体が離婚騒動となって大騒ぎをする“もの”だった。
 恋人同士でも、夫婦同士でも、結局は男女二根のこの箇所にドラブルの根源が居座っていたのである。突き詰めれば、此処に回帰されるのだった。

 若かりし頃は「愛」という名目で、此処に男根が出入りし、また女根がこれを一杯に頬張って銜
(くわ)えた。その度に、いつかは妊娠し、あるいは重是ツをする羽目となった。
 そして蓋
(ふた)を開ければ、諸々の諸悪の根源は、此処に帰着し、その正体は所詮(しょせん)しなびた“いも”か、“あけび”だったのである。太腿の間に、付属した低き物質界の残留物であった。“快感”と“官能”を齎す、その手の物質界の所有物だった。

 だが、精神年齢の幼い壮年期や老年期の男女は、この期
(ご)に及んでも低き残留物に固執する。
 いつまでも、これにこだわる。愚かなことであることに、いつまでも気付かないのだ。“何だ、あほらしい”という気になれないのである。それは、愚かにも“こだわる”からだった。こだわって、あたかもそこが愛の発信源であるかのように、思い込む場所だった。蓋を開ければこの程度の物だった。だが、昨今の恋愛遊戯はこの場所を混乱の極地に陥れる。そして“性”に狂う。
 昨今は、年をとっても、こうした男女が殖
(ふ)えている。日本人は、確実におかしくなっている。残留物にこだわり人種となった。そのての種属(スピーシーズ)に成り下がった。愛と性と性器の区別が分からなくなってきている。

 現代人は生・老・病・死の四期において、「生」と、「老」から「病」の間で紙おむつをするようになった。そのように飼い馴らされた。
 筆者自身は、50半ばで死ぬまでの家内の下の世話と、講演に行った先きの老人病棟やガン病棟で、些
(いささ)かこうした死を待っている人の紙おむつを取り替える作業を手伝ったことがあるが、爺さんにしても婆さんにしても、新しい物に取り替えてやると、その人が寝たっきりであっても、必ず微笑むのである。気持ちよくなったことに、必ず笑顔を見せるのである。最初それを感謝の微笑みと解していた。ところが、それは違った。感謝などではなかった。

 それを気付いた時、何だか自分の心を見透かされたような気がしたのであった。
 それは「お前も今まで何人の女陰に出入りしてきたのか?……」というような、その老人の微笑みの中で、そんな見透かしたような眼差しを向けられてハッとするのだった。あたかもそれは、ニタつくような微笑みだったからである。

 人生の終わり近づく老人たちを傍観して気付いたのだったが、実は人間は何歳になっても、幾ら年を取ったからといって、老いていても、人間の男女の性器は決してボケることもないし、忘れることはなく、それは「灰になるまで続くのだ」と思うのであった。
 人間の恐ろしさと、したたかさは、何と、老衰期に到達した老人によって思い知らされたのであった。“あけび”も“いも”も、確かに萎びてはいたが、決して死んでいなかったのである。脈々と息づいていたのである。その息づきは、灰になるまで続くのである。



●老いて成る

 世の中には、人間の老いを「老醜」などの言葉からも分かるように、“醜いもの”と決めつけているようだ。そして“老い”を、特殊な状態と捉(とら)え、それは孤立した穢(きたな)らしい、病的な状態を考えている人が少なくない。
 果たして、「老い」とは、世の中の多くが考えている、実際に醜くて、汚らしいものなのだろうか。

 老年期とは、人間が人生を経験して行く上での、一種の“通過期”に過ぎない。その期間における姿を全過程の中で捉え、それはあくまでの一種の「通過点」に過ぎないと考えるべきである。
 人の一生が、生・老・病・死の四期を循環する以上、「老」は全過程の一つの通過点であろう。

 もともと「非存在」たるべき人間が、生きていると言うのであるから、これこそ自体が「奇蹟」である。存在していること事態が、まさに奇蹟と捉えるべきである。生きると言うことは、奇蹟の連続である。
 しかし、人間は「生きる」という存在について、これを当然と認識し、本来の非存在の実態であった、「死する」ということを忘れている。人間は寿命を追って死を迎えるのであるから、死の前には「老」という状態が起る。

 この「老」に至って、自分の人生を振り返った時、「生きる」ということは、“いつの時代も、失敗の連続だった”と気付かされるのである。あるいは“恥多き人生だった”と回顧することが出来るのである。
 つまり、老齢まで「生きて来た」ということは、“失敗の連続”であり、それだけ多く、人生の理不尽を味わったと言うことになる。しかし、そんなものは、長い時間の間に風化し、振り返れば「総ては過ぎ去って行く」ことが分かるであろう。そして、「老年」という時期は、これが“経過”だったと思い当たるのである。老いも、通過点だ。

 「老い」という現象は、寿命を、ほぼ全
(まっと)うすることが、“人生を経験すること”なのであるが、この“老い”も、はじめから歳老いて、人間は生まれて来るわけではない。はじめから老(ふ)けているわけではない。
 特殊な環境に置かれない限り、人間は、はじめから老人であるわけはない。もし若くて、老いた状態にいた人があるとするならば、その人は身体的な病気で老いているか、あるいは精神的な頽廃
(たいはい)によって老いているか、である。

 したがって「老い」という老化現象は、その部分だけを“コマ取り”して、問題にするべきものではないはずだ。飽くまでも、人生における四期である、生・老・病・死を全体像として捉え、全過程を人生として捉えなければ、人間は自己を喪失してしまうであろう。また、自己を喪失するばかりでなく、「老齢期」という老いの顕われる時期を、「絶望」として捉えなければならなくなる。

 もし老いが「絶望」であるならば、人間はそこで自殺するしかないのである。老人の自殺は、人生を絶望と捉えた時に襲って来る。

 人間は、既にこの世に生まれ落ちたその刹那
(せつな)から、「老い」を内蔵して生まれて来る。
 「生まれた」ということは、まず、その“0歳児”から、老いに向かって突っ走ることになる。衰えや、老いと言うことを経験しながら、やがて、この非存在なる人間は、死へと向かうのである。したがって、人間が一生を経験する以上、生・老・病・死の四期を明らかにして、その実態に迫らなければならない。

 また、「老い」を一つの時間の経過として検
(み)ることをせずに、その時点だけを歎くのは、お門違いである。
 人間は四期を経験して行く上で、その期間には、当然“成長期”が必要なように、また、人間としての霊的な精神性を完結させる為に、「老い」という凋落期
(ちょうらく‐き)があって可然(しかり)である。老いこそ、人生を完了させる為の予備段階の、必要不可欠なものであり、この完了なしに、霊的な精神性の完結はあり得ない。

 霊的な精神性の完結を得る為には、人生が理不尽であり、かつ不完全な行為を人間がしていると気付くことであり、此処に矛盾の原点があると認識しなければならない。それはどんなに腹立たしい、試行錯誤を繰り返した後の矛盾であれ、不完全性であれ、それを素直に認めて、受け入れる以外あるまい。
 したがって、「老い」を経験すると言うことは、逃れ難い“悲しみ”でも、喜々とした有頂天に舞い上がる、思わぬ“喜び”でも、この中に喜怒哀楽があり、それを実感として組み込まれた「人生形態」の中に、「老い」と言う現象が存在しているのである。

 人生の四期は、生・老・病・死の形態構造を持つ。あたかも大自然の中のフォー・シーズンのように……。
 人の一生は、人としてのあらゆる喜怒哀楽を実感として得られるように、その仕組みが出来上がっている。そして、そこで経験して行くプロセスは、苦しむことであり、悩むことである。
 その結果、人間は苦悩を通じて「考えること」を知ったのである。考えて、考え抜いて、悩み抜き、そこではじめて、「老い」は「成る」のである。



●老いたら欲を捨てる

 では“老いて成る”とは、どういうことか。
 世の多くの老齢期に達した者は、老いることから逃げ回っている。少しでも老いた肉体を若返らせようと、必死の努力を続ける者が少なくない。
 筆者は天気のいいときは、下駄履きで近所の河原を散歩する。ゆっくりと歩きながら、川の土手の石段に坐って四季の草花を見たり、あるいは立ち止まって川に遣って来る渡り鳥を見たり、塞き止められた川の一部に鯉が泳いでいるのを見たりして楽しむ。決して急ぐわけではないから、適当に歩いているという感じで、往復2、3キロほどを回ることにしている。

 そうした筆者が歩いている横を、またこれが、ほぼ同じ年齢か、それよりも少し上の年齢の高齢者の方が、ランニングスタイルで“猛スピード”というような早さで、走り抜けていく。早朝マラソンなのか、早朝短距離トレーニングなのかは知らないが、白髪の高齢者が走り抜けていく。そうかと思うと、また同じような年恰好の、老婦人たちが軽快な服装をして、競歩のトレーニングに励んでいる。

 そして橋の先には、こうした高齢者を待ち受ける時計係のような担当の老人がいて、ストップウォッチを持って待ち構えていて、走行タイムを調べたり、万歩計の歩数を調べたりしている。それを一々手帳に書き込んでいるのである。それが終わると、この高齢者の一団は、ある者は短距離選手のように走り出し、ある者は競歩選手のように早足で歩き出す。そして、あッという間に、どこかに消え去ってしまう。
 この高齢者の一団は、何かのサークルなのであろう。

 また、単独で“トレーニング”と名の付く、スポーツをしている高齢者も少なくない。同じように早朝マラソンをしたり、短距離を走ってみたり、競歩で歩き抜けるというトレーニングをしている。
 このトレーニングをする裏には、「もっと若々しくありたい」とか、「健康でいつまでも長生きをしたい」という願望があるのだろう。この願望こそ、「欲」である。欲があるからこそ、若々しさを失うことや老いが気になったりして、それが同時に苦しみや悩みの種となる。
 そのため、「欲」が早朝トレーニングに走らせているのかも知れない。

 しかし、こうした高齢者たちも、あと4、5年もすれば、筆者が早朝散歩をするこの場から消える。これまでトレーニングをしていた人たちは、体調を崩したり、アクシデントに巻き込まれて入院し、病の道を辿るからだ。
 老い先短い未来に対し、欲を持ち続けて生きたとしても、その余生は苦しみや悩みの種でしかない。この種が、老いた時間の濃厚なることを忘れさせてしまうのである。欲望の世界に引き摺り込んでしまうのである。
 老いた時期だからこそ、大欲を捨てて、「小欲」に徹すべしなのだ。物欲世界から離れて、静かな安らぎの岸辺に辿り着くことが大事なのである。

 生物はその種属によって、それぞれに違いがあるが、ある年齢に近付くと「老境」に入る。
 一説によれば、亀と鸚鵡は二百年ほどを生きるといわれる一方で、蜉蝣
(かげろう)は生まれて僅か二時間ほどを経て死に逝くものもある。
 また、カマスや鯉が三百年ほども生きるのに、なぜイギリスの詩人のバイロン
George Gordon Byron/ロマン派の代表詩人。1788〜1824)や、オーストリアの作曲家のモーツァルトWolfgang Amadeus Mozart/ウィーン古典派三巨匠の一人。1756〜1791)は僅か三十年余年ほどしか生きられなかったのか。

 人間には運命が働いているようだ。
 そこにはダイナミックに流動する「運」というものがあり、それに「天命」が関与しているようだ。そして“神意は測り難し”である。
 人生は、長いようで実は短い。人間が長寿を全うしたところで、その長い者でも高が百年程度である。百年経ったら、長寿の全う者でも死に絶える。そして百年程度で死に絶える他人を余所目
(よそめ)に見ながら、自分が老いたることを、老人たることを知る者は甚(はなは)だ稀(まれ)である。



●刹那のワンカット

 人間は老いる生き物である。人間の人生が、やがて凋落期を迎えるというのは、人間が大自然の一員であると倶(とも)に、「老い」の中に、人生の真理が隠されていると思えるのである。
 それは天地大自然が、人間に与えた「愛」のようなものであるからだ。

 人間が「生」を実感できるのは、「今、生きている」という、この瞬間だけである。この瞬間に、未来を想像できるのである。未来を予見し、未来を見通すことが出来るのである。そして予見し、見通した先に「老い」という必然性が浮かび上がって来るのである。これこそ、死を迎える為の準備である。

 若者が刹那的に捉えた“青春”は、連続性なき「刹那
(せつな)のワンカット」であり、これを青春と定義するから、物事は訝(おか)しくなって来るのである。若者が謳歌(おうか)する青春は、その後の壮年期や老年期と連続しているものなのである。
 しかし、現代人の多くが捉えている“青春”は、「刹那
のワンカット」である。その刹那的な部分だけを切り取って、「若いことは素晴らしい」とか、「青春に乾杯」などと称しているのである。しかし、その刹那は、五年後、十年後には、もう“お肌”に罅(ひび)が入り、皺(しわ)が押し寄せ、老いは確実に現実のものとなる。

 かくして人間は、青年期に好き勝手に青春を弄
(あそ)び、最悪の状態を出現させてしまうのである。それは人生が、四期と言う生・老・病・死で構成されている連続性を見失うことなのである。連続性を見失えば、「女は三十を過ぎれば死ねばいい」という言葉さえ飛び交うことになる。これこそ「刹那のワンカット」であり、人生を短絡的に捉え、全体像を見失った考え方と言えよう。

 刹那で捉えた老人像は、実に哀れである。
 青春時代に戻れない老人が、過去を思い出し、その栄光に縋
(すが)る姿は、実に哀れである。これこそ、刹那で捉(とら)えた老齢期であり、不連続の中で捉えた人生像である。こうなれば、人生は何ら意味を持つものはなくなり、時間の持続の積み上げも、老人までなって生きた人生の意義すらも、無価値のものとなってしまう。
 各々の人間が、経験や体験する期間を、刹那的に捉えれば、「老人」という存在は、単に人生の終末における穢
(きたな)らしい、ゴミ屑(くず)のような存在になってしまうのである。
 これは老人が醜いのではなく、老人を忌み嫌い考え方や、老いると言う事を「若さへの反逆」と捉えるから、現代人の抱く老人像は、益々醜くなるのである。

 “青春の謳歌”という思考で人生を捉えた場合、その人生には、人間が生まれ出た「人生の発端
(ほったん)」と、終局を迎える「人生の完結」は、無関心であればあるほど、特に人生の終局において、老人を“姥捨山”に捨てるだけの存在にしてしまい、ゴミ屑のような取り除かれるべき“物”となってしまうのである。

 全世界は高齢化社会に突入する現在、老人は、捨てる外ない“物”になりつつある。
 老人を“物”として扱えば、使い古された穢らしい“物”であり、片付けられてしまった“物”となり、捨てる対象に取り込まれてしまう。“青春の謳歌”のみが賞賛され、「刹那のワンカット」で、その一部分だけをクローズアップさせれば、人生の全体像を見失う結果となる。そして連続性を見失えば、老年期に与えられた独自の特典をも、放棄することになるのである。



●美しく老ける

 老齢になれば、若い頃のように活動的でなくなる。活き活きした溌溂(はつらつ)さが低下する。そこで齢を取ってまで生きようとする人間を憎んで、特に女性の場合は、瑞々(みずみず)しさと言う面で、齢には勝てないと言うことで、「女は三十を過ぎれば死ねばいい」という、傲慢(ごうまん)で、無謀な言葉まで生まれた。

 こうした思考に陥った人は、人生が全体的に機能する全体像と言うものの構造を知らず、老人には、老人特有の特典があると言うことを知らないのである。人生の連続性を知らなかったのである。孤立した青春しか知らなかったのである。青春の後に老年期が控えていることを知らなかったのである。そして、孤立した“虚しい青春”を送った人である。

 しかし青春を謳歌する青年期と、死を間近に控えた老年期は、それぞれに、その時期特有の人生の一部を背負っているように思える。そこには独自の本質があるように思える。この本質を知る為に、青春を謳歌するのが青年期があり、また死を目前に控えて、完結へと向かうというのが老年期である。
 そして不思議なことは、それぞれに異なる独自な本質を有しているのにも関わらず、一個の人間の中で、これらは連続され、固く結びついているのである。
 しかしそのことに、余りにも気付かない人が多い。

 青年期には、多くの人が、金・物・色に囚
(とら)われ易い。しかし齢(よわい)の蓄積は、こうしたものから解き放たれる時期を迎え、物質指向から、精神指向へと移り変わる。それが老年期である。
 齢を取っても、なお“物”に執着するのは、その人が幼稚であるからである。指向性が幼児的であると、金・物・色の物欲の世界から中々解放されない。煩悩
(ぼんのう)に振り回されながら、死生観を解決する事なく、哀れな死を迎えることになる。

 さて、「青春」とは、そのまま老年期の中に継続されて行くものである。
 青年期の青春は、活動性と生気に象徴され、若い時期には物理的な運動面で作用し、物質界の一翼を担う。
 一方、青年期の活動性と生気は、物質界でこそ、物理的に機能はしなくなるが、齢を取っても、なお、心理的に精神面に作用し、老境にあっても、青年期の活動性と生気は、老いを美しく老
(ふ)けさせる為に、「恢復(かいふく)」という作用を以て、老年期の精神面に働きかける。

 この働きかけは、老年期を、今度は精神面により支えることになり、美しく老けさせる為の青春を、再び獲得させるのである。此処に青春と言うものの本質があり、人生における青春は、単に「刹那のワンカット」でないことが分かるであろう。
 人生の連続性に、ワンカットは存在しないのである。確かに、老年期へと連続する、物理的かつ刹那的なものを超克する為に、精神の持続性へと働きかけているのである。それが老いた年齢に遣って来る中心課題だ。

 老いても、青春は老年とともにあり、これが美しく老ける為の原動力となる。
 美しいのは、何も“美しい十代”ばかりでなく、老いても、なお美しく、「美しく老ける」ということが大事なのである。



●死によって次世代に残すもの

 人間の愚行に、子孫の「美田を残そう」とする行為がある。
 一方、俚諺
(りげん)に「児孫のために美田を買わず」というのがある。西郷隆盛の“詩”に、このことが出て来る。
 これは物質的な遺産を残せという愚行を戒める言葉である。子孫の為に財産を残すと、却
(かえ)ってよい結果にならないから、そうしないということの、戒めだ。

 問題なのは、死に行く者が、自分の死によって、後世に「何を残すか」と言うことである。
 西郷隆盛の、「児孫のために美田を買わず」という言葉を裏を返せば、「物は虚しい」と言っているのであり、物はやがて消える運命にあるからだ。それよりも「精神を残せ」と言っているのである。

 では「精神を残せ」とは、どういうことを言うのか。
 それは「戦い尽して死んだ」という、人間の死に態
(ざま)だろう。壮烈な死に態だろう。この精神こそ、自分の死によって残す、最大の遺産であり、この遺産を知ることにより、次世代は勇気を奮い起こす原動力を身に付けることになる。

 死に行く者と、死に行く者を見送る者とは、「死」と「生」の明暗を分けて、それを区別しているように映るが、実はそうではない。年老いた者が、若者の目を意識して「早く死ねばいい」と思っていると勘繰
(かん‐ぐ)るのは、一種の“老人の愚痴”であろう。愚痴を重ねれば、他人の考え方まで悪く捉(とら)えてしまう。

 例えば、仲の悪い嫁と姑の関係ならば、姑は、嫁の目から察して、「お前など、早く死ねばいいと思っているのだろう」と捉
えてしまいがちだが、これは人間の根本的な心情を理解していない言葉から出たものである。老化した老人の考え違いから発したものである。

 嫁と姑が“仲が悪い”ということと、“早く死ねばいい”と思うのは別問題であり、人間の本性は、「死を願う行為」と、相容
(あい‐い)れないものがあるからだ。
 本来ならば、“犬猿の仲”にある嫁と姑は、これを姑の死を以て、解決する問題ではない。また、古い順に死に就
(つ)くというのも不自然である。死は必ずしも、古い順とは限らない。若くして死ぬ場合もある。したがって、犬猿の仲を、死を以て償(つぐな)うものではなかろう。

 一時的に、感情に振り回されて「お前は死ね!」という言葉は吐くにしろ、これが現実のものになることを望む人間は居ないだろう。人間が、喧華の絶えない“犬猿の仲”にある場合、どうしても相手に死んでもらわなければならないということにはならず、相手に「死ね!」という言葉が吐露
(とろ)される場合は、生命の危機に関する“争い”に於てだけである。

 例えば、生命維持の為の「食糧問題」や、生活空間や面積が脅
(おびや)かされる「領土問題」や、自らの信仰する宗教が侮蔑(ぶべつ)される「宗教問題」などであり、あるいは「民族問題」や「部族・人種問題」であるかも知れない。これらに不等な圧力を受ければ、当然、死を賭(と)しての戦いとなり、相手が死ぬまで戦うことになるであろう。

 ここに鏖殺
(みな‐ごろ)しの考え方があり、「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」の憎悪が働き、単に、その国民に帰属していたり、部族に帰属したと言う理由だけで殺される。憎むあまりに、それに関係のある事物すべてが憎くなるのだ。人の抱く憎悪は、こうしたものが発端(ほったん)となっている。
 つまり、「息をしただけで殺される」という理不尽が働くのである。こうした事実は、人類の、古代から現代に至るまでの数々の戦争の歴史が雄弁に物語っている。

 しかし、こうした場合は明らかに異常であり、壊れた思考の持ち主が戦争指導者にならない限り、普通の状態では起らないであろう。
 そもそも人間は、「生」を肯定する生き物であるからだ。普段は、相手に「死ね」などとは決して思っていないのである。

 つまり人間が相手に「死ね」と吐露する時は、生命が脅
(おびや)かされ、精神的な圧迫を加えられた時であり、それ以外において、相手の名前も知らない国民同士が、武器を取って争うことはない。
 正常な神経の持ち主ならば、単に仲が悪いだけで殺し合いに至ることはない。それは人間と言う生き物が、動物と異なり、それぞれに崇高
(すうこう)な精神を持ち、道徳や倫理で支えられているからだ。それが人間の向かう必然的な方向であり、その方向は「生に加担する行為」である。倶(とも)に生きる行為である。人間には共棲(きょうせい)の論理が働くのである。

 仲が悪くても、思想や主張が異なっていても、崖
(がけ)っ淵から、何らかの事故で落ち掛かっている人を見れば、まず助けようとする。手を差し伸べようとする。“犬猿の仲”の嫁姑の仲でも、一応手ぐらいは差し伸べて、助け上げようとするであろう。
 人間が生命に関する危機に見舞われれば、その相手を、何らかの方法で助けようとする。決して、「死ね」などとは言わない。「死んで好
(い)い気味」だとも思わない。とにかく、先ずは助けるのである。それは他人の死を見て、好い気味だと思わない、人間の生理的仕組みがあるからだ。

 しかし、精神的老化が酷
(ひど)くなり、神経が麻痺(まひ)し、生理的な機能が壊れた人間ならば、犯罪に手を染めて人殺しをしたり、侵略と言う非合法行為で、隣国に攻め込んで、戦争を仕掛けるだろう。こうした特殊な例において、人は他人に対し、「死ね」と吐露する。どちらも遣(や)り返す。侵攻した隣国の国民が死んで行くさまを「好い気味」だと思う。「皆、死んでしまえ」と思う。人間的に壊れてしまえば、そうなる。これは他人の死を願う、愚かな行為であることには間違いない。

 ところが老人は、どうか。
 老人を見ただけで、「早く死ね」とは思わないだろう。むしろ「いつまでも元気で長生きして欲しい」と願うだろう。況
(ま)して、自分の親なら当然であろう。
 則
(すなわ)ち、老人に与えられた責務は、早く死ぬことではない。健康体を維持し、出来るだけ長生きすることである。その代わり、やがて来るであろう、命を全(まっと)うする時に、次世代に「人間は戦い尽して死ぬ」という実感を教えなければならない。これこそが、自分の死によって、残された者へ、「喜びを与える行為」なのである。

 老人は生き尽し、生きる事について、どんな場合にも戦い続けなければならない。齢
(とし)だと、諦(あきら)めてはならない。思い残す事がないまでに戦い尽し、見事なまでの死に態(ざま)を、次世代に披露しなければならない。戦い尽して、死んでこそ、後に爽(さわ)やかな感動を与えるのである。
 人間には、もともとこうした機能と仕組みがある。それに気付かなければ、“物”だけに振り回されて、生きる以外ないだろう。



●科学の奴隸になった現代人

 二十世紀は人類史上、目覚ましい発展を遂げて来た。その余韻(よいん)は今日もなお、尾を引いて、二十一世紀になった現代も、目を見張る成果を挙げている。
 その一方で科学の発展は、自然破壊をして来たと言う前科を持ち、そのツケを人類は払わされている現実がある。それでもなお、愚かな人間は、自然が無限に存在し続ける媒体と思い込み過ぎている。これが“物”だけに振り回されて生きている、現代社会の“愚かさ”だ。

 自然環境を自らの手で変化させ、生活基盤を機械文明の発達の上に乗せて、人間のつくり出した機械は、いまや知能を持ち始めて、その進化スピードは人間の数万倍、数億倍の速度で発達している。特にコンピュータの進化は、目を見張るものがある。

 また機械を扱う科学者の概念には、“コンピュータは間違いを犯さない”という概念があり、これがある意味で脅威
(きょうい)に映る。そして間違いをするのは、端末機に情報を入力する人間の方だと決めて掛かっている固定概念もある。

 それは人間が、生身の人間であり、間違いを犯す動物であり、結局過去を振り返ってみれば、間違いを犯す人間が、コンピュータを操作して来たのである。したがって、これから先の科学技術の発達も、科学技術の蓄積は間違いがないと言う悪条件の上に成り立っていることを忘れてはならないだろう。科学万能主義である。

 その為に、自然が破壊され、次々に種が崩壊して行く中、科学技術の発達と倶
(とも)に、人類は大きな犠牲を払わされていることも事実であるし、便利さや快適さの欲望の追求は、結局、人類を崩壊に導く、宗教の存在しない自然科学の中から発達して来たと言える。
 つまり、今日の人類が恩恵に預かっている科学は、宗教の存在しない、盲目的な科学なのである。
 それは人類が、科学技術の奴隸になる事であった。機械に仕える生き物に成り下がった事だった。



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