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支配層が企む食のコントロール 1

支配層が企む食のコントロール







日本は古来より、稲穂の国と称された。これはもともと日本人が植物性食品を摂取していた民族であると言う事を意味している。


●優れた躰とは、体力を指すのではなく、体質を言うのである

 健康で、しかも優れた躰(からだ)とは、体力があり、バイタリティーがある肉体を言うのではない。内外に備わった「体質」を言うのである。この場合、外的には肉体であり、内的には「心的なエネルギー」の働きを指すのである。つまり霊肉共に優れている躰を、「健康」と呼称するのである。

 人間が生きていくと言う社会行動は、「抵抗を感じる」ということである。この抵抗こそが、「自分が生きている」という証
(あかし)なのだ。自分の生命の火を燃やし、外側の抵抗に耐え忍んで行く行為こそ「生きている」という現象人間界の証である。
 したがって、これに対し、生きる事で様々な抵抗や圧力が伸し掛かるのである。その内外からは、まず心的ストレスが掛かり、このストレスは血液を汚染する習性をもっている。血液の汚染は、各部位の細胞を変質させて、免疫力を失わせるのである。そして免疫力が失われれば、当然、種々の病魔が忍び寄って来る。

 例えば、「ガン免疫力」が失われれば、まず「ガン・ストレス」なるものが発生する。特に、生きているうちに死生観の解決が出来ず、堅固な精神が確立されていない軟弱な思考は、自らで墓穴を掘る結果を招く。これは心的面からの激しいストレスとなり、やがて精神を軟弱にして「ガン・ノイローゼ」に変質していく。生きると言う、抵抗の支柱を失うのである。

 一方、同じガンになっても、「自然退縮
(しぜん‐たいしゅく)」が働き、治ってしまう人が居る。こうした人は、心配や不安、緊張や疲労に対して、ある種の「ガン免疫力」なるものを持っていて、いつも明るく、朗らかな人で、自然に免疫力が働く人である。この「自然退縮」の働きによって、ガンが徐々に治っていくと言う事実がある。

 内外から襲うストレスは、それを跳ね返すのが、実は体力ではなく、「体質」である事が分かる。体質の良し悪しで、ストレスを消去出来るか、否かが決まるのである。体質に備わった免疫力は、一度
(ひとたび)病魔に襲われたとしても、「自然退縮」が働いて、これを跳ね返してしまうのである。つまり、病気に罹っても治るのである。

 真の健康とは、免疫力の強いことを言い、病気に罹
(かか)らないと言うことよりも、病気に罹っても、直ぐに治る力を持っている人を言うのである。こうした人を「真の健康人」というのである。

大豆ご飯と玄米・ひえ・あわ雑穀ご飯。穀物菜食は肉常食者に比べて、体質と耐久力に優れた体躯をつくる。また、体質が卓(すぐ)れていると言う事は、病気に罹っても、直ぐに治る優秀性を持つのである。

 では、こうした「優れた体質」を得る為には、どうしたらよいか。
 それは「食」の原理を知る事である。人間の人体は「食の化身」である。食によって体躯が作られているのである。その人が何を食べているかという事で、その人を構成する人格や霊格が決定されるのである。
 しかし、残念な事に、巷
(ちまた)に溢れる動蛋白を中心とする食材の多くは、食品産業のご都合主義によって画策されている場合が少なくない。



●人力車の俥夫の食事と耐久力

 明治初期に来日したドイツ人医師・ベルツErwin von Balz/エルウィン・フォン・ベルツ。ドイツの内科医。1876〜1905年(明治9〜38)滞日、東大医学部で医学の教育ならびに研究および診療に従事。のち宮内省御用掛。息子トク・ベルツにより「ベルツの日記」が編まれた。また、「ベルツ水」で知られる。ベルツ水は、苛性カリ・グリセリン・アルコール・水などの混合薬液であり、また皮膚の荒れどめとなり、また凍瘡初期の塗布薬しても使用される。1849〜1913)博士は、日本の医学教育の貢献した人物である。ベルツ博士は「ベルツ水」を発明した医学博士でもあり、またの「人力車の俥夫(しゃふ)の走力実験」を行った研究者でもあった。

 この実験には、22歳と25際の二人の俥夫が選ばれ、ベルツ本人が人力車に乗り込み、
車を引かせてみた。
 これは要するに、菜食者と肉食者の、どちらが卓
(すぐ)れているのか耐久力実験であり、栄養学がすすめる、肉食を常食としなくても、人間は菜食だけで、十分にやっていけると言う、栄養学の仮説を暴く話なのである。

 さて、この実験に参加した二人は、全く同一の飲食物が与えられた。その時、最初に与えられた食物は、白米、イモ、大麦、粟などといった日本古来からの食べ物で、脂肪と蛋白質は少ないが、デンプンの量はかなり多いものであった。

 この条件下で、体重80kgのベルツを毎日40km、三週間にわたって引かせ、三週間後に、二人の体重を計ると言うものであった。走行が終えて、体重を計ると、一人は体重の増減がなく、一人は半ポンド増えると言う結果が出た。

 そこで今度は、二人に牛肉を与え、デンプンの量を減らし、引かせてみる事にした。すると、二人は、三日後、非常に疲れ、肉食では走れないから、肉の量を減らしてくれるように頼んだ。そして肉の量が減り、穀類食が回復されると、再び元気になり、実験後、一人は変わりなく、もう一人は半ポンド減少していた。

 また、ベルツは東京から日光まで110kmの路程を旅行したが、この時、午後六時に東京を出発し、午前八時に日光に到着した。この道程の所要時間は14時間であり、途中、馬を6度替えている。
 同じ日に東京から日光まで、人力車で到着した俥夫が居たが、この俥夫はたった一人で人力車を引いて来たのである。110kmを、たった一人で10時間掛かって引き、この俥夫が摂取していた食べ物は、主に植物性の物だった。

 この時、ベルツは、日本国民の栄養を論ずる時は、このような方法によって行うべきであると力説したのである。
 また、ベルツの著書には、アメリカの大学で行われた『肉食と耐久力』に関する実験結果も紹介している。この著書によれば、肉食をして居る人と、全く肉を食べない人の体力並びに耐久力実験を行っているのである。

 肉常食者と、そうでない人の実験結果から、「腕を支える力」については、肉常食者15人のうち、15分以上腕を伸ばしたままでこれに耐えられる人は僅かに2人しか居らず、肉を食べない人の場合は、32人中、23人がこれに耐えられたとある。
 更に時間を30分に延長し、これに耐えられた肉常食者は一人もいなかった。一方、肉食をしない人のうち、15人がこれに成功したばかりでなく、そのうちの9人は一時間を経過し、そのうちの一人は3時間を突破していたのである。

 また、スクワット
【註】上半身を伸ばした状態で、膝の屈伸をする運動で、大腿部の強化を目的とする)については、肉常食者では300回以上できた者は非常に少なく、実験終了後、ろくに歩く事が出来ない者が続出した。
 一方、肉を食べない者は、1800回も遣
(や)り、この実験が終っても疲れを見せないどころか、その中には、2400回を越える者が数人居り、その中に一人は5000回まで達した者が居たと言う。

 更に追言としてあげれば、この実験の被験者として選ばれた「肉食をしない人達」は、特別な運動の訓練も、スポーツも何一つ体験した事のない一般の人達であった。
 一方、肉常食者は全員が運動やスポーツ体育の専門家であり、こうした専門家でありながら、何も遣っていない人に、専門家が負けたのである。こうした事からも分かるように、現代栄養学が体力や持久力の根拠としている「食肉をする」こととの因果関係は、全く根も葉もない仮説であるといえよう。

 以上の結果を踏まえて、栄養学とは無縁の食事を摂っていても、また栄養学に 頼らない食事をしていても、植物性の食事を実践すれば、その人の体質は非常に優れ、耐久力のある体躯
(たいく)が作れると言う事なのである。

  この実験で被験者として選ばれた肉を食べない人達は、特別な運動も訓練も受けいない一般人だった。一方、肉食者は栄養学を信奉し、全員が運動の専門家であり、その専門家達が一般にド素人に負けたのである。また、この実験によって、肉食がスタミナや耐久力をつける源ではないことがはっきりしたのである。

 ベルツの実験は、「人力車の俥夫
(しゃふ)の走力実験」からも分かるように、栄養学に準ずる食事は、人力車の俥夫を僅か三日で疲れさせ、走れなくさせてしまったのである。しかし俥夫達の食事を植物性に戻すと再び元気になり、肉を食べない日本食の方が体質も良くなり、また体力がつくという実例が、人間は、菜食主義を徹底して居る人の方が卓ぐれていると言う事になる。
 そして、ベルト博士の実験で明白になったことは、食事と耐久力は密接な関係にあるという事である。




●庶民を巧妙に騙すご都合主義

 (ちまた)に「甘い食品」が流行している。しかし白砂糖の大量摂取は、体内や骨内のカルシウムを奪い、骨や歯を弱くしていく。またカルシウムを奪う食品も多くなった。その良い例が肉の加工食品である。これ等の食品の中には、粘着性や保水性の為に添加している添加物であるリン酸が多く含まれている。

 この肉加工食品の中には、リン酸をはじめとするカルシウムを奪う悪因があるといわれる。多くはハム・ソーセージ等の加工食品を始めとして、他には魚肉を使った蒲鉾
(かまぼこ)、天麩羅(てんぷら)、インスタントラーメン、アイスクリーム等であり、リン酸は殆(ほとん)どの加工食品に添加されている。更に清涼飲料水、乳酸飲料水等の加糖飲料をはじめとしてスナック菓子、菓子パン等もカルシウムを破壊する要因をもっている。

 このような食品は単にカルシウムの欠乏を招くだけではなく、葉野菜や根野菜を嫌う体質を作り上げ、ビタミンB群の欠乏で神経に悪影響を与えている。また糖分を多量に摂取すると、ビタミンB群までも破壊する結果を作ってしまうのである。
 巷に出回っている加工食品には、企業のご都合主義やコスト主義の思惑があり、人々の健康は後回しにされている。

 例えばウインナーや蒲鉾等は見せ掛けの美しさを出す為に、合成着色料や発色剤
(亜硝酸塩)が使われ、ソフトな口当たりを出す為に結着剤(重合リン酸塩)が使われている。これらの添加物は魚肉等に多く含まれている「二級アミン」と結合され易く、ジメチルニトロソアミンという発癌物質を作る。
 またハム・ソーセージに使われている添加物の中に結着剤
(重合リン酸塩)があるが、これは保水性を保つものであると同時に水増し剤としての役割があり、例えば1kgの原料肉で1.2〜1.5kgの加工食品を作るといわれている。

 加工食品を生産する側は、コスト主義が利潤追及の原点となっている為、見ためと口当たりのよさで競合する。経営者とそれを担当するスタッフの多くは目と舌を楽しませるだけの小商人のような知恵しか持ち合わせていない。
 それを食べた人間の健康状態が長い年月を経てどう悪影響を及ぼすか、構っていられないのが実状である。世情不安と、不況の時代を、更に汚れた手段で逃げ切ろうとしている。

 「ちりめんじゃこの漂白」や「食パンの臭素酸カリウム」等の食品は、全て人体に有害であり、目先の美しさに訴えるだけの目的しか持たず、食品企業の利潤追及のご都合主義が露骨に現われている。

 そして食卓に並ぶ多くの食糧は、昔に比べると疑わしいものばかりであり、その中でもカルシウムの破壊は著しく、現代人の外見のみは正常に見える躰の異常、食品公害で汚染された不健康な人の増加、諸々の動物性蛋白質や脂肪が起因する成人病、ガンの多発、低血糖症が起因する精神障害や暴力、青少年の非行と暴力等は自然発生的に、あるいは時代の移り変わりから偶然に起こっているものではない。
 これらの根源は食生活と深く関わっていて、その裏には企業のご都合主義やコスト主義の、小商人的な思惑があることを忘れてはならない。



●肉食推進工作の疑惑

 日本人にとって、果たして肉食は正しい正食法といえるだろうか。日本は世界的にも恵まれた位置に在(あ)り、恵まれた気候風土に守られ、古来より農耕民族の本分を守って、今日まで連綿として農業国家を機軸として繁栄を続けてきた。しかし戦後に至っては、欧米型の食生活が雪崩込み、それがあたかも日本人の最高の食生活・食文化のような錯覚を齎(もたら)した。多くの国民はこのことに疑いを持ったり、裏でどのような経緯からこういう現実が生まれたのか全く無関心である。

 世界でも有数な米を作るのに素晴しい風土気候を持ちながら、減反
(げんたん)政策が国家レベルで行われ、米の代わりに肉食を奨励されている現実は、何処か不可解な疑いを持たらずをえない。それに輪を掛けての最近の食通ブームである。昨今は不況といいながらも飽食の時代であり、食文化に於ては世界の何処の国よりも比較的裕福である。

 現実に世界の人類の半分以上は飢えているというのに、金にものを言わせ、大量の穀物を買いあさり、これを家畜に与えて国産の和牛等を飼育して肉や乳製品を貪欲に貪
(むさぼ)り、世界の中で唯一人醜態を曝(さら)している。世界の幸福を度返しして、金で他人の米櫃(こめびつ)の中に手を突っ込んでいる状態である。寔(まこと)に浅ましい限りである。

 しかし、これに疑問を持つ人は究めて稀
(まれ)である。また疑問の持てないような頭の構造に、戦後教育の中で改造されてしまったのかも知れない。しかし農耕民族の本分に帰れば、日本人が肉を食べる理由は全くなく、今日のように肉を食べるという事が自然の姿ではないというのが分かるのである。

 栄養学者は肉を良質の蛋白質と断言しているが、蛋白質の集合体は約20種類からなるアミノ酸であり、このアミノ酸の中には栄養素と合成できる可欠アミノ酸と、体内で合成できない不可欠アミノ酸とがある。前者を非必須アミノ酸、後者を必須アミノ酸という。
 肉類には必須アミノ酸がバランスよく配合されているために、栄養学者等はこれに目をつけ、「肉は良質の蛋白質」と言う神話を作り出したのである。

 戦後から今日に至るまで、肉、乳製品、卵等の動物性食品を優秀な完全栄養食品とみなしてきたわけである。その影響が現在でも先入観として残り、神話のように囁
(ささや)かれ、「肉はスタミナ源のもと」、あるいは「牛乳はカルシウムが豊富なので骨を強くする」などの迷信を作り上げてきた。

 FAO
Food and Agriculture Organization of the United Nations/俗称ファオ、国連食料農業機構)は、肉や乳製品を最も栄養価の高い食品にでっち挙げ、最も理想的な蛋白質源であるとしている。
 その理由は、栄養価の非常に高い牛乳の蛋白質を必須アミノ酸で決定し、8種類からなるアミノ酸群のイソロイシン、ロイシン、リジン、フェニールアラニン、チロシン、メチオニン、スレオニン、トリプトファン、バリンの組成を有する蛋白質を栄養価比較の「標準蛋白質」にしたのである。したがって多くの食品は、この標準蛋白質のアミノ酸基準で、蛋白価の数値が出されているのである。

 例えば、肉は標準蛋白質と比較してどうか、あるいは卵は、大豆は、玄米は等と比較して、蛋白価の数値を出しているのである。標準蛋白質の蛋白価の数値を超えたものを「良質の蛋白質」と決定し、単位量の蛋白質に含まれる必須アミノ酸の量でこれらは判定されているのである。

 またこれらの判定の中には、卵を基準にして算出したケミカル・スコアの算出法もあり、最初から、肉や乳製品、卵等は食品として最も理想であるという、前提にたってこれらの数値が決められているのである。だが、もし玄米や大豆を組成するアミノ酸でこれらを基準として蛋白価などを算出すれば、全く違った数値が出るはずである。


 ここでは基準とするものが全く別の方法で出されており、最初から理想像が固定されているのである。このFAOの決定した基準蛋白質にケチをつけている栄養学者は殆どいない。
 ここに肉や乳製品、卵等だけが異常に高いFAOの数値で表わされているのは、何が何でも肉食をさせなければならないという意図が、その裏で読み取れるのではあるまいか。
 つまり、動蛋白の摂取こそ、立派な体躯
(たいく)を作り、健康に寄与するものであると嘯(うすぶ)くのである。



●心身共に退化する日本人

 古来より神国といわれた日本には、古来より世界に提示すべき「道」があった。惟神(かんながら)の大道に於て、それを踏み進む行動原理である。その一つが食の伝統である「食体系」であった。この恩恵をこの身でしっかりと受け止める為には、日本の古人が江戸時代迄に培った、民族伝統の食体系を真剣に守っていかなければならなかった。

 だが今日巷には百年前までは欧米の、それも白人の食べ物が所狭しと溢れている。精白小麦粉製品、砂糖、人工甘味食品、缶詰柑橘類、野菜や果物、動物性食用肉、精白米などの明治維新以降に「脱亜入欧」の思想に基づいて輸入された食品である。これらは戦後、更に大量に輸入されるようになった。日本人が白人の文明を近代的な社会と錯覚し、今日までの土着の食生活を破壊して、それを模倣した事は大きな様々な病因を造る原因になったと指摘している医療関係者もいる。

 科学は決して万能ではない。
 そこにはおのずと限界がある。伝統的な土着の食生活を無視して健全な未来は見えてこない。然
(しか)し乍(なが)らこれらのは欧米文明の食物を口にする事を余儀なくされている現代、欧米汚染のの苦悶がここにある。

 多くの日本人は科学的近代的欧米的食生活の中では、今何が起こっているか全く聾桟敷
(つんぼ‐さじき)の状態にある。近代文明の齎(もたら)した遺伝子組み替えなどによる食品が、日本土着の食品に取って代わり、食の豊かさの代名詞のようになっているが、その反面虫歯や、骨の変形が急速に増えつつあるのも事実である。

 また顔や歯弓列に、畸形と思える変形が起こり始めている。
  江戸末期までの日本人の食生活・食体系は、土着の自然食品が中心であった為、虫歯に対しては免疫性を持っていたと歯科学会では言われていた。それは産土神
(うぶすな‐の‐かみ)への感謝を忘れず、その思想から生まれた「身土不二(しんど‐ふじ)」を全うした結果、虫歯は少なかったと思われる。

 しかし、明治維新以降の食生活は欧米化され、特に戦後に於ては完全に欧米化されてしまった。これが原因となって、虫歯に対しては免疫性がなくなってしまったのである。隨
(したが)って欧米の近代的食品を採用した結果、食事の後には必ず歯磨きが必要となってしまったのである。食事の欧米化と薬品会社の歯磨き推進運動は、その裏の何処かで繋がっているのではないかとさえ思いたくなる。

 今後の我々の食生活は欧米の科学を駆使した近代食品の牛耳られ、忍従すること意外に道はないのだろうか。今日の若者を見ても、一昔前の若者とは何処か体型が違っている。体型ばかりだけではない。顔の形も何処か日本人離れしているのである。顔つきまでが欧米化されていると言ってよい。思考も感性も全て欧米的である。

 そして先覚者といわれた食通の日本人の中で、戦前の日本人の食生活を批判する理由なき欧米崇拝思想は未だ健在である。食卓の中にも誇らしげに星条旗が掲げられている。やがて日本人気質も消え失せて、その道徳や考え方までが唯物的な、科学万能主義に固執されてしまうのではないだろうか。

 肉体的には顔や体型が欧米人のようになり、精神的には思想や考え方までが欧米に一辺倒され、「心が身体の言う事を聞く」軟弱な人間を大量に造り出しているのではなかろうか。果たしてこれらの変化は、最早人間的には退化でしかないように思えるが、読者諸氏はどのように考えるだろうか。




●嘆きの淵、無知の淵に引き寄せる食べ放題・飲み放題の罠

 庶民はその無垢なるが故の性質から何処までも詐取され搾取される。社会の至る処に、運勢を衰弱させ、霊的な働きを曇らせて、心と魂の進化を障げ、嘆きの淵、無知の淵に引き寄せる落し穴が、庶民用に幾らでも存在している。

 さて、食べ物商売の中に、食べ放題・飲み放題という商売がある。これらは焼き肉、回転寿司、ラーメン、居酒屋パブ、郊外レストランの客寄せ戦略等に頻繁に使われている。食べられるだけ食べて、飲めるだけ飲めば、人間の損得勘定として、なんだか得をしたような気持ちになる。だが実体は違う。質の悪いものを、大量に庶民の胃袋に送り込んでいるでけの事である。

 この食べ放題・飲み放題という商売の仕方は、何も昨今にはじまった事ではない。明治初期、文明開化の名の元に、牛肉を食べさせる店が爆発的に大流行したが、この時にこのような客寄せの方法がとられ、その企業戦略は食べ放題・飲み放題があった。

 これには一つの隠れた意図があり、食肉を大量に庶民に食べさせる事で、日本人の食糧事情と食文化を巧妙に制御し、欧米型
(欧米では階層が下に下がるほど肉食品が多くなる)の食生活に近づけるという、影の穏微な集団の力が働いているのである。

 明治初期、日本人に肉を食べさせ、肉食主義を啓蒙する上で、「食べ放題・飲み放題」と巧妙な銘を打ったとしたら、どうだろうか。十人中九人までが、この謳
(うた)い文句に踊らされるのではあるまいか。先ず「得をする」と思い込み、次ぎに「食べ放題・飲み放題は経済的で安上がり」という観念を抱くのではあるまいか。

日本人は「食肉」と言う動蛋白信仰に騙され易い。

 同時に肉の味が忘れられなくなるという、一石二鳥の目論みがあった筈(はず)だ。隨(したが)って多くの客が欲に吊られて集まるようになり、口先に馴染む美味しいものを沢山食べさせ、如何にも繁盛しているような錯覚を起こすのである。我先に、恥も外聞も、金繰り捨てて、まるで餌(えさ)に釣られた豚のように、貪欲に食らい付く醜き有様が展開するのである。

 まさに大衆を豚の域に落としめる、ユダヤ商売である。現に自称銀座のユダヤ人と自らを名乗る藤田田
ふじた‐でん/自称“銀座のユダヤ人”で、その著書『頭の悪い奴は損をする』で有名)のマクノナルドのハンバーガーは、これを実践した典型とも言える。

 大衆の豚のような姿を、店の経営者や働く者達は、冷ややかな眼差しでこの光景を冷静に見つめ、それはあたかもユダヤ教徒が、異教徒
(豚=ゴイム)見るような卑下の目ではなかろうか。

 もしかしたらこの状況は、曾
(かつ)てナチスドイツのアドルフ・ヒトラーが、自らが主催する晩餐会で、そこに集まった大勢の客に、好きなだけ豪華な肉料理を振るまい、自らはそれらの肉料理を一口も食べなかったという、豚を見つめる目、即ち共食いをする人間の浅ましさを見る冷ややかな目付きではなかったろうか。

 それは肉屋や食肉産業で働く者が、食肉
(これらには肉を柔らかくするための女性ホルモン剤や抗生物質の投与が行われている)やハム・ソーセージ(食品添加物や保水剤等の投与)等を一切口にしないのとよく似ているのである。

 ヒトラーにはある一つの信仰があった。それは穀類菜食主義を徹底して、霊的な能力を高めるという神秘主義的な野心を抱いていたからだといわれる。彼には菜食専門のコックが付いていて、穀類と野菜料理だけしか食べなかったという。
 まさに食べ放題・飲み放題は、穀類菜食主義者が肉食主義者を見つめる、この構図と一致するではないか。

 今、これと同じ事が世界各地で起こっているのだ。美食への食欲に任せ、暴飲暴食を重ねて、肉を喰らう生活が決して健全ではない。肉常食で健康が保てる分けがないのである。




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