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国際食糧政策 1

国際食糧政策






日本の食指導は肉や肉加工食品、油脂類、砂糖類などの礼讃から始まった。戦後の「栄養教育」は一貫して欧米型食生活を模倣し、「タンパク質が足りないよ」をスローガンに動蛋白食品を「完全栄養食品」と讃える食指導だった。
 それは奇
(く)しくも、「食卓が油だらけになる」という現象だった。


●食原病時代の始まり

 戦後の栄養教育での食指針は、肉、鶏卵、牛乳といった動物性タンパク食品を優秀な食物として礼讃(らいさん)する教育だった。その結果、動蛋白は沢山摂ることが好ましいとされた。このように食指導がなされるようになったのは、歴史区分で「現代」と言われる「55年体制」(昭和30年の1955年)からである。

 「55年体制」下において、いったい日本で何が起ったのだろうか。
 それは「現代栄養学」という名において、官民が一体となって「パン食を推進する運動」を展開する年であった。こうした情況下、テレビではコマーシャルに、盛んに「タンパク質は足りないよ」というメッセージが日本人に向けて流された。

 そして、多くの日本人の脳裡
(のうり)に「欧米の食生活や豊かで、日本的な食生活は貧しい」と言う洗脳を繰り返し、それを植え付けたのである。
 昭和33年発行の『頭脳』
(慶応大学医学部教授・林髞(はやし‐そう)著)という本には、「米を食べる民族は、パンを食べる民族よりも劣る」という米食低能論を展開して日本人の洗脳を開始した。その後の昭和39年の東京オリンピックの頃に掛けては、「肉を食べなければスタミナがつかない」とか、「牛乳は完全栄養食品である」などのメッセージが流され、多くの日本人がこれに洗脳され、同調し始めた。

 これはアメリカの食物メジャーが仕掛けた、日本人向けの食糧政策だった。日本の権威筋を使って、「米を食べると馬鹿になる」という米食低能論を打出したのである。そして、この根も葉もない俗説に多くの栄養学者が追随し、またマスコミも一斉にこれを取り上げ、米食からパン食への食の意向を煽
(あお)ったのである。

 第二次世界大戦直後、小麦や綿花、それに乳製品などは世界的規模の大豊作に恵まれた。特にアメリカでの農作物は大豊作だった。そして、大豊作による農作物ストックは巨大化して膨らみ、アメリカ政府はその排出先に、日本をターゲットにしたのであった。

 大豊作の農作物は、食糧倉庫代だけでも相当に出費で馬鹿にならない。これを解消する為に、日本と言う新しい食市場を求めて、市場開拓の食糧戦略が開始された。それは、日本人に小麦を中心にしたパン食をさせる戦略が採られた。その第一の戦略が、当時の日本で生産されていた「米叩き」であった。
 これまで日本人は主食にしていた米を徹底的に叩いて、米の代わりにパン食を定着させる事であった。そこで現代栄養学者を通じて、アメリカ食糧メジャーの代弁として喋らせた言葉が、「米を食べると背が伸びない」とか、「米を食べると肥る」といった、全く根も葉もない迷信じみた俗説だった。

 この日本への食糧戦略の構図をよく考えると、歴史の中で、1760年代のイギリスに始まった産業革命後の、イギリスの中国政策を彷佛
(ほうふつ)とさせるではないか。
 イギリスで起った産業革命の中心は、「機械の発明とその使用」において、四大発明の一つであった紡績織布機がその花形であった。
 当時のイギリスの主要な工業は最初、羊毛工業であったが、地理上の発見以後、東インド会社がインド製の綿織物をイギリス本国に齎
(もたら)すようになると、綿織物の需要が増大し、国内でも木綿工業が発達した。

 また資本主義が確立され、同時に、1820年頃にイギリスの産業革命は完了するのである。新しい工場制機械生産が圧倒的な力を持ち、工業生産力が著しく増大するのである。そして1850〜70年代にかけて、イギリスは「世界の工場」としての黄金時代を迎えるのである。
 ロンドンは世界経済ならびに金融の中心となり、1851年と62年に開催された万国博覧会では、イギリスの経済的実力が世界に誇示された時期であった。

 さて、この流れの中で、見逃してはならないのが、1840〜42年にかけて起った阿片戦争である。
 十九世紀前半、イギリスが中国・広東で買い付ける茶や絹の量は著しく増大した。
 一方、これに対し、中国の需要する物資は極めて少なかった。この為に、イギリスが中国に支払う銀は巨額に上り、この片貿易の損失を補う為に、インド産の阿片が中国に向かって輸出された。

 阿片貿易は猛烈な勢いで発展し、1833年、東インド会社による中国貿易の独占廃止後は、イギリス本国の自由貿易商人が中国の阿片販売に殺到した。その阿片量は益々増大し、中国の茶と絹はイギリス本国へ、本国製品をインドへ、インド産の阿片を中国へ運ぶ「三角貿易」が確立した。そして中国への阿片の量は、年々急増していったのである。

 1839年、かねてより阿片貿易に対して強硬政策を主張した、清朝政府の欽差大臣
きんさ‐だいじん/官制に定めのない臨時特設の官職)だった林則徐(りん‐そくじょ)は、広東に派遣されるとイギリス側所有の阿片を強制的に没収する策に転じた。その上で、イギリスの貿易監督官に輸入禁止を求めたのである。
 これに対して、イギリスは「女王陛下の名誉が傷つけられた」として、武力で貿易の障害を取り除こうとしたのである。これが阿片戦争であった。

 阿片戦争の経緯
(いきさつ)を追うと、イギリスで起った産業革命により、工業生産力が著しく増大し、その綿製品などの市場が、当時世界最大の人口を誇っていた中国であった。しかし、当時の中国は貧しく、イギリスが目論んだ程、期待する綿製品の市場開拓は捗々(はかばか)しくなかった。更に、中国に対して支払う銀は巨額であり、まさに片貿易の観があった。そこで、この損失を補填する為に、インド産の阿片が持ち込まれたわけである。

 これを日本の「55年体制」前後の時代に置き換えると、幾つかの共通点を見い出すことができる。
 それは第二次世界大戦後、世界的規模で農作物は大豊作であり、アメリカに於てはそれが著しく、小麦、綿花、乳製品と言ったものは莫大なストックを抱え込んで、だぶついていたのである。
 そのだぶつきの捌け口が、日本と言う新しい食物市場であった。

 その戦略には、まず親米派の学者や文化人が導入され、「米叩き」が展開されて、次に食の実演としてキッチンカーが導入された。小麦を使ったパン料理が、各地で料理講習会として展開されていたのである。また、学校給食にも、拡大策が設けられ、パン産業の育成を図る政策が打出され、ここに日本人のパンによる食生活が根付くことになるのである。
 ある意味で、中国に持ち込まれた阿片を彷佛とさせるではないか。

 パンを食べれば、それに合うものは、まず「油物」である。食肉や食肉加工食品、牛乳、乳製品などの食物が当然のように多くなり、同時にこれまで日本人が食べていた味噌汁や漬け物と云った食品は食卓から姿を消すことになる。そして、食卓はこれを機に、
「油だらけになる」という現象が起るのである。
 しかし、この「油だらけ」というその裏には、実は日本人が成人病に発症するという病魔が隠れ潜んでいたのである。つまり、日本人の不向きである食品から、生活習慣病が多発するという元凶があったのである。
 この元凶こそ、口から入る「食原病」の始まりであった。



●日本人の食体系の破壊政策

 読者諸氏は、日本人の食体系がどのようにして決定され、その食指針が出されているか御存じだろうか。
 「55年体制」以降の日本において、アメリカの食糧メジャーの思惑は、日本人にこれまで連綿と続いた「米食」を止めさせ、米叩きをして、それに代わってパン食をさせる事であった。その為には、徹底的に米を叩かねばならなかった。

 また、痩身ブームの中で、「米食は肥る」という俗説を植え付けた。そして、肥満を防ぐには「食卓からご飯を減らそう」というスローガンだった。肥満や心臓病は米食が原因であると言う、根も葉もない理論を現代栄養学者達に語らせた。つまりダイエットをする為には、米は肥満の元凶であると言うことを、学者に語らせたのである。その結果、「ご飯を食べると血圧が上がる」「ご飯を食べると肥る」「ご飯を食べると馬鹿になる」などの俗説が生まれた。謂
(い)われなき誤解である。
 しかし、これは明らかにアメリカの意図的な小麦戦略であったのである。

 さて、私たちの棲
(す)む世界は、これまでの人類の歩いた世界史を振り返ってみると、十七世紀後半くらいから、ある一定の流脈と思惑によって、人工的に、思想や価値観が導かれた現実を否定する事が出来ない。近代史には、はっきりとした、何らかの意図があったことを物語っている。

 つまり、人類の歴史である、「世界史」は、特定の目的と、特権的なひと握りのエリートの思惑と、意図的な誘導によって動かされた形跡がある。そして、背後に穏微な集団が暗躍し、その結果、人間社会が形成されて来た。

 近代史の、十七世紀後半までの歴史を遡
(さかのぼ)り、これを工学的な世界観から、歴史を再検討してみると、そこには国際支配層の思惑を見て取れる。
 アメリカ独立戦争
(アメリカ独立革命)、フランス革命、そして、その後の第一次世界大戦、ロシア革命、日露戦争、第二次世界大戦、更にその後に続く、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争など、ありとあらゆる近代世界史が、ある一定の目的を持ち、一つの方向に、意図的に誘導されて来たと言う事実に気付かされる。

 日本では、戦後の民主主義教育下で、国家群や王朝の浮沈ならびに盛衰の歴史は、「自然体による自然発生的な事件だ」として、多くの日本国民が、そう、教科書の中で教わって来た。

 ところが歴史的事件を、左から右に順に並べ、横軸をX軸とし、その事件と経済動向や人的損失度合を縦軸のY軸として、これを年代順に、事件別に、振幅程度に応じて、事件の事柄を置いていくと、このXとY軸の関係には、サインカーブらしき、正弦波の周期曲線が現れてくる。そしてそこには、人工的に導かれたと思われる策謀の意図が浮かび上がって来くるのである。

 世界は、大きく分けて、「支配する側」と「支配される側」に二分される。その分離比は、古代より言われたユダヤの黄金率に回帰され、
支配側層28%に対し、被支配層は72%となり、支配層が被支配層に何事かを仕掛けるという思惑と一致する。
 則
(すなわ)ち、28%の仕掛ける側が、72%の踊らされる側を、周到な画策で、ついに踊らせるのである。こうした構造により、世界史が動かされている事実が浮かび上がって来る。その確たる証拠が、「戦争」ではなかったか。
 果たして、戦争は自然発生的に起るものであろうか。

 古代史から年代順に、現代までを、歴史を工学的に検出し、事件や事柄を年代順に置いて行くと、人類の歴史は、支配層の仕掛けた戦争の歴史に集約されていることが分かる、そして、戦争こそが、人類の歴史であると痛感させられるのである。

 一つの民族や国家が、敵対する他の国の軍事勢力よりも圧倒的に強大である場合、特にユーラシア大陸では、想像を絶するような、広大な領土が支配された。マケドニア
(ヨーロッパ南東部、バルカン半島のエーゲ海に面する地方で、アレクサンドロス大王の故地)、ペルシャ帝国(イラン南西部の古代地名パールサ で、アケメネス朝・ササン朝・サファヴィー朝・カージャール朝など王朝が興った)、サラセン帝国(シリア付近のアラブの呼称で、ウマイヤ朝やアッバース朝はサラセン帝国と呼ばれた)、蒙古(ジンギス汗が建て、その子孫がアジアの大半とヨーロッパの一部にひろげた大帝国)などがそれであった。

 しかし、どの民族も、どの国家や王朝も、それが自然の法則に従った「自然体」である限り、栄枯盛衰
(えいこせいすい)は紛(まぎ)れもなく、「自然の摂理」と考えられて来た。この観点から見れば、十七世紀後半から何事かが仕掛けられ、近代世界史は、一見すべてが「自然の成り行き」として見えて来る。ところが、何事かが、常に、何者かによって仕掛けられる構図が見えて来る。特に、十七世紀後半以降に、多く集中しているように思える。

 多くの日本人は、「歴史は自然の成り行きから派生する」と歴史教科書では教えられ、これを疑う歴史家は、殆ど居なかった。教えるが側も、教わる側も、「歴史は自然の成り行きで派生する」という、この思い込みを金科玉条として、これを大切に守り通し、疑いを挟む余地はなかった。

 しかし、果たしてそうであっただろうかという疑問が趨
(はし)る。
 特に近代史では、十九世紀に起った植民地主義や帝国主義が猖獗
しょうけつ/悪者が猛威を振るい、猛々しく、荒々しいこと)を極めたこの時代、自然体の中から派生する国家群の浮沈は、「自然の摂理」と考えられるべきものか否かと、非常に疑わしくなって来るわけだ。

 また、この結果から、これを「自然体」と捉えるのは、世界の中でも、お人好しの日本人だけではなかったのだろうか。
 そして、忘れてはならない事は、封建制社会の後を受けた資本主義社会の近代から、現代にかけて、世界が、白人国家主導型で動かされて来たと言う歴史的事実を見逃してはならない。

 二十世紀には、全人類を震憾
(しんかん)させ、想像を絶する阿鼻叫喚(あび‐きょうかん)の生き地獄を思わせる二度の世界大戦が勃発している。それと同時に、白人国家でありながら、西欧的資本主義と対峙(たいじ)する、社会主義連邦「ソビエトSovet/ソビエト連邦の政治的基礎が登場し、ロシアの権力機関として、共産党を中枢とする一党独裁の政治権力)」が登場し、世界を二分する対極を構築した。しかし、東西の冷戦構造が崩れると、今度は新しい世界秩序を目指す「ワン・ワールド主義」が擡頭(たいとう)した。歴史は、こうして何らかの意図で、巧妙につくられているのである。

 これは、ひと握りのエリートによって、自分達が世界を治める為に君臨し、支配すべきものだとする考え方を露骨にし、恐怖と汚染の種を、ばら蒔き始めたということを暗示する。その基本的な謀略が、日本人に向けての食糧問題であり、食糧政策であった。日本人を欧米的な食文化の食肉汚染で、根こそぎ、崩壊させる政策だったのである。
 しかし、この企ての真相を知る日本人は少ない。

 日本人の肉食主義のあくなき欲求は、グルメ流行
(ばや)りの渦中で、血液の汚染を誘発している。またそれが、細胞の各部位で炎症を起こし、正常細胞を病変させ、ガン細胞への変質させている。血液の汚染によって、一種の憑衣状態を作り上げ、肉食愛好家が魑魅魍魎(ちみ‐もううりょう)と交流する地獄絵の舞台を演出しているのである。

 世界支配層の彼等にとって、ゴイム
(豚的動物すなわち非ユダヤ人のことで、主に喰われる「豚」を指すが、温和しい「家畜」の意味もある)であるべき日本人は、「肉食を奨(すす)めるべき、愚かな豚としてのターゲット」である。

 事実、『ユダヤ・プロトコル・1』の一節には、
 「世の中には、低級粗雑な考えを持つ人の数の方が、上質高尚な考えを持つ人の数をはるかに凌
(しの)ぐ。これが常であり、まずはこのことが踏まえられねばならない。
 私は指摘しなければならない。彼らを統治するには、学者ふぜいの論議によってではなく、強権と恐怖政治
(テロリズム)によって為(な)すに如(し)かず。これこそが最良の方法である。

 誰もが権力を欲し、誰もが独裁者になりたがる。実に個人的私益の為には公益を犠牲にしても顧みない連中ばかりである。我益を手中にすることを抑えて、万人の利益のために我が身を犠牲にしようとする者などは、めったに居るものではない。

 人間という名の禽獣
(きんじゅう)を抑え、彼らを牽引(けんいん)してきたものは何であったか、それを思案せねばならない。社会の仕組みが始まった原始時代にはそれは暴力であった。その暴力の威圧の前に人々は盲目的に服した。その後には、法律に服するようになった。だが、この法律とて所詮(しょせん)仮面を被った暴力に他ならないではないか。これがありのままの法則であり、ここから推論すると、『正義は力の中に横たわっている』と結論したい」と記されている。

 では、この中で言う『正義は力の中に横たわっている』という意味は何であろうか。
 これはまさに、白人主導の欧米権力態勢と映るではないか。
 「正義は力なり」と標榜
(ひょうぼう)するのは、世界の警察官を気取るアメリカを除いて、他にはない。アメリカと言う、国際ユダヤ金融資本の傀儡(かいらい)国家は、ひと握りのエリート・ユダヤグループによって経営されている。総ての企業は、彼等の傘下にあり、ホワイト・ハウスでも傘下に取り込んでいる。
 そして、アメリカの食肉メジャーが、日本をこれからどう料理するか、彼等の胸三寸なのである。

戦後アメリカが日本に持ち込んだ食文化は、食肉や鶏卵ならびに乳製品などの動蛋白やを多く摂る食生活であった。

 牛肉の危険部位の混入で、いま食肉輸入業者や肉料理提供者の間では、アメリカ農務省の圧力で、様々な憶測が飛んでいるが、結論から言えば、アメリカの上流に位置する生産側は、自分達だけは、肉食をしてはならない事をよく弁(わきま)えており、それに代わって、日本人の胃袋を、有害な食肉で一杯にし、徹底的に判断力や決断力を退化させる肉食文化を煽っている。その目的達成の為に、日本人の古来より連綿と受け継いだ霊的な力と、その神性を曇らせる為に、日本政府に大きな圧力を掛けている。

 そしてその圧力と共に、グルメ通の進歩的文化人や有名芸能人、有識者などの権威筋が代理人として、テレビや新聞に登場させ、日本国民の食卓を星条旗で飾る食文化の素晴らしさを語らせるのである。
 例えば、「なんとか牛が、……軟らかくて、ジューシーで云々
(うんぬん)と、蘊蓄(うんちく)をたれさせ、マスメディアを通じて、大衆工作する事に余念がない。
 またこれに、大食漢で無能な美食家がハーモニーの和音を付ける。日本の一般大衆は、こうして食に対する考え方を、アメリカ一辺倒に傾け、今日の食肉文化を謳歌
(おうか)しているのである。

戦後の日本では、アメリカの食生活を真似して、牛肉のステーキを食べ、鶏肉のローストチキンを食べる事が豊かさの象徴であった。

 しかしこうした、食肉文化を裏側から眺(なが)めたらどうであろうか。
 一頭の牛を屠殺
(とさつ)し、それを解体する人が居なければ、牛肉は食卓に上る事はない。皆さんは牛や豚が屠殺される惨状を、実際に自分の目で見たことがあるだろうか。それを見ても、まだ食肉に、あくなき執念を燃やす人がいたら、自分で食う肉は、自分で牛や豚を屠殺するようにすればいいかも知れない。

 では何故、日本人は、食肉文化を信奉するようになったのだろうか。
 それは先の大戦であった、日米戦までに遡
(さかのぼ)る。
 昭和16年12月8日の日米戦の開戦において、その発端は、日本がアメリカの言い成りになり、米世界戦略の傘下に取り込む事であった。その政策の一つに盛り込まれていたのが、欧米的な食生活を日本全体に普及させることであった。

 この意図は、大戦末期になると、アメリカの意図が露
(あらわ)になって来る。太平洋戦争では、アメリカが日本に対し、執拗なまでの情報戦が繰り広げられた。その情報戦による一つに「伝単」【註】中国語に由来する「宣伝ビラ」のこと)なるものがあった。アメリカの謀略放送に加えて、米航空機から撒(ま)かれる「伝単」なるものが空から降って来た。
 これは逼迫
(ひっぱく)する戦況の中で、一種の意図的な誘導を持つ心理戦で、爆弾や銃弾を広告チラシに置き換えた「戦争」であった。

 まず、アメリカは「爆弾後の生地獄」と題した伝単を日本人の頭上に降らせた。アメリカは、日本の本土空襲に際し、爆弾投下予告として伝単を空から散布したのである。日本国民に、恐怖心を植え付け、また軍部の戦争指導に疑念を持たせる心理戦を展開したのである。近代史の新たな戦争である。

「 爆弾後の生地獄」の表面
「爆弾後の生地獄」の裏面

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 多くの日本国民は、この心理戦にまんまと嵌(はま)って行く。日本軍は大本営発表として、国民が伝単を拾う事を禁止した。
 一方アメリカでは、戦時情報局心理班
(OWIPWTという組織がつくられ、航空機による伝単散布で、日本国民の撹乱作戦に踏み出した。この心理班は、日本語に堪能(たんのう)な亡命日本人や日系アメリカ兵を始めとして、かつて日本に棲(す)み、日本で教育を受けたアメリカ人留学生等から組織されていた。そして伝単政策にあたっては、天皇批判は避けて、戦争指導を行っている陸海軍部の軍首脳を叩き、日本国民に厭戦(えんせん)気分を助長させる心理戦に出たのであった。

 これ等の中で、特に注目すべきところは、「爆弾後の生地獄」と題した伝単の中の裏面に、当時の戦争指導を行う軍部の弊へい/良くない事)を説き、威嚇(いかく)と柔躙(じゅうりん)とをもって、戦争の終息を促すチラシを空から散布したのである。
 そして、そこに上げられたものは、「四つの自由」というものだった。

「四つの自由」に列挙されたものは、「欲望の自由」「言語の自由」「恐怖からの自由」「壓制(あっせい)からの自由」であった。

 また一方、日本軍も慢性的に物資が欠乏する中、これに負けず、米兵陣地に対して、郷愁(きょうしゅう)を誘う為に「お色気」で迫る伝単を使ったのである。大戦末期になると、日米が心理戦に出て、終戦まで、日本軍大本営参謀本部第八課では、推定で170種以上の伝単を使い、凡(おおよ)そ1350万枚がばら撒(ま)かれたとある。
 これに対しアメリカ側は、食糧難不足で飢餓状態にあった日本人の食欲を掻き立てる為に、豪華な寿司の写真をカラーで刷り、飢餓感を掻き立てたる心理戦に出たのである。

豪華な寿司のカラー写真を載せた、日本人の飢餓感を掻(か)き立てた伝単。
 日本人は、もうこの時に、アメリカの食糧政策の罠
(わな)に嵌(は)められ、植物性食品から動蛋白への画策が行われていたのである。
アメリカのコミック紙に出て来るような絵柄のグラマー女性を登場させ、悩まし気な殺し文句で、米兵を悩殺し、戦意を失わさせようとした大本営参謀本部第八課が製作した苦肉の伝単。当時の大本営はこの程度の低レベルだった。

 アメリカ軍の、空から散布した豪華な寿司のカラー写真の伝単は、日本人を忽(たちま)ちにして飢餓感に陥れた。そして、アメリカ側の巧妙なところは、寿司が欲しければ、「飛行滑行場の東南方の交叉点(こうさ‐てん)に十字型を書け」というものだった。これは日本兵ならびに日本国民に投降を促したものであった。

 先の大戦を、日米の食糧事情から観
(み)た場合、その背後に浮かび上がって来るのは、これまでの日本人の食体系を破壊して、日本人を骨抜きにする政策が、太平洋戦争当時、既に錬られていた事である。

 日本人は古来より、穀物菜食を伝統として来た。しかし、江戸時代に入り、オランダ文化が流入して来ると、西洋の肉食が次第に、日本人にも浸透する事になる。そして明治維新を迎え、欧米化の食文化が雪崩込んで来ると、牛鍋
(ぎゅうなべ)やスキ焼きなどの肉料理が広がり始める。そして、やがて西洋気触(かぶ)れの栄養学者達によって、「肉を食べる事は健康に非常に良い」と言う折紙が付けらられる。こうした学者の言は、庶民にも信仰される事になり、瞬(またた)く間に普及するようになる。

 しかし、地方の山村や漁村などの田舎に於ては、依然として穀物菜食や魚介類、海藻類が中心で、食生活には余り変化が見られず、今日のように全国津々浦々まで食肉が当たり前になるのは、近年になっての事である。
 肉食文化を日本に持ち込み、肉の動蛋白の持つアミノ酸の優秀性に評価を発したのは、現代栄養学者達であった。そして「肉食をしなければ、栄養のバランスが失われ、病気になる」と嘯
(うそぶ)いたのである。

 この学者の言を多くの日本人は信じ込み、食肉万能の食思想が日本の食体系の中で重要なポストを占めるようになる。この思想に拍車が掛かるのは、日本の太平洋戦争敗北後の事である。日本は確かに、この戦争で多大な敗北を喫したのである。軍部の戦略や戦術、あるいは物量で負けたばかりでなく、思想的にも、文化的にも、食体系的にも、総て敗北したのである。

日系米兵から水筒の水を飲む幼女
農村へ食糧買い出しの真委員列車

昭和22年頃の小学校の給食
闇食糧の警察の取締。
(大宮駅で昭和22年4月)

 多くの日本人は一日も早く、戦後の荒廃から立ち直ろうとした。荒廃の中から立ち上がる為には、アメリカを始めとする先進国の水準に追い付かなければとする、欧米型模倣の生活スタイルが、国民の間にとめどもなく浸透して行ったのである。その結果、これまでの日本の伝統文化は古臭く、非科学的で、時代遅れであり、アメリカこそ、人類のよき手本だと言う考え方が広まって行った。
 そして、多くの日本人の思考の中には、西洋的なものなら何でもカッコよく、良いものであると、上から下まで信じるようになったのである。

 現代栄養学に基づく理論も、この時に受け入れられ、食指針が、日本の敗戦と共にスタートしたのである。この指針はマッカーサーの訪日と共に押し進められた。この当時、栄養学が推薦している食指針であると、間違った推断で政策が実行され、既に、日本の食糧市場に参入しようとする、戦前から手ぐすねを引いていたアメリカ食肉業界の思惑が働いていたのである。

 この結果、日本の食指針は、日本古来からの連綿として受け継がれた、叡智
(えいち)に基づく食体系を放棄して、アメリカ型の食思想を受け入れるようになってしまったのである。かくして日本人の胃袋は、アメリカの思惑によってコントロールされ、アメリカ食企業の定める食物習慣によって、完全に占領されてしまうのである。

 これは歴史学的に見ても、敗戦国が戦勝国側の言いなりになり、敗戦国民のその殆どが、戦勝国の食体系に取り込まれたのは、過去の歴史を見ても例がない。これを安易に受け入れたのは世界史の中で、日本だけであった。この意味で、日本の無条件降伏は、日本を叩き潰す為に、決定的な極め手となった。そして、お人好しな日本人は、完全に頭の中を徹底改造されたのである。

 日本の敗戦後、食肉・鶏卵・牛乳などの動蛋白奨励は、「健康の為」というスローガンの基で遂行されたが、これは真っ赤なウソであった。実は、アメリカの飼料穀物会社による用意周到なる、利潤追求戦略であったと言う事は疑う余地がない。日本人が、こうした狡猾
(こうかつ)な食糧戦略に気付くのは近年になってからの事である。
 現在でも、アメリカの家畜飼料メジャーは、世界の家畜飼料の市場を一手に握り、動蛋白摂取は、人間にとって最も必要な絶対対策と嘯
(うそぶ)く一方、食物経済を独占しようとする意図だけは疑念を挟む余地は全く無いのである。



●食糧問題と経済格差

 十億円以上の資産を持つスーパーリッチ層と、マイホームやマイカーを持っていても、度々サラ金に出かけて、お金を借り、ローンの支払を遣繰(やりく)りしないと借金が返せない底辺の庶民層との格差は、次第に明確化されつつある。此処にも、「スーパーリッチ層28%」「底辺の微生物的庶民層72%」の、ユダヤの黄金率は、しっかりと働いているのである。

 こうした問題を突き詰めて行けば、人類の歴史の裏には、重大な「陰謀」が鎮座している事が分かる。
 もし、今日に見る「ソマリアの飢餓は意図的に作られた」とすれば、これは非常のおぞましい計画であると言わざるを得ないだろう。この現実を真剣に考えると、人間の命を、かくも軽く扱う事が出来るのだろうか、という疑問が脳裡
(のうり)を過(よぎ)る。しかし、人間は此処まで、残酷に生まれついた、残酷な生き物であろうか。

 ソマリアの飢餓の悲劇が人工的に、意図的に作られたとすれば、その狙いは明らかである。世界の紛争地域には、国連
United Nations/日本人はこの国際機関を「国際連合」と解釈しているが、正しくは「国際連合軍」であり、第二次世界大戦当時の敵国条項には日本などが挙げられている。また、国際連盟の精神を受け継ぎ、さらに強化した組織であると宣伝されているが、これも誤りである。国際連合軍を「国際連合」と訳すのは、とんでもない誤訳である)の合意さえ得られれば、何処にでも、直ちに他国籍軍を派兵し、鎮圧する既成事実を作り上げ、ルール化する構造を作り上げている。このようにして、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジアやユーゴスラビアの紛争、ソマリアの飢餓も、前もって準備され、画策されたのではないかと言う疑いが浮上して来る。

 これ等が仕組まれたものであるとすれば、「正義は力なり」という名の下
(もと)に、全世界は「国連」と言う、多数決の場を借りて、「民主主義」を標榜(ひょうぼう)し、この美名の下に、どんな国でも、占領出来ると言う構造が着々と造られているという実情を見逃す事が出来ないであろう。
 民主主義の論理に従えば、世界のルールに従わない国は異端と看做
(みな)され、制裁を受け、アメリカを中心とした軍事力で独立国家としての主権を奪われるという、世界構造が出来上がりつつある。それが新世界秩序であり、ワン・ワールドの構想だ。そして、その最終目標は「日本である」という事は、ほぼ間違いないようである。

 これからの日本は、国家自体が独立国家として繁栄していけるか否か、それは現代の日本人が、如何なる見識と、洞察力を持っかにかっていると言えよう。国民が愚民であればある程、政治は貧困化し、愚昧
(ぐまい)政治が展開される。今日の日本人政治家の政治を見て、皆さんはそうは、お思いにならないであろうか。

 そしてもう一つ、食に関わる重要な、将来の日本の明暗を分ける未来の構図には、コメの自由化があある。コメの自由化こそ、日本の未来を破壊する巧妙な罠
(わな)なのである。
 アメリカとうい強大国の外圧に負けて、コメの自由化を認めても、結局バカを見るのは日本である事を知らなければならない。そして、その皺
(しわ)寄せは、底辺に位置する一般国民が被る事になるのである。それも、庶民と言われる低所得層の底辺の国民にである。

 食糧メジャーが公言する「安定供給やウマイ米」は、全くの嘘であるし、巷
(ちまた)に農薬漬けの危険なコメが出まわる事は必定である。日本の農業をしっかり支えていく為にも、コメの自由化は、日本にとってマイナス・イメージである。
 GATT
General Agreement on Tariffs and Trade/通称ガット。関税および貿易に関する一般協定で関税の差別待遇をなくす為に、1947年調印した国際関税協定)ウルグアイ・ラウンド農業交渉における関税化の例外措置として、輸入数量制限を実施してきたコメについては、1999年4月1日をもって関税化措置に移行した。
 これに伴い、ウルグアイ・ラウンドで定められた、日本が輸入する事とされている最低輸入義務数量以外のコメについては、二次税率を支払えば、誰でも輸入できる事実である。これで、最終目標である「日本占領計画」の舞台装置ならびに、仕掛けは全部出揃った事になる。

 コメの自由化、コメの開放問題は、日本の安全保障にとっても極めて重要な問題である。農業を一貫して、衰退させて来た日本政府の中枢を巣喰ったのは、中でも農林水産省の官僚達であった。彼等は、外圧の穏微な集団の手先として動いた形跡がある。そして彼等は、「日本の明日の農業」を荒廃させ、国土を荒れ果てさせた張本人なのである。

かつて瑞穂(みずほ)の国と言われた日本は、いったい何処に行こうとするのか。米を放棄して、果たして「身土不二」に反するパン食で、日本人の霊的神性は守れるのか。

 農地を荒廃させた後に日本を襲うものは、「食糧輸出制限」である事は、ほぼ疑う余地がない。これに備えて、私たちは用心すべきだし、世界の情勢は、刻一刻と日本を包囲して来る事であろう。
 今の日本の現状こそ、「豚は肥らせて喰え」という言葉が、しっくり来る国は、他にない。私たちは、運命的に見ても「喰われる媒体」なのである。国際政治的に「狩られてしまった」からである。狩られた以上、喰われるしかない。どうしても一度は、喰われなければならないのである。霊界で起っている事は、現象人間界にも、必ず反映されるのである。

 そして、今日の国際情勢ほど、日本を悩ませ、じらせ、おだて、いい気にさせ、苦しめ、悩ませ、悲しませ、あるいは口に飴玉を放り込んで黙らせ、日本に次から次へと、いろんなものを引き寄せ、災いを押し付けることであろう。日本人が血と汗で貯えた財貨は果てしなく支出され、限り無い譲歩を求められている状況は、日本の対外交渉を見れば明らかになる。

 このような日本の現状の危機を、如何に容認するかは個人の世界観と、価値観に基づくものであるが、「豚は肥らせて喰え」という言葉が、背後で働いているのは、どうやら事実のようである。したがって、自らの手で防衛出来る事は、防衛しなければならない。
 そして、日本人の正しい古来から連綿と続いた食体系と食思想を、再び見つめ直す事が必要であろう。




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