運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
理趣経的密教房中術・プロローグ
理趣経的密教房中術 1
理趣経的密教房中術 2
理趣経的密教房中術 3
理趣経的密教房中術 4
理趣経的密教房中術 5
理趣経的密教房中術 6
理趣経的密教房中術 7
理趣経的密教房中術 8
理趣経的密教房中術 9
理趣経的密教房中術 10
理趣経的密教房中術 11
理趣経的密教房中術 12
理趣経的密教房中術 13
理趣経的密教房中術 14
理趣経的密教房中術 15
理趣経的密教房中術 16
理趣経的密教房中術 17
理趣経的密教房中術 18
理趣経的密教房中術 19
理趣経的密教房中術 20
夜の宗教・真言立川流
続・夜の宗教 真言立川流
home > 房中術 > 理趣経的密教房中術 9
理趣経的密教房中術 9

桃や李(すもも)は艶やかな花をつける。しかし、竹の常緑の見事さには適(かな)わない。艶やかで、きらびやかな短命なるものは、地味で長持ちするものには、結局およばないのである。早熟は、晩成には及ばないのである。



●ヌレヌレ・ビチョビチョの大変有り難い秘法・第一秘法

 密教は生者必滅、会者定離と宇宙的常識を説いている。これは地球人を「宇宙人化」することで「救い」の根源においているのである。
 人間は、地球現象によって喜怒哀楽が起り、それに縛
(しば)られることで苦しみ、悩むものである。幸福とか、不幸とかも、一緒の現象人間界の地球現象の一部に過ぎない。だから、この現象から一時も早く離れよと教えるのである。

喜多川歌磨呂画/歌枕

 仏教では「空」を理解することで、これを「悟り」とし、陰陽のバランスを保つことが、「道」だと教えたのである。これこそが人間救済の玄理
(げんり)であり、「悟り」と「道」の二つに大きな価値観があるとしたのである。
 人間界での陰陽は女と男であり、その根源は女根と男根である。密教房中術が男女の交会
(こうえ)を説くのは、宇宙哲学の顕(あら)われであり、そこには女根礼念などの修法があるのである。

 ヌレヌレ・ビチョビチョを齎
(もたら)すのは女体五大接吻(五大は、地・水・火・風・空の五つを言うが、人体で言うならば陰陽五行で言う女人の体躯である額・唇・乳房および臍・女根・内股を指す)により、即身成仏の為の「床固観文(とこがためかんもん)」なのである。
 そして、忘れてはならないものは、「接吻」の本当の意味である。男女間における接吻は、単なる口付けを言うのではない。それ以上の意味を持つ。これは男女の陰陽の気の交換なのである。

人体を顕わす五輪塔

 人間は、火傷
(やけど)をしたり、ちょっとした切り傷を起こすと、直ぐにその箇所を嘗(な)める。動物達の仕種(しぐさ)を見ると、良く嘗(な)めている。傷を癒(なお)す為に嘗めるのである。嘗め続けて治してしまうのである。
 口の中に傷は、薬を塗ったり、包帯をしたり絆創膏
(ばんそうこう)を貼ったりは出来ないが、しかしそれでも直ぐに治る。唾液には殺菌効果があるからだ。

 唾液は液腺から口腔内に分泌される消化液である。無色・無味・無臭でやや粘い液体である。人間では、アミラーゼやマルターゼなどの酵素を含み、澱粉を一部消化し、また食物をのみ下しやすくする液体である。
 中国古来の体養法には、唾液を飲みながら行う行法がある。口の中の唾液は、内臓の働きを強化する酵素が含まれている。唾液は大自然が人間を含む動物に与えた薬なのである。昆虫などでは、造巣その他、種々の目的にも使われる。

 人間の唾液は、怪我をした瞬間から、殺菌力が旺盛になるのである。この事は、先の大戦時の兵士によって証明されている。
 大戦末期、最前線に赴任した日本軍の兵士の集団があった。後方の補給部隊から孤立し、後方支援を受けられないまま、重病人を出した部隊だった。この部隊の指揮官は、Yという伍長で、Y伍長は本来の指揮官のK中尉が戦死したので、これに代わり指揮権を代行していた。

 しかし八路軍
(はちろぐん)に包囲され、総攻撃に打って出られれば、全滅を免れないという有様であった。この部隊の生き残りの兵士は、下士官がY伍長唯一人であり、その他に兵隊十二名が最前線の激戦地の取り残されていた。八路軍に包囲したと知った時、全員は死を覚悟した。しかし全員戦って死ぬのはいいが、部隊員のうち半数が負傷した兵士で、戦うにも戦えない状態で、二進(にっち)も三進(さっち)も行かない状態であった。

 Y伍長は兵士全員に、車座を作ることを命じた。
 敵の包囲網から逃げる事も出来ず、そうかと言って半数の負傷兵を抱える有様では、十分に戦う事ができなかったからである。Y伍長は、軍隊に召集される前は、ある田舎の小さな寺の住職だった。Y伍長は部隊員全員に『般若心経
はんにゃしんぎょう/唐の玄奘(げんじよう)訳に2文字を付加した262字から成る経典)』を唱えることを提案した。半数が負傷兵であり、全員玉砕(ぎょくさい)するにしても、最後の戦いを展開するには、あまりにも惨じめであったからだ。

 全員は車座を作った。負傷兵でも坐れる者は坐らせ、総員十三名は一心に「般若心経」と唱えはじめたのである。唱えはじめて暫
(しばら)くすると、包囲した八路軍の部隊は、いつの間にか消えていたのである。そして、難局を一先ず乗り切ったのである。
 これは「般若心経」の法力が効いたわけではなかった。

 この場合、八路軍の指揮官の賢明さを挙げる事が出来るであろう。
 彼等は日中戦争を通じて、死を覚悟した日本兵がどのような反撃に出るか、その猛攻を充分に熟知し、計算していた。死を覚悟し、生死を超越して、戦う人間が如何に恐ろしいか、八路軍の指揮官が充分に承知していたのである。
 Y伍長の提案により、「般若心経」を唱えた行為は死を覚悟し、生死を超越した集団と、八路軍の指揮官は踏んだのである。八路軍の指揮官は、正面衝突を避け、迂回策をとったのだった。そしてこの指揮官は、実に賢明だったと言えるであろう。

 しかし、敵が去ったからと言って、これで安心出来るわけではなかった。此処には負傷兵を含む部隊員が残されていたのである。最前線の為に後方支援からの弾薬や食糧等の物資は届かず、また、手当てに用いる薬とてなかった。
 そこで衛生兵の一人が、負傷した兵士に同情して、周囲の兵隊から飯盒
(はんごう)の蓋(ふた)に唾液を集めて廻ったのである。そしてその唾液を負傷兵の傷口に塗りはじめたのだった。

 この時、平時の人間の出す唾液よりも、戦時であり、また急を要する場合でもあったので、普通よりも遥かに唾液の殺菌力が増していたのである。そして、この最前線に取り残された部隊は数日後、救援部隊の接収で全員無事に再構成の現隊に復帰したと言う。
 非常時には、唾液の殺菌効果は倍増するのである。つまり、唾液には慈悲によって、細菌を撃退する効果が備わっているのである。この場合の唾液は、負傷兵への同情による慈悲の効果が、殺菌力を倍増させたと見るべきであろう。

 一方、マムシの毒は、マムシが怒った時だけに発するものであると言う。同じ唾液でも、怒れば、毒性を増すのである。
 また、人間においても、10分間怒った人間の唾液を実験用のネズミに注射したら、そのネズミはほんの数分間で死ぬと言う実験データも出ている。

 犬でも猫でも、馬でも牛でも、自分の産んだ仔
(こ)を嘗め続けて育て上げて行く。
 人間でも、成人した男女は婚姻関係にあれば、五大接吻を出来るだけ繰り替えした方が良いのである。愛するとは、ある意味で「嘗め合う」ことなのだ。「嘗めるように可愛がる」ことこそ、密教で言う愛であり、慈悲であるのだ。
 互いに嘗め合い、躰
(からだ)を触って、触れ合えば触れ合うほど、男女の愛情は強くなって行くものなのである。

 人間の肉体のうちで、自分の愛する者に愛情表現できる巧みな箇所は「舌」と「手」である。
 舌の次に「殺菌効果」をもち、「故障箇所を治す働き」のあるのは手である。育て、生長させる力に富んだ箇所を、人間は生まれながらに本能的に知っているのである。
 「愛の力」が加わった時、瞬時に唾液に匹敵する殺菌効果を持っているのは、人間の手であり、特に掌は、生命力が吹き出す源であり、そこには「労宮
(ろうきゅう)」という経穴(ツボ)がある。
 人間の舌と手は身体の中で、最もよく動く箇所であり、然
(しか)もその動き方は、五体の何処よりも巧である。巧妙に、奇妙に、酔わせるように動く。その動きに酔わされたものは、ひと時の憂さを、この動きに併せて忘れることが出来る。人間が慰安などを求める減点は、此処にあると言えよう。

 人間は舌と手から生命力が吹き出しているのである。生命力の吹き出している処
(ところ)は、非常によく動くのである。
 宇宙の第一原則は、「動く」ということから、「よく動く」ところに引き寄せられて行くものである。人間の身体の中で、内臓等の諸器官は別として、年中動いているのは、舌と手である。黙っていても、じっと坐っていても、舌はじっとしていない。また手も、足だけでは歩けない。手を振らないと歩けない。じっと坐っていても、立っていても、何かしら手は動いている。
 つまり、最も生命力が吹き出ている処は、動き回るのである。したがって舌も手も、動かせば動かすほど燃え上がって生命力を発揮し、その力は徐々に強くなるのである。
 だから密教では、「仏」とは、自分自身の心から出るものと改めて自覚し、動かす前には精神統一を図れと戒めているのである。冗談半分にするな。一心不乱に行えと言うのである。

 女根大礼念をする場合は「心仏衆生無差別」の観文
(かんもん)の意味を充分に理解しなければならないのである。この観文の根本には「慈悲」があり、五大接吻が終え、額(ひたい)への接吻の終えた男性修法者は、改めて股間の身を屈め、若草をかき分け、巨根を恭(うやうや)しく礼拝しなければならないのである。

 次に塔印
(とういん)を結び、「おん・あびらうんけん」と、念唱をするのである。これは女根の陰裂の上に邪気が潜り込まないように祓(はら)いを行うのである。
 この修法の目的は、陰と陽の精気を強化する為である。
 邪気祓いを行ったら、右手で左手の塔印
(とういん)を握りしめて、大日如来の智拳印(ちけんいん)を結ぶ。

 次に両掌を女根に当て、左右に若草をかき分ける。恭しく、慎んで行わなければならない。ふざけたり、笑いを洩
(も)らしながら行ってはならない。これは男性がイザ突入と言う時に、陰毛で毛切れしない為の用心でもあるが、仏道から見れば、「時春菩薩(じしゅんぼさつ)」の印を結んだ事になるからだ。
 女体の本来の姿は、正中線より左右に開く構造にある。男は本来、二個の睾丸を持ち、男根一本に全力を集中するのに対し、女根は開く事により、女体を二分して、最後は「一
(いつ)」なるものに同化しようとする働きがあるのだ。
 「一」なるものとは、真実の実体に回帰する事で、本来、異なるものが同じくなることであり、他を感化して自分と同じようにすることを指すのである。男女は「一」なるものに同化して「真の姿」を顕わすとしているのである。これにより契が出来、男女の一体で人としての完成形を見る。
 したがって、男女が別々に居る時は、「仮の姿」なのである。

 女根の「割れ目」や「穴」が、「一」なるものに回帰する時、男女二体は「一」であると観
(み)るのである。そして、その奥には神仏の実体である「一」なるものが存在するのである。これを穢わらしいと軽視してはなるまい。



●ヌレヌレ・ビチョビチョの大変有り難い秘法・第二秘法

 「時春菩薩印
(じしゅんぼさついん)」で、恭(うやうや)しく、慎んで若草をかき分けた後、ここで始めて生身赤色(しょうじんせきしき)愛染明王尊に拝謁(はいえつ)する事になる。
 男性修法者は、この“明王さま”に軽く熱い息を吹き掛け、女根の「陰」に、男性の「陽」の精気を吹き掛けるのである。こうして「陰」に「陽」の精気を吹き掛ける事により、精気は交わり、陰陽の拮抗
(きっこう)を保つ事が出来るのである。

 同時のこの礼念は、更に拮抗を保ちながら、男性側の口の舌で、まず、掻
(か)き回し、男の唾液と女陰内の女液を混ぜ合わせる事にある。そして、混ぜ合わせた後、それをぐっと飲むのである。
 この修法は、女根を「阿字」とし、これこそが男が行う阿字観
(あじかん)なのである。
 女根を見立てて阿字観を行うのは、女根があらゆる生命の基礎をなしていると言う思想からである。

 女根はあらゆる生命の基である。その生命の基を見て、湧き上がった唾液を「悟りの水」と理解し、永遠の宇宙の大生命を瞑想するのである。この瞑想によって、私たち人間こそ、宇宙生命の所有者なのだと自覚するのである。
 肉欲的感情で、性愛を説くのも、禁欲的道徳を呼ぶのも、それなりの意味を持っている。
 しかし「性」とは、もっと高次元の宇宙現象なのである。ゆえに人間は性に対し、もっと熱烈に興奮し、限り無く陶酔する宿命を背負わされていると自覚するべきであろう。



●陰核を嘗める修法

百鬼夜行

 女根の阿字観を行った後、次はいよいよ舌技に入る。まずじっくりと秘仏「陰核
クリトリス/性の尿道出口の前方にある小突起で、男性の陰茎に相当するが、きわめて小さく、尿道につらぬかれていない。性的興奮により充血し勃起する)さま」を恭(うやうや)しく礼拝しなければならない。
 “陰核さま”は「宝珠
(ほうじゅ)」と呼ばれる有り難い仏さまである。
 この宝珠は、仏身の抽象化を象徴したものである。これに対し、男性修法者は舌を当て、嘗め、吸うのである。
 これは「珠
(たま)」の如き仏身と、入我我入にゅうが‐がにゅう/密教で、如来の身口意(しんくい)の三密(さんみつ)が我に入り、我の身口意の三業(さんごう)が如来に入り、一切諸仏の功徳をわが身に具足すること)し、一体となる修法なのである。

 また、真言立川流ではこれを「竜女献珠
(けんじゅ)法」と呼び、口伝秘訣(くでんひけつ)とされている。
 竜女とは、竜神の「娘」という意味を持ち、男根を父と慕う女根玉門
(ぎょくもん)を顕わす名称である。
 献珠とは、宝珠たる陰核を硬直させ、勃起させると言う意味である。女性が男性修法者に対し、宝珠を膨らまし、固くする時、女性は快感法悦によって魂が浄
(きよ)められ、一切の悪業(あくごう)までもを浄められるのである。悪業は消滅し、心身ともに晴れ晴れとして、女根の形は自(おの)ずから三昧耶印(さんまやいん)を結ぶとされているのである。

 女性が三昧耶印を結んだ後、男性修法者は開いた花弁に対し、舌を当て、仏身内部へと一着させ、入我我入の完全化を目指して、熱心に、舌技に専念しなければならない。



●男根は握る修法

 男根の陽気と、女根の陰気が必ず調和するとは限らない。こうした場合は、陰陽のバランスが崩れる時がある。
 特に、男根の陽気が強過ぎる場合、蓮華のごとき美しい女根も、ぐしゃぐしゃに形が崩れ、無惨にも水涸
(みずが)れしてしまうのである。こうした時、女性には頭痛が発生する。また、男性修法者も、思わずドバッと早とちりしてしまう。「しまった」と嘆きの声を発しなければならなくなるであろう。

 逆に、陰が強ければ、女性が波を打たせる腰の頂点である女根により、ほとばしる陰火に男性修法者の舌は焼かれ、唇や口腔の皮が破れるとされている。このような珍事を起こさない為にも、男性修法者は自分の男根をしっかりと握り、「破魔
(はま)の印」をせねばならない。
 「破魔の印」は、修法を妨げる魔類
(まるい)や外邪(がいじゃ)を打ち破る為のものであり、これは「尊勝呪法(そんしょうじゅほう)」と呼ばれるものである。
 交会や、交会を行うにあたり、その周囲には多くの魔類や外邪等の低級霊がよせ集まるものである。こうした類は眼に見えないので、多くは無視されるが、それはとんでもない誤りである。

 先ず第一に、男女の性交する周囲には、多くの魔類や外邪が集まる。それは「中有
(ちゅうう)」という現象を考えても明らかである。中有は自分の父母となるべき男女を探し求めて、空中を彷徨う尋香(じんこう)である。尋香とは、香を尋ねて彷徨う、めにみえない4〜5歳の子供の霊体であるといわれている。一般に言う座敷童ざしきわらし/東北地方の旧家に住むと信じられている家神のことで、小児の形をして顔が赤く、髪を垂れているという。枕返しなどのいたずらもするが、居なくなるとその家が衰えるという、一種の子宝的な存在)などの霊体に非常によく似ている。

 男女が性交を行う際は、こうした中有に加えて、多くの魔類や外邪が寄せ集まって来る。それは、怖い怪談話等をすると、周囲の低級な邪霊が寄せ集まって来るのに非常によく似た現象である。
 性交の場合も、人間の肉眼には観察することができない、こうした魔類や外邪が集まり、更には自分の父母となるべき親を探し求めて中有が、直ぐ傍
(そば)にやって来る。男女が性交を始め、男が射精の瞬間に精を放ったその刹那(せつな)に、中有はその一億分の一くらいの精虫の一匹に成り済ますし、女の躰に放たれるのである。
 しかし、問題は此処にある。
 男の放たれた一匹の精虫に成り済ますのは、何も人間に再生しようとする中有だけではない。その一匹の精虫に成り済ますのは、中有の他に、魔類や外邪もそれに成り済まそうとするのだ。

 読者諸氏は、魚類が受精する瞬間等を、映像でご覧になったことがあるだろうか。
 魚類が受精し、自分の子孫を残そうとするのは、何も仲睦まじい一対のオスとメスだけではない。その傍には、別のオスもやって来て、一対のオスが射精する瞬間、別のオスもその横で射精し、ペアーになれなかったメスの横で、逸
(はぐ)れてしまったオスも同時に射精するのである。

 魔類や外邪も、あわとくばと狙いを定め、中有が精虫の一匹に成り済ます瞬間、自分のもその精虫の一匹になろうとするのである。こうして生まれて来る子供は、本来の人間の心とは別の、「災いの種」を巻く存在として生まれて来るのである。
 その証拠は、昨今の凶悪事件等で、残忍な青少年が多く居る事で明白となろう。こうした犯罪者を、交会の智慧
(ちえ)のない男女は犯しているのである。
 この最たるものが、「大凶時
(おおまかどき)」であろう。
 これは不倫や浮気に限らず、歴とした夫婦であっても、交会の智慧がなければ、犯罪の保菌者は幾らでも生まれて来るのである。

万寿嘉々見

 こうした不幸を免れる為に、「破魔の印」を組み、「尊勝呪法」を行うのである。この呪法の、宇宙原素たる五大の一つは「水」である。「水」の種字の「鑁
(ばん)」、そして「地」の種字の「悪(あく)」のの二音を念唱するのである。
 この念唱は「ばん・あく」であり、その意味は、真実を知る智慧
(ちえ)ということであり、本当によく知ってしまえば、心は静かになると言う二段階の知性の働きを示しているのである。
 ここに「理」と「智」の大事がある。密教では「理」と「智」の大事を説くのである。真如と、これを悟る智慧のことである。
 智慧を用いるのである。
 それにより物の道理が生まれ、物事に分別が出来る。
 よく「じゃじゃ馬馴らし」というような言葉を使うが、実はこの場合に跳ねる馬は牝馬のことであり、牝馬の叙し方は荒々しく扱っても反撥するだけである。鎮めるには智慧を用いる。

 こうして、心を静め、また浄めた心で、落ち着いて舌を動かせば、女性は絶唱するくらい、大きな悶絶
(もんぜつ)を繰り返し、猛烈に舌でベロベロやる愚かな男も、男の前歯がへし折れるくらい腰を跳ね上げる女も居なくなるであろう。
 つまりこうした、自称テクニシャンと称して舌を遣う行為や、手で触り捲る行為を一般には「前戯」という言葉で呼ばれているようだが、こうした行為は、むしろ静かに行う技術を持っていた方が利口であって、いよいよ本番という時には、効果絶大なのである。忙
(せ)しなく動き廻る動ではなく、静である。鎮めるには「静」を必要とする。

 しかし、これを充分に踏まえない男は、その時の状態によって、意欲を湧き上がらぬこともあり、陽の気が弱く、陰の気が強い場合は、大凶時に匹敵するくらいの不都合が起る。陰圧が高まるためである。こうなると一方通行の排泄行為だけとなる。あたかも糞尿の垂れ流しと同じになり交会に何の意味も持たなくなる。決して不要なる溜まったものを出すのではない。
 男女の愛を排泄と誤ってはなるまい。
 斯
(か)くして犯罪者は、こうして作られるのである。
 したがってこうした場合、注意せねばならぬことは、しょぼくれた男は、一段と力を加えたり、あるいは力を抜いたりして、男根に刺戟を加え、呪文の「羅
(ら)」を一身に念じなければならない。これは発心門における「火」を祈願し、男根精気を強化するものである。



●房中術転法輪

 密教房中術には「金胎転法輪
(こんたいてんぽうりん)の大事」なるものがある。これも秘法であり、「第三の礼念法」と言われるものである。
 仏道では「大事」という言葉がよく用いられる。この大事と言う意味は、目的とか修法を指し、修行し、更には悟りを開く重要な要素を含んでいるものである。
 そして「金胎転法輪」の「金」は金剛界の略であり、更に男根を顕わし、「胎」は胎蔵界の意味で女根を顕わす。
 また、「転法輪」は車が前進するが如く、無知な人間に、仏の教えを広めることを目的にするが、密教房中術では、男女二根が、互いに回転し仏法の教えである即身成仏を目指すもので、ここでは陰陽の一体を説いている。

 この陰陽の一体は、俗に言う「69
(シックスナイン)」のことで、現代生活ではお馴染みのものであり、一般にも広く流布されているものである。
 この体位は男女が上下になり、あるいは横臥
(おうが)し、各々に頭部を逆にして平行し、男は女の性器へ、女は男の性器へ礼念法を行うものである。各々の自分の守護神を互いに礼念し、聖なる接吻を加え、陰と陽の精気を法輪の輪の如く回転させる修法である。これこそが、転法輪なのである。

男女二根の陰陽が循環する転法輪

拡大表示

 この修法を行う場合の注意点は、お互いの尊像に歯を引っ掛けたり、あるいは度が過ぎる刺戟を加えないことである。陽気が疎外されて、陰気を高め陰圧が増大するからである。陰陽の拮抗だ大事なのである。何れにも偏ってはならない。
 この場合の要領は、男女が乳幼児時代に戻り、まだ歯が生えていない赤ん坊のような状態になって、慎んでこの修法を行うのが好ましいとされている。

 さて、舌の使い方には、「平面拡張型」と言われる、通称「犬の舌」と言うものがあり、これは犬が舌で嘗め廻す如きの舌遣いで、“守護神さま”を平面的にもれなく嘗め廻す方法である。また、次に「材質強化型」と言うものがあり、これは舌をV字形に尖らせ、“守護神さま”を立体的に嘗め廻す礼念法である。第三の礼念法では、この両方を巧みに使い分け、接点によって尊像礼念を行うのである。
 そして密教房中術ではこれを、敢て「大事」と呼ぶのである。
 その理由は、これまでの男女二根が個人的であったのに対し、「金胎転法輪」では、陰陽二根がその気を交換させ、共同修法をするという事である。一方的な偏りでは、陰陽の気の回転と交換は行われず、また呼吸の合致が行われず、男女が平等になることがなく、一おい得的な修法であってはならないとするところを、敢て「大事」と、但し書きを付けて注意する所以である。

 現代の物質的文明の中では、男女二根に対し、金で売買される売春と言う行為がある。この売春こそ、「一方的な偏り」であり、そこには男女の陰陽の気が循環しないと言う実情が横たわっている。金を払って「遣
(や)ってもらう方」と、金を貰って「遣ってやる方」になる。
 普通、男が女に金を払って、女を買うのであるから、一方的に「女から遣ってもらう方」になり、これこそ偏った男女の肉欲の処理と言えよう。
 しかしこれを度々繰り返すと、男は女の一方的な偏りにより、徐々に精気を失い、またマンネリ化が祟
(たた)り、陰命の陰陽にも流され、成立しない転法輪を廻すことになる。
 これは度々繰り返すと非常に恐ろしい結末を迎えるのである。拮抗のバランスを失って、気の交換は行われず、一方的に偏った守護神無視の性交が行われる。そしてこうした現実下に、不幸が出現するのである。
 つまり、男が一方的に犯す強姦擬いのセックスである。これは精液を放出する単なる排泄行為であるから、この現実化した場合は、必ず不幸現象が顕われる。

素朴で質素な暮らし、たまさかの自然の音の響き。このような枯淡の境地に至ってこそ、本来の心に立ち返るのである。人生の醍醐味は、都会の雑沓の中には存在しない。騒音の中にはない。風もなぎ波もおさまって静寂が訪れると、人間の思考回路もはじめて正常を取り戻すのである。己を省みる時は、まず静寂の中に身を置いてみることだ。

 家庭不和、子供の非行、心身の諸病気、迷い、苦悩、離婚、不倫、無気力、憎悪、嫉妬、交通事故、自殺、障害や殺人事件、放浪癖、浪費癖、借金地獄、経営不振、リストラ、倒産等は、総べて転法輪の車輪の輪が廻らなかった為である。

 本来男女の愛は「愛和精神」の下で成立する。もし愛和が成立しなければ、交会や性交は行うべきでない。生を損ない、性命に損傷を与えるからだ。また、性命エネルギーを著しく陰性化に導き、陰圧を高めて罹病をし易くなる。その機能障害として真っ先に能われる兆候が腎臓疾患なのである。背景に血の汚れと濁りがあるようだ。
 こうしたものが、男女間に様々な不幸現象を齎すのである。
 だから密教房中術では男女二根の「第三の礼念法を、敢て「大事」と提起し、その気の循環が行われなくなったらどうなるか、ということを改めて警告を与えているのである。
 その修法に際しては、「無念無想」が何よりであり、男女二根は気の循環の陰陽交換の為のみに専念することが大事である。
 第三の礼念法にはこれ迄の呪文もなく、ただ只管に女性は男根を不動尊として礼念し、男は女根を“愛染明王さま”として敬愛して、無我の境に入るのである。こうすることによって、やがて男女とも、二尊明王の背後に火炎の焔
(ほのお)が燃え上がり、一種の「焔の光」が見え始めるのである。
 赤々とした色彩に、我が身が熱されていくのを感じるであろう。

 これこそが密教房中術の説く、金剛界
(こんごうかい)・胎蔵界(たいぞうかい)の法力であり、この法力は男女二根を循環し、更には回転するのである。
 この回転により、転法輪は効果を発揮していることを意味するのである。しかし、一部の凡夫
(ぼんぷ)の間に批判の声が上がるかも知れない。何故ならば本当の威力と「火炎の効果」を識(し)らない男どもは、こんな強烈な荒行に励んだら、男は愛液跳ね飛ばしの癖が付き、女は普通の性交では満足しないのではないか。
 あるいは淫乱癖がついてしまうのではないかなどの心配が起こるかも知れないが、こうした心配は御無用である。
 何故ならば、ここは転法輪の、転法輪たる所以
(ゆえん)であるからだ。そのには、ちゃんと極意があるのである。


<<戻る トップへ戻る 次へ>>


  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法