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鎧を纏った仏たち 1

鎧を纏った仏たち


仏の中には外敵を除去し、また外敵から守り、障害を取り除く明王と言われる本尊達がいる。

釈迦涅槃像


●日本人の霊的神性が失われた日

 宗教の定義は、神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され、禁忌された神聖なものに関する信仰あるいは霊的行事を云う。また、帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。アニミズムanimism/宗教の原初的な超自然観)・自然崇拝・トーテミズムtotemism/親族集団をそれぞれ特定の自然物(トーテム)と象徴的に同定することによって社会の構成単位として明瞭に識別される社会認識の様式)などの原始宗教、特定の民族が信仰する民族宗教、世界的宗教すなわち仏教・キリスト教・イスラム教など、多種多様。
 多くは教祖・経典・教義・典礼などを何らかの形で所有し、また関連的体系を持っている。それは仏教も同じである。

 仏教は、仏陀釈迦牟尼
(ぶっだ‐しゃか‐むに)の説法に基づき、人間の苦悩の解決の道を教える。
 そして神または仏あるいは超越者に対する帰依から生ずる敬虔な心を、宗教心といい、それは“発心”という菩提心を起すことから始まる。
 つまり、悟りを求め仏道を行おうとする心であり、これを「無上道心」という。

 仏教の教えは、アショーカ王の入信により、インド全土から国外へも広まった。仏滅後、百年頃から部派に分裂し、部派仏教の時代に入ったが、紀元一世紀頃、それに批判的な大乗仏教が興った。インドの仏教は十三世紀初頭に滅びたが、東アジア・チベット・東南アジアの各地において、人間の苦悩の解決の手段として、今日に至るまで信仰されている。
 そして仏教には、礼拝の対象として造られた仏の彫像や画像の数々。あるいは仏陀以外の菩薩・明王・諸天らを仏像として崇
(あが)める対象が数多く造られた。

 太平洋戦争末期、アメリカ軍の空襲が激化し、日本本土にも、中国大陸や日本近海の航空母艦ホーネットから飛び立った、米陸海軍のB17をはじめB29や、戦闘機のロッキードP38やグラマンF4Fまでが襲撃の為に飛来した。日本国内は逃げ惑う人々で騒然
(そうぜん)となり、都会から田舎へと疎開(そかい)が始まった。

 しかし一方、自治に携
(たずさ)わる“ひと握り”の、兵役を免れた官吏(かんり)と、勤労奉仕に狩り出され、強制労働を強(し)いられた若年の勤労学生の男女だけが都会に残され、後はその殆どが集団的に疎開をして行った。疎開した多くの人達は、戦況に応じて隊形の距離や間隔を開くことを国家から要求された。

 しかし、疎開をしたのは、何も人間に限られた事ではなかった。
 爆撃の破壊や火の手から、恐れるように、多くの有名寺院から仏達も、また疎開して行ったのである。
 日本古来の木造建築で、世界に名だたる古寺と称する、法隆寺をはじめとするその他の多くの寺院からも、爆撃の灰燼
(かいじん)を恐れて、国宝級の仏像達が、その道の有識者の意見で疎開可能と判断され、地方に移動されて行った。

みかえり阿弥陀と称される、一風変わった仏。

 これは日本の歴史始まって以来の事であった。仏の頭上に災難が振り掛かってくると言って、今まで安置された場所から、何処か遠くに運び去ってしまった事が実際にあっただろうか。
 恐らく、これは俗人的な固執の心情主義から発した、貧しい発想であったろう。全く、愚かとしか言いようのない愚行であった。
 何故ならば、災厄に殉ずるのが、真の仏の姿ではなかったか。

 歴史を振り替えれば、天平時代の東大寺は平重衡
たいら‐の‐しげひら/平安末期の武将で清盛の子。治承4年(1180)5月源頼政を宇治に破り、12月東大寺・興福寺を攻めてこれを焼いた。一谷の戦に敗れ、須磨の浦で捕えられて鎌倉に送られたが、奈良僧徒の請で奈良に送られ木津川の辺で斬り死。1156〜1185)の兵火にかかって、健気(けなげ)にも消失し、仏像達は仏としての運命を全うした。大仏も、如来も、観音も、弥勒も、明王も、尊天も、悉(ことごと)く劫火に身を投じた。これこそ、まさに仏の真の姿ではなかったか。

観音菩薩二侍者像

 これらを惜しむ心情は、仏を仏と見ず、そこに美術品的な価値観だけが、薄汚く渦巻いているが故の、人間の浅ましさであった。人間の欲望が信仰という素朴な人々の心を無視して、かくもこのように疎開(そかい)という醜態を曝(され)け出したのは、日本の歴史始まって以来の、前代未聞であった。

 「一切空
(いっさい‐くう)」を説き、「無」を信条とする仏道にあって、仏こそ、失うべき何ものをも、有せざるが故の仏であり、一体何を惜しむ必要があったのだろうか。
 「空」とは、もろもろの事物は縁起によって成り立っており、永遠不変の固定的実体がないことを説いた教えではなかったか。これは特に、般若経典や中観派によって主張され、大乗仏教の根本真理とされたのではなかったか。だから「色即是空」と言ったのだ。

 歴史的な年輪を刻み、希少価値を有する尊い仏達が、爆撃の劫火
(ごうか)に焼かれる事は痛恨の思いであるが、それを逃れて疎開を試みる等は、真の意味で信仰を冒涜(ぼうとく)するものであり、あまりにも感傷的であったのではあるまいか。

 焦土と化す敗戦の前日まで、アメリカの執拗
(しつよう)な空襲が繰り返され、辺りは一瞬にして焼け野原となり、至る処で無惨な残骸(ざんがい)が横たわり、あるいは裡側(うちがわ)を曝(さら)け出して、点々と、家を焼かれて、眼の焦点を失った人達が呆然(あぜん)と立ち竦(すく)んでいた。

大戦末期の空襲で焦土と化した日本の姿。

 敗戦の傷跡は、至る処に無慙(むざん)な爪痕(つめあと)を残したが、有識者が仏を美術品として定義をした時、日本人の心から「信仰」という文字が消えたのである。
 あの昭和20年8月15日の、異常なまでに暑かった夏の日を境に、国民の道義は廃
(すた)れに廃れ、信仰の日々は消えうせてしまった。神仏を拝むことを忘れた。神社仏閣に残る神々や仏達は黄昏(たそがれ)て、ただ無信仰の無神論者が小賢(こざか)しく唯物史観を振り回し、俗事や世間風に煽(あお)られて傍若無人(ぼうじゃく‐ぶじん)に横行する現状に至った。

 大きな神社仏閣を観光の目玉とする地方都市には、毎年季節の分けへ隔てなく、多くの観光客が押し寄せる。彼等は無信仰の、それも好奇の眼だけを神々や仏達に向け、漫遊の客人を気取っている。このような悄然
(しょうぜん)たる神社仏閣は、あのハイネの『伊太利紀行』そっくりではないか。

 ドイツの詩人・ハイネ
Heinrich Heine /1797〜1858)は謂(い)う。
 「たとい純白の高価なシャツを身に着け、総てを現金で景気良く支払っても、廃虚に夢見る伊太利人に比べるなら、単に一個の野蛮人に過ぎぬではないか」と悲痛な呟
(つぶや)きを吐露(とろ)している。ためにハイネは、鋭い社会批評をして弾圧された。後にパリに亡命し、亡命生活を送っている。
 今日の日本人の神社仏閣に接する態
(さま)は、まさにハイネの嘆きに帰納される。帰るべき心の拠(よ)り所を失った為である。

 経済力によって、成り上がり者的な生活水準に達した多くの日本人は、世界の貧困を余所目に見ながら、賤民的な健康で神社仏閣を濶歩し、寧
(むし)ろハイネを嘲笑(ちょうしょう)している気配さえ感じさせる。
 日本中の神社仏閣を持つ観光地では、無気力で、賤民的
(せんみん‐てき)な餓鬼(がき)が、貪欲なまでに、その御利益と加護を狙って徘徊(はいかい)する。それが正月三箇日ともなると、絶頂に達し、喰っても喰っても満腹に至らぬその貪欲な腹は、まさに飢餓そのものに変身して、煩悩(ぼんのう)の深さを曝(さら)すではないか。

 日本人は、終戦のあの日を境に、高貴な面影は後に潜み、豪遊する“温泉紀行”さながらの、無風流にして、貪欲さだけが、際立って目立つ人種に成り下がっているように見える。

 「神は死んだ」とは、ドイツの哲学者ニーチェの言葉である。
 信仰の唯心論から、権力指向の唯物論に変わり、現代社会は、神や仏がひとかどの意味を持たなくなった。
 仏像や神々の名前は最早、迷信から来る偶像の、嘲笑の対象でしかなくなってしまっている。
 世界に冠絶する麗
(うる)しき美の国・日本は、今やその根本を至らしめた峻厳な信仰心を忘れ去り、一切の価値観を利殖に向けて走り続けている。

 再び日本人がその再生を促して、大いなる希望と、深い危惧
(きぐ)の念を抱くか、否かは、それは日本人自身の霊的神性に委ねられているのではあるまいか。
 「神が死んだ」それは取りも直さず、霊的神性が失われたという事を物語っているのである。そして、日本人の霊的神性も、太平洋戦争敗北の昭和二十年八月十五日の、この日に消失するのである。



●日本人の価値観が、精神より物質へと移行した日

 日本人の心から価値観が、精神より物質へと移行したのは、終戦直後の事だった。この日を境に日本人の価値観は180度方向転換する。自らの魂を、心を、物質と引き換えにこれらのものを次々と売り渡したのである。
 そして、この日を境に、多くの日本人は集団催眠術に掛けられる事になる。自虐への一億総懺悔
(ざんげ)としての、自責の念に。

 この自責の念は、時代が下るともに増幅度を増して行った。こうして日本人は、科学万能主義へと突入する。人間が科学によって、あるいは物質文明の恩恵を預かる事で、「幸せになれる」と言う考え方である。
 しかし、人々は幸せになれただろうか。

 科学万能主義が擡頭
(たいとう)した時代、確かに「神は死んだ」はずであった。
 しかし、戦後半世紀以上を経て、科学や物質を中心とした考え方が正しいのか否か、こうした考え方に対する反省が生まれた。高度経済成長が生み出したものは、日本の各地に公害をまき散らし、国土を汚染させる事であった。こうした元凶が日本人の心と躰
(からだ)を蝕んで行ったのである。
 その反省が、再び、非科学的と称する宗教に目を向ける事であった。

 これまでの知識と言う単位の、表皮のみを見て判断する正・邪の判定を可視世界のみに求めるのではなく、不可視世界にまで立ち入って、それを見極める思考が働き始めたのである。
 そして、こうした思考により辿り着いたのが、自他は一体であり、同格であり、同等であると言う真理だった。また、同等の真理は、自分は他人と共に一体をなしつつ、仏と繋がった存在だと言う事を発現したのである。

 人間は長らく生きている間に、固定観念や先入観で汚染されはじめる。世間風の常識のみを信じ、これに随い、その中でこじんまりとした小市民の様相を呈してしまう。
 これは、つまり常識と言う単位に振り回されて、自己を萎縮
(いしゅく)させてしまうからだ。

奈良東大寺の大仏殿

 仏道の説く単位に、「未来永劫(みらい‐えいごう)」なる言葉がある。この言葉は、未来永久にわたることを指すのだが、実際的にはその単位が具体的でなく、安易に、長い時間と思っている。
 しかし、「永劫」の「劫
(こう)」を取り上げて見た場合、単に計り知れない時間を顕わすのみではなく、仏道ではこれを明確に教えている。

 「劫」の単位は、経典によると、一里
【註】地上の距離を計る単位で、36町(3.9273キロメートル)に相当する。昔は3百歩、すなわち今の6町の定めであった。約4キロメートル)四方の巨大な岩があり、十年に一度空から天女が降りて来て、羽根のような軽い羽衣で、岩を軽く、さっと一撫(ひとな)でし、そして再び天に舞い上がる。

 こうした動作を十年に一度繰り返して、一里四方の岩が、完全に摩擦で磨り減って無くなってしまうのを「一劫」というのである。

 一方、「劫」をは逆に、短い時間の単位を顕わす語に「刹那
(せつな)」というものがある。この時間の単位を仏道の経典には、次のように説明している。
 その短さは、一日の三十分の一の三十分の一の、その六十分の一の百二十分の一が「一刹那」というとある。
 つまり、「七十五分の一秒」が一刹那なのである。刹那は指をパチッを弾く時間にも喩
(たと)えられ、これを弾指(だんし)と言う。

 その時だけが楽しければいいという考え方を、刹那主義と言う。また、一瞬の快楽を求めて、これを追いかけるのを快楽主義と言う。しかし、幾ら楽しくても、僅かに指が鳴る間だけではどうしようもない。瞬間的な短い快楽を追い求め、その刹那に浸る生き方を選択する現代人も少なくない。果たして刹那主義や快楽主義を追い求めて、人間の姿はそれで健全なのであろうか。

 宇宙物理学の発展と共に、現代人は何万、何十万後年の彼方の天体の名前すら、調べれば知る事が出来る。一方、スポーツのタイム競争は、何千分の一秒単位で勝敗を競おうとする。

 しかし、「劫」や「刹那」という時間が考えられたのは、二千年以上も前の事であった。科学とは無縁の時代の人々が、どうしてこういう時間の単位を考え出したのだろうか。あるいは、日常では役には立たないこの物指しが、何を求めてこれに適応させようとさせたのであろうか。
 日常生活から離れて、マクロとミクロの世界の考えるとしたのが、実は、仏道の説く一つの智慧
(ちえ)であったのである。

東大寺の執金剛神。手に金剛杵を執って仏法を守護する神を仏道では金剛神という。甲冑(かっちゅう)をつけ勇猛の相をなす神である。

 この半裸の力士形に作られ、寺門の左右に安置されるものは、普通、仁王
(二王)と呼ばれる。一般には「金剛力士」と云う名で知られる。更には「密迹(みつしやく)金剛」とか、「執金剛夜叉(やしゃ)」とも云われる。

 そして仁王は、口を開けた阿形
(あぎよう)と、口を閉じた吽形(うんぎよう)に作られた、二つで一つである。

 東大寺には、《執金剛神》という甲冑を纏(まと)った神がいる。その形相も勇猛を極めている。心情に忿怒(ふんぬ)の相を現し、何事かに怒りを見せている。この“忿怒の相”こそ、諸悪魔を降伏(ごうぶく)させる神の姿だ。
 この姿は、教化し難い衆生を救う為に、忿怒の姿を仮に、現したものである。



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