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理趣経的密教房中術・プロローグ
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理趣経的密教房中術 14

社会的に認められない欲求や無意識的なエネルギー(id)が、性目標から外(そ)らすために、芸術的活動・宗教的活動など社会的に価値あるものに置換されることを「昇華」という。無意識の世界にある本能的エネルギーの源泉であり、そこに快を求め、不快を避ける快楽原則に支配される。エス(es)ともいう。その目的は、文明社会における性的な無秩序(anarchy)の状態を齎さないための文化的作業力である。

 例えば、ライヒ
Wilhelm Reich/オーストリア生れの精神分析家で、フロイトの精神分析とマルクス主義的な社会批判とを統合し、性を肯定する独自の理論を打ち立てた。1897〜1957)の論じた。
 この論理によれば、資本体制の性的抑圧を解除し、性にこそ本源的な力を恢復すべしと説いたのである。その中で知られるのが「オルガズムの理論」である。
 此処には性行為中の男の心理が説かれ、男の頭の中の想念を分析してみれば、大半はサディステックであり、虚勢を張って、強者を自任する男にとって、その行為は強姦以外の何ものでもなかったというのである。男らしさの証拠を見せようとしただけであったと論じている。これを臨床的に得られたと言うのである。

 ライヒの説く、男に心理としては性交回数を誇ったり、ドン・ファンぶりを自慢したりして、その一方で快感を伴うオルガズムの能力に欠けていたと言うのである。これをオルガズム不能と称した。そして結論付けとして、これを現代人特有の神経症に陥っているとした。


●放下呼吸

 屁(へ)の事を「放下彩風(ほうげ‐さいふう)」と言う。
 放下とは、何ものにも囚
(とら)われず、投げ捨てる事を言う。また、彩風とは、匂うが如き美しい色彩を感じさせる風の喩(たと)えである。
 そして放屁は、肚
(はら)の中の陰之気(いん‐の‐き)を放出する一種の呼吸法である。人間はその殆どが、必ず放屁をする。しない人は稀である。

 人間には、放屁に関して二種類の人が居る。一つは生まれながらに優秀な躰
(からだ)を持ち、無類の健康体で、かつ少食を守り通し、動蛋白を殆ど摂らず、菜食に徹している人である。また穀物菜食に適合する肉体を有していると言えよう。遺伝によるものもあろうが、後天の自らの努力で改造することも出来るようである。更には食と色を乱さないことである。慎む事が寛容である。それは乱すなということであり、“するな”という意味ででない。節度の意味である。逃避や消耗を慎むべしとしている。
 そして、更に一つは『理趣経』の見解によれば、欲は認めているものの、問題はこの欲であり、欲は忌み嫌うものでなく、清浄化する意味合いが含まれていることに注目しなければならない。

 色の次元においては、「愛は清らかなもの」と定義していることから、欲は清浄化して喜びにせよという歓喜の大事が述べられている。
 欲望はその権化となって固執することはよくないが、問題視するのは欲望自体が清らかか、濁っているかである。濁れば凶となり、人物から遠ざかることの危険の指摘だが、清らかで清浄ならば天地と和合し、この中で生きている人は実体が喜びなので神通の加護が得れるとしている。
 これが「愛和」である。
 歓喜を体感した人は肉体も清らかである。
 このような人は、腸の中の宿便が少なく、腸壁が綺麗になっているので、過食による腸管内の腐敗発酵はないから、ガスの発生は殆ど無く、したがって健康体では、滅多に放屁は出ないようである。そして、このタイプの人は極めて少ないという事である。

 普通、放屁をする人と、しない人に分けられる。この場合、放屁をする人は、一般的な健康体で、放屁をしない人は、内臓に病気を抱えている人と検
(み)て、まず間違いないであろう。元凶は食の乱れにあり、この乱れが色を濁したといえる。
 食の乱れは色に反映され、色に乱れは肉体に顕われる。肉体を狂わせるのである。
 例えば性腺異常などであり、異常が生じれば、一年365日発情状態になる。この状態にあって男女の関係が大いに乱れ、精気は濁ったものになる。濁りが体内方放出する放屁となって腐敗発酵産物となって体外に異臭を放つ。あるいは腐敗発酵産物が体内に蓄積される。
 つまり、放屁に関して、健康体でないにも関わらず、出ない人が居る。この人は極端な腸麻痺
(ちょうまひ)の持ち主も、宿便によって腐敗発酵産物の通路が塞(ふさ)がれ、したがって屁が出ないのである。

 このタイプの人は、頑固な宿便停滞によって、腸麻痺を起こして居る人であり、腸管内で発生したガスが下部へ通過できず、上部へ逆流する為、腸壁からガスが再吸収されて、放屁が出ないと言う状態になる。また、再吸収されている為、腐敗発酵物であるガスは、逆流しているので、ゲップの原因になり、このタイプの人は極めて口臭が臭い人である。

 口臭の臭い人は、胃も異常な状態にあるが、胃よりも、下の方が詰まっている人である。
 こう言う人は、歯ブラシで一日、3回も、4回も口腔内を清掃しても、その匂いは殆ど取れる事はない。口臭の匂いを消す為には、まず腸内に停滞している大量の宿便を排泄させ、下部の詰まりを除去する事が先決問題であろう。
 人と対面して、1m離れていても、口臭の匂いが届く人は、ガンに罹
(かか)る候補者だと言われている。
 このような人の腸内には、頑固な宿便が数十年単位で停滞していて、その上、発生する有害な毒素が腸壁から常時、逆吸収されているとみられる。そのために血液は汚染され、ガン発生の病因をつくっていると言う訳である。このタイプの人は、放屁は殆どでないのであるが、ゲップが盛んに出る人である。したがって、この状態での病体質の状態は、幼少時代より頭痛持ちで、しばしば頭痛を訴える人が、これである。眩暈
(めまい)状態にも頻繁(ひんぱん)に襲われ、足のふらつきの激しい人である。

 こうした状態で、腸内に発生したガスが下方に通過できず、これが体内に再吸収されて、更には脳神経を刺戟
(しげき)して、眩暈(めまい)などが発生するのである。
 しかし、こうした状態が改善され、腹部の宿便が排泄されると、これまで殆ど出なかった放屁が盛んに出始めるのである。放屁が出始めると、それまで口から出ていたゲップは出ないようになり、口臭の匂いは小さくなるものである。こうして腸麻痺が改善され、下部の通過は順調になるのである。

 一般的な健康体の人は、必ず放屁を行う。これは腹中の陰之気を放出する呼吸の一種であるからだ。陰之気と言っても、朗
(ほが)らかに、音の良いものであれば、「一陽」であり、この場合、まずまず健康であると言えよう。
 密教房中術では、放屁の音を次のように分類する。

 乾いた音ならば「離
/火にかたどり、また方位では南方に配する)」、湿った音ならば「兌/自然界では凹の形で沢にかたどり、方位では東南(伏羲八卦)または西(文王八卦)に配する)」、静かに長引く音で乾いた音ならば「震しん/陰気が充塞した所に一陽発生して、ようやく活動しようとするかたちを顕わし、方位では東に配する)」、これが湿っていたら「坎かん/水にかたどり、方位では北であり、色では黒(こく)に配する)」、景気よく一時に放出され、乾いた音ならば「巽そん/風にかたどり、方位では東南(たつみ)に配する)」、梅雨のように陰気臭いスカシの時は「艮ごん/山にかたどり、静止の徳を表す。方位では北東(うし‐とら)に配する)」で、これは最悪とされ、周囲の人の陽気を消滅させる毒を持っていると言われている。

陰陽と八卦図

 放屁は、一発単独が「陽」であり、続けざまに連続して落とすのは「陰」とされている。一発のみであれば「乾
けん/陽の卦で、その徳は健、天にかたどる。方位では北西いぬいに配する)」であり、連続垂れ流しは「坤こん/陰の卦で、地にかたどり、柔順で物を成長させる徳を表す。方位では南西ひつじさるに配する)」で、放屁には基本的な陰陽が顕われてる。

 腹が張って、一日に何回も出る時は、周囲に毒をまき散らすのであるから、他人に迷惑を掛けない事が肝心であり、その然
(しか)る後に、宿便対策を行えばいいのであって、まずは「放屁止め」を行わねばならない。
 この時の放屁止めの呪文は、「オン・カク・ソワカ」である。そして、これは心静かにして、腹の底で数回繰り返し唱えるのである。

 真の呼吸法に徹しようと思ったら、こうした体内の毒は除去しておかなければならない。こうした不健康体で、交会
(こうえ)に及んでも、結果は惨めなものになるであろう。したがって、交会に至る場合は、自己の内にある毒ガスは、男女共、貫去っておく事が肝心であり、交会に至る前に、美食による動蛋白摂取は固く慎まなければならない。
 もし、こうした状態で子孫をつくれば、出来た子は、そんなに上等な子供ではあるまい。
 また、交会は男女二根の交わりであり、体内に病気を持っている状態で及ぶのは、決して良くない事だ。更にまずいのは、痔疾などがあっても色気のないものであり、普段から少食に徹し、穀物菜食を実践しておれば、痔疾などなるはずがなく、また痔疾であっても、少食や断食を繰り返せば、これは自然治癒するものである。

 健康な肛門は、年齢に関係なく、若くてピンク色に引き締まったものである。
 また、美しい菊花のような肛門ならば、魔除けの御呪いにもなり、魔は肛門から侵入することができない。しかし、これが切れ痔であったり、イボ痔や脱肛と云った痔疾があるならば、こういう人は男女に限らず、肛門から魔が出入りしているので、接すれば「凶」となり、やがて凶事を招く事になるだろう。

直腸および肛門

 まず、痔疾がある場合はこれを早急に直す事が先決問題であり、これを放置してのセックスだけの目的で性交を行えば、その後の運勢は衰退して行くはずである。
 併せて、痔疾を抱える女性は、腔口の締まりが悪く、また痔疾を抱える男も、持続性がなく、長時間粘ることができないので、女性を本当に痺れさせることができない。
 また、痔疾を抱える亭主に、恐妻家の多い事は、結局性交により、陽気が体内から抜け出しているので粘りがなく、また痔疾が原因して、恐妻に頭の上がらない原因をつくり出していると言える。
 兎に角、肛門は年齢に関係なく、若くてピンク色に引き締まったものでなければならないのである。そして美しい肛門を見て男女とも、菊花に礼拝する事である。この礼拝での呪文を「倶利迦羅竜門守護神
(くりから‐りゅうもん‐しゅごしん)の呪」という。
 これは、お互いの肛門を礼拝しながら唱える呪文である。

 倶利迦羅とは、竜が剣に巻き付いている形であり、これこそが不動明王のシンボルである。不動明王に於ては、右手に剣を持ち、左手に竜の縄を持っている。竜も剣も元々は男根の象徴である。
 二根交会の前戯として、「転法輪」の際、お互いの菊花を礼拝する事になるが、この礼拝はその後の運気を暗示するもので、お互いは若くてピンク色に引き締まったもの菊花を礼拝したいものである。



●精気と精禄の蓄積

 インドのヨーガには、人体に「七つのチャクラ」がある事を述べている。この場合のチャクラとは、呼吸によって体内に取り込んだ精気
(プラーナ)と、精気を受けて蓄積し、増強された生命エネルギーを蓄える処であり、また、ホルモンが分泌される場所であると説明されている。
 また、この説明によるとグンダリーニというものが、尾骨の処に蜷局
(とぐろ)を巻いて潜んでいると言う。それをプラナヤーマという呼吸の力で、空中にあるプラーナというエネルギーを吸収し、これにより覚醒(かくせい)させ、更に背骨を通じて、頭部にあるサハスララ・チャクラという処に上げ、まずグンダリーニを此処に上げておいて修法すると言う。
 もう一つは、会陰部に当たるムラダーラ・チャクラで、そこから順に上に上げていく方法が用いられ、下から上へ向かって開発する修法がとられる。

人知には「七つのチャクラ」がある。

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 密教房中術では、このチャクラを即身成仏の義に遵
(したが)って、体内に「三密観(さんみつ‐かん)の五大」がありとしている。ここで言う「三密観」とは、人間の持つ身・口・意が仏の働きと同化した時、そこには偉大な力が働くと信じられていることである。「身」は肉体を顕わし、「口」は真言であり、「意」は心を顕わしている。

 人間の肉体には、地
(足と男女の二根を顕わす)、水(腹部と消化器官)、火(心臓)、風顔面、口や鼻腔を含めて、肺臓までの呼吸器管を顕わす)、空(頭脳)の「五大原理」が働いている。それに真言と神仏を信仰する心と、仏の持つ七つのチャクラ−を顕わしている。
 精気を蓄える為には、正しく呼吸して、プラーナを身・口・意の三密に蓄え、これにより人間も、神仏のごときエネルギーが発揮出来ると説かれている。その目的で修法するのを、「内護摩
(ない‐ごま)」というのである。

宇宙を顕わす人体五大

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 一方、戒壇
(かいだん)に火炉(かろ)をつくり、護摩木(ごまぎ)を燃やすのは「外護摩(げごま)」であるが、内護摩は自分の体内を「戒壇」とし、自分自身の精神力を仏の智火として、自分の内部より、体内の止まる害敵を滅ぼす事を目的にしているのである。
 交会を行う床の中では、内護摩を行う為に、修法者は心を正し、静かに仰臥する。この場合、前もって「破魔息」や「放屁彩風」を行って、体内の邪気を祓
(はら)ったり、ガス抜きをしておかなければならない。

 脚は楽な姿勢で開き気味にし、両手両腕も力を抜き、掌
(てのひら)を下に向け、躰の左右に投げ出すような形にする。息を吸う時は、下腹に力を入れ、横隔膜を下方に下げ、肺に一杯に呼気が入るようにする。こうした状態で、数回大きく呼吸し、更にその後、丹田呼吸を行う。こうして体調を整え、それから「三密五大内護摩法」に入るのである。
 まず、大きく呼吸する事のより、精気を充分に取り込むのである。この精気を臍下丹田の太陽神経叢に蓄えたと観じたら、次に息をすう時は、蓄えた精気を単元から会陰部の方に誘導する意識をもって、会陰部に精気が充満している事を観じ、更に尾閭に至り、命門
(めいもん)を経由して脊柱(せきちゅう)を伝わり、上昇させていくのである。そして、性根に降りた精気は、此処で生命の火を灯し、命を燃やす意識を持つのである。



●精気増強法と火竜の秘法

 「力波羅密
(りき‐はらみつ)」は性力を示すものであるが、体内を循環する性力の増強法を「火竜」という。
 火竜は性根部に潜む霊的な蛇を顕わし、平素は三巻き半に蜷局
(とぐろ)を巻き、修法を始めると眼を覚ます蛇である。この蛇は、因縁により脊柱を上昇する蛇と異なり、陰極の性根部に棲む蛇である。
 因縁により目を覚ます蛇は、本来は腰骨辺に蜷局を巻いていて、「火竜」とは区別されるものである。
 しかし、因縁で蜷局を巻く蛇は、時として火竜と結びつき、二重の「より紐」のよいになって脊柱を昇り、頭骨に昇り、脳に侵入して爆発する事がある。精神障害と言うものは、このようなメカニズムで起るものなのである。

 さて、修法によって目覚めた蛇は、陰極の性根部から七つのチャクラを通って上昇し、頭蓋にある陽極の千蓮座へと達する。これは陽極と陰極を結合させ、体内で自家発電を行い、人間の生命エネルギーを充満させる修法である。会陰部から頭部の泥丸までの回路を「グンダリーニ」と呼び、この回路は中央の柱である「スシウムナ」に絡む陰の線路の「イダ」と、陽の線路の「ピンガラ」の二線路からなる。

 火竜は、まず丹田より性根部を下り、会陰に至って「陰」を観じ、そのから背骨背後の後方の陰の経路を通り、頭部の泥丸に達して「陽」となる。この陽は躰
(からだ)の前面を通り、再び丹田に戻って人体を一周するのである。
 これを「周天法
(しゅうてん‐ほう)」と言うが、周天法で一番大事なのは、精気が頭頂の泥丸部に達し、ここに胃発ったと言う自覚が生まれた時に、「息を止める」ということである。次に息を吐きながら精気を躰前面の経路を通って丹田に降ろすまでを陽として、この間は「転法輪呼吸」を行うのである。これは宇宙の天体の運行と酷似する周天法の「小周天」と言われるものである。

 自己の肉体が宇宙と一体になり、真の生命力がこれによって養われるのである。ただし、この呼吸法で注意しなければならない事は、「吸う時」に肛門を引き締めておくと言う事であり、息を吐く時は肛門を弛
(ゆる)めるという事である。そして肛門の括約筋を鍛え、これは丹田での陽気の発生にも役立つのである。肛門の括約筋が弛んでいては、財布の紐(ひも)が弛(ゆる)んでいるのと同じであり、無駄なものに浪費し、大切なものは抜け落ちていると言う事と同じである。



●独裁者的暴走セックスの凶事

 宇宙観での観じるのは天体の大運行である。これに対して人体で行われる小周天は、宇宙の運行とよく似ており、背面を陰の「月」に喩
(たと)え、前面を陽の「太陽」に喩える。そして精気を肉体内に循環させ、肉体宇宙をつくり出すのである。また月は女性であり、太陽は男性である。

 人体の前面を「男」とし、背面を「女」とするのである。
 ひとりの人間の人体には、男と女が同居している。この男女合体の発想は、自己の体内を巡り循環する精気が、精子と卵子に分かれ、一つの体内で生殖作用を起こすと言う考えからに基づくものである。本体が男であっても、その体内には男と女の二極が同居し、また女であっても、男と女の二極が存在している。
 これはある時、突然として黒雲の如き欲望が湧
(わ)き起こり、人間を苦しめる悪業や煩悩が生じるのも陰陽の二極が存在しているからである。あるいは、ほのぼのとした優しい慈愛深い仏心が芽生えるのも、自己が所有する生殖ゆえのことである。生殖こそ自らの守護神であり、その守護神は善も悪も所有しているが、故に、善も悪も存在しないとも言えよう。
 善悪は陰陽二極によって発生し、また、それによって消滅するからである。

 特に、無闇矢鱈
(むやみ‐やたら)と相手の異性に、ほれたがる強い性欲は、これを如実に証明しているからである。自己の生殖だけでは物足りなくなり、したがって本体の違いである、男女の異性を求めて彷徨(さまよ)うのが、また人間の実体である。
 その心の背後には、他人の肉体を征服すると言う意図が含まれている。
 特に、異性に関しては、男は女を、女は男を征服して、自分の強い精気を相手に移植し、自己生殖の植民地にしたいとする意識を持つのが、男女の恋愛の始まりであり、「植民地思想」こそ、陰陽二極の究極の目的であろう。
 これは陰陽二極の妄想から生まれるものではなく、自己生殖における精気の性力が強ければ強い程、激しいものなのである。したがって周天法を始めると、必然的にセックスには強くなるものである。
 独裁者的発想も、陰陽二極から起る性力の強さから来るもので、独裁者ならば、自分の強過ぎる肉欲に、身を八つ裂きにされるような幻覚に嘖
(さいな)まされるが、これが余りにも、自分でも持て余し、処理し切れなくなると、性的生活者となったり、チカンなどに身を落として、他人からバカにされると言う問題も発生して来る。それは食と色の乱れから邪気が侵入するからである。その侵入により精神や神経を狂わす行動現象が起こる。

 日本では世界でも稀
(まれ)に、電車の中で、決まって流れているアナウスは、「痴漢行為の防止アナウス」である。
 世界中の先進国の中で、あるいは北半球に位置する文明国の中で、「チカンを犯罪と戒め、チカン防止を促すアナウス」がJRの電車や地下鉄の車内で流れているのは日本だけである。これは性的生活者が如何に多いかを明確に顕わしている。
 性力が強く、精気が溢れると、一方で蔑
(さげす)まれる現実が待っている。
 あるいは積極的な独裁者は、異性を求めて風俗に頼ったり、積極的なハント術のアメリカ流の自由恋愛を展開するであろう。つまり、性処理の為の異性狩りである。そこで密教房中術では、三つの倒立法を修法とするのである。


【羅刹天印】
 「羅刹天之印
(らせつてん‐の‐いん)」は仰臥して、まずゆっくりと呼吸を整え、両手で腰を支え、両脚を上げ、更に躰(からだ)を持ち上げ、肩で上に上がった躰を支える。次に足脚部は、頭部より前方に出ていなければならない。

羅刹天之印

【意気金剛印】
 「意気金剛之印
(いき‐こんごう‐の‐いん)」は、まず仰臥して、両掌を床に着けて、躰の両側に置き、静かに深呼吸をする。この深呼吸は普通の腹式呼吸を行う。
 この修法は腹式呼吸を行いながら、まずゆっくりと息を吹いながら、膝を曲げずに、脚
(あし)を真っ直ぐ伸ばす。次に躰を垂直にし、顎(あご)は胸に押し付けるようにして、腹式呼吸を行う。これを無理にない程度の時間行うのである。

意気金剛之印

 脚を降ろす時は、一度にバタンと激しく降ろさず、ゆっくりと降ろしながら、脚を床につけるようにする。血液の循環が正常に戻るまで、仰臥し、平静になるまで恢復
(かいふく)を持つ事が肝心である。


【金剛さった印】
 「金剛さった之印」は、跪
(ひざまず)き、両手を組合わせて、前方の床に組んだ両手をつける。前屈姿勢を取り、組み合わせた指で後頭部を支え、頭を床につける。脚に力を込めて腰を上の方にあげる。次に、足先を床から離し、膝(ひざ)の処で脚を折り、頭で逆立ちするような形でバランスをとる。
 ゆっくりと脚を上方に伸ばし、全身が垂直になるように逆立ちを行う。静かに呼吸の吐納を繰り返しながら、ある程度の時間、この倒立姿勢を保ち続ける。
 元の状態に戻す時は、一気にドスンと音の出るような戻し方はぜず、徐々に、ゆっくりと戻す事が大事である。

金剛さった之印

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 以上の三種類の逆立ちをする時は、暴走しようとする強い性力エネルギーを鎮
(しず)めるものであり、このエネルギーを体内で循環させ、全身を浄化する目的で行うのがよい。
 そして、これを行う事により心身の安定が得られるのである。どの逆立ちにおいても、行った後は必ず図に示す印を結び、結んだ後、印を結んだ手を額に当て、静かに金剛さったの種字の「鑁
(バン)」を念じ、今度は静かに逆腹式呼吸を行わねばならない。

 金剛さったは、「煩悩即菩薩」を顕わすものである。煩悩即菩薩の顕わす意味は、人間のいろいろな欲望や苦悶は、実は仏の心に繋がる意味である。したがって性力的に強い、性エネルギーこそ、実は心身を浄
(きよ)める本当のエネルギーであると言うことになる。



●真言立川流は長い間、邪教と信じられたがその真意は

 密教房中術ならびに真言立川流の根本経典は『理趣経』である。
 しかし真言立川流はその発祥以来、危険視され、長い間、邪宗扱いされて来た。
 人間にとって、大切な真理とは何かということを追求した場合、そこに浮かび上がるものは、古人が経典の中で解き明かした「経文」である。

 特に『理趣経』は、人間の真理を説いたもので、男女の愛欲は、まず第一に「美しい」と説き、第二に男女二根は「清らか」なもので、これこそが仏の心になり得るとしたのである。つまり、この二つの教えの中には、煩悩即菩提の境地が説かれ、「だから、これこそ人間である」としているのである。
 そして、注目すべきところは「妙適清浄句
(みょうてき‐しょうじょう‐く)」と「二根交会五塵大仏事(にこんこうえな‐ごじん‐だいぶつ‐じ)」である。
 特に真言立川流に至っては、これらの経文を、文字通りに浅く解釈し、それを軽筈みに実行して、更には髑髏修法
(どくろ‐しゅほう)やそれに至る、倶利迦羅(くりから)の解釈の誤りなどが挙げられ、ために邪宗・邪教と称された。

 特に、真言立川流の場合、倶利迦羅の解釈を巡って、剣に竜が巻き付く姿を、不動明王のシンボルと解釈したところにある。真言立川流では、剣を不動明王が右手に持つ「剣」と解釈し、左手に持つ縄を「竜」と解釈したことであった。そうなれば、剣も竜も男根の象徴となってしまう。つまり男根と男根の鬩
(せめ)ぎ合いとなる。

 この男根コンビはホモにも通じ、剣なる男根に、絡み、戲れる竜の姿は、肛門交会となり、肛門こそ、竜の侵入する「竜門」としたところに、同性愛者
(homosexual)のホモ接合体に間違いがあるのではないかと指摘された事だった。それに加えて、轆轤(どくろ)修法も実にグロテスクであり、恐怖すら感じさせるものである。しかし、この「髑髏」が齎す意味はセックス観を誤ったり、遣り過ぎるとこのような髑髏になるという「死の暗示」を無言のまま示しているともとれる。誤った性の末路表現である。それが髑髏なのである。魂魄の「魄」の骨を顕す。地に留まって還らないものを指している。

 さて、宇宙の法則に遵
(したが)う基本的な愛は、男女の愛で、然(しか)もそれは、まさに性の交わりであった。これは経典で説明れなくても、大宇宙の法則であるから、最初から正しい事なのである。宇宙には陰陽があり、その下の現象人間界で繰り広げられる世界は、男女二根の世界である。
 密教房中術や真言立川流の説くところは、性器や性交をテーマとした猥褻
(わいせつ)な論理ではないのである。男女の性を、宇宙生命力として人間形成の根本に置くものなのである。

 真の神仏は、神社仏閣で説かれる権威よりも、自分自身の持つ性意識を正しく理解して、それを主張して行く事にある。したがって、性器や愛液の神聖さが、何処までも貫かれていなければならないのである。
 これは『理趣経』で説かれる「五秘密曼荼羅
(ごひみつ‐まんだら)」のように、浄菩提心(じょう‐ぼだいしん)を体とする“金剛さつた”と、煩悩を表す欲・触・愛・慢の四金剛菩薩の総称こそ、五秘密曼荼羅の説かんとする根本なのである。煩悩即菩提の深秘を表現したもので、金剛界曼荼羅の理趣会に配される五秘密は、慾触愛慢(よくそく‐あいまん)である男女の性愛が、そのまま“金剛さつた”と認識すれば良いのである。

 しかし、これを汚らしいものとして片隅に押しやり、煩悩の最たるものとして位置付ければ、そこには性犯罪や、醜い離婚問題が派生するであろう。
 昨今、急増する性犯罪の殆どは、最初から愛欲や性欲を汚らしいものとして決め付けたところに元凶がある。これは離婚問題も同じであり、多くは離婚の原因を「性格の不一致」として挙げるが、これなど根も葉もない言掛りであろう。本来、正しい性愛を理解し、正しく認識しておれば、夫婦間においては離婚など発生しないのである。

 性犯罪も、離婚問題も、お互いの性の認識のなさと、理趣経的密教房中術の智慧
(ちえ)のなさから派生するものである。男女の性を猥褻(わいせつ)なものとして考えれば、そこには卑猥(ひわい)なる男女関係が顕われ、汚らしいものの象徴が人間の性だとなってしまう。
 また、この卑猥なるものが蔓延
(まんえん)すれば、こうした刺戟(しげき)に飽き足らなくなり、当然、そこには男根同士の同性愛が発生する。また同性愛者特有の「鉢巻き現象」も起る。男色の忌わしさは、こうした性を、卑猥なものに考え、刺戟を追い求めた結果であるとも言える。
 また、夫婦間に派生する離婚問題は、性格の不一致などではなく、お互いの性の認識のなさから派生した、お互いが相手を知らない事から始まり、その「識らないこと」が性格に不一致と錯誤しているのである。
 もともと男女は、各々に性格の違った者同士が助け合い、労りあって夫婦を形作るのである。したがって、男女は似ても似つかないのが当然であり、性格も異なっているから、それを補う為に、助け合い、労り合うと言う夫婦間の協力が生まれるのである。

 ここで、「五秘密曼荼羅」を説明しよう。
 慾金剛菩薩、触金剛菩薩、愛金剛菩薩、慢金剛菩薩に、主尊の“金剛さった”を加えて、これを五尊としたのが、「五秘密曼荼羅」である。
 慾
(よく)とは、例えばいい女を見て、抱きたいと思う男心であり、また逞(たくま)しい男を見て抱かれたいと思う女心である。
 触とは、好きな異性と交際したり、接吻および性交とか、お互いの肉体に関わる行為をすることである。
 愛とは、肉体を知ったら、単に精神面ばかりのプラトニックより、更に肉体的に深まる情のことである。この情により、人間はお互いを慈しむ心が育まれるのである。
 慢とは、男女が肉体と愛情の交換によって、心から満足する事である。

 簡単に言えば、「五秘密曼荼羅」には、男女の自然な姿が描かれ、恋愛結婚に至ると言う姿が描かれている。この性愛の中で、人間の心に相手を労りあう優しい気持ちが生じるのである。その優しい気持ちの生じた男女こそ、まさに“金剛さった”となると、この「五秘密曼荼羅」は説いているのである。

 これはつまり、ペアで行う即身成仏
(そくしん‐じょうぶつ)の体験であり、男女の正しい恋愛の在(あ)り方を説いているのである。
 昨今のように、性が乱れ、それに慎
(つつし)みのない状態は、昨今の学校での性教育がつくり出した鼓吹謳歌(くすおうか)が種々の性犯罪をつくり出している。痴漢や婦女暴行魔は性の錯誤と、相手の性器だけを目当てとした愚かしい兇行である。ゆえに現代人は、男女の正しい恋愛の在り方を知らず、また夫婦和合が如何なるものかも知らないのである。

 「五秘密曼荼羅」は、夫婦和合の道を開かせると共に、男女の正しい恋愛の在
(あ)り方を教えているのである。そこで「五秘密曼荼羅」では、どうしたらいい女、または男が手に入るかの秘伝を説き、それが密教房中術で言う「五大秘密中の大秘密」というベきものを、「秘法」として伝えているのである。
 したがって、男女の愛欲に関しては、真言立川流は男女の性を、鼓吹謳歌し、歪
(ひず)んだ性を植え付けているものでないと言うことが明白となる。
 つまり、「愛は清らかなものである」という『理趣経』の主旨をそのまま伝えているのである。



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