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理趣経的密教房中術・プロローグ
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理趣経的密教房中術 17

神と人間が一体化するケースとしては、聖女テレジアの奇蹟的な法悦(脱魂)体験がある。
 これは聖女が神に魂を触れられることによって、浮かべる恍惚
(エクスタシー)の刺激的な表情と甘美である。その上、決して聖性を失わない聖女が、幻の中に見た天使によって、自身の心臓を“火の矢”で突き刺されるのであるが、激しい痛みと共に、神の愛撫による絶対的な恍惚を感じた脱魂体験を指すもので、これはエクスタシーによる昇華であると言われている。


●天中天の宝蓮華

 女性の洩(もら)らす四季(春・夏・秋・冬の循環)の呼吸に合わせて、この呼吸に合わせ、男もゆったりと腰を動かさなければならない。これは、男が大地から栄養を吸い取る為である。この栄養を充分に吸い取ることが出来なければ、吾(わ)が“お不動さま”は大きく生長しないのである。
 大地から確
(しっか)りと栄養を吸い取り、太く、長く、大きく生長するように、男根も、女体から精気を吸い取らなければならない。

 生物学的見解からすれば、性交とは、原生動物から人類
(Homo sapiens)に至るまで総ての生物を駆り立てる衝迫的(impulse)なエネルギーは同種の異性同士が結合し、その行為によって男の細胞の一部(精子)が女性の子宮の胎内に送り込むということであろう。
 しかし、この定義は幾つかの疑問が出てくる。喩えは、それに奔る力や性質などである。加えて力と性の関係である。もし男女の結合が受精とい言う結果を齎さなければ、その行為は完全なる性交と言えるのか……などである。この問題に対し、進化の結果、最も複雑になったのは人類の性的なメカニズムである。この進化のメカニズムにおいて、進化が最も遅れている単純な構造をもつ原生動物の愛のメカニズムの方が受精という目的だけをとらえれば、人類より便利なのではないか。この種の疑問も次々に浮上してくる。
 しかし、ここではこれを論じる訳でないので、先へ進めることにする。

 人間の男女二根交会について語る。
 密教房中術では、男根を女体に近付けて、それをピクピク動かし、女根をイメージして、そこから女性ホルモンを吸い上げる秘伝があるが、これは女根に男根を挿入することで得る精気の吸引術でないので高度な技術となるが、こうした高級技法を使わなくとも、女体から精気を頂くことが出来るのである。

男女の二根交会を通じて、超常の能力を獲得し、大いなる宇宙の精神を感得し、事故の能力を何処までも高めようとするのが密教房中術の修法の目的である。

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 女体の呼吸に合わせ、それに同調させ、お互に肌をすり寄せて、お互いの栄養を染み込ませ、吸い合うのである。そのときには、完全なる快感が訪れ、自然に躰がトロけ出し、特に女性は頭の髪の毛までが痺れ上がるので、その感覚を男は感得する事が出来る。
 つまり、女体から栄養を吸い上げようと思えば、単に男が勝手に良い気持ちになって、勝手に射精するだけでは、本当の栄養は吸い上げることが出来ず、単に独り芝居であり、結局空しいばかりなのである。こうした空しさを、体験し、これがセックスだと早合点するところに、男は恐妻家となり、女性は恐妻と作
(な)るを得ないのである。

 人間と言う生き物は、そもそも吾が人体は、生きる為に必要なモノは最初から備え付けられているのである。誰もが持っている性的要素を日々精進して努力を怠らなければ、自然に発達し、これこそが人生を豊かにする秘訣なのである。
 衰運期や凶運期にバイタリティーを得て、前向きに、然も積極的に生きて行こうとするならば、この時期に休養するなどの愚行は避け、あるいは他力本願に陥らず、まず自分の“守護神さま”に対し、これが正しく作動するように「活」を喰らわし、自らを、自らで激励することである。また、人間は自分で自分を訓練する「一人稽古」の機能が備わっているのである。

 仏道で言う「 本有
(ほんぬ)修生(しゅしょう)」は、先天的にあるものを、後天的に磨き上げ、完成させることなのである。未完成で終ってはならぬのである。未完成で終れば、またこの事が、次の因縁を派生させ、因縁は次から次へと堂々回りをし、魂の成就は遂に未完成のまま朽ち果てるのである。こうした因縁の習気を引き摺(ず)らない為にも、 本有修生を果たさねばならないのである。

 人間の男女には、生まれながらして、宇宙から霊力ホルモンの特効薬を授けられているのである。密教房中術では、これを「天中天の宝蓮華」と呼ぶのである。これは宇宙生起の根源として、密かに祈念する秘術である。この秘術を遣えば、花の匂い、あるいは色の美しさのような、俗に言う男並びに女の裡側
(うちがわ)から派生する色気と言うか、艶(つや)やかさと言うか、そうしたものは漂って来て、男女双方を「床上手」にする霊力ホルモンのことである。人間である以上、男も女も、霊力ホルモンという特効薬を生まれながらに所持している。
 しかし、訓練されてない男女は、この派生のさせ方や、遣
(つか)い方を知らないのである。
 そのために男は恐妻家になったり、女は不感症になり、折角の宇宙からの贈り物を、遣わず仕舞いで人生を終っていくのである。何たる愚行であろうか。

 性生活を快美にし、性に関する人生の側面を豊かにしていくのは、女性の色気と、男の麗
(うるわ)しく光る光沢である。若々しく、張りのある勢いは、年齢に関係なく、誰でも肉体を楽しませ、“極楽”に導ける情事を備えているのである。極楽に導くだけの性技を有し、この面白みこそ、男女の床の中では必要なのではあるまいか。
 床の中、ベットの中をオアシスにするか、味気のない砂漠にするかは、あなた次第であろう。
 技術に長けた者は、何事にも関係なく、そのテクニックを遣う時は、形そのものが実に美しい。これは性技においても同じである。性技に長けた者は、床やベットの中では、美しい色気と、艶技がなくてはなるまい。

 宝蓮華たる、霊力ホルモンの存在を知らせる為に、天は人間の性器に「快感」という「こころよさ」を与えてくれたのである。クライマックスのアノとき、この「こころよさ」に痺
(しび)れ、この痺れと共に、霊力ホルモンは人体に性的霊力を促進させ、密教房中術の達人にしていくのである。

 性交時ゆったりとした呼吸は、心から焦りを除去し、精神を何処までも安定させてくれる。男女は、各々二根と通じて、人間に宇宙生命の霊体験を齎
(もたら)してくれるのである。そして人はこの時、真の房中術を会得し、美しき肉体の輝かしさを発見し、人間に生まれて来て本当によかったと、しみじみ思い当たるのである。
 男女のお互いが感激し、改めてその良さを発見し、生涯伴侶として寄り添うことを再認識し、また盛り上がる性力に男女二根は火を吹き、男女として生まれて来たこと、また夫婦であることを再認識し、伴侶としての誓いを立て、「信じる」ということで、お互いの愛を成就に向かわせるのである。



●金剛起

 二根交会修法に入る前に、「金剛起
(こんごうき)」という印喫(いんげん)を特記しておきたい。
 現代は「合掌」が廃れた時代である。あるいは行われていても、挨拶や形式に成り下がっている。陰陽の説明や解釈が等閑
(なおざり)になっているのである。したがって本尊と言う意味すら見失われ、その意味も今や廃れてしまっている。合掌する意味すら見失われてしまっているのだ。

 もともと本尊とは、真理である仏法を人格化した表現であった。つまり本尊の本体は「空」であり、その前で合掌すると言う意味が込められていた。もろもろの事物は縁起によって成り立っており、永遠不変の固定的実体がないということを言うのである。これは特に、般若経典や中観派によって主張され、大乗仏教の根本真理とされることを表現したものであった。
 両掌を合わせた陰陽の中に「中有
(ちゅうう)」を示し、礼拝者は自己の肉体が仏法と一体化し、実相となったことを表現したのであった。それ故に、「色即是空」を説いたのであった。これこそが現象界の真実の姿なのである。真如や法性などとほぼ同じであり、宇宙万象の真実の姿は、一切の煩悩や染汚を離れ、清浄無垢であるということを説いたのである。

 こうした仏法と言うものを再度見詰め直すと、非常に理屈っぽくなり、論理的な哲学が展開されている。したがって、こうしたことの対し、そんなに理屈をこねないで素直に手を合わせ、仏を礼拝すればいいではないか、と思う人もいるであろうが、そもそも仏教とは、非常に“理屈っぽい宗教”なのだ。真理をとことん追求するのが仏教なのだ。

 密教房中術も、仏教のこうした思想を受け継ぎ、その性愛の根本を欲天に置き、そこの十人になって真理を追求すると言う人間修法であるのだ。
 人間修法である以上、その対象となるのは、主に男女の性愛術が説かれている。そしてその性愛術の中には、四十八の印喫があり、これを陰陽の変化としたのである。
 また、この変化は、「六十四印喫」を生み出した。
 一般には、この方面のテクニックは「四十八手」と称されて親しまれている。事実、四十八手のテクニックを知っているとなれば、非常に立派なもので、言葉には聞くが、実際にどう言うものかということを知る人は少ないであろう。

 さて、男女二根交会に入る前に「金剛起」という印喫に触れておこう。
 これは「金剛定
(こんごうじょう)」という、ダイヤモンドより堅い仏法を柔らかくし、現象人間界に馴染むようにした法である。両手を金剛拳にし、左右の小指を絡み合わせ、左右の人指し指を立てて、指先をつける印喫である。

金剛起/イラスト 曽川彩
二根交会修法に入る前の大事な印契。

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 指先をつけた先端を三度チョンチョンと当てるように動かし、仏の眼を覚まさせる印喫を行うのである。一度目は“修法場”に居る仏の眼を覚まさせ、二度目は“三千世界”の仏の眼を覚まさせ、三度目は“十方不可説界”に居る無数の仏の眼を覚まさせて、吃驚
(びっくり)させることなのである。これを「五輪投地次第(ごりん‐とうち‐しだい)」という。
 これを一言でいうならば、修法者は、まず自分の肉体から、総ての不浄なる雑念を取り払い、何事かに拘
(かか)わる石頭を捨てよということである。総てを捨て、自由な精神をもって、本来の人間の姿に立ち戻れと言う意味である。

 この本来の人間の姿こそ、仏性を呼び起こさせ、この自覚こそが、真の自由を得るということに繋
(つな)がるのだと、仏法は説くのである。
 この時の真言は、次の通りである。

オン・バザラ・チシュタ・ウン

 これは聖なる修法壇の「床」を顕わし、そこに入る心構えであり、二根交会に掛かる前の、心の浄化と精神の自由を説いたものである。また、雑念を捨てるべき配慮から、金剛起に注目する値がここにある。
したがって、男は、まず自分の陽根を三度軽くチョンチョンと振り、女性は乳房を柔らかく三回撫で、雑念を払うという事である。
 また、これは事前のトイレに行ったなら、陽根からよく振って雫を切っておくとか、陰門の入口を清潔に拭くなりして、心置きなく、清潔な状態で取りかかるようにとの心得の条でもある。



●定恵一体

 男女二根交会は、“太陽”と“月”の合体を顕わしたものである。
 此処には気宇壮大なロマンがある。男女交会は、こうした壮大なイメージによって行われるべきことであり、単に他の生物がやっている生殖行為とは根本的に異なるのである。こうしたイメージを描けるか否かで、その後生まれて来る子供の幸・不幸が、此処に記されるといっても良いであろう。
 したがって、男女二根交会は神聖なものであり、自然の儘
(まま)に性交し、生殖行為を行うとする安易な考えで、行わないことである。

 太陽と月の合体の意味は「秘中秘
(ひつゆのひ)」に回帰され、密教房中術ではこれを最も大事にする。
 世間の男女は性交に及ぶが、その性交の本当の意味を知らず、単に快楽に耽る為にこれを行う。男は女の意を知らず、女は男の意を知らない。単にお互いが抱き合って、一時の慰安に明け暮れ、淫らな快楽に耽るだけである。だから悦楽の善悪すら知らず、此処に「知らない」ことの不幸が存在する。

中国仙道の房中術に見る『性命法訣明指』の教義書。

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 だから仏道では、仏境界の前には、男女は「お互いを知れ」と教える。これを「定恵一体
(じょうえいったい)」というのである。
 定恵とは、「定」は心の整頓を指し、一境地に止め、「恵」は現象と本体を正確に見つめることを指す。そして仏道では「定恵一体を冥
(めい)するなり」とある。

 「冥」とは奥深いことを意味し、真知を得る事であり、性交の持つ宇宙的な実相を知って、その境地において交わることこそ、真の性交と言えるとしているのである。
 したがって、真の性交とは、正しく抱き合うことから始まる。これこそが“動物の戯れ”とは、大いに異なる点である。交会とは、雄と雌の単なる“生殖行為”をいうのではないのである。
 男女の抱き合う形を「合掌」といい、性交の根本を「十二合掌」という。





1.堅実心(けんじつしん)合掌 5.顕露(けんろ)合掌 9.反背互相著(はんはいごそうちょ)合掌
2.虚心(きょしん)合掌 6.持水(じすい)合掌 10.横柱指(おうちゅうし)合掌
3.未開蓮(みかいれん)合掌 7.金剛(こんごう)合掌 11.覆手向下(ふくしゅこうげ)合掌
4.初割蓮(しょかつれん)合掌 8.反叉(はんしゃ)合掌 12.覆手(ふくしゅ)合掌

 異常が十二合掌であり、男女が抱き合う吐気のコツである。



●十二合掌

 十二合掌は、心身強化術である。性交だけが交会の目的でないということを、十二合掌は教えているのである。

堅実心合掌 【合掌型】二手を合わせ、両方の掌を密着せしめる基本的な合掌である。

【男女の体型】これを行う男女は向かい合い、両手をお互に相手の背中に廻し、ピッタリと抱き合う型をつくる。これは一体となることで、愛の堅実さを表現するものであり、合掌中の第一とされる。
虚心合掌 【合掌型】両手を合わせ、両方の掌(てのひら)の間に少し、隙間(すきま)をつくる。

【男女の体型】男女は向かい合って躰を密着させず、楽に呼吸出来る型で抱き合い、接吻する。これは暖かい愛情を相互に通わせ、愛情を確かめる合掌である。
未開蓮合掌 【合掌型】二手を合わせ、両方の掌の間に空虚をつくり、蓮華の蕾(つぼみ)のような型をつくる。

【男女の体型】坐した男女は、膝の上に女性を跨(また)がらせ、お互に軽く相手の頸に手を廻し、微笑し合う型をつくる。愛を語り合う、優しい合掌である。
初割蓮合掌 【合掌型】両方の小指と拇指をつけ、人指し指と中指を少し離して合掌する。

【男女の体型】これは起立したままでもよく、寝たままでもよい。向かい合った男女は、下腹部と性器をつけ、上半身を離して抱き合う型である。心から打ち溶けた愛情を顕わし、男女の饒(ゆた)かな情感を顕わす合掌である。
 本来ならば、処女と童貞が交わる時に行う合掌であるが、こうした時に慌てて本番に入らず、この合掌を行い、心を溶け合わせる為の教えであるが、今日は、童貞は兎も角として、処女を見つけるのは至難の業となってしまった。
顕露合掌 【合掌型】両手の小指をつけ、両方の掌を上に向けて揃える合掌。

【男女の体型】これは合掌といっても、手を合わせるのではなく、男女が並んで寝て、躰のついた方の手を握り合う型である。静かに二人で、将来について語り合う場合に用いる合掌である。
持水合掌 【合掌型】両手の仰向けにし、十本の指をやや曲げ気味にして、ちょうど水を掬い上げるような型にする。

【男女の体型】男女は並んで寝転び、この場合、重なり合うのではなく、半身分だけ離れた形をとって、片手で抱き、他方の手で乳房なり、性器なりを撫でる恰好をとる。本番に入る前の、ゆとりある気分を味わえるのが長所である。
金剛合掌 【合掌型】この合掌は、「帰命合掌」とも称される。両手を合わせ、指を互いに交叉させる。

【男女の体型】性交しているような恰好に映るが、男女はピッタリと重なり合い、お互に頸(くび)を交叉させる。このポーズは「両頭愛染」ともいい、心を罩(こ)めて抱き合うところに大きなポイントがある。
反叉合掌 【合掌型】両手を背中に合わせ、十本の指を交叉(こうさ)させる。

【男女の体型】男女は寝ながら背中を合わせ、尻をもじもじさせたり、一見ふざけあっているような型である。仲良く、睦(むつ)み言を交わすのによいポーズであると言えよう。
反背互相著合掌 【合掌型】右手を左手の上に、仰向けに重ねて、手の甲を合わせる凝った合掌である。

【男女の体型】男女はお互いの枕の位置に逆さとなり、相手の脚と、こちらの頭を向かい合わせて寝るのである。そしてお互いの脚の間に頭を入れ、“ご本尊さま”をお拝む型を取る。これを行うと、変わった雰囲気と刺戟があり、倦怠期に陥った夫婦が行うと、大きな効果がある。
10 横柱指合掌 【合掌型】両手を仰向けにし、双方の中指だけをつける。

【男女の体型】床蒲団の上に並んで仰臥し、頸(くび)を横にして接吻する。一見、物臭的で、今夜はメンスだからとか、性交が終わった後に、満足して眠る前のアフターサービスである。
11 覆手向下合掌 【合掌型】両手の並べて伏せ、双方の中指の先だけを合わせる合掌である。

【男女の体型】男女は腹這いになった並び、頸を双方に傾けて接吻する。海岸の砂浜の上に腹這いになって寝転んだようなポーズで、小イボと同士で行うイメージでこれを行う。
12 覆手合掌 【合掌型】両手を並べて伏せ、双方の拇指だけをつけあう。そしてその他の指は外側に向ける合掌である。

【男女の体型】夫婦間で赤ん坊を真ん中にして、川の字になって寝る時、真ん中の赤ん坊に被さるように、夫婦とも身を寄せ合い、抱き合う型である。

 以上が十二合掌の総てであるが、これに述べた印相の目的は、男女が性根を交会せずに、陰陽のエネルギーを動かし、心の高揚
(こうよう)と、精神の安定を図るのが目的である。
 精禄をできるだけ節約し、長きに亙って健康を維持しようとすれば、いたずらに性交のみに熱中せず、静かに「合掌」することも、心身強化術の基本となるのである。



●四種拳

 十二合掌の他に、印相の基本として四種拳なるものがある。四種拳は「立て方」および「締め方」を教示したものである。
 そして四種拳には、第一が「胎蔵拳」、第二が「金剛拳」、第三が「外縛拳」、第四が「内縛拳」である。

 人間の拳は、それを握る自己表現は、自己の精神力を拳に託して固め、精気を強め、心身を守ろうとする自覚の証である。したがって拳を握る行為とは、密教房中術でいうと、男根は「立て方」であり、女根は「締め方」に集約される。これを最高の一法として、「印毋」とし、印契の基本とするのである。
 交会に及んでも、「立ち方」と「締め方」が中途半端では、折角の二根交会の修法も、気の抜けたビールのごとき存在になり、倦怠感は更に深まるであろう。男は恐妻家となり、女は不感症となる。
 こうした愚行に陥らない為にも、四種拳は男女の基本ともなるのである。

四種拳 胎蔵拳 この拳は「蓮華拳」ともいう。これは女性が握る拳であり、人指し指に拇指をつける。女性は男根を迎える為に準備を整え、腔口を締めるつける練習をしておかなければならない。
 処女は始め方固いから問題ないが、複数を手玉に取る女は弛みがちであり、精気を外に洩らし、運気も低下させているので、この修法に励まなければならない。
 そこで、肛門を締め上げたり、弛
(ゆる)めたりの練習をするのである。
 女性の肛門と腔口とは、筋肉が繋がっているので、ここのトレーニングに励むと、締め方上手になるとされている。
 しかし、男もこうした女を相手に、黙ってされるがままになっていては能がない。男には金剛拳があるのである。
金剛拳 拳を握り、拇指をその中に入れる握り方である。拇指は男性のシンボルを顕わす。それを四本の指で固く握りしめるのである。これはキンチャクやタコに強烈に締め上げられても、あるいは込まれても、びくともしない強い男根を意味するものである。
 したがって、早漏などをして、決して恥を曝さないぞという決意の顕われであり、男根権確立の宣言の印とも言えるのである。

 金剛拳は、別名「忿怒拳」ともいう。力強く猛り、拳を握ったらその人指し指を立てて曲げ、牙の如くし、威風堂々たる男根力を表現するものなのである。
内縛拳 これは女性の内縛(ないばく)であり、男性の外縛(がいばく)に対峙(たいじ)したものである。両方の十本の掌を裡側(うちがわ)の法にめげた形で交叉(こうさ)させ、固く組み合わせて“合掌形”とする。
 内縛は女性の母性を顕わし、また包容性を顕わし、更には膣内の水も洩らさぬ緊縛性を示したものである。
 入った精子を、一匹でも取りこぼさぬように、女性の意気込みを示したもので、捕らえた男を死んでも離さぬと言う精神の顕われを表現している。
外縛拳 これは男性用の拳であり、女性を固く抱擁する時に用いる。まず、合掌し、十本の指を交叉(こうさ)させ、指を曲げて両手を固く包むようにする。この包みこそ、女性を逃がさぬぞという意気込みで握りしめる拳であり、固く抱擁(ほうよう)すると言う心を込める。
 手玉に取られた女性を完全に所有するところに男性の価値観があり、その裏にはやはり男の包容力が備わっていなければならない。

 以上の四種拳は、密教房中術では重要な修法であり、今更ながらにその必要性を強調する必要はないが、やはり男女とも人間であり、いざ出陣ともなれば、武者震いがして、些か落ち着かぬものである。
 したがって「お床入り」する際は、男女共四種の握り拳をつくってその意味を理解し、二根交会の修法を全うしなければならない。



●交会阿吽の呼吸

 二根交会には呼吸法がある。これは「三世法
(さんぜほう)」が説く如くである。
 そしてこの中には、過去・現在・未来の三つの時間が存在する。
 吸った息をすぐに吐き出さず、止める。更に、息を吐き出すのであるが、この瞬間が過去である。そして現在、未来、先祖、自分、子孫なごの時間を観じる。
 睾丸でつくられた愛液は過去である。更に、射精の瞬間を待つ性能の愛液は現在。そして次に、大満足の未来である射精の瞬間を迎えるのである。

 人間がこの世に生まれたと言うことは、宇宙の精気の「陽」を吸ったという事である。したがってこの「陽」は、直ぐに吐き出さずに肉体に止めおく必要が生まれてくる。この、肉体に止めおく長さを「寿命」とか、「生命」とかと名付けているのである。「陽」を吐き出し、「陰」になった肉体は、生物界では「死」と呼称する。

 「陽」を肉体に止めて生きる意味は、生命こそ、「宇宙の実相」であることを証明する為である。生命をつくる宇宙のメカニズムは「空」である。空こそ、宇宙の実相なのだ。
 その反対に、生命の死が「仮」であるとするならば、生きている生命は、その中間に「中有」と名付けた「真の実体」がなければならないことになる。

 人間の人生を支える肉体は、勃起する男根と同じである。息長く、悠々
(ゆうゆう)たる呼吸をする男は、呼吸の浅い心に動揺がある男より、長時間性交が続けられ、したがって楽しめる時間も長く、「陽」を深く吸い込む事が出来るのである。「陽」を深く吸い込んだ男は、殆ど年齢に関係なく、元気で、溌溂(はつらつ)としていて、長寿を保つことができるのである。
 呼吸の浅い、体質の悪い人間は、病気に罹
(かか)れば、あとは死を待つだけである。しかし呼吸の長い、「陽」をしっかり取り込んだ人間は、喩(たと)え病気に罹っても、その体質の良さから、当然のように自然治癒力が働き、直ぐに治るのである。これは宇宙から吸い込んだ魂のお陰である。

 男女二根交会においても、射精の瞬間を、男女共に息を止めるから、これはまさしく「空」であり、人間の一生を終えたのと同じと観じているが、それくらい男女の交会には、一生を賭
(か)けた生命的な価値観があるのである。したがって、神聖にして深刻な観点に立って入ると言うのは、つまり男女の二根交会なのである。

 密教房中術では、男女の二根交会を「金剛念誦
(こんごう‐ねんしょう)」という。ここで言う、「念誦」とは、心の中で真言や経文を唱えることを念じながら、性交中の男女の肉体を一個と観ずることである。お互いに交えた性器から、相手の肉体に念唱する真言を送り込み、接吻を交わした唇から、その真言を再び自分の体内に帰納させる秘法なのである。
 つまり、相手の肉体と自分の肉体は一個の輪となり、それを「一体」と観じて、「小周天呼吸法」を行うのである。
仁王尊は伽藍守護の神で、寺門または須弥壇(しゆみだん)の両脇に安置した一対の半裸形の金剛力士は、口を開けた阿形(あぎよう)と、口を閉じた吽形(うんぎよう)に作られ、一方を密迹(みつしやく)金剛、他方を那羅延金剛と分けると言われている。


密迹金剛の阿形 那羅延金剛の吽形

 男は女性に入れた性器を、奥へ突く時、真言の「吽(うん)」を念じ、それが女体を通じて「阿(あ)」の真言に変化し、接吻している時、この真言は自分へと帰納して来る。ここに陰陽の性器の躍動が観じられるのである。
 女性は、子宮へ届いた男根を真言の「吽」で感じ取り、自分の息に真言の「阿」を念じ、これを男は唇から吹き込むのである。この循環が男女を一体化し、陰陽のエネルギーを強めるのである。こうする事により、二根が体力の消耗ではなく、むしろ健康維持の為の肉体強化であると言う事が分かるであろう。


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