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理趣経的密教房中術・プロローグ
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夜の宗教・真言立川流
続・夜の宗教 真言立川流
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理趣経的密教房中術 12

節操の固い人は自分みずから、進んで幸福なども止めはしないが、それが却って、天からその心がほれこまれる。その結果、幸福の扉を開いてくれる。
 陰険な人は不幸から免れることばかりを企んでいるので、天はその心に付け込んで、容赦なく不幸を押し付けてくる。天の働きは、霊妙であり、人智の及ぶところでない。
 男女二根交会も、霊妙な天の働きである。


●性力増強の秘法

 性交・交会の真の喜びは、強い性力が生み出すものである。強い性力によって生み出された真の喜びは、その人間の肉体を作る上で全細胞を活性化させるのである。
 この喜びを味あわずして、この世に人間として生まれ、真に人生を経験したとは言えない。

 特に男根に宿る竜の化身である“守護神さま”は、竜として百宝を吐くとも言われている。したがって男根が女根に射精する時は、堂々として上方から惜しみなく大雨のごとき精液を降らすが、これは性器の健全性が備わっていなければ、大雨を降らす事は出来ない。大雨を降らすだけの体質と、その力が必要になって来る。
 したがって先ず健全な体質を養成していることで、次に力としての体力を養っておかねばならない。快楽並びに享楽に意地と継続する能力である。
 そこで養うべきは、精・気・神
(しん)の充実であり、この「三宝」が《命》と《性》の根源をなし、これは男女ともに養って行かねばならない。三宝充実は快楽への準備段階である。この準備段階が整って天地の精を享けて充実するのであるが、それは男のみならず女性にも必要な精気である。

 精気は性的に興奮したとき、絶頂感に到達した際に放出される分泌物への変化を齎すもので、セックスを意識したとき、女性の霊能は最高状態となって、これが意念に働き掛け、男に抱かれていると言う意念は、遂には「元気」へと変化する。この元気は宇宙の玄気に繋がるもので、一方で精神的な元気の元になる。
 この元気が有感化すれば、これが「陽気」に変換される。この陽気こそ、精気の根源であり、特に女性に持つ陽気は男に多大な恩恵を齎すものである。この恩恵を得た男は体力・体質ともに精力の源となり、これを根源として快感への体力とそれを長時間維持する体質を持ち得ることになる。
 このとき有形化さてた力は十に及ぼす偉大なものとなり、放出によって快感を感じる意念が大となる。

 この力を、「十力」という。
 「十力」とは、あらゆる悩みを打ち砕く法力の事である。この十力は誰でも天から授かり内蔵されて生まれて来ている。天より授かった物は己の精進によって、自己の能力を高めるように努力しなければならない。この努力を怠れば、恐妻家に成り下がる他なく、また負け犬のように尻尾を垂れた人生を歩いて行かなければならなくなるであろう。

 したがって「十力」を使い熟すだけの力を養わなければならない。この力を一度得れば、これまでの負け犬人生が、ウソのように消滅する。多くの人々は、運・不運を単に運勢から見て、これを区別しているようであるが、こうした区別は実に表皮的である。真の凶運を得老と思ったら障子によって体質を改善し、強靱な体質を得て、そこから自らに備わる“守護神さま”を礼念する秘法を学んで行かなければならないのである。

浮世草子より 願ひの糸口/喜多川歌磨

 これにより、総合的に負け犬人生であっても、よき方向に改善されていくのである。自分の守護神は、自分の躰の外にはない。生まれながらに人は誰でも“守護神さま”が内蔵されているのである。この“守護神さま”に心清く、心から「礼念」の念を顕わすことである。そうすれば、それより先は良き人生を歩むことになるのである。
 こうして真の喜びを体験し、そのうえ、人生が楽しめ、自身がつくのであるからこんな旨い話はないであろう。
 人間がセックスで絶頂感を味わい、その状態に浸っている時は、もともとその刹那には無防備になるもので、その隙を窺って相手の陽気を盗み取らねばならない。
 特に絶頂感に達してその悦に浸っている時に女性は無防備で、この無防備の刹那を窺い、陽気を盗み取るのである。
 エクスタシー状態は男女ともの無防備になり、しかし男はこの状態に至っても、隙を作らず、自らリードして相手をエクスタシー状態に導き出し、この精神状態を維持してこそ、相手から陽気を奪うことが出来るのである。
 これが出来ない男は、自分で絶頂感に舞い上がっても、自分の精液を消耗するだけで、回数を重ねれば重ねるほど健康を損なって行く。
 眼のしたに隈ができるなどの、肉体的病変はそれ自体で男の無能を物語ることになるので、この精神コントロールは、男自身が自らの株を上げるか、下げるかの別れ目と言えよう。

 そこで翻弄
(ほんろう)されたり、心を乱さない精神状態を養成するのは、陰陽の拮抗バランスを中間点におき、その位置を不動状態にしておかねばならない。交会の際に、乱されないと言うことである。自己意地であり、早々と忘我となってはならない。
 気を中心部に向かわせることが大事であり、そこへの集中において、木が集中されると、特に食養法で得られた食から吸収した精気は、自らの肉体と精神意地に安定を図るものであり、元気が性的に健全反応すれば、それ自体が陽気なのである。元気に変換される根源であり、この元気は下部の局所から下降し、女性の場合、特にこれに至れば奪われ易い隙が現れて来る。
 その状態に至らしめるためには、女性に対して男は手足の愛撫から、手をもって撫でる動きを背中の方へと廻して抱き寄せ、クライマックスへの状態を演出する。この演出こそ陽気を奪う最良の手段となる。



●性力の強弱は陰毛にあり

 宇宙の玄理である「空」を、陰陽の噛
(か)み合わせと観じた明王は「不動明王」である。この陰陽を顕わす特長に、不動明王の「牙」がしれを如実に顕わしている。

酉・不動明王の梵字 不動明王の牙の噛み合わせは、宇宙の陰陽を顕わしている。

 絶対なる宇宙のエネルギーの正体は、陰と陽の噛み合わせである。人間が天から受けた宇宙エネルギーたる性力の強化法も、当然の如く、陰陽の道に則っていなければならない。

 では、ここで言う陰陽と何か。
 押し出すものが陽であり、引っ込むものが陰である。また動くものが陽であり、静止するものが陰である。男根の如き押し動き、清水を出すものが陽であり、女陰の如く引っ込み、子宮の如く、精子を受け止めるものが陰である。
 これはちょうど種を宿す大地に喩
(たと)えられる。芽を出し、生長するものが陽であり、子宮のように芽の生長を助けるものが陰である。また、子宮は種を宿す大地の陰と同じであり、この陰の中に、やがて生まれ出る陽が隠れているのである。

 性力強化法は、陰の中に隠されている陽を目覚めさせることである。
 その為には、まず陰毛に注目しよう。陰毛は、恥毛とも言う。陰部に生える毛のことだ。この陰毛は、女体にあっても、毛の発毛は陽である。多毛の人は、昔から性病に罹からないと言われている。あるいは性病に罹っても、毛の薄い人に比べて比較的早く治ると言われている。これは毛にある陽性が強いからである。陽性だから、陰毛の事を「頭光
(とうこう)」という。

 一方、無毛症の女性がいる。一般にはパイパンなどいう。無毛症は、特に陰毛などの欠如または発育不完全な病症をいう。陰性が強いから、短命である。
 あるいは結婚すると、陰性が強いから、その強さをもって良人を直ぐに尻に敷き、やがて良人共々駄目になる人生を辿る女性が多い。また、陰性が強い為に恐妻になる。恐妻は、陰性が強い人がそれである。
 また、恐妻家はこうしたパイパン女性を結婚前に無毛症として娶
(めと)り、結婚後、この事実を知ったと言う場合に、男は恐妻家となる。更に、無毛症の女性を娶り、房中術に長けていなければ、良人の人生は生涯悲惨なものであろう。

 陰毛は程々がよいのであって、特に陰毛がパイパンや、陰毛の薄い女性は陰性が強いので、自分の良人を尻に敷き、自他共に駄目にしていく女性が多い。
 また、陰毛は人間の運勢が顕われるところであり、男女共々、若いのに陰毛の数本が灰色掛かっている人は、陰気臭い性格を持っており、将来に不吉を顕わしている。また、更に若いのに陰毛に白髪が混じっている場合は、大難が降り掛かる暗示がある。陰毛は、男女共々艶やかな人が良く、人間にはこうした普段では見えざる処に、その人の運勢が隠されている。

 密教房中術では、陰毛の見立てを次のように評する。性の強弱は、陰毛に有りとするのである。まず、陰毛は見るからに色艶が良く、ピカピカ光っているのが最上であるとされる。
 人間の陰毛が生える時期は、女性ならば12歳前後の小学校五、六年であろうが、この年齢から陰毛が生え始め、既に最良とされる女性はこの時期に、色艶やかにピカピカ光っている。
 また男ならば、13歳前後を境にして産毛のようなものが生え始め、15歳前後になると人目で分かるように黒々となって来る。
 この場合も、黒々とピカピカ光っている男は性力の強い人である。こうした男女は、陽が強く、陽の陽気が宿っているから非常に運が良く、生命力も旺盛である。毛深い男の場合は、特にこの兆候が顕われ、性力だけは保証付きで、また陰毛の薄い男に比べれば、情も深いと言える。人情家でもあるのだ。

 一方、男の癖に、髯もよく生えず、ツルンとしている女顔のような男は、情が薄く、移り気で、次から次へと女性間を飛び回って落ち着きがなく、また性力も強くないので、粘りがなく、性交にしても、烏の行水のような味気ないことしか出来ない。
 特に男の場合、尻に毛が生えてない男が居るが、こうした男は自己私観が強く、自分の考え方に世間の常識を導こうとしたり、協調性が欠乏しているので、人間関係でトラブルを起こしたり、過ぎたことをいつまでも根に持つので、人情家の女性には手を余す存在であろう。

 陰毛は、単にあるべき処にあるという形式的なものでなく、人生そのものに深く関わっているので、ここには生命の長短が顕われ、重大な要素を秘めているのである。まさに、性力の強弱は陰毛に有りと言えるのである。
 陰が強いと言うのは男女の性別に関係なく、陰圧が強過ぎると言う事であり、その正体は「陰気」である。陰圧の強い男女は既に陰気を体内に循環させており、運命的に幸せになれない人が多い。
 また、陰圧の強過ぎる同士が結婚をすれば、運勢が良くない為に、「大凶時
(おおまか‐どき)」などの性交に及び、世の中に不具者を送り出す危険も大なのである。
 世の中に、先天的な、生まれた時から不具になって生まれて来る者がいる。
 また、徐々に悪の正体を顕わし、犯罪者となって人に災いを齎して生きる人間がいる。多くの不具者や犯罪者は、父母となる両親が、大凶時に交わり、その禁忌を犯して、災いの子を世に送り出したのである。こうした「災い」の因子は、陰圧の強さにあり、また陰性の災いから派生するものである。
 そして、大凶時だけは、心して性交を固く慎むべき時機
(とき)なのである。



●大凶時の禁

 黄昏
(たそがれ)が迫り、それが影を落として水のように窓や庭先から流れ込んでくる昏(くら)い時刻を「大凶時(おおまか‐どき)」という。
 別名「逢魔ヶ時
(おおま‐が‐どき)」と称するこの時刻は、外界が太陽の光に屈折されて、混々沌々、朦々朧々としてくる時刻で、トラブルが生じやすい時刻なのだ。凶事を派生させる最悪の時機(とき)なのだ。
 人間が最も魔に魅入られ易い時間帯である。魔に隙を作る時間帯でもある。

 大凶時は、密教では「大禍時
(おおま‐か‐どき)」という字が遣われ、禍(わざわい)の起る時刻の意味である。 夕方の薄暗い時を「たそがれ」「おまんがとき」「おうまどき」などの言葉で呼ぶ。
 人間の一番の災いを齎す時機なのである。弛んだ隙に魔が忍び込み、肉体が奪われる時間帯で、この刹那を突かれると精神まで奪われ、精気は乱され、気が陰気となって、神
(しん)まで破壊されることがある。
 こうなると交会自体が浪費で終わり、単に排出行為だけとなる。またこの排出行為は異常なる性腺刺戟を齎す元凶である。

 大凶時の禁は、食養法や食餌法の誤りにその側面がある。
 食養は肉体を養う食の根源であり、また食餌は、一般に言う単なる食事でなく、罹患臓器を庇護しながら全身栄養を全うする法である。
 現代人の多くは、現代栄養学の動タンパク推奨に翻弄
(ほんろう)されているため、“肉と野菜のバランス”などという食餌法とは程遠い食生活をしている。大半の人が動タンパク信仰を信心しているため、その肉体状態は獣人(けだも‐の‐びと)的である。決して霊人(たまびと)的でない。
 食餌法を誤り、獣人的になると、魔に魅入られ、侵入の隙を作る。その顕著な兆候が多忙疲れである。
 街を行き交う現代人の多くは、どの人もみな多忙で疲れ、顔の表情には覇気がなく、疲れを化粧やサプリメントなどの健康補助材で表皮的には美味く繕っているが、生気の面からすれば失われているように映る。こうした状態で、半健康状態で性生活を営んでいるから、交会的な体質は減少の一途にあると言えよう。
 その元凶は飲食の誤りにあると言ってもよい。

 そもそも飲食は男女の性の営みとともに、人間の大切な生活の糧である。しかし、その糧の根源に誤りがあるとすれば、健康を自称する半健康・半病気状態では性生活にも狂いが出てくるのは必然で、その狂いは時として大凶時の禁を犯し易くなる。
 この禁を冒して、至る快感だって健全なものでなく、不健全であるからこそ、身体ばかりに疲労が蓄積される結果を招く。
 性生活の増大は一方で不幸現象を招く危険を伴うもので、禁を破ると性生活障害が起こる。その顕著な現象として、日本人も欧米人並みに離婚率を増大していることである。
 性や交会を異性の性器目当てで、興味本位に捉え、一方で自称“増強”という間違った思考によってビタミンやアリナミンの類を常用して、自分では命を繋いでいるつもりだが、実が心身ともに減退方向へと拍車を掛けている。食べる物も、考え方に誤りがあり、動タンパク信仰に奔り過ぎると、時間帯まで誤ってしまうのである。
 それは大凶時に陥る愚である。

 荒寥
(こうりょう)と焦躁(そうしょう)と、魔が差す黄昏時(たそだれ‐どき)の昏々(こんこん)たる時刻は、絶対に避けなければならないのである。
 これでは精気が吸い取られ、寿命を縮めることになるからである。
 不具者という不幸を背負う生命はこの時に作られるからだ。この時刻は、心がハッキリせず、曖昧
(あいまい)で、道理が分からなくなる時刻である。無意識に、潜在意識に刻まれ、人間の心を根底から覆し、常識を失わせる時刻なのである。夕闇迫るこの時刻、人間は「魔の縁」にいると言うことに気付かなければならない。
 また、大凶時に併せて、性交厄日である禁忌の日を知らなければならない。特に、これが大凶時に掛かり、禁忌の日に性交に及べば、それは大きな災いを齎すからである。

画図玉藻譚

 この思想は、わが国では平安時代末期頃に中国の『医心方』
(「房内編」と称され、984年に勅命により、鍼博士波康頼が古代中国の漢書から抜粋して編述した書物)が編纂されて以来の頃であり、この日を庚申(かのえさる)の性交厄日としたのである。すなわち三月一日、および五月十六日の旧暦の庚申の日を厄日としたのである。
 この説は、古代中国の易学より端を発し、陰陽五行説から来たもので、それは丁度、十二支の庚申の日が、旧暦で三月一日、五月十六日に当たる為に、年に二回の性交禁忌
(きんき)の日としたのであった。

 現代性医学では、迷信であると一蹴
(いっしゅう)している。しかし、果たしてそうだろうか。

 五行説に遵
(したが)えば、庚申の日は金水となる為、腎水【註】この語は、井原西鶴の作で好色一代男などにも登場し、精液の事を指す。主人公世之介一代の色欲生活に関する短い説話を連ね、大坂・江戸・京都などの女色・男色の種々相を活写した作品)である「精液」は、精子を失う為に妊娠しないと言う。しかし、もしこれで子供が生まれた場合は、その子供は盗人等の犯罪者になり、世に災いを齎すと言うのである。

 もともと人間が災いの種を蒔く生き物であることは、人類の歴史の太古の時代から言われて来た事である。そして江戸時代においても、庚申の日は性交禁忌の日として厳しく守られていた。江戸時代において、人間のモラルは頂点に達していた。つまり、犯罪が今日と比べて、較べものにならないくらい非常に少なかったのである。
 これはやはり「禁忌」の影響であろうし、合理的を第一主義とする今日の性医学とは逆行するものである。

 犯罪骨相学で著明な、十九世紀のイタリアの精神科医・ロンブローゾは、犯罪者の骨相から、彼等が生まれながらに犯罪者であることを発見したのである。また、それは「血」がそうさせるのであるという得意な学説も打ち立てている。犯罪者は、犯罪者たる因子を、生まれながらに保菌していると言うのである。
 だから、厄日は守るべき日であるとも言える。

 守るべきことが、ちゃんと守られているうちはいいが、これが「科学」という言葉の迷信で曇らされると、世の中は一瞬にして秩序を失うのである。今日の混沌
(こんとん)とし、不穏な世の中をつくり出してしまったのは、科学万能主義という、「現代の迷信」ではなかったか。
 何故ならば、「科学」という現代の迷信は、一種の仮説によって成り立っているからだ。学説は、時共に覆され、前の学説は誤りであるとされて、新しい新説が次の時代の仮説を担うからである。

ラマルクean Baptiste de Monet, chevalier de Lamarck/フランスの博物学者。「無脊椎動物の体系」「動物哲学」で進化論の先駆をなす。1744〜1829) ダ−ウィンCharles Robert Darwin/イギリスの生物学者。進化論を首唱し、生物学・社会科学および一般思想界にも画期的な影響を与えた。1809〜1882)

 かつて進化論は、ラマルク説が主導権を握っていた。ラマルクの進化説は、生物は単純から複雑へ発達する傾向をもつと説き、また、外界の影響による変異や用・不用による器官の発達・退化などの変化
(獲得形質)が遺伝することも進化の重要な要因であるとするという用不用説を掲げていた。
 ところが、ダーウィンがラマルク進化論を覆
(くつがえ)す。そしてダーウィン進化論は、その著書『種の起源』とともに、現代人に広く信じられ、特に日本人はダーウィン進化論を信じて疑わず、これらが公然と義務教育で教えられている。
 もし、ダーウィンが今日の現実を知ったら、ダーウィン自身驚くであろう。そして、ダーウィン進化論は、やがてダーウィニズム
(Darwinism)にまで発展し、生物進化の要因に関するダーウィンの説、特に自然淘汰(選択)説である。生物進化の観念そのものを指す、社会思想へと発展した。

 もともと進化論
(evolution theory )は、生物のそれぞれの種は、神によって個々に創造されたものでなく、極めて簡単な原始生物から進化してきたものであるという説からなる、一種の仮説である。
 1859年、ダーウィンが体系づけたことによって、広く社会の注目をひき、以後、文化一般に多大の影響を与えることになる。また一般的には、進化に関する諸種の議論や研究対象となった。狭くは進化の原因についての議論であり、これが社会ダーウィニズム
(social Darwinism)へと発展する。

 ダーウィンの進化学説、特に生物界における生存競争や適者生存の原理を人間社会に適用し、社会には闘争と優勝劣敗の原理が支配すると主張する思想であり、これは近代資本主義を大いに発展させることになる。
 この提唱者として、ヘッケル
Ernst Heinrich Hackel/ドイツの動物学者で思想家。ダーウィンの進化論に基づいて、個体発生は種の系統発生の短縮されたものであるという反復説を提出し、生物発生に関し唯物論的一元論の哲学を説いた。1834〜1919)や加藤弘之(哲学者で教育家。東大総長・帝国学士院長・国語調査委員会長など歴任。初め天賦人権・自由平等を説き、のち社会進化論を唱えて平等説に反対する。著書に「真政大意」「国体新論」「人権新説」などある。1836〜191)が挙げられるが、適者生存によって利他主義的倫理も発展するとしたH.スペンサーHerbert Spencer/イギリスの哲学者で社会学者。あらゆる事象を単純なものから複雑なものへの進化・発展として捉え、生物・心理・社会・道徳の諸現象を統一的に解明しようとした。その哲学思想は明治前半期の日本に大きな影響を与えた。1820〜1903)を含めることがある。
 そして、近代資本主義は、この社会ダーウィニズムのメカニズムによって高度な金融経済の様相を呈した。しかし、これは良いか、兇
(わる)いかは此処では論じない。

 さて、こうした「科学」という言葉に惑わされる現代は、更に大きな不幸現象が増幅されることであろう。
 現代科学は、陰陽五行説を非科学的と一蹴する。科学で無い事、あるいは科学する動機の無いものには、総じて非科学のレッテルを貼り、合理主義でこれを拒む。また、人間の性生活においても、縁起や吉凶は一切なしと決めつける。
 しかし、縁起も吉凶もないところから、同じように性交をし、どうして不具者が生まれたり、犯罪者が生まれると言う現実に対し、何一つ説明がなされていない。ただ、異口同音にして、迷妄であり、迷信であると決めつけている。こうした傲慢な考えこそ、人間の命の尊厳を軽視した、愚かしい考え方ではなかろうか。

 現に、科学万能主義の粋
(すい)を集めた現代医学を信奉する医者の子供でも、親殺し、兄弟殺しの犯罪者は生まれて来るではないか。こうした元凶は、大凶時を総て迷信と片付けてしまった科学万能主義に問題があるのではないか。



●陰毛による呼吸法の修法

 真言密教には「護摩法(ごまほう)」という修法がある。
 この修法は、不動明王と愛染明王を本尊として、炉のある護摩壇を巡り、炉の中で火を燃やし、次の目的に応じて護摩法が行われる。

息災
(そくさい)
災いを取り除くことを目的とする。
 密教では、さまざまな災害や苦難を除き、煩悩や罪業を消滅させるために行う修法で、四種法の一つである。
増益
(そうやく)
福を招くことを目的とする。
 密教では、福徳・繁栄など現在の状態を積極的に増進させる修法で、これは四種法の一つである。
延命
(えんめい)
長生を目的とする。
 密教では、普賢
(ふげん)延命菩薩を本尊とし、寿命を延ばし、智慧敬愛を得ることを祈願する法である。
 また、“金剛さった”を本尊とする延命法である。
調伏
(ちょうぶく)
敵を降伏させることを目的とする。
 密教の四種法の一つで、五大明王などを本尊として、法を修し、怨敵
(おんてき)・魔障を降伏(ごうぶく)することで、調伏法という。
敬愛
(けいあい)
男女二人を和合させることを目的とする。
 そこには互いに敬い、親しみ合う心を持ち、密教では和合・親睦・愛顧を祈る修法であり、これは四種法の一つとされる。
鉤召
(こうしょう)
守護神を召集する場合に行う。
 密教では護摩壇を設け、護摩木を焚たいて息災・増益・降伏・敬愛などを本尊に祈ることをいう。
 また古くからインドで行われていた祭祀法を採り入れたもので、智慧の火で煩悩の薪を焚くことを象徴するという。

 護摩法は各々の目的に応じて行われ、この中でも「調伏」に用いる炉の形は三角形である。三角形とは、陰毛の密生した形を顕わすものである。底辺を下に据えた三角形は、男毛の生え姿である。この三角形の形の顕わすところは、最も強い陽の籠
(こも)るところと言う意味を顕わしている。

 調伏または降伏の法は、手強い相手を咒殺
(じゅさつ)する呪い殺す恐ろしい修法であるから、強烈なエネルギーが必要であり、そこで男の陰毛形を模した三角形の炉を遣い、火炉で災いを燃やし、一段と陽のパワーアップを図るのである。

護摩行の火。護摩・祈祷の法は、火を以て仏と交信し、願望を成就させる行法である。護摩・祈祷は薄暗く、更には香の煙に包まれた寺院の中で密教僧達によって行われる。
 辺りに読経が響き、それは和音となって辺を包んだ頃、中央に設けられた護摩壇に護摩木が焼
(く)べられ、次々に護摩木が焚(た)かれ、何事かを一心に祈願して行われる。
 やがて、焔
(ほのお)の中に、祈願・成就を願う密教の行事こそ、護摩行の修法なのである。

 護摩法にはこうした、種々の目的の応じて護摩法が行われるが、吾が身の性力アップを願う男女は、護摩法の修法に習い、常に自己の頭光
(とうこう)たる陰毛を撫(な)で続けることである。
 人間の毛と言うのは、「撫でる」ことによって頭光を増し、艶
(つや)が良くなる。しかし、余り強く撫で続けると、毛が抜けるのでこうした事も、「ほどほど」がよいのである。

 撫で方は、まず撫でる前に慎んで「合掌」を行う。次に合掌した手を擦
(こす)りあわせる。右の手を「陽」とし、左の手を「陰」とする。
 この場合、左右のれの陰陽が入れ代わるので注意を要する。
 本来、左手は「火」の「ひ」であり、陽を顕わす。また右手は「水」の「み」であるから、陰を顕わすものであるが、これは「静」の場合であり、「動」に転じれば、これが入れ代わり、右手が陽、左手が陰になることに注意しなければならない。
 右手の陽と、左手の陰をプラスさせ、擦り合わせる事により「生物電流」を起こす為である。生物電流が起って来れば、掌には熱が生ずる。こうして摩擦熱を起こしておいて、揃えた指先で、性器の左右を抑え、陰毛の部分を掌で暖めるのである。

 この時の呪文は、

オン・ナバニ・モニテイ・カカカ・ウン・ジャク

 である。

 これは性力の仏名「力波羅蜜菩薩
(りき‐はらみつ‐ぼさつ)」の真言である。
 略式は「じゃん」といい、力波羅蜜の種字を念唱する。その上で三角形の頂点
(臍下)から性器にかけて静かに撫で下ろしながら丹田呼吸を行う。撫で下ろすに従い、集中力が高まっていくのである。
 丹田呼吸は、逆腹式呼吸であり、腹式呼吸では息を吸い込んだ時に腹が膨らみ、息を吐いた時に腹がへこむが、逆腹式呼吸はこれと反対になり、この逆腹式によって掌で擦りあわせた生物電流と、逆腹式で得られた生物電流とは合流し、陽圧を増幅させるのである。

菊川英山「江戸之紫」第五図

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 これを行う際の姿勢は、坐っても、立っても良いが、理想的なのは仰臥
(ぎょうが)している方が良く、これはそのことに集中し易い為である。
 下腹部を撫でながら、行うこの逆腹式呼吸は、撫で上げる時に息を吸い込んで腹をへこませ、充分に吸い込んだ精気を臍下に溜め込んでから、ゆっくりと撫で下ろしながら、息を吐いていき、腹を膨らませていくのである。これは腹式呼吸と動作が逆になっているので、最初のうちは難しく感じるが、毎日繰り替えして行くうちに徐々になれ、楽に行えるようになる。

 逆腹式呼吸に合わせながら、取り込んだ精気を陰毛の部分にまで伝えていくのである。
 陰毛は男にあっては、下腹部から睾丸、睾丸から会陰部
(えいん‐ぶ)へと伝え、これにより会陰部まで陽気が行き渡っていると観(かん)じるのである。
 この修法を行うと、毛の薄い、またカワケラやパイパンと称される女性でも、これを毎日行えば、その効果は徐々に出て来るものである。密教房中術の逆腹式呼吸は、「乾坤阿吽
(けんこん‐あうん)の法」と言い、非常に重要視される呼吸法である。


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