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死を嗜む道part2 1

死を嗜む道 part2


迷いの雲の晴れたるところこそ、真の青空があると心得るべし。


●死を前にしての知覚

 人の人生は尋常に終了しない。この世に生を享け、その死ぬまでの足跡には悪戦苦闘の痕(あと)が残る。まさにそれは「痛恨」の痕だ。
 反省すべき足跡……。迷い抜いた足跡……。
 そうした足跡は多々ある。

 その足跡を反芻
(はんすう)し、過去の失敗を回想する足跡を、人は多くは遺(のこ)すのである。しかし、過ぎたるは及ばさるが如し……である。
 覆水
(ふくすい)盆に返らず……。盛年(せいねん)重ねて来らず……、一日再び晨(あした)なり難し……である。悔恨の思いが空転する。人生とはそうしたものだ。
 空しく過ごしてはならないと思うのだが、空しく過ごした足跡は多い。若い盛りは一生のうちに二度とは来ないから、とそう思いつつも、空しく過ごした記憶の方が多いのである。

 かつて経験したことを再認感情を伴って、例えば、行くべきではなかったとか、遣
(や)るべきではなかったとか、協力すべきではなかったとか、仲間になるべきではなかったとか、貸すべきではなかったとかの、失敗とそれらが齎(もたら)した絶望を伴いながら、過去の失策が浮上するのである。

 これこそ、人生には失敗と絶望がつきものであると言う、「苦」の実態がある。後悔すべき人生、失敗と絶望に振り回された人生の足跡こそ、「人生の苦」の正体なのである。そして人は、この経験を下
(もと)に、人生の何たるであったかを悟るのである。

 その足跡には確かに、生き恥をかいた足跡、煮え湯を飲まされた足跡などが点在し、敢
(あ)えて失敗なる人生を反芻するのである。そして、反芻する最大の課題は、自分の人生が命賭けであったか、どうかである。

 生命を賭
(か)けないと、人間には心眼が見えてこない。
 現代人は、「命賭け」という言葉を、出来るだけ回避しようとする生き物である。命を賭けて、何かを遣
(や)ろうとする人は少ない。困難を避けつからだ。

 理想と現実をはっきりと色分けしているくせに、現実に眼を瞑
(つむ)り、理想とも、夢とも区別のつかないものばかりを追いかけている。一見現実主義者のようでありながら、実は夢想主義者が多いというのも現代人の特徴であるようだ。

 したがって、眼に映る事実を事実として、これを中々認めたがらない人が多い。おそらく、楽な方を選択し、厳しい現実から眼を反
(そ)らしている為であろう。
 そして、現代人の殆どが、金銭を稼ぐ為に生きているのか、生きる為に金銭を稼ぐのか、これを明確に出来ないでいる。

 誰もが、何一つ危険の起らないことを願い、安全圏の中で安穏
(あんのん)とした生き方を選択する。穢いことも、危険なことも嫌う。そんな仕事は他人に廻したい。自分に、こうしたお鉢が廻ってくることを、何よりも遠ざける。

 しかしである。現実の世は、こうしたことを望んだとしても、これが叶えられることが少ない。むしろ、「恐れるものは、みな来る」 に直面することが多い。
 この世は、「表」のことなど、数えるくらいしかなく、多くは「裏返し」になっている。裏返しになっていることに気付かず、近寄ったりすると、大変な目に遭
(あ)う。

 人生は至る所に、泣く現実が待ち構えている。かくして、泣くものは慰められ、慰めは笑いを誘い、笑うようになる。泣き笑いの中に身を置くことになる。喜怒哀楽の中に身を沈める。しかし、笑っているものは、不幸に突然遭遇して、また泣くようになる。これが喜怒哀楽の現実だ。

 持つものは、いつかは奪われて一文無しになる。虎視眈々
(こし‐たんたん)と狙われ、そして遂に奪われる。奪われて失い、また無いものは、いつか得るようになる。これこそ、喜怒哀楽の現実。

 健全を誇り、健康を謳歌
(おうか)していた者は、やがて病魔に蝕まれる。生きる因縁があれば、治癒もしようが、因縁が失われれば、永遠の死が訪れる。こうして変化が常に起り、いっときも停滞することはない。時節は刻々と移り変わる。

 暑さは寒さを呼び、寒さは暑さに移り、時節は変化する。濡れたものは乾き、乾いたものは濡らされる。熱したもものは、火から遠ざければ、やがて冷め、流れる水も、一箇所に止まれば、やがて淀
(よど)んで腐る。

 人間はこのように「変化」の中でも弄
(もれあそ)ばれながら、一生を生きる宿命を背負わされている。故に、現象人間界は高が知れており、喜怒哀楽の中で、笑いや喜びばかりを求めたとしても、その裏には、苦しみと悲しみ、迷いと挫折が待ち受けている。喜怒哀楽の中で、一喜一憂の泣き笑いを求めても、高が知れているのである。

 だから、金・物・色に心を動かされるのではなく、もっと深い、精神的なものへの移行しなければならない。
 本来修行者とは、こうした精神世界に眼を向け、そこに移行し、それに傾倒するものである。命か賭けて、「眼に見えぬ何かを追求する」というのが、真の修行者の姿勢であり、命を賭けられるものを持っているというのが、「死を嗜む道」なのである。

 死を嗜む道を歩く者は、みな心に「玉
(ぎょく)」を抱いている。志の玉である。これを抱いて、死を嗜む道を歩むのである。

 現実とは、惨憺たるものである。そこには無残が至る所に転がっている。しかし、この無残を乗り越えて、運命の中で確固たる位置に立つことこそ、命賭けで何かが出来るのである。
 死を嗜む道としての武術は、人間が運命に対する、その余りにも儚
(はかな)い存在の中で生き、追い込まれ、困窮し、苦悶(くもん)して、迷いに迷い、絶望に陥ったとき、そのどん底から何か見えてくるものがる。

 最早
(もはや)これまでと思って、絶望の淵(ふち)に立たされた時に、救いの逆転劇が起る。この逆転劇の中に、永遠の道に通じる暗示が示されている。



●人間の「行」とは何か

 「武の道」は武技だけを極めても、達人になれないのは周知の通りである。武の道の根本には、武技だけをやっていただけでは、その本質を体得することができない。その根本真理には、大から小を悟り、浅(せん)から深(しん)に至らねばならない「変化の本質」があるのらだ。この世のものは、一切が変化をする。刻々と変化を遂げて、一つの処の止まらないと言うのがこの世の現実だ。

 変化の道理を知らずに、また武の道を極めようとしても不可能なことだ。
 変化は、弱を強に変えるばかりでなく、強すらも、怠れば弱に変えてしまうものなのである。

 そもそも、「武」の興
(おこ)りは、弱者が鍛練により「術」を修得し、強者に挑み、「小が大を呑む」というものであった。
 戦いの起源は、人間の歴史を振り返れば「叩き合い」から始まっている。原始の「叩き合い」は、格闘や争闘に何の方法や技術もなく、要するに腕力の強い者、体格や体力の優れた者が、弱者を打ち負かすものだった。強い者が弱い者に勝ち、大きい者は小さい者に勝つと言う、単に自然の原則を顕したものに過ぎなかった。

 しかし、ある時、大が小に勝つ、一見当たり前の事実が覆され、弱い者が強い者に勝つ現象が起きた。小が大を呑む現象が起きた。これは人間の持つ知性の結果からであった。知性は、一見弱者に思える者が、知性をフル活用することで、小だ大を呑む現象が起きた。逆転劇が起ったのである。

 私たちの遠い先祖は、逆転劇を信念として、弱者が強者に立ち向かう方法を考え出し、小が大に勝つ技術を工夫して、それを見事に開化させたのである。

 誰にでも分かる事だが、小さいよりは大きな方が有利である。少数よりは多勢の方が圧倒的である。眼にはそのように映り、脳はそのように反応する。
 しかし、ここに方法と技術が派生した。勝つ技術が生まれたのである。最初は手近な石を拾って投げ付けたり、棒切れを握って抵抗したりの事であったであろうが、この段階では、まだ自然に生じた狡智
(こうち)の範囲を出るものではなかった。

 時代が下るに従って、そこには方法論としてテクニックと言ったものが生じてくる。また、戦いの規模も拡大されるにつき、使い勝手のいい武器が発明されることになる。更にこうした武器は改良に改良が加えられ、多様化し、その結果、争闘の技術が向上していくのである。

 『古事記』を紐解けば、次のように書かれている。出雲の国ゆずりを、建御名方命
(たけみなかた‐の‐みこと)と建御雷命(たけみかずち‐の‐みこと)の力比べで決定する話が出ている。
 「まず建御名方神が建御雷命の腕を、担ぎ捕った。ところが建御雷命は捕らせた腕を立氷
たちび/氷柱)か剣刃(金鉄の剣)のように固くして負けないので、建御名方神が、たじたじとなって後退する。更に、ずるずると後退し今度は逆に建御雷命が建御名方神の腕を捕り、どっと投げ飛ばした」と記している。

 これはまさに柔術の技を表現したものであるが、此処では柔術の受手と、捕手の基本業
(わざ)を術として挙げているのではなく、自然闘争からの表現に止まっているが、これは明らかに柔術の「術」を示したものである。

 また『日本書紀』には、第十代の崇神天皇の皇子・豐城命
(とよしろ‐の‐みこと)が夢の中で御諸山(みむろやま)に登り、東に向かって八度、弄槍(ほこゆげ)・撃刀(たちがき)したとあり、これは「武」の稽古に、何か基本のようなものが存在して居たことを窺わせる。

 太古の争闘技術は単に自己防衛から始まり、他人の暴力から我が身を護ると言う単純なもので、本来は自然本能的なものであったであろう。しかし、人間に備わった「自然本能」や「防衛本能」が明確になると、ここに「最小のエネルギーを用いて、最大の損傷を敵に与える術」が登場してくる。此処で問題になるのは、あくまで「最小のエネルギー」を用いると言うことであり、大が小を倒すと言うものではない。

 最小のエネルギーを用いて、最大の効果を与える術は、他動的には奈良時代頃に、中国大陸から渡って来たものと思われる。また、大陸から齎されたものは、剣では剣術
(両刃の直刀)や刀術(青龍刀などを遣った刀術で日本刀での剣技とは違う)であり、格闘組打においては白打(はくだ)などの擒拿術であり、後に日本柔術に影響を与えたものであると思われる。

 更に、大陸文化が日本的なものに変化して、国風文化に変遷するのは平安後期の事であり、地方武士が勃興期に入ってからのことである。そして「武」の興りは、最初は敵を殲滅
(せんめつ)したり、鏖殺(みなごろ)しにすると言うことだけを目的に行われていたが、技術面に精神面を表裏一体にさせる心の面が重視されるようになった。
 真剣勝負において、敵を斬り殺し、勝負に勝てば良いと言うことだけには止まらなくなったのである。

 武の道は、単に技術的に優れ、試合で打ち勝ったり、真剣勝負で相手を斬り殺せば、それでいいとするものではない。それでは単なる勝負師か、ゴロツキの類の殺屋に過ぎない。勝負師や殺屋専門の「非」からは何も生まれて来ない。勝負師や殺屋に達人の名は値しない。

 宮本武蔵にしても、その生涯において29歳の佐々木小次郎を打ち倒したところまでは、剣技の専門勝負師であったが、その専門をもって剣豪とか、剣聖と呼ばれる資格はなかった。問題はその先である。武蔵は『五輪書』の「地の巻」の中で、「剣術一辺の利までにては、剣術も知り難し」と論じている。

 これは学問に置き換えても同じことが言えるであろう。
 例えば、断片的な知識を丸憶えして暗記して、中間考査や期末考査で良い点数を採ったり、入学試験で最難関大学の狭き門を突破したり、書物を万読してその書物の何ページに何が書いているか記憶しても、それは博学程度の段階であり、学問体系としては初歩段階に過ぎない。

 また、初歩段階を通過し、最高の学閥の出身者として世に出ても、その人が必ずしも人民の為に役に立ち、然
(しか)も世の中に還元する有益な人間であるとは限らない。むしろ自分の学閥を誇り、我田引水を行って自己に利益を齎す輩(やから)である場合が多い。
 したがって、こうした知力は人格とイコールでもないし、豊かな人間修行をして来た有能な人間であるとも言えないのである。

 人が有益な働きをし、有能な才を発揮するのは、「知行合一」を実践した時に限り発揮されるもので、知識の中に「人間の行」は存在しないのである。
 人間の「行」は、その行動原理が「死ぬ道」を嗜むという、この一点のみに存在している。

 かつて武士は、「人間は死ぬ覚悟が肝心」として自分を表現する生き方をして来た。日々を、自身の死に充てて生き、「ただ死ぬこと」のみを覚悟していた。これが「死を嗜む道」だった。
 では、「死の覚悟」とは、単に武士だけかと言うと、実はそうではない。万人に共通することである。

 人は、死を抱えた共通に「非存在」であり、いつかは必ず死ぬ。
 悪名高き封建時代にあっても、死は万人共通の課題であった。したがって、日本に西洋が入り込む以前の日本文化の中には、共通の課題として「人の死」があった。この時代ですら、僧侶でも、婦女子でも、農民でも、商工民でも、みな義理を知り、恥を思い、死ぬ時や、その場所について覚悟のほどがあった。死を逃げ回る対象物として考えて居なかったのである。生死は一体であり、同根であった。

 死が逃げ回る対象になってしまったのは、戦後教育の中であり、生きることのみを説き、生きる力だけを説いて来た。したがって、死について何一つ教えなかった。その為に、死が途轍もなく恐ろしいように錯覚してしまったのである。死について何一つ教えない教育の中では、人は死から逃れようとすることばかりを考える。死が逃げ回る対象になってしまうのである。したがって「死ぬ力」は皆無となり、現代人の死に態
(ざま)は、実に無慙になり、多くに人は「横死状態」となって死んで行く。これを雄弁に物語るのは、昨今、多発している無差別殺人だろう。

 人の死について、その尊厳を教えないから、人の命は軽いものになり、まるで素悪品が叩き売られるように安値で叩かれ、死んで行く。これは「死」というものが逃げ回る対象となって、死の尊厳を教えなかった後遺症が尾を引いているのである。
 こうした死に方は、一種の「横死
(おうし)」であるといえよう。
 被害者側の悲哀な死と言ってしまえばそれだがだが、その根底には「死の軽々しさ」や、「生命の根源無視」がある。自他倶
(とも)に、生命を軽んじた結果からであり、加害者のみが生命の尊厳を無視しただけでなく、被害者も自らの生命を軽々しく扱い、普段から「わが命を尊ぶ」という修行を怠ったからである。
 生命を軽んじた者の哀れな末路といえよう。




●殺された者は何の罪もないのか

 よく、裁判なので、「何の落ち度もなく、何の罪もなく」などという裁判長の判決を殺人事件の裁判で聴くことがある。果たして、被害者に何の罪もなかったのか。
 あるいは加害者だけが一方的に兇悪で、その犯罪の一切は加害者の責任であるのか。

 昨今は、自己責任が問われる時代である。老若男女を問わず、自己責任は覆
(おお)い被さってくる。こうした渾沌とした現代にあって、被害者に一切の責任がないとするのも訝しなもので、これは「自己責任」の名において明らかに片手落ちであろう。
 殺人事件の巻き添えを食って被害者となり、万一、命を落した場合は、加害者ばかりでなく、自己責任の名においては、防禦
(ぼうぎょ)不十分で、殺された加害者にも責任があるのではないか?……と思う次第である。
 殺されれば、殺され損をするこの時代にあって、呆然
(ぼうぜん)と加害者の突進してくる刃を躱(かわ)す事なく、安易に刺されて殺されるのは、防禦不十分の被害者にも責任があるのではないか。

 今日のように世の中が渾沌として不穏となり、いつ狂人の刃が暴れても不思議ではない世の中にあって、普段から何の防禦策も考えない、こうした日常生活の過ごし方が果たして健全と言えるのか。あるいは無慙
(むざん)に殺されて命を失う社会環境が健全と言えるのか。
 反省し、諸処の事項を反芻すれば、防禦策に不備があったことを見逃してはなるまい。

 昨今は、封建時代よりも、社会風紀の面においては不健全であり、義理を知らず、恥じを思わぬ時代になっている。現代こそ「人間の死ぬ力」を蔑
(ないがし)ろにした時代はなく、あまりにも戦後民主教育下で、「死ぬ力」というものを蔑ろにして来た時代である。

 人名が尊ばれる反面、その、人々が口にする「人の命の尊さ」は、口先ばかりで、命の尊厳は地に堕ちていると言えよう。「死」と言うものが誤解され、単に逃げ回る対象になっているからである。したがって、死なねばならないところで、死から逃げ回り、死ななくてもならないところで死んで行く、あるいは殺されていく。殺されると言うことは、死の覚悟を自覚しないまま死んで行くと言うことである。これこそ、「横死」の最たるものではないか。

 人の死が、何のメッセージも発せず、ただ軽んじられて葬り去れれるのである。あまりにも悲しい死に方である。これでは、その人の死に、何の効果も上がらず、何のメッセージを発することも出来ない。
 最近は、こうした死に方をする人が多くなった。

 誰もが安穏とした日々を送り、平和に慣れきり、惚
(ぼ)けた状態で暮らしている。自分自身に同居している人の死は、他人事のように考え、「死」というものに何の警戒心も抱かず、何の尊厳も抱いていない。そこにこそ、現代人の「死の荘厳」を蔑ろにする現実がある。

 本来、死とは「荘厳」なものである。命は重々しく、立派で、輝いている存在である。そうした存在が、今日では蔑ろにされ、重々しくもなく、立派でもなく、輝いても居ないのである。現代人の多くは、間延びした日常生活の不摂生から、成人病は現代病に罹り、ガンや、高血圧が原因となる脳卒中で死んでいる。
 そしてこうした病魔に襲われて、藻掻き苦しむ者は、病気が人間を殺すと勘違いしている。人間が病気などでは死なず、因縁を蔑ろにした、生への縁のなさが、実は死ぬ原因を作っているのである。

 つまり、病気になっても自然治癒力が働かず、そのまま悪化して、治癒しない体質の悪さにこそ、大いなる反省点があり、無慙に死んだり、無慙に殺されていく現実は、もともとは防禦策の乏しい自己責任にあるのではないか。これこそ、犬死の最たるものであろう。
 その意味で、病魔から取殺されていく者も、殺人事件に巻き込まれて殺されていく者も、その両者間には防禦策不備の汚点があると言えよう。

 死を恐れる者は、死神に魅入られ、死を恐れない者は死神から見放されるのである。



●死生の因縁

 人間界には寿命と言うものがある。失脚したり、地位を追われたり、罠に嵌められたりしてスキャンダルの的になったり、大人を余儀無くされるのは、時代が、その人を、もう必要としていないからである。

 また、「人が死ぬ」という現象は、因縁が、その人の命を必要としていないからである。運命が、因縁が、その人の命を必要としなくなった時、人は死ぬのである。人間は病気で死ぬのではない。また突発的な事故で、偶然に死ぬのではない。その人が、幾ら若い人間であり、死ぬまでには程遠い年齢であっても、生きる因縁が途絶えたら、その人は事故死と言う運命を辿って、死に至る事になる。

 また、病死の場合も同じである。本来、病死と言うものはない。病気で死ぬのではなく、生きる因縁が途絶えたから死ぬのである。寿命が尽きたから死ぬのである。

 世間では、よく死因を病気に求め、また現代医学も、その人の死因を病気のせいにする。
 ガンを発症して死んだ場合、その死因は○○ガンであり、また心臓障害が絡む、脳卒中などで死んだ場合は、脳血栓
のう‐けっせん/脳の動脈に生じた血栓のため血流が妨げられて、脳組織が壊死(えし)または軟化し、その部分の機能が消失する疾患)または脳塞栓のう‐そくせん/心臓内膜炎・心臓弁膜症などの時に、流血中に遊離した凝血(血栓)の破片が脳血管を閉塞し、その支配域の脳組織を破壊・出血させる疾患。脳軟化症とも)が死因となる。死亡診断書には、そのように書き込まれる。それは脳血栓脳梗塞脳塞栓の変化を伴って病態を辿るからだ。

 しかし、幾ら病名を挙げ、それが死亡診断書の体裁を整えていたからと言って、実は病気で死んだのではなく、寿命で死んだのである。
 寿命が尽きれば、人間は死ぬ以外ない。
 それは因縁がその人を必要としないからだ。

 運命はその人を生かしておいても、無駄だと判断するからだ。
 もともと非存在なる人間が、生きているから、これは奇蹟である。
 人が日常生活を送って生きていると言うことは、よく考えてみれば、奇蹟の連続である。奇蹟が連続するから、そこに生きる因縁が生まれ、生かされることが約束される。そして、生きることと、死のことの両方に大きな意味を持つことになる。

 あるいは偉人の死は、その人が死ぬことにより、死の意味に大きな問題を持たせ、あるいは大きなメッセージを残して、その人を死なせるのである。これは死の場所と、死ぬ時機を得た場合のみに、偉人の死が発生する。死することのメッセージである。したがって、犬死ににはなりようがない。

 一方、どんなに一世を風靡
(ふうび)し、その時代に持て囃(はや)されたとしても、時が過ぎれば忘れ去られる。世界最強の個人闘技の優秀者も、時は人々にその存在を忘れ去らせる。
 また、こうした人も、因縁の定めるところにより、生きる因縁をもつ間は生かされ、不必要となれだ直ちに死が頭上に降
(くだ)る。
 人間は生きる因縁を失えば、一溜まりもないのである。生きることへの感謝、生かされていることへの感謝を忘れた時、人は因縁にその人の生が相手にされなくなる。故に、死ぬ。



●忠孝真貫流

 江戸末期、忠孝真貫流なる流派があった。流祖は平山行蔵である。名は潜、字は子竜である。号は兵原、または兵庵、練武堂、退勇真人、韜略書院、運籌真人などと称した。
 行蔵の家は祖父代々からの幕府の御家人で、伊賀組同心、三十俵二人扶持
(ににん‐ぶち)の微禄であったが、四谷北伊賀町(明治後、町名は箪笥町と改められ、現在は新宿区栄町)稲荷横丁の自宅に道場を構えていた。そして流派名を、「忠孝真貫流」と名乗った。のち講武実用流(略して実用流とも)と改めた。

 軍学の師は長沼流の斎藤三太夫、槍術は大島流の松下清九郎、柔術と居合は渋川伴五郎時英、砲術は武衛流の井上貫流左衛門に学んだ。剣術の師匠は心抜流
(しんぬきりゅう)の山田茂兵衛松斎で、松斎は運籌流(うんちゅうりゅう)三代であった。
 この運籌流は柳生系の剣術の流派の流れを持ち、柳生宗矩に始まり、木村助九郎矩泰
(運籌流初代。宗矩の高弟で小太刀をよくした)出淵平兵衛盛次(運籌流二代。矩泰が後に柳生流を名乗ることが許された為、運籌流二代を譲られるも後に盛次も柳生流を名乗ることを許され、運籌流は柳生家に返上して宗家預かりとなった)→……→山田茂兵衛松斎(運籌流三代)で、その後、平山行蔵潜が四代目を継いでいる。
 但し、山田茂兵衛松斎は真貫流の九代で、師は同流の八代の山田甚太夫弘篤で、この時、松斎は幕府の徒士
かち/中世・近世、徒歩で行列の先導をつとめた侍のことで、小身の侍で、また「かちざむらい」ともいう)であった。

 一方で、熱血漢であり、松斎の直情熱血が血気はやって、御政道に対する諷諫
ふうかん/遠回しにして諌めること)を十代将軍家治に上書しようとした為、謹慎を命ぜられた。この時、松斎は真貫流より破門となった。その為に、仕方なく柳生の門に移籍し、自ら運籌流三代目を名乗ったが、その後、破門が解けて真貫流に復帰した為、四代目を平山行蔵に譲ったのである。そして行蔵は、その後、自らの流派を立て、流名を「忠孝真貫流」としたのである。

死を嗜む技術。それが武術だ。

 行蔵の剣法は文政四年に著わされた『剣説』によれば、「それ剣術は敵を殺伐することなり」とあり、その一語に尽きると記されている。
 行蔵の忠孝真貫流によれば、この流派は試合によって勝負を争わない。

 平素の稽古を試合と心得、素面と素小手で、相手に三尺三寸の長竹刀を持たせ、こちらは柄元
(つかもと)一尺三寸の短い竹刀で踏み込んでいって、躰事ぶち当たり、一刀必殺を養う剣法である。この場合、竹刀の当たりはずれは問題ではない。肝心なのは、体当たりして潔く討ち死にする覚悟でぶちあらるのである。その後の、わが命など、残す気持ちなど全く無いのである。ただただ、潔く討ち死にするだけである。

 この「死を嗜む道」を著わしたものに『忠孝真貫流規則』があり、これによれば次のように記されている。
 「敵の撃刺に構わず、この五体をもって敵の心胸を突いて背後に抜け通
(とを)る心にて踏み込まざれば、敵の躰にとどかざるなり。かくの如く、気勢いっぱいに張り満ちて、日々月々精進して不倦(うまず)、刻苦して不厭(いとわず)、思ひをつみ功を尽す時機(とき)は、しない太刀を取って立ち向ふと、自然と敵があとすざりし、面(おもて)を引くようになる。如斯(かくのごとき)にならざれば、真実の勝負は中々存じよらざること也」とある。

 これはこの流派が、勝負を争う次元を試合場から戦場に置き換えていることで、「ただただ討ち死にすること也」としていることである。試合場では、竹刀の打ち合となるので死ぬことはないが、戦場では生死を賭けて命のやり取りをするので、殺すか殺されるかの命を賭けた戦いとなる。

 その為には、死生観を超越しなければならない。この超越することこそ、忠孝真貫流では「討ち死」であったのである。武芸・武術の真髄は殺すか殺されるかの、命を賭
(と)したギリギリの真剣勝負の修行である。命を賭けていなければならない。こうしたギリギリの線まで自分を追い込み、背水の陣の覚悟で大事に臨んで生死を明らかにするものでなければならない。まさに、これこそが「死を嗜む道」なのである。

 死を嗜む為には、生に有っては「生の道」を尽し、死に有っては「死の道」を尽すのである。そして行動を「悟り」の一語に帰するのは、「潔い討ち死」である。
 こうした観点から考えれば、現代に世界に広まった日本武道は、「武の道」の名に値するものが殆ど無い。多くは興行主義で、入場料をとって観客に見せることを目的とし、ルールを決め、好戦的に争ってどりらが強いか弱いかの強弱論に終止し、その範疇
(はんちゅう)を出るものでない。

 危険な技をあらかじめルールによって禁止しているので、規則内の試合でポイントをとるだけのものに成り下がり、「危険を無くした斗技」となって、単なるスポーツや体育に成り下がっているのである。その為に、その道の探究者に生死を超越する気魄がなく、見苦しい小手先の掛け引きばかりが目につくのである。



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