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合気揚げ戦闘思想 1


合気揚げ戦闘思想

 この木刀は「合気揚げ」を鍛練する素振りの木刀である。
 素振りをすると、肩の筋肉や脂肪が落ちて、一年を過ぎた頃から、腕の構造断面は楕円形
(だえんけい)で、腕自体は「へらぶな形」となる。まず、素振り鍛練により、合気揚げを行える体躯(たいく)を作り上げる。

 木刀の柄
(つか)を握る場合は、力で握り込むのではなく、「卵」を握るように「柔らかく」握ることが大事である。この時、人差指は柄を握らず、中指・薬指・小指で握り、最後に拇指(おやゆび)で握って止める。人差指は、自然の儘(まま)に伸ばし、無理にピンと伸ばす必要はない。そして、小指側ほど締めて握る。

 また、斬り結ぶときは、「茶巾
(ちゃきん)絞り」の要領で、剣筋が正中線を正しく通るようにする。一振り一振りに唸魂(ねんこん)を込め、霊肉(れいにく)(とも)に動かすことが大事である。

 この大事を要約すれば、木刀を素振ると言うことは、則
(すなわ)ち、粗食・少食にして、筋肉内から「乳酸を絞り出す行為」なのである。筋肉内に乳酸が有る場合、筋肉が硬くなり、よく動かすことができない。乳酸は、激しい筋肉運動など、糖を無酸素状態で分解することによって生ずる有機酸の一つである。

 つまり、無酸素状態から発生する乳酸は、筋肉を硬くし、外筋ばかりを硬直させて、緊張させ、内筋を野放しにする。この為、乳酸は人間の行動を阻害する元凶となるばかりでなく、筋肉内に居残って、「痛み」を作る病根となって慢性疾患や持病を招く。
 これがそもそも、よく「動かない元凶」であり、また緊張や弛みを齎
(もたら)す元凶となる。

 そこで、こうした無酸素状態で生じた乳酸を絞り出し、叩き出す為に、わが流は「素振りの徹底」を指導している。木刀を上下に振り、上下運動をする事により、肩の筋肉や関節内に潜む、汚れをたたき出す事が出来る。この汚れの叩き出しが、つまり素振りであり、三次元立体において、「軽快で俊敏な縦運動」を容易にならしめる秘訣なのである。

【合気揚げ素振り木刀の仕様】
 
合気揚げを鍛練する木刀として開発され、材質はタガヤサン(鉄刀木(たがやさん)/マメ科の高木で、マレー・インド東部などに自生し、木質は硬く、心材は黒と赤の紋様があり、堅牢美麗で風雨に強く、銘木として建築器具に利用される高級材質)で、刀身部は60cm、柄部は日本刀の大刀の柄の長さに合わせて25cmである。

合気揚げ鍛練用木刀の構造仕様
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 この木刀は重量が3,100gで、全長が85cmで手許(てもと)に重心がかかるように工夫され、その特徴は全長が短く「合気揚げ修行」の為に、試行錯誤を繰り返して開発されたものである。


●合気揚げとは

 合気揚げは抜刀を封じる敵に対して、これを「揚げる技術」である。吾(わ)が両手を封じる敵は、抜刀をさせない為に手を封じる。それを術者は揚げて、敵の封じを抜手の要領で「外す」のである。

 したがって合気揚げは、両手を強く封じられ、それを揚げる業
(わざ)であるとともに、「肩を浮かす瞬間の一コマ」が顕われ、浮かし揚げた後、左右いずれかに敵を倒すのである。
 この業は「合気」に通じる総
(すべ)ての極意が隠されていて、これが会得できなければ、大東流の「合気」は完成を見ない。

 特に、わが西郷派大東流は
「合気揚げ」の真髄(しんずい)をもって、合気に至る道への師表を説いている。
 一般に、他の大東流や合気道は「合気揚げ」を「合気上げ」と表現して、本当の合気揚げをそれほど重要視していないようであるが、「合気揚げ」と、一般に言われている合気道愛好者の「合気上げ」とは異なっている。

 合気揚げであるべき目的を、「上げ」した場合、この上げは、物という静体または動体を、低い処
(ところ)から高い処にに移動させる事を指す。
 一方、合気揚げの「揚げ」は、「吊り上げる」という意味を持つ。一種の積荷を別の次元に移すということだ。
 これはちょうど、船舶などで積荷を運び、海の上に浮んでいる船から、積荷を吊り上げて陸地に運び上げる「揚陸
(ようりく)」する意味を持ち、つまり船から上陸することを指す。

 現象界の物体と言うのは、吊り上げただけでは「次元移動」は行われない。吊り上げ、これを移動させなければならない。この行動原理の中に、わが流の独特の「合気揚げ戦闘思想」がある。

 敵は「両手封じ」を行う。
 この両手封じは、一般には、抜刀をさせない為である。帯刀した術者に対し、敵は術者の抜刀を恐れて、「捨身懸命
(すてみけんめい)」の両手封じを行うのであるから、両手封じが破られれば、敵は術者から斬られる事になる。また、それが厭(いや)だから、命を張って術者の両手を封じるのである。これは単なる、稽古前のウォーミング・アップとは違う。本格的な運動競技前の準備運動ではないのだ。
 ここにこそ、合気の課題があるのである。

 これは封じられるか、破られるかは、封じる者の生命に関わる事だ。
 一方、封じを破る術者は、敵の両手封じが邪魔になる。これを解かない限り、術者の「術」は遣
(つか)えない。ここに攻防があり、「命の遣り取り」がある。
 この壮絶な命の遣
(や)り取りを、わが流はこの合気揚げの中で、独特の宇宙を作り、この宇宙の中で戦闘思想を突き詰めるのである。

 戦闘は何も、リングや畳の中とは限らない。こうした平坦な、誰が観
(み)てもフェアーと思える競技のルールにたった場所で行われるものとは限らない。辺鄙(へんぴ)な山の中の、山岳戦も想定する必要があろう。むしろ、戦場とはそうしたところではないのか。
 その証拠に、十六世紀の戦場には、「山城
(やまじろ)」という考え方があった。これは山頂や山腹に築いた城であり、平城(ひらじろ)とは対照的である。つまり、山城とは、人が近寄り難い山地に城を築き、攻め難くする発想から生まれたものだ。

 一方で山城は、山岳戦を意識した城で、このこのモデルは、楠木正成
くすのき‐まさしげ/南北朝時代の武将で、河内の土豪だった。後醍醐天皇に応じて兵を挙げ、1331年(元弘1)千早城にこもって幕府の大軍と戦った)の千早城(ちはやじょう)に認める事が出来る。千早城は大阪府南河内郡千早赤阪村の金剛山の中腹にあった城である。坂路極めて険峻で、1333年(元弘3)楠木正成が籠城(ろうじょう)した城で、北条氏の軍を防いだことでも有名である。
 千早城が防禦
(ぼうぎょ)に適して居た事は、この城が山城であったからである。

 道場と言う、屋内と限定された競技武道観は、一度、屋外へ出るとその考え方は一掃される。果たして平坦な試合場と、辺鄙
(へんぴ)な地の山稽古をする変化に富んだ地形とが同じ物だろうか。
 最強と豪語する、格闘技選手でも、マタギと山に入り、山岳の嶮
(けわ)しい山路に同行すれば、30分も経たないうちに路(みち)に巻かれて了(しま)うだろう。
 つまり、平坦地戦と山岳戦とでは、根本的に異なるのである。競技と言う名のスポーツや格闘技は、戦闘ステージの次元が異なれば、一瞬にして用を為
(な)さなくなるものである。

 二次元平面の平坦地で戦い馴れた者は、途端
(とたん)に戦闘ステージが三次元になり、立体化されてこれに高低の上下が生まれれば、二次元平面の戦い方は用を為さなくなる。横移動に加えて、縦移動が起るからだ。そして人間の行動原理は、平面上を移動する横移動より、縦移動の方が高度である。また動きも複雑になる。更に、螺旋状(らせんじょう)に動き易い。

 縦移動が要求される場合、力で立ち回った横移動の運動方向は、途端
(とたん)に用を為(な)さなくなる。横移動は、縦移動の上下に揺すぶる運動の前には、歯が立たない。つまり、横移動を縦移動で揺さぶることは、実は、これが「合気」である。
 合気の運動線は、敵の動きを上下に揺すぶることであり、肉体力の力は、上下の縦移動の重力運動において、効力を失う。

 こうした戦闘思想に基づき、わが流は、封じる者と、封じを解く者との間に「命の遣
(や)り取り」をする独特な宇宙観を作るのである。この宇宙観に一種の「曼荼羅(まんだら)」を作り、曼荼羅の縮図の中で「命の遣(や)り取り」が行われる。

 それはまず、一見単純と思える動作から開始される。
 術者である吾
(われ)は、揚(あ)げる為に、吾(わ)が手頸(てくび)を掴(つか)ませたと同時に、掴(つか)ませた状態にしておいて業(わざ)を掛ける。これが、合気揚げの構造である。
 だが、このように見える単純な動きの中には、「封じられる側」と「封じる側」の動きの違いに、合気揚げを行う秘密が隠されている。

 この業
(わざ)は単に、強い力で両手が封じられ、それをリフトのような腕力で強引に揚げるのではなく、特異な「術」を用いて「揚げる業」である。
 大東流愛好者の中には、こうした地味な基本極意を嫌って、派手な遣い用もない高級技法の蒐集
(しゅうしゅう)を行ったり、古典の時代遅れの骨董品的技法を蒐集している人が多いが、これは単なる「型」であり、実戦に何ら役立つものではない。型は、型の範囲で止まり、「動き」を伴わないからだ。

 また、この合気揚げが修得できないと、幾ら高級技法を研究しても、絵に描いた餅
(もち)であり、貴重な人生において、無駄な時間を費やしていると言う事になる。高級技法や低級技法に限らず、例えば、「一本捕りを十年掛かってやる」という間違った考えで、大東流柔術を遣(や)ると、これは合気揚げが出来ない「型の柔術」を遣っているに過ぎず、それこそ、この十年は全く人生の無駄になる。

 それは高級技法に限らず、低級技法であっても、「極意を無視した形」で、ただ伝承の為のみの反復練習が行われるからである。つまり、「型の反復練習」は、そんなに大きな意味をもたないのである。単に古臭い骨董品的な、「型の伝承」をしているだけの事であるからだ。

 本来、武術と言うものは、「型の伝承」のみに止まってはならない。むしろ、こうした伝承を打ち破り、この次元を超えたところに伝統武術の醍醐味
(だいごみ)がある。「動き」こそ大事と捉えるからだ。
 したがって、伝承と伝統は根本的に異なる。役には立たない骨董品の時代物と、それを洗練した伝統とは、遥か二次元駄異なる事は容易に理解されるであろう。この根本を間違うと、戦闘思想そのものに大きな狂いが出て来る。



●合気揚げとウェート・リフティングの重量挙とは異なる

  西郷派大東流の教える合気揚げの特徴は、第一に「力貫(ちからぬき)」であり、第二に「肩球(かただま)」の遣い方である。また、肩球の遣い方には多くの秘術があり、これは直接口伝を受けながら教えてもらわないと、幾ら頭で考えても到底解るものではない。そして「肩霊」を縦に回転させて動かすと言う特長がある。

 これを行うには、「木刀の素振り」が必要であり、肩に筋肉や脂肪を着けてはならない。肩の部分に、ウェート・リフティングなどの競技で、筋肉を付け筋肉隆々と言うトレーニングを行えば、此処には不必要な筋肉が纏
(まつ)わり付いて、必ず自滅の道を辿る。まさに無用の長物である。外筋ばかりを鍛えると、筋肉の中に乳酸が溜まり、これは自由自在な動きを阻害するからである。

 合気揚げは、ウェート・リフティングではない。バーベルを頭上に両腕が伸びきるまで上げる競技ではない。重量挙げの類
(たぐい)ではないのである。これは、有名スポーツ選手がウェート・トレーニングなどの筋トレ練習に走ると、必ず自滅するのと対照的に、此処には筋肉を付けてはならず、筋肉を付けないことが、これまでの健康を保ち、真の力を溜め込む養成力となるのである。不必要なものを、肉体に纏(まつ)わり付けると、肉体は滅びるようになっている。

 それは成人病を見ても明らかであろう。成人病の大半は、成人病患者が不必要なものを躰
(からだ)に身に付けたからである。こうした、肉体に不必要なものを身に付けてしまうと、人体は変質を起す。正常細胞は異常細胞と変質し、この変質はガン細胞等の見られる。元を辿れば、ガン細胞も本来は正常細胞だったのであり、これが異常を起してガン細胞に変質しただけの事である。

 ちなみに、現代医学は成人病つまり、生活習慣病から変質を起して正常細胞が、ガン化したものを、攻撃する三次元医学が試みられている。この三次元医学は、あくまでも物質を対象としたものである。眼に見える物は相手にするが、眼に見えないものは相手にしない、大変傲慢
(ごうまん)な医学である。

 この三次元医学が展開する治療法は、あくまでも二十世紀の唯物論を引き摺
(ず)った、肉の眼に見えるものだけを相手にし、眼に見えないものを非科学的と退けてしまう傲慢なものだった。そして、未(いま)だに未科学であるものを、「非科学」と決め付け、オカルトの範囲に捨て置き、未科学分野を研究すると言うことを、蔑(ないがし)ろにする怠慢(たいまん)を仕出かしたのである。
 したがって、この三次元医学は、旧態依然の思考法で、二十世紀の悪しき要因を引き摺っていることになる。愚かなことである。

 ガン治療に対し、色々な方法が模索され、しかし、その治癒率は一向に効果を上げていない。また、ガンに限り自然治癒力は働かないとしている。物理的な外科的摘出手術や抗ガン剤によるガン細胞への攻撃、コバルト療法、遺伝子療法など、様々な医療法が派生し、しかし、その治療効果は殆ど上がっていない。
 五年生存率に照らし合わせると、医療機関で摘出手術なり、抗ガン剤治療等を施して、五年以内に殆どの人が、医療後に死んでしまうのである。これは三次元医学が、眼に見えない物に対処できないことを物語っているばかりでなく、患者自身が正常細胞をガン細胞に変質させて、無駄なものを身に纏
(まと)ったからである。

 ここに、生活習慣病と言う、現代の科学に名を借りた「無駄なものを身に付ける」愚行行為が横たわっている。その愚行こそ、無駄な筋トレで筋肉をつける、ウェート・トレーニングと言うものである。こうした筋肉を付けた者は、必ず自滅する。100%の確率で自滅する。

 一旦、このトレーニングの愚を犯した者は、「死ぬまで」遣
(や)り続けなければならない。少しでも、このトレーニングを止めると、それは忽(たちま)ち脂肪に変わり、人体に悪影響を及ぼす。したがって、このトレーニングの愚を犯した者は、その後の余生は、死ぬまでこれを続けなければならないことになる。少しでも、この練習を止めれば、後は地獄行となる。

 しかし、このトレーニングをはじめた者で、これを最後までやり抜く者はいない。殆どが途中でやめ、自滅に道を辿る。それは、このトレーニングが死ぬまで続けられず、途中で体力的に息切れしてしまうからだ。

 この息切れで、少しでも練習を休むと、取り返しのつかないことになる。一日休めば、その不足分を取り返すのに、「三日の猛練習」が必要となる。これはスポーツ競技の選手によく言われることである。

 ところが、スポーツ選手でも、一日の怠りを取り返すのに、なぜ、三日も懸
(かか)るか明確に答えられる人はいないし、トレーナー自身も、それが何故なのか、明確に答えられない。ただ使い古された言葉として、古くから言われて来た事を、分けも分からず口走っているだけである。ここにスポーツ競技の、老化を回避し得ない、「肉体が衰え易い」という悲劇があると言えよう。

 また、昨今スポーツ選手が盛んに行うようになったストレッチ
(正しくはstretchingで、スポーツ・トレーニングと準備運動)であるが、全身の筋肉と関節を伸張する体操レベルに止めると、これは余り功を奏さない。単に関節の動きをよくするだけに行うこのての体操は、筋肉ないの病根の元となる乳酸を絞り出さないからである。乳酸が筋肉内に止まると、筋肉そのものを弱め、また弛(ゆる)める元凶となる。

 かつて若い頃ならしたスポーツ選手も晩年になると、膝や腰を悪くし、静坐が出来なかったり、片方の関節が動かなかったりと、何等かの障害を抱えている。これは左右均衡に、動かさなかったツケであり、一方方向のみを酷使した報いである。

 スポーツ障害が何故起るのか。
 それは先ず第一に、筋肉を酷使した結果から起る「縮み」であり、また第二に人体の屋台骨である骨盤の「歪み」であり、第三に筋肉の「弛み」である。これが互いに悪影響を及ぼし合い、持病と言う病根を作り上げたのである。

 さて、「縮み」「歪み」「弛み」を慢性化の持病と考えることができれば、その一方で、これを人工的に意図的に造り出すことができないのか。これを探究すれば、人体に表皮を覆う、「伸筋」と「屈筋」に人工的に、「縮み」「歪み」「弛み」を派生できるのではないかと、これを行動に移したのが、実は合気を会得するまでの躰動法である。

 特に、「弛み」に於ては、自分自身が食生活の誤りから派生させたもので、逆に言えば、この「弛み」こそ、最も利用すべき人間の弱点となる。
 特に、正しい姿勢を保つことが出来ず、一方方向ばかりに肉体を動かして来たスポーツ選手の晩年は実に惨めである。一方方向ばかりに動かして来た人は歪に畸形化
(きけいか)している。その為、正しく左右平衡に「立つ」、正しく「歩く」、正しく「坐る」ということができない自体、これがその人の弱点となり、敗北の路程を歩いていることになる。



●合気の武術を学ぶ心得

  わが流では、合気揚げ鍛練用に用いる木刀の材質は鉄刀木(たがやさん)を使用している。この木は原木名の「鉄刀木」という名前だけあって、水に浮かべると沈んでしまう。
 また、この原木の材質の木は、今日では貴重なものとなり、中々見つからない為に、材質探しでかなりの時間を要する。わが流の門人にも既に、数名がこの木刀を注文しているが、半年以上の順番待ちとなっている。また、それだけ貴重な木と言えよう。

 昨今は巷間
(こうかん)で、ハングリー武道やハングリー格闘技を愛好する人が増えているが、本来の武術修行には、大変な金が懸(か)かるもので、こうした武道具を揃えるだけでも、かなりの経済的負担が要求される。
 もともと江戸期の武士の総人口は、全人口
(6000万人から7000万人)の5%〜7%と云われているが、その武士階層の中でも、僅かに7%弱が500石以上の上級武士であり、武芸や武術の修行には多額の金銭を懸けて学んだ様子が窺(うかが)われる。

 したがって、当時の武芸者と云われた人は、実はハングリーなどではなく、ある程度の経済的余裕がある人が、武術修行に精を出したと思われる。これは今日のハングリー人口層で構成する、武道愛好団体とは大違いの経済格差があったようだ。つまり、正しく基礎から養成する古武術を学ぶ為には、ある程度の経済的な負担が必要になると云うことである。したがって、当時としては、上級武士か、単に武術修行に執念を燃やす武芸者か、あるいが豪農や、町家の豪商達の、僅かに限られた極めて少ない人口層だった。

 それは武芸や武術を学ぶことは命賭けの事であり、自分の命と同じ価値があり、武道具を揃えることや、師匠筋に謝礼を出すことは、自分の命の防禦
(ぼうぎょ)と同等に考えていたからである。つまり、自分の命にそれ相当のお金を賭けたと云うことである。当時の武芸者にとって、自分の命は「千金の重み」で捉えて居たことが窺われよう。したがって、今日のように低い思想と低次元なレベルで武芸と云うものを捉えていた修行者は少なく、武芸とは、神前で行う崇高なものと考えていたようだ。

 この思想は明治初頭まで続き、講道館柔道などが出現して、これまでの武術が武道となり、大衆化されたことで、庶民も武道に参加するようになったと思われる。武術と云う命賭けの戦闘技が、庶民レベルまで降りて来て、裾野の広げる為に大衆化され、そこで経済的に困窮する下級層も、気軽に楽しめるスポーツに変貌していったのである。
 今日、広く流布されている競技武道や格闘技は、その殆どが大衆化によって、ハングリー層を対象に普及されたものである。それにより、これまで崇高の武芸は、大衆化されることにより、思想的にも戦闘的にも低俗化し、どの武技が、どれよりもどれだけ強いかというような、強弱論にすり変って締まったのである。

 命を張って闘うものではなく、試合と云うゲームの中で、強弱論に止まり、ハングリー層でも、試合に勝って勝者になれば、一時的に名声を得て、上位の階級に潜り込めるアメリカンドリーム的な愛好者が増えていったのである。これは、高級な思想で生命論を展開する少数派の武士階級の武術と、庶民のハングリー層で組織する多数派の競技武道とは、大きな隔たりがあったのである。

 更に、競技武道の多くは、相撲興行と同じように大衆化して見せ物にすることにより、観客から木戸銭を徴集して、収入を得ると言う主催者側の影の金銭力学が働いていたのである。つまり、出場選手に、様々な異質のバラエティーを富ませ、それを大衆の興味本位の選手に対戦相手を組み合わせ、格闘させる事であった。これにより、大衆間では大いに盛り上がり、勝者の行方を占って、益々盛り上がっていったのである。これが競技武道や格闘技の興行であり、主催者側の金銭力学が働いていることは明白であろう。
 つまり、命賭けよりは、一ランクも二ランクも、俗化させて、観戦する個人闘技に摺り替えてしまったのが、今日のスポーツ競技の起こりである。ここには「命の値段」などないのである。

 そこで、武道具を揃えるには多額の金を必要とするのであるが、これを高いと思われるか、安いと思われるかは価値観に相違のある、あなたの自由であるが、果たして、あなたの命の値段はいかほどであろうか。

 さて、わが流が用いる
合気揚げ鍛練用木刀の柄部の長さは実際の日本刀の大刀の長さと同じで、25cm、刀身部は60cm、全長85cmでずんぐりとしている為、柄の握りは一般の木刀より太く、したがって滑り止めの為に、黒漆を塗っている。柄部の構造の断面はだ円形ではなく、「丸」である。相当な握力を必要とする。したがって、握力の弱い人はいきなり振っても、手頸や臂の関節を傷める。握力を充分に鍛えてから、素振りをする必要がある。

 形だけは、樫の木で模倣して代用できようが、3.1kgという重さは樫の木では出ない。また、バランスは、木刀自体が短い為に、手許にかる構造にする為、指の短い人は使い熟すことがが無理のようだ。
 この木刀を素振りするには、剣道式の素振りは無駄であり、古流の剣術を遣っている人でも、毎日100回程度が限界であり、しかし、これを一年二年と振っている内に、術者の腕の構造が「へらぶな形」に変化して行く。最初は百回程度から始め、半年ぐらい毎日遣っていると、千回程度を楽に振れるようになる。

 また、失敗例としては、剣道愛好者の腕のように「丸太形」になると失敗で、力で振った場合、形に筋肉がついてよくない。正しい指導者について、この木刀の素振りは習わないと無理なようだ。
 正しく素振りをした人の肩は、肩の筋肉が落ちてしまい、「なで肩」になり、この部分は骨と皮だけになる。肩に、筋肉がつき、盛り上がっては失敗と言えよう。ここに「怒り肩」の愚がある。
 この肩の養成者は一見強いように見えて、肩関節が上下に動かない為に、固め取られれば直ぐにギブアップしてしまう脆
(もろ)い面がある。

 わが流擬きの木刀を自己流で開発して、遣っている流派の人もいるが、みな失敗している。大半の人が「怒り肩」になってしまう為である。この合気揚げ用の鍛練木刀は、構造に特別な秘密があるのでなく、これを使う場合の呼吸の吐納や、素振る方法に特殊性があるのであって、構造上には何処を調べても、一般素人の目には、単なる丸太に映るようだ。

 問題は、この短い「日本刀とほぼ同じ長さの木刀をどう素振るか」にある。といって、一升瓶に水を入れて振っても、意味がない。一升瓶に水を入れてそれを振っている人を見かけるが、こうした素振りも徒労の最たるものであろう。こうして考えてくると、やはり、わが流が何十年も試行錯誤を繰り返して、手の裡に懸るような構造を持つ、この木刀意外に素振りをする方法はないように思われる。

 素振りが成功したか、失敗したかは、素振りをした人の腕が、「へらぶな形」か「丸太形」かに懸るようである。また、腕の断面が「楕円」か「丸」か、「へらぶな形」か「丸太形」かの違いが生ずるのは、食べ物にも関係があるようだ。
 穀菜食の玄米・雑穀を中心にした粗食・少食の食餌法
(しょくじほう)をしている人は「正食」の為、腕の断面構造が「楕円」で、腕が「へらぶな形」となり、肩の筋肉が堕ちて骨と皮ばかりになるが、肉食をし、乳製品を摂取し、動蛋白を多く取り、白米などを食べ、パンや麺類を食べている「雑食」の人が素振りをすると、腕の断面構造は「丸」で、腕自体も丸太のように、すんぐりとして太いばかりのものになり、肩に筋肉がついて隆起してしまうようだ。この隆起こそ無駄な筋肉である。これこそ、素振りの失敗例であると云わねばならない。

 問題なのは、この極めて短く、重い木刀を正しく振っていくには、正しい指導者について素振りの方法を学ばねばならないと言う事である。したがって、木刀自体は、単に珍しい木を遣った、使用不能の蒐集品になって終わるのがオチのようだ。

 また、合気道の愛好者や大東流の多くの愛好者は、素振りが正しく行われていない為に、相手が柔道家であったり、アマレスの愛好家であったり、相撲の力士であったりすると、全く手を揚げる事が出来ないようだ。握り込まれ、抑え込まれて、微動だにしまいばかりか、逆に抑え込まれ、関節を捕られて、惨めにもギブアップしてしまう。これこそ中途半端な修行の醜態であろう。

 ある大東流の指導者で、柔道家と合気揚げをして、腕関節を外された人がいたが、この人は合気揚げをする為に基礎技術が欠如していたようである。また、こうした愛好者や指導者の多くは、高級技法にばかりに眼を向け、肝心に基礎力の養成である、素振りを殆ど行わずに、仲間内で、「狎れ合いの無駄な練習」をしているようである。練習は何処までも練習であり、「稽古」といえるものではない。

 合気揚げを完成させる為には、正しい方法の素振りが大事であり、その素振る呼吸法と、素振りの際の正中線の取り方を正しく身に着けないと、単に素振りをするだけで、無駄な時間を徒労努力に当てなければならなくなる。

 木刀の構造より、その素振る方法を学ばないと、無駄である事は、これで一目瞭然であると言う事が分かるであろう。また、この木刀はわが流の門人に販売するものであり、部外者には販売していない。部外者に販売しないのは、部外者は手に入れても、それは所持するだけで、遣い方を知らなければ宝の持ち腐れになるからである。

 また、合気揚げ鍛練用木刀を真似して造る場合は、この木刀の仕様の材質や寸法などを詳細に上げていますので、真似して造るのも一興かと思う。但し、この木刀には遣い方、特に「剣遣い」に特殊性や秘密があり、仮に5年や10年の研究では、それらの秘事は分かるはずがないと自負している。
 更に、外形状はそっくりの模倣品を造り、自己流で素振りをして、手頸・臂・肩などを損傷しても、責任を負いかねるというものだ。
 もし、5年や10年懸けて、素振りに無駄な時間を懸けるのなら、ある大東流の指導者が云うように「大東流一本捕り
(一本捕り10箇条)の稽古」でも、10年懸かって、日夜努力した方が得策といえよう。



●合気とは「上肢への崩し」である

  著名な柔道家・黒石敬七先生の著書『柔道入門』(集文館・昭和40年4月25日発行)には、柔道を解説するに当たり、まず、柔道の母体をなした柔術とは如何なるものかと言うことを説明している。
 黒石先生の言によると、「柔道とは、剣術、槍術、弓術というようなある一つの武器を持ってする武術でなく、いかなる武器を用いても構わないが、多くの場合は武器を用いずに練習する攻撃防禦
(こうげきぼうぎょ)の武術であって、これが柔術の特徴である。
 剣術をもってするを剣術と言い、槍をもってするを槍術と言う如く、その使用する武器から出た名称であって、その武器の使用を教えたものであるが、柔術はそれらと違って、ある決まった攻撃防禦の方法に限ったものではない。
 だから柔術の中には剣術も棒術も薙刀術
(なぎなたじゅつ)も含まれている。短刀や長剣は折々用いるが、薙刀を使い槍を用いるということは普通の柔術の道場ではしない。然(しか)し乍(なが)ら、剣を用いることも出来、薙刀を用いることも出来るという意味で何を用いても事実上は差し支えない。全く、ある武器に限られた武術でないことは明らかである。
 然し本当に柔術はどういう意味かと言えば、記録もいろいろあり、話も伝わっているが正確なものは何もない。少なくとも、その名称は“柔能剛制
(じゅうよくごうをせいす)”という言葉から出たらしい」と説明している。

 更に加えて、「柔よく剛を制す」とは如何なることを言うのかに対し、次のように説明する。

 「ここに一人の相手が居て、仮に
10の力をもっている。の力しかもたない自分がこれに相対峙(あいたいじした)したとする。の力を有する者が全力を上げて私に突掛(つつかか)つて来た時には、私はの力全体を用いても10であるからは負ける。あるいは押し返されるか押し倒されるか、必ず10の力を持っている者が勝つに決まっている。
 けれども向うから
10の力の者が突掛つてきた時に、の力の者が反対せずに向こうの押してくる力に順応して自分の体を引く、そうすると10の者は自分の突掛つてゆく、その力に反対するものがないから前にのめる。
 前にのめればもとは
10の力を持っていた者がという僅かな力になってしまう。かように姿勢を崩し、身体の吊り合いを失う。
 ところが
の力を持っている者は押されて体を崩されるのではなく、故意に自分の体を引くのであるから元の姿勢を維持していて依然としての力を持っている。だから現在自分の持っている半分の力、即ちつ半の力をもって相対してもに減じてしまった力には勝てるわけになる。向こうから自分に突撃した時に、あるいは押して来た時に、これに反抗せずにその力に順応して自分が体を引いた時には向こうが弱る。弱った時には自分の半分の力をもって彼を斃(たお)すこのが出来るのである。
 要するに反対すれば力が少ないから負けるが、順応して退
(ひ)けば向こうの体が崩れて力が減ずるからか勝てる。柔よく剛を制する理屈となる」

 しかし、黒石先生はまた、柔よく剛を制する理屈だけでは説明のつかない現象もあげている。

 「仮に誰かが私の手首を握るとする。その握られた手はどうなるかというと、ここが丁度梃子
(てこ)の支点になって拇指(おやゆび)と他の四本の指とで握ろうという力に対して、全身の力を手首に働かせてその握ってくる力に対抗せしめるのであるから、こちらが遥かに強い。これが果たして“柔よく剛を制す”の理屈で取ったのかと言うと、これはそうではない。巧(たく)みに力を利用して強い力を破ると言うことで、柔よく剛を制するのではない。
 また、勝負の時には相手を蹴
(け)ると言うことがある。この場合は柔よく剛を制すつろはいえない。これは積極的にある方向に力を働かせて向こうの急所を蹴って相手を殺すとか、傷つけると言うことになる。棒で突くのも同様である。これも柔よく剛を制するということではない。
 こう考えてみると、柔術と言う名称は攻撃防禦の方法のただある場合の名状
(めいじょう)した呼称(こしょう)である。
 従来柔術としては体術として教えられたところの武術の真の意味は、そうした簡単なものではない。柔よく剛を制するというようなことは大きな包含的な言葉ではない。而
(しか)して、昔の柔術という体術“やわら”でも柔よく剛を制するの理屈ではその技の全体を説き明かすに足らず、ただその一部の技を説明するにとどまるのである。
 更に一例を示せば、後ろから誰かが抱きついてくる。抱きついて来た時にこれを放
(はな)そうとするならば、柔よく剛を制するの理屈で放せない。
 その力に順応するとすれば息を吹き出して胴を小さくする外ないが、そうしたことによって放せるものではない。この場合にあてはまる別の理屈によらなければ説
(と)けない。
 後方が抱きついてきても、最初から十分の力がはいるものでないから、十分の力のはいる前に技を用いる適当の手段を施すべきである」

 この意味からすれば、これまで武術や武道の愛好家で語り継
(つ)がれてきた「柔よく剛を制す」は、全くの架空であるばかりでなく、もはや死語とさえ思え、根拠のないものとなってしまうようだ。
 そして黒石先生は、柔術家と力士との、ある逸話をあげ、次ぎのような逸話を展開している。

 「ある柔術家
【註】柳生心眼流の達人・小山左門のこと)が力士【註】草角力で大関をはっていた大力の男のこと)に抱きつかして抱き締めたと思った時分に“関取、もうそれより強く締めぬのか”と言ったら、力士が“なにおッ!”と言って力を入れ直そうとする機会にちょっと力が抜けた。その折り、手早く体を下げて外(はず)したと言うことである」
 これは「締め直し」や「抱え直し」において、
「一瞬、力が抜ける」と言う瞬間があることを教えている。

 この逸話を詳細に述べると、此処で登場する「ある柔術家」とは、柳生心眼流の達人で小山左門のことで、もともとは江戸の人であったが、後に奥州柳生
【註】宮城県柳生町)の住人となった人である。壮年の頃は江戸に勤番して勇名を馳(は)せた人で、晩年は釣竿を担いで魚を釣ることを愉(たの)しみとして余生を送った人である。

 釣りから帰って来るある日の夕方、草角力で大関をはった剛力の大男から、後ろから組み付かれ、それがまた力一杯の組み付きであったから、名人と称された小山左門も、ちょっとやそっとでは中々外せなかった。そうかといって、当身を食らわせて痛めつけるのも気の毒だと思い、「おい、お前の力はたったそれだけか」とけしかけたのであった。

 強力の力士は、これを聞いて「なにおッ!」となり、力士がもっと力を入れようとした瞬間にパッと外してしまったのである。この一瞬の隙を見て、小山左門は力士を前方に投げ付けたのである。

 これは再び力を入れ直そうとする時、一瞬「力が抜ける」ということを利用した臨機応変の機知と言うべきであろう。人間には、欲があるものである。こうした欲と、心の動きを知っていれば、けしかけられた人間は以前にも況
(ま)して、もっとよくやろうという行動に出るのである。当然、こうしたとき、「お前の力はそれだけか」と言えば、「なにおッ!」と熱(いき)り立つのが人間である。

 この「熱り立つ心情」を知っていれば、この言に乗せられた人間は、「もっと力を入れて抱え直そうとする」はずである。その「抱え直そうと力んだ瞬間」は、当然、力の抜ける瞬間なのでもある。この瞬間に、「崩れる刹那
(せつな)」が顕(あら)われる。この刹那を利用すれば、利用された人間は「易々と崩されてしまう」と言う、「崩れの一コマ」が顕われるのである。

 また、この事について、柔道の乱取りによる腰投げという技を例えて、その理屈が“柔よく剛を制す”では説明のつかないことをあげている。

 そして腰投げの説明に次のようなことを補足説明している。
 「先方
(相手の意味)が力を入れずにただ立っているか、または少し前に傾こうとする時、こちらは腰を深く入れ、後ろから先方の腰に手を当て自分の方に押すと、自分の腰が支点になって向こうの腰から上の重みがその支点の前の方に、腰からの下の重みがその後の方になって腰の上に乗ると、少々腰を捻(ひね)っただけでも、袖(そで)を引いただけでも、相手の体躯(たいく)がどんなに大きくとも転覆(てんぷく)してしまう」という説明をしている。

 つまり、“柔よく剛を制す”という現象は、柔術もしくは体術における一現象を取り上げ、その部分を指しているとも説明しているのである。これを逆の意味からすれば、あるいは「やわら」の術で崩れると言う説明でもある。

 では、「やわら」とは、如何なる「術」か。この「術」の正体こそ、「合気」と言えよう。
 この「術」を示す上で、「合気とは如何なる状態か」という説明がある。つまり、それは「上肢への崩し」である。柔道の「崩し」が、巧みな足による「下肢の崩し」であるとするならば、合気はまさに「上肢の崩し」といえよう。これは柔道の下肢への巧みな、せわしない崩しと、実に対照的である。



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