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平成16年4月号〜平成16年12月号

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 今日の日本における「民主主義」というのは、日本が大東亜戦争で負けた結果、欧米が持ち込んできた政治システムである。このシステムを日本社会に持ち込み、これを反映させようと目論んでいるのが、現在の民主党と言う「反日右翼」のグループである。

 民主主義は、「基本的人権
(fundamental human rights)」を柱にして、アメリカの独立宣言やフランスの人権宣言により、国家の基本原理として確立した“権利”であるが、これは日本人にとって非常に解り難いものである。

 一口に、「人間が生れながらに有している権利」であり、「人は生れながらにして自由かつ平等であるという」という御託を並べれば、それは何だか解ったようで、解らないと言う“漠然”とした抽象的なものになる。この権利と言うものは、それほど難解なものである。

 近代に至って民主主義は、プロレタリアートたちが搾取と言って憚らない“資本主義”と結合した。今日も、この延長上にある。
 これはデモクラシーが、キャピタリズムと最適条件下にあることを物語っている。

 そして民主主義とは、単なる政治制度だが、人間の生きる生活スタイルに密接な関連を持っている。
 民主主義と言うものを、絞り込み、凝縮した思考で判断すると、まず「基本的人権」を第一義にするシステムである。更に、この「基本的人権」を最も端的に表す言葉を探すならば、それは「個人の生命と財産の不可侵」ということに尽きよう。

 つまり「侵してはならない主体」は、まず国家が個人を侵してはならないのである。また国家は、同時に社会的諸団体も不可侵でなければならない。
 一方、諸個人においても、国家はこれを侵してはならないのであるが、その他方で、他者の生命と財産を侵さない限り、「何をしてもよい」ということを原則にしている。

 換言すれば、これこそ「エゴイズム」を原理とした社会システムといえよう。
 つまり、デモクラシーとは「エゴイズム」のことだった。
 そして民主主義とは、資本主義と一枚岩である為に、利潤獲得の為に、どのようなことをしてもよのであり、資本の衝動力を、自由に発動させる条件として、キャピタリズムと最適化の条件にあることが解ろう。

 その根底には、「無限消費の欲求」が横たわっていて、「消費の為の消費」が、そもそもキャピタリズムの正体だった。そこには限りなく拡大再生産される恒常的な「消費の為の消費の構造」が仕組まれていたのである。
 そしてこのシステムを発明したのは、国際ユダヤ金融勢力
【註】一般のユダヤ人を指すのではない。ロスチャイルドを総帥とする金融資本を司る「一握りの白人の肌を持つユダヤエリート)と言う一握りの“エリート頭脳”だった。

 そしてこれがブルジョア革命により、フランスに登場し、ブルボン王朝の積年の失政を追求して、王朝を転覆させた。
 一方、ルソーやヴォルテールらを走狗に使い、啓蒙思想の影響下に、フランス国民を煽動していった。
 また第三身分
(平民)の台頭などを要因として発生させ、封建的な旧制度と絶対王政を打倒し、カトリック教会の粉砕を叫んだ。

 その一方で、人権宣言を公布し、ルイ16世を断頭台の露
(つゆ)と化し、これにより共和制が成立した。また、周囲の諸国との間に、革命戦争を起す中で革命が激化し、ジャコバン派独裁下の恐怖政治が現出した。
 この構図こそ、現代の時代と、どこか酷似したところがないだろうか。

 私たち日本人は、こうした危険性の孕む近未来がデザインされているのにも係わらず、これに警鐘を鳴らず人が少ない。無意識のまま、危険への自覚症状を感じないまま、現代日本人は五里霧中の闇の中を突き進んでいる。そしてデモクラシーの背景に潜む、「基本的人権」の難解さも理解できず、ただ時代に流されているのである。

 では、「基本的人権」なるものがどれほど難しいのか。
 かつて朝日新聞は、左翼勢力を支持しつつも、「民主主義は世界の中で最も優れた政治制度である」との見解を示したことがあった。それは「人類が考えた中で、最高の政治形態だから」という。
 そして異口同音にして、この思想工作は成功したと見え、今ではデモクラシーを論じて「民主主義よりいい政治形態が何処にあるのか」と、誰もが思い込むようになった。

 しかしこの背景には、「それ以外に、社会を運用していく方法は無いのだ」という意識が働いていることは明白だろう。

 私たちが忘れてはならないのは、民主主義とは「多数決」である。そしてそれ以上のものでない。
 したがって、正しいか、正しくないかではない。正しくなくても、多数決で出た結果は尊重するというのがデモクラシーのルールなのだ。

 そこで問題になってくるのが、このデモクラシーと言う欧米が持ち込んできた政治社会システムは、国民が愚民であればあるほど、一握りのエリートが画策する思惑は反映され、「悪魔の道具」になりうることもあるのだ。
 一歩誤れば、あの悪名高きヒトラーを誕生させた「委任独裁」と言うものも起こりうるのだ。

 汚濁が蔓延し、社会正義のみの一点に眼を向けた場合、こうした時代背景から擡頭
(たいとう)するのは、決まって高潔の士である。そして、こうした国の人民は、高潔の士に託して、民主主義独裁を選択し易い。

 これがローマ帝国でもギリシャでも、民主主義独裁の形をとった「委任独裁」と言うものだった。委任するのであるから、有能な政権担当者に、国家の危機を救ってもらうのである。この為に「委任独裁」と言う制度を用い、ローマでもギリシャ諸国でも、国家的危機を脱している。

 この典型的なものがナチス・ドイツのヒトラー政権であった。
 ヒトラーが、ドイツ国内を掌握した頃、ドイツを取り巻くヨーロッパ諸国は、「ドイツはデモクラシー国家でない」と轟々
(ごうごう)たる批難が湧いた。しかし、これも立派なデモクラシーの手順を踏んで、「委任独裁」の形態をとったに過ぎなかった。

 ヒトラー政権が民主選挙を通じて、「清潔」を売り物にし、ナチス党がドイツ共産党や社会労働党を押さえて、第一党に伸し上がり、ヒトラーが首相に任命されたのは、1933年1月30日の事だった。

 ヒトラーが首相になる手順は、近頃(平成21年9月16日)政権と取った民主党ならびに鳩山由紀夫代表が、政権交代選挙を通じて与党になり、内閣総理大臣に指名され、それをもって鳩山代表が総理大臣になるのと全く同じ手順を踏んでのことだった。ヒトラーの踏んだ手順に、微塵(みじん)の不正もない。デモクラシーのルールに則って、正当に政権を勝ち得たのである。

 同年の3月には、全権委任法が成立した。これも全くの、議会制民主主義の手続きを踏んで実行された。したがってヒトラーは、全権委任法ができるまでは、単なるドイツの首相に過ぎなかった。全権委任法が成立した後に、独裁的権力を掌握したのである。これこそ「委任独裁」の典型と言えよう。

 つまり、全権委任法が成立し、その後の四年間は、少なくとも「委任独裁」のデモクラシーのルールに則って施行された事だ。どこにもデモクラシー・ルールでの不正はない。少なくとも、四年間の時限立法は成立する。
 したがって、こうした流れから考えると、デモクラシーでも「委任独裁」という独裁政治があり得るのだ。

 こうした歴史的事実を踏まえると、日本の前途は極めて暗い時代を連想させるような暗示があり、“無知”と“事なかれ主義”が蔓延(まんえん)している現代、日本の将来は、遠い“雪の泥濘(ぬかるみ)”を歩くような「近未来」がセットされているのかも知れない。


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