運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
理趣経的密教房中術・プロローグ
理趣経的密教房中術 1
理趣経的密教房中術 2
理趣経的密教房中術 3
理趣経的密教房中術 4
理趣経的密教房中術 5
理趣経的密教房中術 6
理趣経的密教房中術 7
理趣経的密教房中術 8
理趣経的密教房中術 9
理趣経的密教房中術 10
理趣経的密教房中術 11
理趣経的密教房中術 12
理趣経的密教房中術 13
理趣経的密教房中術 14
理趣経的密教房中術 15
理趣経的密教房中術 16
理趣経的密教房中術 17
理趣経的密教房中術 18
理趣経的密教房中術 19
理趣経的密教房中術 20
夜の宗教・真言立川流
続・夜の宗教 真言立川流
home > 房中術 > 理趣経的密教房中術 6
理趣経的密教房中術 6

菊川英山『江戸之紫』第三図

拡大表示


●官能を齎す為の食による浄血

 食の誤りで、血が濁っていては、正しい交会(こうえ)は不可能である。また、血が濁っていては交会することによって、清流を授(さず)かる事も出来ない。間違えば、無駄に性腺が刺戟されて異常性欲が起こるだけである。
 科学知識は、時として過去の忌まわしい妄想の上に載っている箇所が少なくない。この妄想の箇所のみがクローズアップされた場合、科学知識は健全性を失い、寧
(むし)ろ太古から迷信と信じられて来たもの以上に、下等な先入観に冒されたものでしかなくなり、科学者はこの物事の範疇でしか思考能力が働かないようになってしまう。

 喩
(たと)えば、「造血作用」が、何処で起こっているかという問題である。
 現代医学では、血液の造血は「骨髄造血説」が主力になっており、これが西洋医学の有力な医学的な学説となっていて、その信奉者も決して少なくないようだ。しかし血液を考えた場合、肉食主義者と菜食主義者とでは、その血液の汚れ方が違っているのである。
 肉常食者は、短命が多い。

 例えば性交遊戯で、スポーツ的なセックスを楽しんだ場合、行為自体は肉体運動であり、クライマックスでは大量の性命エネルギーを放出する。これは内臓の老化を早めるだけでなく、それを行うために大量の効率のいい、運動には不可欠な動タンパクを必要とする。また動タンパクの摂取は、肉の分解によって生じた強酸類が異常性腺
(せいせん)刺戟を行い、人体の根底的な代謝機能を狂わせる。この結果、異常興奮が起こり、昨今の現代人のように一年365日、常に風俗などで色を求めて徘徊(はいかい)する社会現象を起こすのである。心的には慎みを忘れさせる。
 この元凶は、血液中の過剰な強酸類が性腺を刺戟したことにより、異常な性的興奮状態は常に毎日繰り返されていると言うことである。肉の常食は肉自体よりも、肉に秘められた特殊なる成分の仕業と考えられ、これは少年少女を成熟にし、更には青少年に関しては肉自体が「早老食」であるということが出来るのである。早老食は血を汚すからである。更に注視したいことは、血も精液も同一のエネルギーで構成されていることである。

 では、一体この汚れは何処から起こるのであろうか。
 そのメカニズムを解明しよう。
 西洋医学でも肉食中心の食事をすると、体質は酸性体質になり、血液が汚染された状態になるといわれている。だから肉の酸性を中和させる為に野菜を摂れという。
 逆に、菜食中心の食事を実践している人は、弱アルカリ性で、血液の濁りが少ないともいわれている。ということは、食物で血液が酸性になったり、弱アルカリ性
(生理的中性)になったりするということになる。
 では、造血は何処で行われるのか。
 骨髄造血が正しいのか、あるいは腸造血が正しいのか、これだけでは造血作用を起こしているの場所を突き止めることは出来ない。また、この違いを、現代医学の常識である、骨髄造血説だけでは到底説明をすることはできない。しかし、食物と血液は密接な関係にあることは事実である。

 さて、食物の吸収、消化の原理を追って見ることにしよう。
 食物を吸収し、消化するところは腸であり、殊
(こと)に、小腸の働きは目を見張るものがある。何故ならば自然食医学の立場からすると、小腸は血液を造り出し、浄化を司る器官であるからだ。そして、これを腸造血、あるいは腸浄血といい、今日の自然食による「腸造血説」の提唱に、大きな影響と示唆を与えている。
 そして骨髄では、寧ろ血液ではなく男の場合は「精液」であり、これを極端に排泄すると「腰が痛くなる」という現象が現われるのは、この事と密接な関係になるからである。
 つまり精液の出し過ぎは腰骨を痛める原因となるのである。また、腰骨が弛むのである。仙腸関節の噛み合わせが外れるのである。

 男女とも無駄な精気放出に趨
(はし)り、精気を浪費するようなスポーツセックスに励んだ場合、往々にして椎間板ヘルニア(続にい言うギックリ腰)を煩(わずら)うものである。男の場合は、精気イコール精液と深い関係があるので、精液を度々洩らして垂れ流せば、その弊害は先ず「腰」に来る。仙腸関節を弛(ゆる)ませ、常に腰骨の開いた状態になり、これは腰椎までもを損傷して行く。
 この損傷は脊柱に及び、その霊的な《ひずみ》は脊柱を上り、両肩に達して肩凝りを起こした後、その禍
(わざわい)は頭骨へと達する。
 その結果、頭蓋骨
(ずがいこつ)の縫合(ほうごう)を外し、興奮から起こった刺戟は、同時に頭重感となって跳ね返って来るのである。これは肉に含まれる興奮性物質(プリン塩基)が摂取した肉物質から肉の分解によって生じた酸性毒素が元凶だったのである。

 さて、赤血球は腸で造られその赤血球は、やがて体細胞に発展・分化していく流れの中で育成される。人体の基本構造は、先ず食物が体内に取り入れられ、それが消化されることによって、腸壁内の腸絨毛によって赤血球母細胞につくり変えられる。この赤血球母細胞は、自らの細胞内から赤血球を放出させ、それを血管内に送り込む。送り込まれた赤血球は、人体の至るところをくまなく巡って、やがて躰全体の細胞に変化発展していく。ここで血球が体細胞に変化発展していくという過程がある。

 組織細胞に辿り着いた赤血球は、白血球を新生して、その周辺の体細胞から大きな影響を受けながら誘導され、その場所が肝臓ならば肝細胞へ、脳ならば脳細胞へと順化を繰り返し、分化を遂
(と)げてその役目を全うする。やがてその役目も全うし、終盤に至れば、今度は怪我などで破壊されたり崩壊した組織の修復作業に掛かる。
 このように腸で育まれた血球は、次々に新しい体細胞を造り出していくのである。
 今日の現代医学や生物学が教えるように、細胞分裂を繰り返して分裂の結果新しい体細胞が出来るのではないのである。

 日本人は戦後の理科教育の中で、細胞分裂が起こっていると教え込まれてきたが、これは骨髄造血説を中心に置いた一種の仮説で、未だに仮説の範囲から出ていない。
 先にも述べた通り、食物は口から取り込まれて各々の器官を経由して腸に入る。それが腸壁内の腸絨毛
(ちょうじゅうもう)に取り込まれることによって、血管を駆け巡る為の赤血球に分化する。分化した赤血球は躰の各々の組織器官を構成する体細胞へと分化していく。食物によって齎された造血物質は血液と体細胞を構成するのである。食が人体の化身といわれる所以はここにある。
 人間の躰は食物によって血液が造られ、また、血液によって体細胞が造られている。
 つまり、人間の肉体と精神は、食物によって形成されている。各々が何を食べているかということで、その人の躰
(からだ)だけではなく、その人の霊的気質まで決定してしまうのである。
 動物性を常食している人は霊的波調が粗
(あら)く、霊的神性も低いのだ。逆に、植物性を食べている人は霊的波調が細かく、密を極めており、霊的神性が高い。当然、その人の所属する霊的位置(次元界)も、霊的粗密で上下するのである。

 双方は同じ、三次元顕界に身を置きながらも、前者は低次元に魂を置き、後者は高次元に魂を置いている。
 また一方、前者は次元が低い為に、神界や霊界と交流出来ないばかりか、《外流
(邪気)》に流されて低級霊(幽界や地獄界)と交信・交流し、後者は霊的波調と霊的神性が高い為に、神界や霊界と交流することが出来る。何故ならば、神界や霊界という次元は、繊細な波調によって形成されている世界で、穏やかな、然(しか)も情緒的に安定していて、細やかな感性の持ち主にしか、感受出来ない世界なのだ。



●精禄を養う

 私たちは、人体を構成する構造玄理を知らねばならない。玄理は人体が宇宙に帰属するという事を顕わす言葉である。
 人間は天地大自然の法則に制約される。しかしその本質は、宇宙創造主の念
(=意)と同じものを持つ。そしてそれは玄気が司る。玄気とは「気」をなす根源である。
 人間には生命力の根源を支える、気としての形態に「精気」というものがる。
 精気の本質は「形」であり、外化力は「精力」であり、外象は肉体である。
 また「意」については、天意の地上的表現であり、その本拠は「下丹田
(気海のことで、臍下3寸、裡側に3寸)」であり、焦点は「会陰」であり、表象は「本能的欲求」である。

 さて、霊的修行をしないの場合の、力だけの気の性質は荒く、その変わりにパワフルであり、筋力とスピードに代表されるように、肉体力だけがその体躯の99.99%を占める。この割合は、肉体がその中心となっている為、食糧である「食禄
【註】人間は一生涯で、その人が食べる食物の量が定められている)」の消費が激しく、肉体信奉者は、殊(とく)に激しい消費を補う為に、スタミナ源の根本と思われている肉や乳製品食を好む者が少なくない。

 次に問題なのは、この肉食主義である。
 肉食主義者は往々にして霊格が低い。動物性蛋白質は食物として波調が粗く、酸毒化する傾向にあり、人間の食物としては不適切であるからだ。これは古来より神から約束された食物ではないからだ。
 これを食すると、霊的に格を下げるばかりではなく、自らの精気を弱め、人間の持っている一生涯での精である躰力、或いは生命力を早期状態で使い果たしてしまうという恐ろしさがある。つまり、これが異常性欲の高まりであり、一般には早熟と呼ばれる。裏を返せば早期老化の到来という事になる。

 因
(ちな)みに、人間の歯の構造は、肉を食べるようには出来ていない。歯の構造の中心は肉食獣のような犬歯ではなく、臼歯であり、前歯は穀類菜食を行う際の殻を割る為の存在であり、多くは臼歯によって植物性の食物を擂り潰す役割を持っている。
 さて、一人一人に、生涯に食べる食糧の決まった食禄があるように、精気にも定められた「精禄
(せいろく)」というものがある。
 即ち、精禄とは、精の中心を司る肉体的物質的根源であり、これは食禄と対峙
(たいじ)する。つまり、食禄と精禄は常にバランスを取り、双方が拮抗しているという事である。
 だから性欲にも、その人が生涯に於て、放出される精の総量が定められている。この精によって放出されるエネルギーの総量が「精禄」なのだ。
 人間は他の哺乳動物と異なり、「性的な生き物」である。発情期以外にも欲情を覚え、性的欲求を求める。

 殊に思春期に差し掛かる頃からこれが頻繁となり、ほぼ老年期の死ぬ直前迄、この営みは繰り返される。だからこそ、精禄の遣い方を誤ると取り替えしのつかない事になるのだ。その意味で精禄は使い過ぎれば、まさに自殺行為になるのである。
 殊に男は、精液の放出を慎まなければならない。房中術で言う、「接して漏らさず」とは、この事に要注意を警告し、この愚を指摘しているのである。この愚に気付かない者は無慙に朽ち果てるしかないのだ。

 日本人は、1980年代から始まったマネーゲームに併合するように、食通ブームの波が押し寄せ、猫も杓子も株に明け暮れ、また、その一方で食通評論家の仕掛けに填まって、幾ら金を払っても美味しい物を食べたいという願望を強めた。その美味しい物の中心課題が、美味しい物をどれだけ多く食べられるかにあった。
 「グルメ」という美食主義は、金融経済の発達とともに平衡して起こった社会現象であった。
 昭和30年代の日本人に対して、テレビコマーシャルで「タンパク質が足りないよ」は経済成長とともに、肉や肉を加工した動タンパク食品との関連が無関係でなく、国際的な肉メジャーの絡んだ海外の肉売込み戦略の一貫として組み込まれたものであった。
 また、昨今の寿司ブームもこれに平衡した食物メジャーの奨励戦略である。
 これ等の食品の多くは、動物性蛋白質であり、またヒラメや鯛、ブリ等の高級魚であった。だが、それは発情期以外にも頻繁
(ひんぱん)に欲情を覚え、性的欲求を求める、あの愚かしい食物であった。その代償が「精禄」を限りなく浪費する、愚かしい行為に繋がったのである。
 そして肉食を繰り返し、異常に動物性蛋白質を体内に蓄積する事で、それと入れ変わりに「玄気=精液」を吐き出すという、気力源の浪費が行われた。こうして日本人は食への慎みを忘れ、食通時代の真っ只中に飛び込んだのである。

 またこうした事が、策謀好きな欧米人のトップに、好き勝手も弄ばれる現実を作った。思考的には、多角的構想の発想が失われ、ストレスだけが増大して、「肥る」「運気衰退」等の現実が現われた。

 平成元年の終わり頃から始まったバブル崩壊は、これを如実に物語った現象であった。多くの日本人はこの時、食の錯誤から来る肉食主義の愚かさに気付く事はなかった。専
(もっぱ)ら現代栄養学の言う肉食推奨論のカロリー主義に陥って、様々な酸毒体質を積み上げて行った。血液を酸毒化させ、細胞機能の混乱を齎(もたら)しただけであった。
 これが原因で動物性蛋白食品の消化過程に生じた強酸類は、日本人の視床下部を狂わせ、性腺を刺激するだけ刺激して、風俗産業が盛会に至ったのも、この時からである。

 肉食による性腺刺激は、視床下部を狂わせ、筆舌に付くし難い程異常な性欲を呼び起こす。
 曾
(かつ)てアメリカ第三十五代大統領ジョン・F・ケネディ【註】生年月日:1917年5月29日、干支:丁巳、九星:二黒土星、就任式:1961年1月20日、八門遁甲で言う「仕組まれる宰相」であり、その生年月日からすると陰謀殺を受ける最大の絶頂期にあったといえる。彼の大統領人生は、アイゼンハワーの後を受け継ぎ、アメリカ軍産複合体に操られ、国際ユダヤ金融資本勢力に填(は)められ、最後まで踊らされた人生であった。そして諜報工作機関から女によって狂わされた。それはあたかも殷(いん)の紂王(ちゅう‐おう)が、周公旦(しゅうこう‐たん)の仕掛けた妲己(だっき)によって狂喜させられ、操られたようにである)は、大の肉食家で、異常性欲者であった事は知る人の知る実話である。

ジョン・F・ケネディ

 肉食はこれ等から分かるように、脳の視床下部を狂わし、性腺
(せいせん)を刺激し、性的な異常興奮を起こす。また酸毒化された腐敗菌が腸管内に発生して、早期老化を招き、心身共に衰弱を齎(もたら)すのである。更に内臓機能の老化を早め、この事が動物性蛋白食品の常食者に短命を齎した最大の原因とも言えるのだ。

 ジョン・F・ケネディは、動物性蛋白食品の常食者として短命で終わったのではないが、しかし異常性欲者として、その怪物振りを顕わし、性欲遊戯に明け暮れ、一方でキリスト教国家
(英国の傀儡ではあるが)であり、それを憂う体制側に、そのアメリカの顔である大統領の恥部を隠す為に暗殺されたという、信憑性の高い噂すら出たのであった。

 ちなみに“肉食礼賛”は、ユダヤ人の考え出した食料流通の、非ユダヤ人の為の食糧政策であった。米国を始めとする食肉メジャーの食糧政策が、大きく絡んでいる。そ基本的な目的は、人間の性腺を狂わせる為である。世の中を、異常性欲を持ち、排泄機能が狂ってしまった男女で汚染させることである。
 性欲が渦巻き、そこに淫乱な性が蔓延
(はびこ)り、その淫乱を常識に変えて、それを世の中に流布させる為である。昨今の青少年が早熟なのは、こうしたアメリカを始めとする食肉メジャーの思惑が絡んでいる。

アドルフ・ヒトラー

 曾てアドルフヒトラーは、四分の一のユダヤ人の血を受け継ぎながら、多くの同胞ユダヤ人
(アシュケナージー)を虐殺し、そして自分自身は霊的神性(神霊界のお告げ傍受する審神者体質)を下げない為に肉食やアルコールを慎み、これらを遠ざけて、自身の食事には「自分専用の凄腕の野菜食料理人を従えていた」という話は、知る人ぞ知る逸話である。
 ヒトラーは、血の濁りが人間の霊的機能を低下させ、霊的神性を曇らせると言うことを知っていたようだ。そのために霊的神性を曇らせないためには動タンパクは躰に悪く、また思考力も低下させると言うことを見抜いていたようである。
 ちなみに、ナチ党
Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei/国民社会主義ドイツ労働者党)は神権国家を目指した全体主義を展開した党である。神の権威に物いわす党だった。

 神権
(divine right)とは、世俗の権力者が、神から授かったと称する権利のことである。近世初期のヨーロッパで君主専制の基礎づけに使った観念でもあった。これらの観念も、霊的神性から導き出した結果からだったのだろうか。
 つまりヒトラーの目指したものは、まさに神権政治
(theocracy)であり、政治的支配者が、神の代理者として絶対権力を主張し、人民に服従を要求する政治もしくは統治形態である。
 裏から見れば、今日の民主主義デモクラシーはその側面に、国民全体を愚昧化する行動があることも否めない。


 ─────再び「精禄
(せいろく)」に迫ろう。
 先ず精禄を養うには、自らの体内に気としての形態の「玄気」を取り入れる事が肝腎であり、それは気力源であり、これは一種の性命エネルギー塊である。
 この気力によって培われた性命エネルギー塊は、「天の気」と「地の気」である精気と結ぶ役割があり、経絡の調律を行う役目を果たすのである。この状態に至った場合、その脳波は
“α波”であり、精禄の浪費的な精液放出に歯止めを掛ける役割がある。

 さて、男の勃起には三種類がる。
 一つは大量に、肉や乳製品を食べた場合である。また動物の内臓等の、俗に言う動蛋白という物を食べた場合、翌朝には激しい欲情を起こす。所謂、早朝勃起である。しかしこの勃起は、朝起きた時に激しい尿意を催す場合と同じで、肉食によって精液が一晩で大量に作られた事を意味するものである。したがって、これを吐き出せば勃起は収まるのだが、またそれだけに血液に匹敵する精禄を浪費する事になる。

 次に薬物であるバイアグラを服用した時である。しかし薬物を使って脳に性欲の刺激を与え、仮的な興奮状態を作る為、これには揺り戻し作用が必ず現われる。そしてこの力を借りて欲情を催し、精液の浪費に至れば、残された性命は半減する。

 最後に断食や少食を実行している時である。断食中に勃起は起こらないが、断食を終え、最終段階の漸減食にある場合、徐々に勃起が始まり、性的興奮への集中力が高まる。また少食を長期間実行している場合も、早朝勃起が現われ、また性交する場合でもその勃起スピードは若者並となる。
 これは精液は精嚢で殆ど作られないが、玄気が養われる為、射精寸前の状態が長く得られる。古人はこれに準えて「七天宝到
(しちてんほうとう)を聞く」と、その妙を表現した。要するに精禄を養って悟りを開き、解脱した事を、こう云ったのである。即ちこれによって、精禄は玄気に変換され、射精に見られるような、精禄を減らす運命から、自らの性命を失う寸前で回避したのである。射精の制御は、男にとって究めて重要な課題である。
 これは性命エネルギーを無闇矢鱈に浪費しない教えであり、無駄に放出する浪費を慎めば、人間が他の動物と同じ哺乳類の形態を採りながら、動物とは異なる、霊的には一線を画したランクの上の有機生命体に向上出来ることを説いたものである。

 理趣経『不動秘伝』によれば、「還精法」
(射精を自在に制御する法)に関して、悟り至る経緯を次のように著わしている。

『不動秘伝・還精法』
第一日 射精しそうになった時、それを制して極力漏らさなければ、それだけで気力(玄気)が強化される。つまり、そこで終わり、後は肉体感覚の接触や刺戟でなく、霊的に交わるということを説く法である。
第二日 二日連続して精を漏らさなければ、耳がよく聞こえ、目もはっきりする。視覚がよくなり、視野が広がり、視界は明るくなることを指している。
第三日 三日連続して精を漏らさなければ、病気の心配が消える。精気の漏洩は肉体を弱める元凶である。
第四日 四日連続して精を漏らさなければ、五臓六腑に活力が漲ぎり玄気が増加する。こうしたものを道教では「内丹の養成」と称した。この養成を行うと、心的には健康増進は勿論のこと、脅しに屈しない勇気や不動心を得て、定まった心を持てると言う。
第五日 五日連続して精を漏らさなければ血管が嫋やかになり、血圧や脈拍が安定する。あるいは自らでも、脈拍をコントロール出来る。
第六日 六日連続して精を漏らさなければ、背筋が垂直に伸び、腰骨が安定する。これは脊柱せきちゅうに連なる椎骨と椎骨との間にある円板状の組織の「椎間板」の水分を髄核へ補給出来るからである。
第七日 七日連続して精を漏らさなければ、尻や股に力が漲(みな)ぎり、容姿が生き生きして、菩薩の如き流麗な体躯が得られる。
第八日 八日連続して精を漏らさなければ、全身に活力が漲ぎり肌艶が良くなって、後光(良好なオーラ霊的放射)が差し始める。
第九日 九日連続して精を漏らさなければ、安息と長寿が約束される。この安息は「長息」と呼ばれるものである。
第十日 十日連続して精を漏らさなければ、悟りの道が開け、解脱して、安心立命が得られる。

 とあり、これはあくまで少食実行者に限られる事は言うまでもない。
 この事は『理趣経』にも挙げられ、「如来はまた一切平等を観ずる処の自在する智印を出生する般若理趣を説き給う」と。
 つまり男は、自身の回春
(性命エネルギーの強化)の為にのみに女体を用いてはならない。天地の理に在りとする処は、男女共通で然も、平等でなければならない。また一方的な「烏の行水」の脱魂感では、還精法の効果が無いとしているのである。

 ちなみに昨今の、愚かなアダルトビデオに見ると、交会の何たるかも知らない愚かな出演者が、自分の精液を女性の顔に射精するという滑稽な寸劇は、それこそ精禄を摺り減らす、最も悪い元凶といってよい。
 またこれに習って、男女の性交はああいう利己的な顔面シャワーが、本当の男女の性交と信じている青少年の愚行も、日本の由々しき亡国の実情を暗示している。大変な間違いである。浪費に最たるものであろう。性命エネルギーを消耗させるだけである。

 今日、世界各地で制作されているポルノ映画やポルノ・ビデオというものは、どれもこれも水準が低く、次元は低次元のものが多い。
 殊に日本の物は、その低俗さに於ては世界の群を抜いている。興行的な立場と、週末事にその過ごし方を知らない無教養層の青少年に、歪んだ性情報を伝え、またそれが観客側の低俗な興味と迎合して、今日に見るような、無知な性命排泄の現実が生まれたのである。どうやら日本人にとって、本格的なポルノ・グラフィと言うものは、まだまだ不在であるらしい。

 脱魂感、そして絶頂感という過程の中で、女性器から我が一物を抜いて腔外射精をするというスポーツ・セックスの原形を紹介したのは欧米人である。
 この愚かしいスポーツ・セックスの真似をしたのが、今日に見られる不倫肯定論者の性交である。また性交とはこのようなものである、と誤解して、せっせとこれに励む、若い男女の性欲観は、やがて優秀な子供を作る能力を喪失するであろう。仮に作っても、免疫力の弱い愚鈍な子供が生まれて来る。
 此処にも日本の亡国を暗示する危険がある。

 結論を述べると、男根、女根は尊い生きる証のシンボルである。自分の尊い性器を眺める事によって、また新しい人生が開ける事も然りである。自分の性器を眺める事は、自分の人生を見つめ直す事であるからだ。だが、享楽や快楽遊戯から無闇に精気を浪費する事は、自殺行為になるので絶対に慎まなければならない。



●愛欲とは情念である

 仏道において、人間の煩悩をどのように扱うか、それは大きな課題だった。密航では、人間的な欲望は、宇宙生命に繋
(つな)がるものとして、全面的に否定する事はなかった。煩悩を含み、それが現実世界の実体であると言う立場を打ち出したのだった。
 特に『理趣経』においては、現実の世界を煩悩の儘
(まま)に包含し、これを総べて肯定することでその中に、理想形態を見い出したのである。そして、現実の世界の中に、絶対の世界を実現するのが、密教の理想でもあったのである。

 『理趣経』は、密教思想の中でも、現実肯定の姿を如実に打ち出し、貪欲も、愛欲も、怒りも総て心の顕われだと肯定した。こうした生きとし生けるものの、ありとあらゆる状態を総て受け入れ、価値観をこの次元に転換する事において、万物は生成し、愛情こそ、万物生成の本質だと捉えたのである。

 即身成仏
(そくしんじょうぶつ)とは、人間的存在の最も理想とされるところである。密教思想は、即身成仏を高らかに謳(うた)い上げている。即身成仏とは、人間がこの肉身のままで、究極の悟りを開き、仏になることを説いた思想である。この思想は、天台宗・真言宗・日蓮宗などの中で説かれている。
 しかし、密教は更にこれを現実化し、特に、男女の恋愛関係の過程を率直に分析し、その全てが「清らかである」としたのである。その知られるものとして「十七清浄句」がある。
 これは悟りへの道を、十七に分け、比喩的に説いたものである。これを文字通りに実践したのが、真言立川流であった。そして、愛欲を肯定する『理趣経』は、秘経として一般大衆には公開されず、また見せてはならない教典であったのである。

 人間は、等しく五種類の感覚を持っている。
 視る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れるの五つである。これまで仏道では、これ等の感覚は人間の心を惑わす煩悩であり、この感覚により苦悩が始まるとされた。また、この苦悩が心に迷いを作るとされた。そしてこれ等が、煩悩であると説いた。
 しかし、宇宙の真理を探究すると、人間の理性だけでは理解することができない問題が山積みされている。だからこそ、人間の持つあらゆる知覚を使い、感覚器官を総動員して、真理探究に向かえと教えた。

 悟人は、感覚器官をフル活用して、その真理探究に臨んだ。そして宇宙の真理を獲得した証が、曼荼羅と言う道具だった。曼荼羅には宇宙の広大なシステムが顕わされている。曼荼羅に描かれた、菩薩や神々は、色彩を持ち、形を持ち、位置を持ち、独自の持ち物を持っていた。各々をシンボルとし、目で見る事よりも、宇宙の真理として交流し、体験する事を教えた。そういう教典が『理趣経』であったのである。
 また密教の代表的な仏が、愛染明王であった。この神はインドの神の「ラーガ」であり、「赤性」を象徴する愛欲を仏の悟りに変えた明王であった。元来は人間の煩悩としての愛欲を、そのまま仏の悟りに変える力を持ち、姿は赤く、六本の腕を持って忿怒の形相をした明王である。

 かつて昭和の初期、川口松太郎の恋愛小説に『愛染かつら』というものがあり、一世を風靡
(ふうび)したが、この愛を成就する「桂の木」【註】中国で、月中にあるという想像上の樹で、恋愛成就の木とされる)と愛染明王がミックスされて、「愛染かつら」の発想に至ったと言われる。それだけ、愛染明王は恋愛を成就させてくれる御利益を持つと信じられたのである。

 陰陽道
(おんみょうどう)は、宇宙間の自然哲学的現象に逆らわず、それにより災いを避け、福徳を得る陰陽表現を説いて来た。
 易経の説くところによると、陽は「火」であり、陰は「水」と定義する。この陰陽は、「火水」であるが、火水は「神」に通じるところから、この二物はそれぞれ別のものではなく、同体であると見る事ができる。陰が極まれば陽になり、陽が変ずれば陰になるのである。この不動の真理の中に、「静中動」あり、また「動中静」があるのである。

 漢代に成立したと言われる小説『虞初新志(ぐしょしんし)【註】前漢の武帝の頃に書かれたと言われる小説で、作者は虞初(ぐしょ)。新志は小説の題名であり、一説には虞初ではなく、張衡(ちょうこう)が書いたとも)には、その一節に、ある富翁の家の妻女が、たまたま里帰りし、その後、帰宅して夫婦の契
(ちぎり)りを交わしたところ、夫婦共に衾ふすま/布などで作り、寝るとき身体をおおう夜具)の中で情炎の火に包まれて燃え尽きたという、何とも快談めいた話が紹介されている。
 この小説の登場人物に、曲周陳公
(きょくしゅうちんこう)という者が居り、あるとき、令桐(れいとう)にこう云った。
 ある邑
(むら)に、富翁という金持ちの老人が居り、その子の婦(つま)が、父親の家より還って来た。
 しかし、明くる朝になっても夫婦は起きて来ず、不思議に思った家人は呼び起こしに行ったが、何の返答もなかった。そして戸を破って中に入ると、煙りで充満していて、鼻をつく硫黄の匂いがした。
 衾
(ふすま)は半ば焦げて、火が焼き付いた穴だけがあった。それをよく見ると、夫婦は二人とも焼け爛(ただ)れ、足のみが残っていた。
 この物語は、古代中国の快談譚
(かいだんたん)を集録したものと思われるが、斯(か)くの如き男女の愛欲は情念に繋(つな)がるものを持ち、「渇愛(かつあい)の炎」で、身も心も灼(や)き尽くす恐ろしさを持っていると言える。この灼熱は、聞くところによると脳まで灼(や)くとある。
 慎みを忘れ、「ほどほど」を知らないと、身も心も、邪なるものから奪われるようである。

 また、密教房中術では、愛欲は竜火であり、仏火よりも恐ろしいとしている。渇愛し、その情念を追い求めれば、そこのは「炎の力」が働き、陰の女根であっても、「静中動」に転じれば、恐ろしき力をもって陽となり、「陽火」に転ずる事を忘れてはならない。
 これをもって密教房中術は言う。「茎
(へのこ)火になる。陰門(ぼぼ)もまた火なり」と。
 茎とは、陰嚢中の核もしくは睾丸を指す。そして「茎が火になるというは、陽物ゆえなり。何ぞ陰門が火になると謂
(い)わざるか」と。



●髑髏秘法とは

 髑髏
(どくろ)本尊が、正か邪か、『受法用心集』には、荼枳尼天(だきにてん)を印契(いんげい)ならびに真言(マントラ)で顕わしている。

髑髏本尊

拡大表示

 印契=左の掌をくぼめ皿の形とし、これを嘗
(な)めるようにする。
  真言=「南莫 三満多 没駄南 訖利 訶 莎訶」
     (のうまく・さまんだ・ぼだなん・きりくかく・そわか)

 この修法は、除難招福、無病息災、立身出世から怨敵退散
(おんてきたいさん)、呪殺と、総(すべ)て万能であり、特に「財宝福徳」を授かりたい人には、大いに霊験があると言われている。人間の潜在する煩悩(ぼんのう)的なエネルギーが本尊であるから、こうした欲望に関する御利益は速攻性があるようだ。
 髑髏秘法の修法は、「神変不思議法」と呼ばれ、十八の印
(十八道契印)を用いる修法で、荘厳行者法(護身法)、結界法、道場荘厳法、召請法、結護法、供養法の六法を行うのである。

 道場観における修法は本尊を中心とした観念の世界と向かい合い、まず、壇上に「きりく」の梵字があり、それが肝臓となる。肝臓は荼吉尼天の食物とされ、それが変じて荼吉尼と作
(な)るのである。また、荼吉尼は変じて、純粋な仏智の文殊菩薩となり、更には荼吉尼天を観じるのである。
 「煩悩即菩提」「愛欲即道」
(または「淫欲即道」)「即身成仏」の哲理を要約した観法が道場観なのである。

 一方、真言立川流は髑髏本尊に、この荼吉尼の秘法を用いているところが、非常に恐ろしいところである。この秘法を修法すると、八年目に本尊の髑髏は口をきき、行者と会話をすると言うのである。この場合、行者のよき協力者となり、指導者となると信じられている。そしてこの指導者は、そのまま自分自身の守護神となると言われている。

 髑髏本尊は、もともと大地から発想された本尊である。大地とは、生殖の母神の宿るところであり、その本体は女性である。
 陰陽道は五行説に遵い、木・火・土・金・水を大地から導いたが、この中で戊・己
(つちのえ・つちのと)の土性の干(かん)には、辰・丑・戌・未の四支があり、他の干には陰陽に一個ずつしか支をもたない。したがって、九星でも二黒・五黄・八白と土性は多い。
 則
(すなわ)ち現象人間界は、女性原理を母体として、陰陽説が組み立てられていると言うことだ。
 そして、ここに女神崇拝の現実があり、現世御利益は髑髏本尊によって齎されるとしたのが、真言立川流であった。

 真言立川流では、この他にも、髑髏を女性の神霊化身と観じ、これを祈願対象とする。その中に「鬼子母神
(きしもじん)髑髏秘法」がある。
 鬼子母神とは、もとはインドの魔女である。王舎城
(おうしゃじょう)の夜叉神(やしゃがみ)の娘で、千人(万人とも)の子を生んだが、他人の子を奪って食したので、仏は彼女の最愛の末子を隠して戒めたという。これにより、以後、仏法の護法神となり、求児・安産・育児などの祈願を叶えるという守護神に変わったとされる。
 密教では、天女形とし、一児を懐
(ふところ)にし、吉祥果(ざくろ)を持っている。

 印契=左右の五本の指を延ばし、右掌を左手の甲に重ねて握り、「請召印」を作る。次に内縛
(ないばく)し、両手の中指を立て合わせて、人指し指は合わせずに立て、薬指は拇指と人指し指の股の処に出し、拇指は立てて並べる。この印を「降伏印」という。

  真言=オン・ドド・マリカキテイ・ソワカ

 修法=怨敵降伏には、髑髏一個を用い、呪文と印契で加持する。印を結び真言を唱えること、百八遍。そしてその後、敵の邸内に潜入し、これを隠し置く。敵に災いが及ぶこと必定とされる。
 注意事項としては、修法に供養された菓子や飯等の食物は絶対に食してはならない。
 一度使用した供物は一切捨てなければならない。供物は修法実践者自身が持ち運び、他人の手に任せてはならない。この禁を冒した者は、その効果が消滅するばかりでなく、災いが自分自身に降り掛かる。


<<戻る トップへ戻る 次へ>>


  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法