運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
理趣経的密教房中術・プロローグ
理趣経的密教房中術 1
理趣経的密教房中術 2
理趣経的密教房中術 3
理趣経的密教房中術 4
理趣経的密教房中術 5
理趣経的密教房中術 6
理趣経的密教房中術 7
理趣経的密教房中術 8
理趣経的密教房中術 9
理趣経的密教房中術 10
理趣経的密教房中術 11
理趣経的密教房中術 12
理趣経的密教房中術 13
理趣経的密教房中術 14
理趣経的密教房中術 15
理趣経的密教房中術 16
理趣経的密教房中術 17
理趣経的密教房中術 18
理趣経的密教房中術 19
理趣経的密教房中術 20
夜の宗教・真言立川流
続・夜の宗教 真言立川流
home > 房中術 > 理趣経的密教房中術 15
理趣経的密教房中術 15

現在と言う「今」は、その刹那(せつな)に「この一瞬」という“今”があり、今を想えば、今から過去へも遡(さかのぼ)れるし、未来へも、遠く唸(ねん)を飛ばすことが出来る。“唸”は、「念」であり、仏道で言う、経験を明瞭に記憶して忘れない心の作用である「憶念」と同義だから、そこには刹那に観じる、無数の「想念」が派生する。想念を派生させて、古人は何処までも「唸」を飛ばすことが出来たのである。


●神通力会得法

 男女に正しい恋愛術を教え、夫婦和合の道を開かせようとするのが、密教房中術である。その房中術の奥儀に「六神通(ごじんつう)」あるいは「六神変」と謂(い)われる秘事口伝の法がある。
 六神通とは、数々の修法を極めた者が持つ、六種類の超常能力である「神変法力」を謂う。仏・菩薩などが具える六種の神通力である。
 また三明は三種の超人的能力で、「明」は智を顕す。六神通のうち、過去世を見通す宿命通、衆生
(しゅじょう)の生死を見通す天眼通、あらゆる煩悩を滅した漏尽通を指し、釈尊が悟りを開いて獲得したとされる。宿住智証明・死生智証明・漏尽智証明ともいう。

天眼智證通 凡夫・俗人には見えないものが見える「天眼通(てんげん‐つう)」であり、天眼により自在に対象を見透す能力を得る。自分や他人の未来を見通す能力。
天耳智證通 凡夫・俗人には聞こえないものが聞こえる「天耳通(てんに‐つう)」あらゆることを聞き分ける能力。
他心智證通 他人の心の裡側を覗き知る「他心通(たしん‐つう)」を得る。
宿命智證通 過去の因縁などを知る「宿命通(しゅくみょう‐つう)」を得る。前世における生存の状態を知る能力。宿住隨念通(しゅくじゅうずいねん‐つう)とも。
神境智證通 自分の意の儘(まま)に事を運ぶことのできる「如意通(にょい‐つう)」を得る。または機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得る「神足通(じんそく‐つう)」を得る。
漏尽智證通 自分の煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力「漏尽通(ろうじんつう)」を得る。

 この修法を行う人は、まず十八日間の禁欲は必要であるとされる。男は精を洩らすことは許されない。
 艶夢
(えんむ)で、うっかり夢精することすら許されないのである。また女性も、陰核や女根などに指をあてがってはならないとされている。

 十八日間と限られているのは、九天九地の合計数から来ている。
 九とは、極限を顕わす数字であり、九天九地は自分の棲
(す)む世界の果てのことを顕わしている。この修法を実行する男女は、自分の本当に愛する異性が見つかるまで、喩(たと)え天地の果てまでも探し求めるということを意味している。
 また、大切な生命精液を無駄に浪費しないということを、天に誓約する意味が含まれている。

 十八日間の精進潔斎
(しょうじん‐けっさい)は、それだけエネルギーが蓄えられることになり、これが修法の為の原動力となるのである。清寧(せいねい)の根源であり、無から有をつくり出す清水である精液。
 肉体的エネルギー及びに、異性を求める情念。この三つのエネルギーを一つに纏
(まと)め、強力な「陽気」に作り替えることが、修法の基本となるのである。
 そのためには、まず肉体が五秘密の法身であることを強く念じることである。

 修法者の姿勢は、坐る時、北に座して、南を向くことが肝心である。仰臥してこれを行い際は、天を仰いで躰をしっかり伸ばすということである。陽気を強化する為には、脚の曲げて縮めたり、背中を丸めて横臥
(おうが)してはならない。
 この場合、脈拍コントロールを行い、ゆっくりとした速度で脈を打つことが求められる。また深呼吸をし、三密五大の内護摩
(ない‐ごま)を行うのである。これこそが、五神通力を得るための準備動作なのである。

 魔法に於ては、相手の異性に思うように相手から惚れられようとする時、鳩
(はと)か雀(すずめ)の心臓、燕(つばめ)の子宮、兎(うさぎ)の腎臓などを干して、それに自分の血液を振り掛け、更にそれを干して、恋しい相手にそれを食べさせると、思い通りに相手と性交出来るとされているが、密教房中術では、力波羅密(りき‐はらみつ)と火竜を合わせて、これを念力とし、この念力によって恋人を惹(ひ)き寄せるのである。
 自己の肉体が五秘密法身として変化するためには、左手が慾金剛、右手が触金剛、左足が愛金剛、右足が慢金剛、そして頭部より胴にかけて、“金剛さった”を観じることなのである。



●異性を惚れさせる五秘密中の秘密の秘法

 静の状態の時は、左は「火」の「ひ」であり、右は「水」の「み」である。しかし、これに動きが出て来ると、左は「陰」となり、右は「陽」となる。左手は相手を求め、右手は相手に与える象
(かたち)となる。
 そこで、実際に女性を抱くとこ、左手で女性の躰
(からだ)を抱え、右手で性器の周辺を撫(な)で回すのは、男が左手で相手の女性の愛情を吸い込み、右手から自分の情熱を女性に伝え、痺れさせると言う行為が含まれている。
 左足を「愛」、右足を「慢」とするのも、その象からであり、左足を相手の右足に絡め、右足を相手の左足に巻き付けるのも、お互に相手の愛情を深く吸い込み、双方の情念を満尽くするための象なのである。

 左右陰陽の手足から、肉体に至る性電気が、中心部に鎮座する性器へと向かうのである。性器に至る強力なエネルギーの活動を起こさせることを知れば、自分の五体は、そのまま、五秘密曼荼羅となるのである。坐位の修法者は、脚は蓮華座に組み、両手を金剛合掌
(こうごう‐がっしょう)させるのである。
 また臥位の修法者は、大地をしっかり踏み締め、大地に向かって根を生やし、両脚を伸ばして両手を外縛するのである。
 このとき、自分自身の肉体は、陽気により、熱感を観じ、ぽかぽかとして来るのである。この陽気が充満し始めたときに、思う異性の面影を念頭に描くのである。
 思い描く面影は、この場合、「陰」である。この「陰」に対し、修法者の「陽気」は、おのずと「陰」に流れるのである。このとき、陽気によって暖められた「陰」は、陽の気の精気と同化し、修法者の内部へと流れて来るものである。

 万一、修法者の陽の念力が不足している場合は、陰の気を司る面影に精気が吸い取られ、ミイラ取りがミイラとなって、へたばる訳である。法術比べでは、自分の法力が弱いために、相手の法力に負けてしまうことになる。したがって修法者は負けぬように、法力を養うと共に、恋人の面影が吾が肉体に完全に入り、溶解したと観じられるまで、強く心に念じ、一心に祈祷しなければならないのである。

 自己の面影を、陰と陽で結び、結んだ時の精気の輪で一つになるように心に念じるのである。この時の、二者を「一
(いつ)」にする修法こそ、「五秘密法身」であり、精気の輪で結び取った光明をもって、相手の女性をコロリと参らせる訳である。
 この「五秘密中の秘密」の修法の呪文は、

オン・バサラ・キャラマ・アギニ・ウンケン

 である。
 修法を行う時刻は、思う相手がベットに横たわる時刻が最も良く、人間の習性は男女とも、ベットに横たわるとき、どうしても適齢期の男女であれば恋人が欲しくなるものである。
 こうして念じ、修法の効果が顕れたと観ずれば、相手は処女であろうと忽
(たちま)ち、吾が術中に取り込むことが出来、その後は乳房を押さえて悶えさせ、湧き上がる愛欲の雨に、ふくよかな股の裡を愛液で濡らしてしまうのである。一方、相手が男である場合は、ベットの中で爆発寸前の帆柱を直立させるであろうし、嵐の如く熱い息を吹き上げて、愛の告白を打ち明けに来るのである。

 この修法は、正しく行う為には長い時間と、それに至るまでの、手順を踏む、礼式がある。人間は自分の肉体の中に、強い陽の火が燃えた時、

オン・バサラ・テイジャ・アギニ・ウム・アン

 を唱える。
 また意中の恋人を引き寄せようと念じる時は

オン・バサラ・ケイト・アギニ・ギゥヒタラ

 を唱える。
 更に、意中の恋人の心に愛情を起こさせる時は、

オン・バサラ・カサ・アギニ・ウム・カク

 を唱える。これ等の呪文は、印相と共に、一心に唱え続けなければならない。

 こうした祈祷の礼式は、時間に追い立てられなかった太古より始まったものであり、現代生活者には蹤いて行けない煩雑な形式がある。しかし、修法者が一心に唱え、次この一年が天に通じ他と感得するまで、唱え続ければ、この修法は必ず呪法成就するものなのである。念ずる一念は、必ず届くものである。
 そこで、恋人を獲得する為の締め括りの術として、「吽悉地
(うん‐しっち)」と天人降伏の呪文を唱え、男性修法者は、男根を金剛杵(こんごう‐しょう)として握りしめ、女性修法者は女根を開き、羯磨金剛(かつま‐こんごう)として静かに押さえ、法力達成を感得するのである。



●効果が覿面に顕われる美女変身法

 神代から現代に至るまでの、変わらぬ最大の願望の一つは、女性が美しくなりたいと願う心情である。
 幾ら人間の性が平等であると言っても、平等で満足する人間は数える程しか居ないものである。平等意識に振り廻され、それに満足する人間は殆ど居ないということである。ゆえに、人間は平等でありたいと願うが、自分のその平等の枠組に組み込まれ、平たくなりたいと願う者は、非常に少ないものである。
 現に平等などと標榜していたら、自分より能力の低い者に横取りされ、人生の目的など、成就出来るものではない。

 特に女性の場合は、自分のセックスは人並みであると信じたくない生き物である。多くの女性は、自分だけは誰よりも美しく、男に対しては女王の如く振る舞いたいと多くが考えている。
 また、同性の女性の中でも、決して平等観に陥ることなく、自分は誰よりも美しく、トップに立ちたいと心の中では願うものなのである。
 これは「美しい」というものが、他との比較から成立しているものであるから当然の思考であり、ここに女性同士の平等観は絶対に存在していないのである。
 したがって、仏道では煩悩即菩提と説き、また、愛欲や煩悩こそ、仏の心と説くのであるから、そこには「美」を願う女性がいれば、その美意識に力を貸すのが、また密教の秘術であり、美を願う者は、その美の中に誘うのである。

美なるものは、極楽境に通じる。

 密教房中術の教えるところは、美女の花盛りこそ、極楽境と称し、その極楽境に吾が身を投ずることこそ、真の極楽に到達することが出来る。そして密教房中術は、美女製造の為の法門を開いているのである。

 さて、女性の場合、密教が定義する「美女」とは、まず大きく分けて「顔」と「躰」に分けて定義される。人間の顔は男女とも、脳が形作っている。脳の思考が顔を形作るのである。
 思慮深ければ思慮深い淑女になり、考えか浅はかで、尻軽であれば尻軽となり、顔の美形だけで人間を美女と定義することは出来ないのである。美形の顔にも、浅はかな痴女はいるし、顔は十人並みには届かなくても、教養を備えた才女であれば、美女の仲間入りをする事が出来る。

 実は密教房中術で唱える美女の定義は、美形な顔のみを美女と定義するのではない。問題は「躰」に「顔」が準ずるということだ。
 美女を定義する時、顔・躰の順に観るのではなく、躰・顔・脳を観て行く分けである。そして躰を観
(み)て行く場合、ウエストのくびれ、足頸(あしくび)のくびれ、腰骨の張り具合、乳房の形、尻部の形から下に向かう曲線美の細かさなどを定義し、全体像を判断して、それを「美形」と称するのである。
 こうした「美形」をあげる場合、現代では肉体上の美を強める為に、美容体操などもあり、また人工的な美をつくり出す為の整形美容なるものがある。しかし、これだけでは単に付焼刃に過ぎない。美形を保っても、一時的な美に終ってしまう。それでは意味がないのである。女性は何歳になっても、自分だけは、決して平等ではなく、美しくありたいと願うものである。
 そうした本当の美は、人工的なものからは生まれて来ない。

 密教の説く、美形とはそうした肉体の表皮だけではなく、肉体の内部から滲
(にじ)み出る「艶姿」が備わっていなければ、これは美とはいい難いものになる。そこで、密教房中術では、艶姿の根本を尻部に置いているのである。
 幾ら顔が美形でも、尻部が垂れていてはその艶姿は価値の無いものになってしまう。尻部が、上がっていなければ、美形とは言い難いのである。

 正しく仏道を解さないものは、仏道が女性ノイローゼになり、「女人禁制」とか「女人地獄使」とか言って、女性を追い払う言葉を多く使って女性を排撃しているように思うであろうが、この見解は正しくない。
 仏道を代表する美女は「美音天
(みおん‐てん)」という仏であり、一般には弁天様と言われる仏であり、正しくは「弁財天(べんざい‐てん)」という。

 弁財天は、音楽・弁才・財福などを司る女神であり、二臂ひあるいは八臂で、琵琶
(びわ)を持つ姿、あるいは武器を持つ姿などで顕わされる。この女神は、もとインドの河神で、のち学問や芸術の守護神となり、吉祥天(きっしょうてん)とともに、インドで最も尊崇された女神である。日本では後世、吉祥天と混同され、福徳賦与の神として、弁財天と称され、七福神の一つとして信仰される。しかし、基を糺(ただ)せば、「美音天」であり、吉祥天とは別物である。

弁財天は美音天とも言われ、音楽・弁才・財福を司る女神である。また昔から、美しい娘を弁天娘と称した。これは弁財天のように美しいという意味である。日本では美の女神とも称されている。(イラスト/曽川 彩)

拡大表示


 吉祥天はインド神話で、ヴィシュヌ神の妃
(きさき)であり、仏教に入って毘沙門天(びしゃもんてん)の妃とされる。吉祥天は衆生に福徳を与える女神であり、その像は容貌端麗、天衣・宝冠を着け、手に如意珠を捧げている。そしてこの女神は、吉祥悔過の本尊でもある。この意味で、弁財天は吉祥天と異なることが分かるであろう。

弁財天図 吉祥天立像

 さて、「うしろ弁天、まえ不動」という嫌みに近い川柳がある。
 これは、後姿は震
(ふる)い付きたくなるような艶姿(つやすがた)の女性でも、前に廻ってその顔を見たら、怕(こわ)い顔の“お不動さま”という皮肉を込めた川柳であるが、これもまた逆は真なりで、後姿だけみれば、“弁天さま”のように美しいと言うわけで、顔に囚われるだけではなく、ボディー・シルエットが、やはり女性美の根本に挙げられるのではあるまいか。

 密教房中術では、したがって女性美を定義する時は、まず後姿から入るのである。女性の後姿を定義するときは、まず腰のくびれと、尻部であり、更に眼を下に落とせば、足頸
(あしくび)の締まりと言うことになる。
 後方から検
(み)る女体の中心は、その第一が尻部であり、第二が腰のくびれであり、第三が足頸の締まりである。
 それは、人体の前方の「陽」に対し、後方の尻は「陰」であり、これこそが「月
(がつ)」と称されるものである。

 この「月」とは、「唯一」の真理の意味を込め、「月愛三昧
(がつあい‐ざんまい)」と言って、月光である月の明りが、苛立った気持ちや、苦悩する人の心を、静かに慰めるように、「月愛」とは、人生を苦悩する人を救うと言う意味が込められているのである。そして「月」は、「月愛珠(がつあい‐しゅ)」とも呼ばれているのである。
 この月愛珠こそ、女性の尻部なのである。

 何故ならば、女性の尻部と言うのは、眺
(なが)めてよし、撫(な)でてよしであり、苛立つ心も、苦悩する心も、こうした女性の尻部を見ているだけで、自然と和(なご)んだ気持ちになるからである。つまり、女性の尻部は一種の、月のような「珠」であり、珠のように美しいから、官能的であるばかりではなく、人の心を和ませるのである。



●珠のように美しいヒップアップ変身法

 仏道には、五体投地
(ごたいとうち)と言う、特異な礼拝法がある。
 この礼拝法は、左右の両臂
(りょうひじ)と両膝(りょうひざ)と額(ひたい)を地に着け、全身を投げ捨てて、神仏の脚に平伏(ひれふ)す形であり、最上の礼拝を意味するのである。これを「普礼(ふらい)」というが、その時の真言は、日月礼念法の、女性の太股接吻と同じである。

 この礼念形を修行中の僧侶は、毎日連続してこの礼念形を数千回も行い、全身これ力尽き、小我は、ついに消滅する。だからこそ、仏法の大我に目覚めるのだとする厳しい仏道修行の現実がある。
 したがって、自分の尻部を「珠
(たま)」のように美しくしたいと願う女性ならば、これくらいの厳しさがあって可る然きであろう。そこで、ヒップアップの五体投地を行うべき、変身法を記した次第である。

五体投地を行う始まりとして、合掌し、御本尊さまに礼拝する心構えと、精神統一ができたら、右膝と左膝を床に着け、合掌を解き、両掌を上に向け、四つん這(ば)いの形を取る。
次に胸を張り、静かに深呼吸をして呼吸を整え、全身に力を漲(みなぎ)らせる。
まず、呼吸の吐納を整える為に、呼気を吐き、総て吐ききってから、静かに大きく鼻から吸気を行い、両手を前方に滑らせる。
十分に息を吸い込んだら、次に口から息を吐きながら、上体を上げ、頭を床に着け、躰を後方にずらし、尻部自体が跪(ひざまず)いている足の踵(かかと)に着くようにする。
次に、再び元の四つん這いの姿勢の戻ったら、静かに深呼吸を三回行い、この運動を続けるのである。これはヒップアップを祈願しながらの五体投地であるから、これを毎日続けると、霊験灼に御利益が発生し、しなやかで張りのある、上向きの、形の良い尻部になること請け合いである。

 次に、五体投地によるヒップアップの修法ができるようになったら、今度は「飛天女(ひてんにょ)」の秘法に入る。飛天女とは、空中に舞っている仏を讃え、仏法を守る天女の事である。この飛天女の秘法には二種類がある。

 その一つは、起立法であり、柱か机に捕まりながらする方法である。躰を安定させ、片脚ずつ後方に強く蹴り上げ、これを左右の順に繰り返し、尻部の筋肉を強化する方法である。
 この形は天女の飛行に似ていることから、「天女飛翔の型」という。これを行うと尻部に筋肉が絞まり、単に外筋を鍛えるばかりでなく、後ろに蹴り上げた時に、脚全体を裡側
(うちがわ)に捻(ひ)るように動かすと内筋を鍛えることが出来、内筋は外筋を鍛えるのと違い、日頃使われない裡側の筋肉を強化することが出来るのである。

天女飛翔の法

拡大表示

 内筋を同時に鍛えると、尻部の筋肉に張りをつけると同時に、内筋が鍛えられこれは同時に女根を締め上げる役目を果たすのである。またこうして内筋を鍛えると、尻部全体の筋肉が締まりながら発達し、円く、非常に良い形に整いを見せ始める。これを左右数十回程行うと良いであろう。

 次の二つ目は、うつ伏せに寝て行う方法である。これは天女の空中遊泳を形作ったもので、心の中に空中に浮んでいる心地よいイメージを作り出す事が肝心である。うつ伏せに寝たまま、腹部のみを床に着け、両手両足は上へ上げ、思いきり躰を反らせる形をつくる。こうして、5〜6回行い、背面の筋肉と共に、ヒップの筋肉も絞まり、毎日少しずつ続けると、かなりの効果が出て来る。
 以上の二つの動作を繰り返す時は、まず呼吸の吐納を整えることが大事である。そしてイメージは、天女が空中を舞うような、のびやかな運動を行い、毎日、勤行(ごんぎょう)することが肝要である。



●男女で行う日月礼念秘法

 飛天女の秘法は単独で行う個のであるが、次に紹介するのは男女が一対
(いっつい)になり、日月礼念秘法を行う。女性のヒップアップ法も、男性が協力する事で霊験が強化されると説かれているのだ。
 陽である男性の愛情が、陰である女性の肉体に伝わり、女体を変化させるというものではなく、元々密教房中術では、陰と陽の二元対極ではなく、入我我入を一体化させる事を「相愛相応」としているのでる。
 これは元々一体化を目標にして陰陽相応が行われる為、女性のヒップアップ法に男性が強力すると言うのは、単なる男女の遊戯ではない。この陰陽相応こそが、「一切金剛
(いっせい‐きんこう)三昧耶心(さんまやしん)の秘儀」であり、男女は陰陽に分かれて対極するものではないと言うことを説いているのである。

 この「一切金剛三昧耶心の秘儀」は、『理趣経』の中の入大輪の法門で説く、「一切の金剛輪に入る三昧耶」の心であり、その真言は「吽
(うん)」である。
 「吽」は、阿吽の吽であり、「阿」は口を開いて発する音声で字音の初めであり、「吽」は口を閉じる時の音声で字音の終りを顕わす。つまり最初と最後のことである。

 密教では、「阿」を万物の根源とし、「吽」を一切が帰着する智徳とするのである。
 そして金剛輪とは、ある一つの物事に対し、物にある実体は、万物に含まれている実体と連結されていると言う意味である。
 また、三昧耶とは、密教では、平等・誓願・驚覚
きょうかく/思いがけないできごとに驚き、これを覚醒する事、あるいは新発見を指す)・除垢障じょごしょう/垢(あか)や障害を取り除く事)の意味であり、実相と現象が一つに溶け合い、これが集合すると言う意味で、集まった境地を指す。
 それは喩
(たと)えば、男性と共に行う、女性のヒップアップ法は、まさに実相と現象とが、一つに溶け合った心意へ回帰するのである。

 日月礼念秘法を行うに当たり、次のように信じ、また念ずる。

男女とも、「日月礼念秘法」により、相互の肉体を清め、お互いの肉体が、そのまま法力を持っていると信ずること。
男性は女性に対し、女性の乳房をよく揉み、唇に含んで充分の精気を込める。また女性の乳頭が固くなるに従って、躰はしなやかになり、女体がうねり始めたら、女性をうつ伏せにして寝かせる。
男性は女性の背中から尻の盛り上がったところまで、まず接吻を行い、次に優しく撫で、女体に熱を込める。
男性は、女体の背中に重なり、自分の下腹部を女性の尻に密着させる。その後、静かに摩擦する。この摩擦には、女性の尻臀(しりたむら)がクリクリ動くようにし、上下に、左右に、円を描くように下腹部を活動させる。但し、あくまでも優しく行い事が肝心であり、これを乱暴に行ってはならない。

 男性は以上を約10回程度行い、下腹部で女性の尻を刺戟する度に、真言の「吽」を唱え続ける。
 金剛輪にある真言の種字は「オン・バサラ・チャクラ・ウン」である。



<<戻る トップへ戻る 次へ>>


  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法